第8話 異世界少女、高校へ行く
手にしていたゴミ袋を置いて、開けた下駄箱へ上履きを入れる。
代わりに革靴を取り出して地面へ置いた俺は、そのままつっかけるようにしてそれを履いた。
「あれっ。松浜、もう帰んの? 珍しいじゃん」
トントンと靴先で履きならしていると、後ろから同じクラスの戸田がランニングシューズを手に声を掛けてきた。
「違うって。ゴミ当番だよ、ゴミ当番」
「あー、そいつはご苦労さん」
「戸田は部活か?」
「うん。そろそろ部内の記録会も近いから」
ジャージ姿の戸田は、いつでも走れるとばかりの臨戦態勢。俺よりいくぶんか背が小さくて童顔な戸田は、陸上部で日々長距離を走り続けている頑張り屋だ。
「戸田こそご苦労さん。今度、報道部がそっちへ取材に行くらしいぞ」
「えー」
「そう嫌がるなって」
「だって、面倒なんだもん」
「あっちも仕事だから、それは仕方ないな」
放送部と報道部。響きはよく似ていても、校内放送とラジオ番組制作が主なウチら放送部と校内の出来事を記録していく報道部とでは活動内容がかなり違う。それでも、部室が近いっていうこともあってある程度の情報交換はしていた。
「それはそうだけどさー……よっと。んじゃ、そろそろ行くね」
「おう」
俺が相づちを打つと、ランニングシューズを履き終わった戸田は俺の横をするりと抜けて元気よく昇降口を出ていった。放課後すぐだから人混みもなく、その後ろ姿はあっという間に視界から消えていった。
「んじゃ、俺も行きますかね」
地面に置いた革靴を履いて、ゆっくりと昇降口を出る。ゴールデンウイーク真っ只中とはいっても、今日は合間の平日。放課後の昇降口は、多くのおしゃべりであふれている。
一昨日はルティと出会って、昨日はルティと実況の見学へ。それでもって、今日はラジオドラマの収録の見学。登校日の今日は、ルティと赤坂先輩が学校へ訪問することになっていた。
昇降口を抜けて体育館への渡り廊下を横切れば、生徒用の自転車置き場に出る。そこを曲がって校庭のほうへ行くと、校内専用のゴミ集積場が見えてきた。その一角にかかっている網をどかして、ゴミ袋を置いてからもう一度網をかけなおす。帰り際に出来ることだから楽っちゃ楽ではあるけど、部活がある身としてはなかなかめんどくさい。
「松浜せんぱいっ」
「ん?」
声がした方を向くと、有楽がぱたぱたとこっちへ走っていた。昨日や一昨日と違って、今日は当然ながら学校から指定されている紺のブレザー姿だ。
「おう、どうした」
「赤坂せんぱいとルティちゃん、見ませんでした?」
「見てないぞ。まだ来てないのか?」
「ふぅ……はい」
軽く上がっていた息を深呼吸で立て直そうとして、有楽のポニーテールがゆらゆらと揺れる。
「授業が終わってすぐに正門へ行ったんですけど、なかなか来ないんです。自転車口かなーとも思って行ってみても、そっちにも来てないみたいで」
「あー、有楽よ」
「はい?」
心底心配そうな有楽に、俺は呆れながらも尋ねることにした。
「放送室と部室は行ったか?」
「いえ、直接正門に行きました」
「あのな、赤坂先輩はここの卒業生だよな?」
「そうですね」
「卒業生ってことは、わざわざ放課後に来なくても事務室に行けば入れるよな?」
「……あっ」
「放課後前に来たかもってことは、考えつかなかったのか」
「行きましょう、せんぱいっ!」
「あっ、コラッ! 走るなっ!」
最後の問いかけに答えることなく、有楽は弾かれるように昇降口のほうへ駆けて行った。あいつ、ルティが来てからポンコツに拍車がかかってるよな!?
仕方なく早足で昇降口へ行けば、すれ違いざまに同級生たちが「相方なら走っていったぞー」とからかうように言ってきやがる。まったく、いらん恥まで増やしやがって!
「おいっ、有楽!」
あわてて2階の放送室に飛び込むと、スタジオへ繋がる通路に突っ立っている有楽の姿があった。
「お前なあっ!」
「せ、せんぱい」
「ごまかすなっ」
「ちがいますってば! あれっ、あれっ!」
「あれ?」
仕方なく、泡を食ったようにあわてる有楽が指さした方を見てみたら、
「はあっ!?」
なんでルティがヘッドホンをつけて、その上マイクに向かってるんだよ!
