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第24話 異世界"商"女をとりまく事情

 何もさえぎるものがない土の道を、そよ風が通り過ぎていく。


「いい天気でよかったな」

「うむ、とてもよき日和だ」


 俺のつぶやきに、隣に座るルティが小さくうなずいた。緑色の目には陽の光が映り込んで、いつも以上にきらきらと輝いている。


「ホントですねー」

「しかし……まさか、こちらでこんなことをするとは思いませんでした」


 同じ道端に座っている有楽も目を輝かせていたけど、中瀬はちょっとばかり疲れた表情を見せて――


「まあまあ、楽しかったからいいじゃんか」

「ですね。楽しかったのは確かですっ」


 いたかと思ったら、隣で泥だらけのアヴィエラさんが豪快に笑うとこくこくうなずいてやがるし。


「サスケとカナは、いくぶんか手慣れた感じであったな」

「若葉市の小学校で必ずやらされるんだよ」

「小5になると、最初から最後までやるんですよね」

「まさか、松浜くんと神奈っちに謀られるとは……」

「人聞きの悪いこと言うなって。ちゃんと『ジャージ持ってこい』って言ったろ?」

「言ってはいましたが、田植えをするとまでは聞いていませんっ!」


 そう言って中瀬が指をさした先にあるのは、どこまでも広がる田んぼ。後ろを向いても左を向いても田んぼで、右を向くと見えるヴィエルの街の石壁以外はどこもほとんどが田んぼ。

 そのまっただ中で、若葉南高のジャージを着た俺たちはルティやアヴィエラさんといっしょに、さっきまで泥だらけになって田植えをしていた。


「しょうがないだろ。ルティとフィルミアさんに『当日来てからのお楽しみにしておいてください』って言われたらさ」

「済まない、みはるん。ミア姉様がどうしても『レンディアールを体感してほしい』と言っていたものだから」


 申し訳なさそうに言うルティも、今日はいつもの紅いブレザーじゃなくて紅いシャツに黒の半ズボンといった格好。いつもは長くおろしたままの銀髪もアップでまとめていて、活発そうに見える。


「るぅさんとみぃさんの発案であれば仕方ありません」

「もしも俺が発案したとか言ったら?」

「即座に田んぼの肥やしへと生まれ変わってもらいます」

「ひどっ!?」


 即答した中瀬からの鋭い視線で、背筋に寒気が走る。ただの例え話なんだから、本気で反応するなっての。


「耳慣れない音色ですが、不思議と落ち着く曲ですね」

「いっぱいきょくがながれてきておもしろいよねー」

「まだまだ、たくさん曲が流れてきますよ~」


 俺たちから少し離れたところから聴こえてくるのは、さっきまでいっしょに田植えをしていた人たちと、ルティと同じ格好をしたフィルミアさんの話し声。それに被さるように、ほんわかとしたシンセの音が緩いリズムで聴こえてきた。


「こんなナリして音が聴こえてくるたぁ、奇妙なもんだ」

「奇妙といえば奇妙かもしれませんけど~、聴いてるととても楽しいですよ~」

「そうですね。田植えになるといつも黙り込んでしまいますけど、〈らじお〉を聴きながらだとにぎやかで楽しかったです」

「まだまだ実験中ですけれども~、そのうち皆さんにもお届けできるようにしますからね~」


 おおっと声を上げる人たちの中心でフィルミアさんが手にしていたのは、メガホンのようなものがケーブルで繋がった小さな機械。ケーブルやメッキ線がむき出しになっているそれは、このあいだ父さんに教えてもらってみんなで作った無電源ラジオだった。


「ルティちゃんが作った無電源ラジオ、順調みたいだね」

「うむ。まさかここまで良好に聴こえるとは思わなかった」

「ルティの調整が上手かったんだろ。よく聴こえるようになるまで、コイルの間隔を何度も調整してたし」


 有楽が言うように、プラスチック製のメガホンにイヤホンを埋め込んで作った即席スピーカーからは少し小さめのボリュームでのんびりとした音楽が流れ続けていた。

 田植えや畑仕事をしながらラジオを聴くのは日本ではよくある光景でも、この世界ではもちろん初めてのこと。ラジオの知名度を広めるためにとフィルミアさんが田植えを利用して持って来たわけだけど、音楽も穏やかなのをチョイスして成功だったらしい。


「アヴィエラ嬢に〈そうしんきっと〉を増強していただいたおかげでもあるだろう。アヴィエラ嬢、その節はまことにありがとうございました」

「役に立てたんたらなによりさ。こうしてエルティシア様が手ずから作ったものから聴こえてくるなら、アタシもうれしいよ」


 深々としたルティのお礼を、アヴィエラさんが満足そうに返す。電波を発信している時計塔からは5キロ以上離れてるのにここまで鮮明に聴こえるんだから、アヴィエラさんにとっても本望なんだろう。


「皆様、お疲れ様です」

「おつかれさまですー!」


 そんなふたりのやりとりを見ていると、空の方からかわいらしい声がふたつ降り注いできた。


「リリナさんも、発信作業お疲れ様です」

「『おんがくぷれーやー』をただいじっただけですから、それほどでは」

「かなとみはるんがきょくをえらんでくれたおかげで、とってもらくでした!」


 背中の透明な羽をはばたかせて空から降りてきたのは、執事服姿のリリナさんとメイド服姿で人間サイズののピピナ。こうして並んで立つと、やっぱりふたりは姉妹なんだなって雰囲気があった。


「うー……泥だらけだからピピナちゃんを抱きしめられないよー……スマホも置きっぱなしだし」

「ぴぃちゃん、その服は今日一日着てるんですか? もちろん着たままですよね?」

「まさかー。ねーさまのおてつだいがおわったらきがえるですよ」

「そんな殺生なっ」


 当然のように、有楽と中瀬がメイド服姿のピピナに反応しているし。田植えで泥だらけじゃなかったら、きっとヴィエルの街の人にとんでもないところを見られてただろう。


「リリナちゃん。お昼に届けてくれたオムスビ、とってもおいしかったですよ~」

「お褒めにあずかり光栄です。大量ににぎりましたが、皆様に行き届きましたでしょうか?」

「大丈夫でしたよ~。ね~? 皆さん~」

「はいっ。お堅い見た目と違って、ふっくらとしたにぎり具合でとてもおいしかったです」

「ようせいのねーちゃん、かっこいいだけじゃなくてりょうりもうめーんだな!」

「そのガラスみたいな飾りをつけてから、ずいぶん雰囲気も柔らかくなったしねえ」

「あ、ありがとうございま……す……?」


 フィルミアさんにほめられてうれしそうに笑った直後、大人から子供までいろんな人にほめられたリリナさんはあたふたと戸惑っていた。

 お昼前にでっかいレジャーシートみたいな布で包んだのを持って飛んで来たときには何事かと思ったけど、川魚とか炒めた野菜を混ぜ込んだおにぎり――こっちで言う『オムスビ』は空きっ腹がどんどん求めてくるぐらいに美味かった。


