第1話 わはわでわでわ? 2 (3)
「例えばね、万引きっていう犯罪があるよね」
ユーリが言う。
犯罪? 万引きって……そっか、勝手にお店の商品を盗むんだから、犯罪だよね。
万引きを犯罪だと言われ、少しとまどったものの、クラトはすぐに納得してうなずきを返した。それを見てユーリが話を続ける。
「万引きを無くすには、万引きをしようとした人間が、やめればいいんだ。一人ひとりが万引きをしないでおけば、それで世界中から万引きという犯罪は無くなってしまう」
ユーリが言うことを、少し考えて、クラトは納得してまたうなずく。
「それじゃあ、泥棒は? 泥棒も、誰もしなければ、世界中から泥棒はいなくなる。虐待はどうすればなくなる? 虐待をしている人が、虐待することをやめればいい」
クラトはこれにも納得してうなずいた。
「それじゃあ、いじめはどうだろう?」
いじめ――。
クラトの周囲ではこれまで、いじめはなかった――と思う。けれど、これからもそうだとは限らない。今は子供たちだけではなく、大人どうしでもいじめがあるらしい。『パワハラ』とかいうらしいが、要するに弱い者いじめだろう。
いじめの問題はこれから先もずっとつきまとう暗い影だ。クラトにとっては万引きや泥棒より、ずっとぐっと、怖い問題だ。そう思っていた。
だけど――。
「いじめも、一人ひとりがいじめをしなければ――無くなるんだよ。この世界から、いじめを無くすことができるんだ」
ひゅっ、と、クラトののどが鳴った。
いじめって、無くなるの――?
いじめは、クラトが生まれる前からずーっとずーっと問題だったはずだ。しかも、ネットが広まって、ある意味では以前よりひどくなっている。昔から問題にされていて、なのに、解決するどころか解決へ向かう気配さえ見えない難問だ。それが、変わるのだろうか?
クラトの心臓がどくんと鳴った。
考えてみれば単純な話だ。ユーリの言うことはもっともで、いじめなんてものは、みんながやめようと思えば無くなるはずのものなのだ。
みんな――?
みんなって、誰だろう?
みんなっていうのは――名もなき草のような人たち?
クラトは茶ぶ台に広げた巻物に目を落とす。
そこにはさっき読んだ序文が書かれている。クラトは目でもう一度読み返した。
巻物にはまだ続きがある。
慎重な手つきでクラトが軸に巻かれた紙を引き出していくと、そこにも流れるような字が現れた。
この世界を救うのは誰だろう。
神だろうか。
それとも英雄だろうか。
いや、どれほど力を持っていようとも、
誰か一人が世界の平和を求めたところで、願わない人々にはばまれる。
けれど、一人ひとりが平和を願えば、
この世界に平和が実現することになるだろう。
名もなき民、一人一人の力こそが、この世界を平和へ導く力となる。
大輪の花を咲かせることなく一生を終える名無し草であろうとも、
平和を願う心を持つ草となれば、
この世界は豊かな緑に包まれた美しい姿を取り戻すだろう。
「この世界の一人ひとりに平和を願う心を持ってもらうことによって世界平和は実現する。それが、ぼくたちが考える、世界を平和にする方法。――『ソウ力化プロジェクト』の根幹となる考えだよ」
ユーリに語りかけられ、クラトはハッと顔を起こした。巻物の一節を読むのに没頭していたので、ユーリたちのことがクラトの頭からすっかり抜けていた。
「そうりょくかプロジェクトの、こん……?」
よく聞き取れなかったところをクラトが聞き返すと、ユーリは怒ったり嫌がったりせずに「根幹だよ」と繰り返し、意味を教えてくれた。
「根幹っていうのは、木の根っこや幹のように、ものごとの大元とか、本筋って言えるような重要なところを言うんだよ」
ユーリの丁寧な説明に、
「それほど重要じゃないことはさ、枝や葉っぱに例えて、枝葉と書いて『しよう』って読むんだって」
と、ミヤが補足する。クラトは「そうなんだ」とうなずきながら、
「そうりょくかプロジェクトの根幹――大事な考え方――一人一人が平和を願うことによって平和にできる……」
一語一語、頭に入れるように言葉を口にする。
「どうだ、クラト? 理にかなってるだろー」
威太郎がにこにこっと笑いながら、誇らしげにクラトに話しかける。
「理にかなってるというより、理屈しかないというか。机上の空論とか理想論とか言われる類の内容なんだけどなー」
と、ミヤは腕組みして思案顔だ。悪く思っているわけではないようだが、ミヤには、何か引っかかることがあるようだ。
「ん? どういうこと?」
クラトが聞くと、
「話だけならなんでも言えるだろ? けどさ、実際にやろうとしたら、現実的には難しいってこと」
ミヤはあっさり答えた。
けれどクラトには疑問が残る。
「なんで? 何が難しいの?」
クラトがたずねると、
「だってさ、人はいろんな考えを持っているからさー」
とだけ、ミヤは言った。
どういうことだろう? いろんな考えを持っている? いろんな考えを持つから、一人一人が同じ考えを持つことは難しいということだろうか?
「でも、平和な方がイイって考えは、みんなが持つものでしょ? 人それぞれ、考えることは違ったとしても、平和に関しては、誰もが同じ考えを持ってるんじゃないの?」
クラトは考え考えしながら、自分の考えを口にした。
「おお、クラト、鋭いッ! ――けど、これがけっこう厄介なんだってぇ」
と言うと、威太郎は不満気に口をとがらせる。
「そもそも、『平和』に対する考え方ってのが同じじゃなかったりするものね」
と、伽耶子も肩をすくめる。
「例えばな」と威太郎は口にすると、突然「獅子神戦隊! レオレンジャー!」と叫んで両手の指を丸め左手を上に右手を下に構えた。ライオンが獲物にとびかかるときのようなポーズをとる。これはスーパー戦隊シリーズの最新作『獅子神戦隊レオレンジャー』の決めポーズだ。
レオレンジャーは、ふだんは普通の姿だが、敵と闘うときは、ライオンをイメージさせるマスクをかぶったバトルスーツ姿に変身する。子供たちに人気の特撮ヒーローだ。
威太郎はポーズをビシィッ! と決めた後、腕を下すと何事もなかったかのように、
「レオレンジャーはさッ、オレはイエローが一番カッコいいと思うんだけど、レッドやブルーがカッコいいって人もいるし、グリーンやピンクがカッコいいって人もいるやろ?」
と、クラトに言った。
レオレンジャーはレオレッド、レオブルー、レオイエロー、レオグリーン、レオピンクの五人組だ。どのレンジャーもみんなカッコいいが、その中でクラトが一番好きなのはレオレッド。クラトのクラスメイトの間でも、誰がカッコいいかは意見が割れるところだ。
「ダーク・ガーがカッコいいって人もいるしさッ。ええと、十人十色って言って、十人いれば十通りの考えがあるっていうくらい、人の考えっていろいろだからッ。平和がイヤだって思う人なんかいないと思うかもしんないけど、そうとも限らねぇんだって」
ダーク・ガーは、アリゲーターガーという魚をモデルにしており、レオレンジャーの敵グループの中でも、レンジャーたちに引けをとらない大人気の敵キャラだ。
「オレのクラスにはさ、コイコイが好きって女子がいるんだよな。なんかへなちょこなとこがほっとけないのなんのって。オレにはよくわからんけど」
コイコイも敵キャラだが、このキャラはあまり人気はない。まぁるい小さな目や、口をぽかっと開けた顔がやや抜けて見えるからだろうか。顔だけでなく、性格もちょっと抜けている。抜けているというか、マイペースなキャラクターだ。そのせいで敵グループの団結を乱して、ボスキャラから怒られている、少々、「情けなさ目」のキャラだ。
けれど、人気はないと言っても、みんなが嫌いなわけではない。このキャラが好きだという人もいる。人それぞれだ。
必ずしも正義のヒーローだけが好かれるわけではない。悪役が好きだという人もいる。それを考えれば、平和嫌いな人もいるのかもしれない、のだろうか?
クラトが考えこんでいると、
「一人ひとりが平和を願えば平和は実現できる。だけどね、逆に言えば、一人ひとりが平和を願わなければ、世界平和は遠のくだけなんだ。それは過去の歴史を見れば、わかることなんだよ」
過去?
「どういうこと?」
クラトはユーリを見返した。
ユーリはそれには答えず、少し語調を緩めてクラトに問いかけた。
「クラトは『戦争責任』って言葉、聞いたことある?」
「せんそうせきにん?」
耳慣れない言葉だ。
聞いたことがあっただろうか?
クラトは首を傾げる。
「テレビのニュースなんかで耳にしたことがあると思うけど、聞き流して覚えていないかもしれないね。――戦争を起こした責任なのか、戦争を長引かせた責任なのか、戦争の終わらせ方に対する責任なのか、自国民に対する責任か、他国民に対する責任か……一口に戦争責任と言っても、何を指しているのかあいまいなんだけどね」
ユーリは伏し目がちに語り始める。
戦争の責任? 悪い人がいるってことだろうか?
クラトには意味がわからない。
「過去の戦争が悲惨で残酷なものになってしまったことに、誰かに何らかの責任ってあるんだろうか? ううん、誰にどんな責任があったんだろう? ――クラトは考えたことある?」
ユーリに問われ、クラトは首を振る。
そんなこと、考えたことなどもちろんない。
「戦争がどうして起こるのか、その本当のところはぼくにもわからない。ぼくたちはまだ子供で、政治とか経済とか、大人たちの間で、なにがどう動いていたのか、どんなことがあったのか、何が問題で何が問題じゃないのか、わからないことでいっぱいなんだ。どこから、何から勉強していけばいいかもわからない」
ユーリはそう言うと、ゆるく首を振る。
戦争がどうして起こるのか、わからないどころか、クラトは考えたこともなかった。
けれど、過去に日本が戦争をしたのは間違いない。だったら、戦争を起こした人がいるのだろう。――それはわかるけれど、戦争なんて、誰かが起こそうとして起こせるものなのだろうか? 誰かに責任のあることだろうか? 誰か一人に? 誰か数人に?
