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幸福を感じるか

作者: 橋本春妃

 ――最近、幸福を感じ取る力が弱まっていると思う――


 そう気づいたのは、部屋の掃除をしていてふと目に留まった日記帳を読み返したことがきっかけだった。

 その日記帳にはおよそ一年前の数か月分、記録が残してあった。その日に何をしたか、自身の心の動きがどうであったか、そんな些細な記録である。

 しかし私はその記録を読み、驚きを隠せなかった。


 〇月〇日 今日は友人と遊んだ。こんな風に遊べることが私は嬉しくてたまらない。私は本当に幸せだと思う。

 〇月〇日 今日は大学の講義でロールプレイを行った。自分の書いた原稿を褒めてもらえたことが凄く嬉しかったし、みんながそれに沿ってうまい演技をしてくれて最高だった。

 〇月〇日 今日は彼の家にお泊り。彼はいつも「可愛い」とか「好き」って言ってくれる。ずっと好きだった彼とこんな風にお泊りできることが夢みたいに幸せだし、そんな彼からこんな言葉をもらえるんだ。私って本当に幸せだな。幸福感でいっぱい


 このように、ページをめくってもめくっても私は毎日のように「幸せ」だと言っていた。

 今はどうだろう。出来事だけで比較すれば、今の方が何倍も幸せなはずだ。なぜなら一年前は週に一度しか彼の家へ泊ることはできなかったのに比べて、今は何度でも好きなだけ泊ることができる。一年前は平日と言えば朝から晩まで講義が詰まっていた。けれど学年が上がった今は講義はほんの少ししかなく、週の半分は休みのようなものだ。そして友人と遊びほうけている。

 それなのに、幸福度は断然一年前の方が上だ。

 なぜなら、それはやっぱり私が幸福を感じ取る力をなくしているからだろう。様々なことがあたりまえになって、代り映えしない毎日をただ淡々と過ごしているだけだ。友人と遊んでいるときも、彼の家に泊まっているときも、「今、とても楽しい」という感情ではなく、「明日の講義嫌だな」とか「寒いから冬はこりごりだ」とかそんなくだらないことばかり頭に浮かべている。


 あほらしい。なんともあほらしい。


 そんな風に過ごしていれば、目の前にある幸福をみつけて拾い上げることなんて到底不可能だ。愚痴や不満ばかりに占拠されたこの頭と体では、私はどこへ行っても何をしても心から楽しむことなんてできない。


 幸福というものは、どこにでも転がっている。ただ、それをみつける能力、拾い上げる力がなければ幸福なんてないのと等しい。そしてその能力と力は、毎日をそれなりに丁寧に生きているものにしかついてこない。幸福を感じようとしなければ、幸福は感じられない。


 私は今このときから、また毎日訪れるなんてことない日々を丁寧に過ごそうと心に誓った。

 ちょっとしたことにも「幸せだな」と思えるように。だってそれが一番の幸福だから。

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