第5話 異世界少女の来訪事情
ドライヤーの音が、リビングに鳴り響く。
「あわわわわ……」
その音に混じっているのは、女の子のうなり声。
「ルティちゃん。震えないで、じっとしててー」
「そ、そう言われても、風がこそばゆくて……」
温かい風のはずなのにガタガタ震えているルティをなだめながら、有楽はドライヤーとブラシでていねいに長い銀色の髪を手入れしている。
「るいこおねーさん、なにをやいてたです?」
「『鮭』っていうお魚ですよ。ピピナさんとルティさんのところにもいますか?」
「にたのはいるですね。にんげんさんたちは、よく『コメ』といっしょにたべてるです」
「ルティさんも言ってましたけど、そちらの世界にもお米ってあるんですね」
キッチンでは、料理中の赤坂先輩とオーブントースターに腰掛けたチビ妖精がおしゃべりしていた。
「…………」
俺はというと、そのど真ん中のダイニングにじっと居座っているわけで。
左側に、女の子。
右側にも、女の子。
かたやお風呂上がりのダブルパジャマで、かたや料理中のエプロン先輩。
ただラジオに出て先輩の手伝いをしただけでこんなことになるとは、12時間前には思いもしなかった……というか、思っていたらヤバい奴に認定されてもおかしくないぞ。
「松浜せんぱーい」
「ん?」
「こういうときは、流されちゃったほうがいいですよ」
「何がだよ」
「ファンタジー現象には、逆らっても抗えないものなんです」
「お前はなにを言ってるんだ」
ドライヤーをかけながら声を弾ませてるけど、そうじゃない。そういうことじゃない。初めて女の子の部屋に連れてこられたあげく、男女比1対4な状況に追い込まれている、そのことが問題なんだよ……
「よく、ルティに合うパジャマがあったな」
「うちの2番目の妹が、ちょうどルティちゃんと同じぐらいの背格好でしたから」
「だからお揃いってわけか」
赤坂先輩からのお誘いもあって、有楽はお泊まりということになった。そのついでにルティのお風呂係を申し出て、風呂上がりの今は近所の自宅から持って来たらしい淡いレモン色のパジャマをふたりして着ている。
俺? もちろん、いくらか話したら帰るよ? というか、帰らなきゃヤバイだろ。本気で。
「あの、赤坂先輩。やっぱり手伝いますよ」
「いいのいいの、松浜くんは今日の立役者なんだもの」
「そ、そうですか」
気を紛らわせようと先輩に申し出てはみても、さっきからうれしそうにお断りされる状態。仕方なく、浮かせていた腰を下ろしてまた有楽とルティのほうを眺めることにした。
「はいっ、おしまい」
「おお……見事に我の髪が乾いたな」
「ふふふっ。ルティちゃんの髪、きらきらのさらさらだねぇ」
「こらっ、やめいっ! こそばゆいではないかっ!」
有楽よりひとまわり身体が小さいルティは、すっかりされるがままになっている。可愛いから気持ちはわかるが、
「有楽、ルティは疲れてるんだからほどほどにしとけ」
「わかってますよー」
「ううっ」
釘を刺してはみたものの、効果があるかどうかはわからんな、こりゃ。
「なーにルティさまをみてるですか、このえろざる」
「誰がエロ猿だ、このチビ妖精」
そんなふたりの微笑ましい光景を見ていたら、チビ妖精が邪魔しに来やがった。
「そんなえろえろなおさるさんは、ルティさまのこーきさでめがくらんでしまえばいーんです」
「なんだよ『こーきさ』って。『可愛らしい』じゃダメか」
「おうつくしいと、はいつくばりながらいえばいーのです」
ぴしっ、ぴしっと蹴りは入れてくるものの、羽ビンタに比べればどうってことはない。ちなみに、チビ妖精も風呂は済ませていて緑のハンカチで作られた即席のワンピースに着替えていたりする。ドールとかいうので手慣れているらしい、有楽のお手製だ。
「ひとつ疑問に思ったんだが……」
「なんです、むちなえろざる」
「お前もルティも、日本語が話せるんだな」
「あー、そのことですか」
何でもなさそうに言いながら、チビ妖精はテーブルの上に降り立って向かいにぺたんと座った。
「『そら』をとぶこえをきけば、しぜんといくらかわかるようになるです」
「ずいぶん便利な力だな、おい」
「あたりまえです。それに、ピピナはルティさまのしゅごよーせーなのですから『きす』してわたせば、ことばがちょっとずつわかるよーになるのですよ」
「キス……だと……?」
「あーっ、へんなそうぞうをしましたね! やっぱりえろざるです!」
「してねーよ!」
「ルティさまのほっぺたにピピナのくちびるを『ちゅっ』とすればいいんですー。ざんねんでしたー」
馬鹿にしたように笑われてるけど、言えねえ……一瞬でも『昔読んだ絵本の妖精みたいだな』とかメルヘンなことが思い浮かんだだなんて、口が裂けても絶対言えねえ。
「ま、まあ、なんだ。さっき上で『たましいがぺこぺこにならないようにした』って言ってたけど、そういう風にルティへ生命力とかそんな感じのを移してたってことか」
「おおっ、そこに気付くとはただのえろざるじゃねーですね。そのとーり、ピピナがルティさまにぱわーをわけてたですよ」
えっへん、とばかりに胸をはるチビ妖精。なりは小さくても、それなりに出てるところは出てるらし――
「ていっ」
「あいたっ!」
こ、こいつまた羽ビンタしやがった!