「あっ、鍵かけてやがる!」
スタジオに入ろうとしても、ドアノブはびくともしない。そんな俺の間抜けな姿を見てか、防音用の分厚い窓ガラスの向こうにいる部長と副部長……桜木ブラザーズの姉は大胆不敵に、弟はニヤニヤと俺たちのことを眺めていた。
「入れて下さいっ! おねがいしますよぅ!」
その分厚い窓を、有楽がカリカリとひっかこうとする。まるで、おあずけ状態の猫みたいだ。
一方ルティは、気持ちよさそうに歌っているようで体をゆらゆら揺らしたり、大きく身振りをしている最中。その上目を閉じていて、俺たちのことにはまるで気付いていない。赤坂先輩も、そんなルティをスタジオの向こうの調整室で微笑ましそうに見ていた。
「これ、ルティが歌い終わるまで入れる気はないな」
「そんなぁ……」
「有楽、昨日七海先輩に電話したときはどうだったんだ?」
「普通でしたよ。あたしが見初めた子を連れてくるの、楽しみにしてるって」
相変わらず窓をかりかりとかきながら、有楽が諦めきれなさそうに口をとがらせる。うーん、それくらいだったら別に変わったところは――
「あと、『なーにしよっかなー』って」
「それ普通じゃねえし!?」
「だって、部活中にもよく言ってるじゃないですか」
「あの人の『なーにしよっかなー』は企んでるサインなんだよ!」
「ええっ!?」
「それで何度校内が激動したことか……」
『体育祭の部活対抗レース談合盗聴事件』とか『桜木姉弟入れ替わり潜入実況録音事件』とか『オールアドリブ姉弟恋愛モノ生ラジオドラマ事件』とか、桜木ブラザーズがそのひとことからやらかしたことは挙げても挙げてもキリがない。今俺らがいる場所で、先生や他の部の人たちが必死にドアや窓を叩く姿なんてザラに見て来た。
もうどうしようもないと思いつつため息を吐いてると、歌い終わったらしいルティが満足そうに笑ってモニターヘッドホンを外した。
「ルティちゃん、ルティちゃん」
それに気付いた有楽がこつこつと窓ガラスを叩くと、ルティもこっちに気付いてぶんぶんと手を振った。と、それと同時に分厚いドアの鍵ががちゃりと音を立てて開く。
「ふっふっふっ」
「七海先輩……」
「七海せんぱいっ、ずるいですよ!」
続いて開いたドアの向こうには、いつの間にかドアの影に潜んでいたらしい桜木ブラザーズの姉・桜木七海先輩の姿が。俺たちの非難の声もどこ吹く風か、日頃からキリッとしている眉をさらにつり上げて邪悪な笑みを浮かべている。
「すまないね。エルティシアくんの初めての歌声は、ボクらがもらってやったよ」
「ごめんねー。姉さん、こうって言ったら聞かない人だから」
その後ろから現れたのは、ほとんど同じつくりの顔でほんわかと笑っている桜木ブラザーズの弟・桜木空也先輩。しかし俺は知っている。この笑顔は巧妙に作られた仮面だってことを。
「でも、わざわざ俺たちを締め出さなくてもいいじゃないですか」
「君たちはルティ君の初めての声を独占した。だから、ボクがルティ君の初めての歌声を独占してもいいではないか」
「そんなの乱暴ですっ!」
「まあまあ。神奈君も佐助君も、そう怒らずに入りたまえ」
あくまでも余裕綽々な七海先輩に呆れつつ、促されてスタジオへ。俺の後に入った有楽は一目散にルティへ駆け寄ると、ぎゅっと抱きついて「はなせー!」とわめかれていた。
「ごめんなさい。七海ちゃんがルティさんに『歌を録ってみないか』って聞いて、やるって言ったら突然鍵を閉めちゃって」
「録音の最中に君たちが扉を開けてしまえば、ノイズになってしまうからね。気持ちよく歌ってもらうために閉めたんだ」
「なんだ、そんなことでしたか」
手を合わせて謝ってきた赤坂先輩に、七海先輩が補足の説明を加える。背は高い方な赤坂先輩と並ぶと、七海先輩はさらに高め。というか、俺よりも高い上に腕を組んでいたり、ゆったりと腰に手を当てていたりするから結構威圧感がある。
「あとは、ボクたちが独占したら面白いかなぁっていうのもほんの50パーセントぐらいはあった」
「やっぱりそうじゃないですか! つーか割合でかっ!」
「はっはっはっ」