「アヴィエラおねーさん、おつかれさまです!」

「おう、ピピナちゃんこそお疲れさん。わざわざその服に着替えてきたのかい?」

「ちがうですよー。ねーさまのおてつだいをするからうごきやすいふくにしよーとおもったんですけど、にあわないですか?」


 一瞬きょとんとしてから、メイド服姿のピピナがくるりと回ってみせる。足下まであるスカートが透明な羽といっしょにふわりと揺れるもんだから、140センチにも満たない身長も相まってかわいらしいったらありゃしない。


「いやいや、その真逆。すっごくかわいいよ」

「ほんとですかっ!」

「だよねっ、ヴィラ姉!」

「アヴィエラお姉さんはやはりお目が高いです!」

「かなとみはるんは、いつもそーゆーじゃないですかー!」


 まあ、俺が言ったところで有楽にからかわれて中瀬に敵意を向けられるだけだし、めちゃくちゃこっぱずかしいし……こういうときは、みんなに任せておくことにしよう。


「そーそー。そのおてつだいなんですけど、ピピナ、おふろのよーいをしてきたですよ」

「お風呂の用意?」

「はいですっ。みんなどろだらけになってかえってくるから、どーせだったらおんなのこのみんなでいっしょにおふろにはいりたいなーってルティさまからそーだんされたです」

「お風呂っ!」

「はだかのおつきあい!」

「お前らふたりはちったぁ落ち着け!」


 この不健全コンビが! ヴィエルの人たちに知れ渡ったらどうする!


「せっかくみはるんもヴィエルへ来たのだからと思いまして。もしよろしければ、アヴィエラ嬢も我らとともに風呂へと入りませんか?」

「アタシも? いいの?」

「もちろんです。せっかくの休日に手伝っていただいたのですし、服も体も泥だらけのままでは落ち着きませんから」

「そうは言っても、勝手に飛び入ったのはアタシのほうだよ? エルティシア様たちといっしょにお風呂なんて――」

「ヴィラ姉も、いっしょにはいろ!」

「アヴィエラお姉さんの髪を洗って、私の髪も洗ってもらう……いい。実にいいですね」

「カナもみはるんも、こう言っていることですし」

「あはははは……まあ、みんながいいならいっか。よしっ、アタシもごいっしょさせてもらおうかね!」

「ありがとうございます、アヴィエラ嬢!」


 うれしそうに顔を輝かせたルティが、アヴィエラさんへ深々と頭を下げる。

 そして、顔を上げる瞬間にルティと目を合わせた俺はピピナへと視線を送った。


「じゃあ、かえったらさっそくおゆをあっためますよー!」


 ルティみたいにうれしそうに言うと、ピピナが背中の羽を一回だけ大きく羽ばたかせてみせる。

 これが、第一段階成功の合図。

 純粋に楽しそうなアヴィエラさんを見ると胸の中がチクッとするけど、気付かれずに紅いブローチから引き離すにはこれしかなかった。


 昨日、俺の部屋へやってきたルティとピピナとは日付が変わるぐらいまで話し込んだ。

 アヴィエラさんがつけてるあのブローチは、いったい何なのか。

 どうして、俺たちみんなの声が吸い込まれていくのか。

 あのブローチに声が溜め込まれているとして、何の目的で溜め込んでいるのか。

 話し合ったどれもが推測でしかなくて、一瞬『スパイ目的』なんて言葉も心の中でちらりと顔をのぞかせたけど、俺たちにいつも優しくしてくれるアヴィエラさんがそんなことをするはずないって思ってすぐに握りつぶした。

 結局らちが明かないからと、三人で決めたのは最終手段。


『あのブローチからアヴィエラさんを遠ざけて、話を聞いてみよう』


 俺たちの声がブローチに吸い込まれている以上はストレートに聞くわけにはいかないし、かといってヘタに手を出すとどんな動きをするかわかったもんじゃない。そのためにはブローチの無いところで話を聞くか、ブローチを使えなくするしかないってことで『お風呂作戦』をみんなで立案したってわけだ。


「おかえりなさいませ、サスケ殿」

「ただいま戻りました」


 先に風呂へ入った俺が応接室へ戻ると、執事服からメイド服へと着替えたリリナさんが俺に気付いて声をかけてきた。


「湯加減はいかがでしたか?」

「とってもよかったです。お湯を浴びただけですけど、すっきりしました」

「浴びただけって、湯船のほうには?」

「あはは……女性陣が入るのに、泥だらけな俺が先に入るのはなんだか気が引けて」

「そういうことでしたか。サスケ殿は、そういうところにも気が回るのですね」

「ち、違いますって」


 手を振って否定してみせるけど、くすりと笑ったリリナさんはお茶のカップをテーブルに置いてからもにこにことした笑みを俺に向けていた。

 初めて出会った頃の険悪な雰囲気はすっかり無くなっているどころか、ピピナと仲直りしたり、アヴィエラさんにメガネを作ってもらってからもどんどん性格が丸くなってるような気がする。