「むー、やっぱりこいつはばかえろざるです。ゆだんならねーです」
「何も言ってねえだろうがっ」
「おまえのめがそーいってたです」
「んなバカな」
まさかこいつ、人の心も読めるってわけじゃないよな?
「まーそんなわけだから、むっつりおさるさんはルティさまのつぎに、ピピナをあがめたてまつるといーのですよ」
「だーれが崇め奉るか」
「あらあら、ふたりとも仲がいいんですね」
「……先輩には、そう見えますか」
のほほんとした先輩からの言葉に、ただただ脱力するほかない。まあ、部長と副部長に弄られてるときもこんな感じだから仕方ないか……
「わあっ、おいしそーなのがいっぱいですっ」
「ごめんなさい。急いでたから、こういうのしか用意出来なかったけど」
そう言って先輩がテーブルに置いたのは、おにぎりがたくさんのった大皿だった。
「おおっ、オムスビではありませんか」
「へえ、ルティちゃんのとこだとおむすびのほうで通ってるんだ」
「うん? ああ、ピピナの力で我がそう言っているのだな。もっと別の言葉ではあるが、我が国にもこういう食べ物はあるぞ」
「しゅーかくさいのときにたべるんですよねー」
「チビ妖精、さっきパン食べてまだ食べる気か」
「へっちゃらのへーです。ピピナだって、みっかかんなーんもたべてなかったんですから」
とは言うけど、縦置きにして自分の身長と同じくらいのトーストを半切れ食べているのに、本当に大丈夫なんだろうか。というか、それを食べてもサイズが変わらないとは……
「ピピナさんには、小さめのを作ってみました」
「わーいっ」
続いて、ピンポン球ぐらいのおにぎりが小さめの皿に盛られてチビ妖精の前に置かれた。他にも卵焼きやお漬け物のお皿、牛肉とごぼうの煮物が入った丼を先輩が次々とテーブルへ並べていく。
「和食にしたんですね」
「ルティさんから、この世界独特のものが食べたいってリクエストがあったの」
「ワショク……うむ、ニホンの料理のことだな。短い間ではあるがしばらく世話になるのだし、その土地のものになじんだほうがよかろうと思ったのだ」
俺の向かいに座りながら、当然だとばかりに言うルティ。14歳のわりには俺よりしっかりした物言いではあるけど、おにぎりを見て輝かせている目と笑顔はやっぱり子供っぽかった。
「先輩のおにぎり、久しぶりだなぁ」
「松浜せんぱい、食べたことがあるんですか?」
「合宿とか文化祭のときに、陣中見舞いで部に差し入れしてくれたんだ」
「じゃあ、今日のわたしは先取りですね。具は、鮭とおかかと、昆布に野沢菜。上にのっけてるの、わかりやすいですねー」
「お母さんのをまねただけだよ」
「いえいえ、参考になります!」
有楽もまた、目を輝かせながら俺の隣に座る。豆腐とわかめの味噌汁を置き終わった先輩も、外したエプロンを椅子の背にかけてからルティの隣の席についた。
「こちらでは、食前のあいさつはどうしているのでしょうか」
「『いただきます』って、手を合わせてあいさつするんです」
「『いただきます』ですか。簡潔ですし、大地の恵みを頂くのによきあいさつですね」
手を合わせる先輩を真似して、ルティも手を合わせる。有楽といたときも思ったけど、姉妹って感じがして微笑ましい。
「それでは、いただきます」
「「「いただきます」」」
「ですっ」
先輩のあいさつに続いて、一礼。さて、どれから食べるか……って、
「ルティ、その黒いのは剥がしちゃだめだ」
「そうなのか? ササの葉っぱのように、手に取りやすくしているのかと思ったのだが」
「ルティちゃんの世界だとそうしてるんだ。これは海苔っていって、日本ではごはんといっしょにこれを食べるの」
「ふむ」
一瞬ためらってから、ルティが鮭のおにぎりを勢いよくかじる。
「ふむ……んくっ、おおっ」
そして、勢いよくもうひとくちかじった。
「あむっ、んむっ、んむっ……んくっ、おいしいっ。とてもおいしいですっ!」
「ありがとうございます。たくさんありますから、いっぱい食べてくださいね」