クラトはきゅっと口を引き結んで考える。
「わからないことばっかりで――でもね、わかっていることがある」
と、ユーリは話を続ける。
わかっていること、それはなんだろう?
クラトはユーリの話に集中する。
ユーリは少し身を乗り出すようにして、
「それはね――戦争が起きる前、そして戦争が始まってから終わるまでの間に、戦争に反対した人たちがいたということ」
と、告げた。
「戦争に反対した人たち?」
それはクラトが思いもしない話だった。
クラトの学校では、毎年八月六日に平和授業に取り組んでいる。けれどその平和授業で、戦争に反対した人がいたなんて聞いた覚えはない。
クラトが覚えているのはもっと別の話だ。「戦争はいけないことだ」「戦争なんかしてはダメだ」という意見も、今なら当たり前だけれど、戦争中は違っていた。国民はみんな戦争がいいことだと信じてがまんしていたと、学校の先生が平和授業のときに話していた。
同じことを聞いたことがあるのか、
「戦争はしなくてはいけないことだと、国民のほとんどが信じていたようだから。きっと想像以上に、戦争に反対するということは難しかったはずだよ。当時の状況では、戦争をしてはいけないと気づくことができただけでも、すごいことだったと思う」
と、ユーリは重々しく口にした。
ユーリとは対照的に軽い口調で飛ばしたのは威太郎だ。
「戦争に反対した人たちこそ、本物のヒーローだよなッ!」
と、こぶしを握る。
「その割に、ぜーんぜん知られていないよなあ。反対したせいで投獄されたり拷問されたり、そのせいで亡くなった人もいるはずだけど。命がけで反戦を訴えた人のことが、どうして知られていないんだろう?」
「反戦運動をしたせいで投獄されて亡くなった人の遺族も、生き残ったとしても深く心身に傷を負わされた本人も、当時のことを口にするのは、つらいのかもしれないわ」
威太郎の威勢の良さとは違い、ミヤと伽耶子は難しい顔をする。
彼らが口にした「拷問されて死んだ人がいる」という事実に、クラトの心は縮み上がった。
威太郎は「本物のヒーロー」と表現したが、そんな人たちがいたことを知らないでいたなんて――クラトは悪いことをしている気になった。
「ぼく、そんな人たちがいたなんて、知らなかったよ」
クラトは呆然とつぶやいた。
クラトが気落ちしていることに気づいたのか、隣の威太郎が、元気づけるようにクラトの肩をぽんぽんと叩く。
その様子にユーリは少し表情を緩めめて、「前にうちの支部長と話したことがあるんだけどね」と前置きして本題に入った。
「あの戦争になんの責任もない人って、究極の究極の究極のところは、当時、戦争に反対していた人たちだけじゃないかと思うんだ」
と、ユーリは思い切ったことを言う。
『究極』という言葉を三度も重ねたところに、ユーリの苦悩がうかがえるが、クラトはそのことに気づかない。
「……どういうこと?」
クラトには、ユーリが何を言おうとしているのか予想もつかなかった。
ユーリはゆっくり話を切り出す。
「戦時中はね、戦争が国のためになると信じて自ら犠牲になった人が大勢いる。でもね、それだけじゃない。家族を守るために仕方なく戦った人たちもたくさんいる。当時はね、兵隊にならなかったら本人が罰せられるだけでなく、家族まで非国民として厳しく非難されていたんだ。それこそ、生きて行かれないような目に合わされることもあったようだし。――それって、兵隊になった人たちは自分の家族の命を盾に取られて、人殺しを強要されたも同然だよね?」
クラトは息をのむ。
ユーリに人殺しができるかと聞かれたことが、脳裏をかすめた。
クラトはとんでもない、そんなことできるわけがないと、そう思った。
だけど――。
ユーリはその後、なんと言っていた?
人を殺したり殺されたりすることが戦争だと、そう言っていたはずだ。
それは、本当にそんなことが過去にあったからだったのだ。
自分の家族を守るために、人を殺さなくてはいけないなんて。
いったい、どんな気持ちだっただろう? どんな思いで、戦ったのだろう?
「追い詰められて人を殺すしかないとしたら、どうすればいいと思う? クラトならどうする?」
と、ユーリに聞かれ、クラトは困惑する。
人を殺す?
そんなことできない。できないけれど――。
「でも、だけど、そうしないと、自分の家族がつらい目に合わされちゃう、んだよね?」
クラトはおそるおそるユーリにうかがう。
ユーリは「そうだよ」と、固い顔でうなずいた。
クラトは、はあ……と、知らぬ間に止めていた息を吐いた。
そんな状況で、人を殺すことを拒むことが、自分にできるだろうか?
クラトは顔を伏せ、無意識に首を振る。
「正直に言えばぼくだって、そんな状況では人を殺すことを選んでしまうと思う」
ユーリはそう言った。
クラトはゆっくり顔を上げて、すがるような目でユーリを見つめた。
ユーリは目をそらさずに、首だけ小さく横に振った。それじゃダメだと言うように。
「だけどね、たとえどんな事情があっても、人を殺していいわけないよね。自分の家族の命は大事だけど、殺す相手の命はどうでもいいってことにはならないだろう?」
ユーリが言うことに、クラトは反論できない。
一瞬、しんとした空気がクラトたちのいる部屋を満たした。
ユーリはさらに言い募る。
「だからね、逃げられずに軍に参加した人――戦争に反対の意を示さなかった人は、加害者でもあるんだよ」
ユーリの厳しい意見に、そうかもしれない、とクラトは思った。
けれど、納得なんてできない。
クラトは首を振る。ぶんぶん、首を横に振る。
「そんなの、おかしいよ。かわいそうだよ」
クラトはやり場のない怒りを感じた。いつの間にか、こぶしを握りしめていた。握りこんだ爪が白くなるほど強く、握っていた。
ユーリはクラトの言うことを否定しない。
「そうだね。おかしいよ。かわいそうだよ。――だからこそ、起ち上がるべきだったんだ」
「起ち上がる?」
「そうだよ。彼らは、こんなのはおかしいと声を上げるべきだった。こんなことしたくないと声を上げるべきだったんだ」
「……」
ユーリは声を荒げたわけではないけれど、その声は強い熱を帯びていた。その熱に当てられ、クラトは押し黙る。ユーリは続けた。
「いじめもそうだろう?」
「……いじめ?」
「自分がいじめられるのが怖くて、いじめる側に加担する人がいる。それは、自分や家族が非難されないように、他国の人を殺すのと同じじゃないかな?」
クラトの目がカッと見開かれた。
どくんどくんと、心臓の鼓動が速くなる。
何か言おうと口を動かすけれど、何も言葉が出てこない。
まだはっきりとわかったわけじゃない。ユーリの言うことに納得したわけでもない。
ただ――頭の奥の奥で、ユーリの語る戦争といじめが、どこか重なったのを感じた。
いや、クラトが持っていたいじめのイメージに、戦争が重なったのかもしれない。
いじめと重なったことで、ユーリが語る戦争が、よけいにおそろしいものに感じられた。本当に、この世界に起こったことなのだと思える――。
口を閉ざすクラトに、ユーリはさらに語りかける。
「無理やり戦わされた人たちは、被害者だよ。だけど同時に加害者でもある。非があるのは彼らだけじゃない。戦死者が増え、父親や夫や息子を兵隊として失い、空襲で焼け出され、貧困と飢えに苦しむようになるまで、戦争を正義と信じて疑わなかった国民は当時、多かった。戦争に反対せずにいた国民。戦争を応援すらしていた国民。その人たちだって、被害者であると同時に、加害者でもあると思うんだ」
なおも厳しいことを言われ、クラトの心臓が痛くなる。
じっとユーリの話を聞きながら、クラトの心の中には、納得いかない気持ちが膨れ上がっていた。
「そんな、加害者だなんて……」
ユーリの考えを否定する言葉が、クラトの口をついて出る。
暗い表情のクラトの顔を見て、
「たくさんの犠牲を出して苦しんだ人たちを加害者扱いするのは、酷だよね」
と、ユーリは重々しく口を開く。やり切れない思いが、その口調から伝わった。
けれど、ユーリは撤回しない。
「残酷なことを言うけど、それでも目を背けちゃいけない。考えてみて。戦争に反対しなかった、それどころか、戦争に参加していたんだよ? ――戦争は人殺しだ。その人殺しを黙認するどころか、応援していたのだから、一緒になって人殺しをしていたようなもの。加害者同然ということだよ」
ユーリは強い目でクラトに訴えかける。
いじめだって、直接いじめなくても、いじめをやめさせようとしなければ、一緒にいじめているのと同じだと言われる。
それと同じなのだろうか?
戦争をやめさせようとしなければ、戦争をしているのと同じなのだろうか?
