(17)Back Say To
「大変美しいですね。レギュレターを外したほんの数十秒とのことですが、素晴らしい瞬間を捉えましたね」
「はいっ、モデルがいいもので」
ドッ、と笑いが起きるその中に、ヒュー、という冷やかしも。サクラちゃんは真っ赤になってうつむいたまま。
「バディの方ですか?」
「いえ、この日は違うんですがうちのスクール生で……あの、呼んでいいですか」
「ひっ」
皆が一斉にサクラちゃんに注目すると、司会の女性も気付いたようでにこやかに「どうぞ、是非」と手招きした。
「サクラちゃん、ほらっ」
「やっ、やだ」
「ほらぁ、サクラ、ええやん! いっといでよ。早く!」
周りに促され、私も調子に乗ってサクラちゃんを立ち上がらせると、拍手が起きた。サクラちゃんは観念したかのようにステージに上がった。
「まあ、かわいらしい方……写真とは印象がまた違いますね」
「本当に神様が味方してくれた一瞬でした。こんなすばらしい賞を頂いたのもひとえに彼女のお陰です」
「素敵ですね。スクールの生徒さんということですが、今後……」
「あのっ」
「はい?」
梶さんが、司会の手に合ったマイクを半ば強引に奪った。へっ、と思った瞬間、鼻先に火がついたようにボッ、と熱くなった。
「サクラちゃんっ」
「えっ」
ふあっ? まさかっ!
「ぼ、僕のっ、人生のバディになって下さいっっっ!!」
えええ――――――――!!!!! 会場が、大きな歓声に包まれる。
「なっ、え!? 梶さん!? え、ど、どういう」
びっくりしすぎて椅子から転げ落ちそうになった。隆志さんもポカーンとしている。
梶さんはマイクを置くと、賞品の水中カメラを両手でサクラちゃんに差し出し、うやうやしく膝まづいた。ちょっ、な、何が起きてるんだ! 何をあのオヤジは血迷ったんだ! こんなところでっ、サクラちゃんだって迷惑に決まってる! なにもこんな所で公開玉砕しなくても……
サクラちゃんは……顔を真っ赤にしたままだが、視線はしっかりと梶さんと見つめ合っていた。てっきり、やだぁ、と逃げ出すかと思っていたら……ゆっくりと、一歩前に踏み出す。司会の女性が慌ててマイクを拾い上げ、サクラちゃんの口元にそっと近付ける。
サクラちゃんが、きれいにネイルの施された白い手をそっと水中カメラに添えた。会場全体が固唾を飲むのがわかる。
えっ、えっ? まさか――!?
「……えっと……まずはお付き合いから……」
スピーカーから聞こえてきたのは、紛うことなきサクラちゃんのかわいい、か細い声だった。そしてそれは、一瞬にして会場の爆声にかき消されてしまったのだった――
*
なんという衝撃でしょう……エロおやじ、なんてもう気軽に言えなくなってしまったわ。
詳しいことを何も聞けないまま、お昼に配られたお弁当を持って消えて行ったサクラちゃんと梶さんは今頃何を話しているんだろう。
「隆志さん、何か知ってた……?」
「いや……何も。昨日の夜、あの二人ずっと一緒にいたやろ? そこで何か、あったんだろうけど。宿舎に帰ってくるのも遅かったし。男同士ってこういうこと話さんけんね。そっちは?」
「そう言えば……酔っててあんまり覚えてないけど、サクラちゃん……遅かった」
朝も、自分の事ばかりでサクラちゃんの変化には全く気付かなかった。でも思い返せば、今朝のサクラちゃんは優しく、包み込むような雰囲気だったような。
「何か、あったんやろうね」
「でしょうね……ははっ」
梶さん、頑張ったんだあ……なんだか胸の辺りがもじょもじょ、くすぐったい。そして、嬉しい。さっきはただびっくりして事態が飲み込めなかったけど、段々嬉しくなってきた。お腹の底から笑いが込み上げてきた。
「ははっ、どうしたミドリちゃん、急に笑い出して」
「ふふっ、くっ、ははっ……なんだか、嬉しくて。隆志さん、ちょっとだけ複雑じゃない?」