「では、私は皆様にお風呂が空いたと――」

「ただいまですっ」


 俺が座ったところでリリナさんが応接室を出ようとすると、玄関ホールへのドアが開いて相変わらずメイド服を着ているピピナが入ってきた。


「さすけ、ルティさまたちをおふろへあんないしてきたですよー」

「おう、あんがとさん」

「なんだ、ピピナが皆様を呼んできたのか」

「はいですっ。さすけがおふろからあがるのをまって、すぐににわにいたみんなをよんできたです」

「気がはやるのはわかるが、慌てすぎると誰かに気取られてしまうぞ」

「だいじょーぶですよ。そんなへまはしません」

「そうだといいのだがな」


 小さい背格好で、えっへんと大きめな胸を張ってみせるピピナ。リリナさんもそこそこ大きい方だから……やっぱり、姉妹ってことなんだろうな。うん。


「では、この後はエルティシア様とサスケ殿からの指示通りに」

「すいません、リリナさん。なんだか変なお願いをしちゃって」

「構いませんよ。別に悪いことを頼まれているわけではないですし、私としても皆様から伺ったことは気になるので」


 かぶりを振ったリリナさんから、笑みがすうっと消えていく。

 ルティやピピナと相談した結果、もうひとりだけブローチのことで協力してもらおうと決めたのがリリナさんだった。ピピナ同様に術を使えるのもそうだけど、トラブルさえなければ(・・・・・・・・・・)一番冷静に判断ができそうだっていうのも大きな理由だった。

 全員に事情を話してアヴィエラさんを疑って欲しくないっていうのもあったけど……こればっかりは、どう転ぶかによって変わるのかもしれないのが怖い。


「ありがとうございます。ピピナ、ブローチの場所はわかるか?」

「えーっと……はいっ、あったです。やっぱりだついじょーからそんなけはいがするです」

「そっか」


 脱衣場か。脱衣場ね。

 ……脱衣場かー。


「というわけでリリナさん、結界のほうをお願いします」

「わかりました」


 小さくうなずいて、目を閉じたリリナさんが一瞬にして姿を消す。

 あの紅いブローチに結界を張ってもらって、一時的に外からの音を遮断してもらおうって腹づもりだったんだけど……さすがに、男の俺が現場に立ち会うわけにはいかないもんなぁ。


「ねー、さすけ」

「ん?」


 俺に声をかけたピピナが、ぽふんと隣に座って不安そうに見上げてくる。


「あのほーせき、なんなんでしょーね」

「さあ、な」

「わるいことに……つかわれたり、しないですよね?」

「それはない……って、思いたい」


 やっぱり、ピピナもそれが心配だったか。でも、朝イチで来た時から張り切ってたし、田植えのときだってすっ転んで泥だらけになっても面白そうに笑って楽しんでたし、アヴィエラさんが悪用するなんてことはないと思う。

 もし、悪用するのだとしたら――


『先代からの会長就任2周年祝いだって、じいに渡されたんだ。イロウナの代表なんだから、外に出るときゃこれをつけろってうるさくってさ』


『友達……? ああ、こちらの王家は平民もそのように差配するのでしたな』


『くれぐれも〈商鬼様〉へ無礼のないように』


「どっちかっていうと、イグレールのじいさんが怪しいんだよ」

「あのいけすかないおじーさんですか」

「言うね、お前も」

「だって、ほんとーのことじゃないですか。ともだちをさげすむよーなめでみるし、アヴィエラおねーさんのことばもききながして、あんなたいどはないですよっ!」


 ぷんすかぷん、と長い耳をぴんと立たせて怒るピピナ。


「って、あれっ?」


 だけど、すぐにはっと気付いたように俺を見上げて、ぴんと立たせていた耳がへにょんと垂れていった。


「なんか、じぶんでいっててぐさぐさささってきたですよ……」

「あれは不可抗力だったんだって。俺にも原因があったのは確かだし」

「むぅ」

「泣くな泣くな」


 自分で言ってて、涙が浮かぶくらいショックだったのか。でも、よくよく思い出してみればリリナさんとピピナとも出会った頃は険悪だった。今こうしてのんびりとしゃべってるのが信じられないぐらいに。


「ピピナとは、ちゃんと話してわかりあえたからいいんだよ。じいさんとも話せばわかる……って思いたいところだけど、もしあのブローチをじいさんが何らかの目的で渡したとなると、俺らはずいぶん疑われてたりして」

「ピピナたち、なにもわるいことはしてないですよ?」

「俺たちはしていなくても、そう思う人がいてもおかしくないってことだ。俺たちはいつも意識してないけど、ここに住んでるイロウナの人たちにとってアヴィエラさんはいちばん偉い人なんだからさ」


 ヴィエルの人たちは、素直な人たちが多いと思う。もちろんルティやフィルミアさんと付き合いがあるのはもちろん大きいんだろうけど、気軽に話しかけてきてくれたり、こっちからの話題にも乗ってきてくれたりする。

 でも、イロウナの人たちからしてみたら俺たちは異国人だし、じいさんみたいにトップの人にひっついてるのを快く思ってない人がいてもおかしくはない。


「なんか、いろいろめんどーですねー」

「まあ、全部想像でしかないけどさ。アヴィエラさんに聞いて、それから判断しようぜ」

「はいですっ」


 涙を引っこめたピピナが、にぱっと笑って大きくうなずく。やっぱり、ピピナはそうでないとな。


 それからしばらくの間、俺とピピナは紅いブローチのことからは離れて、ルティと始めたリコーダーのことや若葉市で見つけたらしい美味しそうな食べ物屋さんのことを話した。

 日本にいるときはいつもは赤坂先輩のマンションに泊まってるピピナも、先輩がいないときにはルティと出かけたりしてずいぶん日本を満喫しているらしい。

 普段みんなでいる時は1対1で話すことがなかなかないから、さっきのリリナさんやピピナとの会話ってのはなかなか新鮮だった。落ち着いたら、ルティにフィルミアさん、そしてアヴィエラさんとも改めてしゃべる場を作ってみたいな。


「ただいま戻ったぞ」

「ふー、さっぱりしたぁ」


 ルティとアヴィエラさんが応接室へ入ってきたのは、ふたりで話し始めてからたっぷり経ってからのこと。紅いブレザーと着替えらしいまっさらな白いドレスを着たふたりの顔は、まだ風呂上がりだからかほんのりと赤かった。

 そして、それ以上に紅い石のブローチは相変わらずアヴィエラさんの胸元につけられている。


「おかえりですっ」

「おかえり。って、リリナさんは?」

「リリナは、ミア姉様とカナにみはるんを連れて上へ行ったぞ。なんでも〈かめら〉でいろんな服を着た姿を撮影してもらうそうだ」

「は?」

「ね、ねーさま……」


『なんとか足止めをお願いします』とは言ったけど、そんなことはまったくお願いしてない。お願いしていないのに……やっぱり、リリナさんはどんどん染まってきてるよ。うん、間違いなく有楽に染められ始めてる。


