第50話 異世界ラジオと夏合宿・4
合宿の朝は早い。
2日目の起床時間は6時で、6時半にはみんなで目覚ましがてらの散策。7時半に朝飯を食べたら、8時半から11時半までみっちりと桜木ブラザーズによる基礎練習とエチュードのレッスンが組まれている。
エチュードっていうのは、シチュエーションだけ決めてアドリブで演技をしていく演劇の手法。それを何故放送部でやるのかといえば、『異世界ラジオのつくりかた』のラジオドラマのためなんだけれども、
「やりたくねー……」
「もー……さっきからなんどめです?」
合宿のしおりを手にため息をついたら、並んで歩いているピピナにたしなめられた。
「だってさぁ、別に合宿に来てまでやらなくてもいいじゃん」
「がっしゅくだからこそですよ。みんなでいっしょにやればこわくないです」
「あのふたりが仕掛けてくるってだけで、すっげー怖い」
「まーだきのうのしっぱいをひきずってるですか」
「まあ……そりゃあなぁ」
「さすがにきにしすぎですよー」
ぽんぽんと、伸ばした手が俺の背中に触れる。なぐさめてくれても、怖いモノは怖いわけでして。
まだ起床時間前でも、窓の外は明るくなり始めている。歩いている廊下からも、雲ひとつない空がよく見えた。
着替えを済ませた俺とピピナは、そんなのんびりした早朝にぶらぶらと館内を散歩していた。
「それに、こんどはさすけだってしかけるがわですよね? そこはこわくないんです?」
「それはそれ、これはこれだ」
「まったくむちゃくちゃですねぇ」
自信たっぷりに言ってみせたら、呆れて笑われちまった。でも、たまにはこっちだって仕掛ける側になったっていいはずだ。
「そういうピピナだって、めちゃくちゃ乗り気じゃねえか」
「もちろんっ。ルティさまやピピナたちをしってもらえる、ぜっこーのきかいなんですから!」
呆れ笑いから、今度はめいっぱいの笑顔へ。それだけ、ピピナは先輩たちに正体を明かせるのが楽しみなんだろう。
昨日の夕飯のあと、俺はデザート班のみんなと手分けをしてカレー班と、先輩たちを除いた飯ごう班へレンディアール行きの相談を持ちかけた。
俺が声をかけたのは、ルティとピピナのふたり。夕飯を食べ終わってから散歩へ誘ったら、ステラさんがそれとなく話を振ってくれていたらしくふたつ返事で快諾してくれた。
そして、七海先輩と空也先輩をレンディアールへ連れて行きたいことを打ち明けると、ピピナは待ってましたとばかりに食いついてきて、いつもは慎重なルティまでもがノータイムで受け入れた。
「ななみおねーさんもくうやおにーさんも、レンディアールからきたみんなのことをしりたがってたです。いままではひみつでしたけど、それもぜんぶいっちゃっていいんですよね?」
「もちろん。俺も、先輩たちにはたくさん説明しないと」
「さすけのばあい、せいざしてといつめられそうなのはきのせいです?」
「予言めいたことを言うのはやめてくれませんかね!?」
心当たりがありまくるだけに、本当にやめていただきたい。
……とまあ、夕飯づくりの最中にいろいろ質問責めに遭って、ほとんど答えられなかったところへ渡りに船の提案だったそうだ。
フィルミアさんもリリナさんも、そしてアヴィエラさんも当然のように快諾してくれて、あとは最後の段取りなんだけど――
『ちょ、ちょっと!? 松浜くんっ、松浜くんっ!?』
「あ」
「もうそんなじかんですかー」
声がした方の部屋へ、ピピナとふたりして小走りで向かう。
そして、ドアのノブに手をかけて、
「いかがなさいましたか? 旦那様」
「旦那様ってふざけ――って、なにその格好!?」
ドアを開けると、いつも余裕の笑みを浮かべている空也先輩が、パジャマ姿のままベッドの上でうろたえていた。
「旦那様の目覚めをお待ちしていただけですが」
「わけがわからないよ!?」
そんな俺の格好は、黒の燕尾服にスラックス。いわゆる執事服ってやつだ。
「くうやおにーさん、おはよーですよー!」
「いや、ちょっと待って……えっ、ええっ!?」
続いて入ってきたピピナが着ているのは、控えめにフリルがあしらわれている群青色と白を基調にした、いわゆるメイドさんの服。ふたりしてこの格好なら、そりゃあ驚くだろう。
「ど……どういうこと……?」
「すべては、旦那様へ驚きと喜びを提供するために」
「いや、そんな猿芝居はもういいから!」
「ひどっ!?」
いやー、こんな時でも辛辣だわ。自分でもわかってるけどさ!
