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第32.5話 ピピナとリリナのふたりごと

 目の前にあるのは、城壁のように高い壁と窓。

 でも、見上げれば青い空がどこまでも広がっている。

 季節が進み風が暖かくなっていくにつれて、鮮やかというよりも少し霞んだような色になっているのが見ていて楽しい。


「ねーさま、さいごのぬのですよー」

「うむ」


 両腕一杯に寝具用の掛け布を抱えたピピナから、その布を受け取って半分折りにしていく。わずかに水気を含んだそれは少し重くてしわくちゃだけど、音を立ててはためかせるとふんわりとしたものへと変わる。あとは、それを市役所の壁と壁の間に張ってある紐へとかけて、しわを伸ばせば、


「これでおしまいだな」

「はいですっ」


 白い掛け布と敷き布ばかりがずらりと並ぶ、壮観な洗濯模様が完成した。


「洗濯ご苦労だったな、ピピナ」

「ねーさまも、おそーじおつかれさまです。それにしてもたくさんありますねー」

「今日は私たちも含めて8人だ。それだけ多くもなろう」


 隣に並ぶピピナも私も、身につけているのは白と濃紺の給仕服。私にとってなじみ深い仕事着をあんなにも嫌がっていたピピナが、今は自分からすすんで着ていっしょに仕事をしてくれている。


