第7話 異世界少女、スタジアムで叫ぶ
「リベルテわかばッ! リベルテわかばッ!」
左側の観客席からは、深緑色のユニフォームを着た集団のチャント。
「イーンヴィクタス! イーンヴィクタス!」
右側の観客席からは、オレンジ色のユニフォームを着た集団のチャント。
それぞれ数百人の集団が太鼓のリズムに合わせて、大きなチャントを青空の下のスタジアムに響かせる。ゴール裏では大きなフラッグも振られていて、まだ試合前だっていうのに両方のチームのサポーターが全身全霊のコールでスタジアムを盛り上げていた。
「おお……なんとも、意気の込もった鬨の声だな」
その様子を眺めながら、ルティが感心したようにつぶやく。
「鬨の声って、戦じゃないんだからさ」
「これは、上を目指すための戦いなのであろう? だとしたら、立派な戦ではないか」
「おー、そういう見方もあるか」
大真面目に言い放つルティに苦笑いしそうになったけど、ここに来るまでに説明したことを自分なりに理解して解釈しているみたいだ。言われてみれば、確かに選手やサポーターの人たちにとっては戦いだもんな。
「しかし、サスケよ」
「ん?」
「あの〈ごぉる〉裏に人はたくさんいるが、どうしてこちらの席は人がまばらなのだ?」
「……うーん」
確かにゴール裏に比べると、スタンド席は5~6割の入りってところだけど……サポーターがいる可能性が高い場所でそれを言っちゃったか。
「えーっと……あっちは熱心に応援したい人たちがいて、こっちはじっくりと試合を見たい人たちがいる、って感じかな」
「そういう住み分けがされているのか」
「あと、このN4リーグは上から4つ目の階級だ。街の人たちにも知られるようになってはきたけど、まだまだ発展途上で応援する人たちを集めている最中っていうのもある」
「なるほど、続く戦いの中で仲間を集めていくのだな」
納得したようにうなずくルティの向こう側で、リベルテ若葉のチームロゴが入ったタオルマフラーを肩に掛けたおじさんもうんうんとうなずいている。よかった、この説明で大丈夫だったか……
「この席が全て埋まったら、まことに壮観なのであろうな」
「ああ。いつか、そういう日が来たらいいな」
俺とルティが立っているのは、若葉市民公園にある陸上競技場のスタンド席。若葉駅からバスで10分ぐらいの、小さなスタジアムだ。
サッカー用の天然芝フィールドを囲むように陸上競技用のトラックがあって、その周りに観客席がある。とはいっても、俺たちがいる階段状のスタンド席は3000席ぐらいと小さめの規模で、両サイドのゴール裏の席は芝生。スタンドの向かい側には駐車場と田んぼが広がっていて、N1やN2に所属するチームのスタジアムに比べればとてもコンパクトなつくりだ。
「松浜くん、ルティさん、お待たせしました」
「赤坂先輩」
「ルイコ嬢!」
後ろから声がしたので振り返ると、先輩がゆっくりと階段状の通路を降りていた。風でさらさらと揺れる短めの髪のおかげで、いつもの局での姿とは違って活発的に見える。
「準備が終わったそうですから、そろそろ行きましょう」
「いよいよ〈すたじお〉に入れるのですね!」
「ただ、とても狭いスタジオなので、見学できるのは試合開始前と試合が終わってからだけということでした」
「なんと。実況している姿は見られぬのですか……」
「その代わり、いいものを用意してありますから。実況はそちらで聴きましょう」
「いいものですか?」
「ええ」
首を傾げるルティに、先輩がいたずらっぽく笑ってみせる。そういえば、ここはあのサービスをやってるんだっけ。
「さっきも言ったとおり、放送中は静かにしてるんだぞ」
「わかっておる。我とて、そのくらいの分別はある」
くるりと俺の方を向いて、ルティがふふんと笑う。雲一つないぽかぽか陽気の中ではしゃぐルティは、やっぱり年相応……よりもちょっと下ぐらいの、元気いっぱいの女の子って感じがする。
「ほらっ。行くぞ、サスケっ」
「そんなあわてるなって」