「はいっ。あの、ルイコ嬢。このノリというのはどこで獲れる植物なのですか?」
「これは植物じゃなくて、海で獲れたものを加工して作るんですよ」
「ルティちゃんの世界にも、海はあるよね?」
「あるにはあるのだが、我が国は四方とも山に囲まれていて海には縁遠いのだ。でも、シャケに似た魚は川で獲れるし、味もよく似ていて美味いな」
「あむっ、あむっ……へー、コメとシャケをいっしょにたべるとこんなにおいしーんですね」
「うむ、とても勉強になる」
ルティもチビ妖精も、声を弾ませながらおにぎりをぱくついている。チビ妖精にいたっては、ピンポン球大のおにぎりを抱えるようにして勢いよくクレーターを作り出していた。
「なるほどな。んじゃ、俺もひとつ」
俺が手にしたのは、昆布のおにぎり。ひとくち食べると、香ばしい海苔の香りと甘く煮た昆布の味が口の中に広がっていった。スタンダードな味付けだけど、これがまた美味いんだ。
「カナよ、その手にしている棒は何なのだ?
「これ? これはお箸って言って、日本だとこの二本の棒を使っておかずとかごはんをつまんで食べるんだよ」
「オハシとな」
「こんな風に使うの」
なんでもない風に言いながら、有楽は手にしていた箸の先をちょいと開くと、玉子焼きをふわりと切って口に運んで、
「あむっ、あむっ……んむっ、ねっ?」
しっかりと噛んで飲み込んでから、ルティににっこり笑いかけた。
「この棒は、そのためのものだったのか……うむ?」
ルティも見よう見まねで持ってはみたけど、箸はぽろり、ぽろりと手から転げ落ちていく。
「むむぅ……」
「あの、フォークとナイフも用意してますから、使っていいんですよ」
「しかし」
「どうしても使いたいですか?」
「はい……出来れば」
「じゃあ、明日からいっしょに使い方の練習をしましょうか」
「まことですか?」
「はいっ。こちらの世界は明日もお休みですし、お箸は扱うのにどうしても慣れが必要なものですから」
「では、よろしくお願いいたします!」
先輩が優しく諭すと、かたくなになりかけていたルティはあっさりと受け入れた。偉ぶる口調でしゃべることが多いけど、これまでの俺たちへの接し方を見ると素直に話を聞く子なんだろう。
その後、ルティは牛肉とごぼうの煮物をトングで取り皿へ盛ると、ナイフとフォークを使っててきぱきと切り分けてから静かに口へ運んでいった。噛んでから飲み込むまでの姿もとてもスムーズで、ウチでパンにかじりついていた姿とは大違い……って、あの時はとんでもなくはらぺこだったから仕方ないか。
「うん? どうした、サスケ、カナ」
「いやいや、キレイに食べるなって思って」
「ですよね。なんだかお嬢様っぽいなーって」
「そっ、そんなことはないぞ?」
顔を赤くして、ルティが俺たちから視線をそらす。でも、それもまた可愛らしくて絵になっている。
「ふたりとも、あんまりからかわないの」
「いやいや、からかってなんかいませんって」
「そーです。『ルティさまのたべるすがたをみられてこーえーだなー』ってだけおもってみてればいーんですよ」
「先輩はわかるけど、なんでお前が偉そうに言うんだよ」
「ルティさまのしゅごよーせーなんだから、とーぜんです」
「さいですか」
えっへんと、腕を組んで言い切るチビ妖精。その目の前にあった6個のミニおにぎりは、いつの間にか残り2個まで数を減らしていた。おにぎり自体チビ妖精の横幅より少し大きいってのに、いったいどこに消えてるんだよ……
その後もごはんを話題にしながら和やかに食べ進めて、お皿や丼にあった料理は全部きれいさっぱり俺らの腹へ。パンを食べていたはずのルティはおにぎりを4個まるっと食べきったし、チビ妖精も人間用サイズのおにぎりを2個追加で平らげやがった。恐るべし、ハラペコ組。
「あの、食後のあいさつはどうすればいいのでしょう」
「『いただきます』の時と同じ手を合わせて、『ごちそうさま』って一礼すればいいんですよ」
「なるほど、『ごちそうさまでした』ですね」