「姉さん、昨日神奈ちゃんから電話をもらってからずっとうずうずしててね。放課後すぐにここへ飛び込んできたよ」
「そういう空也だって、自習を途中で抜けて来てたじゃないか」
「僕も結構楽しみにしてたんだ」
「やっぱりあんたら双子っすよ」
「「お褒めにあずかり光栄の至り」」
「褒めてねえっての」
悪びれることなく、空也先輩が七海先輩と並んで笑ってみせた。二人とも短めの髪だから、中性的にも見えるしウイッグをつければ女性的に……というか、実際よくそれで入れ替わりとかやってるんだから本当にタチが悪い。
俺が若葉南高に入学して以来、桜木ブラザーズからは毎日ずっとこんな感じでからかわれたり遊ばれたりしている。先輩がやらかしたことの後始末をさせられたのも、十や二十じゃ利かない。それでも、このふたりが巻き起こすことが楽しくて放送部から離れられずにいた。
「それじゃあ、佐助君と神奈君にもルティ君の歌声を聴いてもらおうか。神奈君、そろそろルティ君を解放した方がいいんじゃないかな」
「んー……わかりました。ちょっとはルティちゃん成分が補充できたかな」
抱きついていた有楽が腕をそっとほどくと、ルティが力なく俺のほうへよろめいてきた。
「はぁっ、はぁっ……た、助かった」
「大丈夫か?」
「うむ、少々息苦しかっただけだ」
息を整えてから、ぴんっと背筋を伸ばして俺を見上げる。その服装は、一昨日と同じ紅いブレザー姿に見えてちょっと違うところがあった。
「今日は、あの紋章はつけてないのな」
「うむ。大事なものだから、ピピナが預かると言ってな」
「そっか」
まわりを見ても、確かにあのチビ妖精の姿はない。もし姿を見せていたとしたら、確実に桜木ブラザーズの餌食になっていただろう。
「準備できたよー」
PCで作業をしていた赤坂先輩が声を掛けてきたことで、わいわいと騒いでいたスタジオの中が静まる。それを見計らうようにして、天井に組み込まれたひと組のスピーカーから初めて聴く歌声が流れだした。
耳に届くのは、ルティ独特の凛とした声。その声は日本語でも、英語でも、俺が知っているような言語でもない不思議な言葉で綴られていて、時に静かに、時に力強く変化していく。
録音を担当した当の七海先輩と空也先輩は腕を組んで聴き入っていて、赤坂先輩はにこやかに聴いている。有楽も意外と静かに聴き入っていて、俺は隣で目を輝かせて聴いているルティの横顔を見ながらその歌声を聴いていた。
どこか現実離れしている歌声だけど、その歌声は確かにルティのもの。上手いか下手かで言えば、正直どっちとも言えない。時々調子が外れたりもするし、ただ感情にまかせて歌っているところもある。それでも、さっきまでルティがマイクに向かってこれを歌っていたのかと思うと、自然と頬が緩んできた。
楽しんで歌っているのが、めいっぱい伝わってくる歌声だから。
やがて終わりに差し掛かったのか、ゆったりとしたテンポで優しいメロディーが歌い上げられていく。最後、伸びやかな歌声は霞むように消えて、スタジオが静けさに支配される。
「うむ、実にいい」
それを破るように、七海先輩が大きくうなずいた。
「一昨日瑠依子先輩の番組を聴いて、昨日神奈君から電話があってからもっと声を聴いてみたいと思っていたが、実に楽しげでよかった」
「そうだね、今までに聴いたことがない歌声でさ。今のは、どんな歌なのかな?」
「我の国で秋にある収穫祭の、豊穣を祝う歌だ。女衆が皆で歌うことになっていてな」
「ヨーロッパのある地方の歌なのよね」
空也先輩の質問に答えたルティの言葉を、赤坂先輩が補う。これは昨日有楽も交えて決めたことで、他の人にルティのことを聞かれた場合は「ヨーロッパの出身」で、さらに詳しく踏み込んでこられたら赤坂先輩にゆかりのある「ポーランドのほう」と答えることにした。
直接目の当たりにした俺らはいいにしても、初対面の人に「異世界出身です」と言ったところで「何言ってんだこいつ」と思われるのは目に見えてるからな。
「だから、喜びにあふれた歌だったのか」
「わかるのか?」
「歌うルティ君の表情からよくわかるよ。録音したのを聴いていても、さっきの歌う姿が浮かんでくるほどにね」
