第29話 「異世界ラジオのつくりかた」のつくりかた・1
一番上の紙には、シンプルなタイトルと企画書の文字。
その紙を含めても紙は4枚しかないし、内容も簡潔にまとめられている。
なのに、その紙からなかなか目が離せないのは……
「やっぱり、俺も関わってるからかねぇ」
ふむとため息をつきながら、その紙を手にしたまま木製のイスに身を預ける。背もたれの固さが、まだ残る眠気へ心地いい刺激を与えてくれた。
窓の外はほとんど明るくなっていても、時間は午前5時過ぎ。さっきまで母さんもいたダイニングはライトが点いていて、その明かりに透かせるほどの薄さの紙束にはいろんな言葉が書かれている。
先輩が、俺たちにないしょで進めていた言葉が。
「おはようございます~」
聞こえてきたのんびりした声で体を起こすと、白いワンピースにデニムのシャツを羽織ったフィルミアさんがリビングの入り口でぽやぽやと笑顔を浮かべていた。
「おはようございます、フィルミアさん。早いですね」
「いつも、このくらいの時間には起きていますから~」
「そういえば、そうでしたね」
笑顔のままとてとてとダイニングを抜けて、キッチンの冷蔵庫から麦茶が入ったガラスボトルを取り出す。食器棚からコップを出してくむ姿も、すっかり様になっていた。もう私服に着替えているのは、きっと母さんの手伝いでもするつもりなんだろう。
「サスケさんのぶんも、いっしょに注ぎましょうか~?」
「ありがとうございます。でも、俺はもう飲んでるんで大丈夫ですよ」
「わかりました~」
にこっと笑ってからボトルを冷蔵庫のポケットに戻したフィルミアさんが、コップ片手にダイニングへと戻ってくる。
「お向かい、失礼しますね~」
「どうぞ。って、別に断らなくてもいいのに」
「サスケさん、なにやらお悩みだったようなので~」
「えっ」
「ルイコさんがこちらの世界で始めたいという〈ばんぐみ〉の件で、お悩みなのかと~」
向かいのイスに座ったフィルミアさんがちょこんと首を傾げると、短い銀髪がしゃらんと揺れる。いつものにこにこ笑顔じゃなくて不思議そうに俺を見ているのは、やっぱりフィルミアさんも気になってるってことなんだろう。
「お悩みというか、なんというか……あまりにも突然すぎて、現実味がなくて」
「わたしもです~。サスケさんたちのおかげで〈らじお〉を知ることはできましたけど、まさかその本場で〈ばんぐみ〉づくりができるとは思ってもいませんでしたから~」
「そりゃそうですよねー」
ふたりして微妙な笑みを浮かべながら、間を挟むテーブルに置いた企画書へと視線を落とす。表紙に書かれているのは『異世界ラジオのつくりかた』……先輩が企画したっていう番組のタイトルだ。
昨日の夜、赤坂先輩が持ち込んだラジオの企画書は俺たちを混乱させるのに十分だった。
突然、新番組の企画が降って湧いたこと。
その番組の、突拍子もないタイトルのこと。
そして、俺たちがその企画の中に組み込まれていること。
できたてほやほやの企画書は驚きが満載で、漢字がわからないルティたちも読み上げてみせたらいっしょに驚いていた。
一晩明けても、フィルミアさんがこうして話題を振ってくるぐらいに。
「で、その赤坂先輩はぐっすりお休み中ですか?」
「ええ~。ピピナちゃんを抱っこしながら、ふたりして幸せそうに眠っていましたよ~」
「やっぱり」
「昨日は、この〈きかくしょ〉を作るのでお疲れだったようですね~」
張本人である赤坂先輩は、企画書の内容を説明していくうちに眠気のせいかどんどんハイになっていって、最終的にはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。満足そうな笑みを浮かべたままの先輩を、背が高い俺とリリナさんとで両脇を抱えて女の子部屋に連れて行った記憶は、昨日限りで消しておきたいのになかなか消えてくれない。
……色とりどりのかわいらしい布団が6組も敷かれてるとか、どこの修学旅行の部屋だよ。
「俺、赤坂先輩がこんなに本気だとは思いませんでした」
「ヴィエルだけではなく、ニホンでもわたしたちと〈らじお〉をしたかったんですね~」
「ルティとピピナをメイン……えっと、主役に据えてきたってことは、そういうことなんでしょうね。タイトルを『異世界ラジオ』にしたあたり、最近の流行にのせてリスナーさんを誘おうっていう気持ちもひしひしと感じますし」
「『異世界』というのはレンディアールのことでしょうけど~、わたしたちの国のことが流行している……ということではないですよね~?」
「ああ、そうじゃなくてですね」
そっか。フィルミアさんにとって、こっちでの『異世界』は自分の国のことなんだ。
「有楽から聞いたところだと、最近日本で出版されてる小説とか放送されてるアニメで、異世界が舞台の作品っていうのが多いらしいんですよ。ちょっとしたきっかけで異世界に行って冒険したり、こっちで死んじゃって異世界に転生して、記憶を持ったままそっちで生涯を過ごしたりとか」
「は~……そういえば、リリナちゃんがそういう〈まんが〉を持っていたような~」
「えっ」
「どうも、カナさんからおすすめされたみたいでして~。『ニホンの言葉を勉強するためにもちょうどいいです』って言ってました~」
「あ、あはははは……」
マンガの本を手にして、キリッとそう言い切るリリナさんの姿が鮮やかに思い浮かぶ。有楽も有楽だけど、リリナさんも十分にこっちのサブカルチャーに染まってきてるよ……
「そういえば、フィルミアさんはこの企画書の内容ってわかりました?」
「カナさんが読み上げてくださいましたから、いくらかは~。ただ、この〈きかくしょ〉みたいに目に見える形でも残しておきたいなあとも~」
「なるほど。じゃあ、俺がこの企画書を口頭で読みましょうか。で、フィルミアさんがレンディアールの言語で書くと」
「いいんですか~?」
「ええ。母さんの手伝いまでは、まだ時間がありますしね」
「それは、とてもありがたいです~」
俺の申し出に、フィルミアさんはほにゃっと笑って受け入れてくれた。手伝いは6時半からだし、まだ1時間近くもある。
ルティのお姉さんで、それでいて俺にとっても大切な友達なんだから、協力できることはどんどんしていかないと。
「じゃあ、ちょっと待っててくださいね。用意をしてきますから」