そんな俺たちがいるのは、合宿所の畳張りな男子部屋……じゃなくて、板張りの床にベッドが置かれている、俺にとってのもうひとつの自室。
「てなわけで、ピピナ」
「はいですっ!」
俺がうながすと、ピピナはとてとてとベッドのほうに駆け寄って、
「ピピナのすがた、もとにも~どれっ!」
「えっ……ええっ!?」
くるりと回ったその瞬間、ピピナの丸かった耳がぴんととがって、背中から透明の羽が飛び出した。
「あらためましてっ! ルティさまのしゅごよーせーの、ピピナ・リーナですっ!」
「ピピナくん……? えっと、それ、なんのコスプレかなー……?」
「もー、こすぷれじゃないですよー。てやっ!」
衝撃のせいなのか、半笑いでたずねた空也先輩へピピナが頬をふくらませる。そして、そのまま飛びかかったかと思うとしゅぽんと音を立てて、
「これで、こすぷれじゃないってわかりますよね?」
てのひらサイズに戻りながら、空也先輩の目の前をぱたぱたと飛び始めた。
「…………」
でも、先輩はそんなピピナを見ながら口を開けたまま。かと思ったら、手が自分の頬へと伸びて――
「あだだだだだだだだだだ!」
「せ、先輩っ!?」
「くうやおにーさんっ!?」
めいっぱいつねって、痛がってるんですけど!?
「えっ、リアル!? 夢じゃないのっ!?」
「一応、立派な現実です」
「ピピナもげんじつのよーせーですっ」
「……えぇぇぇぇぇ!?」
おー、うろたえてるうろたえてる。いつも余裕たっぷりな空也先輩のこんな姿、初めて見るわ。
まあ、起きたらまったく違う場所にいて、そのうえ仲良くなった子から『実は妖精でした』って言われればこうなって当然か。
「――ぅやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
そう思いながら空也先輩のうろたえようを眺めていたら、開けっぱなしのドアから叫び声が聴こえてきた。さらには騒々しい足音もいっしょにこの部屋へと近づいて来て、
「くうやっ! くうやくうやくうやくうやくうやっ!」
とんでもないスピードで、七海先輩が飛び込んできた。
「見て見てっ! 妖精さんがっ、妖精さんがボクのことを起こしに来てくれたんだ! しかもその妖精さんはリリナ君でメイド姿だから、リリナ君はメイド妖精さんだったんだよ!」
「ど……どうも」
せいいっぱい目を輝かせながら、うろたえていた空也先輩へと力説する七海先輩。その胸元には、小さな妖精モードのリリナさんが恥ずかしそうにして抱きかかえられていた。
「って、ピピナ君……? も、もしかして、ピピナ君も妖精さんなのかい!?」
「そーですよ。おはよーございます、ななみおねーさん!」
「おはよう! ああ……なんて素晴らしい朝だ。壁に頭を叩きつけても目覚めなかったし、現実なんだね。これは紛れもない現実でいいんだよねっ!」
「げんじつだから、ピピナもだきしめちゃっていーですよー」
「いいの!? ああっ、妖精さんをふたりも抱っこできるなんて……ボクはなんて幸せ者なんだ!」
あはははと笑いながら、七海先輩がピピナも抱きしめてその場をくるくると回る。こ、こんなに大はしゃぎな七海先輩、初めてだよな……?
