第46話 異世界ラジオのつたえかた・3
コップを手にして、業務用冷凍庫から氷を入れた俺はそのまま水を注いでいった。
それを木製のトレイに置いて、冷温庫からよく冷えたおしぼりを出して添えれば準備完了。
「お水とおしぼりをお持ちしました。メニューはこちらですので、決まりましたら――」
「ああ、ナポリタンのポテサラセットをトーストのほうで」
お客様が座った席へ水のコップとおしぼりを置きながら声をかけると、すぐに注文が入った。伝票ホルダーを持って来ておいて正解だったみたいだ。
「ナポリタン・ポテサラセットをトーストのほうでですね。飲み物は何にいたしますか?」
「アイスコーヒー、食後でお願いします」
「アイスコーヒーを食後にですね。ご注文は以上でしょうか」
「はい」
伝票ホルダーに挟まれたオーダー表へと注文を書き込んで、オーダーを復唱していく。しつこいと思われるかもしれないけど、オーダーミスを防ぐためには欠かせない。
「では、ご注文を繰り返します。ナポリタン・ポテサラセットとトースト、それとアイスコーヒーを食後に。以上でよろしいでしょうか?」
「ええ」
「ご注文を承りました。今しばらくお待ち下さい」
一礼をした俺は、伝票ホルダーと空になったトレイを抱えながらまたカウンターへと戻った。
「店長。ナポリタン・ポテサラセットとトースト、あと食後にアイスコーヒーです」
「ナポサラトーストとアイスコーヒーね。ステラちゃん、トーストをお願いしてもいいかしら」
「もちろんですっ!」
母さんのお願いを受けて、深紫色のスカーフを巻いた銀髪の女の子――ステラさんがスライスしてあるパンケースからを取り出すと、扉を開けたトースターへと入れてダイヤルをぐいっと回す。
「サスケくん、〈とーすと〉はここまで回せばいいんだよね?」
「ええ、『3』と『4』の間までで大丈夫です」
たずねられて見てみると、ちゃんとうちの店のトースト時間に合わせられていた。こんがりサクッと焼くのが『はまかぜ』の特徴だから、この時間にさえ合わせられていれば大丈夫だ。
「よかった。覚えておこうね、ルゥナ」
「うんっ」
ステラさんはちょこんと見下ろすと、隣にいた頭ひとつぶんぐらい背が小さい人間モードのルゥナさんとうなずき合った。
俺よりほんの少しだけ低いステラさんの背には白いブラウスと黒いスラックスがよく映えていて、スカーフからこぼれる長細いふたつの三つ編みがかわいらしい。緑色の髪のルゥナさんも同じ格好だけど、とろんと眠そうな目が元気いっぱいなステラさんといい対比になっていた。
「ステラちゃん、ルゥナちゃん。ナポリタンの作り方、見てみるでしょ?」
「見ますっ、見ますっ!」
「ルゥナも!」
冷蔵庫から刻んである材料入りのボウルを取り出した母さんが声をかければ、ふたりとも弾かれるようにして母さんの隣へと駆け寄っていった。
料理好きのステラさんはもとより、とろんとした目のルゥナさんも目を輝かせているあたり、作るところを見るのが好きなのかもしれない。
うちの店――喫茶『はまかぜ』にふたりのアルバイト店員が加わったのは、昨日のこと。定休日兼ラジオ収録日の月曜が明けて、火曜の朝からステラさんとルゥナさんがキッチンのサポートに入ることになった。
とはいっても、うちの店の料理の知識はふたりともほとんどない。だから、まずはこうして母さんの隣に立って作り方を見ていたり、トーストを作ったりと軽い作業から手伝ったりしている。母さんとしても手慣れたもので、料理を作るときにはこうしてふたりを呼び寄せて実演してみせていた。
「サスケさん~、10番の〈あいすみるくてぃ~・じゃいあんと〉ができあがりましたよ~」
「はーいっ」
「むぅ……さすがに、これを我が運ぶのは無理だな」
同じように、上下白黒ファッションのフィルミアさんが俺へと声をかけてきた。俺の手が塞がっているときはルティが運んでくれるんだけど、さすがに1キロを越えることもある金魚鉢サイズ――『ジャイアント』を持っていくのは自重したらしい。
「これは俺が持っていくよ」
「すまぬな」
「いいっていいって」
ルティをなぐさめながらカウンターの出口のほうへ向かうと、大きめのトレイには2本のストローとマグカップ大のミルクポット、そしてそれを大きく上回る金魚鉢サイズの容器が鎮座していた。
「よいしょっと」
力を入れてトレイを持ち上げれば、容器になみなみいれられたアイスティーがたぷんと揺れる。容量は、たぶん1リットルを軽くオーバーしている。
先代店長のじいちゃんが考えた『ジャイアントサイズ』のドリンクはうちの目玉なわけだけど、母さんや他のバイトさんたちはよく平気な顔で持って行けるもんだと感心するばかりだ。
「行ってらっしゃいませ~」
「気をつけてな」
「行ってきます」
まあ、のんびりほんわかとした笑顔のフィルミアさんと、ちょっと心配そうなルティが送り出してくれるからうれしくもあるんだけどさ。
そんなわけで、夏休みに入って日本での最初の火曜日。ステラさんに加えて、フィルミアさんとルティもアルバイトとしててきぱきとカウンター内で動き回っていた。
なんでも主婦バイトさんの子供が夏風邪をひいたとかで、突発の休み。電話を受けた母さんが困っているとフィルミアさんとルティが申し出てふたりもキッチンのサポートに加わったってわけだ。
これまで何度も手伝ってくれたこともあって、ふたりのスキルも堂に入ったもの。フィルミアさんはいくつかの調理も任されているし、ルティは料理こそまだだけどコーヒーや紅茶をいれたり店内をきれいにしたりとがんばっている。
こうして3姉妹がカウンターの中に揃っている姿を見るのもなかなか楽しいもので、
「んっふふー」
「サジェーナ様、ずーっとそこで見てる気ですか」
配膳を終えてカウンターの奥へと戻れば、居住スペースへの階段に座っているサジェーナ様も楽しそうに3姉妹の奮闘っぷりを楽しそうに眺めていた。
「だって、ステラがチホから料理を学んでるのよ? まさか25年も経って、わたしの娘が同じことをするなんてうれしいじゃない」
