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第32話 「異世界ラジオのつくりかた」のつくりかた・2

「『ルティさまっ、ルティさまっ、おきてくださいっ!』」

「『うーん……ん? ピピナ?』」

「『ルティさまぁっ!』」

「『すまぬ、気を失っていたようだ。ピピナ、ここはどこなのだ?』」

「『よくわからないです。なんだかとうみたいなところですけど、したははいいろばっかりでおかしーです』」

「『確かに、我らは見知らぬところであるな……はっ、追っ手は!?』」

「『だいじょーぶです、ここにはだれもいません』」


 よく聴き慣れた、ルティとピピナとのやりとり。

 それは初めて若葉市へ来た頃、屋上や赤坂先輩の家で見たようなお姫様と従者の妖精のようなやりとりが蘇ったみたいで、


「ルティさんもピピナさんも、練習の成果が出てるね」

「ええ、ふたりとも堂々としてて。これも、有楽の演技指導のおかげかと」

「いえいえ。ルティちゃんもピピナちゃんも、とってもノリノリだったからですよ」


 収録ブースにいるふたりをガラス越しに見ながら、調整室で待機中の俺たちは口々にそう言い合った。

 薄桃色の半袖シャツと黒のスラックス姿のルティと、お揃いなデザインの薄緑色の半袖シャツと濃緑色のハーフパンツ姿のピピナが手にしているのは、赤坂先輩お手製の台本。その前には息のノイズ軽減用のポップガードが付いたマイクが立てられて、ふたりとも懸命にしゃべっている。

 こうして小柄な後ろ姿だけを見ていると、ふたりの子供がアフレコの収録体験をしているようにも見えるけど、聴こえてくる演技は見事そのもの。


「私も、エルティシア様とピピナに負けてはいられません」

「ううっ、ルティに気圧されそうです~……」

「もう『どうにでもなれ』で行きましょう。わたしはもうそうします」


 そんなふたりの演技を聴いて、やる気を見せるリリナさんと不安がるフィルミアさん。同じように不安がっていた赤坂先輩が言い聞かせるようにぽんぽんと肩を叩くけど、くちびるの端が引きつっているのを俺は見逃さなかった。


「松浜せんぱい、結構落ち着いてますね」

「そう見えるか?」

「ええ、上半身だけは」


 有楽のやつ、よく観察してやがる。


「足はすっごくガクガクです」

「本当にな」


 もう、さっきから震えが止まらないのなんの。

 いや、同じ『しゃべる』ってことはわかってるんだよ。わかってるんだけど、自然体でしゃべるのと演技でしゃべるのは全然違うんだって。


「大丈夫ですよ。あれだけエチュードも発声練習も繰り返してきたんですから、自信を持ってください」

「鬼軍曹に言われればそうなんだろうけど」

「誰が鬼軍曹ですかっ」

「あれを鬼軍曹と言わずに何と言えと」


 ぽややんと笑ってる目の前の有楽が天使に見えるほど、俺らに特訓をつけてくれていた有楽は本当に鬼軍曹のようだった。

 いろんなシチュエーションで短い演技を繰り広げていく『エチュード』に、アナウンサーの落ち着いたものとは違う感情を込めた『発声練習』。昨日までの数日間、ことあるごとに呼び出されては、これでもかと特訓をつけられた。

 確かに鍛えてくれって言ったのは俺だし、ルティもピピナも有楽にはずいぶん鍛えられていた。でも、俺のへっぽこな演技は相当やばかったらしく、時々敬語じゃなくなるほど有楽の本気モードは全開になっていって……思い出しただけで、別の震えが混じってくる。


「『誰もいないのに、この声はいったい……?』」

「『なんだか、とってもやさしいこえですよね』」

「『うむ。ピピナ、敵意は感じぬか』」

「『はいっ、ぜんぜんだいじょーぶです』」

「『ならば、行ってみるとするか』」

「はい、ここでいったん止めます」


 調整卓の前に座る中瀬が、マイクのスイッチを入れてブースの中にいるふたりへと呼びかける。そのとたんに、ピシッと背筋を伸ばして立っていたはずのルティとピピナが壁際の長イスへとへたりこむように座った。


「おつかれー」

「お疲れ様っ、ルティちゃん、ピピナちゃん。とってもよかったよ!」

「そ、そうか。カナが言ってくれるのであれば自信になる」

「じしんになるですけど、ちょっとしゃべっただけなのにとってもつかれました~……」


 防音用の重いドアを開けて、エントランスからブースへ。イスに座っていたふたりはすっかりヘロヘロで、まさに大仕事をしたって感じの姿だった。


 ここは、若葉市から電車で一本の東京・深草にある『声』に特化した収録スタジオ。その中にある大きめなスタジオで、俺たちは赤坂先輩が計画している新番組『異世界ラジオのつくりかた』のラジオドラマを収録していた。

 とは言っても、今はまだ本番じゃなくてテストの段階。まだ不慣れな俺たちのために3時間と多めの時間をとって、初回の15分と2回目の10分のラジオドラマを録ることになっている。

 そんな中で、ただひとり現役声優の有楽はみんなの演技や緊張ぶりに目を配ってこまめに声をかけてくれていた。さすがだと思うのと同時に、ただただ頭が下がる思いだ。


「やっぱりアフレコは気が張るからね。最初はそういう感じかな」

「はー……かなは、いつもこんなかんじでやってるですか」

「あたしだって、最初は緊張でへろへろだったし。でも、ピピナちゃんもルティちゃんもとってもよかったよ」

「むしろ問題は俺のほうだな」

「わたしも」

「わたしもです~」

「さ、サスケもルイコ嬢もミア姉様も、皆一様に顔面蒼白だな……」

「最初からワクワクしてブースへ入ったふたりがうらやましい……」


 まるで遊園地にでも行くのかって具合にはしゃいで入ったら、ルティもヒピナも楽しんで遊び疲れたって感じだ。対して俺たちは、歯医者のイスにでも向かうかのような……ああ、やめやめっ。今やれるだけの演技をしなきゃ、ピピナとルティの足下にも及ばないんだから。