「さて、次はお昼のごはんだな」

「きょうはやいたかわざかなのとまとそーすがけですよね。ピピナ、とまとのかわむきをしておいたですよ」

「なんだと?」

「さすけのおかーさんに、やりかたをおしえてもらったです。あついおゆのなかにとまとをくぐらせると、かわがぺろんってむけるですよ」

「いつの間に……よくやったな、ピピナ」

「えへへー」


 妹の気遣いにうれしくなって、つい声色がやわらかくなる。ピピナもそれを感じたのか、うれしそうに笑ってぱたぱたと背中の透明な羽をはばたかせた。


「ニホンの皆様は勉強中で、フィルミア様とエルティシア様も音楽学校だ。ふたりで、じっくりと作ろうか」

「はいですっ! ねーさま、ピピナにもつくりかたをおしえてくださいねっ」

「ああ、もちろん」


 自分からすすんで手伝ってくれて、あれだけ怖がっていた私のまわりをついて歩いてくれる。

 少し前からは、思いもしなかったこと。

 ただ気を張っていた私がピピナにもそれを強いて、離れてしまったことで壁を作って。

 でも今は、ニホンの皆様と出会って、エルティシア様とフィルミア様の応援を受けてふたりで話したことで、それまでとは違う関係を築くことができた。


 私は、リリナ・リーナ。

 妹は、ピピナ・リーナ。

 ほとんどが気ままに離れて暮らしている妖精族の中で、私たちリーナ一族は王室の皆様といっしょに過ごしている。


 *   *   *


「ぐぁ~……」

「はぅあ~……」

「さ、さすけ、かな、だいじょーぶですか?」


 勉強用に使っていただいてる会議室に入ると、机の上でサスケ殿とカナ様が突っ伏していた。それを見たピピナがふたりに駆け寄るが……どうみても、大丈夫ではない。


「ふたりとも、朝から4時間ぶっ続けで勉強したぐらいで情けない」

「さすがに、休憩時間はあってもよかったかなーって思うんだけど……」

「甘々ですよ瑠依子先輩。松浜くんは日本史と世界史が壊滅的、神奈っちは数学Ⅰが破滅的なんですっ」


 なるほど、みはるん様の猛特訓の末にこうなったわけだ。


「お疲れさまです、サスケ殿、カナ様。昼食の用意をお持ちしましたが、食べられますか?」

「食べます!」

「あたしもっ!」

「わ、わかりました」


 私が声をかけたとたんに、突っ伏していたサスケ殿とカナ様が同時に跳ね起きた。どうやら、疲れていたのは空腹も原因らしい。


「では、こちらの部屋で用意いたしましょう」

「ああ、手伝いますよ。テーブル用の布巾、いつものところですよね」

「じゃあ、あたしはテーブルクロスを持ってきますねっ」

「あ、あのっ」


 呼び止める間もなく、サスケ殿とカナ様は私に軽く手を振って会議室から出て行ってしまった。


「いっちゃったですね」

「疲れているのだから、座って待っていただいてもよろしかったのに」

「ふたりとも、きっとお手伝いしたいんですよ」

「瑠依子先輩、私は机の上を片づけておきます」

「ありがとう、海晴ちゃん。わたしは配膳のお手伝いかな」


 ルイコ様はそう言うと、最初から用意していたかのようにカバンから青い〈えぷろん〉を取り出して手早く身につけた。


「るいこおねーさんもよーいがいいですね」

「わたしも、なにかお手伝いできないかなって。リリナさん、今日の献立はなんですか?」

「川魚のトマトソースがけと、ココル――大きなレタスとタマゴのサラダです。皿やスプーンは、既に用意しておりますよ」

「わかりました。なら、わたしはサラダのほうをよそいますね」

「じゃあ、ピピナはおちゃをいれるです」

「ピピナさんのお茶ですか。松浜くんがおいしいって言ってたから、楽しみにしていますね」

「はいっ、こころをこめていれるですよー!」


 笑いかけるルイコ様に、ピピナが右手を掲げて勢いよく言ってみせる。

 ルイコ様は、初めてこちらへ来た日から私の手伝いを買って出てくださった。つっけんどんな態度をとっていたのにも関わらず、根気よくわたしに話しかけて何をするべきかと汲み取って。いつも穏やかなたたずまいで、いつも厳しく接する私よりもルイコ様のほうを慕っていたピピナの気持ちも、今ならよくわかる。


「ただいま帰ったぞ」

「ただいま帰りました~」

「お帰りなさいませ、エルティシア様、フィルミア様。と、その布は?」


 扉が開いたかと思うと、いつもの紅い皇服姿のエルティシア様と青と白の礼装服姿のフィルミア様が会議室へと入ってきた。その手には、小さな布巾と大机へとかける大きな布があって、それはサスケ殿とカナ様が持ってくるはずだったのだが……


「ちょうど、下でふたりと会ったんです」

「皆でやれば、用意も早かろう」

「なるほど、そういうことでしたか」


 後から入ってきたサスケ殿の言葉とエルティシア様の口添えで、ようやく合点がいった。

 出会いにおいてあんなにも手ひどい仕打ちをしたのにも関わらず、サスケ殿は私との対話をやめようとしなかった。それだけエルティシア様の願いを守ろうとしていたのであろうが、今ではそれを抜きにしてもよく話す仲になった。

 先頃までは私へ畏怖の視線を向けることがあったエルティシア様も、今はこうして私へ普通に話しかけていただいる。私が堅持していた厳しい態度を改めたというのもあるのだろうが、〈らじお〉づくりにおいて話すことが多くなってからは互いに飾らず話さなくなったというのも大きいと思う。


「わたしはこちらの半分を拭きますから、カナさんはそちらの半分をお願いできますか~?」

「りょーかいですっ!」


 フィルミア様からのお願いに、カナ様がびしっと、それでいてかわいらしく敬礼してみせた。

 ニホンの皆様方との一件以前から、フィルミア様とは普段からよく話していた。でも、それは私が一方的に求めていた主従のような対話。それを解消してからは、友人のように世間話に興じたり、ともに出かけたりしている。

 カナ様は我が道を行くお方で、初対面で演技してみせたり、物見櫓で私を〈らじお〉の道へと文字通り引きずり込もうとした。初めは拒否していた私が受け入れるようになってからは、ニホンでの様々な物語を教えてくださるかけがえのない友人だ。


「りぃさん、この程度で大丈夫でしょうか」

「はい。きれいにしていただき、ありがとうございます」

「いえいえ。りぃさんのおいしいごはんが食べられるのなら、これしきのこと」


 礼を言い頭を下げる私に、みはるん様は何のこともないように手をぱたぱたと振ってみせる。

 顔での表情はあまり変わらずとも、言葉での表情が豊かなのがみはるん様だ。ヴィエルへ初めて訪れた際には、冷静なように見えて異なる世界へ訪れた興奮にあふれていた。人間とは違う私のことも、こうして慕ってくださっている。

 これも、皆様と出会えたおかげ。そして、


「ねーさま、おちゃのあじみをおねがいできるですか?」


 皆様と話しているうちに運んできたのか、ピピナが茶器類を載せた手押し車のそばから声をかけてきた。


「ああ、いいだろう」


 わずかに緊張の面持ちを見せるピピナから茶器を受け取り、味見用にとわずかに入れられた琥珀色のお茶をあおる。すこし熱めののどごしとともに、ほのかなクレディアの蜜の甘みと豊かなルオターブ種の茶葉の香りが広がって……