「ボクは、ルゥナが眠たそうで危なっかしいから見てるだけ」
「そーゆーわりには、かーさまもじーっとみてるですよね」
「本当、母様も素直ではありませんよね」
「リリナには言われたくないんだけど?」
そのサジェーナ様が座る階段の1段下には、妖精さんモードのリリナさんとミイナさんとピピナが並んで座っていた。
カウンターよりも低いところにいるし、ホールからは陰になっているから問題はない。話し声もミイナさんの結界でカウンターの外へは聞こえなくしているけど、こうきゃいきゃい言い合いをしてるのを見るとちょっとハラハラする。
「まあ、母親参観をしたくなる気持ちもわかります」
「でしょ?」
「ボクは違うってば」
「まーたまたー。あっ、明日はピピナちゃんとリリナちゃんがお手伝いなのよね。ほらほら、ミイナも楽しみにしてあげなくちゃ」
「しない。絶対しないっ」
からかうようなサジェーナ様からの物言いに耐えられなくなったのか、ミイナさんは階段から羽ばたくと、サジェーナ様の背後にまわって小さな手でぽかぽかと頭を叩きはじめた。笑いながら「照れちゃってー」って言ってるあたりからそんなに痛くはなさそうだし、じゃれついてるようなものだろう。
みんながみんな黒のボトムスと白のブラウス、そして色とりどりのスカーフとエプロンをつけているあたりも、なかなか微笑ましい光景だ。
「もうっ、かあさまもミイナさまもあまりケンカしないでください」
そんな風にきゃいきゃいはしゃいでいる母親ふたりを、階段からいちばん近いコンロ前からステラさんがぴしゃりとたしなめる。背が高いこともあってか、なかなか凛々しい。
「今日はステラが夕ごはん当番なんですから、これ以上けんかしたら夕ごはんは抜きにしますよっ」
「はーい」
「なんでボクまで……はいはい、わかりましたわかりました」
「ほらほらステラちゃん、ふたりのじゃれあいにかまってないで続き続き」
「わわっ。チホさん、置いていかないでください!」
仕事で真面目モードになってる母さんにうながされて、ステラさんがあわててコンロのほうへ向き直った。すぐさまシンクのそばにある右側の鍋を気にしたあたり、パスタのゆであがりについてのレクチャーを受けてるんだろう。
「ルティ~、〈ぷちけーきのあらかるとせっと〉ができましたよ~」
「はいっ。では、5番テーブルへと持って参ります」
その向こうでは、3つのミニケーキを見栄えよく並べて、チョコクリームとパウダーシュガーで飾り付けられた皿が乗ったトレイをフィルミアさんがルティへ手渡していた。
「フィルミアさんもさすがですね」
「ミアはリリナちゃんといっしょに、小さい頃からわたしを手伝ってくれたもの。チホの教え方が上手なのはよく知ってるし、戦力になってくれるならわたしとしても安心だわ」
「で、ルティのほうは……へえ、てきぱきと持って行けるんだね」
「ルティさまも、ねーさまやミアさまといっしょにいーっぱいれんしゅーしてたんですよ」
「初めこそ危ないところがありましたが、今では安心して見ていられます」
「ふぅん。じゃあ、サスケから見てどうだい?」
「お、俺ですか?」
くちびるの端をむいっと吊り上げてるミイナさんが、なぜか面白そうに俺へとたずねてくる。そりゃまあ、俺もここで手伝ってくれているルティのことはずいぶん見てるけどさ。
「ここの古株店員としてでいいから、さ」
「まあ、俺もよくやっていると思いますよ。最近じゃオーダー――えっと、注文もとれるようになってきましたし、常連さんとも話したりしますし。あとは、ミイナさんが母さんと流味亭で見たとおり危なげない感じです」
ここで包み隠すものもないから、ルティの接客姿を見て思ったことを素直に明かしていく。ルティの凛としたたたずまいはうちの店の落ち着いた雰囲気にもよく合っているし、ルティ自身うちの店がどういう雰囲気を求めているのかっていうのをよくわかっている。
オーダーを出すにしてもちゃんとカウンターへ戻ってきてから穏やかな声で伝えてくれるし、テーブルが空席になったときにはテーブルをふくだけじゃなくてイスもちゃんと整えてくれる。どう見ても、文句の言いようのない店員さんなわけだけど、
「俺のほうこそ、王女様たちや妖精さんたちが異世界の喫茶店で店員をしてることをお母さん方がどう思ってるか気になりますが」
「ちょうどいい社会勉強ね」
「人となじむにはいいんじゃないかな」
「ふたりとも、これまたあっさりと」
逆に気になっていたことをたずねてみれば、なんでもないようにさらっと返された。
「レンディアール王家の王子や王女なら、誰だって経験することだもの。ラフィだって、レクトとリメイラのお店でよく店番と料理をしていたのよ」
「ラフィって、今のレンディアール王のラフィアス様ですよね。そんなことまでやってるんですか」
「うちの国って成り立ちが成り立ちだから、民と王家の距離がとても近いの。初代様から先代様にいたるまで国中のどこかで店とか農園の手伝いを経験しているし、ミアやルティもそろそろって思っていたから渡りに船って言っていいぐらいね」
「そういう風に思ってくれてるなら、俺としても安心ですけど」
心底楽しそうに言ってるあたり、サジェーナ様は本当にそう思ってくれているんだろう。そうじゃなかったら、自分から店番を申し出たりもしないか。
「ボクは、リリナとピピナがなかよくやってくれればそれでいいよ」
「ミイナさんはやっぱりミイナさんらしいですね」
「そりゃどーも」
あくまでも飄々と言いながら、ミイナさんがサジェーナ様の肩に座る。
「むしろ、ボクが今心配しているのは――」
「ひゃあっ!?」
「うわっ!?」
「ステラっ、大丈夫ですか~!?」
「――そっちのほうかな」
冷蔵庫に貼り付けられたキッチンタイマーが鳴った途端、響いた叫び声に振り返るとステラさんが身をすくませていた。
「ご、ごめんなさいっ!!」
「大丈夫大丈夫。ほら、時間になっただけだから慌てなくてもいいのよ」