「我の歌声をそう評してくれたのは、ナナミが初めてだ」
七海先輩の評に、安心したようにルティが笑みをもらす。
「よーしっ、もらった! ルティちゃんからパワーいっぱいもらった!」
「ついさっきまで、悲しそうに窓をひっかいてたとは思えない元気さだね」
「空也先輩たちのせいですよっ」
有楽はというと、気合充填十二分といった勢いを空也先輩にからかわれていた。空也先輩、本当にこういうポジションが好きだよな。
「サスケ、サスケ」
「ん?」
そんな二人を眺めていたら、ルティが俺のブレザーの裾をくいっと引っ張ってきた。
「サスケは、我の歌声はどうだった?」
言われてみれば、ちゃんと口にしてなかったか。
「いい歌だった。俺まで楽しくなれたよ」
「そうか、サスケも楽しかったか」
えっへんと胸を張って、ルティが満足そうに笑う。どうやら、ルティ自身にとっても会心の出来だったみたいだ。
「それでは諸君。ルティ君から良い刺激をもらったところで、そろそろラジオドラマの収録のほうに入ろうじゃないか」
ルティの歌声で盛り上がっていた俺たちを、七海先輩がパンパンと手を叩いて制する。
「空也と神奈君は、ボクとここで打ち合わせ」
「おっけー」
「らじゃ!」
「佐助君は、調整室で機材のチェックと収録の準備を頼む。瑠依子先輩とルティ君も、調整室で見学をお願いします」
「了解っす」
「わかりました」
「わかった」
促された俺たちは、先輩に言われたそれぞれの持ち場で準備を始めた。
スタジオの奥にある調整室は、入口と同じ防音処理が施された分厚いドアと壁で隔てられている。ドアを閉めれば一旦はスタジオの音が聞こえなくなるけど、スイッチを入れればスタジオ内の音がスピーカーから流れて、スタジオにいる役者陣の集中力を削がずに様子がわかる仕組みになっていた。
「ここには、様々な機械があるのだな」
「触ったら危険だから気をつけろよ」
「心配するな。我とて下手なことはせぬ」
音響用のミキサーやデスクトップPCを興味深そうに眺めるルティに釘を刺すと、わかってるとばかりにぷくーっと頬をふくらませた。
「これが〈みきさー〉で、こっちが〈ぱそこん〉であろう?」
「お、よく知ってんな」
「昨日、帰ってからルイコ嬢が予習ということで教えてくれたのだ。これで音や文字などを操るのだと聞いた」
「お夕飯を食べてから時間があったし、学校のこととかを含めてルティさんに説明しておいたの」
「うむ」
「そういうことでしたか」
まるで生徒と先生のように、ルティと赤坂先輩が目を合わせて笑う。ふたりともすっかり打ち解けていて、安心して見ていられる並びだ。
「そういや、ルティのところにも学校ってあるのか?」
「当然だとも。ここまで大きくはないが、国が運営しているものと、地元の学士が私的に運営しているものがある」
「じゃあ、ルティもどこかの学校に通ってるわけだ」
「我の場合は……そうだな、家で学士についてもらっているとも言うべきか」
「専属の先生ですか」
「はい。昨日のルイコ嬢と同じように、つきっきりで様々なことを教えて頂いております」
「ということは、ルティって結構いいところのお嬢様だったりして」
「そのようなものではない。家の方針でそうしているだけだ」
「お、おう、すまん」
俺を見上げて、ルティが口をとがらせる。でも、さっき釘を刺したときとは違って拗ねるというよりは怒っているような感じだった。
「しかし、〈らじおきょく〉のような場所が学校にあるのも面白い」
「学校からの大事なお知らせを伝えるときに、ここを使うんです。お昼休みには音楽を流したり、学校のみんなからのメール……えっと、お手紙を募集して、それを読んだりもするんですよ」
「まるで〈らじお〉のようですね。サスケも、それはやったことがあるのか?」
「えっ? あ、いや、俺はまだだな」
あっという間に機嫌を直したらしいルティに内心ホッとしながら、首を横に振る。
「校内放送は、基本的に3年生がやることになってるんだ。だから、そういうのは七海先輩とか空也先輩たちの仕事だな」
