第35.5話 異世界"商"女のおてつだい
「んっ……」
突然、まぶた越しの視界が白い光で満たされる。
手で避けながらゆっくりとまぶたを開けると、影になった指の隙間からあふれた光がアタシの顔に降り注いだ。
「朝か……」
寝入る前は仰向けだったのが、今は横を向いている。寝返りで陽射しが当たったのか……そう思いながら身体を起こすと、
「すー……」
「くぴー……」
「みんな、幸せそうに寝てるねぇ」
いっしょの部屋で寝ているみんなが、穏やかな顔で寝息を立てていた。
アタシが住んでる国、レンディアールのお姫様なフィルミア様とエルティシア様が隣で並んで眠っていて、その枕元でお付きの妖精さんなリリナちゃんとピピナちゃんが小さい姿になって眠っている。
反対側では、こっちの世界――ニホンっていう国に住んでいるカナとルイコが並んで眠っていた。
みんなも、そしてアタシも着ているのは〈ぱじゃま〉っていうこっちの世界の寝間着。薄手の毛布からのぞくその〈ぱじゃま〉は、同じ装飾のものを色違いで着ていることもあって鮮やかに映えていた。
フィルミア様とエルティシア様が薄い紅色で、リリナちゃんとピピナちゃんが緑色。カナが水色とルイコが薄い黄色で、アタシが今着ているのは薄い紫色。模様も飾りも特にない簡素な服ではあるけれども、快適な上にこうしてみんなでいっしょに着ていられるっていうのがどことなくうれしい。
みんなの姿を見渡すついでに時計を見れば、今は5時ちょっと過ぎ。ちょうどいい頃合いだし、そろそろ起きようか。
できるだけ音をたてないよう、おなかの辺りを覆う薄手の毛布をゆっくりとのけてから慎重に立ち上がる。そのまま〈フトン〉から下りて、足音に気をつけながらみんなで泊まっている部屋から出た。
サスケの家の廊下は、ヴィエルにある商業会館や時計塔のものよりも狭い。でも、カナやルイコの家でも同じようなものだったことを考えると、きっとニホンじゃこのくらいが標準的なんだろう。
2階の洗面所へ立ち寄ったアタシは、前髪をかき上げると〈たおる〉って呼ばれる長い布巾を頭に巻いてからぐるぐるとまとめた。据え付けられている鏡を見れば、映っているのは眠気のせいでちょっと目つきの悪いアタシの表情。
「うしっ」
気合を入れながら〈ぱじゃま〉の袖をまくって〈じゃぐち〉をひねる。アタシたちの国だと手押しの揚水機で水が出てくるから、初めてこの〈じゃぐち〉を目にしたときにはどう使えばいいのかわからなくてフィルミア様に教えてもらったもんだ。
出てきた水に手をあてれば、ひんやりとした水流でみるみるうちに濡れていく。そのまま両手に水を溜めながらゆっくりかがんで、水を顔へとあてれば……うんっ、気持ちいい。
二度、三度と顔をごしごし洗っていって、最後に手へ溜めた水をごくりと一杯飲む。逆方向へと蛇口を締めて水が止まったのを確認してから、頭に巻いていた〈たおる〉をほどいて顔を拭けば朝の準備は完了だ。
「おはようございます」
「あら。おはよう、ヴィラちゃん」
洗面所を出て居間へ入ると、サスケのおふくろさん――チホさんが、食堂のいすに座って何かを作っている姿が見えた。
「チホさん、なにしてるんです?」
「みんなの朝ごはんづくりよ。サンドウィッチ……って、ヴィラちゃんもよく食べるからわかるわよね。みんなバラバラに起きてくるだろうから、作っておこうかなって」
「なるほど」
引き戸が開いたままの入口から、まずは居間へ。そのまま食堂へと通って、チホさんの向かいの席へと座った。
アタシがリリナさんに作ってあげた『眼石』と同じように、サスケのとは少し違った形の〈めがね〉をかけたチホさんはとても楽しそうに、そして柔らかい笑顔を浮かべながら手元のパンを薄い刀で切り分けていた。薄手な半袖の衣服の上に〈えぷろん〉って呼ばれる前掛けを身につけているあたり、終わったらこのまま店へと出るつもりなんだろう。
「でも、店じゃ見たことのないものばっかりじゃないですか」
「あら、わかった?」
「もちろん」