「すみません、気をつけます」
母さんは怒ることなく、すぐにキッチンタイマーを止めてステラさんのフォローへとまわった。固まっていたステラさんも気を取り直したみたいで、パスタを茹でていた鍋を持つ母さんのほうへと向き直った。
「やっぱり、機械からの音はまだまだ苦手みたいだね」
「そうですねー……」
珍しく、ちょっと心配そうなミイナさんへ俺もうなずかざるを得ない。
ルティとフィルミアさんのおかげで『ラジオ』がどういうものかを少しずつわかってきてはいるステラさんだけど、やっぱり根本的なところではまだまだ苦手らしくてことある毎にこういう叫びを上げたり、びくっと身体を震わせたりしていた。
日曜日、食べ歩きで電車に乗るときや駅の構内でもこんな感じだったし、
〈お客様にご案内申し上げます。ただいま東都スカイタワーラインは北千流駅構内で発生した車両点検のため――〉
『ひぃっ!?』
〈バックします。ご注意ください〉
『な、なんなのこの声ぇ……』
〈夏真っ盛り! 暑くてだる~いあなたの目を覚ますような大セールを実施中です!〉
『誰っ!? どこにいるのっ!?』
昨日『異世界ラジオのつくりかた』の収録で深草のスタジオへ向かったときには、常にこんな感じ。そのたびにルティやフィルミアさん、ピピナやルティとサジェーナ様がフォローしてくれて、帰りの電車の中では少しは落ち着くようになってはいた。
それでも『ひっ』とか『うぅ……』とか小さく聞こえていたのは……まあ、仕方ないよな。
なんてったって、まだステラさんは日本に来て3日目なんだから。
「チホおねえさん。ルゥナが〈ぱすた〉をゆでるときもこれをつかうの?」
「時間を計るためにはね。それとも、やっぱり怖い?」
「ううん。なるのがたのしそうだから、ルゥナもやってみたくなったの」
「ううっ、なんでルゥナは平気なのー……」
りんご型のキッチンタイマーを持ってほにゃっと笑ってるルゥナさんは、さすがに例外と思っておこう。あと、すぐに興味津々だったルティとフィルミアさんと、学習していたピピナやその痕跡から追ってきたリリナさんも。
……あれっ? そうなると、ステラさんってもしかしてサジェーナ様以来の『知識も興味もゼロで日本で生活してる異世界人』なんじゃないか?
「このあたりは、やっぱりジェナと親子だよね」
「えっ?」
「ちょ、ちょっとミイナ」
とか思っていたら、ミイナさんがぽつりとこぼした言葉にサジェーナ様がうろたえ始めた。
「ボクたちが初めてニホンへ来たとき、ジェナはこういった音がとっても苦手だったんだ」
「ああもうっ、ばらさないでよっ!」
「そうだったんですか?」
「チホの部屋――ああ、今はキミの部屋か。そこで寝てたときだって、目覚まし時計を鳴らせば一発で起きてたぐらいに。〈らじお〉の音は全然平気だったくせに」
「あーもー……ち、ちなみに、今は大丈夫だからねっ。ニホンにいるあいだの1ヶ月、ずーっと聴かされて慣れちゃったんだから」
「そのおかげで、今度はお寝坊さんになっちゃいましたとさ」
「ミイナっ!」
「さっきのお返しだよーだ」
ふふんと笑いながら、ミイナさんがサジェーナ様の肩から飛び立ってさっきまでいた一段下の階段へと戻る。このあたりのからかいあいは、長年の付き合いだからこそなんだろう。
「まあ、こればっかりは慣れなんですかね」
「結局のところはね。なりゆき上とはいえ、先に来てた子たちみたいに順応するにはちょっと時間がかかるかも」
「そうだね。ボクも見守るのがいちばんだと思うよ」
「そのぶんは、私たちで支えることとしましょう」
「ですね。ピピナも、ステラさまをおたすけするですっ!」
心配した俺とサジェーナ様の言葉に、妖精さんたち親子は力強くそう言ってみせた。このあたりも、昔から王家の人たちを見ていたからできることなのかもしれない。ルティとフィルミアさんも様子を見たりしてステラさんに気を配っているみたいだし、俺もできることはやっていかないと。
そんなことを考えると、入口のドアベルがからんと鳴り響いた。
「いらっしゃいませ!」
「おお、相変わらず元気だな。エルティシアのお嬢ちゃん」
「マモル殿ではないですか! ごぶさたしております!」
元気なあいさつからのうれしそうな声に振り向くと、グレーのスーツを着たおじいさん――『ホダカ無線』の馬場さんがドアを開けて入ってくるところだった。
「ごぶさたしております~」
「おう、フィルミアのお嬢ちゃんもごぶさただな。小坊主もなかなかいいツラしてるじゃねえか」
俺が駆け寄ると、馬場さんはスーツと同じグレーの帽子を取ってニヤリと笑ってみせる。この暑い夏でも、相変わらず元気みたいだ。
「おかげさまで。珍しいですね、平日にアポとって来るなんて」
「ウチの孫も夏休みでな。『自分が店番するから、じいちゃんもたまには遊んでこい』って追い出されたわけよ。で、智穂嬢ちゃんのコーヒーを飲むついでに納品に来たってわけさ」
「そう言っていただけるとうれしいです。あとで、いつものアイスコーヒーをお持ちしますね」
「本当、智穂嬢ちゃんは坊主にもったいない気立てのよさだな。ありがとよ」
「まあまあ、馬場さんったら」
俺のあとにやってきた母さんが、馬場さんの褒め言葉に手をぱたぱたとさせながら笑う。俺たちの家に無電源ラジオのキットを持ってくるようになってからはすっかり顔見知りになって、母さんが知らないラジオ好きとしての父さんの顔を話してもらったりしているらしい。
「ワゴンはうちの駐車場に停めてますよね」
「もちろん。今は混んでるから、あとで運び込むとするか」
「じゃあ、まずは2階でひとやすみしてください。母さん、ちょっとだけ抜けてもいいかな」
「ええ。アイスコーヒーも作ったら持っていくわね」
「エルティシア様、サスケ殿。もしよろしければ、私たちがあとを引き継ぎますが」
「ピピナもねーさまといっしょにてつだうですよー」
