第45話 異世界ラジオのつたえかた・2
図書館には、ずっと堅苦しいイメージを持っていた。
若葉南高にある図書館なんかも本棚が窓をさえぎっていて、照明を消せば晴れていようが曇りだろうがうす暗いし、棚の間隔も狭くてすれ違いづらい。
本が日焼けしないようにっていう配慮ももちろんあるんだろうけど、それが近寄りがたい雰囲気を作り出していて、試験前の勉強以外はほとんど足を運んだことはなかった。
でも、この図書館はまるで違う。
「こ、この棚がまるまる料理本の棚なの?」
「そうだよー。和食……えっと、日本の食事から世界の食事までみんな網羅されているんだ」
唖然としているステラさんの隣で、有楽が声のボリュームを落としながら説明している。
有楽の言うとおり、今俺たちがいるのは料理の本がぎっちり詰まった棚の前。『日本和食百選』っていう古ぼけたハードカバーの背表紙から『10分でかんたん!スピードお弁当』なんていう軽くポップな背表紙のものまでいろいろ揃っていて、ちゃんと料理のジャンルごとに揃えられている。
その上、本棚と本棚の間のスペースは広くとられていて、背中合わせになってももうひとり間を通れるぐらいにゆったりとしている。そのお陰で照明はしっかり行き渡っているし、なにより大きく幅広い窓が本棚から距離をとった形で外の明かりをとりいれていた。
俺が今まで抱いていた図書館へのイメージとは、全く真逆のつくりだった。
「この図書館って、結構見やすく作られてるんだな」
「松浜くん、若葉市民でありながら来たことがなかったんですか」
「南高の図書館で事足りてたからな。そう言う中瀬はよく使ってるのか?」
「ええ。地元の図書館は家から自転車で15分かかりますし、ここなら通学経路で駅からも近いので」
「あー……だったら、遠くの図書館より近くの図書館を使うわな」
「そういうことです」
有楽のように声のボリュームを抑えながら、中瀬が小さくうなずく。いつもならひとこと言えば倍以上はチクチクと言ってくるのにそうしてこないのは、やっぱりここが図書館だからか。
日曜日っていうこともあってか、3階の一般図書室には子供から大人まで多くの人たちが訪れていた。窓際にある読書席はとんど埋まっているし、いろんな人が本棚の前に立ち止まって静かに本を探したり、ぱらぱらとめくっていたりしていた。
そんな感じでいつもやかましいふたりがおとなしくしてる一方、
「すごいな、これは……」
ルティは少し離れたところでキラキラと目を輝かせながら、立ち並ぶ本棚を見回していた。
「レンディアールにも図書館はあるんだよな」
「うむ。だが、こうして開放感にあふれた図書館というのは初めてだ」
「なるほどな。実は俺もここに来るのは初めてなんだ」
「そうなのか?」
「日本全国の学校には、それぞれ図書館とか図書室があるからだいたいそれで事足りるんだよ。だから、こんなにきれいなところとは思わなかった」
「ふむ、全てが全てこういうつくりをしているというわけではないのか……本が日焼けするのを防ぐために窓から本棚まで離れているし、読むための席もすぐ側にある。このつくりはレンディアールでも見習いたいところだ」
相変わらず楽しそうな笑顔で、ルティが図書館の中を見回す。それでいて声が小さいあたりからすると『図書館では静か』にっていうルールが万国共通のものなのかもしれない。
精霊大陸にある農耕国家のレンディアールと魔術国家のイロウナ、そして機械国家のフィンダリゼは親密な友好国家で、お互いの特産品や工業品を活発に取り引きしている。フィンダリゼ産の活版印刷機もそのひとつで、職人街にある出版社ではいろんな本が刷られていた。
まだ大陸公用語が読めない俺は行ったことがないけど、異世界の図書館がどんなものかを見に行ってみるのも楽しそうだ。
「ルティは、何か読んでみたいものとかあるか?」
「そうだな。せっかくだから、アヴィエラ嬢が言うようにニホンの物語を読んでみたい。カナが言うには、青少年向けの『らのべ』というものが最近は流行だそうだが」
「『らのべ』……ああ、ライトノベルのことか。それだったら専門のコーナーがあるみたいだから行ってみようか」
「ああ、行ってみよう」
ルティが大きくうなずいたのを見て料理本のコーナーへ戻ると、有楽と中瀬がステラさんをはさんで本の説明をしているみたいだった。ステラさんが手にしているのはどうやらお菓子作りの本のようで、3人の楽しそうなささやきがこっちにも聞こえてくる。
「有楽、中瀬、ルティとライトノベルのコーナーに行ってくるから、ステラさんのこと頼んだぞ」
「あれっ、せんぱいってラノベ読みましたっけ?」
軽く声をかけると、顔を上げてこっちを向いた有楽が小さく首をかしげた。
「少しはな。ルティも読んでみたいっていうし、せっかくだから行ってみようと思って」
「なるほどなるほど……んー」
って、納得したようにうなずいていたのに、なんで急にあごに手をあてて考え込むんだ?
「ルティちゃんが読みやすいのだと、児童文学のほうがいいんじゃないかなぁ……」
「どうしてだよ」
「いえ。児童文学ならふりがなが振ってあるのも多いから読みやすいかなーって。ラノベだとほとんどふりがながないし……まあ、せんぱいが読み聞かせてあげるなら別ですけど」
「ら、ライトノベルの読み聞かせか……」
珍しい有楽からのツッコミに、思わずうろたえる。そっか、まだルティは漢字があまり読めないんだった……
「爆ぜろ……爆ぜてしまえ……」
しかも、中瀬が焦点の合わない目でこっちを見てなんかブツブツ言ってるし!