「ふむ。ナナミとクウヤの放送も、是非聴いてみたいものだ」
「あー、うん。今の先輩たちのだったら、いいかな……?」
わかばシティFMから校内放送に舞台を移したとたん、先輩たちの放送はウソみたいに大人しくなった。かといってふたりの本質が変わったわけじゃなく『やりたいことはもっとある』と、別のことに力を注ぎ始めたからだけど。
「そのナナミたちだが、向こうでどのような打ち合わせをしているのだ?」
「台本の読み合わせだな。この後録音……えっと、音を録るまえに一度台詞とかを確認して、どんな風に演じるかを擦り合わせるんだ」
「ほほう。それで、サスケは録る役目というわけか」
「そして、私が音を調整する役目です」
「ほわっ!?」
後ろからの声とルティの叫びに驚いて振り向くと、そこには俺と同じ2年生でもうひとりの放送部員がタブレットPCを手に座っていた。
「な、中瀬、いたのか」
「いたのか、ではありません。さっきからずっとここにいました」
「サスケの陰にいて気付かなかったぞ……」
「失礼ですね、あなた」
普段無表情な放送部員――中瀬が、むっとしたように反論する。
「申し訳ない。今のは、我の失言であった」
「わかればいいのです」
「……そなた、なかなか偉そうだな」
「調整室の主ですから」
実際偉そうな中瀬の言葉に、困惑したルティが俺に目を向けた。
「あー、こいつは『中瀬海晴』。放送部の技術担当で、機材を整備したり音を調整したりするんだ」
「どうも。みはるんとでも呼んでください」
「わ、我はエルティシア。エルティシア・ライナ=ディ・レンドというが……みはるんとな?」
「はい、みはるんです」
「よう、みはるん」
「……松浜くんは中瀬でいいです」
ふざけて言ってみたら、露骨に嫌そうな顔をしやがる。男にだけはこうなんだよな。
「な、なんなのだ、一体……」
「すまんな。こいつはマイペースなんだ」
「我が道を行く孤高の女と言ってください」
俺が言った『マイペース』が理解出来なかったのか、それとも中瀬の補足に呆れたのか、ルティの困惑がどんどん深まっていく。まあ、こういう奴なんだよ。こいつは。
「海晴ちゃんは、ずっと効果音を選んでいたのよね」
「ええ。昨日の音系即売会でなかなかいい効果音を手に入れたので」
「〈コウカオン〉とな?」
「おや、効果音をご存じない」
「うむ」
ルティがうなずいた瞬間「ほほう」とつぶやく中瀬のメガネがキラリと輝いた……ような気がしたのは、たぶん気のせいじゃない、はずだ。
「では」
中瀬が据え付けてあるスピーカーのケーブルをタブレットPCに接続すると、
「ぽちっとな」
「おわっ!?」
「うわっ!」
画面をタップした瞬間、大きな爆発音がスピーカーから飛びだして来やがった!
「な、なんだ!? なにが爆発したのだ!?」
「ルティ、落ち着け! 今のは音だけだ! 中瀬、お前なぁっ!」
「あらよっと」
「みぎゃあっ!?」
今度は雷かよ! しかもずいぶんリアルな音だなおい!
「……かわいい」
「このドS!」
「欲望に素直に従っただけです」
「ううっ……なんなのだっ、なんなのだっ」
「ルティさん、大丈夫ですよ。音だけですから落ち着きましょう」
ああもうっ、ルティが怯えて赤坂先輩にしがみついちゃったじゃないか。
「今のは音だけを録ったもので、セリフを録音したあとにこれで背景の音を付け加えたりするんだよ」
「なぬ? 演じている後ろで音を出していたのではないのか?」
「昔はそうしていたみたいだけど、今はさすがにな」
「こういう音を即興で出すのは、なかなか難しいです」
もう一度中瀬がタブレットをタップすると、今度はスピーカーから頬が平手で打ったような衝撃音が流れる。
「これは、この間のラジオでリューナがエリシアを平手で打ったときのだよな」
「その通りです」
「では、ミハルは様々な音を選んで流すのが仕事なのか」
「音だけではなく――」
さらにタップして、のんびりとした中瀬らしい音楽が流れだした。
「その場に見合う音楽を流すのも、私のお仕事です」
「おお……さながら、ミハルは〈音を操る者〉といったところなのだな」