母さんから中抜けの許可をもらおうとしたら、その後ろからひょっこりと人間サイズになったリリナさんとピピナが姿を現した。ライトブルーのエプロンとスカーフもお揃いで、凛々しいお姉さんとかわいらしい妹さんって感じだ。
「いいんですか?」
「もちろんです。マモル殿、ようこそいらっしゃいました」
「まもるおじーちゃん、いらっしゃいです!」
「おうおう、リリナ嬢ちゃんもピピナ嬢ちゃんも相変わらずだ。すまんな、こんなジジイのために嬢ちゃんたちの手をわずらわせて」
「なにを仰るんですか。マモル殿がいらっしゃるから〈らじお〉づくりがはかどるのではないですか」
「きびしーけどやさしーおじーちゃんだから、ピピナたちもがんばれるですよ。ルティさま、さすけ、あとはピピナたちにまかせてくださいっ」
俺よりもずっと低い背で見上げてくるピピナが、どんとこいとばかりに握りこぶしをつくって胸元を叩いてみせた。前のピピナだったら背伸びしてとか思ったかもしれないけど、今のピピナならこんなに頼もしい申し出はない。
「では、ふたりの言葉に甘えてここで交代させてもらおうか」
ルティもそう思ったみたいで、断ることなくふたりの申し出を受け入れた。
「そうだな。じゃあ馬場さん、こっちの玄関からどうぞ」
「ああ、そうだったそうだった」
俺は先に店の外に出ると、すぐ脇にある奥まった通路へと先導した。隣の本屋さんと店に挟まれた通路を進んでいけば、突き当たりにはドアがあって、
「ただーいまっと」
そのドアを開けると、目の前には下駄箱と2階への階段が。そしてその脇には店のキッチンへの通路があった。ここが休みの日や営業時間じゃない時、そしてお客さんが来たときに使ううちの玄関だ。
「邪魔するぞ」
「どうぞ。マモル殿のぶんの〈げたばこ〉も空けております」
「こうやって、ケチャップは一気に入れないよう少しずつ入れていくの。トマトの酸味が強い調味料だし、入れすぎたら調整が利かないから」
「そっか。お店で出すときには決まった量だから、〈メン〉を入れて増やすわけにもいかないんですね」
馬場さんが土間で靴を脱いでるすぐ側では、さっきまでにこやかに話していた母さんがもうアリステラさんへの料理講習に戻っていた。あとはもう、俺たちに任せるっていうことなんだろう。
「なんだ、初めて見る嬢ちゃんだな」
「私のひとつ上の姉であるアリステラです。今はちょうど、チホ嬢からこの店の料理を学んでいるところでして」
「なるほどな。邪魔するのも悪いだろうし、さっさと上へ行くとしよう」
「わかりました」
先に土間から上がった俺は、誰もいなくなった階段をゆっくり上がっていった。……って、あれっ? サジェーナ様とミイナさんはどこへ行ったんだろう。
疑問が湧いてきたからっていって立ち止まるわけにもいかないから、そのまま階段を上がり続けて2階のリビングへと入っていく。
「アヴィエラさん、馬場さんが来ましたよー」
「えっ、もうそんな時間なのか!?」
ダイニングのテーブル席にいたアヴィエラさんが、あわててこっちを向く。何か書き物でもしていたのか、ボールペンを握った手の下には開かれたままのノートが置いてあった。
「よう、アヴィエラの嬢ちゃん。勉強でもしてたのか?」
「いらっしゃいませ、マモルさん。勉強といえば、まあ勉強かも」
アヴィエラさんが照れ笑いを浮かべながらペンを置いて頭をかくと、腕が陰になって見えなかったところに小学生用の国語辞典と1冊の大きめな本が並べられていた。
「どれどれ……おお、『おおきなかぶ』とはまた久しいな。この話を、嬢ちゃんたちの国の言葉へと訳しているというわけか」
「そんなところです。このあいだ図書館で借りてみたら面白かったんで、〈らじお〉で子供向けに読めるようにしとこうかなって思って」
「うむ、こういうわかりやすくて親しみやすい話なら子供たちも喜ぶだろう。どんな情景なのか、想像力も養えるだろうしな」
「でしょ? えへへっ」
リビングからダイニングへと歩みを進めて近づいて来た馬場さんへ、アヴィエラさんが誇らしそうに笑ってみせる。俺もじいちゃんにほめられたりするとこんなふうに笑うけど、アヴィエラさんもそんな感じなのかな。
「ようこそいらっしゃいました。ババ・マモル様」
「いらっしゃーい」
さっきまで俺たちがいた入口からの声に振り向いてみると、店使用の服装からオレンジ色の皇服と白いワンピースに着替えたサジェーナ様とミイナさんがリビングへと入ってくるところだった。なるほど、ふたりとも馬場さんを出迎えるために着替えてきたのか。
「おや、そちらのお嬢さん方は……ルティ嬢ちゃんとピピナ嬢ちゃんのお姉さんかな?」
「あらあら、そう仰っていただけるなんて。わたしはエルティシアたちの母で、サジェーナ・フェリア=ディ・レンディアールと申します」
「ボクはミイナ・リーナ。ピピナたちのお母さんだよ」
「おお、これはごていねいに。『リーナ』ということは、もしやお嬢ちゃんも……」
「うん。レンディアールに住んでる『精霊』だね」
ミイナさんはこともなげにそう言うと、何も無かった背中に透きとおった蝶のような羽をぱんっと広げてみせる。
それを見て一瞬面食らった馬場さんだけど、ミイナさんが薄い表情のままVサインをしてみせたとたんに豪快に笑い出した。
「わははっ、これはこれは! まさか、ピピナ嬢ちゃんやリリナ嬢ちゃん以外にも妖精さんが来ていたとはなぁ」
「だから『妖精』じゃなくて『精霊』だって。妖精たちのお母さんが精霊。これ、よーく覚えておいて」
「すまんな。ということは、ワシよりもずっと年上だったりするのか?」
「わたしたちの祖先が今の地に移る300年前よりずっと長く生きているそうなので、おそらくこちらの世界の誰よりも長命かと」
「だからって言って、ボクを敬ったりしなくてもいいからね。そういうの、すっごく苦手なんだ」
「わかった。じゃあ、ミイナ嬢ちゃんと呼ぶとしよう」
「ん、それでいい」
「そちらのお嬢さんも、サジェーナ嬢ちゃんでいいのかな?」
「はいっ。わたしはチホとほぼ同い年ですから全く構いません」