「児童文学……つまり、子供向けの読み物ということか。それもまた面白そうではないか」
「まあ、俺も小学生の頃はよく読んでたからなぁ」
「あたしはひとりラジオドラマとか作ってました」
「さすがは筋金入りだな……じゃあ、ルティも児童文学からでいいか?」
「もちろん。楽しき物語であれば年齢など関係ないし、どんな物語に出会えるのかが楽しみなぐらいだ」
こくりとうなずいてから、小さい声で力強く応えるルティ。それでいて最後にこっそり「それに、我はまだ子供だ」って言いながらにまっと笑っているあたり、自分の武器をよくわかっているらしい。
「じゃあ、4階に行ってみるか」
「そうしよう。ステラ姉様、我はサスケとともに4階へと行って参ります」
「わかったよ。サスケくん、ルティのことをよろしくね」
「もちろんです。有楽、中瀬、ステラさんのことを頼んだぞ」
「だいじょーぶですって。こっちはあたしたちにまかせてください」
「心置きなく、るぅさんの本探し係として付き従ってきてください」
素直なステラさんと有楽に、ひん曲がった中瀬の対比がよくわかる返事だ。
じゃあなと軽く手を振って3人と別れてから、ゆっくりと一般図書室の出口へと向かう。本棚が立ち並ぶスペースを抜けると新聞や雑誌のスペースがあって、目の前に設置された長いソファは人、人、人でぎっしりと埋まっている。
エアコンのおかげで図書館の中は結構涼しいし、のんびりと本を読むにはうってつけの場所だからなぁ。考えることはみんな同じってことか。
そのまま出口の防犯ゲートを抜けて階段を上がれば、子供向けの図書室・児童室への入口が見えてくる。
こっちにも設置されている防犯ゲートの向こうには小さめの本棚があって、一般図書室みたいに子供たちが本を探していた。
「ここが児童室か。ずいぶん低い本棚が並べられているのだな」
「あくまでも子供向けの図書室だからな。一般図書室と同じ高さの本棚じゃ、子供たちが本を探しにくいんだろ」
「確かに。だが、そうなるとここではサスケが一苦労ではないか?」
「別にかがめば大丈夫だって。でも、気づかってくれてありがとな」
気づかってくれるルティへ、笑って礼を言う。本棚は俺の襟元あたりまでの高さだから、少しかがめば別に問題ない。むしろ、ルティにとっては本を探すのにちょうどいいぐらいだろう。
本棚の側面には漢字にふりがな付きでジャンルが書いてあるから、お目当ての本も探しやすい。児童文学が集められた本棚も、すぐに見つけることができた。
「さて、まずはどの本から行くかなぁ……ルティ、何か読んでみたい本はあるか?」
「まずは冒険譚を読んでみたいな。もしサスケのおすすめがあれば、それを教えてほしい」
「俺のおすすめか。ちょっと待ってな」
小学校を卒業してからもう4年以上経っていることもあって、どんなのを読んでいたかを思い出しながら本棚をまわってみる。ちらほらと昔読んだ本も並んでいるけれども、小学生3人組がドタバタしながら珍道中を繰り広げる学園ものだったり、明治時代の東京で起こった不思議な事件を解決していく双子探偵の話とか、冒険モノとはちょっと離れた物語ばかりが目にとまった。
学級文庫の定番だった冒険モノがあったはずなんだけど……って、おぉぅ。
「うわー、こんなに出てたのか」
「この作品群のことか。15冊もあるとは、確かに多いな」
ふたりしてのぞき込んだのは、本棚のいちばん下の段。そこにはデザインとタイトルの終わりの部分が統一されている本の背表紙がずらりと並べられていた。
通称「たつのこ姫」シリーズって呼ばれるこの作品は、12歳の誕生日を迎えた竜のお姫様が国のしきたりに従って精霊のお供たちと世界を巡る西洋風のファンタジー物語。
世界の国々でいろんな人たちと出会ったり別れたり、巻き込まれた事件をその仲間と解決していったりして、世界の成り立ちを明かしたり迫る危険へ立ち向かうストーリーが好評で小学生に大人気……だったんだけど、
「そっか。たつのこ姫、完結してたのか」
「終わりまで読んでないのか?」
「俺が小学校から卒業したときは、まだ9巻までしか出てなかったんだよ」
シリーズのいちばん端に並べられた『たびのおわりとたつのこ姫』を手に取りながら、ルティへ静かに答える。
「小学校から中学校に上がると、学校の図書室にある本もガラッて変わってこういう児童文学が置かれなくなるんだ。それに、子供向けの本って意識があるから手が伸びなくなるっていうか、なんつーか……気恥ずかしくなるっていうのかな」
「物語が続いているにもかかわらずか。それはもったいない」
「言われてみりゃあもったいないな」
ルティの純粋な驚きに、苦笑で返す。さっき見かけた小学生3人組のシリーズとか探偵のシリーズなんかも途中で読むのを放ってるし、ルティの驚きももっともだと思う。
思い返せば、小学生から中学生になった時や中学生から高校生になったとき、それまで読んだり見たりしていたものからものから離れていった。あれだけ熱中していたはずなのに、何故かあっさりと手放したりして。
『たつのこ姫』だって学級文庫に並ぶのを心待ちにしていたほど続きを楽しみにしていたのに、卒業して視界に入ることがなくなってから全く読まなくなった。確か、自分の美貌のために妖しい術を使うある国の王妃にたつのこ姫が捕まったあたりまでは読んでいたんだけど……
「いい機会だし、久しぶりに読んでみるかな」
「ふむ。その作品がサスケのおすすめというわけか」
「ああ、いろんな世界をめぐる冒険モノで面白いぞ。クラスで男女問わず熱中してたし、ちゃんとふりがなも振ってあるから読みやすいし」