「はい~」
フィルミアさんの見送りを受けて、リビングから階段へ向かう。あとはみんなを起こさないようにそっと階段を上がれば、俺の部屋へ。
音を立てずにドアを開けた俺は、机の中からまだ何も書かれていない新品のノートとボールペンを取り出した。フィルミアさんといえば皇服にあしらっている「青」のイメージが強いから、こっちも青い表紙で揃えておこう。
「お待たせしました。これ、もしよかったら使ってください」
またまた忍び足で部屋を出て、リビングへ帰還。改めてフィルミアさんの向かいに座った俺は、ノートとボールペンをフィルミアさんへ差し出した。
「えっと、これは~?」
「ノートとペンです。紙に一枚一枚書くよりも、こっちのほうがまとまってて使いやすいですから」
「なるほど~! それでは、ありがたく使わせていただきます~!」
ぱあっと笑ったフィルミアさんは、俺からボールペンとノートを受け取るとテーブルの上へいそいそと広げて、準備万端とばかりにペンを握ってみせた。
俺と同い年で王女様な一方で、こうして時々子供っぽい仕草を見せてくれるのが楽しい。
「じゃあ、始めましょうか」
「は~い」
やわらかなフィルミアさんの返事を受けた俺は、テーブルに置いてあった企画書を手にして1ページ目をめくった。
* * *
【タイトル】
「異世界ラジオのつくりかた」
【企画意図】
ラジオ番組づくりの楽しさを「最初の一歩」から多くのリスナーさんにも伝えたいと思い企画しました。
わかばシティエフエムでは、日曜日の21時から「あにまにれでぃお」、22時から「声優事務所クイックレスポンスラジオ 急いでやってます!」といったアニラジが、現在様々な媒体で放送されているアニメの情報を発信したり、ラジオドラマを発表したりといったバラエティ形式で放送されています。
そういった番組の中でも、近年様々な小説やアニメで増えている「異世界」を舞台にした作品が多く特集されていますが、この番組では「異世界」に住む女の子たちと日本の高校生たちが協力して、いっしょに番組を作り上げていくという体で「ラジオのことを全く知らない子たちと、ラジオを知っている子たちがラジオ番組を一から作り上げていく」物語性のあるラジオ番組を想定しています。
ラジオドラマやトークを交え、そしてリスナーさんから届いたメールをもとにして番組の作り方を伝えていくことで、どのように「ラジオ番組」が作られているのか、そしてパーソナリティとスタッフがどうやってラジオ番組を作り上げていくのかを伝えて、興味を持っていただける番組作りをを想定しています。
* * *
フィルミアさんを置いて行かないように、ゆっくりと読み上げながら書き具合を確認する。
いつもののんびりとした口調とは正反対に、ノートへペンを滑らせていく速度はとても速く、最後の段落を読み上げ終わってからすぐにゆっくりと顔を上げた。
「今のが、ルイコさんがこの番組を始めたという理由なんですね~」
「そう、なりますね」
何の疑いもない、いつものにこにこ笑顔なフィルミアさんに対して、読み上げた俺の唇の端はぴくぴくとひきつっていた。
言っちゃ悪いけど、今回の赤坂先輩はずいぶんはっちゃけてるのが文章の端々からひしひしと伝わってくる。同じ曜日で近い時間帯に放送されているわかばシティFMの2大看板アニラジのタイトルや流行を引き合いに出してまで、この番組をやりたいってことなんだろう。
それに、ラジオドラマって……昨日はサプライズすぎてあんまり頭に入ってこなかったから、改めて読んでみるのが怖い。
「じゃ、じゃあ、続けていきましょうか」
「はい~」
これから立ち向かうべきイヤな予感の芽を見ないフリして、俺はその先を読み上げることにした。
* * *
【予定している出演者】
〈パーソナリティ〉
■エルティシア・ライナ=ディ・レンディアール
留学のために若葉市に滞在している、北欧出身の女性(15歳)。わかばシティエフエムの番組に興味を持ち「赤坂瑠依子 若葉の街で会いましょう」でのジングル作りにも協力。将来は故郷でラジオ局作りを目指している。日本語のリスニング・ヒアリングともに良好。
この番組では、異世界の国「レンディアール」からやって来た王女様を演じる。
■ピピナ・リーナ
エルティシアさんの友達で、同じく北欧出身の女の子(13歳)。わかばシティエフエムの番組をよく聴いていて、番組作りにもある程度の理解を示している。エルティシアさんのラジオ局作りに協力中。日本語のリスニング・ヒアリングともに良好。
この番組では、エルティシアさんの従者となる魔法使い役を演じる。
〈アシスタント〉
■松浜 佐助
土曜日15時30分より「ボクらはラジオで好き放題!」のパーソナリティを務める若葉南高校の放送部員(16歳)。レンディアール姉妹とピピナ姉妹と交流がある。王女姉妹が初めて聴いたラジオのパーソナリティーを演じる。
■有楽 神奈
「ボクらはラジオで好き放題!」のパーソナリティと「声優事務所クイックレスポンスラジオ 急いでやってます!」の非常勤アシスタントを務める若葉南高校の放送部員(15歳)。レンディアール姉妹とピピナ姉妹と交流がある。王女姉妹が初めて聴いたラジオのパーソナリティーを演じる。
※所属事務所・クイックレスポンスの木山社長に下交渉済み。
■フィルミア・リオラ=ディ・レンディアール
エルティシアさんのお姉さんで、同じく留学のために若葉市に滞在している北欧出身の女性(17歳)。「赤坂瑠依子 若葉の街で会いましょう」において故郷の歌を披露した関係で、ラジオ番組づくりに興味を抱いている。日本語のリスニング・ヒアリングともに良好。
この番組では、異世界「レンディアール」から来た王女様(実際の関係同様、エルティシアさんのお姉さん)を演じる。行方不明になった妹を追ってくるような形で、第2回から登場。
■リリナ・リーナ
エルティシアさんたちといっしょに北欧から来た友人で、わかばシティエフエムのファン(17歳)。実際に、姉妹のラジオ番組を作るという夢に協力している。日本語のリスニング・ヒアリングともに良好。
番組内では王女様なふたりの従者を演じ、フィルミアさんとともに第2回から登場する。
※アシスタントは2人1組で担当し、1週ごとに1人ずつ交代していく。