馬場さんのフレンドリーな物言いに、ミイナさんはくちびるの端だけで笑って、そしてサジェーナ様はふわりと笑って応えてみせた。秋葉原のホダカ無線で俺らと初めて会ったときはえらい仏頂面だったのに比べるとずいぶん雲泥の差だ。
まあ、うちに来て初めてピピナとリリナさんの正体を知ったときも豪快に笑い飛ばしてたし、本来はこういうフレンドリーな人なんだろう。
「マモルさん、立ちっぱなしもなんだからこっちに座ってよ。こっちこっち」
「そう慌てなさんな。ちゃんと座るよ」
その馬場さんを、3つ並んだイスの真ん中に座るアヴィエラさんが右隣の席を引いて誘う。ミイナさんはその反対側になる左隣のイスに座って、向かい側にサジェーナ様が座る。そこから左側へとルティと俺が座って、ダイニングのイスは見事に埋まった。
「で、どうなんだ。お前さんたちのラジオ局作りのほうは」
「少しずつではありますが、ここ最近は試験放送などを行っております。つい先日は、我とサスケと母様で〈ろくおんばんぐみ〉作りを行い、街中の店頭や警備隊の詰め所などに向けて〈ほうそう〉いたしました」
「そいつはまたずいぶんと進んだもんだ。その受信機っていうのは、やっぱりあれを使ってるのか」
「もちろんっ。マモルさんに教えてもらって作った〈むでんげんらじお〉を使ってるよ」
「あの、この間放送中に街中で撮ってきた写真があるんで見てみますか?」
「なんだ、わざわざ撮ってきたのか」
「馬場さんにも是非見てもらいたいって思って。ほら、こんな感じで」
「どれどれ……」
俺はポケットからスマートフォンを取り出すと、ギャラリーアプリを開いて横倒しにしてから『4日後』の日付が入っているフォルダを再生して馬場さんのほうへと向けた。
「ほほう、これはこれは」
馬場さんも心得たもので、差し出したスマートフォンの画面を指でスライドさせていく。その度に『ほう』とか『こんなところにも……』って感心したように言うもんだから、見せているこっちとしてもとても楽しい。
「……何度見ても、やはり不思議な気分になるな」
「そうですか?」
「そりゃあそうだ。こんな異国にワシがキットを作った無電源ラジオがあるなんざ、どう考えても違和感だらけに決まっとる。……まあ、アヴィエラの嬢ちゃんやエルティシアの嬢ちゃんが映っとるということは現実なんだろうがな」
「現実も現実。アタシがこっちにもここにもいるのが、でっかい証拠さね」
「ふふふっ。魔法使いの嬢ちゃんから言われる以上の説得力なんてないわな」
親指を立てながら自分を指さすアヴィエラさんへ、隣の馬場さんもくちびるの端をつり上げて笑い返す。
こうしてよどみなく話していることからもわかるとおり、馬場さんはルティやピピナやアヴィエラさんといったレンディアールから来たみんなの事情を知っている。
……というか、そもそもルティたちのほうから明かしたんだけどさ。
『それにしても、2000台も発注とはなぁ……お前さんたち、いったい何をしようとしとるんだ』
すべては、馬場さんからのこのひとことがきっかけだった。
場所は同じ、このダイニング。俺とルティとフィルミアさん、リリナさんと中瀬とアヴィエラさんとで無電源ラジオの組み立てをしていたときに、ひとりひとりアドバイスをしてまわってくれていたときにぽつりとその言葉をこぼした。
今思えば当たり前だ。学校でも企業でもないいち個人、いち家族が買うにしてはとてつもなく多すぎる台数だし、その使い道が気になれば聞きたくもなる。
だけど、その時の俺たちは誰も答えることができなかった。
俺と中瀬は、自分から言っても信じてもらえないんじゃないかと思って。
ルティとフィルミアさんも似たようなもので、言ったところで信じてもらえるのかと思って。
リリナさんは、明かしたその先で自分の正体を怖がられるんじゃないかと思って。
そんな中でただひとり、アヴィエラさんだけはとっさのことで答えに詰まって。
なんとか俺が『趣味と実験で』ってひねり出せはしたけど、それはあくまでも表面的なもの。『面白い連中だ』と笑った馬場さんにカラ笑いしか返すことができなくて……その夜に、俺とルティがアヴィエラさんに呼ばれてこう相談されたんだ。
『アタシたちのこと、マモルさんに明かしちゃダメかな』
どこか切実そうなその問いかけは、イグレールさんの事件があった頃を思い出させるような思い詰めたモノだった。
『イグレールじいさんとああなったのは、ちゃんと話さなかったのが原因だからさ。マモルさんとそんなことにはなりたくないし……もしできるなら、ちゃんとアタシたちがニホンとは違う世界で〈らじお〉を作ってるって知ってほしいんだ』
言いにくそうに、それでいてどうしても伝えたいといった感じでゆっくりと話すアヴィエラさんに、俺とルティができることといったらたったひとつ。『みんなを呼んで、いっしょに話し合う』っていうことだった。
こればっかりは、俺とルティとの一存で決めることはできない。みんな馬場さんと対面してそれぞれの考えもあるんだろうし『馬場さんにはもう全部話しました。はい、おしまい』なんて事後承諾をしても本当にそうなのかと不安がられるだけだ。そう言ったら、アヴィエラさんは『それでもいい』と受け入れてくれた。
『異世界ラジオのつくりかた』の放送日にみんながうちへ泊まっている最中、リビングとダイニングに集まったみんなの前で話したときも、アヴィエラさんは切実にみんなに抱いていた想いを話した。
なにもないところから、みんなで〈らじお〉を作っているということ。
馬場さんが教えてくれたおかげで、〈らじお〉の受信機を作ることができていること。
その受信機が異世界のいろんなところに置かれ始めて、〈らじお〉の試験放送も始まっていること。
伝えたいっていうアヴィエラさんの熱意の甲斐もあって、不安がっていたフィルミアさんやリリナさんも自分たちのことを明かすことに同意してくれた。ピピナも馬場さんのことを慕っていたから、自分が妖精さんだって明かせることがとてもうれしそうだった。