得意げににんまりと笑うチホさんへ、アタシも笑ってうなずく。パンとは別個の器には、いつも店で出している卵とマヨネーズを使ったり魚肉とタマネギを使った具じゃなくて、刻まれたキュウリとゆでたらしい肉をゴマが入った薄い茶色のクリームで和えたものや、カボチャやナスにパプリカ、トマトやアスパラガスといったレンディアールでも見かけるような野菜を〈ショウユ〉と刻まれた緑色の香辛料かなにかで和えた具が入っていた。
「店に出そうと思ってる新作候補のテストも兼ねててね。こっちは、キュウリと鶏肉のゴマだれサンド。もうひとつは、素揚げ夏野菜とシソドレッシングのミックスサンドよ」
「これってシソなんですか! ……あー、たしかにシソの香りがしますね」
驚いて匂いをかいでみると、確かにシソ独特のすっきりとした香りがアタシの嗅覚を刺激してきた。
「そっちにもシソができたんだ」
「レンディアールに来てからですけど、時々香辛料として使ってたりします」
「香辛料かぁ。こっちは薬味……えっと、味を足すのに使ったりするから、似たようなものかな。あと、天ぷらって言って、水で溶いた小麦粉にくぐらせて揚げるのも美味しいのよ」
「〈テンプラ〉で? 想像がつきませんけど……へえ、美味しいんですか」
「明後日は月曜日でうちも定休日だし、佐助たちの収録もないからみんなの夕ごはんに作ってあげるわ。ヴィラちゃんも、みんなといっしょに火曜日まではいるんでしょ?」
「はいっ! やった、チホさん手作りのテンプラかっ!」
「ふふふっ。喜んでくれると作り甲斐もあるわねぇ」
作ってくれることについはしゃいだら、チホさんは楽しそうにくつくつと笑ってくれた。
違う世界から来たアタシを、初めて会ったときのチホさんはただひとこと『いらっしゃい。ようこそ、ニホンへ』ってこの笑顔で受け入れてくれた。もちろんフィルミア様やエルティシア様っていう先例もあったからなんだろうけど、誰何を問うことなく接してくれたのは驚いたのと同時にどことなくうれしかった。
「チホさん、よかったら手伝いますよ」
「ありがとう。でも、その前にお化粧とかしなくても大丈夫?」
「お化粧、ですか? アタシは化粧するほどじゃないですよ」
「……ヴィラちゃん、お化粧しないの?」
「面倒なんで。顔洗って髪をとかしたら、そのままヴィエルの朝市へ遊びに行っちゃってます」
「そっかー、ナチュラルかー」
「???」
〈なちゅらる〉って、自然ってことだよな……あたしの何が自然なんだろう。
「ふぁ~……おはよー」
入り口からの声に振り向くと、黒い半袖の〈しゃつ〉と短めの履き物を身にまとったサスケがあくびをしながら入ってきた。
「おはよーさん。サスケ、まだ眠いんだな?」
「うぇっ!? お、おはようございます、アヴィエラさん。もう起きてたんですか……」
「このくらいの時間には起きてるよ。そっかそっか、マツハマ家に泊まるとこんな珍しいものが見られるのか」
「珍しいとか言わないでくださいよっ!」
アタシのからかいで一気に目が覚めたらしく、サスケは文句を言って後ろを向くとあわててちょっとボサボサな髪を手ぐしで整え始めた。
「いい光景でしょー」
「ホント、いつものサスケとは大違い」
「聞こえてるんだよっ! アヴィエラさんも乗らないでくださいっ!」
「早起きの特権さね。そういや、サスケもこの時間には起きてるんだっけか」
「店の手伝いという名のこづかい稼ぎです」
「潔いねえ」
「とか適当そうに言ってる割には熱心なのよ。3代目でも狙ってるのかしら」
「さっ……!? お、俺はアナウンサー志望なんだぞっ!? まあ、休みの日に手伝うのは別にかまわないけど……」
「……なんだこのかわいらしい仕草」
顔を真っ赤にして文句を言っていた途中で、我慢したのか口をつぐんで顔をそらしたサスケ。そこから視線だけをこっちの方に向けてぽつりと言葉を補う姿は、なんだかいじらしかった。
「ヴィラちゃん。日本じゃ、こういうのをツンデレって言うのよ」
「カナも言ってました。やはりサスケは〈つんでれ〉なんですねっ」
「母さんも有楽も余計なことを! ……くそっ、有楽は今日の生放送でとことんいじり倒してやる」
ありゃま、カナに飛び火しちまったか。今日のふたりの〈らじお〉も楽しくなりそうだけど、悪いことしちまったかなぁ……ふっふっふっ。
「そんなすねてないで。朝ごはんももうすぐできるんだから、手も顔も洗ってらっしゃい」
「へいへい」