「松浜くん?」
と、圧倒されている俺の肩に何かがぽんと置かれて、
「説明、してくれるよね?」
振り返った先には、肩を掴みながらいつもの微笑みを浮かべる空也先輩。
「か、かしこまりました、旦那様」
「それはもういいから、ね?」
「……はい」
その威圧感と圧迫されていく肩に、俺はそう返事をするしかなかった。
というわけで、俺たちが今いるのは勝手知ったるレンディアール。
昨日の晩……というか、今日の早朝に先輩たちが寝入ったところを見計らって、リリナさんの結界やピピナとルゥナさんの力でヴィエルの時計塔へ移動。そのままふたりを俺の部屋と有楽の部屋へ運び込んで、先輩たちの目が覚めるまで待っていた。
『いつも俺らが驚かされてばっかりだから、たまには俺たちのほうから驚かせたい』――そう提案したら、リリナさんはレンディアールに戻ってすぐに用意してあったメイド服やら執事服やらを引っ張り出してきたり、ピピナもいっしょに起こしに行くってせがんだり。そんな感じで、あれよあれよという間に段取りが整って今に至るってわけだ。
「やー……まるで台風みたいでしたねー」
と、疲れたみたいに言葉を吐き出したのはメイド服姿の有楽。珍しくストレートにしていた髪はボサボサで、いつもの笑顔にも力はない。
「あのおっきなおむねに埋もれたのは収穫でしたが」
隣を歩く執事服姿の中瀬も、ショートヘアが思いっきりボサボサ。なんでも、ふたりしてテンションが振り切れた七海先輩の餌食になったそうな。
「七海先輩のフルパワー、とんでもねえな……」
しみじみと言う俺の髪の毛も、きっとボサボサ。桜木ブラザーズを起こしに行った俺らは、例外なく超ハッピーモードの七海先輩から抱きつき・ほおずり・髪わしゃわしゃのトリプルコンボを喰らった。
その七海先輩はというと、前のほうで赤坂先輩としゃべりながら階段を昇っている真っ最中。ピピナとリリナさんを両肩に乗せて、楽しそうに上の階へと向かっていた。
「さすがの僕も、あの状態の姉さんには一苦労だねぇ」
で、弟の空也先輩が歩いているのは俺らの後ろ。さっきのうろたえようがウソみたいに、いつもの余裕たっぷりな微笑みを浮かべている。
「いいんですか? 七海せんぱいといっしょじゃなくて」
「僕だって混ざりたいさ。でも、この状況でふたりしてはしゃぐわけにもいかないでしょ?」
「くーちゃん先輩がそんなこと言うの、とっても珍しいです」
「これだけ非現実がラッシュで襲いかかってきたら、冷静にもなるって。姉さんがアレなら、僕はしっかり現状を把握しないと」
実の姉を堂々とアレ呼ばわりとは。でも、そもそもの元凶はといえば俺なワケで。
「えーっと……すいません。詳しいことは、みんな揃ってからちゃんと話しますんで」
「ああ、期待しているよ。僕らを見事にハメてくれた松浜くんの手腕に敬意を表して……ね?」
「ひぃっ!?」
怖いっ! そのいつも以上のニマニマ笑顔、めっちゃ怖いっ!
でも、あとちょっと。あとちょっとで、先輩たちに言えなかったことを全部明かせるんだから、ガマン、ガマン。
そのままみんなで階段を上がっていって、9階へ。その中でもいちばん大きい会議室の前で赤坂先輩が立ち止まると、
「ナナミ様、失礼いたします」
「しつれーするですよー」
リリナさんとピピナが七海先輩の肩から飛び立って、ふわりと光をまといながら人間サイズへと戻っていった。
「突然のことに驚かれたでしょうが、これが私やピピナの本来の姿。皆様方とは異なる世界・レンディアールに住まう、豊穣を司る精霊の娘です」
「そして、いまいるここがレンディアール。おねーさんとおにーさんがよくはなしてる〈いせかい〉ですよ」
「やっぱり! 妖精さんと言ったら異世界だよね!」
「ということは、ルティくんたちも異世界の……?」
「はい。こちらの部屋で、皆様が来られるの待っております」
そう言いながら、リリナさんが大きな両開きのドアのほうへ振り返る。そのままノブに手をかけて押し開けると、
「エルティシア様、フィルミア様、アリステラ様。ニホンから新たに来られた方々をお連れしました」
部屋の中へ向けて深くお辞儀をして、ピピナといっしょに先輩たちを連れて入っていった。