言いたいことはわかるけれど、それにうなずくことは、クラトには難しかった。
けれど――。
「日本軍に殺された人たちからしたら、そうじゃないかな?」
ユーリに言われて、クラトはハッとした。
日本人のことばかり考えて、戦争で日本軍に殺された人たちのことを考えていなかった。相手のことを考えていなかったのだ。
いじめだって、いじめられている人からしたら、いじめを止めない人以外は、一緒になって自分をいじめているのと同じに感じるだろう。
「戦争が始まる前や、戦況が日本に有利だったときに戦争に反対しようと思う国民は少なかっただろうね。日清戦争や日露戦争で勝って日本が豊かに強くなったと思って、戦争は自分たちの利益になることだと考えていた人もいたかもしれない。――だけど、どんどん戦況が苦しくなっていく中で、国民の多くが戦争はやめなくてはいけないと思うようになっていったはずなんだ。その様子は、ドラマでも何度も描かれてきたよね」
ユーリに言われ、クラトはうなずいた。
クラトは怖くてあまり見たことはないけれど、戦争を描いたドラマに共通するのは、戦争の苦しみや悲しみだ。空襲にあって逃げまどって、たくさん人が死んでいく中で、戦争を喜んでいた人たちがいたわけがない。それは、毎年の平和学習でも学んできたことだ。
「なのに」とユーリが続ける。
「それなのに、そこで戦争をやめることができなかった。――それはね、戦争をやめようと口にしようものなら、周囲の人から非国民扱いされ、抑えこまれていたからだよ。戦争に反対することなどできない状態になってしまっていたんだ」
ユーリに言われ、そうだ、そうだった、とクラトは思い出す。
小さいころ、戦争のドラマをちらりと見たとき、ちょうどそんな場面だった。確か夏の暑い日の昼下がりで、いつものように護は家にいなくて、そよ子が梅シロップを分けてもらえるのだったか、近所に出かけていて――クラトは一人でテレビを見ていた。
どういう話だったか、クラトは一部しか見ていないのでわからないが、ドラマは戦時中の東京の町の人の暮らしを描いていたようだった。
クラトが覚えているのは、隣の家のおばさんが、「戦争をやめるべきだ」と言った主人公に食ってかかるというシーンだった。
二人は戦争が始まってからも仲良く、助け合っていたのに。戦争をやめたがった主人公に、おばさんはうらみの目を向けた。
おばさんの息子が兵隊にされて、戦死したのだ。なのにおばさんは、息子の死を悲しむことすら許されなかった。お国のために死んだのだから喜んであげなくてはいけないと周りの人たちから言われ、バンザイと叫んでいた。
主人公につかみかかったとき、おばさんは言っていた。息子が死んだのに、ここで戦争をやめるなんて許せない、そんなこと絶対にさせない、と。
その後、騒ぎを聞きつけた人たちが集まって、主人公は「非国民!」「死ね!」と大合唱され、主人公の家族まで嫌がらせを受けるようになるのだ――。
クラトにはその情景はとても受け止めきれなくて、テレビのチャンネルを替えた。そのときのドラマが、隣の家のおばさんが怖くて、クラトは戦争のドラマをあまり見ないようになったのだ。
あのおばさんも、威太郎が「平和がイヤだって思う人がいないとは限らない」と言っていた、「平和がイヤだと思う人」の内に入るのだろうか?
ドラマの中で、『悪者』は、戦争をやめるべきだと言った主人公だった。
主人公に嫌がらせをする近所の人たちの中には、隣の家のおばさんと違い、主人公と同じように戦争をやめたいと思っていた人もいた。いや、ほとんどの人がそうだった。隣の家のおばさんだって、戦争さえなければ息子が殺されることはなかったと苦しんでいた。
けれど、主人公やその家族のことをかばう人は誰もいなかった。いや、助けてあげようとする人がいても、「関わっちゃダメよ」と、周囲の人たちで止め合っていた。「関わったら、あなたまで非国民だとみなされてしまうわよ」、と。
――ドラマの中の話だ。事実通りではなかったかもしれない。けれど、そこに真実がなかったとも言えない。
戦争に反対することの難しさ。
戦争をやめることの難しさ。
いったい、そんな状況になってしまったら、どうすればいいのだろう?
クラトの頭の中をのぞきでもしたかのように、
「ということは? だとしたら、彼らはどうすればよかったと思う?」
と、ユーリがクラトに質問した。
どうすれば?
尋ねられても、答えようがない。クラトには想像もつかないからだ。
戦争に反対したくても反対できないなんて。
いったい何ができるだろう――?
「それでも、反対するしかなかったんだ」
ユーリが強い口調で言い切った。
クラトは「でも」と反論しようとするが、後が続かない。
反対する人間は悪者になってしまうのだ。
それでも反対するということは、自分を悪者にする周囲の人間と戦うということなのだろうか? 周囲の人と戦う――?
あれ? なんでそんな話になってしまったんだろう――?
クラトは自分でも自分が何を考えているのかわからなくなってしまう。
「反対しようとしたら、他の人たちに反発されてしまう。反発する人たちだって、反発したくてしているとは限らない。けれど、反発しなければ自分たちも周囲から弾かれてしまう。――そんな状況でどうやったら、戦争に反対することができただろうか?」
ユーリはそう尋ねながらもクラトの答えを待たず、考えを告げた。
「一人が戦争をやめるように言ったとしても、その声は潰されてしまっただろう。一人じゃなくても、数人、数十人だったら、軍隊に鎮圧されただけだろう。だけどもし、国民のすべてが戦争をやめるように声を上げていたら? それならどうなっていただろうか?」
「え……?」
国民のすべてが戦争をやめるように声を上げていたら?
ユーリは口を止めない。さらに畳みかけるように語りかける。
「いじめだってそうだよ。いじめたくなくても、自分がいじめのターゲットにされるのが怖くてやめようと言い出せない。だけどもし、当事者以外のクラスメイト全員がいじめをやめさせようとしたら? それなら怖がらずにいじめをやめようと言えるんじゃないかな?」
誰か一人じゃなく、全員がやめさせようとしたら――。
誰か一人の力ではなく――。
あれ? それって――?
ある考えが、クラトの頭の中から心の中に、すとんと落ちて来た。
「一人一人が、平和を願う心を持てば、世界が平和になる……」
それはユーリが教えてくれた、草の書の考え――草及万里の考えだ。
「そうだよ。一人ひとりが願えば、いじめも戦争も、やめることができるはず」
ユーリはクラトに向かって、大きくうなずいた。
「そのためには自分がどんな目に合わされるかより、人のこと、全体のこと、先のことを考えることが必要なんだ。そうして一人ひとりが勇気をもって踏み出すことによって、一人ひとりが平和な生活を送ることができるようになるんだよ」
ユーリの言葉に、ミヤたちもうなずいた。
「それがわわわ会が提唱する『超個人主義』だぜッ!」
威太郎が親指を立て「にっ!」と笑う。
「ちょう、こじんしゅぎ?」
クラトは意味はわからぬまま、聞いた音を繰り返す。
「そうだぜッ!」
難しい話が続いた後だからか、威太郎は威勢がいい。ユーリの話を邪魔しないよう、できるだけ大人しくしていたようだ。
「そんでもってそんでもって、わわわ会のわはわでわでわなんだッ!」
わわわでわでわ?
ナニナニソレ?