1巻の『たびをはじめるたつのこ姫』を手にとってぱらぱらとめくってみれば、漢字の横にはちゃんとふりがなが振ってある。地の文も昔話を語るように書かれているから堅苦しくないし、これならルティにもちょうどいいかもしれない。
「ならば、我もその物語を読んでみよう」
「おっけー。んじゃ、とりあえず借りる前に読んでみるか?」
「うむ。おあつらえ向きに読むための場所も多くあるようだしな」
ルティといっしょに立ち上がってあたりを見てみれば、確かに本棚のまわりには丸い形のテーブルが置かれていたり、窓の縁に沿うように机がすえつけられていたりと読書スペースがたくさんある。やっぱり日曜ってこともあって子供たちは多いけど、それでも俺とルティが座るには十分な空きがあった。
「じゃあ、ここらへんでいいか……おわっ!?」
「だ、大丈夫か?」
一番手近にあった窓際の席へと向かって木のイスに座ろうとしたら、あまりもの低さにそのまま後ろへと倒れそうになった。なんとか踏みとどまれたけど、子供たちが多い中でコケたら笑い者になるところだった……
「あ、ああ、大丈夫。俺にはちょっと低すぎたみたいだ」
「わかった。……ん、確かに少し低く感じるが、悪くはない」
「ルティぐらいの背だったら問題ないだろ」
いつものように右隣のイスを優雅な仕草で引いたルティは、ゆっくりと腰を下ろすとしっくりいったみたいで満足そうに笑ってみせた。赤地のTシャツと黒いショートパンツ姿はラフではあるけど、ルティ自身の気高さは相変わらずだ。
「では、さっそく読むとしようか」
「……あのー、ルティさんや?」
「なんだ?」
「どうして片手だけで最初のほうのページを持って、あとは俺に差し出してるんですかね?」
「そんなのは決まっている。サスケもともに読もうではないか」
当然だとばかりに、本を開いたルティがさあさあと厚みのあるほうのページを差し出してくる。つまりは、1冊の本をふたりで読もうと、そういうわけですか。そう来ましたか。
まあ、ルティのお願いなら仕方ない。こっちの本は初めて見るわけだし、なんだかんだ言ってくるアイツらも下にいるから気兼ねする必要なんかもないだろう。
「えーっと、こんな感じでいいのか?」
「うむっ、ありがとう」
厚みのあるページを左手でつかむと、ルティがうれしそうに笑ってこくんとうなずいた。ルティの笑顔が見られるなら、これくらいはお安いご用だ。
「ひとつのページを読み終わったら告げるから、次へとすすめてくれるとありがたい」
「りょーかい」
俺も小さくうなずいて、ふたりで手にした第1巻へと視線を向けた。
物語は、たつのこ姫が12歳の誕生日を迎えた朝から始まる。
いつものように着替えた服は、ドレスじゃなくてブラウスとズボンにマントっていう旅装束。友達で幼なじみな火の精霊と水の精霊に旅支度を手伝ってもらって謁見の間へ向かうと、王様と王妃様がそろって『巡礼の儀式』の始まりを告げた。
「サスケ、これはニホンが舞台ではないのか?」
「書いた人は日本人だけど、舞台になっているのは外国風の異世界だな。空也先輩が『ダル・セーニョ』で書いてる世界に似てる……っていうよりも、ルティたちが住んでる世界みたいなところをイメージしてもらったほうが早いかも」
「我らの住む世界か。我は精霊大陸以外の場所は知らぬが、もしかしたら海の外にこのような国があるかと想像してみると面白そうだ」
「おっ、そいつはいい考え方だな」
そっか、ルティは日本での冒険物語だと思ってたわけか。でも、精霊大陸の外に『たつのこ姫』のような世界があるかもって考えてみると、確かに面白そうだ。
巡礼は昔から竜人族の王家にとってのしきたりで、12歳になった子は必ず行くことが決まっている。連れて行けるのは『誘いを受けてくれた精霊』だけで、ちょっとわがまま気味なたつのこ姫についていくと言ってくれたのは幼なじみの火の精霊と水の精霊しかいなかった。
「精霊様に嫌われて自業自得に気付くというのは、なんとも切ない……」
「どっちかっていうと、精霊大陸の精霊様のほうじゃなくて妖精さんたちみたいな対等な関係みたいだけど」
「それでもだ。やはり、わがままというのは過ぎるといけないというのがよくわかるな」
「ルティはわがままとか言ったことはないのか?」
「ほとんどない。そもそも、わがままが過ぎればおしおきが待っている」
「おしおき?」
「ああ。わがままを言えば、ごはんが食べられなくなるというおしおきが……」
「あー……」
「想像してみるがいい。母様やミア姉様、そしてステラ姉様やリリナが作るおいしいごはんが、自分の目の前にだけ置かれないところを……」
「そいつは辛い……」
ルティの目がだんだんうつろになっていくのを見て、そう強く実感する。こちらの王家は庶民的なだけあって、性格形成のきっかけもずいぶん庶民的らしい。
希望にあふれていたはずの旅のはじまりからつまずいて、姫はすっかりカンカン。王城からはるか遠くへと飛ばされて、ひとりと2体だけでどう旅をすればいいのか……と、自分の翼でうまく着地できなかったたつのこ姫は、山道で自分と同じようにボロボロな姿の女の子に助けられた。違ったところといえば、竜人族な自分が旅装束なのに対して人間の女の子は1枚の布で作られたワンピースのような粗末な服。
どうしてそんな格好をしているのかと聞いてみれば、孤児院の名のもとに集められたみなしごたちを使った鉱山作業から逃げてきたらしい。自分と同じ年代の子供たちが大人たちの都合で縛られていることを知ったたつのこ姫は、女の子にその孤児院もどきへ連れて行きなさいと命じた。
「ふむ。さすがにこのわがままは一朝一夕では治らぬか」
「むしろ、わがままなのがこの姫の特徴や魅力かな」
「そういう価値観もあるということか……我ならば、助けてもらってこのような態度などをとれるはずがない」