「ありがとう、リリナ」
中から聞こえた声は、いつも聞き慣れた優しい声。俺たちも続いて中へ入れば、
「ナナミ嬢、クウヤ殿、改めまして。私はレンディアール国の第5王女、エルティシア・ライナ=ディ・レンディアールと申します」
紅いブレザー風の上着とスラックスをまとったルティと、
「わたしも改めまして~。レンディアール国の第3王女、フィルミア・リオラ=ディ・レンディアールと申します~」
青と白を基調にしたドレスと緑のロングスカート姿のフィルミアさん。
「えっと。第4王女のアリステラ・シェザーネ=ディ・レンディアールです。改めて、よろしくお願いします」
そして、紫のノースリーブシャツに黒いハーフパンツ姿のステラさん。
レンディアールのお姫様3人が、皇服姿で次々と先輩たちへあいさつしていった。
「お……おうじょ、さま?」
「はい。そして、今いるこの地が私たちの故郷となります」
呆然としている先輩へうなずいたルティは、ふたりの手を取って窓際まで連れて行った。そして、カーテンが閉められた大きな窓へと歩み寄ると、
「ようこそ、我らがレンディアールへ!」
カーテンを一気に開け放って、両手を広げながら満面の笑顔で先輩たちのほうへ振り返ってみせた。
大きな窓の外に見えるのは、ヴィエルの街並み。
電柱や電線どころか、アスファルトや車道もない広々とした石畳の道を人々が行き交っていて、そのさらに向こうには高くそびえる円環山脈と、どこまでも続く青空がめいっぱい広がっていた。
「ここが……」
「レンディアール……?」
おぼつかない足取りで窓に近づいた七海先輩と空也先輩が、ぽつりと言葉を漏らす。
こっちへ来てから夜が明けるまで『どう先輩たちへレンディアールのことを紹介しようか』を話し合って、いちばんインパクトが大きそうだったのがアリステラさんが出してくれたこの案だった。
そのまま外を眺めるふたりを見て、リリナさんとピピナが跳ね上げ窓を開ける。外から吹き込む風は少しひんやりとしていて、市場からの喧噪もいっしょに運んできてくれた。
「すごい……本当に異世界なんだ……」
「それに、すっごく空気が澄んでる……」
「この街は、レンディアールの北端に位置する小都市・ヴィエル。私たちは普段ここに住まい、時折ニホンと行き来しています」
「ここと? 日本を?」
「はい。情けないことではありますが、すべては私がこの郊外で賊に襲われたことから始まりました」
少し恥ずかしそうに、それでもはっきりとした口調でルティが語り始める。
俺たちとの出会いのこと。
そこで初めて聴いたラジオに興味を持ったこと。
リリナさんが俺をさらって、みんなでレンディアールへ来た時のこと。
その縁がもとになって、みんなでラジオを学んで番組を始めたこと。
だから、もっとラジオのことを知りたくて合宿を開いたこと。
始まりから今日に至るまでを、先輩たちへゆっくりと話していった。
「みんなで何をやっているのかと思ったら……なるほど、ようやく合点がいったよ」
「申しわけありません。なかなか明かせず、ここまで引きずってしまいました」
「いや、僕はいいんだ。むしろ、どっちかというと」
「むーっ……」
「姉さんのほうが、ね」
空也先輩が横を向けば、ほっぺたをふくらませてすっかりぶんむくれている七海先輩がいた。
「だってずるいじゃないか。松浜君も神奈君も海晴君も瑠依子先輩も、こーんな面白そうなことをボクらに隠して!」
「ほ、本当に申しわけありません!」
「ルティ君たちはいいの! 悪いのは先輩と後輩! みんなしてボクと空也をのけものにしてっ!」
「ご、ごめんなさい。元はといえば、俺が言わないようにしてたから」
「そうか、松浜君か。松浜君がすべての元凶なのか」
「元凶って……結果的にはそうなりますけど」
「まあ、許すも許さないも理由次第だ。さあ、申し開きがあるのなら言ってごらん?」
腕を組んで、真正面から俺をにらみ付けてくる七海先輩。背が俺とほとんど変わらないのと普段は見ない怒り顔だから、威圧感が凄い。
でも、きっと大丈夫。もうごまかさないで、ちゃんと正直に言うって決めたんだから。