サスケはめんどくさそうに言うと、呆れ顔で居間から出て行った。いつもはアタシたちをぐいぐい引っ張ってくれるけど、チホさんの前だとこういう感じでやりこめられているのを目にすることが多い。
「それじゃあ、ヴィラちゃんには……」
〈ハシ〉を手にしたチホさんは、調理済みの夏野菜をまな板の上にあるパンへとひょいひょいのせていった。続いてもう一枚のパンを夏野菜の上へとのせると、長い薄手の刀をパンの真ん中にあててからまっぷたつに切って、
「試食第一号、お手伝いしてもらおっかな」
「あ、アタシがですか?」
まな板のかたわらにあった皿へのせ、できあがったサンドウィッチをアタシの前に置いてくれた。
「今回はまだお試しだから、してもらえるお手伝いっていったら試食ぐらいなの」
「ああ、そういうことですか」
確かに、みんなの朝ごはんでお試しってことなら、今日の今日で店に出したりしないか。
「それじゃあ、さっそく……いっただっきまーす」
アタシはサンドウィッチを両手でつかむと、そのまま半分ぐらいを口に入れて思いっきり噛みきった。それと同時に、口の中で素揚げされた野菜と調味液の水分がじゅわっと弾けて、うまみがぶわーっと広がっていく。
ナスを揚げたのは、ヴィエルでもよく食べたりする。でも、それは串揚げを甘辛いタレにつけたりしたもので、こうしてパンに挟んだり他の野菜と合わせて食べたりするのは初めてだった。
そのトマトの酸味と〈ショウユ〉が元になった調味液がそれぞれの野菜の味を引き立てたり、刻まれたシソを噛めばさわやかな味わいが広がったりしてて、
「美味いっ、美味いですよ、チホさん!」
しっかり噛んでから飲み込んだあと、そんなひとことが自然と湧いて出てきた。
「ほんと?」
「はいっ。パンの甘さと野菜の甘酸っぱさがぴったりだし、これだったら何個でも行けちゃいますよ!」
美味しくてうれしくて、もっともっと食べたくて残りも一気にほおばる。うんっ、美味い。ちょっぴりお酢でも入っているみたいで、その酸っぱさもトマトやカボチャの甘みを引き立ててるのかも。
「うんっ、やっぱり美味いっ!」
「ありがとう、ヴィラちゃん。食べたついでに聞きたいんだけど、これってどんな飲み物に合うと思う?」
「飲み物ですか。うーん……」
口の中に残る味わいをもとに、どんな飲み物が合うかを想像してみる。果物系の甘いのはちょっとくどいだろうし、かといって〈こーひー〉のような味わいが強すぎるのだと余韻を消しそうだ。となると、
「やっぱり、お茶ですかね。あんまり甘くしないように、できるだけ糖蜜は控えたほうがほどよく味わいの余韻が残るかも……って、アタシがここまで言っていいのかはわかりませんけど」
「いいのいいの。ふむふむ、甘さ控えめのお茶、と……」
チホさんはアタシの答えを聞くと、二度三度うなずいてから筆をとって雑記帳へとなにかを書き入れ始めた。たぶん、アタシが言ったことを書き留めているんだろう。
「こっちでも向こうでも、やっぱり新しい商品の追求ってのは変わらないんですね」
「ずっと同じメニューがいいって人もいれば、やっぱり新しい味を求めて来る人だっているから。一時期お父さん――ああ、佐助のおじいちゃんで、今は別のところに住んでるあたしのお父さんね。お父さんのレシピだけで固定してやっていたんだけど、だんだん飽きちゃったのかお客さんが減っちゃって」
「だから、チホさんだけの料理とか飲み物も作ったと」
「そういうこと。今ヴィラちゃんにしてもらったみたいにタダで常連さんに試食してもらって、感想を聞いたりしながらメニューを加えていったってわけ。気合入れてやってみたけど、ボツになったのもたくさんあるわねー」
「それだけ試行錯誤してるってことですか……」
「でも、結構楽しいものよ」
ちょっと困ったようなそぶりを見せていたチホさんが、くるりと手の上で筆を回しながら言葉通り楽しそうに笑う。
「どうすれば美味しくなるんだろうとか、どうすればひとくち目を食べたあとに笑ってもらえるだろうとか、そんなことを考えてると熱中しちゃって」
「わかります、それ。アタシも寝ようと思ったら没頭しちゃって、気付いたら朝なんてことがあったりして」