「では、神奈っちと松浜くんと瑠依子先輩はそろそろ準備してください」

「い、いよいよだね」

「そうですね……」

「ほらっ、ふたりとも緊張しないで。役柄は自分たちなんだから、いつも通りに行きましょう!」

「お、おふっ」

「ひゃ、ひゃめれっ。ひゃめれっれぱぁ!」

「うーりうーりうーりうーり」


 緊張をほぐそうとしているのか、有楽が手を伸ばして俺と赤坂先輩の頬をぐにゅぐにゅと揉みほぐしはじめた。痛いってワケじゃないけれど、頬肉と歯がくりゅくりゅよじれる変な感覚で……って、いきなりやめるなっ。


「はい、リラックスはおしまいっ。それじゃあ行きますよっ!」

「ったくお前はよぉ……んじゃ、リードはお願いしますよ。有楽先輩」

「よろしくね、神奈ちゃん先輩」

「せ、せんぱいはせんぱいたちのほうですよねっ!?」

「声優歴じゃ、有楽の方がずーっと先輩だろ」

「ふふっ」


 わざとらしくむくれる有楽に、俺は軽口で応えて赤坂先輩は楽しそうに笑ってみせた。うん、有楽のおかげでちょっとは緊張がほぐせたみたいだ。


「みんな。我は、ここで待っているからな」

「みんなでしゃべるばめん、たのしみにしてるですからねっ!」

「おうよっ」

「がんばりますねっ」

「まっかせて!」


 気合いを入れてルティに応えた俺たちは、ブースに立ち並ぶ3本のマイクの前に立った。

 右隣には赤坂先輩がいて、左隣には有楽がいる。今は見えない後ろにもルティとピピナがいて、背後の調整室にはフィルミアさんとリリナさんに中瀬だっている。

 みんな、気心知れた仲間たち。有楽の言うとおり、役柄は俺たち自身なんだからみんなといつも通りにやればいいだけなんだよな。


『それじゃあみなさん。Aパートのスタジオ側テスト、1回目に入ります』

「よろしくお願いしますっ!」

「よろしくっ」

「よろしくね」


 壁の上にあるスピーカーからの中瀬の宣言に、マイクを通してみんなが言葉を返す。スピーカーの下にあるモニターは電源が落とされて、黒い画面に俺の表情が映り込んでいた。

 初めての声優体験。それでいて、これから電波に乗るかもしれない演技の収録。

 有楽が緊張を取り払ってくれたおかげか、俺は少しずつ、少しずつ自分の心が高鳴っていくのを感じていた。


 *    *    *


 ラジオ番組を作り始めるのにも、順序が必要だ。

 企画書を書いて、人を集めて、企画書が通ったらハイ収録……なんてことは結構まれで、企画書が通る前にひとつの関門が設けられていたりする。


「パイロット版、ですか」

「うん。局長から、やりたいならパイロット版を作って提出しなさいって」


 ルティたちが帰って、事務所に行く有楽とも途中で別れた水曜日の夜。

 うちの店のカウンター席に座っている赤坂先輩が、ナポリタンとサラダをたいらげたところで話を切り出してきた。


「なんだか普通の番組みたいですね」

「だって、普通の番組だもん」

「内容は普通じゃないですけど」

「そこは普通じゃないけど、形式上はね」


 俺のツッコミに、先輩が困ったように笑う。

 先輩が持ち込んだ『異世界ラジオのつくりかた』の企画は、表面的にはフツーのラジオドラマ番組のようでいて、その実本当に異世界から来た女の子たちがいる番組なんだから普通じゃないにも程がある。


「じゃあ、実際に録ったりするわけですか」

「うん。あと、いっしょに1回目と2回目の収録もしちゃおうかなって」

「ハネられるつもり、まったくないですね?」

「もちろん。ハネられたとしても、ネットラジオって手はあるしね」

「なるほど。でも、やるならやっぱりわかばシティFMでやりたいですよね」

「ルティさんたちと出会った場所なんだもの。パイロット版とは言われたけど、最初から続き物のつもりでやるつもりだよ」


 やる気をみなぎらせながら、先輩が右手をぐっと握る。それだけ、先輩がこの番組に力を入れるってことだろう。


「あの、〈ぱいろっとばん〉ってなんですか?」


 と、先輩の隣でもくもくとチョコケーキを食べていた中瀬がふと顔を上げて首をかしげてみせた。


「なんだ中瀬、パイロット版を知らないのか」

「私、ラジオのことはあまり詳しくないもので。ラジオバカの松浜くんとは違います」

「ラジオバカって、お前なぁ」


 こいつ、的確につついて来やがる……


「パイロット版っていうのは、放送が本決まりになる前のテスト版みたいなものでね。実際に放送することを想定して、企画したフォーマット通りに収録したものを局に提出するの」

「それを局の人が聴いて、パーソナリティは大丈夫なのかとか、構成に問題はないのかとかを確認して、最終的にゴーサインを出すか出さないかが判断されるわけだ」

「なるほど、最終試験のようなものですか」

「そういう感じだね」

「その打ち合わせのために、私は先輩にここへ連れられてきたと」

「うんっ。このあいだお願いしたとおり、海晴ちゃんには音響をお願いしたくて」

「私以外の誰にもやらせはしませんよ」


 きっぱりと言って、中瀬が無駄のないスマートな所作でチョコケーキを切り分けて口へと運んでいく。そして、しっかりと噛みしめてからごくんと飲み込むと、


「るぅさんとぴぃちゃん、みぃさんとりぃさんが出る上に、神奈っちと瑠依子先輩も出るラジオドラマであれば、私が録らなくてどうしろというんですか。最初、瑠依子先輩から持ち込まれたときには先輩だからって思いましたが、今なら私しかいないと断言します」

「すごい自信だな、お前」

「みんなのかわいらしい会話を、合法的に録るチャンスなんですよっ! 合法的にっ!」

「合法的とか言うな!」

「その中で、たった一人黒一点の松浜くんが混じっているのがとても気に入りませんが……うらやましい、かわいい子たちに囲まれてああうらやましい」

「おーい、欲望がダダ漏れだぞー」


 顔は無表情だけど、言葉は表情豊かな中瀬海晴の本領発揮である。


「本放送は、7月の10日からでしたよね」

「うん。だから、7月の1日には提出するようにって」

「うわー、時間ねー……」


 今日が6月22日だから、実質1週間ちょっとしかない。あれっ? と、いうことは……


「先輩、台本とか収録とかどうするんです?」


 そうだよ、それまでに全部用意して完パケまで済ませなきゃいけないんじゃないか。


「えっと、台本は1話と2話の分なら……ほらっ」


 とかあっけらかんと言いながら、先輩がバッグの中から大きく分厚い封筒を取り出す。さらにそこから4冊の冊子を引き抜くと、隣の中瀬とカウンター越しの俺に2冊ずつ手渡していった。


