第27話 異世界少女たちと広げる、ラジオの輪
ソプラノリコーダーの音色が、石造りの部屋に響く。
小学生になると当たり前のように吹いたり聴いたりして、日本ではとてもなじみの深い音色。でも、今それを吹いている4人は誰もが日本人じゃない。
青く長い髪を三つ編みでまとめて、まとっている執事服の背中から透明の羽を生やした長い耳の女の子。
その子がふたまわりくらい小さくなったような、緑のドレス姿の女の子。
執事服の女の子より背が少し小さくて、紅いブレザーを着た長い銀髪の女の子。
そして、その中でいちばん背が高い、青いドレスを着てリコーダーを吹く短い銀髪の女の子。
リリナさんとピピナに、ルティとフィルミアさん。その誰もがソプラノリコーダーの吹き口をくわえて、メロディーを奏でていた。
4人が吹いているのは〈実りを願う〉っていう民謡。このあいだ赤坂先輩の番組でフィルミアさんが歌ったレンディアールに伝わる民謡を、今度は4人がソプラノリコーダーのユニゾンでゆったりと吹いている。
フィルミアさんが歌った時には願いを込めたような、時にはか細く、時には力強いメロディーだったのが、音の高低で変わる音量とシンプルな音色であたたかく心にしみていく。
リリナさんは淡々と、それでいて落ち着いた表情で。ピピナは小さな手で懸命にトーンホールを押さえながら楽しそうに。ルティは細い指で音を操りながら、真剣に楽譜を追って。フィルミアさんは、みんなを見やりながらいつものほわほわな笑顔で。
みんながみんな、それぞれのスタイルで吹いた音色が合わさって、4人のだけの音色を作り出していた。
俺の右隣にいる有楽は、スマートフォンを横向きにしてムービーの撮影中。左隣にいる中瀬は、昨日俺たちに見せてくれた4万円のICレコーダーをマイクブームに吊して録音中。ふたりとも真剣な目つきで、4人の姿やリコーダーの音色を懸命に収録している。
いつもと全く違うふたりの姿に戸惑うこともなく、小さな舞台に立っているルティたちはリコーダーの演奏を楽しんでいた。
窓からの陽射しが、フィルミアさんの銀色の髪を柔らかく照らして。
穏やかなそよ風が、ルティの長い銀髪をそっと揺らして。
見上げるように視線を向けたピピナへ、リリナさんが片目をつむってみせて。
みんなが作り出す音楽を初めて聴いた俺まで、自分が笑っていることに気付いて。
でも、楽しい時間には必ず終わりがやってくる。
ゆったりとしたリズムがさらに緩やかになって、一拍おいてから低めの音色が優しく、小さく伸ばされて……部屋に、静寂が戻っていく。
そして、しばらくしてリコーダーの吹き口から口を離すと、
「以上、わたしたちによる〈りこーだー〉の合奏で『実りを願う』でした~」
フィルミアさんがぺこりと頭を下げて、続いてルティたちも――
「お見事です、フィルミア様っ!」
「おわっ!?」
ぼーっと眺めていた俺の後ろから、男の子や女の子たちの歓声が押し寄せてくる。振り向くと、金髪や赤い髪とか、色とりどりの髪をした男の子や女の子たちが興奮しながら拍手や歓声を送っていた。
「エルティシア様も素晴らしいではないですか!」
「いつもツンツンしてた妖精さん、あんな優しく吹けるなんて……」
「小さい妖精さんもかわいかったねー。あたし、初めて見たよ!」
「〈りこーだー〉って面白い音色だな」
「うん、木笛とはずいぶん違うね」
「うおぉ……こいつはすげえ」
席が階段状になっているせいか、一番下の最前列にいる俺たちにまでいろんな声が降ってくる。フィルミアさんたちにも聞こえているのか、ルティは顔を真っ赤にしてピピナはぶんぶんと手を振っている。ほんわか笑顔のフィルミアさんとキリッとしているリリナさんは、平常運転らしい。
世界は違っても、興奮すればみんなで語りたくなるって性分はこっちでも変わらないのかもなー……もちろんこっちの言葉でしゃべってるっていうのはわかってるけど、それでもやっぱりいっしょなんだって親近感がわいてきた。
「フィルミア様、その〈りこーだー〉という楽器はたくさんあるのですか?」
「大変もうしわけないんですけれども、そんなにないんですよ~。でも、楽器工房科のファジペコフ先生にお願いしてありますので、そう遠くないうちに購入できるようになると思います~」
「おう、ワシが一本一本作ってやるからな!」
「ファジ先生お手製ですか! よっしゃ、吹く! 絶対吹きます!」
「ずるいっ、あたしだって吹きたいよっ!」
「だ、大丈夫、大丈夫ですよ~。器楽科のみなさんのに行き渡る分を作ってからということですから~」
「お前ら、楽しみにしておけよ!」
「「「やったぁぁぁぁぁ!!」」」
おお、いつもほんわかなフィルミアさんが生徒のみんなや先生に圧されてる……というか、年が俺らに近いせいか昨日まで会った人たち以上にフレンドリーなんだな。それでも、王女様に敬語なのはさすがレンディアール国民ってところか。
「セドレア先生、本日はお時間をいただきありがとうございました~」
「いやいや、新しい楽器の紹介ということであれば歓迎ですよ。みなさん、素晴らしき音色を奏でた王女様姉妹とリーナ姉妹に拍手を!」
いちばん上のいちばん後ろでずっと様子を見ていた白髪のおじいさん――セドレアさんにうながされて、大きな教室に拍手が巻き起こる。俺たちもいっしょに拍手をすると、ただ顔を赤くしていたルティが右手をひらひらと振ってようやく笑顔を見せてくれた。
ヴィエルに来てから4日目。滞在最終日を迎えた俺たちは、ヴィエルの音楽学校へとやってきていた。