※ラジオドラマには全員が登場する。
* * *
「ぜんいんが、とうじょう……す……」
「さ、サスケさん~? だいじょうぶですか~!?」
「な、なんとか……」
一番つらいところを読み上げ終わったところで、昨日ここで轟沈した赤坂先輩のようにテーブルへと突っ伏す。
なんですか、先輩。「ラジオドラマには全員が登場する」って。「全員」って。
「俺、演技なんてほとんどしたことないのに……」
「でも~、最近は〈らじお〉の〈みっしょん〉とやらで、カナさんといっしょに演じたりしていらっしゃいますよね~?」
「それはそれ、これはこれですっ!」
アレは有楽が引っ張ってくれているだけで、ひとたび「dal segno」のときの有楽が顔を出せば俺なんて引き立て役にもなりやしない。下手すれば、みんなの足を引っ張ることだってあり得るぐらいだ。
「大丈夫ですよ~。わたしだって、演技はしたことがありませんし~」
「あの、フィルミアさん。時々見せてる凛とした表情とかはどうなんです?」
「それとこれとは話が別です。わたしのは、カナさんやサスケさんほどに演技と呼べるものではありません」
あ、一瞬で真顔になった。
でも、すぐにふにゃあといつものほんわかとした表情に戻ると、困ったように眉をハの字に寄せてため息をついてみせた。
「場や話の流れに合わせて意識しているので、けっこう疲れるんですよ~」
「それこそ演技じゃないですか」
「違いますってば~」
こうした切り替えの良さを見てると、ずいぶん適性があると思うんだけどな。
「それに~、ルイコさんが考えた〈らじおどらま〉の内容であれば、いつも通りのわたしたちのような感じではないですかね~?」
「まあ……それは、確かにそうかもしれないですけど」
幸いなことに、役柄とかはほとんど普段の俺たちそのままみたいで、大きな違いと言えばピピナとリリナさんが妖精じゃなく魔法使いの従者になっているぐらい。それも、普段のふたりにかなり寄せた役柄になっていた。
「ではでは、次をよろしくお願いいたします~」
「了解です」
柔らかい笑みを浮かべてのお願いに、俺は改めて先輩お手製の企画書へと視線を落とした。
* * *
【ラジオドラマ第1回のあらすじ】
旅をしている最中、街道で現れた賊に襲われ逃げ場を失ったレンディアールの王女・エルティシアは、従者のピピナの魔法でその場から瞬間移動して危機を脱することができた。
しかし、たどりついたのは魔法のかけらもない見知らぬ国。心細いまま、ふたりが自分たちの国とはまったく様子の違う街を歩いていると、にぎやかな声が頭の上から聴こえてくる。その声につられていくと、ガラスを挟んだ向こう側の部屋で見たこともない服装の男の子と女の子が楽しげにしゃべっていた。
ふたりのおしゃべりで、エルティシアとピピナは誘われるように備え付けの椅子に座る。気がつけばそのおしゃべりが終わっていて、部屋の中にいたはずの男の子と女の子がふたりの前に立っていた。
不思議そうに、ふたりのことを尋ねる男の子と女の子。突然のことに混乱するエルティシアだったが、優しく次の言葉を待つふたりにさっきのおしゃべりのことを尋ねる。ふたりの口から出てきたのは「らじお」という全く知らない言葉。エルティシアはその言葉を知ると、堂々と立ち上がって男の子と女の子へこう言ってみせた。
「我の名は、エルティシア・ライナ=ディ・レンディアール。ふたりとも、我に〈らじお〉がどういうものかを教えてはくれないだろうか」
こうして、異世界の王女様と日本の高校生による「ラジオ局作り」が始まるのです。
* * *
「これって、ルティがこちらへやってきたときの状況とはまた違いますよね~?」
「違いますね。ルティがスタジオの前で聴いてるって気付いたのは先輩の番組の直前ですし、初めて話したのはその番組の素材録りでですから」
先輩が書いたあらすじは、たぶん俺たちとルティが初めて出会った日をベースにしているんだと思う。大きな違いとしては、ピピナが妖精じゃないのと……
「あと、ルイコさんもいないみたいですが~」
「そうなんですよ」
フィルミアさんの言うとおり、いちばんの立役者なはずの赤坂先輩の存在が影も形もないってことだ。
「なんか、先輩の存在が全部俺たちに置き換えられてるみたいで」
「どうしてなんでしょう~」
「もしかしたらなんですけど、基本的なことは俺たちに任せたいのかもしれません。次を見ると、そんな気がします」
疑問で頭の中がいっぱいになってきたのか、ますます首を傾げるフィルミアさんに俺は企画書の次の項目を指さしてみせた。
* * *
【スタッフ】
ディレクター・脚本:赤坂瑠依子
音響監督・編集:中瀬海晴さん(若葉南高等学校放送部・内諾済)
【予定ゲスト】
山木浩継さん(フリーアナウンサー・第5回内諾済)
赤坂瑠菜さん(作曲家/ピアノ奏者・第8回内諾済)
現在、もうひとり交渉中
* * *
「〈でぃれくたー〉……ルイコさんは〈ばんぐみ〉をまとめる立場でいたい、ということでしょうか?」
「たぶん。しかも、もうスタッフとかゲストと交渉してるってことは、早い段階から自分が番組には出なくてもいいように計画してたんじゃないかと」
山木さんと俺は局以外じゃそんなに会わないし、瑠菜おば――お姉さんなら赤坂先輩のお母さんだから、内々で済ませて俺たちには内緒にしたんだろう。それに比べて、昨日までの部活でもそんなそぶりを全く見せなかった中瀬はやっぱりただ者じゃない。
もちろん、全部隠して動いていた赤坂先輩も。
「これは、改めて赤坂先輩から説明してもらった方がいいかもしれませんね」
「わたしも、そう思います~」
珍しく、フィルミアさんが強めな口調でそう言いきったところで、リビングの入り口の方からどすんと物音が響いた。
「……え~っと~」
「……でしょうね」
困惑したように苦笑するフィルミアさんと顔を見合わせて、音を立てずに立ち上がる。
「ルイコさん、おはようございます~」
「えー……おはようございます」
「お、おはようございます……」
揃って引き戸の隙間から顔を出すと、レモン色のパジャマ姿な赤坂先輩が廊下で尻餅をついて俺たちを見上げていた。
申し訳なさそうに、それでいてごまかすように笑いながら、フローリングの床の上で腰を押さえて……って、もしかして転んだのか?
