あ!
こんにちは。ははははっはは!
「いまはとて 天の羽衣 着る折ぞ 君をあはれと思ひ知りぬる――」
ずっと心の片隅に残っている、忘れてはいけない存在。
実際今となってはその子の顔さえ思い出せない。
× × ×
高校二年生の新学期。晩翠和暉の通う学校、札別中央高校は二年への進級時に一度だけクラス替えを行う。今年はその該当年だった。
四月相応の暖かい空気に当てられながら校門をくぐると辺りは喧騒に包まれていた。あちらこちらで笑い声や叫び声、果てには泣き声まで聞こえてくる。クラス替えってそんな大事ではないだろ、と思いながらもはやる気持ちを抑えて、やや早歩き気味になりながら和暉は張り紙の前に着く。和暉も自分のクラスを探そうと、目線を巡らせる。まずはA組とB組にないことを確認すると、C組を確認するために少し移動した。
「おはよう、晩翠」
和暉は後ろからかけられた、妙に明るい声に振り向いた。急に振り向いたせいでピントの合わない目を少し擦ると、そこには満面の笑みを浮かべた五郭佑が立っていた。
坊主にそれなりに筋肉のついた体。ややネクタイを緩め、それでも印象は悪くなく、誠実そうな見た目に反し子どもっぽく輝いている目。
普通に見ればやばい奴だが、実際は好青年だ。
「ああ」
そっけなく返事をした。しかし、五郭は聞いてくれとばかりに見つめてくるから、笑顔の理由を聞いてやろうと思って話を振る。
「お前はもうクラス見つけたのか?」
「まあな。D組だったよ」五郭はそれから少し間を置く。「なんと、当山さんも同じクラスだ!」
「へえそりゃよかったな」
当山さんは五郭の想い人だ。五郭にも、五郭の想い人にも特に興味のない和暉は適当にあしらう。小中高が一緒だからこその適当さだ。
逸らしていた顔を戻し、自分のクラス探しを再開しようとすると、五郭が思い出したように「あ!」と声を上げた。俺は嫌々振り返った。
「そういえばお前、転校するって言ってなかったか?」
「は?」
特に思い当たらず雑に返す。五郭は困惑したような表情を浮かべながら、再度口を開いた。
「えっと、確かイギリスに……」
自信のなさそうな五郭を尻目に、記憶を探る。類推していくと思い当たるものがあった。
「ああ、言い忘れてたわ」
普段から五郭の扱いが雑ですっかり忘れていた。
「は?」
温厚な五郭でもいらっとしたのか少し声が威圧的だった。
「イギリスに行くのは親だけになったんだ」
一カ月くらい前にそんな話があったなと、和暉は少し懐かしみながら話す。
「へ? そうなのか」
「そうだ」
「まあ、何はともあれ、また同じ学校に通えてよかったな」
「ああ、三日三晩説得した甲斐があった」
和暉は掌を返して、やれやれと大仰に笑うとようやく張り紙に目を戻す。
上から下へ石を落とすように目線を下げていくと紙面には、『二年C組30番 晩翠和暉』とあった。
「あ、俺はC組か」
思わず口から漏らすと、五郭は小さくため息を吐いた。
「離れちまったな……。まあ、和暉は当山さんがいるからいいけど」
「……薄情な奴だな。でも、まあいいや」
「え、いいのか」
「ああ、今の俺は余裕があるからな」
今なら何をされても怒らない気がする。雨の中傘を奪われたって、掃除を一人任せにされたって、靴に画鋲を入れられたって。
まあ最後は大げさだが。
「何かいいことでもあったのか?」
「そうなんだよ。実はな――」
「何だよ。何なんだよ! まさか、彼女でもできたのか! おい、嘘だよな? 嘘なんだよな!」
話し始めようとすると、すぐに遮られた。冗談かと思えば、五郭は必死の形相だ。早く伝えたい気持ちも相まって思わず大きな声を出してしまう。
「実は、一人暮らしが決まったんだ!」
五郭は呆れの混じったような表情になった。
「なんだそんなことかよ」
「そんなことって学生からしたら一大事だろ」
「もうHR始まるし行こうぜ」
急激に冷めた五郭の声に、壁時計へ視線を送る。既に始業三分前だった。
「そうだな、行くか」
和暉は一言だけ呟くと、教室へ向かった。