「まあ、この後を読んでみればわかるって」
「そうなのか……?」
女の子に連れられたたつのこ姫は、孤児院とは名ばかりの山奥のほったて小屋へと向かう。そこにいたのは子供たちばかりで、院長と呼ばれる男と氷の精霊によって支配されていた。たつのこ姫は女の子から事情を聞かされて、あまりの横暴っぷりに怒りが沸騰して何故か『服を交換しなさい』と女の子に迫った。
ボロボロの布の服をまとったたつのこ姫は水の精霊に王城への伝言を頼み、火の精霊といっしょに作業が再開された鉱山へと潜っていく。どんどん下のほうへ潜っていくと、疲れて動けなくなっていた男の子が院長と氷の精霊のふたりにいたぶられるところだった。その直前、たつのこ姫は男の子と院長の間に割り込んで助けに入る。
『あんた、それでも大人なの? 子供を守るのは大人の役目なのに、自分ではたらかないで子供に全部やらせるなんて、最低にもほどがあるわ!』
「なるほど、わがままであっても情には厚いと。この口上はなかなかよい」
「さっきの女の子への態度も、横暴そうに見えて関わったからには自分が行くって感じだしな。こういうところが、俺が小学生だった頃は人気だったんだ」
「快活で決断力があるとなれば、確かに惹かれるであろう。我の姉様方もそういった方々だから、気持ちはよくわかる」
たつのこ姫をたかが子供だとあなどった院長は、氷の精霊をけしかけて捕まえようとする。なんとか避け続けるたつのこ姫に、火の精霊が手伝いたいと言い出す。精霊のくせに悪事に荷担することが許せないことで心が通ったたつのこ姫は、火の精霊の力を借りて大人の身体へと成長していく。
成長したことで竜人としての能力が発揮できるようになったたつのこ姫は、手始めに氷の精霊に対して炎の玉を吐く。すると氷の精霊だったものはみるみるうちに姿を変えて、変身したり幻覚を見せたりできるいたずら好きの妖精だったことが明らかになる。
正体も支配の手口もバレた院長が逃げようとすると、怒り狂った姫はさらに大きな炎の玉を吐き出そうとしたとこで水の精霊から冷や水をぶっかけられて元の姿へと戻った。
「ふふっ、こういうきかん気のあるところはさすがに12歳の少女といったところか」
「まだ加減がわからなかったりする頃だからなぁ。落としどころを見つけるのって、結構難しかったりするし」
「こうして歯止めをかけてくれる者がいるのであれば、たつのこ姫にとって心強かろうな」
「第1巻もそろそろ終わりだから、その結末を見てみようか」
「うむっ」
あまりの火の大きさに気絶した院長は、そのまま水の精霊が呼んだ兵士たちに逮捕されて王城へ連れて行かれることに。孤児院の状況を目の当たりにした兵士長へ、たつのこ姫は王女として孤児院の建て替えと王城からきちんとした院長を呼ぶようにと命令する。院長のようにたつのこ姫を見くびっていた兵士長は、その気の強さに思わず返事をしてしまった。
孤児院の再建までを見届けたたつのこ姫は、再び旅に出ようと旅装束を着て朝早くに孤児院の外へと出る。そこで待っていたのは、同じく旅姿を整えた女の子。助けてくれたお礼に、巡礼の旅のお供をしたいとずっと待っていたのだ。みんなの後押しを受けて旅立ちを決めた女の子に、たつのこ姫はいつもの不敵な笑みを向けた。
『しかたないわね。いいわ、あたしのおとも第1号にしてあげる。あなた、名前はなんていうの?』
『わ、わたしの名前はミリュウ。おかあさんがわたしにくれた名前です』
『あら、人間なのに竜の名前をもってるのね。ますます気にいったわ! あたしの名前はコリューンだから、コリューン様でもコリューン姫でも好きなようによびなさい!』
『は、はいっ。わかりました、コリューン姫様!』
こうして、たつのこ姫と呼ばれるコリューンはミリュウというお供を得て旅を続けるのでした、と。
最後の一行まで読み終わると、本当に子供向けのシンプルな勧善懲悪モノだよなーと改めて思う。悪そうな人にはストレートに対峙して、自分の欲望には忠実に従う。これがちょっと年代が上なライトノベルへ行くと悪には悪の華があって、主人公もいろいろ考えたりする。もちろん『たつのこ姫』も巻が進んでいくにつれてそういう要素が少しずつ盛り込まれていくわけだけど、わかりやすくシンプルに書かれていたって記憶している。
あとは、これがルティに気に入ったかどうか――
「サスケ」
「うん?」
「帰りに本屋へ寄ろう。この物語、手元に置いておきたくなった」
って、すっかりお気に入りじゃないか。
図書館にいるせいか声のボリュームは抑えめで、それでも目がキラキラ輝いていたり、読み終わったばかりの1巻をぎゅっと胸元へ抱き寄せているあたりからそれがよく伝わってくる。
「いいのか? 借りなくても」
「一度借りると、ずっと借りたまま手元に置いておきたくなってしまいそうだ……そうなると、後に読みたくなった人々へ迷惑がかかってしまうし、いっそ全巻買って我のものにしてしまいたい」
「わかった、本屋な」
ルティが気に入ったのなら、俺が止める必要なんてない。本を置くスペースだってリビングに十分あるし、買えばいっそレンディアールへ持っていくなんて手もありだ。
それよりも、今ルティに聞いてみたいのは、
「ルティって、本当にこういう冒険モノが好きなんだな」
「ああ、大好きだとも。レンディアールでも架空の大地を舞台にした物語が多くの作者の手で書かれていて、我もよく読んでいた。老若男女に好評だと聞いて読んでみたら我もすっかりとりこになってしまって、その時の心のたかぶりがよみがえってきたかのようだ」
「そっか。ちなみに、どんなところがよかったんだ?」
同じ作品のファンとして、ルティの感想を聞いてみたかった。