「赤坂先輩、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと滑っちゃっただけだから」
明るく振る舞う先輩は、右手をひらひらと振ってから入口の梁を支えにしてよろよろと立ち上がった。
「あの、その……」
「立ち話もなんですから、中で話しましょう」
「そうですね~。ルイコさん、本当にお怪我ははありませんか~?」
「は、はい。えっと……ありがとうございます」
何か言いたげな先輩に、俺とフィルミアさんはつとめて明るく言いながらリビングの中へと招き入れた。そのままゆっくりとダイニングへ向かって、昨日赤坂先輩が座っていた席へ。座ったのを確認した俺たちは、そのはす向かいにある両側の席へと座った。
「もしかして、というか、ばっちり俺とフィルミアさんの話を聞いていました?」
「……うん」
単刀直入な俺の質問を、深いうなずきで返す赤坂先輩。しょんぼりしているように見えるのは、きっと気のせいじゃないよな。
「目が覚めてすぐに眠気が飛んじゃって、もう起きようって思って下へ行ったら松浜くんとフィルミアさんがお話ししてたから……」
「その最中に、ルイコさんのお名前が出て驚いてしまったということでしょうか~?」
「そういうことです」
先輩の肩が、さらに落ちる。昨日誰よりも真っ先に寝たわけだし、この時間に起きても確かにおかしくはない。まさか、俺たちが話しているだなんて想像もしていなかったんだろう。
「別に、入ってきてもよかったのに」
「だって、ふたりともわたしのことで推理してたんでしょ? そんな時に行ったりしたら、質問攻めにされちゃうよ」
「入ってこなくても、あとで質問攻めにはするつもりでした」
「そうだよねー……」
「では初めに~、どうして出演者の中にルイコさんのお名前がないのでしょうか~?」
「もう質問ですかっ!?」
「張本人の先輩が目の前にいますし」
「ルイコさん自ら、こちらへいらっしゃったのですから~」
「……仕方ないなぁ」
深くためいきをつくと、先輩は気を取り直したように顔を上げた。
「さっきふたりが話していたとおり、わたしはスタッフに徹するつもりです。松浜くんが言っていたようにみんなに任せたいっていうのももちろんあって、あとはスタジオの大きさとかを考えると……」
「言われてみれば~、あちらの〈すたじお〉は4席しかありませんね~」
「だったら、機材席から参加すればいいじゃないですか。あそこを入れれば5席になるはずです」
「でも、30分番組に5人はさすがに多すぎるでしょ?」
「まあ、そうかもしれませんけど」
先輩が言うとおり、30分番組に5人もパーソナリティがいるのは多すぎる。もちろん5人以上のパーソナリティがいるラジオもあるけど、それは60分とか2時間のワイド番組でのこと。30分じゃそれぞれの出番だって限られてくるし、最悪トークに参加できないことだってありうる。
でも、今の俺たちを結んでくれたはずの先輩が番組にいないなんて。
「それに、今度は作る側にまわりたいなって思ったのも本当だよ」
納得がいかないのが伝わったのか、先輩が俺へにっこりと笑いかけてきた。
「松浜くんと神奈ちゃんとルティさんが、いっしょに番組を録ったことがあったよね。ああいう番組をまた作って、今度はちゃんとわかばシティFMで放送したいなって思ってたの」
「みなさんがレンディアールへ来て、わたしたちに聴かせていただいた番組ですか~」
「はいっ。今度はレンディアールから来たみなさんにも参加してもらって、こっちだったら機材もあるからラジオドラマ作りも体験してもらえるかなって。わたしたちだけが作れる番組を、どうしても作りたかったんです」
さっきまでとは打って変わった力のこもった言葉と瞳で、今度はフィルミアさんと向きあう。
「この企画書が通るかどうかはわかりません。でも、たとえ通らなかったとしても、このあいだみたいに勝手に番組を作ります。こっちでもみんなとラジオ番組を作って、レンディアールから来たみんながここにいたって証しを残したいから」
「わたしたちがいた証し、ですか~?」
「考えすぎって思われるかもしれませんけど……いつか、みなさんとはお別れする日が来てしまうのかなって、そう思っちゃって」
「っ!」
その先輩の想いに、一瞬心臓がわしづかみにされたような錯覚を覚えた。
「このあいだまで週末にはいっしょだったのに、それがなくなってから寂しくなってきちゃって……もしかしたら、いつかレンディアールから来たみんなが来なくなっちゃうんじゃないかって、みんながいない家を見ていたら、そんな考えが浮かんで来たんです」
「先輩……」
思わず、声が漏れる。
先輩が吐き出した想いは、俺もついこのあいだまで抱いていたことと同じだった。
いつかルティが自分たちの世界に帰って、もう会えなくなるんじゃないかって考えて。それは結局杞憂ではあったんだけど、終わっていたのは俺の中だけだったらしい。
「だから、この〈ばんぐみ〉を企画したということですか~」
「ええ。この企画書にそれを書くわけにはいきませんから、たくさん建前を考えちゃいました」
「そういうことでしたか……俺だけじゃなくて、先輩もだったんですね」
「松浜くん、も?」
「はい」
ようやく腑に落ちた俺は、先輩にその時のことを打ち明けることにした。
「俺も、リリナさんにレンディアールへ連れて行かれる直前までは、ルティが目の前からいなくなっちゃうんじゃないかって不安でした。ラジオのことを教え終わったらレンディアールへ帰って、もう二度と会えなくなるんじゃないかって」
「そっか……松浜くんもだったんだ」
「ええ。その時は、これからもルティがこっちへ来るって言ってくれたから落ち着きましたけど」
ルティから直接言ってもらえたことで、俺は安心してずっといっしょにいることができた。今思い起こせば、先輩が初めて行ったレンディアールで「日本へ来たら、自分の家へ泊まってほしい」ってお願いしたのはその不安の表れで、ずっとくすぶっていたのがここへきて表面化したってことなんだろう。
「ルイコさん~、サスケさん~、ご安心ください~」
気恥ずかしくなってかすかに笑い合う俺たちへ、フィルミアさんからのほんわかとした声が届く。