「みはるんです」
「……えっと」
「みはるんです」
「み、みはるん」
「いえす。二重の意味でいえすです」
満足げに、中瀬がふんすと鼻を鳴らす。ガッツボーズまでするほどうれしいか。
「神奈っちもななみんも空也先輩もがんばってるんだから、私だって全力で音を選びます」
「で、俺がその音を先輩たちが演技したものに付け加えたりする、と」
「そこは松浜くんの得意分野なので、任せてます」
「カナとナナミとクウヤは演じて、サスケとミハル……んんっ、みはるんはそれを支えているわけか。では、脚本は誰が書いているのだ?」
「脚本は……ほら、そこにいる人」
「えっ」
窓の向こうでにこやかに笑っている空也先輩を指さしてやると、ルティの表情がそのまま固まった。
「あのにこにこクウヤが、このような厳しき物語を……?」
「ルティはまだ第1話しか聴いていないからわからないけど……第2話以降は、これ以上にぐちゃぐちゃのドロドロになっていくぞ」
「ほ、ほらっ、また我を驚かせようとするっ!」
「いいえ、誇張でもなんでもありません」
「みはるんまで……」
「容赦なく、エリシアとリューナの義理姉妹は辛い目に遭います」
「し、信じぬっ! 我は信じぬぞっ!」
ぷいっとそっぽを向いて、現実から目を逸らすルティ。
でも、続く現実はとても非情なもので。
『ねえ、お兄ちゃん。もうすぐだからね』
いよいよ始まった本番の大詰め、天井のスピーカーから降ってきたのは有楽が演じるエリシアの虚ろな声。
『もうすぐ……あたしが、お兄ちゃんをよみがえらせてあげるから』
『やめなさいっ、エリシアちゃん!』
その声に、七海先輩演じる義理の姉・リューナの声が切羽詰まったように被さる。
『どうして? どうして、リューナさんは止めるの?』
『人を蘇らせるなんて、そんなことが出来るはずはないでしょう!』
『そんなの、やってみないとわからないよ』
『もうわかりきってることなのよ……何度も、何度も実験して』
『じゃあさ』
泣きそうになるリューナをさえぎったエリシアの声は、とても無邪気で。
『お兄ちゃんとリューナさんが研究していたのは、なんだったの?』
『えっ……』
『のこった〈もの〉からからだをもうひとつつくって、たましいを移しそうとしたんでしょ?』
『そ、それはダメ! 絶対ダメっ!』
『ずるいよ、リューナさん』
とても、残酷で。
『実験を失敗させて、あたしからお兄ちゃんを奪ったのに……』
『これ以上、あの実験に触れちゃだめ! お願いだからっ!』
『それを、リューナさんが言えるんだ』
『えっ……』
『その実験で、お兄ちゃんを殺したのに』
『ち、ちがっ……』
『あたしを止める資格なんてないくせに……これ以上、あたしからお兄ちゃんを奪わないで!』
『リューナちゃん……? リューナちゃんっ、リューナちゃんっ!!』
悲痛なリューナの叫びで、第2話の幕が閉じる。中瀬が選んだ鉄扉が閉じる音を加えれば、良い感じの終わりになりそうだ。
「はーいっ、おつかれさまでーす」
マイクに向けてスタジオに呼びかけると、緊迫していた表情の有楽と七海先輩がホッとした感じで椅子にへたりこんだ。
「ふぅ」
有楽と七海先輩の演技に気圧された俺も、椅子に寄りかかってため息をつく。台本でストーリー自体は知っていても、こうして演技を目の当たりにすると全然印象が違う。
空也先輩が書いた物語『ダル・セーニョ』は、18世紀頃のヨーロッパのような異世界が舞台。医学者であるウィルが事故に遭遇して死んだことで妻・リューナと妹・エリシアがいさかいを起こして、エリシアがホムンクルス……いわゆる〈複製人間〉を作ろうとするシリアスなストーリーになっている。
去年の「だめ×だめ」が先輩後輩による学園ラブコメモノだっただけにその落差は凄く大きかったけど、演じる3人の意欲がとても強くてそのまま今シーズンのラジオドラマとして採用された。
「ルティ、大丈夫か」
「う、うむ」
隣に座っていたルティの顔は、収録中と変わらずにまだ強張ったまま。そりゃそうだろう。エリシアの狂気とリューナの悲痛な声をあれだけ耳にしていたんだから。