「なんですか、これ……って、台本?」

「南高に行く前に、都内の出力屋さんで製本してもらってきたの」

「仕事早いですね! つーか、1話と2話ですか!」

「日曜日に帰ってから、いてもたってもいられなくて、つい」


 てへっと照れ笑いを浮かべてるけど、手触りのいいエンジ色の表紙にはお手製らしいロゴまでていねいに描かれてるし。赤坂先輩のアグレッシブさが、日を追うごとに増していっているように見えるのは……きっと、気のせいじゃない。

 でも、こういう一面も楽しくて頼もしいのは事実だから、俺らでしっかり支えていかないと。


「ほほう、これが……大部分がラジオドラマのト書き台本で、後半わずかな部分がトーク用の構成台本といった感じですか」

「同じ台本でも、やっぱりお芝居の台本とラジオの台本って全く違うんだよね。神奈ちゃんにメールで見てもらったら、いっぱい指摘されちゃって」

「仕方ないですよ。赤坂先輩、初挑戦なんだから」

「指摘を受けてこの仕上がりであれば、私は上出来だと思います」


 ぱらぱらと台本をめくりながら、俺と中瀬が口々に言う。

 物語は、ルティとピピナが賊に追われて日本へやってくるのはほぼそのまま。ラジオ局の前で聴いてるのは俺と有楽の番組じゃなくて、先輩の番組を俺たちが手伝っているものに差し替わっている。ちゃんと、俺とフィルミアさんからのお願いを聞いてくれたんだな。


「でも……これ、入れなきゃだめかなあ」


 そう照れたように言うと、先輩は台本のある部分を指さした。


『誰もいないのに、この声はいったい……?』

『なんだか、とってもやさしいこえですよね』


「神奈ちゃんに、絶対入れないとって言われて」

「入れなくちゃダメですね」

「当然です。話に聞いただけですが、神奈っちは実にグッジョブです」

「やっぱりー……」


 俺たちの返答に、先輩の首がかくんと傾く。

 ルティとピピナが先輩の声に惹かれてやってきたってシーンは、先輩には恥ずかしくてもほとんどその通りなんだからやっぱり入れなくちゃ。まあ、作中の本人がそう書くのは照れるってのもわかるけどさ。


「わたしも、重要シーンってことはわかってるよ。でもね、でもねっ」

「自分のことを言われるのは恥ずかしい、というわけですか」

「海晴ちゃん、ストレートだよ!」

「それでも削らなかったのは、神奈っちへの申し訳なさと重要さゆえと」

「だからストレートすぎだって!」

「中瀬、そのへんにしとけー」

「先輩だろうが後輩だろうがそこにいるばくはつしてしまえ星人だろうが、私は親兄弟以外の誰に対してもこういう感じなので」


 先輩の抗議と俺の制止を、中瀬は涼しい顔でアイスが溶けかかっているクリームソーダを飲んでかわしてみせた。実際、桜木姉弟だろうが先生だろうがこんな感じだから本当に手に負えない。


「こんばんは」

「いらっしゃいませー。って、リリナさんじゃないですか」


 ベルが鳴ったドアのほうへと顔を向けると、ライムグリーンの半袖なワンピースを着た人間サイズのリリナさんが店へと入ってきたところだった。


「こんばんは、リリナさん」

「りぃさん、りぃさんではないですかっ」

「こんばんは、皆様」


 立ち止まって軽くおじぎをしたリリナさんは、席に座ることなくその場で立ち止まった。


「昨日帰ったばかりなのに珍しいですね。ルティたちも来てるんですか?」

「いえ。今日は〈でんち〉を〈じゅうでん〉していただくためなので、私だけです」

「ありゃ。でも、まだ充電したのが残ってたはずじゃ」

「それが、〈そうしんきっと〉の〈でんげん〉が入れっぱなしだったようで……」

「あー……そのまますっからかんになっちゃったと」


 あの送信キット、電源ランプがないから電源が入ってるか切ってあるかわかりづらいんだよなぁ。俺もやらかして、リリナさんを巻き込んだことがあるし。


「じゃあ、電池は預かりますよ。そのバッグのですよね」

「はい。申しわけありませんが、今回もお願いいたします」

「いいんですって」


 カウンター越しに、リリナさんから黒地に白文字で『大吉』と筆書きされたトートバッグを受け取る。ぐっとした重みが手に伝わってきて、中にあるのは、にー、しー、ろー、やー……うん、ちゃんと20本あるな。