「わたしたちは、みなさんの前から勝手にいなくなったりはしませんよ~。せっかく出会った大切な友達と離れたり、みんなとともに作り上げているものを投げ出すなんて~、もったいないにも程があるじゃないですか~」
いつもののんびりとした言葉に加わる、ほんの少しの力強さ。真面目モードじゃなくていつも通りに伝えるその声には、不思議な説得力があった。
「よっぽどのことがない限り、わたしたちは週末になったら必ずこちらへ来ますから~。ルティもピピナちゃんも、わたしもリリナちゃんも、もちろん、アヴィエラさんも時間が合えばこちらへとお連れしますよ~」
「フィルミアさん……ありがとうございます」
「いえいえ~。むしろ、こんなに素敵な〈ばんぐみ〉のことを考えていただいたのですから、わたしたちのほうこそお礼を言わなくては~」
軽く頭を下げる先輩に続いて、フィルミアさんも浅めに頭を下げる。ほとんどいっしょに上げた顔を見合わせると、どちらともなくくすりと笑って、かすかに肩を震わせながらしばらくのあいだ笑い合っていた。
「わたしったら、心配しすぎていたのかもしれませんね」
「いえいえ~。わたしも、ルイコさんとサスケさんのお気持ちはよ~くわかります。サスケさんとカナさんの試験で2週間ニホンへ行かなかったときには、みんな土曜日になったらためいきばかりついてましたから~」
「フィルミアさんたちもですか」
「はい~。土曜日にみなさんとお会いできないというのは、なかなかにさみしいものでして~」
頬に手をあてて、ちょっと恥ずかしそうに笑みを浮かべるフィルミアさん。レンディアールのみんなも、そう思ってくれていたんだ。
「でもでも、ルイコさんが企画した〈ばんぐみ〉のためなら、いつでもこちらへは参りますよ~。ピピナちゃんとリリナちゃんのおかげで、時間はある程度融通が利くようになりましたし~」
「ふふっ。ずいぶんやる気ですね、フィルミアさん」
「もちろん~。こちらでも、ルティとピピナちゃんのお手伝いができるんですから~」
「そう言っていただけると、わたしも考え甲斐があります」
「なら、考えついでに俺からひとつ提案してもいいですか?」
「うんっ、もちろんいいよ」
勢いのいい先輩の返事……ってことは、ここで言質がとれるかもしれない。
「ラジオドラマには、先輩もいっしょに出てください」
「えっ」
なら、ここでちゃんと言いたいことを言っておこう。
「トークパートのほうに出ない理由は、さっきの説明でよくわかりました。でも、ラジオドラマにも先輩が出ない理由なんてどこにもないじゃないですか」
「だ、だけどっ、ドラマとトークパートの人員は合わせないと――」
「そうですね~。ルティからもルイコさんの〈ばんぐみ〉がきっかけということは聞いてますし~、やはりルイコさんにも〈らじおどらま〉には参加していただかなくては~」
「ええっ!?」
おおっ、フィルミアさんがいい形で乗っかってくれた。よしっ、このままの勢いで押し込んでいこう。
「きっかけになる番組だって、俺らの番組よりも先輩の番組のほうがずっといいって決まってます。俺たちにとっても、先輩の番組はホームなんですよ?」
「わたしの歌声と、ルティの声が流れた上に~、サスケさんとカナさんがいつもお手伝いしている場ですもんね~」
「そういうことです。だから先輩、裏方に回るだなんて言わないで、いっしょにラジオドラマへ出ましょうよ」
「うーん……」
フィルミアさんといっしょにひと押ししてみても、先輩の表情は浮かないまま。困ったように首をかしげて、ヘアゴムでまとめられた先輩の髪がふわりと揺れる。
「いいの?」
「へっ?」
続く突然の問いかけで、俺は思わずマヌケな声を上げた。小首をかしげながらのそれはかわいらしい仕草だけど、それ以上に何を問いかけてるのか――
「みんなよりちょっと年上だけど、いっしょに出てもいいの?」
「当たり前じゃないですか! つーか、そんな理由で自分からラジオドラマを外れたんですか!?」
「『そんな』じゃないよっ。みんなは13歳から16歳なのに、わたしだけ21歳じゃ絶対に浮くもん」
「いやいやいやいや、絶対に浮きませんって。このラインナップなら、先輩は十分に先生役とかになれるじゃないですかっ」
ぷくーとむくれる先輩を説得するように、俺は企画書の続きを人差し指で指し示した。
* * *
【予定している番組内容】
・ラジオづくりのラジオドラマ
・番組制作会議
・会議を元に番組を作って実際に放送
【各回予定】
※()内は担当アシスタント
★第2回からリリナさん、第3回からフィルミアさんが登場
第1回「ラジオのことを知ろう!」(松浜・有楽)
第2回「お互いのことを知ろう!」(リリナ・松浜)★
第3回「いっしょにトークをしてみよう!」(有楽・フィルミア)
第4回「取材へ行こう!」(フィルミア・リリナ)
第5回「アナウンスに挑戦しよう!」(リリナ・松浜 予定ゲスト:山木さん)
第6回「演技に挑戦しよう!」(フィルミア・有楽)
第7回「届いたメールでトークをしよう!」(松浜・有楽)
第8回「番組テーマ曲をつくろう!」(フィルミア・リリナ 予定ゲスト:赤坂さん)
第9回「ラジオドラマをつくろう!」(全員)
第10回「異世界へ行こう!」(全員)
第11回「異世界でラジオ番組をつくろう!」(全員)
第12回「異世界でラジオ局をつくろう!」(全員・ドラマ最終回)
第13回 フリートーク
* * *
「先生、役?」
「そうですよ」
きょとんとした顔で言ってるってことは、これは思いつかなかったか、ハナから想定すらしていなかったってことか。先輩、自分がいなくてもいいようにって考えてたからか穴だらけですよ……
「俺か有楽がいる回はまだいいですよ。でも、第4回と第8回みたいに、フィルミアさんとリリナさんだけの回は進行とかどうするんです? 教えられる役の人がいないじゃないですか」
「あっ」
やっぱり、そのあたりを考えてなかったか。思い詰めたら暴走するあたり、赤坂先輩も有楽やアヴィエラさんに負けず劣らず相当ゆかいな人なんじゃなかろうか。
「では~、ルイコさんも〈らじおどらま〉への出演が決まったということで~」