「…………」
反対側に座る中瀬はというと、タブレットで検索した曲名らしきものをノートへ一心不乱に書き出していた。こっちはこっちで、3人の演技にインスピレーションをかきたてられたらしい。
「やっぱり、桜木さんたちはすごいわね」
のほほんと言うのは、ルティの後ろで立ってみていた赤坂先輩。先輩がこういう物語に耐性があったとは……
「じゃあ、そろそろスタジオに行きますか。ルティ、立てるか?」
「我を馬鹿にするでないっ」
口を尖らせながら、ルティはミキサー卓のふちに手を掛けてなんとか立ち上がることは出来た。黒いスラックスに包まれた足がガクガクと震えているのは、見なかったことにしておこう。
「おつかれさまーっす」
「おつかれさまでしたー」
「おつかれさま」
「録音のほう、大丈夫だった?」
防音扉を開けてスタジオに入ると、有楽と七海先輩はすっかり汗だくで、前半の回想シーンだけの出番だった空也先輩はふたりよりも少しだけすっきりとした顔でいた。
「はい、録音レベルも調整どおりでした」
「そっか。あとで全テイクの録音データーお願いね」
「佐助君、ボクのも頼む」
「あたしもおねがいしまーす」
「了解っす。有楽、ずり落ちるぞ」
先輩たちの要望を受けて、備え付けてある生のDVD-Rを数枚取り出しておく。いつもの余裕綽々な表情が消えた七海先輩も、へとへとになっている有楽も珍しい。それだけ、全力でやったっていうことなんだろう。
「みんな、おつかれさまっ」
少し遅れて中瀬と出て来た赤坂先輩は、少し大きめの水筒を手にしていた。
「せんぱい、それってもしかして」
「今日も作って来ちゃった。みんなの分のはちみつレモン」
「ありがとうございます! ボクと空也は、最後のラジオ以来かな」
「瑠依子先輩の手作り、おいしいんだよねぇ」
「松浜くんと中瀬さんの分もあるからね。はいっ、ルティさんも」
「わ、私もですか?」
「もちろんですよっ」
呼ばれてきょとんとしながらも、ルティは赤坂先輩から紙コップを受け取ってはちみつレモンを注いでもらっていた。
「今日は見学に同行させてもらったんですから、そのお礼です」
「じゃあ、あたしは来てくれたお礼ってことでクッキーを」
「ボクは、いい歌を聴かせてくれたお礼ということでキャラメルをひとつ」
「私は遊んでくれたので、とっておきのチョコレートを」
「俺からは、のどのケア用にのど飴だな」
「えっ、えっと」
続いて有楽と七海先輩、そして中瀬と俺からそれぞれいろんなものをもらって困惑するルティ。まるで近所のおばちゃんたちからお菓子をもらってる子供のような……いや、これを言ったら3人からもルティからも叩かれそうだから黙っておこう。
「うーん。じゃあ、僕は……ちょっと味気ないかもしれないけど」
そう言って空也先輩が持って来たのは本の束だった。
「スタジオから見てたら、ルティくんが熱心に聴いてくれたみたいだからね。よかったら、これをもらってくれないかな」
「これは、何なのだ?」
「『ダル・セーニョ』、全12話分の台本だよ」
空也先輩には、ルティの表情がそう見えたのか。でも、実際は怖がっていたんじゃないのかな。
「いいのか……じゃない。よろしいのですか?」
「うんっ。もし、よかったら」
「それでは、ありがたくちょうだいいたします」
「えっ」
ルティはみんなから受け取っていたものを一旦椅子に置くと、一礼して空也先輩からしっかりと台本を受け取って、大事そうに抱えた。
「ルティ、大丈夫なのか?」
「大丈夫だとも。カナとナナミの演技はとても怖かったが、お互いの感情のぶつけ合いに聴き入ったのも確かだ」
よく見てみると、ルティの足からはさっきの震えが消えて表情にも余裕が生まれていた。
「それに、せっかくクウヤ殿から頂けたのだ。これをもとに、日本語の読み書きを勉強してみたい」
「あれっ、もしかして」
「うむ。日本語は、聞くことと喋ることしかできない」
苦笑いして、あとは察してくれというような表情を浮かべる。もしかして、チビ妖精がルティに渡せたのってあくまでも「聞いた」情報だけなのか?
