(4)どうか、助かって!
――隆志さんが流された
思わず呼吸を忘れそうになって、慌ててバブルをゴボッ、と吹き上げた。梶さんが「落ち着いて」と手でサインを作りボードに急いで書いた。
(どっちにながされた?)
サクラちゃんが親指で「降下」を表し、そのあと東を指した。梶さんは頷き、その方向を確認した。
(さがす ふたりはふねにもどれ SOSだして)
そしてBCのポケットから、紐のついた緊急用のフロートを取り出し近くの岩場にくくりつけ、レギュレターを一旦口から離し浮きを膨らませた。手を離すと、蛍光オレンジ色の玉が勢いよく海面へ上がって行く。
私は指でOKのサインを作り、サクラちゃんの手を取り船のブイ目指して、あえてゆっくりフィンを蹴った。サクラちゃんも私もお互いにブルブルと震えながら、一度も目を合わせることなく船にあがった。顔を見たら、泣いてしまいそうで――隆志さん……そして、梶さん。
船から緊急信号が発信され、レスキュー船と本部の船が集まってきた。サクラちゃんは青ざめた顔でブルブル震えながら泣き続けた。20m界隈では流されるような潮はなかったはずなのに――今朝マユミさんに言われた言葉が頭をよぎる。
レスキューダイバーの隊長がサクラちゃんに事情を聞いた。
「今、梶さんのものらしき浮きを発見したと連絡がありました。どのように流されたのか教えてください」
「わっ……私が、カメラを海底に落としてしまって……それを隆志さんが拾いに……そうしたら急に速い流れが来て一瞬見失って……」
「彼が流されたのは水深何mですか」
「わ、わかりま、せん」
「彼女を発見したのが23m付近です、恐らく35、いや40位かも」
私の言葉に隊長はタブレットで何かを確認した。
「あの辺りは一番深い所で50ある、急に深くなってるんでイントラには注意していたんです。岩場も入りくんでいて潮も速くなる。聞いてませんでしたか?」
「い、いえ、ごめんなさい」
私は梶さんから「急に深くなる所あるから絶対に離れるなよ」と言われていたけれど、水深までは聞いていなかった。その時サクラちゃんは隆志さんに夢中で聞いていなかったのだが、隆志さんもそのことはわかっていたはずだ。
周囲がザワザワと慌ただしく動き回る中で私とサクラちゃんは成す術もなく、じっと座っている事しかできない。サクラちゃんの震えが止まらない。いまだに信じられない、どうしたらいいんだろう……
隊長は無線機で指示を出し、レスキューダイバーが数名飛び込んだ。それをレスキュー船が追うように進む。二人のタンクはもうそろそろ切れる頃だ――お願い、どうか、どこかに流れ着いていて!
「翠莉ちゃ……ど、どうしよ……たか、しさん」
「……大体なんでカメラなんて落とす……っ」
「……夢中になっててカメラ……こう、グイッて引っ張ったらストラップが壊れて……慌ててカラビナ……つけて、なかったの、予備の……それで焦って……過呼吸みたいになって……苦しくて手を離しちゃって……気付いたらカメラが沈んでしまって、それを隆志さんが……」
以前からサクラちゃんは、パニックになると過呼吸を起こす事があった。だから本当はベテランの梶さんとバディを組んだ方が良かったのに、なんだかんだと理由を並べて隆志さんと組んだのだ。
「し、沈まないでしょうが、空気入ってんのに」
「パニックになってケース岩場に、いつのまにか打ち付けちゃって、水が入って」
「……そんな、もう海水に浸かったらカメラ壊れとっちゃろ! 使い物にならんもの追って隆志さんは……!」
「ご、ごめん、ほんと、どうしよう」
怒りが抑えられず爆発してしまった。そんな危険な場所に拾いに行く、隆志さんも隆志さんだ!
「大体! チェックの時ちゃんと梶さん言ったの、聞いてなかったよね!? 隆志さん隆志さん、ってベタベタして全然聞いとらんかったっちゃろ!?」
「……」
周りの人が驚いて私達を見たがもう止まらなかった。
「それに! さっきから隆志さんのことばっかり言いよるけど、梶さんだって危ないのに!」
まあまあ、と本部の女性が私をなだめた。怒りで身体がブルブル震えて止まらない。
「ごめ……」
「落ち着いて、ね? きっと見つかるから」
顔も見たくない。肩に掛けられていた毛布を投げ捨て、甲板へ出た。
誰かを好きになるのは勝手だ。でも、ダイビングはちょっとした油断が命に関わるスポーツだというのに――サクラちゃん自身が命を落としていたかもしれないのに。カメラが例え何十万したからって命には代えられないのに……ああ、もうっ!!
隆志さんはイントラといっても資格を取ってまだ5年も経っていないはずだ、ベテランとは言い難い。どうか梶さんが早く見つけて浮上していますように!
二人にもしものことがあったら――いや、考えちゃダメ。
飛び交う無線の声。いつまでも胸の早鐘は落ち着くことはない。大丈夫、梶さんはベテランだから。全国でも名の知れた「すごい人」なんだからきっと、大丈夫。対応も早かった、意識さえちゃんとしてれば流されたとしてもきっとどこかで……岩場に頭ぶつけたり、してなければ……バカ、何考えてんの。違う違う、ほら、海面に浮かぶ二人が救助される所を思い浮かべて……!
他の船は、この事故を受けて早目に湾へと戻っているようだった。申し訳ない……万が一のことがあったらこのフェスティバルも中止になるかもしれない。
頭の中で、時計の秒針のような音がチッ、チッ、と響いている。もう、タンクのエアーは切れたはずだ……一刻ごとに絶望感が増すのを、必死で押さえ込む。絶対、助かる……助けて……
船に上がって、もうすぐ30分が経つ――本部の女性から、私達は一旦島に戻るように、と促されたが頑なに拒んだ。見つかるまでは絶対に船を降りるわけにはいかない。
夏場で透明度はやや低いとはいえ、腹が立つほど美しい色の海――表面は穏やかに見えても海の中は何が起こるかわからない。偉大な自然に魅了されてしまった私達に、時折こうして牙をむく。「畏怖」という言葉をどこか絵空事のように思ってはいなかったか……
二人と離れて、1時間が経とうとしていた――