「えっ、その、あのっ」
先輩が止めるよりも先に企画書を引き寄せたフィルミアさんは、出演者が書かれたページをめくってから少しおぼつかない手つきで、一番下の空白に「あかさかるいこ」ってボールペンで書き入れていった。書き終わってドヤァと満面の笑みを見せるあたりも、実にナイスです。
「はぁ……わかりました、わたしも出ます。でも、演技には期待しないでくださいね」
「それは、わたしもですよ~」
「俺もですって。素人な俺たちをブッキングしたのは先輩なんですから、先輩も素人としていっしょに巻き込まれてやってください」
「はーい」
仕方ないなあとばかりに、困ったような笑みを浮かべる先輩。それでも強く抵抗しなかったのは、俺たちに譲歩してくれたのかな。
「じゃあ、このアシスタントの振り分けももう一度考えないといけないね」
「それがいいかと。というか、もうゲストと交渉してるなんて……先輩、ずいぶん早くから根回ししてたんですね。内諾までもらっちゃって」
「交渉っていっても『今度こういう番組を作るつもりなんですけど』って話したぐらいだよ。山木さんはルティさんがパーソナリティだって話したら快諾してもらえて、お母さんもテーマソングを作るつもりって言ったら二つ返事でオッケーだって」
「さすがは身内」
「番組のためなら、使えるコネクションはなんでも使います」
えっへんと聞こえてきそうなぐらい、先輩は自信ありげににっこりと笑った。
コミュニティFMの自主制作番組で元公共放送のアナウンサーと海外で活躍している作曲家をゲストにブッキングするなんて……と一瞬思ったけど、若葉市内をたくさんてくてく歩いて、見つけたことを伝えてきた先輩の行動力ならそれも納得できる。
それに、簡単に考えてみれば同じFM局の同僚と、自分の母親なわけなんだし。
「わたしたちが参加するということで~、きっとみはるんさんも大喜びだったんでしょうね~」
「あ、いえ。実は、まだ海晴ちゃんには詳しいことを伝えてないんです」
「そうなんですか~?」
「『新番組を企画しているから、音響と編集で参加してくれないかな』って聞いただけで。詳しいことは企画書ができたらって言ったら、その前にふたつ返事で快諾してくれました」
「なるほど~。ルティたちが参加していると知ったら、みはるんさんも驚くでしょうね~」
「アイツのことだから、無表情で大喜びでしょう」
「?????」
先輩には何を言ってるのかわからなくても、実際に中瀬は無表情なまま変な踊りを踊ったり、ガッツポーズをとったりするんだから仕方がない。きっとルティとピピナがメインだって知ったら、国境の森でやらかしたように無表情なまま奇声を上げて大喜びってのも十分にありうる。
「だったら、あとで海晴ちゃんにもこの企画書を見せておかなくちゃ」
「そうしましょう。ルティたちもいるって言ったら喜んで来ると思いますし、あとで俺のほうからメールしておきますよ」
「ありがとう。それじゃあ、お願いね」
「はいっ」
「あとは放送時間だけど、番組をやるとしたらこの時間になるっていうことは確定しているんだ」
「この時間……ああ、次のページですね」
言われてめくったページは最後のページで、先輩が言うとおりに放送時間のこととかが書かれていた。
* * *
【放送開始予定日】
2016年7月10日(日)(日付上は2016年7月11日(月))全13回
【放送時間】
毎週日曜日24時00分~24時30分(毎週月曜日0時00分~0時30分)
※「若葉市民番組ゾーン」の前半を使用
【放送形態】
完全パッケージ
【キューシート(想定)】
〈第1回のみ〉
00:00 ラジオドラマ「異世界ラジオのつくりかた」Aパート
05:00 タイトルコール~ラジオドラマ「異世界ラジオのつくりかた」Bパート
15:00 自己紹介・フリートーク
25:00 後TM・ED
28:50 FO
〈第2回以降〉
00:00 タイトルコール~前TM・OP
05:00 ラジオドラマ「異世界ラジオのつくりかた」
※番組の進行具合によって、制作会議をもとにしたコーナーを放送
15:00 番組制作会議
25:00 後TM・ED
28:50 FO
(CMはなし。逐次用途によってMを挿入)
* * *
「まあ、この時間帯と内容だと完パケになるでしょうね」
「ラジオドラマもあるからね。他の完パケ番組みたいにCMも入らないから、29分じっくり使えるよ」
「あの~、〈かんぱけ〉というのはなんでしょうか~?」
おっといけない。いつもみたいに先輩と用語で話してたけど、フィルミアさんはこの言葉を知らなかったか。
「『完パケ』っていうのは『完全パッケージ』の略称で、事前に番組内容を録ってから時間が収まるように編集して、放送時間になったら放送するタイプです。編集しないで放送時間内に収めたものをそのまま放送することは『録って出し』って言って、こっちは俺と有楽が試験前だったり、仕事があって生放送ができない時にやってるタイプですね」
「は~。〈ろくおん〉して放送するのにも、いろんな方式があるんですね~」
「それぞれの番組の雰囲気に合わせて、使い分けているのが実情です」
「松浜くんと神奈ちゃんの場合はノリと勢いが重要ですから、ラジオドラマを流す時間も含めて全部生放送の時と同じように収録しています。逆に、しっとりしたトークをする番組はトークだけを先に録っておいて、あとで音楽を追加して放送用の音源を作るんですよ」
「なるほど~。この〈きゅーしーと〉をもとにして進めて、〈ばんぐみ〉を作っていくんですね~」
「あら。フィルミアさん、キューシートを知ってるんですか?」
「はい~。わたしたちがヴィエルで〈しけんほうそう〉をしたときに、サスケさんが作ってくださいましたから~」
にこっと笑って、フィルミアさんがうれしそうな笑顔を俺に向ける。
キューシートっていうのはいわゆる進行表で、どのくらいの時間になったらどのコーナーになって、どのくらいの時間から曲を流すっていうのを目に見えるようにしたもの。フィルミアさんが言うとおり、ヴィエルで試験放送をしたときに補助用にと思ってキューシートを作ったことがある。
「キューシートって言っても、誰のどの曲を流すかって表みたいなものですよ」