「やっぱり? あたしも寝る前にレシピを思いついて、徹夜で作ってたら帰ってきた文和さんや起きてきた佐助に怒られちゃったりとか」
「そうそう! 目の下にクマを作ったりしたらじいが『みっともない顔をして!』って怒ってきたりするんですよ!」
「目ざとい人っているわよねー! 常連のおじいちゃんとかも『ほれ、トースト焦げるぞ!』とかからかってくるし!」
「そのあたりの大変さ、もうちょっとわかってほしいっていうか」
「ねぎらってほしいっていうか」
「ですよねー」
「ねー」
お互いちょっぴり愚痴って、同意しあって、くくっと笑う。
料理と魔石って違いはあっても、やっぱり物作りをしていると熱中したり没頭したりすることはあるんだよな。
「じゃあヴィラちゃん、キュウリと鶏肉のごまだれサンドも行ける?」
「お安い御用です」
キュウリと鶏肉が入った器を手にしてにっこり笑ったチホさんへ、アタシも笑って応える。
サスケたちの試験が終わったこともあって、アタシは久々にニホンへと来ていた。
『五の曜日』――こっちの世界での『金曜日』にフィルミア様からお呼ばれされて、リリナちゃんの力でお昼前のワカバ市へ。そのままエルティシア様とピピナちゃんが待つ場所であり、これからアタシにとっても宿になる『はまかぜ』へと向かった。
ルイコの親御さんが帰ってきたことで泊まれなくなったってのも驚いたけど、今はみんなでサスケの家へと泊まっているんだって知ったときにはもっと驚いた。みんなで生活してるのにどうやって……と思ったら、チホさんやフミカズさんが部屋を空けてくれたってんだから三度驚いたもんだ。
夕飯を始めとした家事をみんなで分担するのは、ルイコの家に泊まっていたときとほとんど同じ。ただひとつの違いといえば、時間が空いてるときには『はまかぜ』のお手伝いをするっていうことぐらい。
ピピナちゃんとリリナちゃんだけじゃなく、フィルミア様とエルティシア様まで自らすすんでやるってのにはさすがに目を丸くしたけど、そこはアタシも得意分野。だから、こうしてことあるごとに手伝いを申し出るようにしていた。
チホさんと話していると楽しいし、商業会館とはまた違った仕事経験ができると思ったから。
「うーん……どうしよっか。ドリンクは迷うね」
「迷うねぇ。店員さん、ドリンクのおすすめってあります?」
〈どりんく〉……ああ、飲み物のことか。
「この組み合わせでしたら、お茶類が合うかと。今日は〈カツオブシ〉が入ったニホン風の味付けですから、ニホンのを始めとしてどのお茶も似合うと思いますよ」
「お茶かー。じゃあ、私はミルクティーで」
「わたしは梅昆布茶で」
「渋っ! あー、でもたしかに合いそうかも」
「でしょ? じゃあ店員さん、それでお願いします」
「承りました」
食卓で向かい合う女性ふたりのお客様へ軽く会釈して、ひらがなとカタカナで書き留めていた注文票へと視線を落とす。
「それでは、ご注文を確認いたします。〈かつおぶしとめんたいこぱすたのらんちせっと〉がふたつで、飲み物が〈みるくてぃー〉と〈ウメコブチャ〉ですね?」
「はいっ」
「飲み物は食前と食後、どちらがよろしいでしょうか」
「食後でお願いします」
「では、食後にお持ちいたします。出来上がりまで、少々お待ち下さい」
言い終わってから、今度は少し深めにおじぎ。顔を上げたらくるりと背を向けて、ゆったりとした足取りで〈かうんたー〉席へ向かう。
「チホさん。3番席、〈かつおぶしとめんたいこぱすたのらんちせっと〉がふたつで飲み物が〈みるくてぃー〉と〈ウメコブチャ〉です」
「カツメン2とミルティーウメコブね、りょーかい。アヴィエラちゃん、8番席のツナトーストとアメコ、行ける?」
「行けます。8番席ですね」
「ありがと」
注文票を置くのと入れ替わりに、〈かうんたー〉の上にある銀製のようなお盆へと〈つなとーすと〉と〈あめりかんこーひー〉をのせて指示された席へと向かう。
「お待たせしました、〈つなとーすと〉と〈あめりかんこーひー〉です」
「ああ、はい」
こっちの世界の〈シンプン〉っていう情報がたくさん載った紙を見ていたお兄さんが、アタシの声に気付いてそれをたたみ始めた。なんだか文字がたくさん書いてあるみたいだけど……うーん、『ひらがな』と『カタカナ』以外はよくわからないや。