「では、アヴィエラ嬢はそこへおかけになって下さい。(わたくし)がお茶をいれますので」

「あっ、ルティさま。ピピナがやるからいーですよ。アヴィエラおねーさんとすわってまっててください」

「ん? いや、しかし」

「いーんですいーんです」


 ピピナはぱたぱたと入口近くのワゴンへ向かうと、てきぱきと茶こしへ茶葉を入れて、鉄皿と熱い石で保温された鉄のポットからティーポットへとお湯を注いでいった。


「おっ、ピピナちゃんも結構やるじゃん」

「もしかして、リリナが?」

「はいですっ。ねーさまがたくさんおしえてくれたから、ピピナもやってみたかったですよ」


 楽しそうに進めていくひとつひとつの仕草に、凛としているリリナさんとはまた違うかわいさがある。懐中時計を見ながら待つ様も、ティーポットからカップへとお茶を注ぐ姿も、ちびメイドさんって感じがしてとても微笑ましい。


「サスケものむですか?」

「もらおうかな。カップ、そっちに持っていくよ」

「ありがとーですっ」


 ピピナがいるワゴンへカップを持っていくと、ルティとアヴィエラさんの分に続いてお茶を注いでくれた。白いカップに深く紅い色が映えて、湯気からするお茶の香りも心地いい。


「おまたせですよっ」


 そのまま、流れるような動きで4つのカップを載せてテーブルへと戻っていく。俺が持って行ったカップを初めに俺のところへ置いて間違えないようにしたあたり、喫茶店の息子な俺から見ても満点の対応だと思う。


「ありがと、ピピナちゃん」

「ありがとう、ピピナ。がんばって覚えたのだな」

「ねーさまのおてつだいをして、やってみたくなっただけですよ。ピピナもいっしょにのむですね」

「ああ、いただきます」

「いただきますっと」

「いただきます」


 ルティとアヴィエラさんの正面に座って、俺もいれたてのお茶に口をつける。そのまま口へ含んで飲み下すと、ほどよい温かさと、少し甘めなぶどうの香りと味が口からのどへと駆け抜けていった。


「おおっ。美味いね、このお茶」

「これは……リリナがいれるのとは、また違う味わいだな」

「ルティさまたちがたうえにいったあとにおかいものにいったら、このあいだのくだものやさんで〈くれでぃあ〉のしろっぷをつくってたですよ。ねーさまとあじみをしたらおいしかったからいれてみたですけど、どーですか?」

「うむ、美味しいぞ。味の主張が強いクレディアと聞くと意外だが、こうして飲んでみると納得の味わいだ」

「ほんとーですか!?」

「ああ。アタシもひとくち飲んで『美味い!』って思ったね」

「俺も。さっきリリナさんが入れたのは香り中心で、ピピナが少し多めにシロップを入れたのは味わいがあってどっちも美味かったよ」

「えへへっ、そーいってもらってよかったです!」


 うれしそうに笑って、ピピナがぱたぱたと背中の羽をはためかせる。ルティもアヴィエラさんも、そして俺自身も落ち着けた、ちょうどいい香りと温かさのお茶だった。


「それで、アヴィエラ嬢。先ほどお誘いした件ですが」

「ああ、話があるんだっけ。〈らじお〉の話かい?」

「いえ、その……少々、伺いたいことがありまして」

「伺いたいこと、ねえ」


 少し言いづらそうに切り出したルティに対して、きょとんとしながら受け止めるアヴィエラさん。少し首をかしげながらお茶を飲み続けてる姿からは、やっぱり何かを企んでるとかそういう気配は感じられない。


「その胸元にある紅い宝石ですが、サスケによると先代の会長殿からいただいたとか」

「そうだよ。就任2周年の祝いとか中途半端にも程があるけど、じいたちもうるさく言うしつけるしかないってね」

「ですが、アヴィエラ嬢の美しき姿によく似合う輝きだと思います」

「ありがと」


 その上、ルティからの褒め言葉も素直に受け止めている。これもまた、アヴィエラさんは何も知らないって材料になりそうだ。


「アヴィエラさん。そのブローチって、やっぱり魔石なんですか?」

「そうみたいだね」

「みたい、って」

「だって、ただ魔力が脈打ってるだけだもん。じいに聞いても知ってるのは先代だけだっていうし、アタシよりずっと高位だから調べようもないもんさ」

「なるほど」


 続いて俺もたずねてみたけど、あっけらかんと言われるとこれ以上はお手上げだ。こうなると――


「あの、アヴィエラおねーさん」


 あとは、ピピナに託すしかない。


「ピピナは、そのほーせきがどんなものかがみえてるんですけど」

「えっ、ホント!?」


 って、テーブルに手をついて乗りだしてきたよ!?