「りぃさん、そのバッグを使ってくれてるんですかっ」

「ちょうどいい大きさですので。買い物に物運びにと重宝しております」

「ありがとうございます、ありがとうございます」


 表情をほとんど変えないまま、中瀬が感激したような声色で何度もぺこぺこと頭を下げる。このバッグ、中瀬からのプレゼントだったのか。


「もしや、みはるん様とこちらのお店でお会いするのは初めてでしょうか」

「はい。今日は瑠依子先輩に誘われたので。今度録るラジオの話をしていました」

「なるほど、みはるん様が私たちの声を録って下さるのでしたね。その節は、お世話になります」

「いえいえ。私こそ、りぃさんたちの声が録れてとても幸せです……わわっ」


 微笑んでおじぎするリリナさんに、今度は深いおじぎで返す中瀬。その勢いでイスから落ちそうになったのはご愛嬌か。


「リリナさん、何か飲みます?」

「いえ、大丈夫です」

「遠慮はナシですよ。下宿代だってもらってるんだし、飲み物ぐらいおごりますよ」

「……下宿代」

「でしたら、〈めろんそぉだ〉をひとついただけますか?」

「メロンソーダですね。そちらの席で、少々お待ち下さい」


 中瀬の左隣を手で示して、仕事モードで応対する。朝のバイトをしているうちに身に染みついて、今じゃカウンターにいると自然にこの仕草をするようになった。


「サスケ殿がおひとりとは、珍しいですね」

「閉店時間前ですからね。母さんは、2階で父さんと夕飯を作ってますよ」

「ふふっ。チホ嬢もフミカズ様も、実に仲睦まじいことで」

「万年あんな感じで、見てるほうは困ります」


 冷蔵庫を開けてメロンソーダのボトルを取り出しながら、リリナさんの問いかけに答えていく。あと、プチケーキは……うん、あったあった。


「リリナさん、今日は泊まっていきます?」

「……泊まっていく」

「もし、皆様にご迷惑がかからなければ」

「迷惑なんてしませんって。母さん、感心してましたよ。帰る前にちゃんと掃除とお片付けがしてあるから助かるって」

「泊まった者の義務ですから」

「リリナさんらしいですね」


 真面目なリリナさんの受け答えに、思わず笑いが漏れる。素直にそのことを言いながら、俺はCDサイズの丸皿を3枚出して手前のカウンターへ。その皿に、トレイからトングでプチケーキを3つずつ種類が違うものを載せて、あとはメロンソーダをいれて……っと。


「はいっ、メロンソーダです。こちらのプチケーキもどうぞ」

「ありがとうございます。そういえば、この時間は〈けぇき〉振る舞いの時間でしたね」


 カウンター越しに、リリナさんの前へメロンソーダのコップとプチケーキのお皿を置いていく。さすがは、うちでバイトをしてるリリナさん。サービスタイムのこともわかってるな。

 うちのケーキは全部自家製――なんてことはなく、デコレーションのものはご近所のケーキ屋さん『パティスリーはとり』から仕入れていて、あっちにイートインがない代わりにこっちで提供させてもらっている。全部売り切れる日もあれば、今日みたいに空模様が良くなかった日は売れ残ったりするから、閉店前に切り分けてお客さんに振る舞うわけだ。


「ええ。あとは、閉店時間までのぶんを残しておいてっと……先輩も、よかったらどうぞ。ほれ、中瀬も食いな」

「ありがとう、松浜くん」

「…………」

「って、どうしてにらんでるんだよ」


 あからさまな中瀬の半目に、つい気圧されて一歩退く。


「いえ。『こいつ、だいばくはつしないかな』と思いまして」

「しねーよ。つーか、どうしてそんな物騒なことを考える」

「ナチュラルに女の子を下宿させるとか泊めるとか、どこのハーレムアニメやラノベの主人公かと」

「ちげーよ。俺にとってルティとピピナは妹で、フィルミアさんとリリナさんはお姉さんだから全然ちげーよ」

「……まあ、そういうことにしておきましょうか」

「その微妙な間はいったい」

「べーつにー」


 明らかに不服そうな顔を背けて、中瀬が口笛を吹く。くそっ、妙に巧いのがかえって腹立つな。


「じゃあ、このプチケーキはなしな」

「マツハマクンハセカイイチカッコヨクテイイヒトデスヨ」

「棒読みにも程があるわ!」


 バッとこっちへ向き直った中瀬が、くれくれとばかりに両手をこっちへ伸ばしてくる。仕方ねえなぁと思いながら皿を渡してやると、鼻歌を歌いながらプチショートケーキを食べ始めた。


「私には、海晴ちゃんもお芝居の才能があると思うんだけどな」

「またまたご冗談を」

「そうですね。私も、みはるん様にはしゃべりの才能があると思います」

「りぃさんも冗談がお上手ですね。私は、みんなのおしゃべりや演技を聴いているほうが幸せなんです」


 涼しい顔でそう言い切って、ミルクレープ・ウィズ・ベリーソースにぱくつく。一見素っ気なさそうにも見えるけど、もっしゃもっしゃと噛みしめる姿は満足そうだ。


「中瀬はこういうヤツなんですよ。頑なに、自分は裏方だーって言い張ってて」

「そっか。これ以上は無理強いになっちゃうよね」

「ですので、みなさんは安心して練習してください。私は、放送室の機材でイメージトレーニングを積みましょう」

「ヴィエルでもみはるん様の〈ぼいすれこーだー〉には助けられましたので、〈しゅうろく〉のときも頼りにしております」

「まかせてくださいっ」

「そうそう。収録といえば、リリナさんたち用の台本も用意しておきました」


 赤坂先輩はバッグの封筒からエンジ色の表紙で作られた台本を2冊取り出した。って、なんだか俺と中瀬に渡されたのとは違うような?


「ありがとうございます、ルイコ嬢」

「ヴィエルのみなさんには、漢字にふりがなを振った台本を用意しておきました。大陸公用語の文字は、どうしてもこっちで用意できなくて……」

「とんでもない。私たちを気遣って下さって、ありがとうございます」


 リリナさんがうれしそうに受け取った台本は、俺と中瀬が受け取ったものとは違って『異世界』の上に同じようなフォントで『いせかい』ってルビが振ってあった。ヴィエルのみんなにもわかりやすくしたのを、別に作っておいたってわけか。


「なるほど。ルティ様とピピナと、皆様との出会いから始まって……に、2話の私は、楽しんでいらっしゃる皆様に割り込むような形で登場するのですね」

「ヴィエルじゃなくて、日本での物語になりますから。その、ダメでした?」

「いえ、そういうわけではなくて……むしろ、御配慮に感謝いたします」


 視線を台本から赤坂先輩に向けたリリナさんが、軽く会釈してまた視線を台本に戻す。俺たちとの出会いは、そのままじゃ気持ち的に採用しづらいもんなぁ……いきなり物陰から短刀を突き付けたり、日本から異世界へと俺をさらったりして。


