ぽんちゃん、夜道は危ないよ!
まず、現実認識がガラリとすり替わった。
夜道。名前不詳の虫の死骸と砂埃に覆い尽くされたカバー越しの街灯が連なり、そんなぼやけた白光のおかげで足元を掬われずに済むってのも皮肉な話だ。
ただ帰り道を歩くだけでも、周囲を見渡せば色新しい知覚で満ちている。
ぶうぅうううんと惨たらしい人生をはためかせる虫。蛙が引き延ばされたアスファルトの道路。これから多くの鼻を苦しみを無常観で受け容れるスギ花粉。
ベンチと自動販売機がある。ベンチでは過去に何度も青姦の舞踏会場になっていた残像が見えるし、自動販売機ではカツアゲ&リンチの現場になっていたのも見えた。
なんというか、現実のかたちをはっきりと意識しだすようになった。
歪みやひずみ、重みや撓み。それを仔細まで穿つように、あるいは漠然と見渡すように。現実は定型ではない。物体でさえその法則通りで、必ず違いがある。
それぞれのものに、ちゃんとバックボーンがある。
晒された現実環境によって差異が生じるんだ。わたしたち人間同士が『ヒト科の動物』という認識をし合わないのは、やっぱり育ち方の違いのおかげで、別人だからだ。
「 なんか全部が気持ち悪く見えるなぁ...」
『むしろこれがすっぴんの感覚っぽん。今までがあたまの中で都合良く省略した現実を見てきたに過ぎないっっぽん。』
「でも全部まともに受け容れてたら、気が狂っちゃうよ」
『現実ってもとよりそういう場所だし、だから自分の見たいものだけ見てればいいけど、マイカはそう悠長にしてもいられないっぽん』
だって引き受ける役割になったのだからっぽん、と、無常そうに囁いて。何処と無く、誰かに聴かせるわけでもないように。
真唯架。現実の過ぎ去るスピードに思うところはあって、今となってようやくその異常さを物理的に認識しだし──〈終滅群〉として向きあう機会ができた。
『結局敵っていうのは、
人間が現実のなかで生じさせる擦れあいによって生まれいく澱であって、排泄物のようなものだっぽん。
外敵じゃなくて、そういう内側から生じるもの。そういうのを解消するのは、いつだって女の子の役割だっぽんね。
つけが回ってきて、誰にも知られないところで苦しまなきゃいけないって、結構くるっぽんよ』
ベンチに座る。歴代の青姦を肌身で感じとる。スマートフォンを開く。地図を見る。
今日の夕暮れ時に〈終滅群〉の一部分を倒した工場の位置へスクロールした。自宅から徒歩数キロ。『電子通い高校帰りに、最寄り駅からそこへ寄り道して道草を食べてから帰宅する』というルーティーンの今がその最後の最中。
今日葬った〈終滅群〉は、傍観者から滲み出たものの集まりな気がする。
現代社会における大多数だ。自分を匿名化し、与えられた話題へ賛否両論を好き勝手に浴びせる。いざ自分が追い詰められると、自分がないから容易く崩れ去る。そういう類いのやつ。
「ねえぽんちゃん」
『なんだっぽん』
「現代社会って、イかれてると思う?」
『僕に意見を求めたところで、どうしようもないっぽん。正直君という現実を支えにして生まれている僕が答えたところで、それは天使と悪魔のささやきレベルの与太話でしかないんだからっぽん』
このメルヘンチック生命体は、わたしから生じている。わたしから生じており、それでいて全現実のファクターを含んでいる。そういうものとしか言いようがない。
「じゃあ 、イかれてるよ。みんなすり潰されて、摩擦がでて、〈終滅群〉が生じるくらいなんだから。みんなクソだよマジで」
地図をスクロールする。東京23区のところへ画面をもっていく。
現実。より現実味の蠢くところは濃く、多分誰にとってもどうでもいいところは薄い。
東京はあまりにも濃い。わたしが暮らしているような田舎は薄い。地図を世界規模にしても、知らない地域は薄く、ロンドンやワシントンDC、北京、イスラエルなどは濃い。
もっと全体的に、現実に関する所感は今までも時折と思うところはあった。一瞬で忘れてきたであろうひとつまみの感想が増幅され、今は常の実感へとなった。
気持ち悪い。
自動販売機へ立つ。今まで飲んだことなかったエナジードリンクへ目が惹かれる。青の怪物。ゼロカロリー。
買ってその場で飲んでみて、美味しかった。現実浴びることで廃れてしまった自分が癒るよう、それを錯覚だと知りながら完飲した。
ほんとのほんとに真っ直ぐに帰路につく。途中、
十字路を過ぎようとすると、黒猫が横切った。にゃぁあん。
でも猫さん、あなたの黒は迷信に過ぎないの。わたしはもっと辛い思いをしている。