(14)雷
昼間の熱を土砂降りの雨が奪っていく、その灼けた匂いを胸に吸い込む。久し振りにおぼえた恋は、きっとこのフェスタが終われば忘れてしまう、忘れられてしまう――それで、いいの翠莉?
簡単に答えは出た。友達からでもいい、ここで切れることだけは避けたい。次に会ったらせめてLIMEだけでも聞こう。
雨の音の中を、誰かの足音が近付く。もしかして、と胸が高鳴る。そうだ、あとで感想を聞きたいと言っていたからもしかして探しに来てくれたのかもしれない、などと都合のいい思考回路だ。足音とともに、バタバタ音がするのは傘に雨粒があたる音だろう――飛び出して行って知らない人だったらバカみたいだ、と女子トイレの入り口の壁際に立つ。その人は、傘を閉じるとトイレに入るでもなく建物の周りをぐるっと歩いた。
「ミドリちゃん、いる……?」
えっ……この声は。どうして……
「隆志さん……」
「やっぱり。戻れなくなったんじゃないかと思ってね」
待ち人とは違った。そうだよね、そんな都合のいいマンガみたいな事起るわけない。わざと明るい顔を作る。
「そぉなんですよ! 酔い覚ましに来たら急に土砂降りになっちゃって。すごいですね、スコールみたい……でも、なんでわかったんですか」
「あ、ああ……見てたから……」
うっ。一気に気まずい。
「あははっ、すみません、手のかかる生徒で」
「……うん……生徒、だけじゃないけどなあ……やっぱ、俺じゃダメ?」
「……」
「ははっ、しつこいか。往生際悪いな。まあ振られたからってあっさり諦められ……や、諦めんといけんって思うけど、なかなか、ね」
「そ、そうですか」
気まずい無言を、雨の音と遠雷がかき消す。隆志さんの手元には、傘は1本しかない……帰れば相合傘必至。止むまで待てばこの気まずさに耐えなければならないし、いつ止むのか全く見当が立たない。
「あ、あの、私止むまで待ってるんで……隆志さん、戻って、大丈夫ですから」
「こんなとこに女の子ひとり置いていけるわけないやろ。ほら、ミドリちゃんが傘使って。俺パーカーやし走るけん」
「いや、でも」
「大丈夫だから、ほら」
傘を押し付けられ、思わず受け取ってしまった。どうしよう。ここはやっぱり、じゃあ一緒に、と言うべきなんだろうか。うん、人間としてはそれが正しいと思うぞ、この状況なら仕方ないって。相合傘は意識しちゃうとかそんな中学生みたいなこと言うか、24にもなって。
どうせ待ってたってカイ君は来ない、約束したわけでもないんだし。それより戻った方が会える。
「じゃあ……あの、一緒に」
傘を広げた。恐らくホールの備品なのだろう、思っていた以上にその傘は小さかった。
「ほら、小さいやろ。1本しかなくてね……二人は無理っちゃ」
「じゃあせめてもう少し待ってみましょうよ、止むかも。ずぶ濡れになりますよ」
「俺はいいけん。年がら年中濡れてるし」
そう言いながらも、隆志さんは去る気配などなかった。それどころか、その場にしゃがみこんでしまった。傘を閉じ、空を見上げる。雷が近付いてきているのがわかる、光と音の間隔が段々近くなっていた。
「この前は……ごめん、いきなりキスして」
「えっ、ああ……はい」
「似とるんよ」
「えっ?」
「俺……ガキの頃やんちゃしとってさ。バカやけん、線路の中入って感電してさ」
「ひっ……よく生きてましたね」
「そう、生死の境をさまよったらしい。それで入院して……うちのクラスの委員長がさ……ああ、女子のね。クラス代表でお見舞いに来てくれたんやけど、泣きよるんよ。真面目な子でさ、それまでほとんど話した事なかったのに。それで……その後も時々お見舞い来てくれて。プリント持ってきて勉強教えてくれてさ……」
そんな話をする隆志さんは、まるでその頃の戻ったように少年みたいで、いつもの筋肉自慢のチャラい人には見えなかった。
「すぐ好きになったと。その子がね、ミドリちゃんに似てた」