「は、はいですっ。その……なんといーますか……」

「なになに? どんな働きなんだい?」


 その上、わくわくしながら目を輝かせてたずねてくる。

 やっぱりシロだよ。絶対にシロだ。これでクロだったら、とんでもない演技派だ。


「えっと……そのいし、どうも〈こえ〉とか〈おと〉をすいとるみたいなんです」

「は?」


 で、ぽかーんとしてるし。


「声とか、音を吸い取る?」

「はいです」

「……それまた、何のために?」

「それを聞きたかったから、こうしてアヴィエラさんを呼んだんですよ」

「へー」


 そして、なんでもないように相づちを打つと、


「ふーん……」


 つけていたブローチを外して、耳元に近づけて、


「えぇぇぇぇぇぇ……?」


 ためいきをついてから、戸惑うようにそのブローチを見つめていた。


「それって、ルイコが持ってた〈ぼいすれこーだー〉みたいな感じに?」

「んーと、ちかいのかとおいのかよくわからないですけど、そのいしのなかへすいこまれたこえがうごうごってうごめいて、ときどきピピナのみみにきこえてくるですよ」

「じゃあ、今も吸い込まれてるってことか」

「そのあたりは、リリナねーさまが〈けっかい〉でふうじこめてくれました。いまはすいこまれないようにしてて、それでいておとがきこえるよーにしてあるみたいです」

「そいつはずいぶん便利だね」

「『たとえとじこめても、こきゅーをできなくしてはねざめがわるい』とか、ピピナのいたずらでつかったときにいってたですね」

「便利っていうか、怖い術だな。それ……」


 元々攻撃的な性格だったリリナさんだからこそ、重みがある言葉だ……ホント、下手を打たなくてよかった。


「なら、どんな声が聞こえてくるか教えてくれないかな」

「いーんですか?」

「ああ。商業会館の機密だけ除いてくれれば、どんなことでも言っちゃってよ」

「わかったですっ」


 アヴィエラさんから手渡されたブローチを、ピピナがそのまま耳元へと近づけていく。集中するように目を閉じてからしばらくすると、長い耳がぴくっと震えて、


「〈むはーっ! このこめうまいなっ! えっ、ここのたんぼでつくったの? うまい、うまいよみんなっ!〉」

「うぇっ!?」


 アヴィエラさんの口調を真似るようにして、くわっと叫びだした。


「ああ、それって昼飯時に言ってた」

「しかたないじゃん! 本当に美味かったんだからさ!」

「あ、あはは……あとで、リリナにも伝えておきましょう」

「えっと、それと、それと……」


 また、難しい顔をしたピピナがブローチからの声に耳をすますと、


「〈きょーうーはおーでかっけっ♪ みーんなーでおーでかーけっ♪〉」

「あぁぁぁぁぁ」

「アヴィエラ嬢……凛々しいだけではなく、かわいらしいところもあるのですね」

「悪いかっ! いつも楽しみなんだよっ、アンタらとのおでかけは!」

「つーか、これっていつ歌ってたんですか」

「朝起きてすぐ! 子供かっ! 悪いかっ!」

「な、何もそこまで言ってませんって!」


 なんだろう。こうしてムキになって突っかかられてこられると赤坂先輩やフィルミアさんより年下っぽく見えるというか……はっきり言って、かわいい。


「つぎ、いくですよー」

「どうにでもなってよ、もう……」


 ちょいと拗ねて、ソファーに全身を預ける姿も、これまたかわいい。


「んーと、〈いもうとやおとうとみたいなともだちができた……って、これはかかなくてもいっか。つーか、ひみつにしといたほうがいいのかもな〉」

「あー……それも吸い込まれてたのか」


 深くためいきをつく姿もまた……って、えっ?


「あの、アヴィエラさん。『妹や弟みたいな友達』って」

「わかるだろ。みんなのことだよ」


 アヴィエラさんは観念したように言葉を吐き出すと、ソファの上であぐらをかいて体を前へと乗り出した。


「先代というか、母さんに定期報告ついでに手紙を書いてたんだよ。そこでアンタたちのことを書こうと思ったんだけど、結局やめたってわけ」

「何故書かなかったのか、聞いてもよろしいでしょうか」

「簡単なことさ。このあいだも言ったとおり、アタシは〈らじお〉のことをイロウナには流したくない。それと同じくらい、みんなの情報をイロウナに流しちゃいけないって思って止まったんだ」


 そこまで言って、アヴィエラさんはカップに残っていたお茶をぐっとあおった。


「ヘタにみんなのことをしゃべったり書いたりしたら、きっとじいを始めとした商業会館の連中や先代たちは動き出すと思う。それが好意的なものなら構わないけど、みんなが商業会館で見たとおり、上からものを見るように接してくるし……〈らじお〉の詳しい話をして帰ってからじいから言われたんだ。『王族はともかくとして、付き合っても得のない者との交流は断て』って」

「はぁ!?」

「なんと……イグレール殿は、そこまでサスケたちを嫌っているのですか」

「嫌ってなんかいないさ。ただ『眼中にない』ってだけ。ある意味、嫌ってるよりずーっとタチが悪いかもね」


 吐き捨てるように言って、あぐらをかいたまま背中をまたソファへと預けるアヴィエラさん。その目つきは、いつもよりもずっと鋭くなっていた。


「うちの商業会館の人たちには、みんなのことはほとんど話してないのさ。ニホンへ行ったときだってここへ泊まったことにしてあるし、アタシが買った物もここへ置かせてもらってる。やっぱり、どうしても会館のみんなは信頼できないからね。

 ……ああ、勘違いしないでくれよ。信頼出来ないのはアタシに関わることだけで、仕事の腕とか結束力は信頼してるんだ。まあ、贈り物かと思ってたものが、まさかこんな得体の知れない魔石だったってのには……ちょいと、ヘコんだけどさ」


 アヴィエラさんは、手を伸ばしてピピナが持っていたブローチを受け取ると自嘲するように笑ってみせて、


「きっと、アタシの行動を知るために母さんからって偽って渡してきたんだろうね……ほんと、くだらない」


 まるでつぶそうとするように、ブローチを握りしめながらうつむいた。

『ちょいと』なんて言ってるけど、ちょいとどころじゃない。信じていた人たちにこんなものを仕掛けられたら、そりゃあショックに決まってる。


「あー、むかつくっ!」

「っ!?」

「むかつかむかつくむかつくっ! すっげーむかつくっ!」


 って、爆発しちまったよ!? どうするのさ、これ!


「ばーかばーかばーか! じいたちのおおばかやろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

「え、えっと、アヴィエラさ――」

「よしっ、おしまいっ!!」

「……へっ?」


 気合を入れて叫んだアヴィエラさんが顔を上げると、すっかりいつものアヴィエラさんに戻っていた。


「ごめんな、みんな。これで、アタシの泣き言はおしまいだ」

「……いいのですか?」

「いつまでもくよくよしてられないし、愚痴ったところでどうにもならないからね。それに、こんなことを仕掛けられたんだ。今度は、アタシが逆襲してみせるまでさ」

「ぎゃ、逆襲って」

「このまま気付かずにいたら、みんなとのこともダダ漏れだったかもしれないだろ。そんな恥知らずなことを放っておくほど、アタシは人間ができてないよ」


 くちびるの端を釣り上げながら、アヴィエラさんがニヤリと笑う。さっきはいつものアヴィエラさんに戻ったと思ったけど、これって……相当、怒ってるよな?


「アヴィエラおねーさん、ピピナもきょーりょくしていーですか?」

「ピピナ?」


 ルティからの問いかけには答えないまま、ピピナはソファから立ち上がって両手を腰にあててみせた。ふんすと鼻息を荒くしてるけど、こっちも怒っている……のか?