「うむ、美味しい」

「それならよかったです!」

「この温度なら、用意ができた頃にはさらに飲み頃になるだろう。今のうちにいれるといい」

「わかったですよ!」


 元気いっぱいに返事をして、ピピナがうれしそうににぱっと笑う。

 私がいれるときにはもう少し茶葉の味を濃く出すが、クレティアと砂糖を漬けてできた蜜を少し多く入れることで増したこの風味も好きだ。ピピナだからこそ出せる味わいと言えよう。


 今はこうして笑顔を向けてくれるピピナだが、少し前までは私を露骨に避けていた。それもそのはず、気ままな性格なのに「王族に仕える者とはかくあるべし」という頑なな思いを押しつけていれば、近づかなくなって当然と言える。

 ニホンの皆様方と初めて出会い、帰られたあとにじっくりと話し合ったことで思い知ってからはピピナの思うがままに任せるようにした。すると、ピピナは自然と私にたずねて、自分からすすんでやることを見つけるようになっていた。

 最初こそ手ひどい失敗をしていたけれども、以前のようには怒らず、ひとつひとつ教えていくことで綿が水を吸うように学んでいった。今では、小さくとも頼もしい存在だ。


 *   *   *


「ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ♪」

「いいこですねー。このくらいのはやさで、ちょーどいーですよ」

「ぴぃっ♪」


 街中を歩く大きなひよこの背に、ピピナがゆったりと揺られていた。

 私は給仕服から執事服に着替え、ピピナは給仕服のまま。今はまだこの種類しかないが、そのうちピピナの執事服をあつらえてもいいだろう。


「ふたりとも、楽しそうだな」

「にほんへいってるあいだ、ぴりぃにはおるすばんをしてもらってるですから。こーゆーときこそ、おさんぽのしどきです」

「ぴぴぃっ♪」

「今日のような見事な晴れならば、確かに」


 私の問いかけに、ピピナもひよこ――ピリィ嬢も楽しそうに応える。少し日が傾きかけた空に、小さな雲がぷかりと浮いているぐらいの佳き晴れなのだから、散歩するのも気持ちいいだろう。


 ピリィ嬢はアヴィエラ様がピピナのためにと見定めてくださった魔石――『呼石(こせき)』から出てきたひよこで、ヴィエルにいるときはよく召還して遊んでいる。

 最初に見たときはピピナとともに手のひらへ乗るぐらいの大きさだと思っていたのだが、ピピナが人間形態になると主を追いかけるように猪ぐらいの大きさになって、身軽なピピナならば乗せられるほどの力を持っていた。


「ねーさまも、ぴりぃにのってみればいーのに」

「ぴぃ」

「私には似合わぬよ。小柄なピピナだからこそ様になる」

「そーですかねー?」

「ぴっぴっ」

「それに、今は買い物中だからな……往来でというのは、さすがに恥ずかしい」

「ね、ねーさまがはずかしーっていったの、はじめてきーたですよ!?」

「私だって、そう思うことはあるのだぞ」


 満面の驚きを向けるピピナに気恥ずかしくなって、ついと顔を背けてしまう。

 以前ならばこのようなことは言わなかったが、気持ちを露わにしようと心に決めてからは隠さないようにしている。しかし……やはり、恥ずかしいものは恥ずかしいのに変わりない。


「ぴぃ~」

「ど、どうしたのですか?」


 と、顔を背けていた私にピリィ嬢が体をすりつけてきた。触れ心地のいい羽毛から、おふんわりと心地よいお日様の匂いを漂わせている。


「ぴりぃ、ねーさまにものってほしーみたいです」

「ぴぴっ!」

「し、しかし」

「だったら、おうちのにわでのるといーのですよ。そこなら、おもうぞんぶんのれるとおもうです」

「むぅ」


 ピピナもピリィ嬢も、期待に満ちた瞳で私を見上げる。人語を解している節もあるので、ピリィ嬢のお願いをすげなく断ってしまうのも悪いし……


「わかった。帰ったら、あとで乗せてもらおう」

「やったです! ぴりぃ、ねーさまがのってくれるそーですよ!」

「ぴぴぴっ! ぴぃぴぃ♪」


 ピピナが喜ぶのと同様に、ピリィ嬢も翼をぱたぱたと羽ばたかせて喜んでいるらしい。まあ、確かにピリィ殿は乗り心地も良さそうだし、羽毛の触り心地もいいのだし……ま、まあ、悪くはなかろう。