「七海先輩も空也先輩も、興味を持ったらまっしぐらじゃないですか。明かしたらきっと夢中になって、受験そっちのけになるんじゃないかって思って」
「うっ」
「ぐうの音も出ないほどの英断だねぇ」
七海先輩の表情が崩れたのと同時に、空也先輩が苦笑いを浮かべてみせた。ストレートに言った分、ちゃんと伝わってくれたのかな。
「じゃ、じゃあ、そう思ってるのにどうしてボクらをここに連れてきたんだい?」
「昨日の七海先輩との実習で言えなかった俺の『夢』が、ここにあるんです。今まで秘密にしていたからうまく言えなかったけど……やっぱり、先輩たちにも見てほしくて」
「ここに? 松浜くんの夢が?」
「はい」
「サスケの言葉に加えると、私たちがこれ以上身分を偽りたくないというのもありました。我らに〈らじお〉のことを教えてくれる恩人であり、友人だというのに……なので、サスケの案に乗った次第です」
「これでよーやく、ななみおねーさんとくうやおにーさんにレンディアールのことがわかってもらえるです!」
俺の説明を補うように、ルティとピピナが言葉を継ぐ。
本当のことを言えなくて心苦しかったのは、レンディアールのみんなも一緒。昨日ルティとピピナへ打ち明けたときのほっとした表情を見たら、もっと早く言えばって後悔したぐらいだ。
「う~……」
そんなふたりを交互に見ながら、七海先輩が組んでいた腕を解いてもどかしそうに両方の拳をにぎる。そのうち深く息をつくと、人さし指同士をちょんと突いて、
「そんな風に言われたら、拗ねてるボクが馬鹿みたいじゃないか……」
軽くうつむきながら、恥ずかしそうにつぶやいてみせた。
俺、こんなにかわいらしい先輩を見たのは生まれて初めてかも。
「あんまり後輩がやってることに目くじらたててもねぇ」
「というか、空也はどうして平然としてるのさ!」
「姉さんがすっごくはしゃぐから、逆に冷静になっちゃった」
「弟なのに! ボクの双子の弟なのに!」
あーあー、地団駄まで踏んじゃってるし。でも、これこそいつもの七海先輩だ。
「なら、今度は僕が質問」
その七海先輩をなだめてから、空也先輩がぴんと人さし指を立てる。
「連れてきてくれたことには感謝するけど、合宿はどうするんだい? まさか、打ち切りってことはないだろうね?」
「それはご心配なく。皆様が滞在されている間はあちらの世界の時を凍らせているので、明後日の朝には合宿2日目の朝へと戻ります」
「へえ、妖精さんってそういうこともできるんだ」
「ピピナとねーさまたちでがんばりましたっ」
「だったら心配はいらないか。ありがとう、リリナ君、ピピナ君」
「今はこの場にいませんが、後でルゥナもねぎらってあげてください。クウヤ様とナナミ様をここへお連れしたいと、あの子が初めに願ったのですよ」
「もちろんだよ。そっかぁ、妖精さんたちからのご招待かぁ」
リリナさんからのお願いに、ぽわわんと笑顔を浮かべてうなずく空也先輩。ファンタジーが好きなだけあって、こういうのはうれしいらしい。
「というわけで、僕は全面的に乗ることにしたよ。姉さんはどうする?」
「当然、ボクも乗る! こうなったらみんながやってることもレンディアールのことも、ぜーんぶ教えてもらうからね!」
「お手柔らかにお願いします」
「それは松浜君次第かな!」
七海先輩のほうはというと、苦笑いしながら言う俺へ少しむすっとした感じで言ってみせた。もちろん、今日の俺なら受けて立つところだ。
「それじゃあ、さっそくこの街の紹介と行きましょうか」
「もう行くのかい?」
「ええ」
燕尾服のポケットからスマートフォンを取り出してスリープを解除すると、時間はもうすぐ午前7時。今から時計台へ上がれば、ちょうどいい時間だ。
「それじゃあせんぱい、あたしは隣の部屋に行ってますねー」
「おう、よろしく」
「神奈くんは別行動なの?」
「はいっ。何をやるのかは、せんぱいたちが上に行ってのお楽しみです!」
「エルティシア様、私も行って参ります」
「わたしも行きますね~」
「リリナ君にフィルミア君も?」
有楽に続いて、リリナさんとフィルミアさんが手を振ったり、お辞儀をしてから会議室を出ていく。
「俺らは、もうひとつ上の階へ案内しますね」
「へえ、ここより上の階があるんだ」