クラトの目が点になる。
すると、ユーリはまた立ち上がり、ホワイトボードに向かう。そしてそこにさらさらと字を書いた。
わわわ会 基本三原則
一つ目の「わ」=「和」 和を以て貴しとなす
二つ目の「わ」=「輪」 情けは人のためならず
三つ目の「わ」=「話」 会話主義
↓
全世界全人類ソウ力化プロジェクト
ソウ力 = 「草力」 & 「想力」
最後にユーリは、一つ目の「わ」と二つ目の「わ」の上を { という記号でつなぎ、その記号のとがった部分の上に『超個人主義』と横書きした。
ユーリは学校の先生のように、いま書いたところの横に立ち、キャップを閉じたペンでボードに書かれた字を指し示した。
「まずは、わわわ会の基本三原則から。基本三原則って言っているのは――なんて言えばいいのかな……ぼくたちが何かするとき、何かしようと考えるとき、どんなときでも、絶対に守らなければいけないこと。それが基本三原則と呼んでいる、ここに書いた『三つのわ』のことなんだ」
ユーリは言いよどむと、頭の横、こめかみの部分をペン先でトントンと叩き、考えをまとめながら口にする。
「三つのわは基本中の基本だからなッ! 絶対に外せない考えだからッ!」
威太郎は「わくわくしています」といった顔で、クラトの顔をのぞきこむ。戦争の話をしていたときのまじめな顔とは打って変わった、楽しそうな顔だ。
と、
「静かにしなさいよ。ユウ兄が説明してるんだから」
すかさず伽耶子が威太郎に注意をする。威太郎はムスッと口をとがらせる。
威太郎の明るさと伽耶子とのやりとりで、重苦しくなっていた空気が少し緩み始めたのを感じ、クラトはふっと息をついた。知らぬうちにが身体が固まっていたらしく、息とともに肩の力が抜けた。
ユーリは次に、一つ目の「わ」と書かれたところへペンを当て、説明を始める。
「それじゃ、一つ目の『わ』について。この『わ』は『和』と書くんだけど、これは『平和』の『和』、それから『和姫』の『和』と同じ字だね」
それからその下にペンをズラし、
「この『和』は、ここに書いた『和を以て貴しとなす』という一文の『和』から取った『和』なんだよ」
と語るユーリは、本物の先生のようだ。
だからなのか、威太郎は座ったまま、挙手して「はいはーい!」とアピールした。
「はい、威太郎。――それじゃあ、この『和を以て貴しとなす』を説明してくれる?」
ユーリに指名され、威太郎はその場に正座してハキハキと自分の考えを述べた。
「和が一番大事ってことですッ!」
威太郎の説明は、実に簡潔だった。
「……」
ユーリも、他のメンバーも押し黙る。
「ちょっと端折りすぎじゃない? もう少し丁寧に説明してくれるかな?」
ユーリが苦笑いすると、威太郎は「そっかぁ?」と首を傾げた。
「大昔に、厩戸皇子とか厩戸王とか言われる人がいたんだよ。『聖徳太子』って呼ばれ方もあって、これが一番有名だと思うけど。――っつかさ、うちの姉ちゃんはさ、父親が天皇になってたら『皇子』で、父親が天皇になっていない人の息子は、皇子の息子だから皇族ではあるけど、皇子じゃなくて『王』って言うんだよ。聖徳太子は天皇の息子だから皇子だし、皇太子をやっていたから太子って呼ばれるけど、聖徳太子は皇太子の状態で死んじゃって天皇にならなかったから、聖徳太子の息子は天皇の息子じゃないから、山背大兄皇子じゃなくて山背大兄王って言うんだよ、って歴史の先生に教わったとかで。聖徳太子が厩戸皇子って呼ばれるのはいいけど、厩戸王って言われるのはどういうことなの? ってエキサイトしてさ」
「ああ、紗智子さんって、『聖徳太子』世代だよね」
「姉ちゃんが大学受験終わってからなんだよ、聖徳太子が聖徳太子じゃなくなったのって。だから厩戸皇子の『厩』って漢字を書けないんだってー」
「難しいよね、あの字。――聖徳太子って呼ばれ方は歴史にそぐわないって論争自体はかなり前からあったっぽいけどね。その論争の果てに厩戸皇子になったらしいけど、今は厩戸王って言うよね。確か、当時はまだ天皇のことも『大王』って呼んでて、皇子のことは『王』って呼んでいただろうって話だったような……?」
と、「和を以て貴しとなす」の説明そっちのけで、ミヤとユーリが聖徳太子について論じ始めると、
「っつーかさー、聖徳太子でいいやん。そっちがカッコいいって」
「カッコよさの問題じゃないでしょ」
「じゃあ聖徳太子(仮)でいいんじゃねぇ?」
「カッコ仮って……それこそカッコ悪くない?」
「冠位十二階を決めたのがA皇子で、憲法十七条を決めたのがB皇子だったら、聖徳太子がA皇子かB皇子か見極めなきゃいけないと思うけどさ。聖徳太子がやったって言われてることは、その厩戸皇子だか厩戸王だかいう人がやったってところに争いはないんじゃねーの? だったら呼び名にこだわんなくてもよくねぇ?」
と、今度は威太郎と伽耶子が言い合いを始める。
クラトも「聖徳太子」という名前は聞いたことがあるけれど、昔の偉い人、というくらいに思っていた。うまやどがどうのと、クラトにはよくわからない。
クラトが彼らの話からわかったことは、どうやらミヤには「さちこ」という名のお姉さんがいることくらいのようだ。ただ、大学受験はすでに終えているようなので、ミヤとはずいぶん年が離れていることになる。
と、ミヤのお姉さんのことを考えていると、
「あ、クラト、言っとくけどな、ミヤの姉ちゃんは姉ちゃんじゃなくておばちゃんだからなッ!」
と、威太郎から訂正が入る。
姉ちゃんは姉ちゃんじゃなくておばちゃん?
「それって、おばちゃんなお姉ちゃんってこと?」
クラトが威太郎に聞くと、
「うちの姉ちゃんは、おばちゃんな姉ちゃんじゃなくて、おばちゃんなおばちゃんだよ。ただ、おばちゃんって言っちゃダメなだけ」
と、ミヤが答えた。
おばちゃんなおばちゃん?
なにがどういうどう?
「え? おばちゃんなの? お姉ちゃんなの?」
クラトはわけがわからず聞き返す。
「オレが『姉ちゃん』って呼んでるのは、オレの父ちゃんの妹なんだよ。だから、戸籍上は『叔母さん』ってことになるんだけどさ。オレが生まれたときって姉ちゃん、あ、叔母さんな、まだ一応二十代だったから、『おばちゃん』って呼ばれたくないって言って、オレには自分のこと『姉ちゃん』って呼べって、オレが物心ついたころからずーっと、ずーっと、ずーーーっと言われ続けてきたの」
なので、叔母さんのことを「姉ちゃん」と呼んでいるということらしい。いや、呼ばされている、ということらしい。
「そ、そうなんだ」
ミヤが繰り返した「ずーっと」に、少し疲れたものを感じ、クラトはそこへはあまり触れないようにしようと心に決めた。
クラトには叔母さんはいないし、お姉さんもいない。ただ、テレビの中で、人気のある芸人さんが、年配のご婦人を――おばあさんを、「お姉さん」と呼んでいるのを見たことがある。呼ばれたおばあさんは「いやあねぇ」と言いながら喜んでいた。つまり、ああいうことなのだろうか?
ミヤの「お姉さん」にしろ、聖徳太子にしろ、呼び方というのは難しいものだ。クラトはそう思い――優香の顔が頭に浮かんだ。
あれ? ぼく、優香さんのこと、これからなんて呼ぶんだろう――?
どくん、と、心臓が大きく打った。
「ごめん!」
え?
クラトが物思いにとらわれそうになったとき、ユーリに大きめの声で謝られた。
「ちょっと話が脱線しちゃったね。ええと、続きを説明しようか――聖徳太子って言い方が有名だし、授業じゃないから、それで通していいよね」
ちょっと焦った感じで、ユーリが早口にさらさらっと言う。
「そうそう。そんで、その聖徳太子なんだけどさ、ただの皇子さまじゃなくて、政治家って言っていいんかな? 当時の朝廷で国の決めごとを決めたりしてた人なんだけど。その人が十七条の憲法ってのを作ったんだ。さっきちらっと威太郎も言ってたけど。ただ、憲法って言っても十七コしかないし、今の憲法みたく重い感じじゃないんだけどな。――その十七条のうちの第一条の最初んところ、ええと、冒頭部分、に出て来るのが、『和を持って貴しと為す』なんだよ」
と、ミヤが解説をする。ミヤはそれだけにとどまらず、
「憲法十七条は今の一節が有名だけど、それ以外にも興味深いこと書いてあるから、いっぺんちゃんと読んでみろよ。三池さんに聞けば、わかりやすい本を教えてくれるぞ。ついでに言うと、『和』は『やわらぎ』って読む人もいるから」
とつけ加えた。
威太郎は腕組みしてうんうんとうなずきを返している。
ミヤはさらに、
「『和を以て貴しとなす』っていうのは、威太郎がさっき言ったように、『和』をなによりも大事にしましょうってことなんだ。これには続きもあって、ざっくり言うとさ、派閥争いをしたりしないで、お互いに協調して物事を進めなさい、ってカンジなんだけど」
と説明した。「和を以て貴しとなす」という一文は、第一条の冒頭部分だと言っていたから、続きというのは、その後の内容なのだろう。
「はばつあらそい?」
クラトがよくわからなかったところを口にすると、
「派閥争いっていうのは、何が利益になるかとか、どういう立場に立っているかとかでグループに分かれて、どのグループが主導権をとるか、つまり、どのグループが他のグループに自分たちの言うことを聞かせるかを、争うことだよ」
すかさずユーリが「派閥争い」について説明してくれた。
「じゃあ、きょうちょうは? 聞いたことある気はするんだけど……」
「きょうちょう」は、おぼろげに『協力』みたいな意味じゃないかとクラトは思っていたが、ハッキリそうだと自信がなかったので確認してみる。
「協調っていうのはお互いに協力し合うこと、かな。特に、さっき言った派閥みたいに、違うグループの人たちが協力し合うときに使われることが多いみたいだね。そこが『協力』とちょっと言葉のニュアンスが違うとこかな」
「にゅあんす?」
「ニュアンスっていうのは、日本語で言うと、『感じ』っていうカンジ、かな? 後は、『含み』っていうか。――微妙な意味合いや雰囲気の違いとか、言葉では説明が難しい感覚的なことなんだけど」
つまり、『協力』と『協調』は同じような意味の言葉だけれど、ちょっとだけ意味が違っていて、その「ちょっとの違い」を考えた上で使い分ける、ということだろう。
ただ協力するのなら『協力』、グループの違う人どうしが協力するときは、『協力』でもいいのだろうが、『協調』という言葉を使うと、より、違うグループの人同士が協力しているという『感じ』が伝わる、ということのようだ。
言葉というのは、一字違うだけで、意味や使うところが変わってしまう。クラトはこれまでこんな風に言葉に意識を向けたことがなかったように思う。
ユーリは物知りだな――いや、ユーリだけではない。ミヤも威太郎も伽耶子もみんなクラトが知らないことをよく知っている。
すごいな、と感心していると、
「この『和』を大事にしようって考え方が、オレたちが考える平和の実現には大事なことなんだぜッ」
と、威太郎が得意げに言う。
「そうだね」とユーリは威太郎に同調し、話を進める。
「それじゃあ、その、大事にしなきゃいけない『和』って、どんな意味なのかな? ――これにはいろいろな解釈があるみたいなんだけど、ぼくたちは『調和』の『和』だと考えているんだよ」
「調和の和?」
「そうだよ。憲法十七条の第一条では、『和』を大切に、違うグループの人たちでも協調し合いなさい、って言っているわけだから。違うグループの人たちが協調し合うためには、調和しなくちゃいけないと思うんだ」
「調和……」
調和というと、ハーモニー?