『リコーダーを音楽学校に紹介したいから、みんなでいっしょに来てほしい』ってフィルミアさんからお願いされたのは、昨日の物見やぐらでの受信実験前のこと。軽い気持ちでOKしたら、器楽科の教室にある席が全部埋まった上に先生まで勢揃いでビビるは緊張するわでもう大変。
「お疲れ様。ルティ、ピピナ」
「おお……サスケか」
「いっきょくだけなのに、なんだかつかれたですよー……」
でも、今回いちばん緊張したのはこのふたりだろう。
「終わってから、いろんな人に話しかけられてたもんねー。よしよし、よしよし」
「……かなにだきしめられてほっとするとか、ピピナはつかれすぎなんでしょーか」
「るぅさん。かむ、かむ」
「だ、大丈夫だ。大丈夫だから」
騒ぎから抜け出した教室の片隅で、おなじみの5人になってひと息をつく。ピピナを捕獲した有楽はそりゃもうよだれが垂れんばかりのゆるゆるな顔で、失敗した中瀬はちっと舌打ちしながら指を鳴らしていた。お願いだから、日本の学生のダメさ加減を異世界の学校で撒き散らさんでくれ。
「それで、我らの演奏はどうであった?」
「ああ、とってもよかった。ずいぶん練習したんじゃないか?」
「うむっ。こちらへ帰ってから、皆でいっしょにたくさん練習したからな。そうか、よかったか」
「よかったよ! あたしたちにとってリコーダーは当たり前だけど、新鮮に聴こえてもう最高っ!」
「もちろん、曲がやさしいというのはあるでしょう。それを差し引いても、素朴であたたかい演奏だったと思います。ぴぃちゃんも、りぃさんといっしょに楽しそうでしたね」
「たのしかったですよー。ねーさまと、それにミアさまとルティさまとよにんでいっしょになにかをするなんて、のーさぎょーいがいじゃはじめてです」
「ピピナもよくがんばったな。フィルミアさんとリリナさんは……」
途中から苦笑いしながら、未だに騒いでる後ろを振り返ると、
「フィルミアさまっ、私とぜひ重奏を!」
「だめだよっ、ボクが先にここへ来たんだっ!」
「あ、あのっ、みなさ~ん。〈りこーだー〉が来たら、わたしもいっしょに吹きますから~、そんなにあわてなくても~」
「……がんばってる最中か」
さっきまで4人で吹いていた舞台で、すっかり生徒さんたちに囲まれていた。
「皆様落ち着いて下さい。フィルミア様との〈りこーだー〉重奏権は抽選とさせていただきます。これより、ニホン式の決着競技である〈ジャンケン〉で決定いたしましょう」
「「「なにそれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」」
「り、リリナちゃん~!? わたし、そんなの頼んでませんよね~!?」
「ニホンでは、選ばれし者を決めるための由緒正しき選考方法だと聞いたのですが」
「……おいコラ、有楽」
「な、なんのことですかー?」
目を逸らして口笛を吹いてるあたりで確定だろうが。しかも、上手いもんだから余計腹が立つ。
「姉様が、こんなにも学校で人気だったとは」
「そりゃあ、王女様だしなぁ。ルティは人気だって知らなかったのか?」
「ヴィエルへ移住してから、こちらへ来たことはほとんどないのだ。劇場で、ミア姉様を始めとした生徒の演奏を聴いたことはあるのだが」
「なるほど」
「だから、我もこういった形で音楽学校に来るとは思わなかった。ましてや、今まてしたことのない楽器の演奏で」
「ピピナもですよ。このすがたでであるくことだって、ほとんどないですから」
「ご苦労であったな、ピピナ」
「ルティさま……ああっ、かなもいーですけど、ルティさまもとってもあったかいですー……」
ピピナがふらふらとルティへ抱きつくと、ルティは優しくピピナの頭をなでて労をねぎらった。そっか、俺たちは人間サイズのピピナを見慣れているけど、こっちじゃあんまりこの姿になったことがないのか。
「エルティシア様、友人の皆様」
聞き覚えのある声がしたほうを見ると、さっき生徒へ拍手を促した白髪のおじいさん――セドレアさんが俺たちのほうへと近寄ってきた。小柄なわりには大きく、はっきりとして聞き取りやすい声は教室に来る前の自己紹介から印象的だった。
「おお、これはセドレア殿」
「本日はフィルミア様とともにお越しいただいた上に、演奏までしていただきありがとうございました」
「私のほうこそ、拙い演奏ではありましたが聴いていただいて幸いです」
やせて骨張った顔をほころばせて、セドレアさんが深々と頭を下げる。ルティは来たばかりのピピナを放すわけにいかなかったようで、抱き寄せたままセドレアさんへ軽く会釈を返してみせた。
「いえいえ、木笛とはまた違う笛の音色に思わず聴き入ってしまいました。ひとつの旋律を多くの奏者で吹くというのも、実にいいものですな」
「私もそう思います。姉様とピピナとリリナに、その楽しさを教えていただきました」
「ならば、いつものように我が音楽学校に入るというお話は」
「いつも通り、大変心苦しくはあるのですが」
「それは残念」
交わしている言葉は仰々しいけど、セドレアさんもルティも軽口を叩き合うように言ってるってことはいつもこんな感じなんだろう。
「今は、皆といっしょに〈らじお〉を作るのでせいいっぱいなものでして」
「そういえば、〈らじお〉の長をされているのでしたな」
「ここにいる皆を始めとした、異国から来た友人たちとともに準備を進めております」
「ピピナもいっしょですよっ」
