(13)降る
料理がずらっと並ぶカウンターに来る。めちゃくちゃに意識しまくってるくせに、わざとカイ君からは遠い所にある料理をちょこちょこと皿に載せていく。チラッと盗み見ると、ケーキをお客さんにサーブしているところだった。緊張しているのか、笑顔はない。あー、笑顔も好きなんだけど、こういう真剣な顔がすごくいい……右手と右足が同時に出るくらいの勢いでガチガチに意識しながら、少しずつ彼の方へと近づいていった。
「お疲れ、様です」
「楽しんでますか」
微笑みを浮かべ、半袖の真っ白な調理服を着たカイ君は、私にとっては眩しくてたまらない。まともに顔を見る事ができなくて、ずらっと並べられたケーキに視線を落とす。
「う、うん。ええと、ケーキ、頂こうかな」
「はい、こちらがフルーツタルト。こっちがフランボワーズショコラケーキ、クレームブリュレはここで表面を焼きます。どれからいきますか?」
「うわ、迷う」
「じゃあ、ショコラ。ケーキ全体を3人でやったんだけど、これはオレ……自分が主に担当しました」
「へぇ……フランボワーズ、好き」
「良かったです。あ、あと15分したらここの当番終わりなんで感想聞きに行きます」
小さめのお皿に、立方体のそのケーキを置いて渡してくれた。切り口から、赤紫のソースがとろりと垂れている。
「うん、じゃああとで」
本当はもっと話したかったけれど、他のお客さんが来たので離れた。そのまま何も考えずテーブルに戻ろうとして、ハッとサクラちゃんと梶さんの事を思い出し、女性陣がかたまっていたテーブルについた。皆ともすっかり仲良くなって、連絡先も交換したし全国に友達ができて嬉しい。ケーキの話をすると、皆こぞって席を立っていった。さすが女子、ビール飲みながらスイーツ食べる人もいる。
サクラちゃんと梶さんは、あれからも二人で話しているようだ。よしよし。サクラちゃんはもう落ち着いたのかなあ? いい雰囲気になっちゃったり……はないか、昨日の今日でさすがにサクラちゃんも切り替えられないだろうし。
でも梶さんには頑張ってほしい、ってこの旅でちょっと思った。ちょっとね。エロオヤジ発言はもう止めた方がいいぞ。
カイ君の作ったフランボワーズショコラケーキを、携帯カメラで撮る。うん、シンプルで実直、カイ君みたい。口に含むと、ふわっとした上のスポンジとしっとりした下のスポンジ、甘さ控えめでほろ苦く香ばしい香りが鼻を抜け甘酸っぱいソースが舌を満足させる。ああ……幸せ……
「ミドリ、ケーキめっちゃおいしいなあ! 彼、何者なん?」
マユミさんが3種類をお皿に乗せ、順番に一口ずつ幸せそうに頬張る。
「何者、って」
「前から知ってたん?」
「いえ、今回初めて……芦木原 櫂君っていって、22歳で、本当は和食が得意らしいですよ。あとは……」
あれっ……家庭の事情はともかく、それ以上の事を知らないんだなあ……LIMEだって交換してない。
「かっこええやん。サクラが言うてたよ、彼はミドリに熱上げてるって。付き合っちゃえ」
「ええっ! そんなこと……なに言ってるんですか、マユミさん!」
周りでニヤニヤしながら聞いていた女性陣からヒュー、なんて冷やかしの口笛が湧き上がる。恥ずかしいっ、やめてぇっ!
