第23話 異世界少女たちと異世界の宴
人には、誰だって向き不向きがある。
小さい頃に少年野球をしていた時も、ピッチャーをすればノーコン。外野を守れば落球。内野を守れば打球に追いつかない。打てたとしても全く守れないんじゃどうしようもないってことで小学卒業と同時に諦めて、ラジオ一本に絞ったなんて経験が俺にはあった。
だけど、まさかこんな形で不向きなものと向きあうことになるなんてなぁ……
「『松浜くん、聞いてる?』」
「え、えっと……『聞いてますよ、有楽先生』」
マイクを挟んで向かいにいるのは、いつもの相方・有楽神奈。でも、紙っぺらの原稿を手にして俺を見つめる視線に人なつっこさはなく、どこかふてくされた感じがした。
「『よろしい。じゃあ、これから私はあなたの部屋に居着くことにしたから。よろしくね』」
「『どうしてそんなことになるんですか!』」
「『だって、行き先がないんだもの。アパートの部屋は壊れて行き先もないし、本当の私を知っているのはあなただけ。一文無しのズボラ女なんて、これ以上広められたくないじゃない』」
視線の鋭さを緩めて、くすりと笑う有楽。少し低めの声と大人の女性っぽい目つきは、、いつもの有楽らしさをすっかり隠していた。
「『もしかして、俺を家事させようと』……じゃない。『もしかして、俺に家事をさせようとしていませんか?』」
「『教え子にそんなことをさせるほど落ちぶれてはいないわよ。学校が終わったらカップラーメンでも買ってくるし、服だってクリーニングに出すから、ただあなたのふとんの隣に寝かせてくれればそれでいいの』」
「『い、イヤですよっ!』」
原稿を読み間違えた俺をフォローするように、大げさに言う有楽。その上、演じている「先生」の雰囲気がこれでもかと漂ってくるんだからただただ圧倒される。
「『そんなこと言わずによろしくお願いします。ねっ、大家さんさ・ん・だ・い・めっ♪』」
「『だーめーでーすー!』」
色っぽく迫ってくるような声が、モニター用のヘッドホンから囁くように聴こえてくる。やばい。これは耳に効く。言ってる本人が目の前にいるってのに、生声じゃなくヘッドホン越しだとこんなにも耳と好奇心に直撃してくるってのか!
「はーいっ、以上でーす!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
大人のお姉さんみたいな有楽の目つきが、宣言と同時にいつもの人なつっこいものに変わる。同時に解放された俺は、大きくため息をつきながら思いっきりうなだれた。
「というわけで、若葉南高校の演劇部プレゼンツ『たまには松浜くんにも演技を体験してもらっちゃおう!』の指令のお時間でしたー!」
「えー……体験させられましたー……」
「すっかりやられてる状態の松浜せんぱいですけど、あたしはそんな悪くなかったと思いますよ? 久しぶりにしては上出来も上出来ですよ」
「中学校の文化祭で『演技なんて二度とやるもんか!』って思ってたのに……なんつーものを引き当てちまったんだよ俺は……」
拳を握ってテーブルを叩きたくなるぐらいこっぱずかしいけど、叩けばノイズがラジオにのるから我慢するしかない。
今の時間はうちの学校のラジオ番組『ボクらはラジオで好き放題!』の生放送中。そう、生放送中。今しゃべった言葉がそのまんまラジオの電波に乗って、いろんな人に聴かれて……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……
「こればっかりは仕方ないですねー。ちょっとしたトラップに引っかかったとでも思って」
「ちょっとどころじゃねえよ! 『住めなくなって大家な生徒の家に転がり込む』ドラマとかありえねえし!」
「そこは演劇部の部長さんの願望ってことにしておきましょう。それに、せんぱいもナチュラルに生徒役を演じてたじゃないですか」
「お前の女教師役のほうがずっとナチュラルだったよ! なんだよあの迫ってくるみたいな声は!」
「レッスンのおかげですね。このあいだ『女教師と男子小学生』ってエチュードをやったばかりでしたし」
「ろくでもねえシチュエーションだなオイ」
「臨機応変って言ってください。それじゃあ瑠依子せんぱい、今日のあたしたちへの指令が上手く乗り越えられたかどうか、判定のほうをお願いします!」
有楽がはす向かいのディレクター席にいる赤坂先輩へ振ると、赤坂先輩は操作用PCのキーボードを叩いて『ぴんぽーんっ』とSEを鳴らしてくれた。
「はーいっ、合格です!」
「あー……よかったー……」
これで不合格だったら、今頃ピピナとリリナさんが聴いてるうちの店へは帰れねえよ……
「こうなったら、どんどんいろんなシチュエーションを受け付けちゃいましょうか。北高と総合高と、あと紅葉ヶ丘の演劇部からも」
「やめて!」
「えー」
もうやだ! 演じるのはもうこりごりだ!