スタンドの階段通路を駆け上がっていくルティを、俺も早足で追いかける。一番上まで上がると出入口を繋ぐコンコースになっていて、その真ん中には中継放送用のプレハブ製スタジオが用意されていた。
「失礼します」
赤坂先輩に続いてスタジオに入ると、だいたい6畳ぐらいの部屋にわかばシティFMにあるのよりも小さい放送用の機材やノートPCが詰め込まれて、壁にはリベルテ若葉のフラッグやらタオルマフラーが所狭しと貼られていた。
「おお、いらっしゃい。君たちが、今日の見学者さんかな?」
その機材をいじっていた人が、こっちのほうに振り返る。やわらかそうな表情で俺たちと目を合わせたのは、眼鏡をかけた白髪交じりのおじさんだった。
「お久しぶりです、松浜です」
「えっと……初めまして。アカサカ・ルイコ嬢の友人の、エルティシア・ライナ=ディ・レンドと申します」
「ああ、佐助くんか。お久しぶり。そして、エルティシアさんは初めましてですね。私が、今日の実況を担当する山木浩継です」
自己紹介をしてから一礼する俺とルティに、おじさん――山木さんも同じように自己紹介をしておじぎしてくれた。相変わらず、歳が離れていても礼儀正しい人だ。
「サスケは、ヒロツグ殿と面識があるのか?」
「山木さんは、スタジオでも毎週サッカーの番組をやってるんだ。試合がある前の日とか、サッカーの試合が無い時期にもな。だから、時々顔を合わせてる」
「そうなのか。ヒロツグ殿は、熟練の方なのですね」
「今の楽しみといったら、これぐらいだから」
「またまた。定年になったとはいえ、まだまだ現役のアナウンサーじゃないですか」
「定年?」
「山木さんは、今年で62歳なんだ」
「62歳なのですか!」
「わっはっはっ。身体は年老いてはきましたが、まだまだ心は若々しいつもりです」
年齢を聞いて驚くルティに、山木さんは恥ずかしそうに言いながらも自信ありげにそう言い切ってみせた。
「おっと、そろそろ時間かな」
スタジアムに勇ましい音楽が流れ始めると、山木さんはフィールドのほうをちらりと見てから、
「もうすぐ放送開始ですから、お静かに見ていてくださいね」
にっこりと笑ってみせて、機材のほうへ向き直った。
「はいっ」
「拝見させて頂きます」
俺たちの返事にうなずいて、くるりと背中を向ける。続いて、腕時計を見ながら備え付けの壁掛け時計、放送機材のデジタル時計をチェックしていって、最後にモニター用のヘッドホンを装着した。
「今のは、何をしていたのだ?」
その一連の山木さんの動作に、ルティが耳元がこそこそとささやいてくる。
「まず、時計に狂いが無いかの確認だな。あと、今頭につけたのは自分のまわりの音を遮って、聴きたい音だけを聴くための機械なんだ」
「時計はわかるが、そのような機械をつければならぬのは何故だ?」
「今、俺たちがしているようなまわりの会話が聞こえたら集中出来ないからだな」
「なるほどっ」
ちょうどいい例を挙げてみたら、ルティが手をぽんっと叩いた。こういう時は、身をもって実感してもらうに限る。
「それで、今ヒロツグ殿の目の前にあるのが〈まいく〉とやらか」
「ああ。本社のスタジオにあるのとは、ちょっと違うけど」
「単なる棒に見えるのに、あれで声が多方に伝わるとは不思議なものだ」
そこまで話したところで、俺の肩が指でちょいと叩かれる。ルティも同く叩かれたようで、いっしょに横を向くと赤坂先輩がカーディガンのポケットから名刺サイズの黒い板のようなものを取り出してみせた。
「何なのですか? これは」
「おでかけ中にラジオを聴くための機械です」
「これで? ラジオを?」
「まずは、イヤホンをつけちゃいましょうか。松浜くんは、自分でね」
「了解です」
巻き取り式になっている左耳用のみのイヤホンを引き出して、耳につけたらボリュームを上げる。そうすれば、自動的にスイッチが入るっていう実に簡単な作業……なんだけど、
「ひぁっ、はわっ、あわっ」