「それでも、とても参考になりました~。でも、その時にはこの〈てぃーえむ〉とか〈おーぴー〉とか〈えふおー〉というのはありませんでしたよね~?」
「それも専門用語ですね。『TM』はテーマ曲で、その番組の看板になる音楽。『OP』と『ED』はオープニングとエンディングで、番組の終わりと始まりのトーク部分。で、『FO』はフェードアウトで、最後に音楽をだんだん小さくしていくことです」
「本来は、そういう指示もあるということですか~。参考になります~」
納得したように言いながら、フィルミアさんがノートへと書き込んでいく。ここもちゃんと書き入れていくあたり、やっぱりずいぶん勉強熱心だ。
「そのノート、どうしたんですか?」
「これは、〈きかくしょ〉をこちらの言葉に訳したものです~」
身を乗り出した赤坂先輩へ、フィルミアさんは手にしていたノートをずいっと差し出してみせた。やっぱり書いてある文字や言葉はわからないけど、この企画書のフォーマットに近づけているあたりからして忠実に再現しているんだろう。
「サスケさんに〈きかくしょ〉を読み上げていただいて、それを書き留めていたんですよ~」
「そうだったんですか。大急ぎで持って来たから、そこまで思い至らなくて……ありがとう、松浜くん」
「いえ、俺もいい再確認になりました」
先輩からのお礼に、短く返す。パーソナリティ志望なのにこういう企画書を気にしたことはなかったし、キューシートだってうちの学校の番組で代々伝わるものしか知らなかった。
こうして先輩お手製の企画書で、改めて番組の企画って大事なんだって再確認することができた。
「それにしても、ここまでずいぶんキッチリと決めたもんですね。ラジオの企画書って、こんな風に書くんですか」
「わたしも初めて書いたから、これでいいのかはよくわからないんだ。今日の番組が終わったら、局の人に見てもらって聞いてみるつもり」
「こちらで作る〈ばんぐみ〉も、やはりこういう〈きかくしょ〉を作ったほうがいいのでしょうか~」
「将来的に、街の人たちが番組を作る段になったら必要になってくるかもしれません。今はまだ大丈夫と思いますけど、作っておいて損はないかと」
「ふむ~。まずはこの〈のーと〉に書いたのをみんなに見せて、それで決めてみますか~」
「そのほうがいいでしょうね」
ちょっとお悩みみたいなフィルミアさんの背中を、赤坂先輩がそっと押す。あっちには番組の企画って概念はないだろうから、どんな企画が来るのか、怖いのと同時にとても楽しみだ。
「あとは、この数字なのですが~」
それでも晴れない表情のままで、フィルミアさんは企画書のいちばん最後を指さした。
* * *
【想定予算】
30分枠提供料金
¥234,000(30分枠1回¥18,000×13回分)
スタジオ使用料
¥55,000((1時間¥4,500×2時間)×6回+初回技術料¥1,000)
ゲスト出演料
¥40,000(¥20,000×2回分 ※現状)
移動交通費
¥22,320(東都スカイタワーライン 若葉-深草間 8人分 土休日回数券と普通乗車券を併用)
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計
¥351,320
※東京都内のスタジオを借りて、ドラマ・トークパート両方の収録を行う予定。
※収録は1回につき2本分録り(最終回のみ3本録り)、計6回の予定。
※金額はすべて税込み。
* * *
「この金額は、これだけ費用がかかるということでいいのでしょうか~?」
「はい。わかばシティエフエムの放送枠は3ヶ月単位で売っているので、そのまま13回分とるつもりです」
「では、こちらの351,320円が合計の費用になるんでしょうけど~……」
つぶやくように言いながら、顔を上げるフィルミアさん。
「この費用は、どちらから出てくるんです~?」
「もちろん、わたしが出します」
「ええ~っ!?」
うわっ、きっぱり言い切ったよ!
「去年の春にわかばシティエフエムでバイトを始めてからずっと貯金していましたから、ここが使い時かなって。みんなと番組を作れるなら、これくらいお安いものですよ」
「お安いものなんかじゃありませんよ~!」
さっきみたいに力強く言ってはいても、フィルミアさんのツッコミ通り全然お安くなんかはない。キューシートを見ている限り、ノースポンサーかつノーCMの完全持ち出し番組だから費用はただ出ていく一方だし、リターンは全然望めない。
それでもやるって言うあたり、先輩の意志はそれだけ強いってことなんだろうけど……
「だめですっ。ルイコさん、わたしたちからも制作資金を提供させてくださいっ」
「それこそダメですよ。フィルミアさんたちのお金は、受信機用なんですよね?」
「それこそどうにかなります。むしろ、全額でも全然問題ありません~!」
「問題大ありですっ!」
目の前で、デカい金額の話が展開されていく。
ううっ、こづかい程度のバイト代しかもらえてない学生の身分としては、ちょいと肩身が狭い……
「もしかして、もう払ったわけじゃありませんよね~? 企画中だって、そう言ってましたよね~?」
「それは、その……まだ、です」
「でしたら~、わたしたちレンディアール王家からも資金を出させて下さい~。わたしたちも出させていただくのに、ルイコさんひとりに負担をかけるわけには絶対いきませんから~」
「お気持ちはうれしいですけど、本来ならフィルミアさんたちには出演料を出さないといけないぐらいなんです。それに、これはわたしのわがままで始めたことですから」
「そのわがままに賛同したのもわたしで~、わたしが出したいんですよ~」
ふたりとも、一歩も引こうとはしない。このまま堂々巡りを続けるぐらいなら、いっそ俺も……
「あの、先輩、フィルミアさん」
ジーンズのポケットから、朝ごはんの買い出し用に入れてあった財布を取り出した俺は、中に1枚だけあったお札――1万円札をふたりの間に差し出した。
「少ないですけど……俺も参加させてもらうってことで、一枚噛みます」
「だめだよっ!」
「だめですっ!」
「ひっ!?」
の、ノータイムでふたりの顔が迫ってきたっ!?