と、ルティに抱きついていたピピナがもぞもぞと動くと、抱きとめられていた腕の中でくるりと振り返って元気に言ってみせた。
「そういうことでしたか。いや、フィルミア様がこの笛と共に不思議な機械を持ち込まれて、薦められるがままに待っていたら様々な曲が聴こえてきたものですから……昨日は、まことに驚きました」
「あのように、音楽やヴィエルにおける話題などを〈らじお〉を通じて伝えようかと考えております。朝にも生徒の皆へ伺いましたが、よく聴こえたようですね」
「聴こえましたとも。学校長も、他の学科の教師たちも皆興味津々で聴き入っておりましたよ」
「好評ならばよかったです。ゆくゆくは、街中へとあの機械とともに広めていければと」
「では、なおさら学校になど入っている暇はありませんな。ぜひとも、音楽に携わる者が奏でた音楽を街中へと広めていただきたいものです」
「はいっ。仲間たちとともに、正式に開局できるよう邁進していきます」
期待するようなセドレアさんの言葉に、ルティが自信を込めて応える。まだ少しずつではあるけど、こうしてラジオのことが街の人たちへ広がっていくのか。
「もし我が校で協力できることがあれば、なんなりと申しつけて下さい。出来る限りの力添えはさせていただきましょう」
「ありがとうございます。私や姉様方も何かできないかと考えておりますので、そのあかつきには是非ともよろしくお願いいたします」
「もちろんですとも。異国から来られた御友人方も、何かあった際には私へ声をかけて下され」
「はいっ。何か思い浮かんだときには、ルティたちといっしょにまたここへ来ますね」
「セドレア先生からも、いい案があったらいつでも待ってますからねっ」
「またこちらへ来た時に、いろんな音を保存させていただきたいのですが」
「いいですとも、いいですとも。この年にして新しい境地と出会えるとは、実に楽しい」
そう言うと、セドレアさんはふぉっふぉっふぉっと笑いながら俺たちから離れて……あ、生徒さんたちが並んでる『フィルミアさんといっしょにリコーダーが吹ける権』の列に並んでいった。もしかして、セドレアさんもやる気なのか。
「なかなか面白い先生だな」
「うむ。姉様が歌ったり演奏する際によく会うのだが、気さくなお方だぞ。木笛やタムルーテを演奏する名手でもあるから、皆で聴きに行ったりもするのだ」
「それは、今度是非とも録音させていただきたいです」
「いいですね。『名手による録音集』とかラジオで流してもいいかもっ」
「それもなかなかいい案だな」
「セドレア殿だけではなく、教員の方々や卒業生の方々に声をかけるのもよいかもしれぬな。みはるん、その時は頼めるだろうか」
「当たり前です。やってやりますよっ」
ルティからのお願いに、中瀬がふんすと高級ICレコーダーを軽く突き出して快諾する。
まだまだ番組内容が揃いきってないから、こういうときに具体的な案が出てくるのはとてもありがたい。ましてや、普段はおふざけに走りやすい中瀬がこうしてやる気を見せてるってのも見ていて安心する。
「んじゃ、しっかりと企画書を作って説明できるようにしないとな」
「ああ。では、その打ち合わせを兼ねて昼食と参……りたいところではあるが」
そこまで言って、ルティが視線を向けた方へとみんなで向き直る。
「じゃん、けん、ぽんっ!!」
「うわぁぁぁぁ負けたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「やったっ、フィルミア様といっしょに演奏できるよっ!!」
「1回戦、人差し指と中指を開いて出した方のみが勝ち抜きとなります」
「な、そ、そんなっ。リリナ嬢、教師枠でさせてもらうわけにはっ!」
「いくらセドレア殿でも、競技に参加された以上は……そこ、今指の出し方を変えましたね。失格とさせていただきます」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「ううっ……やっぱり、みなさんとも吹きたいですよ~……」
生徒さんたちがリリナさんのまわりで群がって、当のリリナさんは堂々と手のひら――パーを天にかかげているというシュールな光景が広がっていた。
その隣にいるフィルミアさんが、涙目っぽいというか、いつも元気にぴょこんと跳ねてる銀髪がへにょんとしてるんだけど……
「……姉様たちが終わるまで、待っているとしよう」
「……そだな」
割って入れない空気もあって、俺たちはただ見ていることしかできなかった。
* * *
「…………」
「あの、フィルミア様」
無表情な王女様の後ろを、執事服姿の妖精さんが一歩下がってついていく。
声をかけた王女様――フィルミアさんの右頬はぷくーっとふくらんでいて『すねてますよ~』って全力でアピール。対して、執事なリリナさんはあたふたしながら反応してもらえるのを待っていた。
「先ほどは、誠に申しわけありませんでした……」
「……もうっ、今回限りですからね~」
すねた王女様とわびる妖精さんの言葉が、俺たちの後ろのほうから聞こえてくる。
「流味亭」で昼飯をとってる間もずーっと黙っていて、すねていたフィルミアさんとおろおろしていたリリナさんが口を開いたのは、店を出て大通りを歩き始めてからのことだった。
「ですが、ああでもしないと収拾がつかないと思いまして」
「その点は否定はしませんけれど~……まあ、仕方ないですか~」