「なんといっても、たつのこ姫の痛快さだな。わがままではあるが行動には一本筋が通っているし、堂々とした態度が実に心地よい」
「堂々としてることが多いルティには、共感できるところがあるってことか」
「ち、違う!」
「えっ?」
「っ!?」
弾かれたように否定したことに驚いた俺に、ルティは『しまった!』とばかりにあわてて両手で口をふさいでみせた。
そのままじっとルティを見ていると、俺から視線をそらしながら口から手を離して、胸元で両手のひとさし指をちょいちょいとつつき合わせる。
「どちらかというとあこがれというか、なんというか……」
そして、しばらくして観念したかのようにぽつりと口を開いた。
「我がこうして偉ぶったしゃべり方をしているのは、姉様方の影に隠れないように強くあろうと思ったからで……だから、こうして自然にふるまえているたつのこ姫にあこがれるのだ」
「そういうことか」
ルティの古風で威厳のある口調には、そんなきっかけがあったのか。出会った時からずっとこの口調だったから、物心ついたときからこうだと思ってたら……
「? サスケは、今のを聞いて笑わないのか?」
「笑わねえよ」
意外そうなルティへ、俺はそうきっぱりと言って苦笑いしてみせる。
「俺だってたつのこ姫を読んで冒険にあこがれたり、姫の強さにすげえって思ったことがあるからな。もしルティを笑ったら、そう思った過去の俺を笑うことにもなっちまうだろ」
「むぅ……サスケはそうとるのだな」
「こういうあこがれってのは誰だってあるもんだし、そっかぁとは思っても笑ったりはしないって。第一、ルティの口調とか仕草とか見てると、俺は自然だって思うんだけどな」
「まことか?」
「もちろん。それがルティの個性だって、俺は思うぞ」
またまた食いついてくるルティへ、小さくうなずく。
初めて会ったときからルティの優雅な仕草に見とれたし、赤坂先輩のラジオのジングル録りのときに見せた力強い宣言にわざとらしさは一切無かった。うちの喫茶店で接客してるときも、ひとつひとつの所作がしっかりしてるってお客さんたちの間で密かに評判になってるんだから、ルティはもっと自信を持っていいぐらいだ。
「逆に、いきなりルティがたつのこ姫みたいに口調になったら面食らうかも」
「ほほぅ、言ったな?」
ルティはにやりと笑うと、さっきまで読んでいたたつのこ姫の1巻をぱらぱらとめくりだした。
「……うむ、ここだな」
「?」
そして、最後のほうでめくるのを止めたところでおもむろにすうっと息を吸い込む。
「『しかたないわね。いいわ、あた』……お、おほんっ、『あたしのおとも第1号にしてあ』、あ……『あげ』……『る』……」
「あー……あまり無理すんなー?」
「む、無理などしていないっ」
最初は自信満々だったのが、読んでいくうちにだんだん顔を真っ赤に染めていって最後は怒ったように反論してきた。なるほど、俺がああ言ったからたつのこ姫のセリフを読んでみたってわけか。
でも、こうして読んでいるうちに恥じらっていくルティの姿はかわいらしかった。なんというか、こうしていろいろなことにチャレンジしているルティを見てると微笑ましくなるんだよな。
「ううっ、我もおなごなのだし、演技もできるようになったから簡単だと思ったのだが……」
「長年慣れた口調だと、どうしてもな。それに、演技は演技でも『異世界ラジオのつくりかた』のはルティがルティ自身を演じてるって感じだし」
「そこかっ。我はもっと演技の幅を広げるべきなのかっ」
「そもそも演技の幅を広げる必要があるのかどうか」
「ある。我もリリナのように幅広い演技ができるようになって、多くの民に聞かせて喜ばせたい」
手にしていた本をまたぎゅっと抱きしめて、ふんすと意気込むルティ。お姫様だしラジオ局の局長なんだし、これ以上背負い込まなくてもいいとは思うんだけど……まあ、止めてルティのやる気を削ぐのもなんだし、本人のやりたいようにやらせてみよう。
「じゃあ、たつのこ姫を全巻買ったらそれで朗読の練習とかしてみたらどうだ?」
「朗読か。いっそ、ヴィエルに戻ったらラジオでたつのこ姫の朗読をするというのもよいな」
「もちろん、ルティがたつのこ姫役でな」
「む? ……えっ」
って、どうしてそこできょとんとしてまた顔を赤くするんですかね。
「わ、我はどちらかというと、ミリュウのほうが……」
「おいおい、さっきの勢いはどこへいったよ」
「あれはサスケを驚かそうとしたわけで……こういう役は、リリナやアヴィエラ嬢にやってもらったほうがよいのではないかと……」
「お前なぁ……まあ、ルティがそう思うんならミリュウでもいいかもしれないけど」
「そ、そうだな。そうであろうな」
気を取り直させようとしたら、思いっきり俺の言葉に乗ってきやがった。まったく、肝心なところでルティは自己評価が低いんだから。
「ところで、そのリリナやアヴィエラ嬢たちの姿が見当たらないようだが」
「ん?」
ルティに言われてあたりを見回してみると、確かに児童室の中にアヴィエラさんとリリナさんの姿はない。それどころか、子供たちの姿も少なくなっている。
時計を見てみれば、午後4時ちょっと前。って、1時間以上も『たつのこ姫』を読んでたのか。もしかしたら、みんな下にでも行って……あっ。
「フィルミアさん、あっちの部屋にいるみたいだから行ってみるか」
「そうだな」
俺の問いかけにルティが小さくうなずいたのを見て、イスから立ち上がる。奥まった部屋のほうを見ると、ルティやサジェーナ様、それにステラさんと同じ銀色の髪が見えたから、きっとあの部屋にみんながいるんだろう。