三年のときの担任の先生が、合唱の練習のときに「合唱のポイントはハーモニーよ。お互いに調和することが大切だからね」と何度も言っていたのを思い出す。そのときは、誰か一人の声が目立ったり、リズムがバラバラになったりしてはいけない。心を一つにまとまることが大切だと、そういう意味だったと、クラトは記憶していた。
ところが――。
「調和しよう、って言うとさー、言い合いをせずに仲良くしようって感じに聞こえるけど、別にそういう意味じゃないんだよな。みんなで一つの同じ意見を持たなくちゃいけないとか、同じものを見て同じように感じて、同じように考えなくちゃいけないってことでもないワケでさ」
とミヤが言ったので、クラトは心の中で、ええ? と驚いた。
クラトの表情から、クラトがどう思っていたかを察したのか、
「それぞれが違う意見や考えを持っていていいんだぜ。けど、違うことを考えているからこそ、お互いの考えを尊重しないと話にならないってことッ!」
「それぞれが自分の意見を主張するばかりで、相手の言うことを聞かずに、自分の考えを押し通そうとしたら、話し合いはずっと平行線だもんね。だって、お互いに自分の主張を言い張るだけだもの。そんなんじゃ結局、相手に自分の言うことを聞かせようと暴力に走っちゃう。そういうことしないで、相手の言うことにも耳を貸すのが大切ってこと」
威太郎、伽耶子もそれぞれ、「わわわ会流」の『調和』の意味を説明する。
「調和させるっていうと、誰かの意見と誰かの意見を混ぜ合わせて一つの意見にまとめる、ってことのように考える人が多いんじゃないかと思うけど。わわわ会の『調和』と違って、世間一般の『調和』はそういう意味合いだったりするのかもしれないけど。――ぼく個人のイメージとしては、誰かと誰かの『意見』を混ぜ合わせるんじゃなく、『人』と『人』とを混ぜ合わせる感じ、かな」
と、ユーリも自分の『調和』を語る。
「どういうこと? 人と人を混ぜ合わせるって――混ざらないよね?」
さすがに、人と人を、粘土をこねくり回すように混ぜ合わせるということではないだろう。
だがそうなると、さっぱり意味がわからない。
クラトがユーリに意味をたずねると、
「『人』と『人』を混ぜ合わせるって言ったのは、他人と自分との間の隔たりを無くすイメージなんだ。他人と自分の間の隔たりを無くすと、人のことを我がことのように考えることになる。つまり、相手を思いやる――それが『和』の心だと思うんだ」
他人と自分の間の隔たりを無くす?
人と自分との間に隔たりがある?
どういうことだろう? ユーリはなんと言った?
人のことを我がことのように考える、と言った。
クラトはそよ子から、「相手の身になって考えなさい」と言われて育った。自分が相手の立場だったらどう思うだろう。そう考えるように言われて、それなりに考えて来たような気でいたけれど、実際はどうだったのだろうか? 相手の身になって考えるって、どういうことなんだろう? どういう感じ?
「例えばね、クラスで誰かが休んだときに、学校で大事なプリントが配られたらどうしたらいいと思う?」
ユーリに質問され、クラトは想像してみる。プリント、大事なものだったら、欠席した子も要るんじゃないかな? だったら――。
「届けてあげる?」
クラトが自信なさげに言うと、ユーリがにっこり笑った。
どうやら正解のようだとクラトはほっと胸をなで下ろす。
「そうだね。クラスの誰かが風邪をひいて休んだら、その日に大事なプリントが配られたら、そういうときって、その欠席した子がこの大事なプリントをもらえなかったら困るんじゃないかな? って考えるよね?」
「……うん」
クラトはとりあえずうなずく。
「それじゃあ、そのプリントはクラトが自分で届けてあげる? 例えばその子とは、同じクラスだけどほとんど口を聞いたことがない子だったら? 他に、その子とすごく仲がいい子がいたら、どうするのがいいと思う?」
「え?」
クラトはユーリが何を言わんとしているのか、いまいちよくわからない。
困惑したクラトの表情に、ユーリは話を続けた。
「それじゃあ、クラトはあまり仲良くないけど、家が近所の子だったらどうかな? クラトのクラスには他にその子の家の近くに住んでいる子がいなかったら?」
近所の子? 他に近くにいない?
クラトは少し考えて、
「だったら、ぼくがプリントを届けてあげると思う」
と、今度は自分の考えを言うことができた。
「それが『調和』、つまり、『和』の心だよ」
とユーリが嬉しそうに笑う。
「え? どういうこと?」
クラトは思わず意味を問いただした。
「考えてみて? わざわざ人の家にプリントを届けてあげるのって、面倒じゃない? 手間だよね? だけど、それをしてあげるのはなぜだろう? それは、プリントがなかったらその子が困るから。その子の立場に立ったら、困るのは困るなって思うから、だったらこの子もプリントがもらえたらいい、って考えるからなんだ」
ユーリは、クラトが考えつつ聞けるように、ゆっくり話をしていく。
「欠席した子がプリントをもらうためには、誰かが届けなきゃいけないけど、それじゃあ誰が届けてあげるか、考えなくちゃいけない。そういう状況で、自分が行くのは面倒だな、って考えると――それは『和』がない」
それは「和」がない。
「それ」ってなんだろう?
ええと、自分が行くのは面倒だって考えると、って言ってたから、だとしたら――自分が行くのは面倒だって考えることが「和」のないことだってこと?
ユーリが言うことは、よく聞いていないとわかりにくいが、クラトはなんとか理解しようとついていく。
ユーリはクラトの表情を見ながら、話を続ける。
「そういうときは、自分を自分から切り離して、他のクラスメイトと同じ、プリントを届けてあげる候補者に入れちゃうんだ。自分が行きたいか行きたくないかじゃなくて、出席している子の中で、自分も含めて、誰が一番、プリントを届けてあげるのにふさわしいかを考える」
「ふさわしい人?」
クラトが聞くと、
「例えばさっき言ったみたいに、近所の子のとこなら、その子の家から遠いところに住んでいる子より、近くに住んでいる自分の方がプリントを届けやすいだろう? ちょうど自分の家に帰る途中に、その子の家の前を通るなら、帰りがけについでに届けてあげられるよね?」
とユーリに言われ、クラトは納得して、二度三度と緩くうなずいた。
「だけど、例えば、その子が双子で、隣のクラスにその双子の兄弟がいて、その子の方は学校に来ていたら? そんなだったら、その兄弟に持って帰ってもらえばそれでいいよね?」
クラトはこれにも納得して、今度は大きく一度、うなずいた。
「それか、兄弟は誰も同じ学校には通っていなくて、家はクラトの方が近いけど、クラトよりその子と仲のいい子がいて、お見舞いに行こうと思っているのを知っていたら、その子が行けばいいんじゃないかな?」
クラトはうなずく。
ユーリもうなずき返し、次の質問をする。
「それじゃあ、兄弟がいなくて、仲のいい子もいなくて、クラトの帰り道に欠席した子の家があったら、どうする?」
クラトは迷わず答えた。
「ぼくが届けると思う」
ユーリはまた質問する。
「それじゃあ、家が近い子はいるけど、欠席した子と仲が悪い子だったら? クラトはその欠席した子の家とは家がちょっと離れているけど、その子と仲が良かったら?」
クラトはちょっと考えて答えた。
「その子と仲が悪い子じゃなくて、ぼくより家の近い子がいたら、その子が届けるって言うかどうか様子を見て、行きそうになかったら、ぼくが届ける、かな。それか、ぼくがその子と仲が良いなら、他に誰か行きそうな子がいなくてもぼくが届けるし、他に行きたいって子がいたら、一緒に届けに行ってもいいかな、って思う」
ユーリはうなずいて、次の質問をする。
「それじゃあ、欠席した子が誰とも仲が良くなくて、兄弟もいなくて、クラト以外のクラスメイトはその子の家から遠いんだけど、クラトはその子のことが苦手だった場合。もしもそういう場合だったら、どうする?」
ぼくが苦手な子?
仲が良いワケじゃない、というだけでも、家までプリントを届けてあげるのはハードルが高いという人は少なくないだろう。
クラトの場合は、クラスでよく話す子が相手でも、その子の家までプリントを届けてあげるとなると、ちょっと抵抗を感じてしまう。クラトが友達の家に遊びに行くことは少なく、クラトの家に友達がたずねてくることもめったにない。
クラトは学校が終わると、自分の家に帰ってそよ子と過ごすことが多いおばあちゃん子だ。学校にいるときとは違い、家にいるとき、自分の友達より、むしろ、そよ子の友達といる方が落ち着くかもしれない。そよ子の友達はそよ子と変わらないくらいのおばあちゃんたちで、近所に住んでいる人も多く、ちょいちょいクラトたちの家をたずねて来る。そのおばあちゃんたちに、クラトは物心つく前から遊んでもらって来たからだろう。
そんなクラトに、苦手な子の家までプリントを届けるというのは……なかなかやりたくない。もしも本当にそんな状況に置かれたら、正直なところ、届けに行きたくない。
だけど、その正直な気持ちをユーリに告げるのは気が引けた。
ここにいるみんなの前で、そんなこと言っても大丈夫だろうか?
イヤなヤツだと思われないだろうか?
そう思うと言いにくいのだけど、だからと言って、みんなにウソをつくのもイヤだった。
クラトは少しためらった後、正直な気持ちを告げた。
「休んだのが苦手な子だったら――他の子が行かないかな、って思って誰かが自分が行くって言い出すのを待ってると思う」
クラトは少し心配だったが、誰もクラトを非難しなかった。
ただ、ユーリは重ねてクラトに質問をした。
「それがとても大事なプリントだったとしても――?」
大事なプリント?