耳にモノを入れられるのが慣れないのか、ルティは赤坂先輩の手が耳に触れる度にくすぐったそうに声を上げていた。それでも、放送の邪魔にならないようにと声のボリュームは落とそうと努力してハスキーな声になっている。
「あとはボリュームを上げれば」
「……おおっ!?」
そして、かちりという音に続いて小さな叫びが上がった。
「音がっ、音が聞こえますっ!」
「ルティさん、しーっ」
「はっ……も、申しわけありませんっ」
まあ、今のは先輩が驚かせたようなもんだから仕方ない。とにかく、俺も電源を入れてっと。
『間もなく12時50分。ここでわかばシティFMの駅前本社スタジオから、若葉市民公園陸上競技場にいる山木さんへとバトンを渡したいと思います。山木さん、今日もよろしくお願いします!』
イヤホンから流れてきたのは、わかばシティFMの本社スタジオにいるアナウンサーさんのトーク。それから一瞬の間があって、
『翻せ、グリーンフラッグ! N4リーグ・ファーストステージ第9節、リベルテ若葉実況中継!』
山木さんの張りのある声で、タイトルコールが流れる。これは事前収録っていうこともあってか、まだ本人の口は動いていない。
「若葉市民公園陸上競技場、12時50分を回ってN4リーグのアンセム、テーマ曲とともに両チームの選手たちが入場して参りました。ホーム側は、我らがリベルテ若葉。アウェイ側は昨年N4で総合5位の成績を収めたインヴィクタス新発山。今季初昇格のリベルテにとっては、非常に大きな壁となるであろう強豪チームですが、我々がN3リーグへ行くためには、必ず越えなければいけない相手でもあります」
BGMが流れてしばらくして、山木さんの実況が始まった。その肩越しにガラス窓の向こうを見ると、実況どおり両チームの選手が並んでフィールドへと歩き出している。
「みなさんこんにちは。リベルテ若葉実況中継、担当アナウンサーの山木浩継です。ゴールデンウィーク3日目の5月1日、若葉市民公園陸上競技場の天気は雲ひとつ無い快晴で、気温は23度と絶好の観戦日和となっております。もし今日の外出を迷われてる方がいらっしゃいましたら、これを機会に我らがリベルテ若葉の活躍を見に来るのはいかがでしょうか。チケットも大人の方は1000円、18歳以下の方であれば無料。試合終了までは、まだまだたっぷりと時間はあります!」
一旦間を入れてから、実況を再開。アナウンサーの大先輩なだけあって山木さんのタイミングは抜群で、手元のメモをもとに今現在の天気情報や観戦情報も盛り込んでスラスラとリスナーに伝えていく。
隣のルティは、口をあんぐりと開けて山木さんの後ろ姿に見入っている。ちょいちょいと肩を指でつつくとこっちを向いたんで「どうだ?」と笑ってみせたら物凄い勢いで頭をぶんぶんと縦に振った。それだけ、山木さんの実況に圧倒されたんだろう。
続いて両チームのスターティングメンバーやリーグにおける現在の状況、けが人情報を伝えたところで、事前に収録してある監督と選手へのインタビューへと移っていった。
「ふうっ」
山木さんはカフを下げながら片方だけヘッドホンを外すと、そばにあるペットボトルから水を飲んでひと息入れた。機材にこぼれないようにするためか、フタの部分からストローが出せるアタッチメントをつけている念の入れようだ。
「お見事です!」
我慢が出来なくなったらしく、感服した様子のルティが山木さんを称えると、
「ありがとうございます。いやぁ、好きなチームの実況は難しいですね」
その言葉に振り返った山木さんは、照れくさそうに笑っていた。
「そうなのですか? 流れるような言葉で、とてもきれいな実況でしたが」
「結構大変なんですよ。入れ込みすぎては、聴く人に引かれてしまうこともありますから」
「……今の言葉、父さんに聞かせてやりたい」
「佐助くんのお父さんは、それがいい取り柄じゃないですか」
言葉がグサグサ胸に刺さってうろたえる俺を、山木さんがそう言ってなだめる。父さんもいつか、その心境にたどり着く……のか? 本当にそうか?