「それで先輩、収録はどうするんです? 局かうちの放送部でやるんですか?」

「そのことなんだけど……」


 俺の指摘に、赤坂先輩は語尾を弱めたかと思うと、


「ごめんっ! 松浜くん、海晴ちゃん、期末テストの部活休み、1日だけ私にくれないかなっ!」

「せ、先輩っ!?」


 ぱんっと両手を合わせて、俺たちに向かって拝むように頭を下げてきた。


「本当はいけないってわかってるんだけど、月曜日の夜にスタジオが見学できるみたいで……その時に、収録もできないかなって思って」

「って、5日後ですか!」

「空いてるのが、その時間しかないの。期末は7月の4日から7日って聞いたから、さすがに週の後半は無理だと思うし……」

「だからって言って、期末後じゃパイロット版も出せないですしね……スタジオって、深草のですか?」

「うん。ここから電車で一本だし、30分ぐらいだからそんなに遠くないよ」


 深草は東都スカイタワーラインの終着駅で、俺たちが住んでる若葉からもほど近い。学校が終わるのが3時半だから、向こうに着くのがだいたい4時過ぎとなると……


「収録、見積もってたのはだいたい3時間ぐらいでしたっけ」

「少し多めにとって、ね。だから、6時に始めて9時過ぎには終わるかな」

「だったら、1日ぐらいいいですよ。残りの6日、しっかり勉強すればいいんですし」

「私も、1日であれば全く問題はありません」

「ごめんなさい。急にこんなことになって……わたしも、できるだけふたりのお勉強を手伝うから」

「あの」


 ただただ先輩が頭を下げていると、ガトーショコラを飲み込んだリリナさんがそっと手を挙げた。


「でしたら、また皆様をヴィエルへと招待させてはいただけないでしょうか」

「いいんですか?」

「もちろんです。そうすれば、この間試験用の勉強をしていたように、〈らじおどらま〉の練習もできるのではないかと」

「さすがはりぃさん、一挙両得というものですねっ」

「ヴィエルのみなさんには、すっかりお世話になりっぱなしですね……でも、ルティさんとフィルミアさんに話を通しておかないと」

「エルティシア様とフィルミア様には、皆様からなにか相談があった際にはできるだけ話を伺うようにと。また、ヴィエルでの宿泊に関わることであれば、執事たる私の一存で決めてもよいと仰せつかっております」


 申しわけなさそうな赤坂先輩の言葉をまったく気にすることなく、右手を胸元にあてたリリナさんが当然だとばかりに言う。


「あと、正直なところを言えば、私も皆様と練習する時間がほしいというのが大きなところでして」


 って、なるほど。確かにそれは重要だ。


「読み合わせなどもしなければなりませんからね。神奈っちが今日『dal segno』の収録を済ませているのは幸いでした」

「俺も、あと5日で収録ってのはちょいと厳しいんで……少しばかり、向こうへ行けると助かります」

「わたしも……」

「それでは、決まりですね。ルイコ様、これは私からの招待なので、お気になさらないでください」

「ごめんなさ――ううん。ありがとうございます、リリナさん」

「こちらこそ」


 一度謝りかけたのを止めて、礼を言う先輩にリリナさんが笑って応じる。左腕で大事そうに特製台本を抱えているあたり、リリナさんも先輩へのお礼がしたかったのかもしれない。


 そんなこんなで、ヴィエルでのプチ合宿が敢行されたのは収録前日の日曜日。

 日本時間で昼の1時からの3時間、ヴィエル時間で2泊3日のスケジュールが組まれたそれは、今までの訪問であった観光気分が一切ないもので、


「み、みはるんせんぱいっ、この数字だらけのプリントはなんなんですかっ!?」

「神奈っち専用の因数分解50題です。ああ、後ろにもあるので思う存分解いてください」

「そんなっ! 数学だけは、数学だけはぁっ!!」

「数Ⅰでつまずいていては、数Ⅱになったときに苦労しますよ。ねえ、松浜くん」

「ピンポイントで名指ししてくんな!」


「『春の夜の 夢の浮橋とだえして 嶺にわかるるよこ雲のそら』……って、藤原なのはわかるんだけど、定家だったか家隆だったか……」

「じゃあ、『しがのうらや 遠ざかり行く浪まより 氷りて出づる有明の月』は藤原の誰だったかな?」

「あっ、そっちが家隆だから、こっちは定家ですね」

「正解。句の頭で名前と結びつけると簡単だから、そっちで覚えてみるといいと思うよ」

「ありがとうございます、赤坂先輩」


「『エルティシア様、この者どもに害されたところはありませんかっ!?』」

「だ、『だめだよ、リリナちゃん~』。えっと、『初めて会った人を』わ、『悪く見ちゃ~』」

「リリナちゃんはいいけど、フィルミアさんはガチガチですねー。もっと肩の力を抜いていきましょう。ほらっ、手伝いますよっ」

「えっ、肩の力を抜くってそういう~? あ、あはははっ、か、肩もみには弱いんです~!」

「はーい、笑ってリラックスリラックス!」


「『異世界から来たとか、そんなお芝居みたいな話が信じられるかっ』」

「松浜せんぱい、棒読みにもほどがありますよ……はい、もっと感情を込めて」

「えーっと……『異世界から来たとかっ、そんなお芝居みたいな話が信じられるかってんだぁ!』」

「どこの江戸時代の町民ですか。その中間でいいんです。ちゃんとしっくり来るまで、リリナさんのごはんはおあずけですからね」

「おいっ、もう9時前なのにまだまだやるってのか!?」


 睡眠時間と休憩を除いた約45時間ぐらい、みっちりと期末テストの勉強と演技の練習をすることができた……というか、有楽と中瀬の厳しい視線でそうせざるを得なかった。

 おかげで、ある程度は形にできた……はずだ。たぶん。おそらく。きっと。


 *   *   *


「『ねえ、松浜くん、神奈ちゃん。外見て、外』」

「『外って、ああ、さっきからいる女の子たちですか』」

「『外国人の子なんですかねー。髪も目も鮮やかでかわいいですっ』」


 その成果なのか、緊張していた赤坂先輩とド下手だった俺は、テストに続く本番でもスムーズに最初のほうのシーンを進められている。

 初めて読み合わせた頃は両手で真正面を向けていた台本の持ち方も、何度も有楽に教え込まれたことで左手の指で低めに台本を固定して、右手で静かにページをめくれるようになった。


「『あの子たちの声で、ジングルを録ってみたいんだけど……どうかな?』」

「『いいですね。前に先輩と練習した通り、いざとなったら英語で行きます』」

「『あたしも行きますっ! ふふっ、あの子たちの声ってどんな声なのかなぁ』」

「『ありがとう。じゃあ、収録よろしくねっ!』」

「「『『はいっ!』』」」


 第1話は、ルティと初めて出会った時をなぞったストーリーになっている。

 今演じているのは、赤坂先輩の番組で曲が流れてからスタジオの中へ呼ばれて、ルティの声を録りに行ったときのこと。あの時はルティひとりだったのが、ピピナがいっしょにいたように組み替えてふたりの声を録りに行くように変えられていた。