そう言えば、苦手な相手だということに意識をとられてしまい、大事なプリントだということがクラトの頭から抜けてしまっていた。
大事なプリント……それがないと困る……苦手な相手……だけど……。
苦手な相手だけど、それがないと困るのなら。それがないと困るような大事なプリントなんだとしたら――。
クラトの心は決まった。
「そんなに大事なプリントだったら、苦手な子だとしても、届けてあげる……と思う。だって、他にその子と仲が良い子がいなくて、ぼくが近所に住んでいるなら、ぼくが届けてあげるのがいいと思うから」
クラトの答えに、ユーリは大きくうなずいた。
「その考え方が、『和』になっているんだよ」
ユーリが言うと、ミヤたちも「そうそう」とうなずいている。
ミヤたちは今の会話で、ユーリが言いたいことがわかったらしい。
けれどクラトにはよくわからない。
「ど、どのへんが?」
クラトが聞くと、
「だってクラト、誰がどうか、考えてたやん」
「そうそう。欠席した子が困るかどうかとか、他のクラスメイトと自分だったらどっちが適任かとか、考えてたよな? それで、他にその子に届けてあげられそうな子がいないなら、自分が届けに行けばいいって考えてた。そういうところがさー、『和』な考え方してる」
威太郎とミヤがパパっと答えてくれたが、クラトは「ん?」となる。
「自分にとって得になるかどうか、自分がやってみたいかどうか、やりたくないことかどうか、そういうことでは判断しなかったよね。苦手な相手だったら、って考えたときは自分の気持ちを考えたみたいだけど、それでも、欠席した子が困るんだって思ったら、届けてあげようって思ったよね」
とユーリに言われ、ミヤに、
「クラトがそういう考え方をしなかったらさ、欠席した子にプリントを届けてくれる子がいなくて、その子はプリントがなくて困ったかもしれないし。それか、すごく遠いところに住んでいる子が、わざわざ届けに行かなくちゃいけなくなっていたかもしれないやん?」
と言われ、クラトは一つ一つ考えてうなずいた。
「そうやって、自分のことだけを考えるんじゃなくて、自分以外の人のことを考えることで、クラス全員がプリントを手にすることができる。――一つにまとまることができるんだ」
と言いながら、ユーリは右手の人差し指を立て、「一」を示す。
「一つにまとまる――本当だ」
欠席した子がいたら、誰かが届けてあげれば、クラス全員にプリントが行き渡ることになる。クラス全員が一つにまとまることができる。
ユーリたちの言うことは難しくて、まだよくはわからないけれど――少しだけ、クラトはわかってきた気がした。
「自分のことだけ考える、それってつまり、自分と他人を別個に分けて考えているんだよ。だけどね、自分と他人を別個にして考えるんじゃなくて、自分も他人も全部一緒に、それぞれを全体の中の一人として考えるんだ。そうしたらその、自分も含めた全部の中で、誰がどうするのがいいかを考える――そういう感じ。それが『和』がある状態だよ」
とユーリは語り、その後、「あ」と思いついて、
「もちろん、苦手な相手、じゃなくて、自分をいじめている相手だったりしたら、話は別だよ。――というより、そういうことも含めて、誰が行くのがいいかな、って考えることができるのって、大事なことだと思うんだ」
とつけ加えた。
と、それまで口を挟まなかった小春が、
「あのねぇ、クマさんとウサギさんが、アヒルさんからりんごを一個もらったとするでしょぉ」
と独特の口調で話し始めた。
クマさん? ウサギさん? アヒルさん?
クラトは突然の展開に面食らったが、他のメンバーは小春の物言いに慣れているようで、耳を傾けている。
「そしたらねぇ、クマさんとウサギさんは、りんごを半分ずつに割って食べるのぉ。だけどねぇ、クマさんは三日も何も食べてなくてお腹がすいていたけど、ウサギさんは朝ごはんをたくさん食べててあんまりお腹がすいてなかったらぁ、ウサギさんはクマさんに、りんご一個ぜんぶ食べていーよって言うんだよぉ」
「逆にさ、ウサギがお腹がすいててクマがお腹がすいてなかったら、クマはウサギに全部たべていーよって言うんだぜ」
と威太郎が割りこむと、「小春が話してたのにぃ」と小春が口をとがらせる。不満気に口をとがらせた顔は威太郎と少し似ていて、本当に双子なんだな、とクラトは思った。
「今の話はね」とユーリが引き継ぎ、
「例えばAとBで話し合いをしていたときにAとBの意見が違っていたら、Aの意見を五十%、Bの意見を五十%、半分ずつ出し合って一つの意見にすることもあるし、Aの意見が七十%、Bの意見が三十%になるかもしれない。そうじゃなくて、Aの意見は五%で、Bの意見が九十五%、通るかもしれない」
と話をする。
クラトは五十と五十、七十と三十、五と九十五、と、計算し、足してどれも百%になることを確認する。
「『和』の心で話し合えば、その結果、Aの意見が百%、Bの意見が0%になっても、Aの意見が0%、Bの意見が百%になったとしても、それはAとB、両方の意見が調和された百%の意見なんだよ」
と、ユーリがまとめる。
「0%でも百……」
クラトはつぶやきながら想像する。アヒルからもらったりんご。クマが半分こにしようとすると、ウサギは「いいよ」とクマの方へ押しやって、クマはそのりんごを丸ごと一個、食べてしまう。
さっきのように、クマがお腹をすかせていることを知ったウサギが、自分の分を主張しないでクマに全部たべていいよと言えば、それはウサギが0%でクマが百%ということだ。
アヒルからりんごをもらったのはクマとウサギなんだから、ウサギはりんごを半分もらってもよかったのに、クマがお腹をすかせていることを知って、自分の分も食べていいよとクマに譲る。それは、ウサギが自分のことばかり考えず、自分のこととクマのことを考えたから。「ウサギにとって」ではなく、「二匹にとって」なにがいいかを考えたからだろう。
「そっか……」
納得したクラトの心に、クマとウサギが住みついた。
すると、威太郎がまじめな顔をして、
「この世界から『和』の心が無くなっちゃうと、大変なことになるんだぞ」
と言い出した。
「た、大変なこと?」
クラトは、まじめな顔を崩さない威太郎から、ユーリへ目を移す。
ユーリも真剣な顔で、「実はね」と、重要な秘密を打ち明けるようにクラトを見つめる。
「自分にとって得になるか、自分がやりたいことかどうか、そういうことを考えてしまうと、人って、自分以外の誰かのために動くことができなくなってしまうんだ」
「自分以外の誰かのために、動けない?」
「自分がやりたくないことは、他の誰かがやってくれなきゃイヤだ! ってなってしまう。人のためになんか、指一本動かしたくない! って。――みんながそうやって、自分がやりたいことだけやろうとしていったらどうなるかな? お互いに貧乏くじを引くのをイヤがるような、やりたくないことを押しつけ合うようなことをしていたら――? うまくいくはずのこともうまくいかなくなってしまうんだ。――場合によっては、争いが起きることになるかもしれない」
争いに――?
ああ、そっか。だから和の心が大切なんだ。
和の心を大切にしなくちゃいけないんだ!
「そっか! 逆に言えば、和の心があれば、争いにならないんだ!」
クラトは思わず声を上げる。
「そうそう! そういうこと!」
ミヤが嬉しそうに笑った。威太郎たちも嬉しそうだ。クラトも嬉しくなる。
すごい! すごい!
和の心があれば、争いにはならない!
クラトは、平和へ一歩、近づけた気がした。
ユーリはにっこり笑うと、表情を引き締めて次の質問をした。
「それじゃあ、もしも大事なプリントが配られた日に、クラトが学校を休んでいたら、どうなると思う?」
え? ぼくが休んだら?
それまでの質問と、立場逆転だ。
「クラトにプリントを届けてもらった子が、クラトにプリントを届けてくれるかもしれないね」
ユーリはクラトの答えを待たずに、可能性を告げた。
あ、そっか。ぼくがプリントを届けてあげたことがあったら、今度は自分がプリントを届けてあげようって思って届けてくれるかも――?
クラトは納得してうなずいた。
「だけどもし、その子もその日、学校を休んでいたら? そのときはどうなるだろう?」
ユーリが聞く。
「オレが届ける!」
と威太郎が手を挙げ、「同じ学校じゃないじゃない!」と伽耶子につっこまれ、「わかってるよーっだッ」と、威太郎が伽耶子に「べーッ」と舌を出す。
「威太郎は無理でもさ、誰か他のクラスメイトが届けてくれると思うよ」
と、ミヤが落ち着いた考えを述べる。
「そうだね。――そうなんだ」
ユーリはミヤの言うことを認めると、クラトの方をまっすぐ見て言った。
「今のが二つ目の『わ』。『輪っか』の『輪』だよ」
今のが? 今のってどこのナニ?
さっきまで一つ目の「わ」の話をしていたのに、突然、出て来た二つ目の「わ」。
クラトは意味が分からず、目をぱちくりさせる。
ユーリは続けて、
「思いやりは、相手を思いやるだけでは終わらない、ってこと――つまりね、クラトが相手を思いやったように、他の人も他の人のことを思いやっていくことで、思いやりが繋がって思いやりの輪になっていくんだよ」
と語った。
思いやりの輪?