「松浜くんにはたくさんお世話になってるし、むしろ出演料モノだよっ!」
「サスケさんにはたくさんお世話になってるんですから、これ以上負担をおかけするわけには~!」
「あ、あはははは……このままだと、らちが明かないって思って」
ふたりとも、本気だ。そう思ってもらえているのは確かにうれしい。うれしいんだけど……本当にいいのかなって、やっぱりそう思う。俺だって、先輩とフィルミアさんにはとてもお世話になってるってのに。
「でも、確かにこうしていてもらちが明きませんね」
「そうですね~。でも、やっぱりルイコさんに負担していただくのは納得しませんよ~」
「そこまで言うのでしたら……」
お、なんだか風向きが変わってきた?
「半分こということにしましょうか」
「ええ、そうしましょう~」
ふたりとも、俺の顔をちらりと見てから仕方ないなぁとためいきをつきながら笑う。水を差したのがいい傾向だったってことは、
「じゃあ、やっぱりこの1万円もぜひ」
「だーめっ」
「だ~めですっ」
「あう」
机の上を滑らせるように差し出した1万円札が、ふたりの手で速攻で突き返された。うーん、本当にいいのかなぁ……
「学生陣はあんまり心配しなくていいの。その分、松浜くんにはめいっぱいがんばってもらうから」
「ですね~。ここは、わたしたちにおまかせください~」
「……はーい」
先輩も大学生で、フィルミアさんも俺と同い年な上に音楽学校の学生じゃん……ってツッコミは、この際置いておく。実際資金力があるふたりなわけだし、さっきの怒りっぷりからするとこれ以上つっつくのは得策じゃない。
「これで、ようやく安心しました~。こういうことは、ちゃんとはっきりさせておきませんと~」
「正直なところ、半額援助していただけるというのは助かりました。わたしが勝手に進めていたことなのに、本当にありがとうございます」
「いいんですよ~。ニホンで〈らじお〉ができるのであれば、わたしとしても願ったり叶ったりです~」
ようやく落ち着いたのか、ふたりとも穏やかな笑みを浮かべあっている。うん、やっぱりこっちのほうがふたりらしいや。
「松浜くんもありがとう。朝からごめんね、ややこしいお話に付き合わせちゃって」
「わたしも、訳していただいて本当にありがとうございました~」
「いいんですよ。こうして、先輩とフィルミアさんとじっくり話せたんですから」
「わたしも、ルイコさんの想いを知ることができてよかったです~」
「そ、そのっ、さっきのは、あの、秘密で……」
「わかってますって。俺のも、ひとつ秘密ということで」
「わたしも、誰にも言うつもりはありませんから、ご安心下さい~」
くすりと笑ってから、フィルミアさんがぴんと立てた人差し指をくちびるにあてた。はねた銀色の髪がまた揺れて、やっぱりとても様になっている。
「よろしくおねがいします」
先輩も、安心したように笑う。本来なら俺やフィルミアさんよりずいぶんお姉さんなのが、今までの会話でずいぶん距離が縮まったようにも感じた。
「ふふっ。こうして、フィルミアさんと松浜くんとでじっくりと話すのは初めてですね」
「言われてみれば~。こうして、年長さん組で話すのは初めてでしたね~」
「年長さんって。ああ、でも俺とフィルミアさんが今年17歳で、赤坂先輩が21歳だから、確かに年長さんっていえば年長さんですか」
「そういうことです~」
アヴィエラさんがヴィエルでがんばっている今、元々からの年長組っていえば確かに俺と先輩とフィルミアさんになる。
リリナさんは……あの人、最近有楽から影響されたのか「自分の心が17歳であれば、17歳と自称してよいと知りました」とか言ってたから、年長さんとか言ったら絶対怒るな。たぶん、出会った頃の冷徹モードで。
「またこうして、年長さん組でもお話ししましょう~」
「いいですね。今度は、お茶とおせんべいでも用意してゆっくりと」
「俺も、お姉さんなふたりと話せてよかったです」
「ではでは、決まりですね~」
決まったのがうれしかったのか、フィルミアさんは両手をぽんっと合わせてんふふーと笑った。
ルティや有楽、ピピナとリリナさんとのにぎやかなおしゃべりも楽しいし、こうして先輩とフィルミアさんとじっくり話せるのも楽しい。俺としても、フィルミアさんのお願いは望むところだ。
異世界から来たみんなとの絆をどんどん深めていって、俺も番組作りに役立てていかないと。
「サスケさんには、ルティの姉としていろいろうかがわなくては~」
「は、はい?」
「フィルミアさんとしては、やっぱりそこが気になります?」
「もちろんですよ~」
意味ありげな笑みを浮かべたフィルミアさんは、赤坂先輩にそう言うとよいしょっと席を立った。
「では、わたしはそろそろチホさんのお手伝いに行ってまいりますね~」
「あ、俺もそろそろ行かないと」
「わたしも、着替えてお布団を畳んだら下に行きますね」
次の瞬間、何事も無かったかのように話題を変えられたけど……いったい、なんだったんだろう。
「それでは、今日も一日がんばまりしょう~」
「はいっ、がんばりましょうっ」
まあ、いいか。
フィルミアさんの言葉どおり、今日もバイトにラジオにとやることがいっぱいあるんだから、めいっぱいがんばらないと。
席を立った俺は、リビングのクローゼットから青いロゴ入りのエプロンを取り出しながら気合を入れた。
コミュニティFM局によっては、実際に番組の枠を販売しているところがあります。料金は各局千差万別でありつつも、幅広い形で受け入れているので実際に番組を探してみると面白いかもしれません。放送したいという方もいらっしゃるとは思いますが、もちろん公共の電波を使ったものなのでそのあたりはちゃんと守りましょう。電波、とっても大事。
おや? フィルミアの様子が……?