「へえ……」
「真面目で面倒見がよくてさ。あんまり笑わんのやけど、笑ったら可愛くて」
「それで、その子とは?」
「それがさ、学校戻ったら目も合わせてくれん。今ならわかるんよ、恥ずかしかったんやって。その子の周りは皆真面目な子ばっかりで、俺みたいなのと仲良くしてたら変な目で見られたんやないかな。でも……なんかあって嫌われたと思ってさ。結局なんも言えんまま卒業」
「ああ、それで……後悔しないように、って」
「そう。死ぬ目に遭わんと言えんとか情けないんやけど。あ、でも身代わり告白とかやないけん、ホントに……きっかけはその子やったかもしれんけど。ミドリちゃんの事はちゃんと……あ、いや、こんなこと言われても困るよな、ごめん」
「や、……」
なんと返答すればいいのか。この話を聞いても身代わりだなんてことは思わなかったし、なんで私なんだ、と思ってた謎が解けてちょっとスッキリした。
「サクラちゃんはさ……いい子やと思うよ。まあでもなんていうか……俺なんかより、もっとストレートに可愛がってくれる男がいいんやないかな。俺、愛想はいいけど愛情表現は苦手やから」
「あ、それわかります」
「やろ? 自分が苦手やから、ストレートにこう、来られると引いてしまう。ミドリちゃんもそういうの言わなさそう」
「ははっ、うん、言えませんね」
……そうだな、カイ君も言わなさそう。
それからしばらく、隆志さんと恋愛の話をしてなんとなく感じていたギクシャクした気持ちは薄らいでいった。そしてつい、話の流れでカイ君の事も白状させられてしまった。
「まあでも福岡と熊本だし……そもそも彼女いるかどうかも知らないし」
「ちゃんと、後悔しないように。自信もっていいと思うよ」
隆志さん、結構いい人じゃん。友達だったらよかったんだけどな。
ピカッ、と辺り一面が昼間のように明るくなり、すぐに轟音が響き地面から振動が伝わってきた。
「ぎゃっ!」
「うっわ、すごかったな……」
その光の中に誰かがいたと思ったのは気のせいじゃなかった。
「おっと……じゃあ、俺戻る。いい報告、待ってるよ」
小さく「ガンバレ」と私の肩を叩き立ち上がり、パーカーのフードを被って雨の中へ出ると隆志さんは「その人」とすれ違い様に何か声をかけたようだ。
「やっぱり、ここにいた」
黒っぽい傘をたたみながら、軒下に立つ私の隣に並ぶようにカイ君が立つ。
「……今、何て言われたの」
「あんまり遅くならんように、って……」
何かをごまかすようにハハッ、と浅く笑った。ビカッビカッ、と雷が光り、ドォン、パリパリ……と空気を引き裂く振動が二人の前髪を揺らす。こういう時、サクラちゃんみたいな子はきっとキャー、こわぁい、とか言うんだろうけど、あいにく雷はわくわくするタイプ……演技したってかわいくもなんともないことは知っている、さっきすごく近くに落ちた時も「ぎゃあっ」って……ああ、女子力……
空を見上げふっ、とついた溜息を合図のようにカイ君が私の顔を見た。
「ケーキ、どうでした?」
「あ、うん! すっごくおいしかった……あの、カカオの苦味が好きでね。フランボワーズの酸味とのバランス、絶妙だったぁ……スポンジもほら、下がしっとり上がふんわりで!」
思い出しただけでもうっとりする。
「そう、それ。よかった、伝わってて」
「あ、でもごめん、他の二つ食べそびれちゃった……すぐ戻るつもりだったのになあ」
皆に冷やかされて、取りに行くタイミングを失ってしまっていた。
「ですよね……さすがにブリュレは持ってこられなかったけど」
目の前に差し出されたカイ君の大きな手には、ラップに包まれたフルーツタルトが乗っていた。
「えっ、わ、嬉しい!」
「ああ、でもこんな所で……嫌ですよね、戻りますか?」
そうだ、ここは外のトイレだ。小奇麗にされているとはいえカイ君だってこんなところで食べてほしくはないだろう。私達はどちらからともなく、傘を広げ歩き始めた。