クラトが首を傾げると、ユーリはクラトに、ホワイトボードを指さした。
「クラトは、『情けは人のためならず』ってことわざ、知ってる?」
それは二つ目の『わ』の下に書かれた一文だ。
「情けは人のためならず? ……それって、情けをかけるとその人のためにならないってこと?」
クラトが答えると、来た来た! とばかりに、威太郎が両手を胸の前で交差させ、大きなバツ印を作る。
「ブッブ―! クラト、ひっかかってやんのー」
「え? 何が?」
「情けは人のためならずっていうことわざは、『情けをかけると相手を甘やかすことになって、相手のためにならないぞ』っていう意味だと勘違いされやすいけど、そうじゃないんだぜッ。『人のため』じゃなく、『自分のためになる』って言ってるんだぞッ」
威太郎が得意げに語る。
「なに威張ってんのよ。あんただって同じように勘違いしてたの忘れたの? タカちゃんに訂正されてたじゃない」
と伽耶子が言うと、威太郎が反論した。
「それで一つ物知りになったんですぅー。だからこうしてクラトに教えてあげてるんですぅー」
威太郎は伽耶子をおちょくるように、つーんとあごをそびやかした。伽耶子のまゆが、またキリキリつり上がる。二人にかまわず、
「イタが言ったように、このことわざはね、人に親切にしてあげれば、その親切がいずれ自分に還ってくるということを言ってるんだよ」
例えば、とユーリが説明する。
「ぼくがミヤに親切にして、ミヤがカヤちゃんに親切にして、カヤちゃんは小春に、小春がクラトに、クラトがイタに、イタが翼に親切にして行って、翼がぼくに親切にしてくれれば、ぼくはその親切に助けられるだろう? そうやって、みんなが人に親切にしていけば、自分も人に親切にしてもらえる。人と人とは輪っかのように繋がっていて、自分がしたことは廻り廻ってやがて自分に還ってくるから、そのつもりで行動しよう、ってこと」
ユーリが自分の右から左へ、指で順繰りにメンバーの顔をたどって円を描く。大きな輪だ。クラトもその輪の中にいる。
情けは人のためならずということわざを耳にしたとき、なんとなくこんな感じだろうと思っていたのとは、まったく意味が違っていて、クラトは驚いた。
そんな意味だったんだ、と、クラトは感じ入る。
ちょっと聞いただけでは、まるで自分が助かるために人を助けよう、と言っているような気もするが――人と人とが思いやりで繋がっていくのだと思ったら、クラトはなんだかすごいことな気がして来た。
「他にも『人を呪わば穴二つ』とか『因果応報』とか『金は天下のまわりもの』とか言うだろッ」
威太郎が胸を張ると、「前の二つはまだしも、『金は天下のまわりもの』は意味ちがうでしょ」と伽耶子があきれた声を出す。威太郎はむむっと口をとがらせる。
クラトはどれも意味がよくわからなかったが、意味を問う前にユーリが口を開いた。
「情けは人のためならず――思いやりの心をもって接していけば、その思いやりは輪のように繋がって、廻りめぐって自分に還って来る。つまり、人を助けることで、自分が困ったときに、人から助けてもらえる社会を作ることができるということなんだよ」
と言われ、クラトは考えをめぐらせる。
クラスで欠席した人がいたら、クラトがプリントを届けてあげる。だけどそれはクラトの一方的な行為ではない。クラトが欠席したら、誰かがプリントを届けてくれる。そうすれば――みんなに大事なプリントが行き渡る。
「クマさんが困っていたら、ウサギさんが助けてあげるんだよぉ。ウサギさんが困っていたら、クマさんが助けてあげるんだよぉ。それはそれで大切なことだけどぉ、人に感謝するって、そういう形だけじゃないんだよぉ」
と、小春がのんびり口調で言う。
「貸し借りナシッ! ってのも、助け合いだけどさー。自分を助けてくれた人にさ、自分が何かを返せるとは限らねーやん? だってさ、自分を助けてくれた人が困ってるところに、ちょうどのタイミングで通りかからないとできないもんな。けどさッ、誰か困っている人を助けてあげたら、その人がまた誰かを助けて、その誰かがまた別の誰かを助けて……そうやって人が人を助けていくことで、自分を助けてくれた人も誰かに助けられたら、みんなハッピーッ!」
「クマさんが困ってたらクマさんをウサギさんが助けてあげてぇ、アヒルさんが困ってたらアヒルさんをウサギさんが助けてあげてぇ、ブタさんが困っていたらブタさんをウサギさんが助けてあげてぇ、だけどぉ、ウサギさんが困っているときに誰も助けてくれなかったら、それはウサギさんがかわいそうなのぉ」
「そうそう。だからちゃんと輪っかになるのが大事なんだよなー」
と、小春独特の話を、威太郎がくみ取って会話する。
クラトは二人の会話を聞いて考えた。
クラトばかりがプリントを届けてあげて、誰からもプリントを届けてもらえなかったら、それは輪っかではなく、逆ピラミッドだ。助けるばかりで自分は誰からも助けてもらえなかったら、つらくなる。
「そうだね。輪っかになるって大切なことだよね。ぼくたちが生きていく上で、人と人とが繋がっていくっていうのは、大事なことなんだ」
ユーリが言うと、ミヤもうなずきながら、
「そうなんだよなー。それって親切にするとかしないとか、そういうことだけじゃなくてさー。ほら、どっかの店で買い物するときとかさ、レジでお金を払うワケで。そんときにお釣りをもらったとすると、そんときにお釣りが足りてるかどうかなんてさ、いちいち確認しなくない?」
とクラトに聞く。
「んー。……確認は、しないかも」
言われて思い返すけれど、クラトはお店で買い物をしたとき、お釣りをもらうことがあったら、そのまましまってしまう。わざわざ確認なんてしない。
けれど、それがなんだというのだろう?
クラトはよくわからないまま、正直に答えた。
するとミヤは、「オレもそう」と、うんうんうなずく。
「けどさ、それってさ、お店の人がお釣りをごまかして少なく渡したりしてないって信じてるからじゃない? もしもどこのお店でもお店の人がお釣りをごまかすのが当たり前だったら、お釣りをごまかされていないか、お釣りをもらう度にわざわざ確認しなくちゃいけなくなる。そんなの面倒だよな?」
「面倒だよッ。オレが将来どこかのお店で物を売ることがあったら、そんときにお釣りをごまかしたりしないから、人にもごまかさないでほしいって思うッ。そうすれば、お釣りをもらう度にイチイチ確認せずにいられるから、楽でいいって。――今は自動精算のとこやキャッシュレスなとこも増えてるみたいだから、お釣りがごまかされることって無くなるかもだけどッ」
ミヤの問いかけに、横合いから威太郎が答える。
威太郎はその方が「楽だ」と言うけれど、クラトはそんな風に考えたことなどこれまでになかった。いや、お釣りは、間違えて渡すことはあっても、ごまかすなんてこと、あるのだろうか? そんなことないのは、当たり前のことではないのだろうか?
けれど、考えてみれば、渡してもらったお釣りが足りなかったら、すごく損だ。
クラトがミヤたちの言うことを考えていると、
「お釣りを確認しなくていいのは、『信用』があるということだよ。たくさんの人が一緒に暮らす社会において、信用があるっていうのは、とても大切なことだよね。さっきミヤと威太郎が言ってたみたいに、ごまかされているんじゃないかって、いちいち人を疑わなくちゃいけなくなってしまうんだから。これって逆に言えば、信用のない社会では、いつ自分が傷つけられるか、ずっとおびえることになってしまうってことだよ」
とユーリが言った。
あれ? とクラトは思った。
「それって、情けは人のためならずの逆みたい。親切にすれば親切が還って来るけど、人から信じてもらえないようなことをしたら、自分も人のことを信じられずに、いつ自分がひどい目にあわされるか心配していかなきゃいけないみたい」
クラトが言うと、
「そう! ソレ! それが『因果応報』で『人を呪わば穴二つ』ッ!」
と威太郎が鋭い声を上げる。
「……因果応報は、自分のやったことが自分に還って来るって意味だけど、人を呪わば穴二つって、人を呪ったら自分にもその呪いがはね返ってくるとか、そういう意味じゃなかったっけ?」
「人を呪ったらその報いで自分も殺されて、墓穴が二つ必要になるってことから、人を陥れようとしたら自分にも悪いことが起こる――っていう意味だったと思うよ。だから、まあ、言いたいこと、外してはいない、よね?」
と、ミヤとユーリがひそひそと意味を確認し合う。
ことわざ、と言っていいのだろうか、どちらもクラトはよく知らない。けれど、意味はどちらも「自分がしたことは自分に還って来る」ということのようだ。
同じことが、いくつもの言われ方をしているということは、それだけたくさんの人が同じことを感じて、同じことを考えて来た、ということなのだろう。そこがすごいと、クラトは思った。
「人はひとりで生きているわけじゃない。たくさんの人が一緒に生きていくんだ。だったら、助け合って生きていければいい。思いやりで社会が回って行けばいい。人と人とが繋がる、その繋がりこそが『社会』なんだから――だからね、思いやりや信用でつながっていく社会にしたいって思う」
「人を疑ったり、傷つけあったりする社会じゃなくてなッ!」
ユーリが指で大きな輪を描きながら告げると、威太郎がすかさず、というタイミングで付け加えた。
ユーリは威太郎にうなずいて、クラトに向き直り、
「人と関わり合っていくなかで、自分が人を助けることもあるし、人から助けられることもある。人と人とが助け合っていく輪の社会、それを作ろうというのが、二つ目の『わ』なんだよ」
とまとめた。
クラトは考える。
ユーリたちは、誰か一人がみんなを助けていく社会を作ろうとしているわけじゃない。逆ピラミッドの形じゃなくて、輪っかにしたいと思ってる。
だけど、ただ輪っかにすればいいわけでもない。ただ、輪っかの社会を作るだけなら、助け合いの社会になるとは限らない。人を疑ったり、傷つけあったりする社会になるかもしれない。大事なのは、思いやりや信用で繋がっていくことで、そのときに大事なのは――?
