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第39話 異世界の日の出と少女の夜明け

 ベッドの上で、寝返りを打つ。

 ふかふかとした布団のようなマットは身体にフィットして気持ちいいし、身体を包むぐらい大きな布も肌触りがとても優しい。

 マットレスもタオルケットもないことで最初は不安だったけど、つくりがいいのか、それともリリナさんがていねいにメンテナンスしているおかげなのか、安心して寝転がることができた。

 それでも、根本的な問題に直面してしまうと眠れないわけで。


「さみぃ」


 寝返りをうったついでに布で身体をくるんではみたものの、生地の隙間からひんやりとした空気が入り込んできて容赦なく俺の眠気を奪っていく。

 夏でもヴィエルの朝は涼しいって言われていて、昨日も一昨日も確かに涼しくて寝やすかったけど……まさか、ここまで気温が下がるなんて。

 こっちに来てからリリナさんが『もしよろしければ、もう一枚大布をご用意しましょうか?』って3日連続で言ってくれたのに、平気だって即答で断った俺を説教してやりたい。せっかくの好意を台無しにしやがった、俺の馬鹿と言ってやりたい。

 ……ああ、そうですよ。しっかりとのどのケアをしていた有楽や、その有楽にのどのケア方法を教えてもらっていたリリナさんとフィルミアさんのことを『感心、感心』とか偉そうに見守っていた俺は馬鹿ですよ。

 そんな風に自分で自分を罵ってはみたけれど、身体があたたまることはないし、眠気が来ることもない。


「……あ~」


 情けないって自分で思えるぐらいにうなりながら、一度仰向けになって身体を起こす。

 真っ暗な部屋の中、手探りでベッドサイドを探ると人差し指に硬い感触がぶつかった。後は落とさないようにして……よしっ、取れた。

 続いて手探りでボタンを押すと、暗い部屋の中でスマートフォンの画面がぼうっと光り始めた。

 ロックスクリーンに表示された時間は、朝の4時ちょっと過ぎ。寝たのが昨日の夜11時ちょい前ぐらいだから、一応5時間ぐらいは寝られたのか。

 画面のバックライトを点けたままスマートフォンをベッドに置いて、その明かりを頼りに木枠を探って窓を跳ね上げる。


「……へえ」


 そこに広がっている世界は、とてもきれいなものだった。

 空一面に広がっている星空は、いつものヴィエルの夜とまだ変わらない。でも、そこから左――西のほうへ目を向けてみると、その夜空が黒から紫へのグラデーションを作り出して、ずっと遠くにある円環山脈の稜線をオレンジ色に彩っている。

 その紫色の空で星が瞬いて、オレンジ色に染まり始めた稜線へと消えていく。ヴィエルの街もその小さな光に少しずつ照らされて、これから一日が始まろうとしていた。


「よしっ」


 すっかりだるさも眠気も吹き飛んだ俺は、窓を閉じるとベッドサイドのバッグの中から替えのジャージを取りだした。シャツの上から上着を羽織って、ハーフパンツをズボンに履き替えてからスニーカーを履いて、立ち上がってから軽く伸びをすれば準備完了。

 これを着て寝ればよかったんじゃないか……なんていう疑問は棚に上げながら部屋のドアを開けると、陸光星の明かりでぼうっと照らされた廊下はしんと静まりかえっている。階段を下り始めても、台所がある2階に差し掛かっても、1階の玄関ホールに下りても、物音は俺の足音と呼吸の音だけ。みんな早起きとはいっても、さすがにこの時間じゃ早すぎるか。


「……あれっ?」


 ふと、玄関の鍵を開けようとしたところでおかしいところに気付く。


「鍵、開いてるじゃん」


 寝る前になるといつもリリナさんがチェックしているはずの鍵は内外両用のも内側専用のも開いていて、分厚いドアを押せばすぐに外へ出られるようになっていた。

 おかしいと思いながら両手でドアを押し開けると……すぐそこに、犯人らしき人影があった。


「いち、にー、さん、し、にー、に、さん、しっ」


 小さくつぶやきながら、屈伸運動をしている人影。まだ空は暗いしこっちに背を向けているけど、時計塔の窓から降り注ぐ陸光星の光が長い銀髪を照らしているからすぐにわかる。