「だが、今は買い物中だ。夜はまた〈らじおどらま〉の練習なのだから、皆様には鋭気を養っていただかなくてはな」

「りょーかいですっ。おゆーはんはなににするですか?」

「昼はあっさりめだったから、夜はしっかりしたものをと思っている。読み合わせもあることを考えると……手軽に食べられるのがよさそうだな」

「はいはーいっ。だったら、ぎゅーどんがいーとおもうですっ!」

「『ギュードン』……ああ、サスケ殿たちの学校の近くで食べたあれか」

「そーです。あのおにくを、こっちのあじつけにしてみんなにふるまうです」

「ふむ、それはいいな」


 ニホンで食べた『ギュードン』は、甘辛い味付けでこちらにはなかなかない味付けだった。よく煮込んだ玉ねぎの甘みと牛肉の味わいが合わさって、とても美味しい食べ物であったのだが、なるほど、こちらの味付けで作ってみるというのもよさそうだ。


「それに、ごはんそのままだったらぴりぃもたべられるですし」

「ぴっぴっぴっ♪」

「ピリィ嬢はコメが大好きだからな。よし、おかわりもできるようにたくさん炊いて、香辛料と柑橘酢で牛肉と青野菜を炒め煮にしよう」

「それがいーとおもいますっ。じゃあ、レクトおにーさんとリメイラおねーさんのおみせですねっ」

「うむ、あのお店であれば確実だ」


 ルイコ嬢との〈ばんぐみ〉の収録以来、レクト殿とリメイラ嬢とは以前以上に懇意にしていただいている。まだ〈ばんぐみ〉自体は放送していないものの、以前は事務的だった私の態度が柔らかいことに興味を抱かれたようで……その節の事は、本当に申しわけなく思う。


「はーいっ、安いよ安いよ! 今日はミラップがたくさん入ってるよー!」

「わわっ、アヴィエラおねーさんですよっ!?」


 ふたりの店へ行くと、なぜかアヴィエラ嬢が店先でひとり呼び込みをしていた。


「あれっ、ピピナちゃんとリリナさんじゃん。お買い物?」

「は、はあ、そうですが……アヴィエラ嬢は、どうしてこちらに?」

「いやー、ミラップを食べに来たら、ふたりしてレナトの店へ食材を持っていくところだって言ってさ。量も多かったし、ちょっとだけ留守番を請け負ったのよ」


 ちょっとだけと言うわりには、白いドレスの袖をまくり気合十分なアヴィエラ嬢。なるほど、子息であるレナト殿への遣いへ出られていたのですね。


「で、今日はなにを買いに来たんだい?」

「今日はニホンの皆様が来られているので、夕食のために青野菜をと思いまして」

「えっ、みんな来てるの!? なーんだ水くさいじゃん、言ってくれればいいのに」

「それは申しわけありません。なにせ、今回は〈らじおどらま〉と勉強の合宿で、皆様が表に出られないものでして」

「あー、もうすぐなんだっけ。それじゃあしゃーないか」


 一瞬見せた不満げな表情が、事情を話したことですぐに仕方ないという表情へ移り変わる。

 アヴィエラ嬢は隣国・イロウナから来られた商館の長で、これまでの長とは違い気風がよくきっぱりとした性格の持ち主だ。エルティシア様とフィルミア様だけではなく、我ら妖精姉妹とニホンの皆様ともよしみを通じ、こうして分け隔てなく話しかけてくれる。

 盗聴されていたことを知ったときは心配したものの、今では以前のように元気な姿を見せてくれている。


「ぴぃ、ぴいっ♪」


 と、ピリィ嬢がピピナをのせたままアヴィエラ嬢へと擦り寄っていく。


「ようっ、ピリィ。ピピナちゃんと仲良くしてるか?」

「ぴーっ♪」

「ピピナも、ぴりぃとなかよくしてるですよっ!」

「そいつはよかった」


 ピリィ嬢が右の翼を、続いてピピナが右手を挙げるのを見て、ピリィ嬢の生みの親とも言えるアヴィエラ嬢が相好を崩す。私も、自然と頬がゆるむのを感じていた。

 最初はアヴィエラ嬢のきまぐれで見つくろったものだと思っていたが、私への『視石』は視力を助けて皆様への貢献を増やし、ピピナへの『呼石』はこうして楽しきひとときを生み出している。まさに、商館の長にふさわしき慧眼だ。