「一つ目の『わ』……」
クラトの口をついて出た。
「ん? ナニナニ?」
威太郎がクラトの顔をのぞきこむようにたずねると、その声に反応して、クラトはパッと威太郎の方へ輝いた顔を向ける。威太郎は、クラトの急な動きと、その表情にハッとして、クラトの言葉を待つ。
「人と人とが助け合える社会を作るには、和の心が大事だし、和の心をつなげて輪っかにしていくことが大事なんだ!」
聞いた威太郎の顔は、クラトの輝きが伝染したかのように輝きだす。
威太郎は力強くうなずき、
「そう! そんで、それがわわわ会の『超個人主義』なんだッ!」
とガッツポーズをとった。
「ちょ?」
クラトは一瞬、頭にハテナが浮かんだが、すぐにホワイトボードの字を思い出した。
ボードを見ると、そこには一つ目の「わ」と二つ目の「わ」の上に、『超個人主義』と横書きされている。
クラトの視線にユーリが気づいて、
「そうだね、クラトがいま言ったように、和の心を繋げて輪にしていくことで、人と人とが助け合える社会を作ることができると思うんだ。――ただ、それをそのまま人に伝えても、キレイごとにしか聞こえないって言う人もいるんじゃないかな、って思うんだよね」
と、少し困ったような顔をする。
「キレイごと?」
思わぬことを言われ、クラトは面食らう。
「人と人とが助け合える社会にしようって言われてもさー、そんなことわかってるよーとか、それができれば苦労はしないよーとかさ。思う人は思うと思う」
ミヤが仕方なさげに言うと、威太郎や伽耶子も「いるよなー」「そうね」とミヤと同じような顔をする。
「そ、そうなの? だって、自分を守ってくれることなのに」
クラトは意外な思いで声を上げる。
するとユーリが、
「思いやりを持ちましょうとか、助け合いましょうとか言うと、自分が人のことを考えさせられるとか、自分が人を助けなきゃいけないんだとか、自分がする方にばかり意識が行ってしまって、自分が助けてもらえる社会になるんだってことに気づきにくいんだよ」
と落ち着いた声で言う。
「でもなー、自分が人を思いやって譲ることもあるだろうけど、人が自分のために譲ってくれるかもしれない。自分が人を助けることもあれば、自分が人から助けられることもあるかもしれないんだよなー」
「なんつっても、人と人って輪っかみたいに繋がってるワケだからなッ」
と、ミヤと威太郎が口を添える。
威太郎はさらに、
「そこで超個人主義の出番なんだぜッ!」
と得意げに口にする。
ユーリが小さくうなずいて、口を開く。
「自分がしてもらうという一面も持っているのに、自分がする方にばかり意識が行きがちだ――ということはね、逆に言えば、引っくり返せるってことなんだと思うんだ」
「引っくり返す?」
「自分がしてもらえるんだって方に意識が向けば、やってみようって気になってくれる人が出てくるかもしれないってこと。損させられるばっかりじゃなくて、自分の得にもなるんだってことが理解できれば――心強いんじゃないかな?」
「自分の得……?」
「わわわ会の考えはね、滅私奉公っていうか、自分を犠牲にして人に尽くして生きていこうっていう考えじゃないんだよ。人も自分も助けていく、人にとっても自分にとっても助かる世界――調和の世界――そこを目指しているんだから。だから、自分の損得を考えないで、人のことだけ考えていくべきだ、とは思わないんだ」
ユーリとのやりとりで、クラトの頭の中に、逆ピラミッドが浮かぶ。
逆ピラミッドじゃなくて、輪っかの世界。それって、人を助けるだけじゃなく、自分も助かる世界なんだ――ということを、クラトは改めて意識した。
ユーリは続ける。
「だからね、わわわ会では、人を思いやるってことだけじゃなく、それが、自分が思いやってもらえることに繋がるんだよ、っていうところを強調するために、一つ目の『わ』と二つ目の『輪』を合わせて、『超個人主義』っていう考え方にまとめて、使うことがあるんだよ」
「超個人主義……」
クラトが噛みしめるようにつぶやくと、
「カッコイイだろー」
と、威太郎がにんまり、自慢気な顔をする。威太郎にとってカッコいいかどうかは大事なことのようだ。だけど、それは威太郎に限らない。カッコいいかどうかは大事なことだ。クラトも内心、カッコいい! と盛り上がっている。
「なんでもかんでもすぐカッコいいかどうかで判断しちゃうんだから」とおもしろくなさそうな顔をしているのは伽耶子だ。
「だってカッコいいだろー」「カッコ悪いなんていってないじゃない」「いっとくけど、オレがカッコいいって言ってるのは、超個人主義の中身だからな」「言い方はカッコ悪いと思ってるワケ?」「言い方もカッコいいと思ってるに決まってるだろッ」とまた二人でやり合っている。
周りが動じないせいか、クラトもこのやり取りに少し慣れて来た。なんだかんだ、これはこれで仲が良いのだろう。一つのコミュニケーションなのかもしれない。
将大くんとこれくらい言い合えてたら、違っていたのかもな。
クラトはちょっとだけそんなことも思った。
ユーリも二人のことは放置するらしく、
「『超個人主義』って言い方はちょっと難しいかもしれないけど、どういうものかと言うと『個人を超えて全体を考えることが、個人の幸福に繋がっていく』ということなんだ」
と説明した。
個人を超えて全体を考える、というのが、一つ目の「わ」、和のことで、それが個人の幸福に繋がっていくというのは、二つ目の「わ」、輪になることで自分も幸せになれる、ということなのだろう。
つまり、自分のことより人のことを考えると、自分のためにならないようでいて、実は自分のためにもなっていると主張しているのが、わわわ会の『超個人主義』ということだ。
クラトは、なるほど、とうなずく。
ユーリはもう一つつけ加えた。
「哲学っていう学問では『個人主義』っていう考え方があるんだけど――くわしいことはぼくもわかっていないから省くけど――ぼくたちが『超個人主義』と呼んでいるのは、その哲学上の『個人主義』とは違う、わわわ会独自の考えなんだ」
さらりとそう言うと、「難しい話だから、今、わからなくてもいいからね」とやさしく言い添えた。
哲学がどうのと言われ、クラトは少しびっくりしたが、ユーリは今はわからなくてもいいとも言ったので、そうなんだとだけ心に留めた。
ユーリは一度ホワイトボードを振り返ると、またクラトへ向き直る。
「それじゃあ最後の、三つ目の『わ』。――これは、会話と対話だよ」
三つの「わ」が出そろった。
「三つ目の『わ』はとくに難しい含みはないんだ。単純に、話し合うことを大事にしようってこと。問題が起きたときは話し合いで解決する。それだけ」
と、ユーリがあっさり言う。
それまで難しい話が続いていたから、クラトは少し拍子抜けした。
「だけどね、実はこれがもしかしたら一番、実際には、やりにくいことかもしれないんだ」
ユーリは言う。
何か問題があったら、話し合って解決する。それは当たり前のことだと思うけれど、そうでもないのだろうか?
疑問のあるクラトに、ユーリは穏やかに話をする。
「問題が起きたら話し合う。だけど、話し合っても、お互いに意見が食い違ってなかなか解決できないかもしれない。もしも話し合いで解決できないならどうする?」
ユーリに問われ、クラトは考える。
例えば、クマもウサギもお腹がすいていたら、そこへアヒルが食べていいよとりんごをくれたらどうなるだろう? 半分こにしようってなるとこだけど……どちらもものすごくお腹がすいていたら、丸ごと一個、食べないと死んじゃいそうだったら、ケンカになっちゃう?
どうすればいいんだろう?
クマもウサギも仲良くしようよ、と思う。半分こにしようよ、と思う。でも、どうすればいいかはわからない。
「もしも話し合いで解決できないならどうすればいいか。それはね――さらに話し合うんだ。話し合って話し合って話し合って、それでもどうにもならなくても、話し合うんだよ」
「――どうにもならなくても、話し合う……?」
「考えてみて? どうしても話し合いで決着がつかない場合は武力に頼る。それではいつまでたっても戦争の陰におびえて暮らさなくてはいけないだろう?」
武力に頼る――戦争する。
つまり、話し合いで解決することが当たり前ではない人たちがいるかもしれない、ということだ。話し合いで解決できないなら、力づくで言うことを聞かせよう。そんな考えを持ってはいけない。それが三つ目の「わ」。話し合いの『話』ということなのだろう。
クラトは、なるほどとうなずきを返す。
確かに、三つ目の「わ」が一番わかりやすい。けれど、実践するのは難しそうだ。だって、それが簡単にできるのなら、戦争やテロは、とっくに絶滅しているはずなのだから。
一つ目の「わ」は『調和』の「和」。
二つ目の「わ」は『輪っか』の「輪」。
三つ目の「わ」は『会話』の「話」。
「『わわわ会』っていう名前は、この『三つのわ』から取ったんだぜ。わわわ会のわは、和で輪で話なんだ! 三つの『わ』を大切にするのが、わわわ会の基本中の基本だからなッ!」
威太郎が誇らかに言い切った。
「わは和で輪で話……。そんな意味があったんだ……」
クラトはふーっと息を長く吐き出す。
はじめに「わわわ会」という名前を聞いたときは、秘密組織の名前というには可愛らしいというか、ハッキリ言えばカッコ悪い、と密かに思った。けれどそんな意味があったと知ると、カッコよく思えてくる。
クラトはもう一度、小さく「わわわ会」とつぶやき、ホワイトボードに書かれた文字を、意味をかみしめるように目で読み返した。
前の投稿で、あらすじに「基本三原則について書いてある」と書きましたが、「基本三原則」はここからでした。すみません。
難しくなってきましたが、お読みいただいてありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。