「この建物は時計塔で、いちばん上が鐘楼になってるの。見晴らしもいいし、きっと七海ちゃんも空也くんも気に入るわよ」
「んー……瑠依子先輩がそう言うなら」
「姉さんってば、すっかり警戒しちゃって」
「こういうななちゃん先輩もなかなかかわいいですね」
「おおっ、中瀬くんも話がわかるねえ」
「そこ! 今のボクで遊ばない!」
中瀬が言うとおり、おどおどしてる七海先輩もレアでなかなかかわいい……とか言ったら噛みつかれそうだから、黙ってるが吉だな。
そんなわいわいとしたやりとりを背にしながら、先輩たちを鐘楼へと案内していく。
「おおっ、いらっしゃーい」
「おつかれさまー」
階段を上がりきったところで声をかけてきたのは、白いドレス姿のアヴィエラさんと妖精さんモードで執事服姿なルゥナさん。ふたりとも手を挙げるもんだから、
「おつかれさまでーす」
「執事な妖精さん!?」
とつられて手を挙げたところで、後ろにいたはずの七海先輩が猛スピードでルゥナさんへ抱きついていった。
「むぎゅー」
「ルゥナくんもメイドさんかと思ったら、まさか執事さんだなんて……いい、すっごくいい!」
「おきにめされてこーえーのいたり」
「……ナナミってもしかして、かわいい子に目がなかったりする?」
「そりゃあもう、めっちゃ大好物です」
アヴィエラさんも一発で気付いたか。まあ、これだけ目をキラキラさせて抱きつき・頬ずり・頭わしゃわしゃと来れば当然だよな。
「うわぁ……」
その一方で、空也先輩は引き寄せられるようにして石造りの手すりのほうへと歩いていた。きっと、その先に広がるヴィエルの街並みに心奪われているんだろう。
「どうだい、クウヤ。なかなかいい眺めだろ」
「はい、とっても」
寄り添うようにして尋ねてきたアヴィエラさんへ、空也先輩が大きくうなずく。
「アヴィエラさんもレンディアールの人だったんですね」
「一応隣の国の出だけど、アンタらから見たらそうなるだろうね。改めて、こっちでもよろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アヴィエラさんが差し出した手を、空也先輩がしっかりと握ってみせた。すぐに把握するあたり、さすがの冷静さだ。
「ふわふわだけどくるしいー」
「うわっ!? る、ルゥナ君……? はっ、こ、こんな小さくなって!?」
「やっぱ、ルゥナはこっち」
「アタマ!? あわわわわっ、よ、妖精さんがボクの頭に……!?」
「ルゥナねーさまは、ひとのあたまのうえにのるのがだいすきなんですよー」
「なんて最高な!!」
双子でも、かわいいことに目がないお姉さんとは大違いデスネ。って、あーあーあー、ついでにピピナまで抱きしめちゃって。
「アヴィエラさん、準備はどんな感じです?」
「だいたいだけど、こんな感じでいいんだろ」
アヴィエラさんか手で指し示したのは、鐘楼の真ん中にある石造りの台座。この間はミニFM送信キットが置かれていたそこには、細長い金属製の棒がまっすぐに立てられていた。
棒の根元には、樫の木でがっしりと作られた台座が。そして根元から分岐するようにして、細長いケーブルが台座の下から鐘楼の下の方へと延びている。
「ばっちりです」
「よしよし」
「これってなんだい? ただの鉄の棒に見えるけど」
「まあ、見ていてください」
興味深そうにのぞき込んでくる空也先輩を横目に、もう一度スマートフォンを取り出す。時間は6時58分に切り替わったところだから、そろそろ頃合いだ。
「ルティ」
「ああ、わかっているとも」
俺の呼びかけを待っていたかのように、ルティが紅い皇服のポケットから黒い箱――ポケットラジオを取り出す。そして、その親指で電源を入れるとこすれるようなホワイトノイズが流れ出した。
「「ラジオ?」」
その音がしたほうへ、ピピナを抱きしめている七海先輩と金属製の棒を眺めていた空也先輩が振り向く。あとは、時間になれば――
「?」
「ノイズが、消えた?」
ポケットラジオのスピーカーは静かになって、
『ヴィエルのみなさ~ん、おはようございます~』
「「っ!?」」
『ヴィエル市時計塔放送局、今日も試験放送が始まります!』
「か、神奈君!?」