それをたたみ終えたところで、机の上へ〈つなとーすと〉と〈あめりかんこーひー〉がのったお皿をゆっくり置いていく。このあたりは、レクトさんとリメイラさんの店でお手伝いしたときに学んだからこれでいいはずだ。
「それでは、ごゆっくり」
また深めにおじぎをして、顔を上げてから〈かうんたー〉のほうへと戻ってい……こうとしたところで、〈かうんたー〉に座っていた人が立ち上がったからそのまま計算機が置いてある入口の卓へと少し早足で向かう。
「チホさん、アタシが〈れじ〉に入ります」
「ありがとう、ヴィラちゃん」
向かいかけたチホさんを制して卓に入ると、チホさんは少し申しわけなさそうに、でもつとめて明るくお礼を言ってくれた。
「お待たせしました。〈びーふぴらふせっと〉と〈れもんてぃー〉で600円になります」
「ごちそーさんでした」
「はいっ、1000円をお預かりします」
サスケやカナと同じくらいの年格好の男の子から1000円札を受け取って、〈れじ〉のボタンを押していく。こっちの世界でも精霊大陸と同じ10でケタが上がる方式をとっている上に、フィンダリゼ製の計算機を使っていたこともあって〈れじ〉にはすぐになじむことができた。
「400円のおつりになります。あと、こちらの飴をおひとつどうぞ」
「あー、ありがとうございます」
あとは、チホさんがやるようにおつりといっしょに薄緑色の飴玉をひとつ添えて、
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「また来まーす」
少し深めに頭を下げながら、感謝と期待の言葉。このあたりは、商業会館でいつもやっていることが活きている。
「そろそろひと段落ってところですかね」
「お疲れ様。ほんと、とっても助かったわー」
しばらく接客を繰り返しているうちに2時をまわって、あたしとチホさんだけがいる店内はすっかり落ち着いた雰囲気に。あとは3時を過ぎて〈けぇき〉目当てのお客様がちらほら来るまではのんびりした時間になるらしい。
「いやぁ。みんなを送り出した手前、やっぱりやらないと」
今回、店のお手伝いをしているのはアタシひとり。明日からみんなの〈らじおばんぐみ〉が始まるってこともあって、あいさつがてらに〈らじおきょく〉の見学に向かった。
いつもならお手伝いをしているらしいリリナちゃんは最初渋っていたけど、アタシがやるから大丈夫って言っていっしょに行ってもらった。いつも働き者なんだから、こういうときぐらいは……って思ったら、案外忙しくて目が回りそうになったよ。
「そう言うわりには、とってもいきいきしてるように見えたけど」
「わかります?」
「わかるわよ」
「そういうチホさんこそ、アタシから見てもいきいきしてましたよ」
「あら、わかっちゃった?」
「わかりますって」
アタシと同じように、自覚しながら楽しんで接客しているらしいチホさん。皿洗いを終えて濡れていた手を〈たおる〉で拭きながら、ちょこんと舌を出していたずらっぽく笑ってみせた。
「ダレてたり憂鬱な顔で接客してたら、店全体がそういう空気になっちゃうもの。逆に楽しんで接客していれば、その空気も店の中へ伝わるって思ってね」
「あー……」
言われて、思わずどきっとする。
ちょっと前までの商業会館がまさにそういう雰囲気で、一部の古株たちが威圧的な視線を向けることでお客さんが萎縮しちまうってことが時々あった。
どうして会計時に怯えていたのかとか、そそくさと逃げるように帰っていくのかとかわけがわからなくて、街中でばったり会ったときに聞いてみたらそういう態度をとられたからって言われて。
古株連中は『これが昔からの伝統だから』って言ってなかなかとりあってくれなかったけど、アタシといっしょにヴィエルへ来て魔織士になっている女の子たちや、古株の娘さんたちに擬似的なお客さんになってもらった結果、大不評をくらってようやく接客態度を改めるようになった。
それでもまだまだぎこちないところはあるけれども、前よりはかなりマシになって子供たちから20歳ぐらいぐらいまでのお客さんが来てくれるようにはなった。
だから、チホさんの言うことは痛いほど身に染みて、
「アタシが手伝いに入るたびに『ありがとう』って言ってくれたのも、その一環ですか?」