部屋の入口の上には『おはなしべや』っていうプレートが埋め込まれていて、その下には靴がたくさん置かれていた。ごていねいに『くつはここでぬいではいってね』ってかわいらしく書かれたプレートもあって、確かに中にいる子供たちは靴を脱いで床に座っていた。
「ここにいたんですね」
「あら~。ふたりとも、読み終わったんですか~」
「いらっしゃい、松浜くん、ルティさん」
そんな中で、入口のすぐ近くに立っていたフィルミアさんへ声をかけると微笑ましそうににっこりと笑顔を向けられた。その隣にいた赤坂先輩も、にこやかに笑ってくれた。
「もしかして、俺たちのことを見てたんですか?」
「うん。何度か呼びに行ったんだけど、とっても熱中してたみたいだから」
「ルティ、いい本にめぐり会えましたか~?」
「はいっ、手元に置いておきたいと思える本に出会えました。……って、リリナとアヴィエラ嬢はあそこでなにをしているのですか?」
「えっ」
ルティが向いたほうを見てみると、そこには見たこともない光景が広がっていた。
「『やあ、ぼくはカエル。このいけにすむカエルだよ。きみこそ、いったいだれなんだい?』」
「『わたしはフナ。きのうのあめで、ここにつれられてきたの』」
「『そうなんだ。ようこそ、ぼくたちのまちへ』」
「かえるが横に跳ぶと、そこはカエルや魚たちがたくさん集まる町がありました」
おはなしべやのいちばん奥。ふたつある木のイスに座っているのはアヴィエラさんとリリナさんで、その間に絵本を置いて床に座る子供たちへと見せるようにして読み聞かせをしていた。
「あ、あのふたりは何してるんですかっ!?」
「リリナちゃんがピピナちゃんとルゥナちゃんに読み聞かせをしていたら、他の子供たちも聞かせて、聞かせてってやってきたんですよ~」
「最初は戸惑ってたみたいだけど、始めたらすっかり乗り気になっちゃって」
必死に声を押し殺して、それでいてツッコミを入れざるを得ない勢いで聞いてみると、フィルミアさんと赤坂先輩は揃って楽しそうに答えてくれた。
改めて見てみると、確かに一番前のほうでピピナとルゥナさんが床に座ってふたりを見上げていて、その後ろに20人ぐらいの子供たちが座ってふたりのお話を聞いていた。
「さーて質問。この水に浮いてる生き物さん、何かわかるひと!」
「「「「「はいっ、はーいっ!」」」」」
アヴィエラさんが元気よくたずねると、子供たちが勢いよく手をあげて我先にと返事をし始めた。もちろん、一番前にいるピピナとルゥナさんもだ。
「はいっ。じゃあ、後ろのほうにいる黄色い〈しゃつ〉を着たキミ!」
「あめんぼさん!」
「あたりっ! もしかして、キミはアメンボを見たことがあるのかな?」
「うんっ、いえのちかくのたんぼにいっぱいいるんだー」
「そっかそっか、こっちにもアメンボっているんだね」
「アメンボさんのおうちは田んぼや池ですから、みなさんはそっと見守ってあげて下さいね」
「「「「「はーいっ!」」」」」
リリナさんの呼びかけに、子供たちがまた楽しそうに返事をかえす。アヴィエラさんもリリナさんもとても楽しそうだし、息が合っているところを見ると、こういうのが性に合っているらしい。
「あのリリナが、こんなに優しい笑顔を浮かべるとはな」
「意外か?」
「いいや。近頃のリリナであれば、このような笑顔を見せてくれても不思議ではない」
「そうですね~。〈らじお〉に関わり始めてから、わたしだけに見せていたやわらかい笑顔をいろんな人に向けてくれたのが、とってもうれしいです~」
揃ってうれしそうに、ルティとフィルミアさんが笑い合う。ふたりとも生まれた時からリリナさんのことを知っているから、それだけ思うところもあるんだろう。
俺が出会った時のリリナさんはそれこそ刃のような鋭さを持っていて、ルティたち王族に無礼な態度を取ろうものなら首元に短刀を突き付けられるぐらいだった。
でも、今は会ったばかりの子供たちを前にして優しく本の読み聞かせをしている。もちろんピピナとルゥナさんへの読み聞かせがきっかけだったんだろうけど、こんな風に優しい笑顔を誰にでも見せてくれるなんて、あの頃は想像もつかなかった。
「アヴィエラ嬢も、さすがといったところか」
「イロウナでも読み聞かせをしていたって言ってましたから、こういうのは慣れているんでしょうね。わたしも、アヴィエラさんの気さくな読み聞かせはとても参考になります」
「まことに。この経験を我らの〈らじお〉でも活かしてくれていることが、とてもありがたいです」
感心したような赤坂先輩の言葉にも、大きくうなずくルティ。イロウナの学校で子供たちに読み聞かせをしていたとか言っていたから、このあたりはお手の物なんだろう。
最初は珍しいもの見たさで俺たちに近づいて来たのが、逆にルティにお願いされてヴィエルのラジオ局入り。魔術を駆使してミニFMの送信キットを強化してくれたり、持ち前の話術で俺たちだけじゃなくリスナーさんも楽しませてくれている。
まだ不慣れな生放送だって、これから場数を踏めばきっと上手くなるはず。商業会館での接客経験っていうバックボーンもあるから、場を盛り上げるポテンシャルは俺たちの中でもトップクラスだと思う。
今じゃ、ふたりともヴィエルのラジオに欠かせない存在。こうして子供たちを笑顔にしているきっかけがラジオにあるのなら、アヴィエラさんが言っていたようにヴィエルでも子供たちをラジオで笑顔にしていきたい。
「サスケ。やはり、リリナもアヴィエラ嬢も素晴らしいな」
「ああ、ふたりとも凄いよ」
そう思えるぐらいに、みんなで笑っているこの光景がとてもあたたかく感じられた。
* * *
「いやぁ、まさか4冊も読んじゃうなんてなー」
「アヴィエラ様の勢いに乗せられて、私もつい没頭してしまいました」