そうと決まればあとは早いもんで、その次の日曜に馬場さんが来た時にはルティたちが異世界から来たこと、ピピナとリリナさんが妖精さんであること、そしてラジオなんて言葉のかけらもない世界でラジオ作りをしていることを明かした。
『なんだ、お前さんたちはコスプレが趣味だったのか』
とか言われたときにはさすがにみんなで脱力したけど、その中でもいち早く気を取り直したアヴィエラさんが何もないところから魔術で色とりどりの花束を作り出したことでようやく驚いてもらうことができた。
そこからはあっという間で、ピピナとリリナさんが揃って妖精さんモードになって空を飛んでみせたり、俺と有楽と中瀬がヴィエルの街でスマートフォンを使って撮った写真を見せるとやっと少しは信じてくれて。
「しかし、本当に古い映画でも視ているかのようだな。実にようできとる」
「だから〈えいが〉じゃなくて現実なの」
それでもこうして馬場さんがフィクション扱いするたびに、アヴィエラさんは仕方ないといった感じで苦笑しながら訂正を加えていく。
その時馬場さんが見せるニヤリとした笑顔からして、きっと馬場さんもアヴィエラさんとのこういうやりとりを楽しんでいるのかもしれない。
「まったくもー。ほらっ、アタシも〈むーびー〉っていうのを撮ってきたからマモルさんに見せてあげるよ」
「ほほう、動画を撮ってきたというのか」
「写真とかじゃらちが明かないってわかったからね。サスケ、〈てれび〉でこの〈むーびー〉を見ることってできるんだよね」
「ええ、できますよ。ちょっと待ってくださいね」
アヴィエラさんにたずねられた俺は、テーブルの片隅に置かれたテレビのリモコンを手に取ると壁際へ置かれた40型の液晶テレビの電源を入れた。
そのままHDMIモードにすれば、データ受信用の待機画面が出てきてあとはスマートフォンからデータを送信するだけだ。
「魔法使いがスマートフォンを持っておるのか」
「こっちでいつもみんないっしょとは限らないでしょ。チホさんが提案してくれて、エルティシア様が資金提供してくれたんだ。設定とか説明は全部サスケがやってくれて」
「まるで一種の講習会でしたね」
「ふーん……わたしも今度、サスケくんにお願いしてみようかしら」
「別にかまいませんよ。それじゃあアヴィエラさん、ちょっとスマートフォンを借りますね」
「ん、よろしく」
差し出されたスマートフォンは俺と同じ機種の色違いで、画面とメーカーロゴ以外は全部ブラックっていう存在感のあるものだった。
そのおかげでソフトの扱い方も同じだから、ムービーもすぐ呼び出せる……と思ったら、ムービー再生ソフトを起動したとたんにサムネイル画像がずらずらと並び始めた。アヴィエラさん、ずいぶんムービーを撮ってるんだな。
その中のひとつをタップすると、スマートフォンでムービーが再生され始める。あとは右上にある『送信』を示すアイコンをタップすれば――
「おっ、映った映った」
「ほう……確かに動いておるな」
大画面のテレビに、レンガの建物と石畳が特徴なヴィエルの街並みが映し出された。
車道なんてないから道路のと真ん中でも人が行き交っているし、上の方を見てみても電線はない。男の人たちの服装は胸元がひもで開け閉め出来るようシャツとズボンを身につけていたり、女の人たちもワンピースタイプのドレスみたいな服を着ていたりと日本とはまるで雰囲気が違う。
「ここがヴィエルの市場通り。エルティシア様たちが住んでる市役所の真ん前にある通りだよ」
「アヴィエラ嬢が来られた国・イロウナとの国境にあるため、こうして人が多く行き交っているのです」
「へえ、最近の〈デンワ〉にはこういう機能もあるのね」
「ジェナ、このあいだからずっとそんなこと言ってる」
「ふむ。電気や電話とか、そういった類のものはないということか」
「そうですね。南の方にあるフィンダリゼって国なら電気があるらしいんですけど、まだ実験段階だそうです」
「そんな中でラジオを始めようってのか……こりゃあ、確かに面白い」
俺の説明に、さっきからくちびるの端をゆがめて笑っていた馬場さんが言葉どおり面白そうにつぶやいた。
「人は多く住んでおりますので『言葉で物事を伝える』ことはとても有効だと思い、サスケに願って〈らじお〉を広めることを決断いたしました」
「そろそろ、その〈らじお〉が置いてある店の様子が映る思うよ」
その言葉通り、アヴィエラさんが撮影したムービーは道路の真ん中から少し外れて右側の店へと近づいていった。たしか、こっちの道は……
『やあ、いらっしゃい。アヴィエラちゃん』
『こんにちは、リメイラさん。今日も来ちゃいました』
『またミラップのシロップ水と砂糖漬けかい?』
『えへへっ、そんなところです』
やっぱり。リメイラさんとレクトさんのお店か。確かにここにも無電源ラジオを置かせてもらってるもんな。
「ほほう、これが異世界の言葉とやらか」
「あっ。そういえば、馬場さんにもわかるようにしたほうが……」
「かまわんよ。こういうときは、現地の言葉でどうラジオが使われてるかのほうが重要だ」
「なるほど。それもそうですね」
馬場さんがそう言うなら、ここで言葉をわかるようにお願いしても無粋か。今は、訳したりして馬場さんに伝えることに徹しよう。
「アヴィエラさんがレンディアール特産の果物が大好きで、よくこの八百屋さんへ来るんです。で、この店にもお客さんがよく来るから無電源ラジオを置いてもらっていて」
「前に小坊主から聞いてはおったが、人が集まるところを基準にして置くというのはいいな。ちゃんと、分散して置いているんだろうな?」
「もちろん……と言いたいところですけど、南の方にある住民区画は交番みたいなところの1カ所しか置いてなかったんで、ついこの間からその支所へと置いてもらうようにしました」
「ふむ、まあよかろう。どういうものかを聴いてもらうためには、人は少なすぎても多すぎてもいかんものだ」
