(5)……!!
結局1時間半が経過した時点で、私達は強制的に陸へ送還された。あれからサクラちゃんとは口をきいていない。村役場にある本部で待機することになったが、あからさまに離れて座った。何か言いたげに時々私を見ているのは感じるけれど、心の狭い私はわざと目を合わせないようにした。
いや、心が広いとか狭いとかって次元じゃないんだよ。
ギリギリと握り続けていた握り拳で、所かまわず殴って暴れたい気分だった。ふと掌をみると、親指の爪が当たっていた場所の皮がむけていた。
――どうしようもない。私達は無力。今は信じて待つしかない……サクラちゃんを振り返ると、泣きはらした目を伏せ、胸の前で掌を祈るように組んでいる……そうだよな、不安なのは一緒だし罪悪感と隆志さんへの気持ちがある分サクラちゃんの方がキツいはずだ。
私はサクラちゃんの横に座り、グッと肩を抱き寄せた。途端に嗚咽を上げた彼女につられ、ボタボタと涙を落とした。
「ミドリ! サクラ!」
本部に飛び込んで来たのはマユミさんと、バディのサカエさんだった。椅子に座った私達の前に膝まづき、手を握ってくれた。
「大丈夫、梶さんは何度か経験してるから」
「ほ、んとに……?」
「百戦錬磨なんやから。きっとすぐに見つかる」
その笑顔に希望を持とうと思い直した直後だった。何人かがバタバタと廊下を行き交い、それを見た本部の女性が部屋を飛び出して行った。心臓がバクバクと鼓動して冷や汗が背を濡らす。サカエさんが、様子を見ようとドアを開けかけた時に本部の女性が飛び込んで来た。
「見つかったって! 無事、無事です!」
良かった!! サクラちゃんと抱き合って、声を上げて泣いた。サクラちゃんの指が痛いほど背中や腕に食い込んで震えている。私は椅子に座っているのに、腰が抜けたのがわかった。マユミさん達は港に行ってくる、と飛び出して行った。
「良かったねぇ」
本部の女性が二人の肩を抱き、ポンポン、と小さい子を落ち着かせるように優しく手を置いてくれた。村役場の男性が「病院に案内します」と呼びに来てくれたけれど、足に力が入らなくて、サクラちゃんに支えてもらってようやく立った。
「大丈夫? 行ける? 翠莉ちゃん」
「う、うん、ごめん」
気持ちだけが先走って躓きそうになるのを本部の女性とサクラちゃんに両脇を抱えられるようにして、村役場の男性について行った。村役場を出て、駐車場を挟んだ向こう側が病院だ。診察室の奥の処置室に案内された。
「おー! 二人とも、大丈夫?」
「梶さん!」
梶さんが、何事もなかったように笑顔で立ち上がったその姿が涙で霞む。
「おいおい、泣くなよ……僕はなんともない。隆志も、ほら」
ベッドでは隆志さんが点滴を受けながら薄目を開け、ちょっとだけ手を挙げた。
「ごめんなさい、ほんとに……ごめんなさい……!」
サクラちゃんは隆志さんの手を握り、顔を伏せた。膝がボタボタと濡れていく。
「さあ、どれくらい流されてたかな……20kmくらいか? 隆志もなんとか流れから横に逸れてたんだけど体力奪われたんだろうな、僕が近付くまで動かなくて。ゲージ見たらもう残量もギリギリで危ない所だったよ。ま、僕はまだ空気あったしウェイトも捨てずに済んだし、問題なし。大丈夫!」
バディの空気がなくなった時、自分のタンクの空気を交互に吸いながら安全を確保するのは習ったけどそんな実践は滅多にないと思っていた。
「良かった、ほんっと良かった……」
「梶さんも……ごめんなさい、私のせいで」
「いいんだよ、隆志にもいい経験になったし。イントラとしての説教はあとからみっちりやるからな」
サクラちゃんの気持ちを楽にさせたかったのか豪快に笑うと、隆志さんも「こわっ」と笑った。
「20km……そんなに流されるんですね」
「ああ、もっと流されたこともあるよ。あの時に比べたら大したことない」
「見つかるまで結構時間かかってましたね」
「うん、一番近い岩場がちょっと入り組んでてね。下手に動くと危ないし隆志もキツそうだったから……レスキュー船も一度は通り過ぎたんだよ、結構沖まで行ってたな。ミラーピカピカ作戦でようやく気付いてくれてね……ああ、サクラちゃんごめんね、カメラは拾えなかった」
「そんな、いいんです……二人が無事だっただけで」
「いや、あれもこれも僕の責任だよな……僕の方こそ、ごめんね。ちゃんと全部チェックできてなかった」
「とんでもないっ、梶さんのせいじゃないです! 私がちゃんと話を聞いてなかったから」
「……二人とも、ダイビング嫌いにならないでね」
こんなことがあっても、この人は海を愛してるんだなあ……
「すみません、海上保安部の方が事情聴取にこられましたからー……梶さんと遠矢さん、いいですかー?」
本部の女性が梶さんとサクラちゃんを連れて行き、私はベッドの横に置いてあった丸椅子に座った。看護師さんが点滴を外し、ごゆっくり、と言い隣の部屋へ引っ込んでいった。何度かゆっくりと瞬きをしていた隆志さんが、私の方へ顔を向ける。
「ごめんね」
「無茶な事、しますね」
「……サクラちゃんのカメラ、亡くなったお父さんの形見なんだって。前にその事聞いてたから……どうしても」
「形見って……そんな大事な物わざわざ持ってこなくても」
「馴染んだもの使いたいと思うのはわかるし……お父さんにここの海を見せたかったんだ、って」
そんな話を聞けば、もう何も言えない。サクラちゃんも辛いだろう。
「……もう、ダメですよね」
「うん……俺がちゃんと気を付けてあげとったらあんなことにはならんかった」
「仕方、ないですよ」
そう言うのが精一杯だった。
「ありがとう。ミドリちゃん、優しいね」
「そんなことないです。サクラちゃんに怒鳴り散らしましたから」
「ははっ、怖いな。でももう責めないでやって」
「はい、充分反省してるみたいだし」
話しているうちに、だんだんと顔に赤みが戻ってきた。
「喉、乾いたな。ミドリちゃん、悪いけど水もらってきてくれる?」
「はい」
隣の部屋にいた看護師さんにお願いして、水を紙コップに汲んでもらった。戻ると、隆志さんは上半身を起こし座っていた。
「起き上がって大丈夫なんですか?」
「うーん、どうやろ……うん、多分、大丈夫」
手渡した水を一気に飲み干すと、お腹がグゥーッと鳴って照れたように笑った。
「腹減ったな。ミドリちゃん達、お昼ご飯は?」
「いえ、まだ……え、もう2時!?」
部屋を見渡しても時計がなく、スマホを取り出して見るともう14時を過ぎていた。私のお腹も我に返ったのか、ギュルル、と音を立て二人で笑った。
空になった紙コップを受け取ろうと手を出すと、突然手首を掴まれ引き寄せられた。ベッドに倒れ込みそうになった私の背を隆志さんが支え、私の唇に隆志さんの唇が重なった。
何が起きたのか理解するまでの間に、その柔らかな弾力が2度、微かに音を立ててはねる。慌てて胸を押し返そうとしたけれど、ギュッと抱きしめられた。
「ちょ……あのっ」
「俺……ミドリちゃんが好きや」