 続いて、俺と有楽が外へ出てふたりと出会うシーンへ。すると、隣にいた有楽が横へ一歩動いてルティがスッと割り込んでくる。その向こうの一段低いマイクには、さっきもそこに立っていたピピナがもうスタンバイしていた。

 一瞬、マイクの前に立ったルティと視線が合う。引き締まった表情で小さくうなずいてみせて、俺もつられたようにうなずくと表情をやわらげてからマイクへと向き直った。


 ――行こう。


 まるで、そんな言葉が聴こえてくような力強さ。

 俺もその力強さで前へと向き直って、次のシーンへの第一声を口にした。


「『えっと、えくすきゅーず、みー?』」

「『うん?』」

「『あー。きゃん、ゆー、すぴーく、じゃぱにーず、おあ、あざー、らんげーじ?』」

「『あのー……おにーさんはなにをいってるですか?』」

「『えっ?』」

「『日本語、しゃべれるんですか?』」

「『そなたらが話している言葉なら、我もしゃべることができるぞ。それより何用だ。我は今、この可憐な声に聴き入っていたのだが』」

「『そ、それは失礼しました』」


 自分でも、なんとも間抜けな問いかけだと思う。でも、これが実際にルティと話した第一声なんだから仕方ない。赤坂先輩から脚本作りで取材を受けたとき、印象に残っていたこの受け答えはありのままに話してストーリーへと反映してもらっていた。

 それでも、一部はお願いして変えてもらっているところがある。


「『あたしたちは、このスピーカーから聴こえてる番組のお手伝いをしてるんです。それで、あなたたちの声を録音……えっと、保存できないかなーって思って』」

「『ぴぴなたちのこえをほぞんして、いったいどーするってゆーんですか? とゆーか、どーやってほぞんするんです?』」

「『えっと、このボイスレコーダーって機械で保存すると、このスピーカーってところから流せるようになるんですよ』」


 現実には俺が受け答えしていたところを、有楽が楽しげに演じていく。あの時の有楽は取材経験者な俺の後ろで控えていたから、こうして割り振ることで有楽がしゃべるシーンを多くしてもらった。

 俺ばかりがしゃべるのも悪いし、なんといっても有楽がしゃべると安心感が違う。何気ない会話でも、いいタイミングで入ってくるから俺もみんなも言葉を継ぎやすい。


「『ふむ……なるほど、よかろう』」

「『いーんですか?』」

「『ああ、ピピナはどうする?』」

「『ルティさまがやるなら、ピピナもやってみるですよっ』」

「『では、決まりだな』」


 興味ありげなルティに、ピピナもつられて同意する。

 現実にはなかったことだけど、今のピピナがもしあの日のルティのそばにいたらきっと同じように言っていただろう。


「『我らの声、保存出来るのであれば保存するがよい』」


 そう思えるほどに、ひとりからふたりになったことで増えた言葉は自然だった。


「『か、かわいいっ!』」

「『有楽、ステイ。ステイだぞー』」

「『それで、ピピナたちはなんていえばいーんですか?』」

「『さっきも流れてた〈赤坂瑠依子の【若葉の街で会いましょう】〉って番組の題名を言ってから、あなたたちの名前となにかひとことを言ってください。そうだな……有楽、見本をやってくれるか?』」

「『あいあいさっ!』」


 このあたりのやりとりは、元の時よりずいぶんスリムになっている。それでも、あの時の思い出を損なうものじゃなく、むしろ今の俺たちに合わせたものになっていた。


「『〈赤坂瑠依子の【若葉の街で会いましょう】〉。若葉南高放送部の有楽神奈、ただいま〈声のお仕事〉っていう夢を叶えてる真っ最中です! ……って、だいたいこんな感じかな』」