「山木さん、それではそろそろ」
「ああ、もう時間だからね。佐助くんもエルティシアさんも、楽しんで来てください」
「はいっ」
「楽しんで参ります」
キックオフまで、あと5分。赤坂先輩に促された俺とルティは、山木さんに一礼してからスタジオを出た。こうして間近で仕事を見るのは、やっぱり勉強になるな。
「サスケ、サスケっ」
「ん?」
スタジオを出てスタンド席へ戻る途中、隣を歩くルティが俺を見上げてたずねてきた。
「サスケの父御は、いったいどういったお方なのだ?」
「俺の父さんか?」
「うむ、ヒロツグ殿と面識があるようにも聞こえたが」
「面識があるっつーか、父さんにとって山木さんは大先輩ってとこかな」
「大先輩ということは、そなたの父御も実況を生業としているのか」
「そんなところだ」
「そうか。今度、是非お目通り願いたいものだ」
「うーん」
父さんと会ってみたい、か。
「ちょっと難しいかも」
「そうなのか?」
「父さんは『野球』ってスポーツの実況をしていて、帰ってくる時間がバラバラなんだよ。毎日実況をやるってわけじゃないけど、それでも実況だけじゃなくてリポーター……現場からの報告とか番組作りの補佐とかあるし、会社にだって行く必要がある」
ナイターの試合があれば、日付が変わって帰ってくるのは当たり前。デーゲームでも、翌日実況があれば会社に戻って資料を整理して午前様。遠征があったりしたら、数日間は帰ってこれないことだってザラだ。
「そ、そのような過酷な状況で、父御は本当に大丈夫なのか?」
「もちろん休みはあるさ。だから、休みの日ぐらいはゆっくり寝かせてやりたんだ」
「ならば、致し方ないな……」
「ただ、ラジオを知りたがっている子がいるってことは話しておくよ」
「まことか!」
「話しておくだけだぞ、今のところは」
「それでよい。それで、十分だ」
スタジオを出て、また陽の光を浴びたルティがにっこりと笑ってみせた。
俺までつられて笑顔になってるし……頼まれた以上は、少しでも力になってやりたいな。
そのままおしゃべりを続けながら、さっき座っていたスタンドの席に戻る。全席自由だから席が決められているわけじゃないけど、赤坂先輩の発案でスタンドの真ん中らへんの席で見ることになっていた。
「ところでルイコ嬢。先ほどつけられたこの黒い板と耳栓が、ラジオを聴くための機械なのですね」
「はいっ。『ポケットラジオ』って言って、さっきの山木さんのラジオを聴きたいっていう人向けに、ここのスタジアムに来た人へ無料で貸し出しているんですよ」
「ふむ……ですが、貸し出す意味がよくわかりません。見ていれば、勝っているか負けているかなどは一目瞭然ではないですか」
「まあまあ。それを聴きながら、サッカーの試合を見てみてください。もちろん、松浜くんから教えてもらったことも参考にしながらで」
「はあ」
どこか納得がいかないとばかりに、中途半端な返事をするルティ。仕方なさそうにイヤホンを入れ直したのを見て、俺も左耳にイヤホンを入れるのと同時に右耳へホイッスルの音が飛び込んできた。
『さて、いよいよキックオフです!』
続いて、山木さんの言葉と同時にセンターサークルにいたリベルテ若葉の選手がボールを蹴り出した。
『9番の藤崎から11番ズーバー、10番の中原へとフォワード陣がボールを繋げて新発山のフィールドへ切り込んでいきました。ホームの若葉は3-4-3、アウェーの新発山は4-4-2のフォーメーションでゲームに入ります』
「おお、あれがナカハラとやらか」
ドリブルしながら駆けていく背番号10の選手を追うように、ルティの顔がぐいーっと流れる。サッカーを生観戦すると、みんなこうなるよな。
『若葉7番の田村が13番森戸へ通す。さあゴール前に10番中原が走り込んでるぞっ、森戸がセンタリングを上げ――ああっ、今のは惜しいっ。オフサイドです』