豪快なアヴィエラさんの笑い声と楽しそうなリリナさんの笑い声が、俺たち以外誰もいなくなった『おはなしべや』に響く。
きれいに晴れていたブラインドごしの窓の外はオレンジ色に染まり始めていて、さっきまでにぎやな声を上げていた子供たちも親に連れられて元気に帰っていった。
「いいなぁ。あたしたちもリリナちゃんとヴィラ姉の読み聞かせとか見てみたかったなぁ」
「ねえリリナ、ステラたちにも今度読み聞かせを見せてくれる?」
「もちろんです。その時には、ぜひルイコ様とみはるん様もお越しください」
「本当ですかっ」
「ルゥナ、リリナねえさまがとってもおはなしじょうずでびっくりしたよー」
「こんどリリナねーさまの〈らじお〉があるですから、ルゥナねーさまにもたのしんでほしーです!」
さっきまで一般図書室で料理本選びに没頭していたらしい有楽たちと、実際にリリナさんとアヴィエラさんの読み聞かせを目の当たりにしていたルゥナさんたちがわいわいと言葉をかわす。
料理本組が児童室に上がってきたのは読み聞かせがちょうど終わるところだったから、残念がるのもよくわかる。こうしておねだりされたら、今のリリナさんなら気軽に応えてくれるだろう。
「アヴィエラさんもお疲れ様でした。なかなか堂に入ってましたよ」
「ありがと、ルイコ。やっぱり子供たちを前にするとウズウズするもんだね。サスケもエルティシア様も、アタシとリリナちゃんの読み聞かせを楽しんでくれたかい?」
「はい、とっても。演じ分けとか感情の入れ方とか、俺としても参考になりました」
「私もです。さすが経験者と思えるような言葉運びでした」
「えへへっ、ありがと。フィルミア様も、あの場で許可していただいてありがとうございました」
俺とルティの返事でにまっと笑ったかと思うと、アヴィエラさんはすぐに真摯そうな表情に戻してフィルミアさんへ頭を下げた。
「いえいえ~。楽しめる人たちは、ひとりでも多いほうが楽しいでしょうから~」
「許可、ですか?」
「ああ。最初はピピナちゃんとルゥナちゃんに対して読み聞かせをしてたんだけど、おはなしべやの外から見ていた子供たちがいてさ。ふたりとも王族に連なる子たちだからリリナちゃんとフィルミア様にお伺いを立ててから、子供たちを入れる許可をもらったってわけ」
「ここに、わたしたちの身分を知る人はいらっしゃいませんからね~。レンディアールでもわたしがよくやっていましたので、心配はご無用です~」
「だから、子供たちもいっしょにふたりの読み聞かせに参加していたと」
「とても佳き判断だと思います。私も、見ていてとても楽しめました」
フィルミアさんの何でもないような言い方が、レンディアールの寛大さ……というか、庶民っぽさを改めて感じさせてくれた。時々王族らしく気品が高いところを見せてくれることもあるけど、そういう下地がルティと同じ親しみやすさを生み出しているんだろう。
子供たちが帰るときも手を振ったりあいさつしたりして応えていたあたり、フィルミアさん自身もずいぶん慣れているらしい。
「エルティシア様にも楽しんでもらえたなら、アタシとしても本望さね」
「ええ。途中でエルティシア様とサスケ殿が来られたのには驚きましたが、おふたりにも笑顔で聞いていただけて私もうれしかったです」
「そんなふたりに、我からお願いがあるのだが……」
そこまで言ったところで、横にいたルティが言葉を詰まらせる。
ちらっと見てみると、きっきのように手にしていた本を胸元へと抱き寄せて……って、ルティは『たつのこ姫』の本を持ちっぱなしだったのか。
本から顔を上げれば、ルティの不安そうな目と視線が合う。なるほど、この本を使ってふたりにお願いしたいことがあるんだな。
俺が『いいんじゃないか』っていう風にひとつうなずくと、不安そうだったルティの表情がやわらいで大きくうなずく。
「我の朗読の練習に、付き合ってはくれないだろうか」
そして、アヴィエラさんとリリナさんへ向けてしっかりとした言葉でお願いをした。
「エルティシア様の練習にかい?」
「はい。読んでみたいと思った物語に……レンディアールの子供たちにも聴いてもらいたいと思える物語に、先ほど出会えたのです」
「そういうことでしたか。もしよろしければ、どういった物語かを見せてはいただけませんか?」
「う、うむ。この本なのだが……」
少し緊張した様子のルティが、抱きしめていた『たびをはじめるたつのこ姫』をリリナさんに手渡す。
「あっ、これって『たつのこ姫』シリーズだよね!」
「カナ様もごぞんじなのですか?」
「うんっ。小学校の学級文庫……えっと、教室の後ろに置いてある本棚には必ず入ってたぐらい人気なんだ」
「わたしがいた小学校だと、図書室でよく返却待ちが発生していました」
「懐かしいなぁ。わたし、この本でよく音読の練習とかしていたんだ」
「るいこせんぱいもですか!」
「神奈ちゃんも? もしかして、PCに録音したりした?」
「はいっ。事務所に応募するときのデモ音源に使いましたっ!」
何故か有楽が手を差し出して、赤坂先輩がその手を掴むようにしてがしっと握手した。なるほど、ふたりもこの作品のファンだったのか。
「竜の姫が世界をめぐるという物語の第1巻で、サスケと読んでとても楽しかったと思ってな。言葉も平易な上、軽快な物語も子供たちに伝わりやすいと思ったのだ」
「ニホンで人気な物語が、エルティシア様のお心をもつかんだというわけですか」
「アタシにも見せてー……おおっ、なんだかかわいい絵じゃん」
「カナ様がよく見る『モエ絵』とはまた違った絵柄ですね」
「どれどれ~……おお~、〈カンジ〉の横にあるひらがなは、この〈カンジ〉の読み方でしょうか~」