リリナさんの弁解に、苦笑いを浮かべるフィルミアさん。さっきまで頑なだった表情も和らいで、立ち止まると一歩下がって歩いていたリリナさんが横に並ぶ形になった。
「前から言ってるように、ちゃんとわたしに相談してから決めること。いいですね~?」
「はっ、もちろんです」
ぴんっと人差し指を立てて怒ってから、また笑顔を見せたフィルミアさんにリリナさんが頭を下げる。それを確認したように、ぽんっと両手を合わせたフィルミアさんは、
「というわけで~、わたしのお小言はここまでですから安心してくださいね~」
「あー……怖かったぁ」
「ずっと黙っているフィルミアさんって、こんなに人を寄せ付けない雰囲気だったんですね……」
「みぃさんを怒らせてはいけませんね……」
いっしょに立ち止まり、ちらちらと見ていた俺たちに向けてようやく怒りが解けたことを告げてくれた。
普段ほんわかとしてる人がひとたび無表情でだんまりになると、こんなに人を寄せ付けないんだな……俺も有楽も中瀬も、揃ってのんでいた息を吐き出すぐらいの怖さだった。
「でも、まえみたいにもんどーむよーでせーとさんをはいじょしたときよりは、ねーさまのたいおーはずっとよかったですよ」
「なっ、そ、それはだな……私としても、今となっては……」
「そうですね~。あの時は入学したてで、わたしに話しかけてきた器楽科のみなさんを跳ねのけて、3日は口を利かなかったあとお説教という流れでしたから~」
「あぅ……申しわけありませんっ、申しわけありませんでしたっ」
冷徹執事時代のことは、どうやら封印したいらしいリリナさんだった。
それにしても、いつもにこにこしてるフィルミアさんが3日も無表情&無口だとか全然想像がつかないんだが……まあ、リリナさんと初めて会ったときのことを考えたら、それに値するだけの実力行使をしていたってことか。
「ピピナちゃんの言うとおり、前よりず~っといい対応ではありましたよ~。あとは、ちゃ~んと相談しましょうね~」
「は、はいっ!」
ずっと落ち込みがちだったリリナさんの顔が、フィルミアさんの言葉でぱあっとほころぶ。元気なく垂れていた背中の羽もしゃきっとしているあたり、よっぽどうれしかったらしい。
「あの、皆様、ご迷惑をおかけしましたっ」
「ミア姉様との間で済んだのであれば、それでよい。我のことは気にするな」
「そうそう。あたしたちはただ見てただけだし」
「別に気にしませんって」
「録音もなにもしていませんから、安心してください」
当事者とは違って、ただ息をのんで見守っていただけの俺たちに謝られても困る。ちょいとズレた返答の中瀬は放っておいてもらうとして、
「だいじょーぶ、だいじょーぶですよっ」
「……うんっ」
これまでのリリナさんをよく知っているピピナが駆け寄って、にぱっと笑いながら手を繋いでるんだから、これでもう一件落着だろう。
本当、人通りの多い食事どきとか夕方だったらいったいどんな騒ぎになってたんだか……
「それでは皆さん~。ニホンへ戻るまではあと4時間ちょっとですけど~、これからどうしますか~?」
「あたしは、雑貨とか見てこようかなーって。ちょっとしたのなら、妹たちへのお土産になると思うし」
「私も、ともに参りましょう」
近くに見える時計塔が指している時間は、もう午後の2時過ぎ。リミットの午後7時までに、有楽と中瀬はショッピングへ行ってくるらしい。
「私は、部屋の掃除をしておこうかと。また数日はニホンへと向かうことになるので」
「わたしも、父様と母様への手紙を出しておきませんと~」
「俺は、ちょっとイロウナの商業会館へ顔を出してきます。アヴィエラさんへ戻るって言っておかないと」
「私も、サスケとともに行って参ります」
「ピピナもいってくるですっ」
リリナさんは家事で、フィルミアさんは私用。そんな中で、俺はルティとピピナといっしょに商業会館へ行くことを昨日から決めていた。
「でしたら、アヴィエラさんによろしくお伝え下さい~。戻ったら、またいっしょに遊びに行きましょうと~」
「私からも、ニホンで美味しいお酒を買って参りますとお伝え下さい」
「はい、伝えておきます」
いつものほんわかとしたフィルミアさんの笑顔と、リリナさんのやわらかい微笑みに大きくうなずいてみせる。商業会館での事件が終わったあと、アヴィエラさん本人を交えて事情を聞いたフィルミアさんにも思うところがあるみたいだ。
「あっ、わたしも行きます!」
「アヴィエラお姉さんのところですかっ」
おおぅ、事情を知らないふたりも食いついてきたか。
「サスケ、よいだろうか?」
「俺は別にいいけど」
「んじゃ、いっしょにごーってことで!」
「アヴィエラお姉さんの故郷……きっと素敵なところなのでしょう」
ルティからの問いかけに軽く答えると、有楽と中瀬がふたりしていい反応を見せてくれた。まあ、別にあの事件のことをしゃべらなければいいだけだし、あそこだったらイロウナ産の雑貨もあるからちょうどいいかな。
「では姉様、4時頃には戻ります」
「荷造りなどの時間があると思いますから、そのくらいには帰ってきてくださいね~」
「はーいっ」
「行ってきます」
市役所の前でフィルミアさんとリリナさんと別れた俺たちは、そのまま西の大通りへと真っ直ぐ進んでいく。5分ほども歩けば、3階建てでレンガ造りなイロウナ商業会館が見えてきた……ん、だけど。
「いらっしゃいませ」
「イロウナ商業会館へようこそ」
がっしりとした木造りのドアを開けたら、褐色な肌で美人なお姉さんがふたり立ってるとかどういうことなんですかね?