「おはよう、ルティ」

「っ!? ……なんだ、サスケか」


 俺が声をかけたとたん、小さな人影――ルティは軽く飛び退きながらこっちを向いて、安心したように息をついた。


「なんだ、じゃないって。ドアの鍵が開いてたからどうしたって思ったぞ」

「そういう佐助こそ、着替えてどこかに行こうとしているではないか」

「早く起きたから、散歩でもって思ってさ。ルティも朝の体操か?」

「軽く走る前に、その準備運動をしていたのだ。しかし、散歩か……」


 つぶやくように言ったところで、見上げていたルティがうつむき気味に視線を外す。いっしょに行こうか考えているんだろうけど、


「いっしょに行くか?」

「よいのか?」

「ああ。たまにはふたりでのんびり散歩しようぜ」


 久しぶりに、俺のほうから誘ってみよう。


「ありがとう。では、我も同道しよう」

「おう、道案内は任せた」

「まさか、それが目的か? 言っておくが、我もヴィエルに来てからまだ9ヶ月なのだからそんなには詳しくないぞ」

「いいっていいって。迷うときは一蓮托生だ」

「なにをぬかすか」


 おどけて言う俺に、ルティもおどけて返す。最近は誰かがいっしょにいることが多かったから、こうしてふたりで軽口をたたき合うのは久しぶりだ。

 しゃべりながら市役所のほうへと歩き出してドアを三度ノックすると、中から強いくせっ毛のおじさんが現れた。


「エルティシア様とサスケ殿でしたか。おはようございます」

「おはようございます」

「おはよう、デラーテ殿。早く起きすぎてしまったから、サスケとともに朝の散歩へ行ってくる」

「わかりました。では、警備隊の者をつかせましょう」

「そうだな……ひとり、少し遠目から頼めるだろうか。ふたりで話すこともあるのでな」

「では、息子のディムをつかせます。サスケ殿、気をつけて行くように」

「もちろんです」


 重々しいデラーテさんの言葉に、俺も短く返事をしながらうなずいた。

 ピピナとリリナさんがいないときは、こうして必ず警備隊の誰かがつく。普段は距離が近いからあまり意識することがないけど、こういう時はルティがこの国のお姫様だっていうことをどうしても実感させられる。

 デラーテさんに迎え入れられて入った市役所は、時間外っていうこともあってか少ない数の陸光星でぼんやりと照らされていた。普段は人が多いオフィスには誰もいないし、外へのドアを開けてもいつも人が行き交っている市役所広場は薄暗く、そしてひっそりとしていた。


「で、サスケはどこへ行こうとしていたのだ?」

「別にあてとかはなかったんだけど……まあ、行くとしたら北の市場通りか南のでっかい畑かな。のんびり景色が見られればそれでいいかなって」

「それでは、南へ行くとしよう。朝の陽に照らされた小麦畑はなかなか見物だからな」

「じゃあ、そっちで」

「うむ」


 行き先が決まったら、市役所のドアを閉じて警備隊の人たちに軽くあいさつ。誰もいない広場をルティの小さな歩幅に合わせてゆっくり歩き始めると、長い銀髪がひんやりとした風にさらりと揺らされて、黒地に赤いラインが入った衣服の上へと広がっていった。


「よき夜明けの空だ」

「さっき窓を開けてみたらとってもきれいでさ。せっかくだから、この中を散歩してみようって思ったんだよ」

「気持ちはよくわかる。我も、この空が大好きだ」


 軽く見上げるルティにつられて俺も西の空を見ると、さっきまでは円環山脈の稜線をわずかに染めていたオレンジ色の空がほんの少しだけ近づいて、オレンジから紫へ。そして果てしなく深い夜空へとグラデーションを作り出していた。

 高い建物や電線みたいにさえぎる物もほとんどないし、月がないこともあってか小さいものから少し大きめものまで、色々な星が天高くきらきらと瞬いている。

 たったこれだけのことでも、ここが日本じゃなくて異世界なんだって実感する。

 そのまま市役所のまわりを沿うようにゆっくりと歩いていって、西通りから南通りへ。住居地区になっているこっち側は木造りのものから石造りのものまでいろんな家があって、等間隔に置かれている街灯代わりの陸光星の光が淡く照らしていた。


「サスケが初めてこっちに来たのは、ピピナに連れられたときか?」

「そうだな。市役所をちょっと通り過ぎたあたりで『ルティが無事だって伝えたほうがいいんじゃないか?』って言ったらあわてて飛んで行ってさ。俺も有楽も、魂のまま置いていかれたんだよ」

「なんともピピナらしい」

「そういや、そのピピナはどうしたんだ?」

「今日はリリナとともに眠っている。我もミア姉様と眠っていたから、昨晩は姉妹同士で眠ったことになるな」

「そっか」

「以前は我とピピナ、ミア姉様とリリナで眠ることがほとんどだったのだが、今では半々といったところか。ふたりの仲がよくなってから、すっかり様変わりしてしまった」


 残念そうな言葉とは裏腹に、ルティはくすりと笑いながらピピナとリリナさんのことを話す。初めてここへ来たときは険悪だったふたりが今じゃ仲のいい姉妹なんだから、間近で見てきたルティとしてはそれがうれしいんだろう。

