(1)上陸!
本当にここは日本? ――真夏の日差しなのにカラッとしたさわやかな風、濃い空、透き通る海はやや遠浅で様々なブルーのグラデーションを見せてくれる。あの中へ潜るんだ、と思うだけで胸が高鳴る!
一人のスタッフらしき女性が、先にフェリーを降りたサクラちゃんに駆け寄って来たのが見えた。お互いペコペコとお辞儀合戦だ。
「女性は公民館に泊まるんだってー!」
サクラちゃんが屈託のない声で私を手招きする。スクーバダイビングの機材が重くて一瞬よろけそうになるけれど、そんな憂いなど吹き飛んでしまう程、この島は魅力的だ。
「こんにちはー、ようこそー、麦星島へいらっしゃいましたー」
語尾をのんびり伸ばす現地の方の話し方にも癒される。ばくせいとう、という名前だが「ばっくしぇいとぅー」と聞こえる。思わず英語に変換、Back Say To?
ワゴン車に荷物を詰め込み10分も走らないうちに、と言ってもものすごーくゆーっくり走ってそれくらいだったのだが、海岸線にある真新しい建物の前に着いた。
「ここの公民館、できたばかりで新しいからー、きれいですよー」
案内されて入ると、既に部屋の中には10名位の女性がいた。年齢は様々だが、皆一様に日焼けした顔で一斉にこちらを見る。
「福岡のーダイビングスクール、ブルードアのお二人来られましたー」
スタッフの女性が大きな声で言うと、一斉にこんにちはー、と挨拶が飛んできた。
「よろしくお願いします! ブルードアの端谷 翠莉です!」
「同じく、遠矢 サクラです!」
ニカッと笑うと、皆も白い歯を見せ笑ってくれて「よろしくー」と飛び交った。
女性とはコミュニケーションの生き物だとつくづく思う。共通の話題があるなら尚更だ、夕飯の時間までには、もう皆と打ち解けていた。九州はもちろん、遠くは北海道まで色んな所から集まってきていて、思っていたよりは全国的に有名なフェスティバルなのだと知った。九州に住んでいるとよくわからない。
ワゴン車3台が迎えに来て夕食の会場まで行くと、想像していたよりはるかに豪華な料理がバイキング形式に並んでいた。熊本の調理専門学校の学生さん達が研修を兼ねてこの3日間腕を振るってくれるそうだ。
「ああ、翠莉ちゃん、サクラちゃん、どう? 公民館は」
「あーっ、隆志さぁん! 綺麗ですよ、もう皆と仲良くなっちゃった! 男性の方はどうですか?」
サクラちゃんは、この私達のスクールスタッフ隆志さんのことが好きで、この3日間で何とかしたいと思っているから協力してね、と昨日フェリーで寝る前に聞いた。好きな事はバレバレだったし、まあ、うん、お似合いかと。いいいんじゃない? サクラちゃんはちょっと小柄で女の子らしい明るさがあって、可愛い。男の人って大抵こういう子が好きだよね。
隆志さんは普通にかっこいいと思う、普通に。普通って何だよ、って聞かれたらまあ、可もなく不可もなく、だ。ちょっと癖のある赤茶色の髪をなびかせて、服のセンスもいい。接客業だから笑顔もさわやかだし身体は鍛えられていて、若干筋肉自慢なのが私にとってはちょっとなんかアレ。家で鏡ばっか見てんだろーな、とか思う。ダイビング行っててもやたら脱ぎたがる。
「おーい、サクラちゃん達、こっちこっち」
声の方を見ると、うちのイントラ梶さんが手を振っている。真っ黒に焼けたバツイチのこのオヤジこそ、サクラちゃんをとても気に入っているが年齢差もあるし、サクラちゃんが隆志さんに夢中なのも知っていて、まあ若いもん同士の方がよかろう、と諦め気味だ。
そんな事情なので、今回も何となく私が梶さんとペアになるようになっている。まあ、悪い人じゃないんだけど、下ネタ好きなのがちょっとヤダ。こっちの反応を見て楽しみたいんだろうけど、結局どう反応したってイジられるんだから。