『本日は放送局員が所用のため、音楽が多めの構成となっております。また、正午からはサジェーナ様を賓客に迎えたエルティシア様とサスケ殿の番組を再び放送いたしますので、どうぞお楽しみください』
「リリナくんまで……それに、最初のはフィルミアくんの声じゃ……」
続いて流れてきた声に、七海先輩と空也先輩の表情が驚きに染まる。そのあとはすぐに音楽――ギターに似た楽器で奏でられる、レンディアールの民族音楽へと切り替わった。
しばらくその音楽を流したところでルティへアイコンタクトを送って、ポケットラジオの電源を切ってもらう。
「松浜くん、これは――」
「先輩、その前に下のほうの音を聴いてみてください」
何か聞きたそうな先輩を制した俺は、両手を広げながらそうお願いした。
最初は納得行かなそうだったけれども、それでも手すりがあるほうへと歩いていく空也先輩。一方七海先輩は、ピピナに手を引かれて別の方角の手すりへと向かっていく。
俺も七海先輩の後を追うと、そこは北の商業通りが一望できる場所。耳を澄ませば、かすかな風に乗ってそこかしこから同じ音楽が聴こえてくる。
とても小さな音もあれば、少し遅れて届く音もある。でも、その音色やメロディはさっき途切れたそれの続きだった。
「まさか!」
「おそらくその通りです、ナナミ嬢」
振り向いた表情が驚きに染まる七海先輩へと、ルティがまたポケットラジオを向ける。もう一度スイッチを入れれば、重なるようにしてはっきりとしたメロディが鳴り始めた。
「我らは今、サスケたちとともにこの地で〈らじおきょく〉を作っているのです」
「ラジオ局を? 松浜くんたちと?」
「はい」
手渡されるようしてポケットラジオを受け取った七海先輩は、チューニングのダイヤルをぐるぐると回し始めた。でも、ホワイトノイズの他に聴こえてくるのはこの音楽だけ。
「ほんとにラジオだ……」
「でも、電柱も電線もないのにどうやってラジオを――」
「待って、空也。送信機なら昨日ボクたちが使わせてもらったのがあるはずだよ」
「あ、ああ、確かに……ということは、この棒って送信用のアンテナなのかな?」
「ご名答。下の部屋が〈すたじお〉――演奏所になっているので、そこから銅の線を引き出してこの〈あんてな〉へ接続し、ヴィエルの周辺にかけて〈でんぱ〉を届けております」
アンテナが固定された台座を見ながら、ルティがふたりへていねいに説明していく。
元々は送信キットを置いていた場所だけど、風が強いことが多いここでの置きっぱなしは、劣化や落下で壊れる確率がとても高い。そこで馬場さんに相談してみたら、アンテナと送信機を分けて運用したほうがいいってことになって、こうしてスタジオと鐘楼とで役割を分けたってわけだ。
「でも、聴くほうはどうしているんだい? 下から音はするけど、まさかポケットラジオをこっちへたくさん持ち込んだとかじゃ――」
「そいつは、直接見たほうが早いんじゃない?」
相変わらず迫ってくる七海先輩をさえぎるように、アヴィエラさんが苦笑いしながら割り込んできた。
「アヴィエラさん?」
「どうせだったら、朝メシついでに現場に行こうよ。ふたりとも、アタシの手を両手で握ってみな」
「手、ですか?」
「いいからいいから」
「は、はあ」
アヴィエラさんが差し出してきた右手を七海先輩が、左手を空也先輩がそっと握る。
満足そうにうなずいたアヴィエラさんは、そのまま目を閉じると、
「魔が持つ力を従えし、我が命ず……」
静かに呪文を唱え始めて――
「吹き交う風よ、我に翼を与えたまえ!」
「「ええっ!?」」
宣言した瞬間、その背中に鳥のように白い翼が現れた。
「いいかい、ちゃんとしっかり掴まるんだよ!」
ふたりの手をぎゅっと握ったアヴィエラさんは、大きな翼を羽ばたかせるとふわりと宙に浮いて手すりを越え、
「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」
七海先輩と空也先輩を連れて、中庭のほうへと降りていった。
合宿所のロビーで有楽とリリナさんとでスマホのアニメを見てあーだこーだ言ってたけど、これがやりたかったのか。
「いやー……これで、第一ラウンドはクリアかな」