「んじゃ、遊びに行くのは試験とかが終わってからかな」

「申しわけありません。皆様方には、アヴィエラ嬢が元気にしてる旨を伝えておきますので」

「ありがと。アタシも、その頃までにはみんなに新しい魔石を用意できるようにしとくよ」

「新しい魔石、ですか?」

「ああ。サスケとエルティシア様にいい案をもらったから、それを形にして〈らじお〉作りに役立てられればってね」

「なるほど。それでは、私も歓声を楽しみにいたしましょう」

「ピピナも、たのしみにしてるですよっ!」

「ぴぃっ!」

「あははっ。アタシも、リリナさんのごはんとピピナちゃんのお茶を楽しみにしてるよ。それと――」


 そこまで言ったところで、アヴィエラ嬢が緑色のつぶらな瞳を細める。


「みんなといっしょにがんばってるからさ。ふたりとも、またうちの商業会館に遊びに来てよ」

「もちろんですっ!」

「では、次にニホンから戻ったら必ず。フィルミア様も、新しい魔術細工を楽しみにしておられましたので」

「うんっ、待ってるから」


 そして、私たちの返事に満面の笑みを浮かべる。

 多くは言わないけれども……きっと、これはこの間の夜のこと。

 古参の方々との間で芽生えた心の行き違いを、アヴィエラ嬢は今でも解消しようと奮闘なさっているのだろう。そして、きっとその筋道が見えてきたからこその、この言葉。

 ならば、関わってきた私とピピナが行かない道理はない。エルティシア様とフィルミア様もお連れし、いずれはニホンの皆様もお連れしてイロウナの商業会館へと行こう。

 以前ならば考えもしなかったことが、皆様方とふれあえたことで次々と思い浮かんでくる。

 その喜びを噛みしめながら、私たちは御夫妻が戻られるまで店先で談笑していた。


 *   *   *


「『わかりました。それでは〈らじお〉がエルティシア様に見合うかどうか、私が見定めようではありませんか』」

「『そ、そんなことをしなくてもいーですよ!』」

「『そうやって甘やかすから、お主もエルティシア様も惰弱になられるのだ!』」

「『だ、惰弱だと!? 私が惰弱になど、いつなった!』」

「『賊に対峙する力を振るわず、〈対話〉へと逃げたからこそ惰弱だと申したまでです』」


 飛び交い合う、厳しい言葉。

 その言葉につられて、自然と表情も厳しいものになるのだが、


「『くっ……わ、わかった。それではリリナよ、お主も〈らじおばんぐみ〉に出てもらおうではないか』」

「『私が? この変な機械を使ってですか?』」

「『そうだ。対話を〈惰弱〉と申すからには、そなたはきっと素晴らしい対話ができるのであろうから』」

「『なっ……わ、私には、対話など必要ありません』」

「『おんやー? ねーさま、おじけづいたですかぁ?』」

「『わ、私がいつ怖じ気付いた! よし、わかった。わかりました。私も〈らじお〉に出て、対話など簡単なのだと証明してみせましょう』」


 挑発的な口調につられるようにして、エルティシア様とピピナの言葉へと乗っていく。

 全ては、台本のとおり。それでも、台詞の表情につられて普段使わないような頬の筋肉がひとつひとつ活性化していく。


「『では~、わたしもリリナちゃんといっしょに〈ばんぐみ〉に出ますね~』」

「『い、いけませんっ! フィルミア様まで、このような戯れに付き合わずとも!』」

「『いいじゃないですか~。せっかく見知らぬ街で、見知らぬ遊びと出会えたのですから~』」

「『あ、遊びじゃないんだけどなー?』」

「『俺らにとっては、一応仕事だし』」

「『まあまあ、みんな初めてなんだしね。それじゃあ、みんなでいっしょにラジオを初めてみましょうか』」

「『うむっ、今日もよろしく頼むぞっ!』」


 ルイコ嬢の言葉に導かれて、エルティシア様が自信満々に言い切る。

 そして、次はいよいよ我々の出番となるわけで。


「『異世界ラジオのつくりかた』第2回」

「『みんなとラジオでお話しましょ~』」


 私が題名を、続いてフィルミア様が副題をゆったりと言っていく。しかし、台本を見たときからもうひとつ足したいと思っていた私が、


「『わ、私は、お話しなんてしませんからねっ!』」

「「ぶふっ!?」」

「ね、ねーさまがへんになっちゃったですー!?」


 そう即興で言葉を足したところ、サスケ殿とカナ様は噴き出して、ピピナからはとんでもない物言いをされてしまった。