「月曜になって学校へ行ったら呼び出しモノだろうな。今回のシチュエーション的に」
「その時は演劇部の部長さんも来てもらいましょう」
「というわけで、演劇部部長の部長の森さんは校内放送を震えて待っていて下さい」
「やった以上、あたしたちは一蓮托生です」
赤坂先輩からストップウォッチを示されたのを横目で見た俺たちは、わざとらしく厳かに言って指令のコーナーを締めた。桜木姉弟時代よりはずーっと穏やかなネタだったけど、まあちょっとは覚悟しておこう。
「それでは、俺のダメ演技を聴かせるのはここまで。今週も我らが有楽さんが主役を演じるラジオドラマ『dal segno』の時間となりました」
「第4回の今回は、ついにエリシアが禁断の技術を紐解くとき。義理の姉であるリューナが目の当たりにしたのは、いったい……それでは、お聴きください」
有楽が神妙にラジオドラマへの振りを終えるのと同時に、俺がカフのレバーを下げてマイクをミュート状態にする。それから一瞬の間を置いて重々しいオーケストラの音楽が流れてきたところで、俺は被っていたモニター用のヘッドホンを外して机に突っ伏した。
「あー……」
「おつかれさま、松浜くん」
「おつかれさまっす……」
「松浜せんぱい、ナイスファイトでしたよっ」
「ぜんぜんナイスじゃねーよ……俺やっぱり演技がめっちゃくちゃヘタだよ……」
頭の上から赤坂先輩と有楽がねぎらう声が聞こえてきたけど、ただただ気が重い。俺のダメ演技が電波に乗っかったのもそうだけど、ちょっと顔を横に向けてみればスタジオのドアの窓からのぞき込んでるルティとフィルミアさんの姿があって、
「…………」
いつもは来るはずのない中瀬まで、窓からこっちをじーっと見てるんだもんさ。って、あいつ口に手をあてて肩を揺らしやがった!
「来週が試験前の録音回でホントによかった……他校から絶対来るだろ、コレ」
「昨日の収録でコレを外して喜んでたのがフラグでしたね」
「言うな」
昨日の夕方に収録した来週分で『カードで引いた食材をミキサーで混ぜて飲もう』って指令を当てて、プリンとヨーグルトと牛乳とイチゴっていう奇跡の引きで喜んでたらこのザマだよ。笑えよ。ああ、笑えよ中瀬。
『……誰?』
『だ、誰って……どうしてそんなことを言うの?』
『お姉ちゃんなんていないもん。あたしにいるのは、お兄ちゃんだけ。これまでも、これからも、ずっと』
「……やっぱり本職ってすげえよなぁ」
上のスピーカーから聴こえてくるラジオドラマのイントロに、有楽が声優なんだと実感させられる。さっき演じたのは25歳の女教師役で、今耳にしているのは10歳の幼い科学者役。それでいて、目の前にいるのは15歳の女子高生で同一人物だってんだから凄いと言う他にない。
「有楽、昨日言ってたのは持って来たのか?」
「もちろんです。『文芸者でいこう!』ってサイトから、向こうでいくつか朗読用にアレンジできそうなのをプリントアウトしてきました」
「で、それを音読してリリナさんに向こうの言葉で書いてもらうと」
「はいっ。リリナさんもすごく楽しみにしてましたよ」
下に置いてあった旅行バッグからいくつかの紙束を取り出すと、有楽は相変わらずスタジオ入口の窓をのぞき込んでいるルティへひらひらと掲げて見せた。防音で声はわからないけど、ぱあっと顔を輝かせているあたり喜んでいるんだろう。
「神奈ちゃんは準備万端みたいね。松浜くんも大丈夫?」
「はいっ。無電源ラジオの試作品も作れましたし、あとは向こうで色々テストするだけです」
「ならよかった。今回は行けないから、ふたりとも海晴ちゃんのことをお願いね」
「もちろんですっ。みはるんせんぱいといっしょにヴィエルで遊び倒しますよ!」
「中瀬の場合、俺らがいなくてもあっちで生きて行けそうな気もしますけど」
「うーん……それは否定出来ないかな」