いや、ふたりともアヴィエラさんみたいな白いドレスを着てるし、元気というよりも穏やかでていねいなのはいいんだけど……このあいだまで、こんな人たちはいなかったよな?
「あ、あの、アヴィエラ会長はいらっしゃいますか?」
「はい。『絹の小道』におりますので、ただいま呼んで参ります」
ルティの問いに、にこりと笑った褐色のお姉さんが会釈して階段を上がっていった。ついこの間来たときはイグレールのじいさんがカウンターでふんぞり返ってて、その前も目つきのするどい男の人が目を光らせていたってのに……いったい、何が起きたんだ?
「おっ、いらっしゃい!」
しばらくして階段を降りてきたアヴィエラさんはすっかりいつも通りで、足早に俺たちのところへとやってきた。
艶めいた長い黒髪も、白いドレスも、そして胸元の紅いブローチも、みんないつも通り。
「おとといぶりです、アヴィエラお姉さん」
「みはるん先輩といっしょにお買い物に来たよー!」
「ウチで買い物たぁいい選択だ。魔石から生地までいろんなのがあるから、どんどん見て行ってくれな」
駆け寄っていった有楽と中瀬の肩を両手でぽんぽんと軽く叩くのも、いつも通り……いや、いつも以上に楽しそうだ。
「エルティシア様に、サスケとピピナちゃんも買い物かい?」
「私は別件……といいますか、もうすぐあちらへ向かうのでごあいさつをと」
「俺も、帰る前に顔を出しておこうかなって」
「ですですっ」
「そっか、ありがとな……ふぁ~」
にかっと笑ってみせたかと思ったら、次の瞬間には大きく表情を緩めると口に手をあてながら大あくびをした。
「お嬢様、客人の前で粗相はいけませんよ」
「仕方ないじゃん、徹夜なんだし」
「て、徹夜してたんですか」
よくアヴィエラさんの目元を見てみると、褐色の肌がさらにくすむようにしてクマが出来ていた。だから、いつも以上にハイだったのか。
「アヴィエラお姉さん、大丈夫なのですか?」
「大丈夫大丈夫。ちょいと魔術の研究をしてたら寝そびれただけだって」
「それならいいのですが……」
「それよりも、せっかく来てくれたんだからじっくり見て行ってくれよな。ヨルン、エルン、この嬢ちゃんたちを案内してくれないか」
「かしこまりました」
「えー、ヴィラ姉は?」
「あたしはまだやり残したことがあるから、終わったら合流するよ。エルティシア様たちも、ちょいと話すことがあるからあとで合流な」
「は、はい」
言いながら、片目をつむるアヴィエラさんにつられて返事をした。このあいだのこともあるから、俺たちがどうして来たのかもわかっているみたいだ。
「んじゃ決定。絹の小道に魔織細工を補充しといたから、そのへんから頼むよ」
「わかりました。では、参りましょうか」
「はいっ。ヴィラ姉、待ってるからね!」
「おお、このお方もなかなかの美人さん……!」
声をかけられた褐色のお姉さんたちは、ふたりともにこりと笑うと有楽と中瀬を階段のほうへ案内していった。中瀬の目が輝いてるように見えたのは……まあ、いつものことだからいいか。
「さて、と。どこから話したもんかね」
4人の姿が階段の上へと消えたところで、アヴィエラさんが息をつくようにつぶやいた。
「えっと……さっきのふたりは誰なんです?」
「そこからかい」
がくっとしながら、苦笑を俺に向けるアヴィエラさん。なんか、まるで的外れな質問を……してたな。うん、おとといのことをそっちのけで変なことを聞いてた。
「まあいいや。ここじゃあなんだから、ちょっと会長室に行こうか」
気を取り直したアヴィエラさんは、奥にある小さなドアからカウンターの中に入ると俺たちを手招きした。俺たちも後をついていくと、自動的にドアが手前側へ開いて俺たちが入ったとたんに音を立てて閉められた。魔術で作られた自動ドアみたいなものか。
そのままカウンター裏にあるドアから部屋へと入ると、木造りのがっしりとした机が奥にあって壁には大きな大陸の地図が貼られていた。
「んじゃ、適当に座って」
先に部屋へ入っていたアヴィエラさんが、その机の前へと向かい合うようにしてさらに3つのイスを置いていく。
俺とルティが隣り合うように座って、ピピナがルティの左隣に座るとアヴィエラさんが机の上へと木のコップをひとつずつ置いていった。中からは、みかんのような甘い香りがただよってくる。
「はいっ、ピピナちゃんがいれてくれた美味しいお茶のお礼。リメイラさんからもらってきた、ミラップのシロップ水だよ」
「わーいっ、ありがとーですっ!」
ピピナが目を輝かせて両手でコップを持つと、大事そうにちびちびと飲んでいった。俺もひとくち飲んでみると……うん、甘い。このあいだも飲んだけど、ジュースとはまた違う味わいでもうひとくち飲みたくなる。
「さて、さっきの話の続きだね」
俺がもうひとくちコップへ口をつけたところで、アヴィエラさんは机の向こう側にある大きなイスへと座った。
「あの子達は、魔織士の姉妹だよ。前からこの商業会館にいる、先代が言うには『侍女』らしいけど……実のところは、アタシのお目付役さ」
「お目付役、ですか」
「そう、じい同様にね。でも、いつも1階で目を光らせてるじいが今出られないし、今は在庫も十分にあるから代わりに案内役をしてもらってるってわけ」