「うん」
さっきのお礼が気になって聞いてみたら、チホさんは小さくうなずいてみせた。
「『ごめんね』ってお客さんにも聞こえるところで言うと、ネガティブ……ちょっと暗い印象を与えかねないから。昔はあたしもよく言ってて、お父さんから『ごめんなさい』よりも『ありがとう』のほうがいいぞって口酸っぱく言われてたの」
「それ、いいですね。確かに誰かにやってもらうときには軽く謝ったりしそうになりますけど、そっちのほうが感謝って感じがします」
「今じゃ、すっかり口癖になっちゃった」
「いい口癖です」
困ったように笑うチホさんへ、アタシはにかって笑いながらそう言った。
チホさんのお父さん、つまりサスケのじーちゃんかー……サスケは、チホさんやフミカズさんの血をしっかりと受け継いでるのかもな。
「そういや、その『チホさんのお父さん』って今はどうしてるんです?」
「山の中に引っ込んで、お母さんといっしょに楽隠居中。まだまだ60代だっていうのに娘へ店を譲って、悠々自適な生活をしてるっていうんだから気楽よねー」
「夫婦で楽隠居かぁ」
「朝ごはんに食べてもらった夏野菜があるでしょ。あれ、全部父さんと母さんが作ったの」
「あの野菜をですか!」
「前々から何か作りたいとは言ってたけど、まさか野菜だなんてねー……まあ、おかげさまでいつもいい野菜を使わせてもらってるわ」
「ふたりとも精力的なんですね」
「本当に。まあ、毎日連絡も来るし、元気なのはいいことよね」
ちょっと呆れながらも、ご両親が元気なことでうれしそうなチホさん。やっぱり、ふたりのことが大好きなんだろう。
「じゃあ、あたしが父さんのことを話したんだから、次はヴィラちゃんの番よね?」
「へっ?」
「ヴィラちゃんのお父さんとお母さんって、どんな人なの?」
「ええっ!?」
こ、ここでアタシの両親のことかよっ! うーん……なんかチホさんのご両親の話を聞いたあとだと、めちゃくちゃ話しにくいんだけど……
「どんな人なのかなー」
ううっ。期待を込めた目で見られてると、言わないわけにはいかないよなぁ。
「その……チホさんは、サスケたちからアタシの身分のことは聞いてますか?」
「確か、商業会館の館長さんをやってるのよね」
「ええ。母さんも先代の館長をやってて、ほとんどがレンディアールでの生活でした。父さんとアタシはイロウナでずっと留守番をしていたから、あんまり小さい頃の母さんとの記憶ってなくて」
入り婿だった父さんは、家を支える役目。そしてふたりの娘であるアタシは、父さんと母さん両方を支える役目。イロウナじゃ当たり前の考え方だったから、ここに来るまでその役割に疑問を持ったことはなかった。
それが崩れたのは、母さんが1年間ぐらい帰ってこなかったときのこと。ヴィエルで商業会館を建て替えるっていう大事業があったらしいけど、その時のアタシは知るよしもない。父さんやばあやにあたったりして情緒不安定になりかけたことは、今思い返すと本当に申しわけなく思う。
「でも、帰ってきたときには必ず元気いっぱいで『ただいまー!』ってアタシたちに呼びかけてくれる人です。逆にアタシたちが帰ってくれば『おかえりー!』って迎えてくれたりして……お仕事では厳しくても、家へ帰ってくれば優しい母さんですね」
「へえ、お仕事じゃ厳しいんだ」
「厳しいですよ。売り上げが悪ければその原因からなにから探ってきますし、時々抜き打ちで来ればあーだこーだとダメなところを並べていく。それでいて最後は『あなたが自分で考えてやっていきなさい』って宿題を置いて帰っていくんですから」
「ふうん。……わらずなんだ」
アタシの話を聞いていたはずのチホさんが、なぜか遠い目をし始めた。
「どうしました?」
「うん? ああ、なんでもないの。こっちの話」
気になって声をかけてみたら、ぱたぱたと手を振ってなんでもないように言ってみせる。なんだったんだろ、今の。
「そのあたりは、やっぱり先代であって娘だから心配っていうのもあるのかもよ。うちの文和さんも、時々サスケに稽古をつけるとか言ってアナウンスの練習とかさせてるもの」
「あのフミカズさんがですか」
「あの文和さんがよ。温厚そうに見えて、その実熱血漢なんだから。あの人は」