「じゃあ、みんなでいっしょにやりましょうか」
「はいっ」
先輩の言葉にうなずいたルティは、マネをするように両手をぽんっと合わせた。箸のやりとりで、完全に先輩に懐いたみたいだ。
「ごちそうさまでした」
「「「ごちそうさまでした」」」
「ですっ」
俺たちも、また先輩に合わせて食後のあいさつをする。うちは父さんの仕事の関係上母さんと食べることが多いから、こんなににぎやかなごちそうさまは久しぶり。そのおかげか、さっきのバカみたいな緊張もきれいさっぱり消えていた。
これも、みんなで楽しく食べたおかげかもしれないな。
「先輩、今度こそ手伝います」
「そう? じゃあ、大皿とか丼を流しのたらいに置いてくれるかな」
「わかりました」
お礼を兼ねて申し出てみたら、今度は受け入れてもらえた。美味しいごはんを食べさせてもらったんだし、このくらいはしないと。
「私も、手伝います」
「あっ、あたしも」
「ピピナはおはしをもっていくですよー」
「ふふっ、ありがとうございます」
続いて、有楽とルティ、それにチビ妖精も片付けを申し出る。
「わっ、お、落ちるっ」
「大丈夫だよ。ほら、こういう風に大きいのを下にして、そこから順番に小さめのを重ねていけば」
「なるほど、考え無しに重ねてはいけないのか」
取り皿を扱う手が少し危なっかしかったルティも、有楽のサポートで無事に片付け完了。みんなでやったことで、あっという間に終わらせることが出来た。
「わたしはお茶を入れてくるから、リビングで待っててね。緑茶でいいかな?」
「緑茶で大丈夫っす」
「あたしもです」
「ニホンのお茶であれば、私は何でも飲んでみたいです」
「あのー、ピピナのはちょっとぬるいのでおねがいします」
「ピピナさんのはぬるめですね。わかりました」
先輩はキッチンへ向かって、俺たちはリビングへ。コの字型に並べられているソファに座ると、俺のはす向かいに有楽とルティが腰掛けた。チビ妖精もルティの膝の上に降り立って、ちょっぴりだけふくれたらしいお腹をさすっている。
「落ち着いたみたいだな」
「うむ。皆のおかげで、ひとここちつくことができた」
「それならよかった」
ソファの背もたれに寄りかかったルティが、穏やかな笑みを浮かべる。夕方のスタジオ前で見た凛々しい表情とも、うちの店で見せた食事中の姿とも全く違うリラックスした姿が、その言葉を物語っていた。
「久方ぶりに湯浴みが出来て、サスケとルイコ嬢の家で美味しい食事も頂けた。まさか異なる世に飛んで来て、かような歓待を受けられるとはな」
「ルティちゃん、ずっと堂々としてたもん。あたしはそれで大丈夫だって思ったよ」
「だな。話は噛み合わないことがあっても、挙動不審じゃなかった」
「今更うろたえたところで、状況が変わることはあるまい。ならば、堂々と受けて立つしかなかろう」
「なるほど」
穏やかな笑みは、すうっと自信に満ちたものへ。14歳にしてこの風格とは、将来いったいどんな風に成長するんだろうな。
「そういえば、ルティはどうしてあの時スタジオの前にいたんだ?」
「〈すたじお〉とは、サスケとカナと出会ったところでいいのか?」
「ああ」
「……うーむ」
「いや、言いづらいことだったら別にいいんだけど」
「そういうわけではない。ただ、どう言えば伝わるのかと思って」
その言葉のとおり、ルティは表情を曇らせるというよりも考え込んでいるようにため息をついてみせた。
「はいっ、お茶ですよー」
「ありがとうございます」
「まことにありがとうございます、ルイコ嬢」
リビングへ戻ってきた先輩が、テーブルの上にそっとお茶が入った湯飲みを置いていく。チビ妖精のだけは、サイズの関係かおちょこに入れられていた。
「今、何故私が皆の前に現れたのかという話をしておりました」
「えっと、ルティさんと初めて会ったときのことかしら?」
「はい」
お盆を膝に置いて俺の向かいに腰掛けた先輩へ、ルティが小さくうなずく。