 それをきっかけにして、話はフィルミアさんやサジェーナ様の話へと広がっていく。ここ最近のフィルミアさんはピピナやリリナさんといっしょにリコーダーを吹きに誘ってきたり、料理を教えてくれたりと前にも増してふれあうことが多くなったらしい。逆にルティからのラジオドラマの練習のお誘いもふたつ返事で受けて、そのままピピナとリリナさんもいっしょに練習することが多いんだとか。

 サジェーナ様はというと、視察の公務の合間に農作業をしたり料理をしたりと気ままな生活を送っているそうだ。元々ヴィエル出身だから街の人たちとは顔なじみだし、視察とはいっても街の見回りのようなもの。みんなを誘っては新しく見つけたお店へ行ったり、北にあるヴィエルとの国境近くへ行っては森林浴をしたりと、のんびりとした時間を過ごしているらしい。


「サスケは、昨日母様と農作業をしていたのだったな」

「有楽とピピナと、フィルミアさんと中瀬とな。農作業なんて田植えぐらいだったけど、ていねいに教えてもらえたからすぐに慣れたよ」

「中央都市では農業指導を担当しているぐらいだから、教えるのも上手なのであろう。我も、母様に教わるのは大好きだ」

「サジェーナ様も、娘たちといっしょに農作業をするのが楽しみだって言ってたな。おとといはルティがラジオで来られなかったけど、また今度誘いたいなってさ」

「そ、そうか」

「?」


 ラジオのことにふれたとたんに、ついさっきまで弾んでいたはずのルティの声がかたくなになる。俺、何か変なことを言ったか?


「あ、あのな、サスケ。えっと……母様は、そのときの我の〈らじお〉を聴いていたのだろうか?」

「ああ、みんなといっしょに聴いてたぞ。リリナさんとふたりで、微笑ましそうに聴いてた」

「微笑ましそうに、か……」


 俺の軽い答えに、歩みが遅くなると考え込むようにうつむくルティ。たぶんだけど、そういうことなのかな。


「おとといのラジオ、やっぱり気になるのか」

「わかるか」

「そりゃあ、その顔を見たらな」


 問いかけて顔を上げたルティは、ぼうっと光っている陸光星の明かりを不安そうな瞳に映していた。


「仕方がなかろう。緊張の極地にあったのだし、試験放送とはいえ多くの者が聴いているのだから……」

「でも、サジェーナ様は喜んでたぞ。ルティがこうして、人前で話すようになったのねって」

「母様がそうは言ってくれても、あの出来はやはり無しだ。あれが〈ろくおん〉であったらどんなによかったことか」

「それが生放送ってもんだ……って言いたいところだけど、やっぱり経験していくしかないよ。俺だって始めの頃はめちゃくちゃ緊張したし、追われるみたいな独特の雰囲気は慣れるしかないんだ」