はー、〈じっきょう〉してる時だけじゃないんだ、あの熱さって。
「でも、チホさんが言うことも今ならわかります。ちょっと前のアタシって、すっごく意固地になってたから……みんなと出会って、会館のみんなともいろいろあって、ようやく再始動って感じで。今は、母さんの教えをもとにしてアタシなりにいろいろ工夫していこうかなって思ってます」
「あっちでいろいろあったのね。ウチの佐助が迷惑かけたりしなかった?」
「いえ、全然! むしろ、アタシのほうが迷惑をかけちゃったぐらいで……」
「本当に? あの子って猪突猛進型だから、時々見てて不安になるのよ」
サスケの話題になったとたん、さっきまで友達のように親しげだったチホさんの表情が心配そうなものへと変わった。
「……やっぱり、違う世界へ行くのって心配ですか?」
「ああ、それは全然。リリナちゃんとピピナちゃんがいるから安心なのはわかってるし」
おお、きっぱり言い切った。
「どっちかというと、なにかやらかしてないかなーって」
「そっちの意味での心配と」
「あの子って誰かさんに似たのか、いろんな物事に首を突っ込みたがるから。その誰かさんも、昔ラジオ番組の企画でゲストさんと野球の話になったときに熱くなっちゃって『今年もし優勝できなかったら、有頂天になってたってことで頭頂部だけ髪の毛を残してあとは丸刈りにします!』とか言い出して」
「と、頭頂部以外丸刈り!?」
「しかも、その時までは1位だったのがあれよあれよと連敗してねー……引き返せないところまで行っちゃったってわけ」
「……やっちゃったんですか」
「やったのよ」
あ、あの穏やかに見えるフミカズさんが、頭頂部以外丸刈りとか想像もつかないんですけど……
「しかも、罰ゲーム放送の日は整髪剤でピンッと真上へ向けて固めて、根元をリボンで縛って」
「ぶふっ!?」
「あの時ほど白い目で見たことはなかったわー」
「そ、それは……災難ですね」
「色々な意味でね」
さっきとは違った意味で遠い目をしているあたり、いろんなことがあったんだろうなぁ。
「だから、佐助もそんな風に暴走するんじゃないかなーって心配になったりするの。放送部に入るって言い出したときも、近所のラジオ局でパーソナリティを始めるって言ったときも。本人には言ってないけど、これでも結構ハラハラドキドキなのよ」
「だから、ここにも〈らじお〉が置いてあるんですか」
「うーん、別にそういうつもりで置いたんじゃないんだけど……まあ、結果的にはそうなってるかな」
アタシの問いに一旦は首を傾げたチホさんが、最後は納得したように笑いながら真後ろの棚にある〈こんぽ〉をそっとなでた。
いつもはいろんな音楽を流すために使っている〈こんぽ〉が、土曜の昼過ぎになると〈らじおばんぐみ〉を流すために使われる。今も、かわいらしい女の子ふたり組が楽しそうに話している真っ最中だ。
「あの子がラジオでバカやってるんじゃないかって、どうしてもね。文和さんも、時間が空いてるときはネットを使って聴いてて、最近だとお手伝いしてくれてるリリナちゃんやフィルミアちゃんも聴いてくれて……うーん、リスナーが増えてるんだから喜ぶべきなのかしら」
「喜んでいいんじゃないですかね。サスケとカナの〈ばんぐみ〉、とっても面白いですし」
「面白いことは面白いのよねぇ」
どうも、〈ぱーそなりてぃ〉の親御さんとしては心配のほうが上回っているらしい。まあ、話していることが不特定多数に聴かれているんじゃ心配するのも仕方ないか。
「でも、明日の放送は安心して聴けそうかな」
「どうしてです?」
「だって、みんながいるんだもの。サスケだけじゃなくて、神奈ちゃんも瑠依子ちゃんも海晴ちゃんもいて、ルティちゃんもミアちゃんも、ピピナちゃんとリリナちゃんもいるでしょ。それに、ヴィラちゃんだって」
「アタシはちょっと〈なれーしょん〉しただけですよ」
「それでもよ。いっしょに作り上げたんだから、みんなで安心して聴けるの」
「みんなって、アタシたちとフミカズさんのことです?」
「うん? ああ、そうそう」
一瞬意外そうな目をして、すぐさま納得したように返事をするチホさん。さっきから、なんかちょくちょく引っかかりがあるのは気のせいか?