「うまく伝わるかはわかりませんが……〈まんしょん〉の屋上に私たちが潜んでいたということと、この二日間何も食べていなかったというのは先ほど話したとおりです。昨日と一昨日はまだ耐えられたのですが、さすがに空腹だけはどうしようもなくなってしまい、ふらふらのピピナを残して我が〈まんしょん〉を降りることにしました」
「あれっ、チビ妖精から生命力を分けてもらったんじゃないのか?」
「ちびよーせーゆーなです」
テーブルの上でおちょこを抱えてくぴくぴ飲んでいたチビ妖精が、不満そうに俺をにらみつけてきた。
「ピピナのぱわーはあげられても、ぺこぺこのおなかはどーしようもできないのですよ」
「多少は和らぐのだが、さすがにそれが長く続くと……な」
「なるほど、水を飲むだけじゃ満腹にならないようなもんか」
「うむ。食料を調達してこようと考えた結果、我は〈まんしょん〉を降りたのだ」
「でも、どうやって食べ物を調達するつもりだったの? ルティちゃん、お金とか全部盗賊に投げちゃったんでしょ?」
「…………」
有楽の問いかけに、ルティが声を詰まらせる。さまよっていた視線はチビ妖精に向いたり、俺たちに向いたりしてからようやく床へと定まって、
「どうにか、出来ると思って」
「どうにかって、何も無いのに?」
「何も無いというわけではない」
顔を上げて立ち上がると、紅いブレザーのような服をハンガーから取ってソファへと戻ってきた。
「この衣服にある宝飾品を換金すれば……多少は、どうにかなると思ったのだ」
「えっ、ちょっ、ルティさま、なにをいってるですか!?」
テーブルに広げられた服の襟元には、校章みたいに小さな金色の紋章が。そして、胸ポケットのところには青く輝く宝石のような紋章が銀色の台座に付けられていた。
「『なにかもらえるものをさがしてくる』っていってたじゃないですかっ! そんなつもりだったら、ピピナはいかせなかったですっ!」
「仕方がないではないか」
「だめですよっ! これは、ルティさまのだいじなだいじなものなのですっ! それをかんきんするなんてっ!」
「だが、あのままでは我もピピナも行き倒れだった」
「でもっ、でもー!」
さっきまでの可愛らしさや俺へ見せた悪態を全部かなぐり捨てて、チビ妖精がルティの目の前へと飛んで必死に突っかかっていった。これって……
「これは、ルティさんにとってかけがえのないものということですか?」
「そーですっ! れんもがっ」
「ピピナ、そこまで」
「むーっ! むーっ!」
先輩の問いかけに答えようとしたチビ妖精の口を塞いでまで、ルティは詳しいことを知られたくないらしい。それくらい、この紋章はふたりにとって大事なものってことか。
「ルティさん……」
「申しわけありません。私の家に関わるものということだけで、留めさせてください」
「……わかりました」
「ピピナも、相談せずに済まなかった。皆のおかげで換金せずにいられたのだから、それでよかったと思ってくれないか」
「むぅ」
「本当に、すまない」
「……わかりました」
頭をなでられたおかげか、それとも謝られたからか、暴れるのを止めたチビ妖精がルティの手の上にへたり込む。それでもまだ納得はしていないみたいで、ただ悲しそうにルティを見上げていた。
「結局、換金所を探して歩き回っていた最中に我の空腹が限界になり、あの長椅子に座り込んでしまいました。もしあの場でサスケとカナのにぎやかな会話や、ルイコ嬢のおだやかなおしゃべりを耳にしていなかったら、きっと今の我らはなかったでしょう」
そこまで言ったルティが、俺たちに深々と頭を下げた。
「皆、私にとっての恩人だ」
「いやいや、そんな大げさな」
「あたしたちにとっても、ルティちゃんはラジオを聴いてくれた恩人だもん」
「ええ。別の世界から来た人たちにラジオを聴いてもらえたなんて、普通は出来ない体験ですからね」
有楽と赤坂先輩の言うとおり、ルティだって俺たちにとっての恩人だ。俺たちのラジオを聴いてくれたし、スタジオの前で俺たちのお願いに応えてくれたからこそ、こうして異世界の子と話すっていう面白い経験をさせてもらってるんだから。