「それは、わかってはいる」


 今度はほっぺたをふくらませながら、ついっと俺から視線を外して前を向いた。ちょっぴり拗ねているみたいで、とても可愛らしい。


「わかってはいるのだが……母様には、もっとよきものを聴いてもらいたかった」


 だけど、その悩みは結構深刻で。


「昨日、ユウラ嬢が流れるような対話を見せてくれたであろう。あのように話せていればと、我の力のなさをまざまざと思い知らされたのだ」

「だからか。昨日ユウラさんをぼーっと見てたのは」

「知っていたのか?」

「有楽が暴走したとき、たまたまな。呆気にとられてたっつーか、見入ってたっつーか、そんな感じだったろ」

「……そんな生やさしいものではない」


 絞り出すように言ったきり、軽くうつむく。

 それでも、歩みを止めることはない。このままだと通りの石畳につまずいたりして危なっかしいと思った俺は、ルティの左手をとってきゅっと軽くにぎった。


「っ……」


 驚くように、俺の手をぎゅっと強くにぎり返すルティ。すぐに気付いたのか力が抜けていったけど、それでも手を離すことはなかった。


 しばらく、無言のまま南通りを歩いていく。

 昇りはじめた陽の光はこの通りにも届きだして、空の真上で深い青から紫へのグラデーションへと移り変わっていく。

 うつむいたままのルティが、それを見ることはない。だからといって、声をかける雰囲気でもない。


「おう、サスケじゃないか。エルティシア様もごいっしょで」


 気がつけば、警備隊のラガルスさんがいる南門へとたどり着いていた。


「おはようごさいます。ふたりで早く起きたから散歩してたんですけど、ルティが疲れたみたいだからちょっと外でのんびり休もうかなって思って」

「なるほどな。気分は大丈夫ですか? エルティシア様」

「う、うむ。我なら大丈夫だ。サスケの言うとおり、少し疲れただけで……」

「それならばよいのですが。サスケ、そこの土手のあたりで休んでいただくといい。警護も……ああ、ディム坊がいれば安心だな」


 俺たちが来た通りを見たラガルスさんが、納得したようにうなずく。まだ薄暗いこともあって俺にはよく見えないけど、このどこかにひそんでいるんだろう。


「ありがとうございます、ラガルスさん」

「なんの。エルティシア様も、お気をつけて」

「うむ」


 ラガルスさんに見送られて、街の門を出る。俺たちが歩いてきた大通りは南へと伸びる土の道へと変わって、その両側を包み込むようにして小麦畑が果てしなく広がっている。

 3ヶ月前に訪れたときには一面の緑だったのが、今は色づいているのかすっかり様変わりしていた。まだうす暗くてよく見えないのが残念だけど、やっぱりこっちでも季節は流れているんだな。


「ルティ、ここでいいか?」

「……ああ」


 その小麦畑が見渡せる、街を囲むようにして作られた土手へ腰を下ろすとルティも右隣にちょこんと座った。生い茂った草がいいクッション代わりで、座り心地も悪くない。

 涼しい風は小麦畑にも吹き渡っているみたいで、穂を揺らすさざめぎがそこかしこから聴こえてくる。日本のどこかにもこういう光景があるのかもしれないけど、ほとんど首都圏から出たことのない俺にとっては初めての光景だった。


「サスケは」


 折り重なるようなさざめきの合間に、ルティがぽつりと口を開く。


「誰かをねたんだことがあるか?」

「えっ?」


 かすれるような声は、出会ってから初めてから聞く辛そうなトーンで。


「我は昨日、大切な友人をねたんでしまった」

「それは……ユウラさんのことか?」

「そうだ」

「ラジオの練習で、トークが上手かったからか?」

「……そういうことになる」


 ひざを抱えて、ルティがまたうつむいた。


「ヴィエルに来るまでは、兄様方や姉様方が農業に芸術にと様々な才能を花開かせてゆく様をただただ笑顔で見ていて……そうすることが、当然だと思っていた。

 おととい、ユウラ嬢と話していたときもそうだ。しかし、初めて〈らじお〉でしゃべるはずのユウラ嬢が見せた才能を目の当たりにして……我は、抱いてはいけないはずのねたみを抱いてしまったのだ」


 俺に顔を見せたくないのか、顔を伏せたまま告白を続ける。

 震える声は、ただただユウラさんに感じた悔しさを絞り出しているかのようで。


「ユウラ嬢の話術が、あんなに上手いとは思わなかった。年齢も近いのに、話題の引き出しや受け答えなど、我には及びもつかぬ。ニホンで初めてサスケとカナとともに〈らじおばんぐみ〉を作ったときとは……比べものにならないくらいに上質で……一瞬だけでも、わずかばかりでも悔しいと、ねたましいと、そう思ってしまって……」


 途切れ途切れの告白で、昨日ルティが見せた表情の理由に合点がいく。

 確かに、ユウラさんは初めのラジオ収録とは思えないほどにめいっぱい楽しんでいた。俺と有楽からの振りにも歯切れよく答えて、最後にはコツをつかんだのか流暢にお店の宣伝までやってのけてみせた。

 それを目の当たりにした俺はただすごいって思っただけで、有楽にいたっては練習が終わったあとに『ラジオ仲間ができてうれしい!』ってワクワクしていたぐらいだ。でも、逆にそれを見て圧倒されたり、悔しくなったりする人がいたっておかしくはない。自分のほうが経験があるって思っているところでその才能を見せられたら、なおさらだ。


「ルティにだから言えるけど……俺だって、そう思うことはたくさんあるよ」

「……まことか?」

「ああ」


 ゆっくりと顔を上げて意外そうな表情を向けるルティへ、小さくうなずく。


「昔は、プロのパーソナリティやアナウンサーのトークを聴いてて憧れていただけだった。でも、俺もラジオの仕事を目指すようになってから『どうやったらこんな上手いトークができるんだ?』とか『こんなに上手くゲストと話しが回せるなんて、どんな頭の切り替えをしてんだ?』とか、うらやましくなったり嫉妬したりして……ここ最近じゃ、毎週土曜は嫉妬のしっぱなしだ」