「不思議よねー……違う世界から来たみんなと日本のみんなが、いっしょにラジオの番組を作るなんて」
「アタシも。最初に聴いたときは夢のような機械だって思ってたのが、こんなにガッツリ関わるなんて考えてもいませんでした」
「今までほとんど交わることのなかった、文化も風習もまったく違う世界だもの。そう思って当然よ」
「でも、こうして目前に迫ってきたらだんだんドキドキしてきちゃいました。初めてイロウナから出てヴィエルへ向かった日のことを思い出しちゃって」
「冒険に出たような気分ってところかしら」
「ああ、それ! まさにそれです!」
チホさんの例えがあまりにも的確すぎて、アタシはついつい両手を叩いてからチホさんを指さしそうになった。いけないいけない、さすがに宿主さんを指さすのは失礼にも程があるっての。
「みんなでいっしょに、まだ見ぬラジオっていう見知らぬ大地へ旅していく……さながら、そんな感じ?」
「見知らぬってわけじゃないですよ。サスケとカナ、それにルイコとミハルが導いてくれて、アタシたちに教えてくれてるんですから。それに、こうしてチホさんやフミカズさんも手助けしてくれて。こんなに心強い冒険、アタシは初めてです」
行き場のなくなっていた両手を、お腹の辺りへとあてる。右手を隠すようにして、左手を重ねたアタシはまっすぐにチホさんのほうへ向くと、
「チホさん。いろいろ迷惑をかけるかもしれませんけど、これからもよろしくお願いします」
ゆっくりと、そして深々とおじぎした。
アタシたちを受け入れてくれたこと、そして見守ってくれていることへの感謝を込めて。
「あたしこそ、息子たちのことをよろしくお願いします」
一瞬面食らったような顔を見せたチホさんも、ゆっくりと微笑むとアタシと同じようにゆっくりとおじぎをした。
サスケはもちろんのこと、この家に集まったみんながチホさんにとって大切な人たち。そのみんなの中で、アタシはリリナちゃんやピピナちゃんに次いで最年長なんだから、今度はちゃんとみんなを守っていかなくちゃ。
サスケたちが、アタシのことを助けてくれたように。
「はいっ、任せてください!」
しっかりと、めいっぱいの笑顔で応えてみせた。
きっと、チホさんはいろんな想いを込めてアタシへ頭を下げたんだろうから。
「さしあたって、今日の夕ごはんはアタシが」
「ありがとう、ヴィラちゃん。なにか美味しそうなイロウナの料理とかあったら、あたしに教えてね」
「じゃあ、アタシにも美味しそうな〈ワショク〉を教えてください。次に母さんが来たら、絶対驚かせてやりたいです」
「そうねー、いろいろあるんだけど……改めてそう言われると、なんだか迷っちゃうわね。月曜のお休み、ふたりで商店街に行きましょうか」
「いいですねっ」
ふたりで笑い合いながら、これからの予定を立てていく。
話せばその分だけ返ってくるのは、先代――うちの母さんも、チホさんもいっしょ。だから、話せば話すほど楽しくなっていくのがとても心地いい。
これが、お母さんの貫禄ってやつなのかな。
アタシじゃきっとかなわないだろうけど、みんなのお姉さんとして引っ張っていけるように、少しずつ、少しずつ見習っていきたい。
「あっ」
扉に飾られた小さな鐘が鳴るのと同時に、表情が引き締まったりとか。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませっ!」
すぐに表情を緩めて、店に入ってきたお客様を優しい表情で迎えたりとか。
まだまだ、アタシには学ばなくちゃいけないことがいっぱいあるみたいだ。
前回後書きで予告通りの番外編です。佐助たちと出会って、いろいろあったアヴィエラさん。先日久しぶりに再登場した彼女を書きたくて、彼女が主人公の番外編と相成りました。そして、その相方は主人公・佐助くんの母上である智穂さん。これまでもサスケをつついたり、前話のラストであんな出方をした彼女ではありますが、普段はやはりお母さんなのです。
ところで、智穂さんが作中で話していた「頭頂部を残して丸刈り」というヘアスタイル。某AM局の局アナが実際にやっていたことがあります。夜ワイド担当1年目でどうやらお酒で失敗をしてしまったらしく、その罰ゲーム的なものでやることになったとか……パスポートの写真もそのままで、番組担当最終年も原点回帰ということで再度そのヘアスタイルになったというのですから、えらい時代だったんだなぁと思います。
次回は来週投稿予定。第4章の最終話で会いましょう。