仕方ないといった馬場さんからの物言いには、納得せざるを得ない。このあいだ南門近くの警備隊詰め所で見た時はとんでもない混雑でラジオの音が聴こえにくくなっていたし、ラジオからの音を人々の声がかき消したりしたら本末転倒だ。
「それにしても、アヴィエラの嬢ちゃんはよく喰うな」
「あ、あはははは……魔力の補充には、甘いものがいちばんなんだよ」
「本当かぁ?」
「ほ、本当だってば! あっ、ほらほらっ! そろそろ〈らじお〉の様子が映るよ!」
あからさまに話題を逸らそうとしながら、アヴィエラさんがテレビを指さす。すると、店の奥まったところにある飲食スペースへと歩いていったことでそのテーブルの上にある無電源ラジオが映し出された。
「確かに。ここはさっき写真でも見せてもらったところだな」
「そうそう、その場所。もしかしたら物足りないんじゃないかって思って撮ってきたんだ。朝早くに行ったから音が聴こえなくなってるけど、まあ見ててよ」
『ねえ、リメイラさん。〈らじお〉の音を出してもいいかな』
『もちろんいいよ』
『ありがとっ!』
アヴィエラさんとリメイラさんのやりとりが聞こえたかと思うと、画面の下のほうから浅黒い手が伸びて無電源ラジオのダイヤルをつかんだ。それをゆっくりと、少しずつ右側にまわすと――
「おお……」
「ほらねっ」
無電源ラジオの本体横に置かれたイヤホン+メガホン製のスピーカーから、ピアノの軽快な音が流れ始める。
ささやかで穏やかなノイズが混じったクリアな音色が、スピーカーからほんの少し割れたように響いている。FMラジオ独特の音は、ちゃんとこの異世界のお店にも届いていて、
「ワシが手がけた無電源ラジオが、こうして違う世界でも聴けるようになっていたとは」
「だから言ったでしょ。みんなで作って、いろんなところで聴けるようにしたって」
「すまんかったな。半信半疑だったが、こうして見せられたらもうぐうの音も出んわ」
「いいのいいの。アタシはこうしてマモルさんに見てもらいたかっただけだし、それに加えてわかってくれたら言うことはないよ」
「相変わらず生意気なことを抜かしおる」
「えへへっ。それがアタシだもん」
腕を組んで呆れたように笑う馬場さんへ、アヴィエラさんはにまっとした満面の笑みで返す。初めて出会ったときから比べるとずいぶん砕けた口調にはなっているけど、慕っているのはずっと変わらないみたいだ。
「しかし、『ルーマニア民族舞曲』とはまたいい選曲だな」
「この曲ってそういうタイトルなんですか」
「なんだ小坊主、わからんで選曲してるのか」
「いやいや、選曲してるのは俺じゃなくてリリナさんですから。というか、選曲とかこういう音楽番組のパーソナリティはレンディアールのみんなにお願いしてるんです」
「現地の〈らじお〉ならば現地の者が音楽を選曲したほうがいいと、ルイコ嬢に教わりまして。ルイコ嬢とサスケが貸してくれた〈おーでぃおぷれーやー〉をもとに、日々選曲しております」
「そういったところはさすがにデジタルか。ルティの嬢ちゃんもアヴィエラの嬢ちゃんも、初めて触って大変だっただろう」
「ソレはもう。しかし、サスケが手取り足取り教えてくれたのでとてもわかりやすかったです」
「アタシもミハルが教えてくれたから。こうやって〈すまほ〉もちょっとは使えるようになったしね」
「ふむ。やるな、小坊主」
「何がですか」
ニヤニヤしながらくっくっくって笑われても、俺には何のことやらさっぱり。
それからもアヴィエラさんが撮影してくれたムービーを次々と再生していくと、ヴィエルでいろんな人がラジオを聴いている光景が次々と映し出されていった。
昼下がりの『流味亭』で、のんびりとお客さんたちがスープを飲んでいる中でラジオの放送を聴いているところや、南門近くの警備隊詰め所前でイスを持ち出してまでたくさんの人がラジオを聴いている光景。そして、イロウナの商業会館でカウンターに置かれたラジオに聴き入るイグレールさんなんて姿も映し出された。
「ほほう。ワシのようなじいさんもラジオを聴いていると」
「お年寄りの人たちには、特に音楽の〈ばんぐみ〉が好評みたい。たぶん、レンディアールが『音楽の国』だからじゃないかな」
「ヴィラちゃんの言うとおり、音楽については特に幅広い立場の人々に好まれると思います。毎年冬前には芸術祭が開かれたりするのですが、いつも席が埋まってしまって……もし〈らじお〉を活用できれば、今まで以上に多くの人たちに楽しんでもらえるのではないかと」
「ヴィエルだと800席、中央都市でも3000席だもんね。もし〈らじお〉で聴けるとなったら、きっと目玉になるんじゃないかってボクは思うよ」
「そういった需要がある中で、ラジオを広めるというのは実に面白いな。定着すれば、きっと多くの人が聴いてくれるだろう」
「でしょ?」
「で、どうなんだ。店に出しているのはいいが、住んでいる人たちへ売るぶんの無電源ラジオは完成しておるのか?」
「うっ」
何気ない馬場さんからの言葉に、思わず言葉が詰まる。
そう、そこなんだよ……今の俺たちの課題は。
「まだ作り切れてはおりませんが、それなりには」
「エルティシアの嬢ちゃんがそう言うならそうなんだろうが……その割には、小坊主の表情が冴えないようだな」
「あ、あははは……気のせいですよ」
「正直に言うてみい」
「えーっと……あと500台ぐらい?」
「結構残っているな。だが、開局が9月なら十分に間に合うだろう」
「それはそうなんですけど、街のお店へ先に配ったことでラジオを聴くために居座る人とか出てきそうで」
「なるほど。それはそれで由々しき問題だ」
俺が心配していることを明かすと、馬場さんもひとつ唸って腕を組み直した。
「サスケ、それってどういうことだい?」
「ラジオを聴きたいからって、店に居座る人が出てくるんじゃないかって思ったんですよ。この間流味亭やリメイラさんの店へ行ったらずっと座ってる人がいましたし、食べたいお客さんがいても食べられないまま帰らないといけませんよね」
「それはそれで、店が繁盛していいって思うんだけど」