「ドヨウだと……? まさか、カナのことか!?」

「その通り」


 きっと、思い浮かんだ名前が意外だったんだろう。ひざをかかえて座っていたルティはそのひざを崩すと、乗りだすようにして俺の顔をのぞき込んできた。


「あいつはどんな話題を振ってもすぐに打ち返してくるし、上手い具合にトークを荒らすこともあれば自分でまとめることもできる。同じ声を扱う職業を目指しているのに、あいつは一歩も二歩も先に行きやがって。番組があいつの色に染められて、やられたなんて思うことはしょっちゅうさ」


 情けなく笑いながら、俺はルティへその理由を話していく。


 今年の4月から『ボクらはラジオで好き放題!』のパーソナリティを担当することになった俺は、ひとつ年上の先輩として入学したての有楽をリードする気でいた。

 本職の声優とはいってもなりたてだし、ラジオはまだ経験してないはず。生放送ならではの緊張のほぐし方とか放送開始直前の入念な打ち合わせとか、付け焼き刃で先輩風を吹かせる俺の話を有楽は真剣に聞いてくれたから、残る本番は万全の体勢でサポートしていく……はずだったのに。


『初めまして! 若葉南高校の新入生で松浜せんぱいの一番弟子、有楽神奈ですっ!』


『ミッションカード、ミッションカード……うーん。せんぱい、どれを選んだらラジオの第1回的に面白いですかねー?』


『〈昨日未明、若葉市西門町にあるコンビニエンスストア・ジャルネマート若葉西門東店にアナコンダの着ぐるみを来た男が押し入り、棚にあった生麦生米生卵を奪った上にカウンターへ置かれた現金650円を強奪。外にあった除雪車除雪作業中の看板で店員を威嚇しながら逃走しました。その後警察が行方を追ったところ、すぐ近くに住む自称シャンソン歌手・サルマリトーレ権堂容疑者が着ぐるみを洗濯しているところを発見。窃盗の容疑で逮捕しました。権堂容疑者の自宅からは未使用のクタクタなシャツ100着が見つかっており、警察は余罪を追及しています〉……言えたー!』


『月末からのラジオドラマでは、せんぱいたちに負けないくらいの演技でがんばりますっ!』


 開口一番で緊張をぶっ飛ばして、歴代の先輩たちから送られてきた無茶振りのミッションカードをワクワクしながらチョイス。引き当てた早口言葉つきのニュース原稿もさらりと読み上げた上に、自分からラジオドラマの宣伝をしてみせる度胸も見せつけて第1回からとんでもない存在感を発揮していた。

 トークスキルも度胸も、どう見ても俺以上。いきなりひょっこりやってきて場を荒らされたような気がして、落ち着くまでに数日かかるぐらい悔しくてたまらなかった。


「なるほど。カナの度胸はそなたと出会う前からのものであったのか」

「現役声優は伊達じゃないって思い知らされたよ。よく調べてみれば、わかばシティFMでやってる事務所の社長さんの番組でアシスタントをしてたし、実績で言えば俺よりずっと上だ。それでも実力の差を見せつけられたのは悔しかったし、やっぱりねたましく思ったことだってあった」

「では、どうして平気な顔をしてカナと〈らじお〉をやっているのだ?」

「平気っつーかなんつーか……まあ、すぐに『負けてられっか』って思えたからかな」

「『マケテラレッカ』……とな?」

「有楽だけに、番組を面白くさせてたまるかって。俺だってパーソナリティなんだから、俺が面白くしなくてどうするんだってさ」

「???????」


 俺の言葉がなかなか理解できないのか、ルティは首をかしげるばかり。


「つまり、サスケはうらやみやねたみを力にしている……ということなのか?」

「どっちかっていうと、力に変えているっていうのかな……えっと、その、ルティはそんな風に考えたことはなかったのか?」

「そのようなことは、考えてすらなかった。ねたみというものは自らの中で押し殺し、時をかけて溶かしてゆくものであると、我は思っていたのだが」

「あー」


 心の底から不思議そうに、ルティがつぶやく。なるほど、生まれたねたみは自分の中で消化しようとしていたってわけか。

 でも、それだと時間がかかるしふくらませることにもなりかねない。だったら、それをもっと早く消化させればいいわけで。


「例えばだけどさ。初めてリベルテ若葉の試合を見に行った時にルティは『負けるな』って言いながら選手に応援していただろ。もしルティがあの時の選手の立場だったらどう思う? 1点負けてて、相手が有利で」

「それはもちろん、負けたくないと思うだろう」

「だよな。そりゃあ、負けたくないって思うよな」

「ああ。……っ!?」


 ちょこんとうなずいてからしばらくして、ルティがはっとしたように表情をこわばらせてぽんっと手を叩いた。


「『負けてられっか』というのはそういうことか!」

「まあ、俺たちの場合は試合じゃないし、勝ち負けとかそういうのはないから……負けられないっていう気持ちをバネにして、先へ行く相手を追いかけるって言ったほうがふさわしいかもな」