「イグレール殿に、なにかあったのですか?」
「あー……なんてことはないんだけど」
そこまで言ったところで、アヴィエラさんが視線をそらして頬をかく。
「昨日、店じまいをしてからずっとじいと話しててさ。その流れで魔術の話になって、朝方までずーっとやってたら魔術も眠気も限界で、泥のように眠っちまったってわけ」
「お身体のほうに、差し障りは」
「ないない。うちらイロウナの民にゃよくあることだから……アタシも、もうちょいとで眠気が限界だよ」
また大あくびってことは、相当眠いんだろう。無防備に目をこするアヴィエラさんを見たら、絶対に有楽や中瀬のデジカメの餌食になってるはずだ。
「何も問題がないということであれば、安心いたしました」
「あの、イグレールさんとの話のほうは大丈夫だったんですか?」
「なかなかの平行線だね。まあ、今までの伝統が伝統だからなかなか難しいけど『やれるものならやってみなされ』って言われたからにはやってみるさ。じいとも、まだまだもっと話してみる」
「アヴィエラおねーさんがおじーさんとはなせたなら、あんしんしたですっ」
「ピピナちゃんが応援してくれたんだ。いくらだって話し合うよ」
机からちょっと乗りだして、アヴィエラさんがピピナの頭をわしわしとなでる。えへへーとうれしそうなピピナと笑い合ってるのを見ていると、こっちまでうれしくなってくる。
「そうそう、そのじいとの話で教えてもらったんだけどさ」
と、アヴィエラさんがピピナの頭をなでていた手をドレスのポケットにつっこんだ。
「これこれ」
そう言って机へ置いたのは、緑色の石……って、
「これ、イグレールさんが使ってたあの石じゃないですか!」
このあいだ、魂の状態でイグレールさんの部屋へ忍び込んだときに見た石そのものじゃないか!
「この緑の石が、紅い石へ溜められた声を聴く石なのですか」
「うーん……その開発途中版ってやつ?」
「なんか、あかいいしからそのみどりいろのいしにおねーさんやピピナたちのこえがとんでいってますね」
「やっぱピピナちゃんにはそう見えちゃうかぁ」
たはーと息を吐きながら、残念そうにアヴィエラさんが言う。
「〈らじお〉作りの手助けになると思って、じいに頼み込んであの石の作り方を教わってみたんだよ。でも、緑の魔石のほうが紅い魔石から音を引っ張っちゃって溜まらないんだ」
「じゃあ、声が紅から緑へ垂れ流しってわけですか」
「そういうこと。ほら、誰でも触れたら聴こえるようにしてあるから、ちょいと聴いてみ」
「はあ」
アヴィエラさんから手渡された緑色の魔石を、耳元へと持っていく。このあいだイグレールのじいさんが使ってたのよりはひとまわり以上小さくて、簡単に握るようにできていた。
「あ、ちゃんと聴こえる」
こつこつと、アヴィエラさんが紅い魔石を爪の先で小さく叩くたびに緑色の魔石から音が聴こえてくる。
「サスケ、我にも貸してくれ」
「おう」
「エルティシア様がそっちなら、ピピナちゃんはこっちの紅い石な。両手で持って話しかけてみな」
「わかったですっ」
アヴィエラさんが胸元から外した魔石を受け取ると、ピピナは少しのあいだきょろきょろしてからイスを下りて、とたとたとドアのほうへと駆けて行った。
『ルティさまー、きこえるですかー』
「おおっ」
「ちゃんと聴こえますね」
「ええっ、こそこそっていったのにきこえるですかっ!?」
ルティが持ってる魔石へ少し耳を近づけただけで、ピピナのこそこそ声が聴こえてきた。マイクでもなかなか拾えないような音だぞ、これ。
「いいじゃないですか、この魔石。結構いい感じに聴こえますよ」
「だろ? ただ、音が保存できないんじゃなぁ……〈あいしーれこーだー〉みたいに、音楽会とか街の人たちの話を聞く時に使えるって思ってたんだけど」
「なるほど。だから開発途中なのですね」
「電池に頼らないで使えるってのは、確かに大きいか」
赤坂先輩が持って来た小型のICレコーダーも、中瀬が持って来た高機能のICレコーダーも十分に戦力になっている。でも、もし将来的にヴィエルだけじゃなくいろんなところでラジオをやるとなると、いつも日本で買ってくるってわけにはいかない。
父さんが言ってたように電池の問題もあるし、何よりこっちの世界の人たちにも扱いやすいように、レンディアールや大陸にあるものでも作れたほうがいい。確かに未完成かもしれないけど、こうして作ってもらえるのはありがたいし、それに……
「でも、これはこれで使えますよ」
「この中途半端なのがか?」
俺の言葉に、アヴィエラさんがほおづえをつきながら疑わしそうな目を向けてくる。
「アヴィエラさん。この石同士を離して、どのあたりまで音が届きます?」
「そこまでは調べたことがないな。でも、定着させる魔力によって変わってくると思う」
「例えばなんですけど、物見やぐらとか警備隊の詰め所がありますよね。そういったところに紅い石を置いてもらって、緑の石を市役所の警備隊の事務所に置けば、いちいち事務所に戻らなくても連絡がとれるんじゃないかって」
「んー……? ああっ、アンタのところの〈デンワ〉か!」
って、ほおづえをついてた手で机を叩いて乗りだしてこなくても!