ええやん、まだあんたら若いんやし。そうそう、だめなら別れればいいんだからさ。ミドリさんお似合いですよぉ、料理上手の彼氏とか最高じゃん、なんて勝手な事言って盛り上がってくれちゃって。昔から恋バナとか苦手なんだってば。しかもその話の中心が自分だなんて耐えられないっ。
逃げるようにテラスへ出る。昼間のさわやかな風から一転、湿気を含んだ風がまとわりついた。天気が悪くなってきているのか、空は曇天だ。ザアアッ、と風が渡るのが周りの木々でわかる。
ふと歓声が沸き起こった。会場を振り返ると写真家の村中さんとニコールさんが姿を現し、それを皆が拍手で迎えていたところだった。途端ににぎやかになり、なんとなく会場に戻る機会を逃した気になってぼんやりとその様子をみつめていた。彼らが席に着くと数名が遠慮がちにサインをお願いし、それをきっかけにジリジリと皆が近付いていく様子が、ここから見ているとよくわかってちょっと面白い。まあ私はあんなすごい方々とカメラ談義できるほどの腕はないし、サインとかもあまり興味ないからいいや。
最初のビール2杯が膀胱に効いてきた……建物の中にももちろんトイレはあるのだが、ふとカイ君とばったり会った外のトイレに行ってみたくなった。ブッフェを振り返ると、カイ君はまだケーキをサーブしている。テラスの階段を下り、ハイビスカスの垣根沿いに歩いていると、あの時の事を思い出し自然に顔が火照る。何があったというわけでもない。ただ、手をつないで歩いてきれいな景色を見ながらちょっと話をしただけ。それなのに、どうしてこんなに惹かれてしまったんだろう……単純すぎないか? 男に免疫ないにもほどがある――いや、まてよ。だったら隆志さんのこと好きになってもおかしくないわけじゃん、キスまでしたんだから。でも違う……だから、単純じゃない、うん。
ゴロゴロ、ゴロ……遠雷が響く。時折雲の中を光が走る。微かに湿った土のようなにおい……もうすぐ雨が降る、と思った途端、頬にぽつり、と雨粒が落ちた。しまったな、外になんて出なければよかった。1歩、2歩、と歩く間にもポツポツ、ボタリ、ボタボタッ――こういう時、人間はどうして「戻る」ことを選ばないのだろう。実際、ホールよりもトイレの方が近かった。走り込んで、びしょ濡れにはならずにすんだ。
用を済ませ手を洗い……あ、またタオル忘れてる。バッグに入れて椅子の上に置いてきちゃった……携帯も。仕方ない、もうちょっと止むまで待とう。
ドーッ、とバケツの水をひっくり返したような雨。南国のスコールってこんな感じなのかな。いいなあ、行ってみたい……サイパンやセブ島、モルディブ……グレートバリアリーフ。「夢」かぁ……夢なんて言葉使ったの高校生のとき以来かも。
将来の夢は、と言えば「職業」のことだったけど、普通のOLになったら夢もクソもない。大学を出て今まで2年半、ただ日々が過ぎればいい、と思っていた。ダイビングは辛うじて、自分からやってみたいと思ったから。機材のローン組んだら少しでも仕事やる気になるかな、って。事務だし給料は変わらないけど、それでもちょっとだけ「やり甲斐」は見出せた。それに仕事関係以外の人と話すのは楽しかったし、気分転換にもなる。人とちょっと違う趣味があることに優越感のようなものも感じていた。
でもそれは自分の中ではあくまでも「趣味」で……それに「夢」なんて持つのは贅沢、というか夢に向かって頑張ってる人に失礼かな、なんて思っていたけど。カイ君に言われて、ほわん、と開放された気がする――まるで、力を抜いて海に身を委ねて、浮くでもなく沈むでもなく漂いながら差し込んでくる光を浴びた時のような「リセット感」。
いいんだ、って。
今までの私は、カイ君みたいに親に勘当されてまでも叶えたい夢のために大学辞めて料理の道へ進むような人生を、大変だねえ、頑張ってるねえ、私にはとても真似できないや、すごいね、と生ぬるい湯に浸かって遠巻きに見ているような人間だった。でも、違うんだ。そうやって生きている私の方が、肩肘張って自分の枠の中に一生懸命色んなものを押し込めてただけなんじゃないかな、って。
だから……仕事だろうが、趣味だろうが「夢」持ってもいいんだ、って。そう教えてくれたカイ君に、ふわり、包まれたような気がして心地よかった。自分を押し込めていた枠を、取っ払ってくれた。
カイ君に会いたい。夜が明けるまで語り合いたい、カイ君の事もっと知りたいよ。