「ほーせきからきこえるアヴィエラおねーさんのこえには、いっぱいおもいがこもってたですよ。そのこえが、もしろくでもないことにつかわれたりしたら……ピピナだったら、ぜったいにゆるしたくないです」

「ありがと、ピピナちゃん。だけどさ、これはアタシだけの問題だから」

「でも、でもっ」

「アヴィエラ嬢」


 やんわりと断られて、それでも引き下がろうとしないピピナの隣でルティがすっと手を挙げた。


「ん? なんだい、エルティシア様」

「アヴィエラ嬢は自分の問題と仰いますが、もし我らの声が含まれるとなると、それはもう我らがレンディアールにとっても問題になり得るのではないでしょうか」

「えっ」

「ああ、確かにそうかもな。ピピナ、そのブローチから聴こえてくるのって、アヴィエラさんの声だけか?」

「ううん、ルティさまのこえもサスケのこえも、いまここにはいないみんなのこえも、きのうからきょうまでのがたくさんきこえてくるですよ」

「あのっ、いやっ、そ、そうかもしれないけどさ」

「だから、アヴィエラおねーさん。ピピナにもきょーりょくさせてくださいっ!」


 テーブルに両手をついたピピナが、身を乗り出すようにしてアヴィエラさんへ申し出る。怒るのはわからなくもないけど、どうしてここまでアヴィエラさんへ協力しようとするんだ?


「……そこまで言われたら、仕方ないか」

「いいんですかっ!?」

「でも、いったいどうするっていうんだ? アタシはじいに直接問いただそうって思っていたけど、他にいい案があるっての?」

「はいですっ! そのためにはアヴィエラおねーさんだけじゃなくて、ルティさまとサスケにもきょーりょくしてほしーんですけど……いいですか?」

「ああ、我は構わないぞ」

「俺も別にいいけど、どうするのかは説明してくれるんだよな」

「もちろんですっ。えっとですねー」


 気になった俺も、ピピナに聞いてみたわけだけど……


「……はい?」


 本当にそれでいいのかっていう案に、ついマヌケな声が出てきた。


 *   *   *


「それではアヴィエラ嬢、おやすみなさいませ」

「おやすみ。エルティシア様、リリナさん」


 アヴィエラさんが、ルティとリリナさんへ別れのあいさつをかわす。

 日もすっかり暮れたイロウナ商業会館の入口には『休館日』って書かれてるらしい札がかかっていて、アヴィエラさんはそれを取ってからドアのノブへと手を掛けた。


「また、近いうちにそっちへ行くからさ」

「お待ちしております。今度は来られた際に、我とピピナがともに夕食を振る舞えるように特訓いたしますので」

「私もエルティシア様の特訓につきあいますので、ご安心下さい」

「ああ、楽しみにしてるよ。じゃあね」

「はいっ」


 そして、軽く手を振りながら会館の中へと入っていく。


「おかえりなさいませ、アヴィエラ様」

「ただいま、じい。またそこで待っていたのか」


 ドアを閉めると、玄関ホールを薄ぼんやりとした陸光星の明かりが照らしていて、カウンターにいたじいさん――イグレールさんのしわだらけの顔を浮かび上がらせていた。


「とうに、門限が過ぎております故」

「ああ、騒がしかった? ごめんね、エルティシア様と話してたんだ」

「それもそうですが、あまりにも帰りが遅すぎます」

「今日は休日だし別にいいだろ。アタシだって、もうとっくに大人なんだし」

「しかし、商鬼としての自覚を持っていただくからにはそれ相応の行動が欠かせないでしょう。今日もまた、あの小僧や小娘たちとともにいたのですよね?」

「アタシが誰といようと、アタシの勝手だ」

「ですが」

「あー、うっさいうっさい。明日も早いんだし、アタシはもう寝るからね」

「商鬼様!」


 アヴィエラさんはカウンターへ休館日の札を置くと、カウンターを通り過ぎてそのまま階段を上がっていった。


「まったく……商鬼様の名が泣きますぞ」


 その後ろ姿を見送りながら、じいさんがぽつりとぼやく。


「やっぱり、いけすかないおじーさんです」

「そりゃあ、アヴィエラさんが嫌がるわけだ。俺らのこと、小僧と小娘だってよ」

「あきはばらのらじおのおじーさんとちがって、ぜんぜんかわいげがないですね」


 その様子に、グチを言い合う俺と妖精さんサイズのピピナ。

 じーさんがいるのは俺たちのすぐ目と鼻の先……なんだけど、俺たちの声は全く聴こえていない。というか、正確に言えば声すらしていない。


「ところでさすけ、たましいのぐあいはどうです?」

「どうって、ほとんど生身と変わんねーよ。久しぶりだってのに、めっちゃしっくり来てるし」

「それならよかったです」


 にぱっと笑うピピナの姿は、陸光星の明かりに透けている。きっと、ピピナから見たら俺の姿も透けているんだろう。


「しかし、また魂だけになるなんてな」

「ピピナも、またたましいだけにするなんておもってませんでした」


 アヴィエラさんと話し合ってからまたみんなと過ごした俺は、夜の9時頃を過ぎたあたりで自分の部屋へ戻って、こうしてまたピピナの力で魂だけの姿にしてもらっていた。


「仕方ない……そろそろ行くとしようか」

「おっ、じいさんが動き出したぞ」

「ピピナはアヴィエラおねーさんのおへやにいくですから、さすけはおじーさんのほうをおねがいするですよ」

「わかった」


 小さくうなずいてみせると、イスから立ち上がったじいさんを追い越たピピナが階段の上へと飛び去っていく。

 ルティはアヴィエラさんと会館の前でしゃべってじいさんの興味を引いてもらう役割で、リリナさんは時計塔へ帰る時の護衛。

 ピピナは、アヴィエラさんの部屋であのブローチがどんな動きをするかを見守る役割。

 そして、俺はじいさんがどんな行動をとるかを見張る役割。

 始めにピピナが出した案は「宝石がどう働くかを見てみんなで突撃する」っていうふわっとしたものだったけど、証拠の確保とかどんな手順を踏むのかとかをみんなでブラッシュアップした結果、こういう分担になったってわけだ。


 ピピナが飛び去ってから少し遅れて歩き出したじいさんも、のんびりとした足取りで階段をしっかりと踏みしめていく。

 そのまま3階へ上がって、何か文字が書かれた扉を開けるとそこにはまた廊下。従業員専用らしい通路を歩いて行くと、奥には従業員のものらしい部屋があってその一番端にじいさんが入っていった。

 そして、そのまま奥にある机へ向かってイスに腰を下ろす。


「なんというか……本だらけだな」


 机の上へ積まれた本に、思わず言葉がもれる。

 ……いや、机の上だけじゃない。本棚はぎっしりと本で埋まっていて、隙間も本。床も本の塔ができていて、マトモな空間といえばベッドの上ぐらいだった。

 どの本も分厚くて表紙に紋章があるってことは、魔術師が使う本だったりするのかな。


「では、やるか」


 小さな声に、部屋を見回していた俺の視線がまたじいさんへと釘付けになる。

 じいさんは机に備え付けられた引き出しの一番上を開けて、中から握り拳ぐらいの大きさの宝石を取り出した。窓に吊された陸光星の光を受けたその石は緑色に輝いていて、ごとりと置かれた机の上に光の反射を作り出している。

 続いて下の引き出しから取り出されたのは、紙束と羽。さらに下から黒いインクが入った壺が取り出されて、机へ次々と置かれていくけど……これで、いったい何をするっていうんだ?