「アヴィエラ嬢。そのひとりひとりが再度注文せずにいたらどうなるでしょうか」
「あー……お客さんが回らないから、その分売り上げを失うってことか」
アヴィエラさんも合点がいったみたいで、胸の下へ回すようにしてふんむと腕組みをする。薄手のTシャツ姿だから目立ってしょうがないけど、今は真面目な話なんだし触れないでおこう。
「今はまだ店とか警備隊の詰め所にしか無電源ラジオがないから、そうなるのは仕方がないかもしれません。でも、1ヶ月以上それが続いたらお店の売り上げとかにも響くんじゃないかなって思って」
「確かにね。うちの商業会館でラジオを聴いてる人もみんながみんな品物を買っていくってわけじゃないし、それが飲食店になると安い食事をしただけで居座られて埋まるわけだし……そりゃあ、確かに問題だ」
「なので、サスケとともにもっと制作の速度を上げようかという話をしていたのです」
「いやいやいや、そいつは無理だろ。ただでさえエルティシア様たちには公務もあるんだし、サスケだって夏休みを全部使えるってわけじゃない。無理なんかしたら、絶対どこかで潰れるって」
「それは、もちろんわかってますけど」
とがめるようなアヴィエラさんの声に、俺も言いよどむしかない。だからといって、他に考えられる改善方法なんてないわけで……
「まったく。小坊主も嬢ちゃんたちも、ちょっとは近くを見てみい」
「馬場さん?」
そんな風に頭を抱えそうになったところで、馬場さんがまた呆れたような声を上げる。
「ワシがいるだろうが、ワシが。なんでワシにそのことを相談せんのか」
「えっ? あ、いや、馬場さんはお店の人なわけで、キットを売ってもらってるわけですし……」
「馬鹿を言え。こうしてワシを巻き込んでおいて、売買だけの関係とか戯言を抜かすな。500万円分も製作キットを買ってくれたというのに、値引きは一切拒否して全額現金支払い。できることといえば無電源ラジオの作り方を教えることぐらいなのだから、ワシに手伝えと言ったところで感謝こそすれ怒ったりはせんわ」
「で、でも、本当にいいんですか?」
「幸い、ワシもこうして夏休みの身だ。家でこもって悠々自適なんて性分でもなし、店の奥で孫に教えながらがっしがっし作ってやるわい」
「マモル殿……ありがとうございます!」
「なあに、礼を言うのはワシのほうだ。この老いぼれにまた火を点けてくれたのだからな」
礼を言って頭を下げるルティへ、豪快に笑いかける馬場さん。そのまま隣にいるアヴィエラさんのほうへ顔を向けると、
「アヴィエラの嬢ちゃんにも感謝だな。ワシが作ったキットで、こうして異なる世界の街でも楽しんでもらえてると教えてくれた」
「そんな、感謝だなんて。アタシはただ、マモルさんに見せたいって思っただけで……」
「十分にも程がある動機じゃないか。ありがとうな、嬢ちゃん」
「あぅ……」
ひととおりアヴィエラさんへ感謝してから、うんうんと力強く何度もうなずいた。
「小坊主、今日持って来た200台のキットはそのまま持って帰るぞ。ワシが作ったら、またここへ持ってくるからな」
「馬場さんがそう言うなら……あの、本当にありがとうございます」
「ただの気まぐれだ、みんなしてそこまで気にするこたぁない」
「じゃあマモル、ボクにも作り方とか教えてくれる?」
「なぬ?」
とか思っていたら、アヴィエラさんの隣に座っていたミイナさんがしゅたっと右手を挙げて問いかけてみせた。
「いいわね。マモルさん、わたしたちにも〈らじお〉の作り方を教えていただけませんか?」
「なんと、ミイナ嬢ちゃんもサジェーナ嬢ちゃんもか」
「わたしも〈らじお〉をレンディアールの国中に広げたいって思っているんです。娘たちの楽しそうな姿を見ていたら、マモルさんに習ってみたいと思いまして」
「ボクは、作ってみたら楽しそうかなって思っただけ」
「あらあら。昔この家から〈すてれおこんぽ〉を持ち出そうとしたぐらい〈らじお〉好きなのに、本当にそれだけ?」
「じぇ、ジェナっ!!」
「わっはっはっはっ! そうかそうか、嬢ちゃんたちもラジオ好きか!」
サジェーナ様とミイナさんのじゃれ合いを見て、豪快に笑ってみせる馬場さん。その声はとてもうれしそうで、
「だったら、すぐにでも教えてあげよう。小坊主、はんだゴテやキットの準備は出来るか?」
「もちろんです。部屋にあるんで、今すぐ用意しますね」
馬場さんからの頼みも、素直に聞きたくなるほどだった。
「サスケ、我も手伝おう」
「ああ、ふたりとも頼んだぞ」
「「はいっ」」
いっしょに立ち上がった俺たちは、リビングを出て3階へ。
「サスケ」
「ん?」
その途中で声をかけてきたルティも、とってもうれしそうで、
「携わってくれる人たちが増えるというのは、やはりうれしいものだな」
「ああ。みんなでいっしょに作ってるって感じがしていいよな」
「うむ。それに、世界を越えて〈らじお〉が繋がっているという心持ちになる」
「そうだな。アヴィエラさんには、あとでいっぱいお礼を言わないと」
「我も、風呂へ行ったらアヴィエラ嬢の背中を流すとしよう」
俺にまで、ワクワクする気持ちが伝わってくる。
馬場さんが手伝ってくれるって言ってくれたこともうれしいし、レンディアールで流れるラジオの光景を見てもらえたこともうれしい。
でも、それ以上にラジオのことで喜んでくれたことがうれしくて。
今まで以上にラジオを大切に作っていかないとって、そう思った。
これにて、第5章「異世界ラジオのひろめかた、ふたたび」はおしまいとなります。
異世界をきっかけとしたラジオ局・ラジオ番組作りは日本にも広がっていって、少しずついろんな人を巻き込んでいきます。今後はまた日本でいろいろ学んだり、その後には開局を迎えたりして。今後も佐助やルティたちのラジオ局・ラジオ番組作りを楽しんで頂ければ幸いです。
次回第6章は2/13からの開始予定。2週ほど合間が空きますが、その中で1~2編ほど番外編をお送りできればと考えております。
それでは皆様、また次回!