「では、〈らじお〉を通じての出会いに感謝ということですね」
「ええ、そういうことです」
「だな」
「はいっ」
ようやく顔を上げたルティに、穏やかな笑みが戻る。少しでも、俺たちが支えになれているのであれば幸いだ。
「〈らじお〉といえば、カナは様々な場所で聴こえるようなことを言っていたな。あれは、まことなのか?」
「うんっ。あ、でも、マンションだとどうなんだろう……」
「そこはご心配なく」
先輩はくすっと笑うと、ソファの後ろにある棚の上に置かれたオーディオコンポの電源を入れた。
「ちゃんと、アンテナはつけてあるの」
「わっ、きれいに聴こえるんですね」
「おお……」
スピーカーから流れてきたのは、ピアノの音色と女性のやわらかい歌声。わかばシティFMはライブハウスの収録番組を放送してる時間帯のはずだから、きっとそれが流れてるんだろう。
「カナの言うことは、まことだったのだな」
「日本とかほかの国でも、ラジオを聴くための機械が売られてるんだよ。これもそのひとつってところ」
「このようなものから聴こえるのか……不思議だ」
「魔術と機械の合わせ技、ってやつだな」
「そうなのか」
先輩の受け売りでおどけてみたけど、やっぱりルティは真に受けたらしく、コンポをじっと見つめていた。
「……いいな」
背もたれに寄りかかりながらつぶやいて、聴き入るように目を閉じる。
ピアノの音色と溶け合った歌声は、若葉市出身のインディーズアーティストのもの。わかばシティFMでも番組を持っていて、月に一度の定例ライブはこうしてライブ番組で放送されるのが恒例になっていた。
しばらく俺たちも聴き入っていると、はす向かいから規則的な息が聞こえだした。
「ルティちゃん?」
「…………」
有楽の問いかけにも、返事は穏やかな呼吸だけ。そのうち、少しずつ有楽に寄りかかってルティの頬がこてんと肩へのっかった。
「寝ちゃったのかな?」
「いろいろあったから、きっと疲れてたんだろ」
「お風呂で温まって、お腹もいっぱいになって気が緩んだのかもしれないわね……どうしましょう」
「起こすのも悪いし、ここで寝かせてあげたほうがいいんじゃないですかね」
幸い、ソファは眠るのに困らなさそうな柔らかさだし、春も半ばでふとんを多く掛ける必要もない。下手に動かして起こすよりも、ここで寝かせてあげた方がいいだろう。
「そうね、そのほうがいいわね」
「じゃあ……よいしょっと」
寄りかかられていた有楽がルティをソファに優しく寝かせて、赤坂先輩が自分の部屋から持って来たタオルケットと毛布をそっと掛ける。寝顔はとても穏やかで、小さな呼吸といっしょに小さな肩が上下に揺れていた。
「今日は、これでお開きかな」
「仕方ないですね」
「俺も、お茶を飲んだら家に戻ります」
先輩の言葉に、俺と有楽も応じる。あと何日かは休みなんだし、ルティにはまた会えば――
「あの」
声がしたほうを向くと、チビ妖精が羽をはばたかせて俺たちの目の前にふわりと浮いていた。
「ピピナがこんなことゆーのはへんかもしれませんけど……きょうは、ありがとうございました」
神妙な顔つきで深々とおじぎをする姿は、さっきまではしゃいでいたり、散々俺に悪態をついていたとは思えないぐらいていねいで、
「ルティさまのこと、よろしくおねがいします」
友達への思いやりに満ちた、あたたかいものだった。
「ええ、もちろん。ルティさんもピピナさんも、よろしくお願いします」
「何かあったら、あたしたちに言ってね」
「……おう」
さすがの俺も、チビ妖精にそう返すのが精一杯で。
「ありがとーですっ」
少し曇った笑顔と感謝の言葉を、ただ受け止めることしか出来なかった。
これにて、プロローグ編終了。
次回より、ルティが学ぶ日本のラジオ編こと第1章「異世界ラジオのまなびかた」へと移ります。
※次回はいつも通り、3/14(月) 19:00に投稿します。