リリナさんも興味を持ったようにぱらぱらと本をめくると、その横からアヴィエラさんとフィルミアさんがのぞき込んできた。
竜の翼としっぽを持つ『たつのこ姫』・コリューンが走る後ろで布の服をまとった女の子・ミリュウが追いかける表紙は、シリーズのお決まりと言っていいほどの定番。かわいらしいその絵柄は本の中でところどころに描かれた挿絵でも発揮されていて、読む子供たちを楽しませてくれる。
「このほんって、ピピナにもよめるですか?」
「ピピナであれば、ひらがなとカタカナは読めるから大丈夫だろう。帰りに本屋でこの本を購入するから、ピピナも読んでみるとよい」
「わーいっ! ピピナもぼーけんものだいすきだから、よんでみるですよっ!」
「ピピナ、ルゥナにもその文字とかおしえてくれる?」
「もちろんです!」
「ねえねえルティ、ステラにも読んでくれるよね?」
「はいっ。そのための朗読なのですから」
妖精姉妹もステラさんも興味津々みたいだし、あとはリリナさんとアヴィエラさんの反応だけど……
「なるほど、巡礼の旅に出て人と人との関係を学ぶと……」
「へえ。半竜人と精霊が融合して、剣や魔術じゃなく自分の力を使って戦うのか」
感心しているように言ってるあたりからして、心配なさそうだ。
それでもルティは顔を少し強張らせて、じっとふたりを見上げている。まわりの声が聞こえないぐらい、ふたりの返事が気になるんだろう。
「よろしいでしょう。私も、この本を朗読してみたいです」
「よ、よいのかっ?」
「はい。こういった子供向けの冒険譚はレンディアールでも珍しいですし、きっと子供たちに喜ばれるかと思われます」
一通りさらっと読んだらしいリリナさんは、本を閉じて顔を上げるとルティにそう言って笑いかけた。
「アタシもいいと思うよ。どっちかっていうと昔話とかお堅い冒険モノが多いから、こういう物語は新鮮じゃないかな。なにより、この『たつのこ姫』の我が道を行く性格が面白い」
「そうですね~。お供をなさっている火の精霊様も水の精霊様も、たつのこ姫さんを叱ったりたしなめたりと面白い方々ですし~」
「アヴィエラ嬢が物語を〈らじお〉へと採り入れてもいいのではと仰っていたとサスケから聞いて、この物語がふさわしいのではないかと思ったのです」
「そっかそっか、エルティシア様はアタシの提案をくんでくれたんだね。確かにこの物語だったら、子供たちも楽しんでくれると思うよ」
「サスケさんといっしょに何をしているのかと思っていたら、この本を読んでいたのですね~」
「サスケに意味があやふやなところを教えてもらいつつ、いっしよに読んでおりました」
「なるほど~」
って、フィルミアさん。なんでそこで微笑ましそうな視線を俺にも向けてくるんですかね。
「まあ、今のところは置いておくとして~」
しかも『今のところ』って、あとで掘り出す気満々ですよね!?
「〈らじおきょく〉の局長であるルティが発案して、〈ばーそなりてぃ〉のリリナちゃんとアヴィエラさんがいいとおっしゃってるのですから、わたしもいいと思いますよ~」
「アヴィエラ嬢もミア姉様もありがとうございます! リリナも、認めてくれてありがとう!」
「いえ。エルティシア様の選ばれた物語であれば、このリリナもついていくのみです」
「いいなー。あたしも参加してみたいなぁ」
「ピピナもさんかできるですか?」
「ルゥナもやってみたいですー!」
「もちろんだとも」
「これはまた、録音機器をしっかりしなければいけなさそうですね」
有楽やピピナ、ルゥナさんに中瀬も話に入ってきて、朗読のメンバーがどんどん増えていく。よかった、みんなでいっしょに朗読できるならルティも心強いはずだ。
そんな中でふたり、ステラさんはきょとんとしながら少し離れたところでその輪を見ていた。
「どうしました?」
「んー……」
俺からの問いかけに、ステラさんがちょっと困ったように首をかしげる。
「サスケくん。これって、もしかして朗読したものを保存するってことなのかな?」
「ええ。もしかしたら、ステラさんは参加したくないのかもしれまんけど」
「そうだねぇ。ステラの声がなくなったら怖いし……」
困ったように笑っているあたり、ラジオへの恐怖心は消えていないんだろう。それでも、収録に参加する以外にもやれることはいろいろとある。
「だったら、俺たちが保存した声を聞いてみてください」
「えっと……大丈夫なの?」
「大丈夫ですって。俺たちは慣れてますし、面白かったかそうじゃなかったかを聞かせてくれるだけでもいいんで」
「そうです、ステラ姉様」
話を聞いていたのか、ルティも俺の隣にやってきて元気に声をかける。
「姉様には、私たちがどんな風にこういう物語を読んでいるのかをぜひ聴いていただきたいです。明日もちょうど〈らじお〉の〈しゅうろく〉がありますから、私が目指しているものを見てください」
「ルティ……」
はっきりとした、そして元気いっぱいなルティのお願いに、ステラさんがきょとんとした表情を浮かべる。
「……わかった。ルティが何を目指しているのか、ステラも見せてもらえるかな」
そして、にっこりと笑うとルティの肩にぽんっと手を置いて笑ってみせた。
「はいっ、ありがとうございます!」
「しばらく見ないうちに、ルティはずいぶん笑うようになったんだね」
「ニホンの皆と、ミア姉様やアヴィエラ嬢。そして、ピピナとリリナといっしょに〈らじお〉を作るようになったおかげです」
「そ、そうなんだ」
『ラジオ』って聞いた瞬間に、ぴくりと表情を引きつらせるステラさん。これは、相当ラジオに対してトラウマを持ってるんだろうなぁ……
どうにかしてそのトラウマを取り除かないとと思いながら、俺はふたりの姉妹のやりとりをそばで眺めていた。