「失礼な。カナ様に倣って、私も即興で付け加えてみただけだ」

「えふっ、えほっ、えほっ……り、リリナちゃんがアドリブとか、不意打ちにも程があるよっ!?」

「いやー、俺も驚いたわ……リリナさん、結構お茶目なことをしますね」


 むせていたカナ様とサスケ殿からも、ずいぶんな物言いをされる。むぅ……あまりにも唐突すぎたのであろうか。


 咳き込んでいるふたりが背にしている窓の外は、すっかり真っ暗。

 夕食を終えて応接室に集まっていた私たちは、昨日に続いて〈らじおどらま〉の読み合わせをしていた。

 はじめは軽く言葉だけで読み合わせて、場面の詳細を確認してから2回目の読み合わせへ。そして現在の3度目は、より感情を込めたものへと移行していた。そのため、昨日カナ様がされていたように即興で言葉を付け足してみたのだが……これは、不評ということなのだろうか?


「では、ただいまのは今回限りということで――」

「なにを言うんですかっ」


 諦めて退こうとしたところで、みはるん様が机に手をついて身を乗り出してきた。


「今のは意外性があっていいと思います。ぜひぜひ使いましょう」

「俺も、突然で驚いただけですから。今のは、またやってもいいと思いますよ」

「そうそう。今のは、今回のリリナちゃんのキャラ――えっと、人物像に合っててとってもよかったんじゃないかな」

「そ、そうですか」


 なるほど、ただ驚いてしまったというだけだったのだな。確かに、思いついたことを予告すらせずに言ったのだから仕方あるまい。


「ふふっ、ふふふふっ」

「え、エルティシア様?」


 聴き慣れない声に視線を移すと、笑いをこらえきれないのかエルティシア様が肩を細かく震わせていた。


「いや、すまぬ。今日のリリナは興に乗っているなと思ってな」

「そうですね~。わたし、こんなに楽しそうなリリナちゃんを初めて見ましたよ~」

「フィルミア様まで……」


 エルティシア様の右隣におられるフィルミア様は、対照的に微笑ましそうに私を見ながら両手をぽんと合わせている。


「リリナさんは、何か演技をした経験があるんですか?」

「いえ、演技をしたことなどは一度も。ただ、ここでひとつ言葉を足すと面白いだろうなと思っただけでして」

「それだけで、あんなに堂々とアドリブできるなんて……うむむむ、普通の演技でもとってもノリノリだし、これは楽しいことになってきましたよ?」

「そ、そんな、畏れ多いです」


 私の隣に座るルイコ嬢へ答えれば、向かいに座っていたカナ様が期待に満ちたような視線を向けつつ私のほうへ身を乗り出してきた。

 思わず口にしたとおり、私の演技はそのような言葉をかけられる程ではない。でも、一方でそう言われてうれしく思う私もいる。

 初めてまともに演じたものを、皆様にそう評価をしていただけたのだから。


「…………」


 でも、その中でただひとり。

 エルティシア様の左隣に座るピピナは、ただ私のことをじっと見つめていた。


「よーしっ、リリナちゃんがにやる気もらったっ! せんぱい、このままBパートの練習に行っちゃいましょう!」

「今の勢いを止めるのはもったいないもんな。ルティもピピナも大丈夫か?」

「は、はいですっ!」

「ああ、望むところだ。姉様、ルイコ嬢、我らもも参りましょうぞ」

「ふふふっ。リリナちゃんががんばるなら、わたしもがんばらないと~」

「そうですね、私も負けていられませんっ」

「え、ええっ?」


 口々に、気合を込めた言葉がかけられうろたえる中で。

 ぼーっと見つめてくるピピナの瞳が、なぜだか印象に残っていた。


 その勢いのまま練習を続けて、解散をしたのは結局夜の11時。

 7時からずっと練習していただけあって皆がへとへとになるほどではあったものの、演技がよく弾んだことで充足感に満ちた表情をしていた。


「ねーさま、きょうはおつかれさまでした」

「うむ。ピピナもご苦労だったな」


 それは、私たち姉妹も同じ。

 皆が部屋へ戻ったあとに片付けて、最後に湯浴みをして自室へ戻った私たちも、力で生み出した風で髪を乾かしながら互いをねぎらい合った。

 身にまとっているのは、薄緑色をした揃いの寝間着。ニホンで買った『きゃみそぉる』なる寝間着は、こちらで一般的な布を巻き付ける形式とは違い、頭から体を通すだけなので気軽に着ることができた。