「魔が持つ力にて、我が命ず」


 わけのわからないまま様子を眺めていると、大きく深呼吸をしたじいさんが宝石に手をかざして口を開いた。それと同時に、緑色の光が宝石の中からぼうっと輝き始めた。


「つがいとされし紅き石より、吸われし声を呼び寄せたまえ。其方(そなた)が持ちし光の力で、作りし(あるじ)の助けとなれ」

「うわっ!?」


 続く呪文で光は机の上から部屋中へと広がって、目がくらむくらいになったところですうっと消えていった。

 かわりに、宝石からの輝きがまるで炎のようにゆらめいたかと思うと、


『アヴィエラさん?』

『ん? おおっ、サスケじゃないか。こっちに来てたのかい?』

『はい。アヴィエラさんも夕飯ですか?』

『会館を抜け出して、ね。今はハシゴの最中さ』

『ハシゴですか』


 ゆらめく緑色の炎の中から、俺とアヴィエラさんの声が響きだした。

 これって、昨日流味亭の前で会ったときの……?


「商鬼の御身分でありながら、下民とともにハシゴとは……なんとはしたない」

「はしたなくなんかねえっつーの。勝手に決めつけんな」


 嘆くような声に、ついつい文句が出る。商鬼がどんなに偉い身分か知ったこっちゃないけど、あの楽しそうなアヴィエラさんを知らないくせに切って捨てるんじゃねえってんだ。

 そんな俺の気持ちを知るわけもなく、じいさんは羽の根元をインクの壺につけると紙の上へすらすらと何かを書き始めた。


「宵の口、下民の少年と会う。なれなれしさは甚だしき。やはり離すべき存在と考える」

「おいおい」


 書き進めながらつぶやいてるけど、最初から聞き捨てならないぞ。これは……


「その後、レンディアールの王女姉妹や下民とともに食事。御身の高貴さを全く自覚しておらず、ただただ嘆かわしい」

「就寝前、先代への報告を書き連ねる。下民を友と呼ぶなどあってはならぬことなのに、いつまでも理解をしない」

「翌日、朝から歌を唄いながら外出の準備。田植えなどという野蛮な行為を、何故商鬼たる方がせねばならぬのか」

「多くの下民とともに、昼食をとる。大声での歓談など、自身の品格をただ(おとし)める恥ずべき行為。再教育の必要あり」

「……こんにゃろぉ」


 今の俺には、実体が無い。でも、もし今この場で実体があったとしたら……にぎっていた拳から、血が出てもおかしくないくらいアタマに来てる。

 この人、アヴィエラさんや俺たちをいったい何だと思ってるんだ?

 いつも俺たちといっしょにいるアヴィエラさんはとっても魅力的なのに、じいさんはそれを全て切って捨てている。

 魅力だけじゃない。この人は、俺たちや街で会った人々、それにいっしょに田植えをした人たちも、全部、全部切り捨てている。

 この人にとって大事なのは「品格」で、それ以外のことは全く必要だなんて思ってないのか……?