「その者の隣に並び立てるよう、努力していくと」

「そういうこと。ただ嫉妬していても心の中でもやもやをふくらませるだけだから、そんなことをしているヒマがあったら一歩でも早く追いつかないと」

「確かに。その場に立ち止まっているだけでは、ただ差が広がる一方であろうな」


 納得したようにルティは何度もうなずいて、さっきまでの曇っていた表情がうそみたいに力をみなぎらせていた。


「で、ここまで踏まえたルティはユウラさんをどう思ってるんだ?」

「負けたくない。ユウラ嬢に負けないくらいに話術を磨き上げて、ユウラ嬢とともに我らの〈らじお〉を盛り上げていきたい!」

「その意気その意気。すごいって思ったら思っていいんだし、ねたんだり悔しくなったりしたらそれをバネにがんばっていけばいいんだよ」

「そうか、そういうことか。まるで我の心にかかったもやが晴れ渡ったかのようだ!」


 そして、笑顔も戻っていく。

 昇りかけている太陽を背にした笑顔はとってもかわいらしくて、初めて出会ったときの夕焼けを背にした笑顔以上に晴れやかで。


「ありがとう、サスケ。そなたに打ち明けてよかった」

「ルティが話してくれたから俺も話せたんだ。言っておくけど、これは絶対に内緒だからな。有楽には絶対バレたくねえ」

「我とてサスケだから話したのだ。先ほどのことは、すべて二人の間での秘密とすべきだな」

「ああ、俺たちだけの秘密だ」

「うむっ」


 にぱっとした笑顔を見せてくれて、本当によかった。

 気持ちのやり場がわからない上に、吹き飛ばす方法を知らなかったらそりゃあもどかしいはずだ。その手助けができたのだとしたら、俺としてもうれしい。


「しかし、そうか。サスケがそのような思いを抱いていたとは」

「俺のほうができると思ってたのに、軽く上回られたんだからショックなんてもんじゃなかったぞ。でも、俺ももっと成長しないとって思えたんだから有楽が相方でよかったよ」

「カナも、前にサスケの家で泊まったときに似たようなことを言っていた」

「なんだって?」

「サスケが先輩だから好き放題にできると。制御してくれる人がいるから楽しく自由にできるんだと、そう言っておったのだ」

「あいつめ……」


 有楽のヤツ、俺の力量をはかった上であれだけ大暴れしてくれてるのか。だとしたら、こっちもそれだけ番組で応えてやらんとなぁ……くっくっくっ。


「しまった……これはないしょだとカナに言われていたのだった」

「なぁに、これも俺とルティの間での秘密にしておくよ。……言葉じゃなくて態度で示せばいいんだもんな。うん、そうするさ」

「あの、えっと、ほどほどにしておくのだぞ?」

「わかってるって」


 わざとらしく笑ってみせた俺を、本気であわてたらしいルティが必死になってなだめようとする。うん、やっぱりかわいい。

 凛々しいところもあって、こういうかわいらしいところも持ち合わせているのがルティの魅力だって俺は思うんだ。


「それならばよいのだが……しかし、話してみればなんと簡単であったことか」

「でも、こういう悩みってなかなか誰かに話しにくいのもわかるよ」

「まことに。このような話である以上、ともにいたミア姉様やピピナとリリナにも言うことができなかった」

「身近な人には特になぁ。って、だったらどうして俺には話せたんだ?」

「前に、我らがいなくなってしまうのではないかとサスケは打ち明けてくれたな。さすれば、今度は我が打ち明ける番ではないかと思ったのだ。その、かなり重すぎた悩みかもしれないが……」

「いやいやいや、アレに比べたら全然!」


 そっか、ルティはあの時のことを覚えてくれてたのか。アレはアレで俺自身めちゃくちゃ恥ずかしい悩みだったんだけど、こうしてルティの悩みを解決する手助けになれたなら……まあ、よしとしておこう。


「むしろ、頼ってくれてうれしかったよ。俺、こっちじゃルティに頼りっぱなしだし」

「我とて、こうしてニホンでもヴィエルでもそなたに頼りっぱなしであろう」

「ルティはいいんだよ。ラジオ好きの仲間だし、妹みたいなもんだし」

「では、我も〈らじお〉好きの仲間であって、兄のような存在のサスケだからよしとしよう」

「いいのか?」

「よい。カナたちとも違った友のありようで、我としても楽しい」

「じゃあ、そうすっか」

「うむ、そうしよう。……ふふっ」

「あははっ」


 軽くおどけてみせたらルティが笑い出して、つられた俺もいっしょに笑った。

 やっぱり、ルティといると楽しい。日本で見慣れたこと、やり慣れたこともルティといっしょだと新鮮だし、レンディアールで王女様の立場に戻ってもこうしていっしょにいてくれて、