俺たち三人で続けて話題にして、みんなで一斉にスタジオ入り口の窓へと視線を向けると、
「?」
どでかいリュックを背負っている中瀬が、こくりと首を横にかしげてみせた。
ルティたちの正体が中瀬にバレた木曜日。中瀬がその場の勢いで『レンディアールに行きたい』って言ったけど、ルティとフィルミアさんを連れて日本に来たばかりのピピナとリリナさんにとんぼ返りをさせられるわけがなく、結局は土曜日のラジオのあとに連れて行くということで納得してもらった。
その結果、こうしてわかばシティFMに来てまで俺たちのことをじーっと見ているってわけだ。ただ、今回は海外にいるご両親が日本に立ち寄るってことで赤坂先輩は不参加。ストッパーがひとり足りないっていうのは、ちょっと心配だったりもする。
「ほー……」
そんな中瀬がため息をつく姿が見られたのは、夜になってのこと。
空を見上げれば澄んだ夜空に星がきらめいていて、ちょっと視線を下げると遥か向こうにオレンジ色の夕暮れが見える。
「これはまた、見事な景色ですね」
「だろう? 我と姉様の、お気に入りの場所なのだ」
感激したような中瀬の言葉に、ルティが大きくうなずく。はじめて俺たちがここに連れてこられたときも、中瀬みたいにずっとこの光景を見ていたっけ。
「下のほうで輝いてるのが、来る前に話していた『陸光星』でしょうか?」
「うむ。昼間に太陽の光を受けた石が、夜にはあのように光るからそう呼ばれている。ほら、このようにな」
「おお……確かに」
柱にかけられたカゴから、ルティが碁石ぐらいの大きさの光る物体を取り出した。こうして夜の闇に包まれかけていることもあって、ぼうっと光る陸光星は鮮やかに、そして少しオレンジ色がかってあたたかく見える。
俺たちがピピナとリリナさんに連れられ飛んで来たのは、ヴィエル市役所にある時計塔の展望台。10階ぐらいの高さから見下ろすヴィエルの夜の街並みも、街の端々に飾られた陸光星でぽうっと浮かび上がっていた。
「では、下へと参りましょうか~」
「夕ごはんですかっ」
「こらこら、がっつくなっての」
「仕方なかろう。ルイコ嬢が今日は忙しく菓子を作れなかったから、我も空腹なのだ」
「あたしもすっかりぺこぺこです!」
「んー……言われてみればそうですね」
はやる中瀬をなだめようとすると、逆にルティと有楽になだめられた。確かに今日は昼飯のあとに何も食べてないし、俺もちょいとだけ腹が空いている自覚はある。
「本日はもうこの時間だから、我が街自慢の屋台街へと招待しよう。リリナも、その姿では満足な料理は出来まい」
「お心遣い、感謝いたします」
「なんと、りぃさんはそのような姿になれるのですか」
「ピピナもいっしょですよー」
「ぴぃちゃんまでっ」
これだけの大人数を一気に連れてきたってこともあってか、リリナさんもピピナも妖精さんサイズでフィルミアさんとルティの肩にのっかっていた。
「あの……もしよろしければ、わたしの手の上にのってはいただけないでしょうか」
「もちろんです。このような感じでよろしいのでしょうか?」
「んしょっと。あははっ、ここからみるみはるんもかわいいですねー」
「……おお」
差し出された両手に、ぱたぱたと飛んで来たリリナさんとピピナがちょこんと座って中瀬を見上げる。ピピナはいつもの笑顔で、リリナさんも初めてこのサイズで会ったときとは違っておだやかな笑みを浮かべていた。
「素晴らしい。実に素晴らしい。VRでもこんなことは味わえないでしょう」
「私たちは、仮想ではない現実に生きていますから」
「このぬくもりは、現実以外のなにものでもありませんっ」
相変わらず無表情ではあるけど、興奮気味に喜びをあらわす中瀬。くすりと笑うリリナさんだけど、言葉からして最近有楽や中瀬に毒されてきているのは気のせい……じゃ、ないよな?