「これも出会えた縁。クウヤ殿、まことにありがとうございます」
「ううん。喜んでもらえれば、こっちとしてもうれしいよ」
「あと、不躾ながらひとつうかがいたいのですが……クウヤ殿は、なぜこの物語を書いたのですか?」
「んー……なぜ、かぁ」
ルティの問いに、空也先輩の細い目が視線を宙にさまよわせる。いつも余裕な先輩からは、なかなか見られない表情だ。
「ルティくんは、どうしてそう思ったのかな?」
「この物語は、決して楽しき物語というわけでなさそうです。それでも、娯楽が多き〈らじお〉においてどうしてこの物語を考案したのかと」
「そういうことか」
そして、納得がいったように空也先輩にいつもの笑みが戻る。
「はっきりと言えば、勝負をしたかったからだね」
「勝負……とは、何とでしょうか」
「去年の僕と姉さんは、学校を舞台にしたコミカルなラジオドラマをやってたんだ。姉さんが脚本で、ボクがその補佐をして。その時まだ1年生だった松浜くんと海晴くんは脚本も演じるのも苦手だって言ってたから、今年もボクたちがラジオドラマをやることが決まっていた」
「そうしたら、去年の夏休みに神奈君がここに入りたいってやってきた。まだなりたてとはいえ本職の声優が来るんだったら『来年はもっと違うことをやりたい』と思うようになってきてね」
自然と空也先輩に寄り添っていた七海先輩も、空也先輩の言葉を補うように口を開いた。
「それで、去年ボツにしたネタの中から『命』をテーマにしたこの作品を拾って、妻のリューナと夫のウィルの物語に、ウィルの妹・エリシアを加えてみた。ふたりだけだとどうしても悲劇だけだったのが、エリシアを加えたら『クローン人間は本当に人を幸せにできるのか』っていう違う見方が増えたんだ」
「ルティ君が言うように、この作品はどっちかというと娯楽向けじゃないよ。それでもボクたちが『命』っていう前とは全然違う命題を演じて、どこまで聴いてくれる人たちを惹き込むことが出来るか、みんなで勝負してみたくなった」
「最初それを聞いたとき、ほんとにびっくりしましたよ。ずっとコメディかなーって思ってましたから」
「この物語は、神奈くんを驚かせるためにも用意したんだから当然だよ」
苦笑いする有楽を煽るように、空也先輩は楽しげに笑う。入学式の次の日に早速やってきた有楽に『これをやることになったから』って台本を渡して、読んだ有楽の目を白黒させてたもんな。
「で、最後に佐助くんと海晴くんにも協力をとりつけて勝負開始ってわけ」
「いや、あれ事後承諾っすよね。『やることになったからよろしく』って」
「私は『海晴くんの腕の見せ所だよ』っていきなり言われました」
「そうだったっけ?」
俺と中瀬とふたりしてため息はついてみせたものの、桜木ブラザーズがどんな物語を作るかが楽しみだった俺は当時、この二人に正直に『楽しみです』って言いたくなかったのもあって嫌々ながらも受けたように見せかけたんだった。あははーと笑う空也先輩には、見透かされているかもしれないけどさ。
「なるほど、聴く者たちに勝負を仕掛けたかったということですか」
「そういうこと。たまたま聴いてくれた人にもこれまでのリスナーさんにも、別のラジオをやってる他校にもね」
「ボクは、先生方がいつかまた怒鳴り込んでくるんじゃないかって楽しみにしてるよ」
「この後はクローンを作ったり、成功したと思ったらだんだん――」
「先輩、ネタバレネタバレっ!」
「おっと」
「????」
やばいことを言いかけた空也先輩を止めてはみたものの、実際これからが本番なんだよなぁ……ルティ、本当に最後まで読むことが出来るんだろうか。あと、先生たちも上辺だけじゃなく物語の本質を理解してくれますように。
「まあ、あとは台本を読んでみてのお楽しみってことで」
「わかりました。しっかり勉強して、じっくり読ませて頂きます。なので――」
ルティはそう言うと、少し顔を紅くしながら手にしていた台本のうち、一番上の一冊目を空也先輩へ差し出して見せた。
「もしよろしかったら、クウヤ殿のお名前を表紙へ一筆頂けないでしょうか」
「へっ?」
「有名な方や力のある方には〈さいん〉を頂くのだと、サスケの家で知りました」
「えっ、ええっ!?」
「おや、空也が驚くとは珍しい」
あー、そういえば昨日の朝、赤坂先輩がうちで支払いをするときに興味をもってたっけ。しかし、これはまた珍しいものを見たもんだ。
「超レアですよ、超レア」
「明日はきっと雪ですね。5月ですけど確定です」
「1年のときの空也くん、こんな感じだったわねー」
「ちょっとみんな、からかわないでよ!」
「クウヤ殿、お願いします!」
「ああもう、わかったから! サインするからっ!」
いつもの余裕の表情はどこへやら、空也先輩は困ったように苦笑しながら台本を受け取って、胸ポケットからペンを取り出した。
まあ、結局恥ずかしがった空也先輩に強要されてみんなも表紙にサインすることになったわけだけど。
「本当に、俺たちもサインしていいのか?」
「うむ。皆の名がここあるのがうれしいのだ」
レンディアールへ戻るのは、もうちょっとだけ先のこと。
――ここでの思い出の品に、なってくれればいいな。
みんなのサインが書かれた台本を大事そうに抱えるルティを見ていたら、ふとそんな想いが浮かんでいた。
ラジオドラマといえば昔は前半15分がトーク、後半15分がラジオドラマといった具合にアニラジにおける華だったのですが、ここ最近はめっきり姿が減ってしまいました。
(レギュラーとしては某公共放送FMさんのラジオドラマシリーズぐらいでしょうか)
もっと増えてもいいのになあと、そう思うのです。
音だけの劇世界って、とても楽しいですから。