「え? いや、全然。俺も嬉しいよ、梶さんがサクラちゃん本気で好きなのはわかっとったけん」
ずっと隆志さんラブで、このフェスタの間に落とすんだと張り切ってたのが嘘みたい。
「女心は、わかりませんねえ……」
「ははっ、ミドリちゃんも女やん? 次はミドリちゃんの番、やな」
「ええっ……いや……もう、いいんです。彼の事は忘れます」
「ああ、昨日の夜大体の話は聞いたけど……当たって砕けたらいいやん。そしたら俺にもまた、梶さんみたいに挽回のチャンス」
「ないです」
「冷たいなあ! ははっ、そういうハッキリした所がいいよ。あ、でも昨日みたいに泣きながら自棄酒飲んでるのもなかなか良かったし」
「もうっ、からかわないで下さいよ」
隆志さんは、食べ終わった弁当をきれいに包みビニール袋の口をキュッと結ぶと、立ち上がって私の肩をポン、と叩いた。
「……年上だとか、距離があるとか、そんな気にせんでいいと思うよ。頑張れ」
隆志さんは、どこまでも清々しく真っ青な空を見上げながら去っていった。
ブーゲンビリアの影をすり抜ける風は、ラムネを思わせる。青々とした微かな香りと潮の匂いが弾けるようにうなじを撫でていく。
いいんだろうか。諦めなくても。
*
「あーっ、ほんま名残惜しいな……ええ所やったぁ」
マユミさんの声に、公民館を掃除しながら皆で頷く。
「たった3泊だったとは思えないですね」
「色々あったよねえ……最後の最後にサクラ爆弾、チェリーボム!」
「ちょっ、マユミさんそれ、あかんやつやーん」
皆の大爆笑にサクラちゃんが真っ赤な顔をして抗議する。
「もうっ、それやめてくださいよぉ!」
「アンタは最初っから最後まで……まあ、楽しませてもらったわ!」
サクラちゃんが梶さんとくっついたからか、隆志さんに纏わりついていた女の子達の態度も少し和らぎ、最後は全員笑顔で集合写真を撮った。即座に、LIMEのグループで回ってくる。
ねえ、いつか疲れた時は、ここで時間を忘れてのんびり、遊ぼう。誰かの言葉に、皆が「Good!」のスタンプを押す。
サクラちゃんは、私のもの言いたげな視線に、「好きになったの! いいでしょ?」と、頬を染めて笑って見せた。
いいも悪いも。最高やん?
*
フェリーのデッキにわらわらと出て行くと、埠頭に島の人達がたくさん集まっていた。実行委員を始め、公民館の職員さんや役所の人々、看護師さんに婦人会のおばちゃん達、漁師のおじちゃん。私は「あの人」の姿を探した。
既に色とりどりの紙テープが船から埠頭に向かって投げられていて、私も緑のテープを選んだ。夕陽が沈みかけ薄暗い埠頭の端の方に、あの小さいお婆ちゃんの姿が見えた。
「おばあちゃーん!」
なるべく近い所に……デッキの端に向かって走った。もう一度呼びかけると、私とわかったのかどうかわからないけれど手を挙げてくれた。
「いくよ! 受け取って!」
テープの端を持って思いっ切り投げる。おばあちゃんの頭上を越えて落ちたそれを、近くにいた女性が拾っておばあちゃんに渡してくれた。
「おばあちゃん、ありがとう! 楽しかった!」
私の事がわかったのだろう。ああ、とにっこり表情を変えゆっくりと手を振ってくれ、またおいで、と聞こえたような気がした。
地元の小学生と中学生8人が、「蛍の光」をリコーダーやトライアングルで演奏してくれなんだか涙が出てくる。たった数日のことなのに、この島と島の人達が大好きになっていた。
ゆっくりとフェリーが動き始め、色とりどりのテープが風を孕みながら伸びて行く。子供達が、灯台の所まで競うように走り、また来てね、と叫ぶ声に答える。
Back Say To: 麦星島――また、来るよ。絶対。
気忙しく時間に追われて過ごしていた私達にとって夢のような数日間を、ありがとう。島影が、夕闇に溶けていくのを、ずっと眺めていた。