「電話に似たような感じですね。えーっと……こんな感じで、電話の受話器みたいに耳が当たるほうに緑の石を埋め込んで、口元のほうに紅い石を埋め込んだものを2個で1組にして売っちゃうとか」
「そいつぁいいな! 石を握ると聴こえるようにしていたけど、握るところで感知させればそのまんま〈デンワ〉みたいになる。相手のほうから会話が来たらどっちかの石を光るようにして、それを詰め所がある分だけ売れば……うん、行けるよ!」
スポーツバッグから取り出したノートに家電の受話器もどきを書いていくと、アヴィエラさんが食い入るように見つめて熱く語り出した。正確にはトランシーバーのほうが似ているんだろうけど、少しでもアヴィエラさんになじみのある電話でたとえたほうがわかりやすいはずだ。
「ラジオには全然関係ないですし、素人考えかもしれませんけど」
「いや、これは面白いよ。色々改良したりする余地はありそうだけど、保存用の石とは別口でやってみる価値は十分にあると思う」
「私もそう思います。それに、サスケ。そなたは〈らじお〉には全然関係ないと言っているが、これは〈らじお〉でも存分に活躍するものだと思うぞ」
「一対一で使うのに?」
「一対一だからこそ、だ」
ルティはそう言うと、俺のほうを向いて不敵な笑みを浮かべてみせた。
「詰め所からの情報を市役所へと集約し、我らの〈すたじお〉にもこの石を置いて市役所から決まった時間に話してもらう。平穏無事にしても、迷子や盗難といった事件にしても、話してもらうことで聴いている者は今この街で何が起こっているかがわかるであろう」
「なるほど。定時のニュースに使ったり、取材にはもってこいか」
「我としては、サスケと公園で聴いた〈こうつうじょうほう〉が思い浮かんだのだがな」
まあいいと言いながら俺へ向ける笑顔は、とても満足そうで。そして、自信に満ちあふれていて。
出会ったときと変わらない、見ているだけで元気がもらえる笑顔がそこにあった。
「ありがとな、ルティ」
「我こそ、よき考えをありがとう。アヴィエラ嬢も、我らのために作っていただいてまことにありがとうございます」
「アタシだって、このあいだのことを抜きにしても〈らじお〉を楽しみたいからね。こうなったらもっと研究を重ねて、アタシの手でじいを越えてやる!」
「ありがとうございます。でも、無理はしないでくださいよ」
「平気平気。しっかり食べて、寝るときゃしっかり寝てるし、なにより〈らじお〉に関われるのは接客と同じぐらい楽しいんだから」
あっけらかんとしたアヴィエラさんの言葉はストレートで、満足そうな笑顔が加わってその思いがはっきりと伝わってくる。
「サスケたちは、今日帰ったらしばらくは来られないんだっけ」
「学校の試験があるんで、2週間ぐらいは。終わったらまた来ますよ」
「我らも〈らじお〉研究のために数日間は留守にいたします」
「そっか。じゃあ、次来たときにはもっと使えるように研究しとかなきゃな。今回は行けないけど、アタシも一段落ついたらチホさんのパンケーキを食べに行くよ」
「ええ、母さんに伝えておきますね」
「リリナねーさまは、またおさけをかってくるっていってました。ミアさまも、またあそぼーって」
「そいつぁ大歓迎だ。んじゃ、またみんなで揃ったら屋台街で宴会だな!」
「是非とも、楽しみにしております」
威勢のいいアヴィエラさんの言葉と力強いルティの言葉に、俺とピピナもうなずく。
やっぱりアヴィエラさんは俺たちの『お姉さん』で、ルティは頼れる『妹』で。
まだまだやることはいっぱいあるけれども、こうして異世界でみんなとラジオを作ることができて幸せだって、そう思えた。
そのあとは、勢いのままに有楽と中瀬に合流してお土産の買い物。やっぱり女の子たちが集まるとやかましかったけど、はたから見ているとなかなか楽しいもので。途中からヨルンさんとエルンさんも会話に混じっていたあたり、やっぱり女の子なんだなーって思う。
結局閉館時間まで居座って、大慌てで時計塔へ帰還。リリナさんにちょっとばかり叱られて、それをアヴィエラさんとフィルミアさんがなだめてくれた。
そして、俺たちは『行ってきます』ってあいさつをして。
アヴィエラさんから『行ってらっしゃい』って見送られて。
日曜朝の、若葉市へと戻っていった。
「おー……久しぶりのコンクリートです」
「向こうを出たのが夜の7時で、こっちは朝の7時……朝ごはんイコール夕ごはんかー」
そんな第一声を聞きながら、コンクリートの床へと降り立つ。一歩先にリリナさんと戻ってきた、中瀬と有楽の声だ。
屋上庭園には相変わらずいろんな植物が生い茂っていて、空を見上げればいつもの少し霞んだ青空。視線を下げれば東都鉄道の高架線も見えるし、駅や駅前のビルも見渡せる。確かに、俺たちは赤坂先輩が住んでるマンションの屋上に戻ってきた。
「んしょっと。だれもいないみたいですねー」
「ああ。植物の葉が濡れてはいるが、今は大丈夫のようだ」
ピピナとリリナさんが視線を合わせて両手を叩くと、風船が破裂したような高い音があたりに響いた。
「今の音は何なのですか?」
「私たちの姿を認識出来なくする結界を解いた音です。他の人々に聴こえるものではないので、ご安心を」
「なるほど。だからりぃさんもぴぃちゃんも羽をしまってるんですね」
「そーですよー。これからみんなで、あさごはんとゆーなのばんごはんをたべにいくですから!」