「このままでは、商業会館の地位が落ちること以外は考えられず。まだ若年な商鬼様は再教育とし、一刻も早い先代様の御帰還を待ち望む」

「くっそ……」


 さすがに、限界だ。


「ピピナ、聞こえるか」

『きこえるですよ』


 何もないところへ呼びかけると、俺の耳元でここにはいないピピナの声が聞こえてきた。


「やっぱり、犯人はじいさんだ。アヴィエラさんが話した人たちの声を別の宝石で聴いて、先代さんへの報告書を書いてる」

『やっぱりですか。さっきから、ほーせきのなかのこえがかべにきえていってたです』

「だろうな」

『サスケ、聞こえるか?』

「アヴィエラさん……」


 いつも元気なはずのアヴィエラさんの申しわけなさそうな声を耳にしたとたん、俺の胸が詰まった。


『ごめんな。あとは、アタシがカタを付けるから』

「大丈夫なんですか? その、他人の部屋には勝手に入れないって」

『それは、魔法を使った場合の話さ』


 俺を落ち着かせるように優しく言った、次の瞬間。


「なんか、ずいぶん勝手なことをしてるみたいだね」

「しょ、商鬼様っ!?」


 目の前にアヴィエラさんがふわりと現れて、じいさんの肩をぽんと叩いた。


「へえ、なになに? 『先代様の御帰還を待ち望む』。へー、やっぱりアタシじゃ力不足ってかい。へー」

「いや、これは、その」

「しかも、なんでアタシの友達との会話を知ってるんだい? ……ははーん、この石か。この石なんだね」

「だ、ダメです、それはっ!」


 じいさんが伸ばした手よりも早く、アヴィエラさんの手が緑の宝石と紙を掴んで取り上げる。


「やっぱり魔石か。アタシ、そこまで信用してもらえなかったんだねぇ」

「どうしてそれを!?」

「じいさんからもらった紅い宝石から、なんか変な魔力が漏れ出しててね。探ってみたら、ここへ行き当たったってわけさ」

「まさか……そんな、厳重に封を施したはずなのに……」

「そんなの、ピピナにかかればあさめしまえのばなないっぽんですよ」


 愕然としたじいさんの言葉を受けて、いつの間にかピピナが隣で鼻息を荒くしていた。


「そっか、お前がアヴィエラさんを」

「はいですっ」


 そっか、ピピナは魔法が使えなくても俺たちを移動させられるんだもんな。


「サスケのこえ、とってもかなしそうだったからはやくしなくちゃって。だから、ここへいっしょにとんできたですよ」

「……ありがとな、ピピナ」

「ピピナこそ、ありがとーですよ。さすけがきょーりょくしてくれなかったら、ここまでうまくいってなかったです」


 にこっと笑うピピナは、なんだかいつもよりちょっとだけ大人びて見えた。


「先代様が引退してからもう2年だよね。まだアタシのやり方に納得行かないってのか」

「確かに売り上げは以前よりも上がりました。ですが、下民と交友を持ってはイロウナの代表としての地位が……」

「下民って言うな。レンディアールの人たちに失礼だ」

「……………」

「それに、地位がなんだ。レンディアールの人たちにアタシたちの国を知ってもらうのに、大上段に構えて意味があるっての?」

「それは……我ら商者の伝統として……」

「伝統? 伝統なんて、ここじゃイロウナの文化や産品だけで十分だ。身分差だとかそういう悪習が、このレンディアールで通用すると思うな!」

「あ、悪習だなんて、そんな……」


 カウンターにいたときや報告書を書いてたときの勢いがウソのように、じいさんの声がしぼんでいく。それだけ、じいさんはイロウナの風習に凝り固まっていたってことなんだろうけど、


「ともかく、これは『商鬼』のアタシに対する立派な造反未遂だ。魔石はアタシの預かりとして、今回のことも先代様へ直接報告しておく。沙汰は、追って待つように」

「……はい」


 アヴィエラさんの炎のような勢いの前には、すっかり形無しになっていた。


 *   *   *


「はぁ……」


 手の中のブローチと宝石を弄びながら、アヴィエラさんがためいきをつく。

 ゆっくりと歩くうちに陸光星で照らされていくその表情は、まったく元気がなかった。


「ごめんな。なんだか、ウチの情けない内情を見せちゃって」

「アヴィエラさんの役に立てたなら、俺はそれで」

「こんかいのことはルティさまとねーさまだけにはなして、あとはピピナたちのなかだけでしまっておきましょー」

「そうしてくれると助かる」


 人間サイズに戻って隣で歩くピピナへ、アヴィエラさんが力なく笑ってみせる。

 気持ちの問題もあるから時計塔へ泊まるっていうことで、アヴィエラさんは俺とピピナといっしょに市役所への道を歩いていた。


「サスケも、ありがとな」

「いえ、あの……」

「ん? どうしたんだ?」


 力のない笑顔を、俺にも向ける。

 さっきピピナが話せるように俺の意識をリンクしてくれたおかげで、アヴィエラさんは俺の魂があるほうへ向くことができているわけだけど……やっぱり、心が痛い。


「イグレールさんのこと、これからどうするんです?」

「あの場ではああ厳しく言ったけど……まあ、今回は処分とかはしないよ」

「アヴィエラさんのことを探って、追い出そうとしたのに?」

「初めてだし、未遂だからね」


 さすがに次はないけどと言いながら、アヴィエラさんは立ち止まって空を見上げた。


「よーく考えてみるとさ、じいさんと会ってからずっと反発しまくってたんだよ。初めて会ってから2年間も、地位がどうとか、気品がどうとか、価格がどうとか。でも、お互い反発してるだけでちゃんと話し合ったことなんてほとんどなかった。

『アタシにはアタシのやり方があるんだから、邪魔するな』って。それがもう我慢ならなくて、こんなことをしたんだろうけど……ちゃんと話せば、こんなことにならなかったのかな」

「あのっ」


 吐き出すような言葉に、ピピナがアヴィエラさんのドレスの袖をつかんでくいっと引き寄せる。


「ピピナは、おそくないっておもうです」

「ピピナちゃん……?」


 そして、ぽかんと見下ろしてきたアヴィエラさんと視線を合わせた。


「このあいだまで、ピピナはてきとーなことをたくさんいってねーさまやさすけにめーわくをかけてました。でも、にほんでさすけたちにであって、レンディアールへもどってからもさすけとねーさまがはなしあってるのをきーて……『ことば』がとってもだいじだってわかってはなしてみたら、またねーさまとなかよくなれたです」


 ピピナの言葉通り、俺たちは出会いからして最悪だった。でも、たくさん話した結果仲良くなれて、こうしていっしょに協力できるようになっていったわけで。

 リリナさんともどんどん仲良くなっているとは感じていたけど……ピピナ自身、思うところがあったんだな。


「すぐにはむりかもしれないですけど……はなして、おたがいのきもちをぶつけてみるのもいいんじゃないかなーって、ピピナはおもうです」

「そう……なのかな」

「もちろん、ぜんぶがぜんぶうまくいくってわけじゃありません。でも、このままおわらせるよりもずーっといいはずですよ」

「まあ、このままじゃギスギスして仕方ないだろうしなぁ……そいつは、ピピナちゃんの言うとおりだ」


 さっきときまでとは違って、おかしそうに軽く笑うアヴィエラさん。


「よしっ。一度、じーさんたちとじっくり話してみるか」


 俺たちへ向き直ると、その目にはさっきよりもずっと強い力が込められていた。


「ほんとーですかっ?」

「ああ。今度はキレずに、ちゃんとサシで話し合ってみるよ」

「それならよかったです!」


 大きくうなずくアヴィエラさんに、ピピナも満面の笑顔で大きくうなずいてみせた。ついこの間までは、わがまま放題な妖精さんだったってのに……って、俺たちよりもずーっと年上なんだから大人っぽくなってもおかしくないのか。


「いつかは、俺たちもイグレールさんや係員さんとちゃんと話せるようになるのかな」

「そうできるようにがんばってみるさ。ヴィエルの街に出たらこんなにも楽しい人たちがたくさんいるって、みんなにもわかってほしいからね」

「ピピナも、おーえんしてるですよっ」

「おうっ、あんがと! サスケも、見ててくれよな!」

「はいっ」


 拳を握りながら笑ってみせるアヴィエラさんは、いつものアヴィエラさんで。

 その力強さが戻ってきたことに、俺はほっと安心していた。

 田んぼや畑のあぜ道に鳴りっぱなしのラジオが置かれていると「あー、春が来たんだなー」と思って、引っ込むと「あー、冬になるんだなー」とか思ってしまう、中途半端な田舎住み。


 今回は過去最長のお話になってしまいましたが、今後も無いとは言えません。

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