しばらく試合を見ていると、ゴール前の攻防になったところで短くホイッスルが鳴った。
『毎度の解説になりますが、オフサイドというのを簡単に説明しますと、相手陣地でゴールキーパー以外の選手全員よりも味方の選手が前に出てしまい、その選手にパスが通るとオフサイドという反則になってしまうのです。ただいまの場合は、若葉10番の中原が新発山3番の三嶋よりも前に出ていた状態で、若葉13番の森戸がパスを出して通ったためにオフサイドが成立しました』
「これがサスケが話していた〈おふさいど〉とやらか」
「こうして実際に見ると、少しはわかりやすいだろ」
「うむ。それに、ヒロツグ殿の実況のおかげでこんなに遠くでも誰が誰かわかるというのも面白い」
楽しそうに笑いながら、ルティはもっと聴きたいとばかりに左耳のイヤホンをさらに押し込んだ。
その後はセンターライン近くで一進一退の攻防が続き、そのうちだんだんリベルテ側が押されてスローインやコーナーキックに逃げることが多くなってきた。なんとかミスを誘ってゴールキックを得た若葉が反撃に移ろうとした、その時だった。
「よしっ、〈ごぉる〉前はがらあきだぞっ!」
『さあ若葉の9番フォワード、藤崎がセンターラインを越えてドリブル--おおっとここで後ろから新発山の13番、ジェフリーがボールに追いついて逆サイドの3番三嶋へとサイドチェンジ』
「なぬっ!?」
インヴィクタスの外国人選手が奪ったボールが、大きく弧を描いてセンターラインを越え、フィールドの反対側を走っている選手へときれいに渡っていく。
『そのままボールをワンタッチで7番の高遠へと繋げて若葉側へ切り込んでいきます。非常にスピーディーな守備と攻撃の連携、去年N4で上位入りを果たした連携は今年も健在です』
「くうっ、負けるなっ! 行けっ!」
そのまま背番号7の選手がリベルテ陣の中へ切り込んで、進路を塞がれると近くの選手へと短いパスをまわし始めた。
『リベルテ若葉のディフェンス陣も対応はしているのですが、細かいパスワークに翻弄されている模様。ペナルティエリア付近では若葉のディフェンス3番倉本が対応……あっと抜けたボールに新発山11番が飛び込んでシュート!』
「ああっ!」
ルティが声を上げたのと同時に、インヴィクタスの選手が思いっきり蹴った球は飛びついたキーパーの手をすり抜けてリベルテのゴールに突き刺さる!
『はいったぁぁぁぁぁッ! 一閃ッ! 入ってしまいましたッ! 柏原のシュートで新発山先制ッ! 0対1ッ!』
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「うっわー……今のはお見事だわ」
リベルテの守備がもたつく隙を突いた華麗なゴールに、俺もただため息をつくしかない。ゴール裏も、リベルテ側はサポーターが選手へ叱咤激励を飛ばしているのに対して、インヴィクタス側はお祭り騒ぎでゴールを祝っていたりと対照的。両方ともN1やN2のサポーターよりずっと少ない規模だけど、スタジアムに響く声は直接でも、イヤホン越しでもかなり迫力があった。
『新発山のエース、フォワード柏原は今季9試合目にして7得点! 両手を広げてテクニカルエリア、監督のところへと駆け寄ります! 相手ながら天晴れと言う他ありません! 先の試合で出場停止を受けた守備陣のエース・上原がいない若葉守備陣は、新発山の攻撃陣に大きく翻弄されています!』
「うぬぬぬぬぬぬ……」
「ル、ルティ?」
悔しそうに、でも怒りをこらえるかのようにルティが震える。
「サスケっ」
「な、なんだよ」
「我も応援するっ」
「はい?」
「我も、〈りべるて〉を応援するっ!」
そこからは、あっという間だった。
『若葉の9番藤崎が新発山ゴール前へ駆け込む! あっと、倒れました! 倒れましたがファウルはありません! そのまま新発山の選手が前方へクリア!』
「おかしいぞっ、今のは反則ではないのかっ!」