おー、と両手の拳を突き上げる小柄なピピナに合わせて、有楽と中瀬も片手をかかげてみせる。リリナさんがちょっとだけ拳をかかげてるのも、なかなかかわいらしい光景だ。
「では、我らも行くとしようか」
「チホ様の朝ごはん、楽しみですね~」
「きっと、みんなが来るのを待ってると思いますよ」
ピピナたちに続いて、俺とルティとフィルミアさんも階段へ向けて歩き出す。階段を降りてエレベーターホールへ出ると、リリナさんとピピナが下へのボタンを押したところ。すぐにやってきたエレベーターに乗り込んで、下まで降りればあとはロビーから出るだけだ。
このマンションの住民でもないのに、すっかり慣れてるよなぁ……俺たちって。
そのまま自動ドアをくぐり抜けたら右へ曲がって、あとは道なり。しばらく歩いていけば、まだほとんどの店がシャッターを下ろしている商店街が見えてきた。
「〈わかばしてぃえふえむ〉もまだ閉まっているのだな」
「この時間は録音番組だからな。当直の人が、異常がないか見守ってるぐらいか」
途中に通りがかったわかばシティFMのスタジオも、局のロゴが入ったカーテンがひかれてひっそりとしている。日曜だと、12時からの生放送まではいつもこんな感じだ。
そのまま歩いていけば、見慣れたわが家。大きな3階建ての建物の1階で、今日もオープンしている喫茶「はまかぜ」が見えてきた。
「ただいまー」
「あら、おかえりなさい」
ドアを開くと、母さんがいつものようにカウンターから迎えてくれた。いつもは帰ってくるのが夕方とか夜だから、朝にこう迎えられるのは珍しいかもしれない。
「おかえり、みんな」
それに、赤坂先輩がカウンターにいるのも……って、赤坂先輩?
「あれっ、瑠依子せんぱいだー。おはようございますっ!」
「うん、おはよう」
「……どうしたんです? 瑠依子せんぱい」
元気いっぱいな有楽のあいさつにいつもふんわりと返すはずが、弱めの反応で有楽も戸惑う。見ると、先輩はいつもとは全然違う弱々しい笑顔で俺たちのことを見ていた。
「ほら、佐助。そんなところで突っ立ってないで中に入りなさい」
「あ、ああ」
母さんから促されるままに、みんながテーブル席へとついていく。俺とルティとピピナ、中瀬と有楽にフィルミアさんとリリナさんが分かれて座って、イスを回転させた赤坂先輩が座るカウンター席を横目で見るような形だ。
「ルイコ嬢、御両親と会いに行ったのではないのですか?」
「え、ええ、会いに行ってきました」
ルティからの問いかけにも、さらに曇った笑顔で言葉を詰まらせた。
「何か、御両親とあったんですか~?」
「えっと……」
そして、フィルミアさんが小首を傾げたところで両手を顔の前で合わせると、
「ごめんなさいっ!」
「えっ!?」
な、なんで? なんで先輩にいきなり謝られてるの!?
「わたしのお父さんとお母さんって、海外で仕事をしてるって話しましたよね」
「確かに、以前聞いておりますが」
「ふたりとも、いろんなところでピアノとチェロを弾いているんですけど、この夏のコンサートツアーが楽団の都合でキャンセルになっちゃったみたいで……それで、今度のシンガポールでの演奏会が終わったら、半年ぐらいこっちへ帰ってくるって」
「と、いうことは……」
「だから、ごめんなさい。ルティさんたちを泊めることができなくなっちゃいました……」
「ええっ!?」
いや、確かに先輩の家だから御両親が帰ってくるのは当たり前だけど、このタイミングで帰ってきちゃうか。
「ど、どうしましょう。どこか部屋を借りたほうがいいのか……」
「でも、子供ばかりなわたしたちで借りることができるかどうか~……」
「ああ、フィルミアさん、ルティさん。そのへんは心配しなくてもいいですよ」
カウンターの向こうで、先輩たちの話を聞いていたはずの母さんがいきなり割り込んできた。って、なんで母さんが――
「うちの部屋、ひとつ空いてますから」
「……は?」
「何よ。サスケ、忘れちゃったの? 昨日お掃除した空き部屋があるでしょ」
「えっ、ちょっと待って。そこ、馬場さんからの荷物を入れる部屋じゃないのか!?」
「8畳間だし、スペースは十分あるわよ。なんなら、荷物は屋根裏の倉庫に入れたっていいじゃない」
まったくもうって感じで、腰に両手を当てて呆れられたけど、待て、待て。
それって、ルティたちと同居、ってことに、なる……
「というわけで、今日は瑠依子ちゃんとお引っ越しの準備だから。アンタは試験勉強でもして待ってなさい」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
い、いきなりそんなことを言われても、なんにも心の準備ができてないんですけど!?
音楽は、ラジオの要。日本だけではなく、海外諸国でもさまざまな音楽がラジオで一日中流れていたりします。もし異世界でラジオを作ったとしたら、やはりラジオに聴き入る人というのは多いのではないでしょうか。
これにて、第3章「異世界ラジオのひろめかた」は一旦終了です。次回第4章からは、再び日本へ舞台を移してルティたちがラジオを学ぶターンになります。今回はまた、若葉市ではないところへ出かけたりするかも? 来週は番外編を投稿し、再来週から第4章を開始……と行きたいのですが、ちょっと周辺環境が変わるのでさらに1週番外編が増えるかもしれません。その際はご了承下さい。
そして、自らのあずかりしらぬところで翻弄されていく佐助くんの姿もどうぞお楽しみに。