「ではでは、そろそろ行きますよ~」
「はーいっ」
そんなこんなでわいわいと話しながら、みんなで時計塔の階段を降りていく。階段や廊下の窓際にはかごに入れられた陸光星があって、そのおかげで石造りの冷たさや重苦しさは感じなかった。
中庭に出てもそれは同じで、ルティの部屋や応接間からは少しオレンジ色がかった明かりが中庭へと淡く降り注いでいる。市役所へ通じる扉にも陸光星が埋め込まれているあたり、この世界の人たちは明かりの源になる石をめいっぱい活用しているらしい。
市役所から一歩出ればそこかしこで陸光星が輝いていることからもそれはうかがえて、間隔をおいた柱のかごから街の人が行き交う地面を照らしていた。
「もう夜なのに、人通りが多いんですね」
「今日は『六の曜日』だからな。ニホンで言う土曜日と同じで、休日となる『零の曜日』の前の日だからいろんな店へ繰り出す者が多いのだ」
「となると、屋台街も混んでいるのでしょうか」
「まあ、そのあたりは行ってみればわかるだろう」
「というか、国の王女様が屋台街に行ったりするんですね」
「無論、我らとてヴィエルの民だからな。その民が、ヴィエルの店で飲み食いしてもおかしくはなかろう?」
当然だとばかりに胸を張るルティだけど、中瀬はさらに首をかしげてみせた。
「それはそうですが、もっとこう、専属の料理人とかいるのかと」
「専属の者などおらぬ。普段は我ら4人で料理をしているし、こうして外食をすることも多いのだ」
「お父様とお母様も~、普段はふたりで料理をしているんですよ~」
「みぃさんの御両親……ということは、王様と王妃様がですか」
「そうです~。だから、わたしたちも料理が出来るようにとよく鍛えられまして~」
「ますます変わっている国ですね」
「『国で得た実りは、実りを得た者が調理する』というのが始祖様からずっと続く伝統だからな。……とは言っても、我はまだ発展途上だが」
「私も同じです。実際に料理をしようとするのですが、よく親や兄から止められて」
「合宿のときにケガしてたもんな、中瀬は」
去年夏の放送部の合宿で料理当番を任されたときにおろし器で手を擦ったり、皮むき用のピーラーで手の皮をむきかけたりと、なかなか危なかっしいところを見せてたっけ。
「そういう松浜くんはどうなんですか。神奈っちも白状してください」
「俺は、家の喫茶店でよく料理とか手伝ってるし」
「あたしも、お父さんとお母さんの帰りが遅いときは妹たちと料理してますよ」
「ふたりとも環境に恵まれすぎですっ」
無表情でにらまれても、そういう家庭環境なんだから仕方ないってのに。
「こうなったら、今日はとことん食べて研究しつくしてやりましょう」
「別名、ヤケ食いとも言う」
「別名で言わないでくださいっ」
「あははっ、みはるんも我と同じ食い意地のとりこか。姉様、今日は我らがすすめる店の料理をとことん堪能していただきましょう」
「ですね~。ニホンの料理も確かにおいしいですけど、レンディアールの料理もと~ってもおいしいですから~」
「それは楽しみです」
言葉少なに返事しながらも、深くうなずいてるあたり相当楽しみらしい中瀬だった。
それからしばらく話しながら歩いていると、大通りの飲食店街寄りに並べられた木のイスやテーブルが見えてきて、
「ここが、屋台街ですよ~」
「これはこれは……なかなかの規模ですね」
目の前に広がる屋台街を見た中瀬が、ため息まじりの声を絞り出した。
ただでさえ数十メートルはありそうな道幅の大通りを半分イスやテーブルで埋め尽くして、その多くにお客さんたちがたくさん座っているんだから、その気持ちはよくわかる。
家族で来て子供のためにステーキみたいな肉のカタマリを楽しそうに切り分けている人がいたり、職人さんらしいいかついおじさんの集団が小さな樽みたいなコップで酒をかっくらっていたり。そのほとんどが笑顔で食べたりおしゃべりしていて、あとの人たちも時々楽器をかき鳴らしている人の歌声に聴き入ったりと、みんなとても楽しそうだった。
「おっ、エルティシア様じゃないですか!」
「フィルミア王女も食べに来たんですか?」