「見よ、サスケ。よき夜明けだ」


 俺に、新しい光景を見せてくれるんだから。


「ああ……これはすげぇ」


 ルティが指さしたのは右側、西の方向。

 日本とは真逆に陽が昇るレンディアールの朝には慣れていたつもりだったけど、


「まさに、黄金色の朝だな」

「朝の小麦畑って、こんなにきれいなのか……」


 はるか向こうの円環山脈を越えて昇ってくる太陽が、さっきまで夜闇で包まれていた小麦畑を遠くのほうから照らしはじめていた。

 ぴんと立つ麦の穂は太陽の光に染められて、金色のじゅうたんのように広がってゆく。まだずっと遠くにあるはずなのに、それは照り返すぐらいにまぶしくて、


「これが、ルティのお気に入りな景色なんだな」

「ああ。幼い頃に父様と母様に連れられて、この景色をともに見て以来のお気に入りだ」


 くるりと振り返ったルティの長い銀髪を、淡い金色の光で包み込むほどだった。


「目に見える景色だけではない。この麦の穂がこすれる音も、太陽をめいっぱい浴びた穂の香りも、我にとっての宝物だと言っていいだろう」


 この景色が見られてよっぽどうれしいのか、座ったまま両手を広げて自慢してみせるルティ。浮かべた笑顔も誇らしげで、この場所が本当に好きなんだって身体をめいっぱい使って主張していた。

 それと同時に吹き抜けていった風は、穂のこすれ合うざわめきといっしょに夜闇が残る東の方へ。金色の光を散らすようになびいたルティの銀髪も、やっぱりきれいで。


「この景色が、サスケにとっても宝物になってくれればいいのだが」

「なったよ。こんな光景は初めて見た」

「そうか。ならば、よかった」


 初めて会ったときやさっきのものとは違う、子供みたいな無邪気な笑顔を彩っていた。


「今度は有楽たちも連れてこようぜ。中瀬はこの音とか気に入りそうだし、先輩もこういうところまでは見てないだろうしな」

「幻想的な物語が好きなカナも、きっと喜ぶであろう」

「だろ?」

「しかし、あと2週間ほどしたらここも収穫が始まる。それまでに、また来られるといいのだが」

「来られるさ。俺たちは夏休みだから、時間もたっぷりあるし」

「であれば、決まりだ」

「ああ」


 ルティのうなずきに、俺も小さくうなずいて返す。

 今日は俺たちだけで独占した格好ではあるけど、やっぱりみんなでいっしょに見たいっていう気持ちもある。俺だけじゃなく、有楽と先輩に中瀬がいるからこそのラジオ作りなんだし、このレンディアールをいっしょに知っていっしょにその楽しさを伝えていきたい。


「ふふふっ」


 と、いきなりルティが表情を崩してくすくすと笑い出した。


「どうしたよ、いきなり笑い出して」

「いや。サスケとともにいると、楽しげな未来がどんどんひらけてゆくと思ってな」

「えっ?」


 あまりに楽しそうに言うもんだから、ついマヌケな声で聞き返しちまった。

 いきなりそう言われても……って戸惑っていても、ルティは俺を見上げて楽しそうに言葉を続ける。


「時計塔の鐘楼からヴィエルの街を見下ろし、人目を忍ぶようにしか外へ出られなかった我が、時を問わずして外を歩き回り、あまつさえ誰かと話している。少し前までは考えもしていなかったことが、サスケがくれた〈ぽけっとらじお〉と〈そうしんきっと〉を通じて次々と起きているのだ」

「それは……ルティが自分から踏み出した結果でもあるんじゃないか?」

「サスケの言うとおりかもしれない。それでも、サスケがああやって我へ(しるべ)を指し示してくれたからこそ、今の我があるのだと思う」

「あー」


 迷いのないルティのまっすぐな言葉を受けて、俺の顔がどんどん熱くなっていく。

 ラジオの機材をくれたのは父さんだからって言おうとしたけど、それをルティへ渡そうと思ったのは確かに俺だ。それを否定したりしたら、たった今ルティが言ってくれたことまで否定することになって……


「だが、ずっとそうしているわけにもいくまい」

「えっ」


 突然、申しわけなさそうに笑うルティにどきっとする。

 もしかしたら負い目を感じているのかって一瞬思ったけど、すぐに戻った自信に満ちた笑顔でそれはかき消されて、


「先ほどのサスケのように、我もサスケの隣に並び立てるようになりたい。後ろをついて導いてもらうのではなく隣に立って、時には誰かの手を取って引っ張っていけるような、そんな存在になりたい」