「『なるほど。そなたのように、堂々と言えばいいのだな』」

「『伝えたいことをバシッと言っちゃってください』」

「『うむ、心得た』」

「『それじゃあ、行きますよ』」


 ルティが、小さな胸元に手を置く。

 あの時は紅いブレザーだったのが、今は薄桃色のTシャツ。外で録っていたのもスタジオの中に変わっていて、あの時とは俺たちが置かれている環境はずいぶん違う。


「『ああ、よろしく頼む』」

「『では……さん、に、いち』」


 でも、言葉だけであの時と同じようなキューを出して、


「『赤坂瑠依子の〈若葉の街で会いましょう〉』」


 穏やかで、優しさに満ちた声を聴いたとたんに、


「『通りすがりの身ではあるが、我、エルティシアが可憐な声に祝福を捧げよう』」


 夕陽を背にして、凛としてたたずんでいるルティが思い浮かんだ。

 ひとたびまばたきをすれば、鏡のように真っ暗な液晶モニターにルティの姿が映っている。

 その凛としたたたずまいは、やっぱりあの日と同じで、


「『ピピナは、ピピナ・リーナですっ。ピピナも、おねーさんのこえがだいすきですよっ!』」


 モニターの端に見えるピピナが、ルティと初めて会ったときから隣にいたような錯覚を覚えた。


「『どうした? 終わったぞ?』」

「『あ……す、すいません。ありがとうございました。大丈夫です』」


 セリフだっていうことは、よくわかってる。

 それでも、見とれてぼーっとしていたあの時と同じように、俺の意識を呼び戻してくれた。


「『そうか。それで、我らの声はどうすれば聴こえるのだ?』」

「『ピピナもきになるですよ。ねー、おしえてくださいですよー』」

「『こ、これから音楽をつけて、番組の最後のほうで流れますから……あと20分ぐらい、待っててもらえますか?』」

「『なるほど。あと20分で、我らの声がこの箱から聴こえてくるのだな』」

「『ここだけじゃないですよ。ふたりの音は、街中で聴こえちゃうんですから!』」

「『まちじゅーですかっ!』」

「『なんと、我らの声はそんなに多くの者が聴けるのか!』」

「『そうなんですよ。俺はその準備をしてくるんで、ちょっと待っててくださいね』」

「『あっ、待ってはくれまいか』」


 呼びかけられたとたん、不意に服の裾がくいっと引っ張られた気がした。

 でも、ルティは右手を下へおろしたまま。モニタに映る姿も真正面だから、気のせいののはずだ。

 きっと、俺の服の裾を引っ張って呼び止めてた記憶がそう錯覚させたんだろう。


「『そなたらの名前を、教えて欲しい』」

「『いいですよ。俺は、松浜佐助って言います』」

「『あたしは、有楽神奈。カナって呼んでねっ』」

「『マツハマ・サスケと、ウラク・カナか。我の名は、エルティシア・ライナ=ディ・レンディアールだ』」

「『ピピナは、ピピナ・リーナですよっ』」

「『我らに声をかけてくれたことに、礼を言いたい。ありがとう』」

「『こっちこそ、ご協力いただきありがとうございました』」

「『ふふふっ。ふたりの声が、ラジオで流れるのが楽しみですねっ!』」

「『我もだ。しかし、その前に……』」


 と、張りのあるルティの声がだんだん弱々しくなっていく。


「『え、エルティシアさんっ!?』」

「『す、すまない……なにか、なにか食べるものはないだろうか……』」

「『る、ルティさまっ!? ルティさまーっ!?』」


 かすれていくルティの声に、ピピナの叫びが重なった。

 もちろん、これは演技だ。それでも、いつものふたりらしさにあふれたやりとりに思わず笑いそうになって……なんとか、必死にこらえる。

 まだ、俺が邪魔するわけにはいかないんだから。


「『異世界ラジオのつくりかた』第1回っ!」


 少しの間をおいて、張りを戻したルティの声がブースに響く。


「『らじおのことをしりましょー!』」


 続いて、元気いっぱいなピピナの声。

 番組のメインパーソナリティなふたりのタイトルコールが、見事なタイミングで決まった。


『お疲れ様でした。第1回のドラマパートは、これにて終了です』

「ふぁ~……」


 抑揚が少ない中瀬の声がスピーカーから降ってきたとたん、体から力が抜ける。

 よろめきそうになったのをなんとかこらえて、後ろのイスへ。やわらかいクッションが、糸が切れた人形のような俺の全体重を受け止めてくれた。


「つ、つかれたよー……」

「おつかれさまです、るいこせんぱい、松浜せんぱい。ルティちゃんとピピナちゃんもおつかれさまっ!」

「とんでもない、とても楽しかったぞ!」

「ピピナも、はじめからいっしょにいたみたいでたのしかったです!」


 テストで慣れたのか、ルティとピピナからは初めの頃よりも余裕を感じられた。やっぱり、とんでもない意欲とバイタリティだ。


「か、神奈ちゃんはいつもこんな感じでやってるんだね」

「なんつーか……見るとやるとじゃ、本当に大違いだな」

「初めはみんなそんな感じですよ。あたしだってそうでしたし」


 へばっている先輩と俺へ、有楽があっけらかんと言ってみせる。七海先輩や空也先輩とやってる「dal segno」よりもずいぶんライトな雰囲気だからか、軽く息が上がってるぐらいでまだまだ元気いっぱいそうに見えた。

『ボクらはラジオで好き放題!』でもチャレンジ企画として演技をしたことはあるけど、あれとは全然違う。何人かの登場人物と掛け合いしながらしゃべり進めていくのは、タイミングもあるからえらい気が張るしとにかく疲れる。


「サスケ、ご苦労であった」

「おう、ルティもお疲れさん」


 楽しげにしているルティが、俺の左隣のイスにぽふっと音を立てて座った。

 お姫様らしくはなくても、年相応でいつも通りなその仕草についついホッとする。


「ずいぶん楽しんで演じてたじゃないか」

「うむ。自分で自分を演じるというのは、不思議ではあるがなかなか得がたい経験だ」

「ピピナは、さすけとかなとこんなふーにであえてたらっておもえてたのしかったですよっ」

「わっと」


 身軽なピピナが、ぴょんと飛んでルティの膝の上に座る。体重がかからないようにしたのか、今は目に見えない羽でふわりと座ったように見えた。


「そうだな。我も、日本の皆ともう一度出会ったような思いがする」

「ラジオじゃ改めて『はじめまして』だからな」

「あたしも、初めからふたりに話しかけられてとっても楽しかったです。るいこせんぱい、ありがとうございましたっ!」

「ピピナも、るいこおねーさんにはいっぱいいっぱいかんしゃですっ!」


 俺らの話に加わってきた有楽とピピナが、口々にそう言って目の前赤坂先輩へとお礼を言った。ふたりとも興奮をあらわにしているあたり、俺たちと同じように楽しんでいたみたいだ。


「わたしこそ、みんなにありがとうだよ。みんながいたから、このお話が作れたんだもの」

「では、皆で皆に感謝ということですね」

「はいっ。まだもう1話とトークパートがありますから、その気持ちを忘れずに行きましょう」

「もちろんです」

「こんどはねーさまとミアさまもいるですから、もっともーっとたのしーですねっ!」

「ええ、きっと楽しいと思いますよっ」


 その赤坂先輩も、イスに座るルティたちの目線に合わせるようにかがんでいっしょに微笑んでいる。その表情から疲れは見えるけれども、マイクテストまで見せていた緊張はすっかりどこかへ行ったらしい。


「松浜せんぱいも、ありがとうございました」

「おう、前半戦お疲れ」


 声をかけてきた有楽は右隣に座ると、床に置いていたペットボトルを手にして少しだけ水を飲んだ。ボトルの表面に水滴がまったくついていないそれは、のどをびっくりさせないようにと常温で俺たちにも配られていたものだった。