「皆の正体を明かしつつ、我らのことを知ってもらう……にしても、いささか畳みかけすぎではなかったか?」
「ここまで来たら、もう大丈夫だろ」
そう言いながら、みんなが飛んでいった時計塔の下を見下ろせば、
『す……すごい! これって魔法!? 魔法なの!?』
『もしかして、アヴィエラさんって魔法使いなんですか!?』
『あっはっはー、そのとーりっ!』
『すごいですっ! アヴィエラおねーさんもとんでるですっ!』
『ぱたぱたぱたぱたー』
桜木姉弟とアヴィエラさん、そしてピピナとルゥナさんが、大喜びではしゃぎながらふわふわと中庭へと降りている真っ最中だった。
「な?」
「よ、喜ばれているのか?」
「空也くんも七海ちゃんも、こういうことには目がないから」
「ああ見えて、目の前の事実には物わかりがいいくーちゃんななちゃんなのです」
「ルイコ嬢とみはるんもそう言うのであれば……まあ、大丈夫と思っておこう」
「そう、だいじょーぶだいじょーぶ」
まだちょっと戸惑っているルティへ、そして自分へ言い聞かせるようにしてそう言ってみせる。
さっきも言った通り、今はまだ第一ラウンド。あの先輩たちへ気を抜いている暇なんかないし、もっとこの世界のことや俺たちがしていることを知ってもらわないと。
『松浜くーん! 悪いけど、僕のバッグを持ってきてくれるかーい!?』
『ついでに、ボクのもよろしく頼むー!』
「おおぅ」
とか意気込んでいたら、下からその本人たちが無邪気に呼びかけてきてるし。
「はいはーい持っていきますよー! ったく、仕方ねえなぁ」
あまりの脳天気さに、こっちも笑いながら階段を降りようと一歩踏み出すと、
「ん?」
「サスケ。ナナミ嬢のカバンは我が持っていくぞ」
俺の手をきゅっと掴んだルティが、そう申し出ながら顔をのぞき込んできた。
「んー……まあ、七海先輩もなんだかんだで女の子だし、頼んどこうかな」
「わかった。では、ついでにそのサスケの言葉も伝えておくとしよう」
「なっ!?」
「ふふふっ。冗談だ、冗談」
「お、お前なぁ」
いたずらっぽく笑うルティの隣について、俺もいっしょに歩き出す。
そのままドアを開けて、階段を降り……って、
「あのー、ルティさんや?」
「うん?」
「なんで、俺の手をずっと握ってるんですかね?」
さっきから掴まれっぱなしの手から見上げたら、『それが何か?』って感じで首を傾げられたんですが。
「先ほどから、ずっと気張り続けているように見受けられたのでな」
それでいて、核心を突いて来やがるし。
「そう見えたか?」
「うむ。会議室に入ってきたときから、ナナミ嬢とクウヤ殿の様子に見入っていたであろう?」
「そりゃあ、まあ……なぁ」
「気持ちはよくわかる。我もそうであった」
「ルティも?」
「当然」
にっこり笑ってから、ルティが小さくうなずく。
「我らの世界や真の身分を受け入れてくれるだろうかと、かつてそなたがリリナにさらわれたときのようにな。でも、サスケたちのこわばった顔を見ていたら『我だけではないのか』と、逆に肩の力が抜けてしまった」
「その割には、ずいぶん堂々としていたじゃないか」
「ああ見えて、直前まで心が昂ぶって声も視線も震えっぱなしだったのだぞ?」
少し照れくさそうに、それでいてちょっと誇らしげに。
「お互い、気張りすぎるのはほどほどにしよう。今は我らも、皆もいるのだからな」
「……そうだな」
優しい笑顔とぎゅっと握られた手のあたたかさに、俺も自然と応えることができた。
しっかりしないとってずっと焦っていたけど……そうだよな。ルティだって、七海先輩と空也先輩にこの世界のことを知ってほしかったんだもんな。
ルティの言葉のおかげで、前のめりになりかけていた心が少し落ち着いた気がする。
「街の案内は、ステラ姉様も手伝ってくれるそうだ」
「ステラさんもか。だったら百人力だな」
「うむっ。ナナミ嬢とクウヤ殿に〈らじお〉のある街を楽しんでもらうんだと意気込んでおられた」
「んじゃ、俺らはそのサポートってことで」
「ああ、皆で補っていこう」
お互い笑って、握ってくれた手をそっと握り返して。
俺たちはいっしょに、先輩たちの街案内へと向かうことにした。