『ペナルティエリアのわずかに右斜め前、絶妙な位置でのフリーキックです。新発山13番のジェフリーが蹴るようで――おっと横にいた3番三嶋が素早くシュートっ! あぁぁぁぁ間一髪! 間一髪です! 若葉のゴールキーパー川岸がファインセーブ! 右上に吸い込まれそうになったボールを指先で弾き出しましたっ!』
「よくやったぞカワギシぃっ!!」
『さあチャンスだ! 若葉の10番中原が新発山守備陣を振り切ってシュート! あぁぁぁぁボールは上空へ! ゴールバーのはるか上へと飛んで行ってしまいました!』
「威嚇砲撃などするなっ!」
フィールドでの攻防を見て、そして山木さんの実況を聴いて、ルティが一喜一憂する。ハーフタイムになっても俺と先輩にサッカーのことを尋ねたり、山木さんによるリベルテ若葉の歴史講座に聴き入ったりと満喫していて、さっき俺たちの会話を聞いていたタオルマフラーのおじさんと意気投合までするようになっていた。
だけど、試合はリベルテに決め手が無いまま後半ロスタイムへ。リベルテの選手のシュートをインヴィクタスのゴールキーパーが弾いて、コーナーキックになったところでほとんど全員の選手がゴール前に集まってきた。
『おそらくこれがラストワンプレーになるでしょう。ここまでファーストステージ2勝1分5敗、16チーム中13位と低迷しているリベルテ若葉、最低でも勝ち点1はもぎ取りたいところです』
「〈らすとわんぷれー〉とは、これが最後の攻防になるということか?」
「そうだな。ゴールになっても防がれても、ホイッスルが鳴って試合終了になると思う」
「むぅ……」
さっきまで思いっきりはしゃいでいたルティは、祈るように両手を組みながらゴール前へと視線を移した。
『コーナーにいる若葉のディフェンダー、4番の大原がボールを置いて大きく下がります。ディフェンダー陣もゴールキーパーの川岸も全員、全員がペナルティエリアの中と周辺で大原のボールを今か今かと待ち望んでいる状態……』
「行けっ……」
『さあホイッスルが鳴った! 大原がクロスを上げる! 川岸が飛び込む!』
「行けぇっ!」
『ヘッドォ!』
大原のボールに合わせたのは、リベルテのゴールキーパーでチーム一背が高い川岸。その頭に当たったボールは、ゴール中央から飛びついた相手キーパーの手に届くことなくゴールエリアの右隅へと落ちていった!
『ゴォォォォォォォォォォォル!! 決まったぁっ! キーパーの川岸が頭で右隅へねじ込んでゴールッ!』
「すげえっ!」
『素晴らしい! 昨シーズンの昇格大会決勝を思い出す、値千金の実に素晴らしいゴールでしたッ!』
「やったぁぁぁっ!」
あまりの出来事に腰を浮かすと、隣のルティも両腕を挙げてぴょんぴょん飛び跳ねだした。
そして、次の瞬間。
「サスケ、やったぞっ!」
「おっ、おいルティっ!」
そのまま俺に飛びついてきて、力いっぱいぎゅうっと抱きしめてくる。
「やったぞ! 〈りべるて〉が追いついたぞっ!」
「わ、わかったから! わかったからっ!」
「ルイコ嬢っ、追いつきました! 追いつきましたっ!」
「今の、すごかったですねっ!」
「はいっ!」
続いて、反対側の赤坂先輩にもぎゅうっと抱きつく。ルティのやつ、リベルテが勝って本当にうれしいんだろうけど……その……思ってた以上に『ある』んだな。
身体に残るぬくもりと柔らかさを感じながら、俺はそんなどうしようもないことを振り返っていた。
「ふうっ」
「楽しかったか?」
「うむ、とても楽しかった」
俺の問いかけに、ルティが満足そうに答える。
試合が終わって、山木さんへのあいさつも済ませた後。俺たちはスタジアムを出て、シャトルバス乗り場へとのんびり歩いていた。
「松浜くんも、楽しかった?」
「はいっ。リベルテの試合をこうして生で見るのは初めてでしたし、試合も面白かったし……あと、面白い人にも会えたんで」