「ルティ……」


 力強い宣言が、ぐっと俺の心をつかんだ。

 出会ったときの覇気に満ちた言葉とも、若葉市民公園でラジオ局を作りたいってお願いしたときとも違う、力強い言葉。

 かぁっと熱くなった顔がそむけられないぐらい、その言葉はとても魅力的だった。


「だから、そんなサスケに一つお願いがあるのだ」

「な、なんだよ」


 しかも、いたずらっぽい笑顔まで浮かべやがる。

 そんな風に言われたら、聞くしかないじゃないか。


「いっしょに〈ばんぐみ〉をやろう」

「俺と、いっしょに?」

「うむっ!」


 俺のほうへとまた乗りだして、今度は人なつっこそうな満面の笑顔を浮かべる。


「〈らじお〉の師匠であるサスケと話して、我ももっと成長していきたい。ニホンであったことやレンディアールであったことを〈らじお〉を通じて話して、我らがどんな風に過ごしているのかを聴いた者たちへ知ってもらうのも面白かろうと、そう思うのだ」

「い、いやー、俺はどうなんだろうな?」

「大丈夫だろう。〈わかばしてぃえふえむ〉での〈ばんぐみ〉といい、昨日の練習といい、サスケと話すのは実に楽しい。それはきっと、皆にも伝わるはずだ」

「そう、か?」


 ルティは意気込んでそう言ってくれるけど、ここじゃ俺は異国人な上に知名度も何もない。ただルティにひっついてるだけの変なヤツとすら思われてもおかしくないのに。


「それに、こうしてサスケとふたりで話す時間を作りたいというのもある。久しぶりではあったが、やはりサスケと話すのは楽しかったのでな」


 でも、そう思ってくれていることは確かにうれしい。俺だってルティと話すのは楽しいし、いっしょにいる時間を作るっていうのは俺としても願ったりかなったりだ。


「はぁ……仕方ねえなぁ」


 まだ高鳴っている心を落ち着かせるように、ためいきをひとつ。照れ隠しを込めて仕方なさそうに言ってみたら、自分でも声が上ずっているのがわかるぐらいだった。


「では」

「ああ、いいよ。俺としても、ルティといっしょに話すのは楽しいから」

「よかった……ありがとう、サスケ!」

「おわっ!」


 返事をしたとたん、ルティはほっとした表情を浮かべてから顔を近づけて俺の手を取った。そこまで俺のことを慕ってくれて、光栄っつーか、うれしいっつーか、その……照れる。


「? どうした、サスケ」

「いや、その……顔、近い」

「???」


 よくわかっていないのか、顔を近づけたまま首をかしげるルティ。ああ、そうだった。ルティはこういうことにめちゃくちゃうといんだった。

 純粋すぎるっつーのも考え物だけど……それを俺に向けてくれているのは、やっぱりうれしいわけで。

 結局、その好意をはねつけるマネなんてできるわけがなかった俺は、


「まあ、なんというか……よろしく、な?」

「ああ、よろしくっ!」


 熱くなった顔をもっとヒートアップさせたまま、そのルティのお願いを受け入れた。


「ふふふっ、これからがもっと楽しみになってきた!」


 期待に満ちた声で、ルティが笑う。

 この笑顔が見られるのはうれしいし、そのためなら俺にできることはなんでもやっていきたい。

 俺にとっても、ルティの笑顔は大切だから。


「では、そろそろ帰ろう。もうすぐ朝ごはん作りも始まるし、そなたとの〈ばんぐみ〉でどのようなことを話すかも決めていかなくてはな」

「もうそんな時間……って、これだけ話してりゃあそうなるか」


 ルティに言われてあたりを見渡すと、円環山脈の稜線から半分ぐらい顔を出した太陽が俺たちがいるところもすっかり照らしていた。まだ濃かった空の青も空色へと変わっていて、オレンジ色の陽の光ときれいなグラデーションを作り出している。


「じゃあ、帰るか」

「そうすっか」


 先に立ち上がったルティが、俺に手をさしのべる。

 つられてにぎったその手は、とても小さくて、それでいてとてもあたたかくて。

 引っ張られた勢いで立ち上がれば、頭一つ小さいルティが俺のことを見上げて笑ってくれて。


「行くぞっ、サスケ」

「ああ」


 これからもできるかぎり、ルティのそばにいたいって。

 改めて、そう思うことができた。

※本作のヒロインは松浜佐助くんです。※

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