案の定、胸が大きくて露出度の高い女性を見つけてはニヤニヤ眺めながら、E、いやFくらいありそうやな、などほざいている。すんませんね、鑑賞に耐え得るものを持ってなくて。チッ。
ステージでは現地の方が伝統の踊りを披露してくれたり、民謡を聴かせてくれたり、ちょっとした前夜祭だった。
明日は午前中ダイビングして写真を撮り、3日目にはそのフォトコンテストもある、これが今回のメイン。午後は水中写真家の講演や、スクーバダイビングが好きで有名な芸能人のトークライブもあるそうだ。
「翠莉ちゃん、ビールは?」
隆志さんが空いた紙コップを持って立ちあがった。
「いや、もういいです、潜る前の日はあんまり……減圧症怖いんで」
「ははっ、そっか。まあ、あんまり深い所には潜らんと思うけどね……俺もやめとこ、お茶もらってくるけん」
「ありがとうございます」
スタッフだから、とかではなく普段の様子を見ていてもよく気の利く男だ。客商売に向いてるんだろうな、羨ましい。私はどちらかというと勢いで進むので時には周りを置いてけぼりにしてしまい、反感を買うこともある。気配りなどという言葉とは縁遠い。
サクラちゃんはそんな隆志さんを優しいんよね、とうっとり眺めている。たまたまスクールが同時入校で何度か会ううちに何故か懐かれて、今回このフェスティバルもどうしても行きたいから一緒に来て! と懇願されたのだった。ちなみに年齢も同じ24歳。どう見ても私の方が老け……お姉さん。サクラちゃんならまだ女子高生の制服着ても許されそう。いろんな意味で。
お腹も満足した頃、調理専門学校の学生さんが数名厨房から出て来た。今回研修を兼ねて来ているので、良かったら感想を聞かせてください、とアナウンスがあった。私達のテーブルには男女二人が来てペコリと礼をすると、すらっと背の高い男の子が梶さんに感想を聞きはじめた。女の子はその横でメモを取っている。
「ええ……女性の方はいかがでしたか」
少し照れくさそうに聞くのがかわいいな、二十歳くらいかなあ。大体ダイビング関係の男性はチャラッチャラしたのが多いので、真っ黒な短髪と、短か過ぎる爪に白い手が清潔感に溢れていて新鮮だった。
「サラダのドレッシングが種類たくさんあって嬉しかったです、どれも美味しかったし」
すると女の子の方がパアッと顔を輝かせた。
「あのっ、私の担当だったんです、ドレッシング! 嬉しい!」
良かった、ああ、あれ市販品です、とか言われなくて。
「私はデザートがどれもおいしくって……やだ、太っちゃったかな?」
サクラちゃんが言うとどうしてこう、可愛らしくイヤミがないんだろうか。女子力ってこういう時に滲み出るもの?
「ありがとうございます、担当に申し伝えます」
「君は何を担当したの?」
「あ、はい、自分はカルパッチョです」
「鯛とサーモン? 両方?」
「はい、ソースも作りました」
「えー、すっごく美味しかった! 鯛の方はオリーブオイルの香りがパアッと立って……甘みが良く出てたよねえ……サーモンは脂がのってたからあっさり目で胡椒効いてて、よかったあ……」
うっとりとあの味を思い出し、口の中にまた唾液が出て来た。外食すると自分で作ろうと、何が入っているのかつい色々探ってしまうのだ。
「本当ですか! よくお分かりですね、その通りなんです! うわ、嬉しいなあ……」
喜んでる顔が可愛い。あー、弟を思い出すなあ……生きてんのか、アイツ。ぜんっぜん連絡ないけど。小さい頃は可愛かったのに。
二人は深々と礼をして去って行きながら、ハイタッチをして嬉しそうだった。いいなあ、若いって。