「満足そうじゃないか」

「んー、細かいところを言えばいろいろありますけど……でも、今はそれにも目をつむれるぐらい楽しかったです」

「そっか」

「せんぱいは、どうでしたか?」

「俺かあ」


 床の上に置いていたペットボトルを取りながら、有楽に相づちを打つ。冷やされてはいなくても、ボトルごしに伝わるひんやりとした感触が手に広がっていった。


「ワクワクしたっていうのが、正直な感想かな」

「やっぱり」


 それでも冷めない興奮が、俺の口から包み隠さずついて出てくる。


「やっぱりって、どうしてわかるんだよ」

「あたしも、とってもワクワクしてましたから。みんなでいっしょに、こうして演じることができて」

「みんなで……本当、そうだよな」


 いつもの元気なものとは違う、ゆっくりと噛みしめるような返事。つられて、俺も笑いながら感じたことを言ってみせた。


「演じることが、こんなに楽しいとは思わなかったよ」

「ふっふっふっ。松浜せんぱいの声優化計画がどんどん進んでしまいますねぇ」

「んな計画すなっ。つーか、俺はあくまでもアナウンサー志望であってだな」

「冗談ですって、冗談」


 軽く抗議の声を上げたところで、有楽がやだなーという感じに手をぱたぱた振ってみせる。


「あたしがやってる声のお仕事を、みんなが体験して楽しんでくれればそれでいいんです。せんぱいたちはもちろん、ルティちゃんとピピナちゃんも」

「なるほどな」

「まだまだ13回のうちの1回ですけど……それでも、最初の一歩でこうして楽しんでもらえて、ほんとによかった」


 しみじみとした有楽の言葉が、すうっと俺の心にしみていく。

 ラジオのアナウンサー志望な俺だって聴いている人に楽しんでほしいし、共演している人たちにも目いっぱい楽しんでほしい。

『声優』っていう同じ声を扱う仕事をしている有楽にとって、今日のルティたちとの収録はきっとそういう場だったんだろう。


「まだまだ、最初の一歩か」

「ええ、踏み出したばっかりです。この次はヴィエルでもラジオドラマを作るんですからね」

「やっぱり野望はそこかい」

「当然じゃないですか。この1作っきりで終わらせるつもりは、ぜーんぜんありませんよっ」


 いひひっと笑う有楽には、自信が満ちあふれていて、


「みなさん、おつかれさまです~」

「エルティシア様とピピナの皆様との出会い、楽しませていただきました」

「フィルミアさん、リリナちゃん! 次は、ふたりの番だからねっ!」

「お、お手柔らかにおねがいします~!」

「〈せいゆう〉たるカナ様にどこまで迫れるか、臨んでみせましょう」


 みんなを巻き込んで楽しむんだっていう意欲が、ふたりへの言葉からも伝わってきた。


「エリシアのような演技もいいですが、こういう神奈っちの演技もいいですね」

「演技っていうよりも、あたしの素みたいなものですよー」


 フィルミアさんとリリナさんといっしょに入ってきた中瀬が、ふたりの後ろから姿を現して声をかけてくる。相変わらずの無表情ではあるけど、声には明らかに興奮が混じっていた。


「後半戦もお願いしますね。松浜くんも、最低限さっきみたいな調子でいてください。演技はともかくとして」

「最低限とはなんだ、最低限とは」

「松浜せんぱい。今のは『この調子でお願いします』ってことですよ」

「なぬ?」

「神奈っち、しゃらっぷですっ」


 ぴしゃりと言う中瀬の声色は、どこか焦っていて……なるほど、確かにそうともとれるな。


「わかった、後半戦もがんばるよ」

「それでいいのです、それで」


 わざと素直に言ってみたら、中瀬はただそれだけ言ってついっと顔を背けた。悪態が出ないってことは、有楽の指摘は図星だったってことか。


「みはるん、みはるんっ!」

「きゃっ。ぴ、ぴぃさん?」


 そんな中瀬に、ピピナが楽しそうに飛びついてくる。おお、自分から飛びついていくのは珍しいな。


「ピピナたちのえんぎ、みはるんからみてどーでした?」

「ふたりとも、実にお見事でした。ぴぃさんの元気さは、るぅさんの凛とした雰囲気に彩りを添えるんですね」

「えへへー、それならよかったですっ!」


 ピピナの笑顔につられたように、中瀬はくちびるの端を少し吊り上げて笑ってみせた。


「カナ、サスケとともに我らを導いてくれてありがとう」

「こっちこそ。ルティちゃんもピピナちゃんの勢いに、あたしもついついつられちゃった」

「ならば、第2話もはりきって参ろうか」

「うんっ。あたしもがんばるよ、ルティちゃん!」


 続いてやってきたルティは、有楽と健闘を誓い合っていた。有楽も抱きつかずにただ元気に応えているあたり、今も真剣モードが続いているんだろう。


 有楽は赤坂先輩と並ぶ柱と言ってもいいぐらいで、演技中にそばにいるときの心強さは絶大だ。有楽がいなかったらこのラジオドラマは絶対に成り立たないんじゃないかと思うくらいに、その経験と存在は俺たちに安心をもたらしてくれている。

 すっかりなじんだ中瀬も、今じゃラジオづくりで欠かせない存在になっている。相変わらず何を考えているのかわからないところがあっても、基本的に冷静な視点で俺たちを見てくれているのはありがたい。


「せんぱい、第2話もよろしくお願いしますねっ!」

「期待しないで、お手並み拝見といきましょう」

「おうよっ。中瀬、そう言っていられるのは今のうちかもしれないぞ?」

「ふんっ、どうだか」

「よーしっ。フィルミアさんもリリナちゃんも、次は楽しんでいくよっ!」

「は~いっ」

「はいっ!」


 俺も、ふたりと肩を並べるぐらいがんばろう。

 このラジオを、パイロット版だけで終わらせてたまるかってんだ。

 再び活気がみなぎっていくブースの中で、俺も今まで以上にラジオづくりへの意欲をかきたてられていた。

 

 むかーしむかーしの記憶を総動員しつつ、書いたお話。

 佐助くんも、少しずつ前へ。


 ラジオドラマにもいろいろ録りかたというのはあるようでして、アニメと同様に立って行うこともあれば、ラジオ局のようなブースで座って録ることもあるとか。個人的に好きなのはダミーヘッドという方式で、その名の通りマネキンなどのダミーな頭に録音機器を設置し、そのまわりで収録することでステレオ的に位置や距離を表現してました。某公共放送のラジオドラマ番組において「アルジャーノンに花束を」「あたしの嫌いな私の声」「ふたり(赤川次郎氏)」といった名作がこの方式で収録されていて、ヘッドホンで聴くことで臨場感が増してワクワクしたものです。


 ラジオドラマやドラマCDは「絵がなくて退屈」と思うことなかれ。声だけの物語というのも、頭の中でイメージが広がって面白いので是非是非聴いてみてください。

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