「♪~」


 大柄な私とは違い、小柄なピピナが着た姿はとてもかわいらしい。

 櫛で髪を梳かしていた私は、気持ちよさそうに頭上から風を受けるピピナを眺めてしみじみとそう思った。


「うん? ねーさま、どーしてピピナをみてるですか?」

「いや、その姿がかわいらしいと思ってな」

「ねーさま、さいきんよくピピナのことをそーいいますよね」

「今までが言わなすぎだっただけだ」

「むぅ……なんだかむずむずするですよー」

「失敬な」


 言葉通り、こそばゆそうなピピナへ短く言葉を返す。

 ちょっぴり本心を込めて。それ以上に、こうして軽口を叩き合える楽しみを込めて。


「よいしょっと。ねーさま、ちょっとくしをかすです」

「いいのか?」

「いーんですよ。ピピナのよるのおたのしみなんですから」


 椅子から下りたピピナへ獣毛製の櫛を渡すと、そのまま後ろへ回り込んでいく。続いて『んしょっ』という声が聞こえたところで、再び背中へ髪を梳く感触が走り出す。


「はぁ……」


 不思議なもので、自ら髪を梳くのと誰かに梳いてもらうのでは感触が違う。まだ幼いフィルミア様に梳いていただいてから、つい最近まで久しく感じることのなかったその心地よさに、私は思わず息を漏らした。


「きもちいーですか?」

「ああ、ちょうどいい塩梅だ」

「それならよかったです」


 姿は、見えない。

 でも、聴こえてくる声と感触で、ピピナがそこにいるのだと確かに感じさせてくれる。

 つい先日まではひとりきりだったこの部屋で、愛すべき妹が。


「ねーさま」

「なんだ?」


 何気なさそうな呼びかけに応じて、しばらく髪を梳く感触だけが続く。


「なんとなくなんですけど」


 続く言葉が出てきたのは、濡れ髪が軽くなってきた頃。


「さっきえんぎをしてたねーさま、なんだかまえのねーさまみたいでした」

「ニホンの皆様と会う以前のか?」

「はいです」

「あの頃の私を思い出しながら演じていたのだから、当然だろう」

「それもそーなんですけど」


 んー、としばらく唸ってから、また言葉が途絶える。

 ルイコ様が書いた物語の中で、私は頑固者の従者という役割になっている。異世界に迷い込み、エルティシア様が困っていると思い込んでいたところでニホンの皆様方と〈らじお〉に興じているのを見かけ、腹を立て連れ帰ろうとする役割だ。

 本来の私とサスケ殿との出会いと比べれば、ずいぶん穏便に脚色されている。短剣を突き付け、半ば誘拐のようにレンディアールへと連れ去ったことなどを書きようも無かったのだろうが、物語としても今の私たちの間柄としてもとても適していると思う。


「なんとゆーか、まえのねーさまもあんなふーにえんじてたのかなっておもったですよ」


 しかし、ピピナが発した言葉は予想外で。


「前の私が、演じてた?」

「はいです」


 思わず振り返って見合ったその瞳は、応接室で私をじっと見ていたものと同じだった。


「いまのねーさまって、そのままのねーさまですよね。でも、まえのねーさまは『じゅーしゃ』ってことにこだわってえんじて、いまみたいなねーさまをかくしてたきがするです」

「それは……」


 ピピナの指摘に面食らったものの、よくよく考えてみれば腑に落ちる指摘だ。

 従者であることにこだわった私は、フィルミア様にかしずき、エルティシア様に王家の者たれと接し、ピピナには私と同じようになれと強要してきた。

 母様の願いでこの世界へ生まれ落ち、やがて生まれてくるフィルミア様を守れる存在になろうと思い込み、それがいつしかねじ曲がってしまって……従者であろうと、頑なになって。

 幼い頃から私を知るピピナなら、確かに『演じていた』と見てもおかしくはない。


「だから、こんかいのねーさまもこだわってえんじてるなーって、そーおもってですね」

「……そうか」


 今回の私は、そんなかつての頑なな私を演じているのだから。


「ピピナには、怖い思いをさせたのかもしれないな」

「なにがです?」

「昔の、ピピナが嫌いだった私を思い起こさせてしまって――」

「と、とんでもないですよっ!」


 謝ろうとしたところで、ピピナがぶんぶんと首を左右に振る。


「ピピナは、ねーさまってすごいなーっておもっただけです! ピピナはふつーにそのままえんじてるだけなのに、ねーさまはまたべつのねーさまになってて、でも、ねーさまはやっぱりねーさまで……」