そんな俺とルティ、そして赤坂先輩の肩には、緑地にリベルテ若葉のエンブレムが描かれたタオルマフラーがかかっていた。
「社長殿か。確かに面白い方であった」
「まさか、社長さんが客席にいるなんて思いませんでしたね」
山木さんへのあいさつに、何故かルティと意気投合したタオルマフラーのおじさんがついてきたと思ったら、実はリベルテ若葉の社長さんだったなんてサポーター以外の誰が思うよ。しかも、見込みがあるとか言われて開幕戦に配ったらしいタオルマフラーをもらっちゃったし。
「社長殿がヒロツグ殿に礼へ行った気持ち、よくわかります。本日のヒロツグ殿の実況はまことに楽しきものでした」
「確かに、説明とかも親切で面白かったな」
「うむっ。また、ルイコ嬢が仰っていたこともわかりました。競技を知らぬ者でも楽しめるよう、ヒロツグ殿は努力しているのですね」
「ええ。会場で見られない人にもですけど、会場に来た人であまりサッカーを見たことがない人にもわかりやすいよう実況しているそうです」
「だから、〈ぽけっとらじお〉の貸し出しもしていたと……うむ、実に慧眼です」
うんうんとうなずいて、納得するルティ。スタジアム用のポケットラジオを返す際、ちょっと名残惜しそうにしていたのは、見ていた俺と先輩だけの秘密だ。
「しかし、意外だったよ」
「何がだ?」
「山木さんと話してた、ルティの印象に残った実況がさ」
「ああ、あの実況か」
それは、放送時間があと少しになった時のこと。
『どうにか、どうにか試合終了直前に勝ち点1をもぎ取ったリベルテ若葉。選手たちの笑顔は今、すっかり引き締まったものに変わっています。初のN4で連勝してからというもの、引き分けに続いて5連敗からまた引き分けというのは厳しい状況に変わりはないでしょう。なにより、フォワード陣が4戦連続無得点というのはあまりにも寂しすぎます! 次戦での奮起に、是非とも期待しましょう!』
締めくくりに山木さんが喋ったのは、現在のチームの厳しい状況を再確認したもの。決して耳障りがいいとは言えないこの厳しい言葉が、ルティには強く印象に残ったらしい。
「我も驚いたのだ。好きであるものに、ああまで厳しい言葉を並べられるのが。褒めたり慰めたりでなく、厳しくあろうとするのはそう簡単ではあるまい」
「実際、ファンの目線からしたら勝っていない状況なのは変わらないからな。変に取り繕ったところでごまかしにしかならないし、好きだからこそ厳しく言う他なかったと思う」
「うむ。『好きな〈ちぃむ〉の実況は難しい』と仰っていたが、まさにそのことであろう」
「チームへの愛ゆえに、ってところか」
「愛ゆえに、か」
いい言葉だ、とくすっと笑ったルティは、
「だからこそ、それだけ力のこもった実況ができるのかもしれぬな。あのようなお人がおられるというのも、また〈らじお〉は面白い」
楽しむようにそう続けて、スタジアムのほうに振り返った。さっきまでの熱気は嘘みたいに消えて、今はただ公園でサッカーをする子供たちのはしゃぎ声が響いている。
「我も、たくさんの人へ言葉を伝えられるようになりたいものだ」
どんな顔で、ルティがその言葉を口にしたのかはわからない。
でも、その声はとても穏やかで。
「今日が、我の第一歩」
振り返った表情は、希望に満ちあふれていた。
「帰ろうか。サスケ、ルイコ嬢」
「そうだな」
「はいっ」
先に歩き出したルティの歩幅に、俺と先輩がすぐに追いつく。
広い公園の道路を、ゆっくりとまた歩き出した俺たちは――
「ふふっ」
笑顔のルティを真ん中にして、自然と3人で手を繋いでいた。
イメージとしてはJFL、及びサッカー地域リーグといった感じで。
こういったプロアマ混合リーグを見に行くのも楽しいのですよ。
コミュニティFMというよりは「ミニFM」なのですが、スタジアム内専用のFMラジオ局というのもまた存在します。某長居とか。引退した元日本代表選手が解説していたりして面白いそうです。