「ピピナ……」

「おちゃめなねーさまとか、かわいいねーさまとか、いっぱい、いーっぱいあたらしいねーさまがみられて、うれしーんです。ほんとーです。ほんとーなんですよっ」


 どうしても自分の想いを伝えたいのか、湧いては出てくる言葉を口にしながら小柄なピピナが両手と羽を大きくばたつかせる。

 また、私は余計な思い込みをしてしまったのか。


「すまない、私の早とちりだったようだ」

「そーです、そーですっ。ピピナ、ねーさまがきらいなんておもったことはほとんどありませんっ!」

「ほとんどということは、少しはあったと?」

「え、えっと……さすけとなかがわるかったころのねーさまは、ちょっと」

「その頃の私は、確かにそう思われても仕方あるまい」


 意地悪っぽく尋ねてみたら、ピピナが上目遣いで素直に明かしてくれた。確かに、あの頃はサスケ殿たちを傷つけても厭わないとすら思っていたのだから、怖がられて当然だ。

 私とて、あの時のことを振り返ると今でもサスケ殿に頭を下げたくなる思いなのだから。


「んーと、えーっと……こ、こわいねーさまはやーですけど……りりしくてかっこよくて、かわいくてたのしいねーさまはだいすきですっ!」

「っ!」


 上目遣いからちゃんと顔を上げて、ピピナがかわいらしい笑顔を見せてくれた。

 あんなに私を恐れて、遠ざかり反発していたピピナがだ。

 そして、告げてくれた言葉を何度も反芻する。

 凛々しくて、格好いい私が。

 かわいくて、楽しい私が。

 大好きだと。

 一点の曇りも無い、輝かしい笑顔で。


「ありがとう、ピピナ。私も、元気なピピナが大好きだ」

「ねーさま……はいっ!」


 その笑顔に吸い寄せられるようにして、こつんと額をくっつけ合う。

 私たち妖精にとっての、親愛の証し。

 再び縁を通じてからも幾度かしていたが、今宵のこの繋がりは格別の温もりだ。


「ねーさまは、ピピナのもくひょーです。だから、これからもねーさまらしくいてください」

「わかった。ピピナもピピナらしく、これからずっと元気でいてほしい」

「もちろんですっ!」


 くっつけていた額を離すと、ピピナははにかむようにして笑った。

 異世界に迷い込んでしまったエルティシア様を元気付け、ニホンの皆様方とも仲良くなり、そして異国の女性をも支えた、この笑顔。

 自分からこの笑顔を拒んでいたなんて、私はどんなにもったいないことをしていたのか。


「あははっ」

「えへへー」


 まばゆいばかりの笑顔につられて、湧くようにして私まで笑いたくなってくる。

 今日一日、元気でいっしょにいられてよかったと。

 明日も元気でいっしょにがんばろうと、そう思えるぐらいに。


「明日も、ともにがんばらねばな」

「はいですっ! あしたはにほんへいくひですし、もっともーっとがんばるですよ!」

「そうだな。こちらでも向こうでも、私たちの腕の見せ所だ」

「ですねー。ピピナ、きょーいじょーにいっぱいいっぱいがんばってえんぎするですっ!」


 そのまま私たちは、夜更けにもかかわらずふたりでしゃべり合った。

 もう眠る前だというのに、湧いてくるのは眠気でなく元気ばかり。

 明日も早いのだが、こればかりは致し方あるまい。せっかくできた姉妹の時間なのだから……今は、それを大切にしたい。


 エルティシア様がいて、フィルミア様がいて、サスケ殿とカナ様がいて。ルイコ嬢にみはるん様がいて、アヴィエラ嬢がいて……そして、ピピナが隣にいて。

〈らじお〉が形になるのは先だけれども、ピピナを笑顔にしてくれた皆といっしょならば、きっとうまくいくはず。


 そう確信しながら、私は大好きなピピナといっしょにあたたかい夜を過ごした。


 たまにはラジオのお話からちょっとだけ離れて、日常のお話を。

 リーナ姉妹は、書いていて落ち着く存在なのです。

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