「ああ、友人たちともな。……ん? なんだ、この美味そうな肉の焼き物は」
「大鶏亭の新作らしいですよ。鶏に香辛料を練った汁をかけて焼いたものだそうで」
「それは美味そうだな! 姉様、この焼き物は必ず買いましょう!」
「そうしましょう~。ありがとうございます、ボルイデさん~」
「おおっ、俺のことを知っていらっしゃる! こいつぁ光栄だ!」
「タムルーテ弾きの名手さんですから~。今度の演奏会、楽しみにしていますね~」
「はー……本当に、街の人たちとなじんでいるんですね」
「俺も最初は見てびっくりしたよ。本当にご近所さんって感じで」
街の人たちがなんてこともないようにふたりへ話しかけるのを見て、中瀬が驚きの声を上げる。ふたりとも世間話のように参加するんだから、この光景を見て王女様と国民とか言われてもピンとは来ないだろう。
「せんぱい、広い席を発見しましたっ!」
「ナイスだ有楽。フィルミアさん、このあいだみたいにいろんなのを買って持ち寄るって形式でいいですかね?」
「そのほうがいいでしょうね~。ピピナちゃん、リリナちゃん。みはるんさんの案内をお願いできますか~?」
「もちろんですっ!」
「無論です。みはるん様、銀貨や銅貨の計算は、私におまかせを」
「はい、おまかせしちゃいます」
手のひらの上でうやうやしく頭を下げるリリナさんに、中瀬も礼儀正しく頭を下げて応える。基本的にはこういう風に礼儀正しいヤツではあるんだけど、俺や空也先輩に対してはぞんざいな扱いなのはホントなぜなんだろう。
「じゃあ、一旦ここで解散ってことで。帰ったらみんなで食べるから、中瀬も有楽も待ってるように」
「そんな殺生な!」
「おあずけは拷問です!」
「お前ら数分ぐらい待てやっ!」
中瀬と有楽の文句にツッコミを入れると、まわりの人たちからわははと笑い声が上がる。有楽はふざけて言ってるんだろうけど、中瀬はわりとマジなトーンで言ってるものだからタチが悪い。早く買い物を済ませたほうが身のためだろうな。
そのまま別れて席から屋台街のほうへ向かうと、背後に連なっている店の明かりや中からの笑い声もあってにぎやかさが増していった。ほとんどの屋台はこういった店が外へ向けて食べ物を売っているもので、店で食べたいときは店、外で食べたかったり満席だった時は店の外でっていうスタイルがここでは一般的らしい。
「ちわーっす」
「おっ、サスケじゃんか。いらっしゃい!」
両手で持てるほど大きいスプーンで鍋をかきまぜている男の人に声をかけると、男の人は顔を上げて元気に笑ってみせた。
「今日は王女様がいっしょじゃないんだな」
「分かれて買い出しに行ってるんだよ。レナト、川エビだんごのレモンスープを7人前、バケツで」
「あいよ、まいどありっ」
注文すると、男の人――レナトはうれしそうにうなずいて屋台の屋根に下げてある木製のバケツを手に取った。陸光星の明かりで照らされた髪の毛は茶色く、目はスープをあたためる薪の火みたいに紅く燃えていた。
俺が向かったのは、スープを売っている「流味亭」の屋台。初めてレンディアールへ来た日にルティのすすめで飲んでみたら、名前のゲテモノ感とは真逆に鶏ベースのスープがしっかりしていて、レモンをしぼれば川エビのだんごや野菜もさわやかに食べられてすっかりハマったってわけだ。
「レナトさん、新しいスープを持って来ました」
「ありがとう、ユウラ」
レナトがレモンをくし切りにしているのを眺めていると、後ろにあるお店のドアから大きなバケツを持った女の子が出てきた。
「こんばんは、ユウラさん」
「こんばんはっ、サスケさん」
出てきた女の子――ユウラさんにあいさつをすると、笑顔であいさつが返ってきた。
短く赤い髪を包む同じ色の三角巾も、店のロゴらしい刺繍があしらわれた緑のエプロンといっしょによく似合う。そして、レナトさんより少し小さい背格好も……よーく、似合っている。
「旦那さんのお手伝いですか。お疲れさまです」
「お疲れさまだなんて、そんな。妻として当然のことをしているまでです」
「実際、ユウラはよくやってくれてるよ。僕がここにいても任せられるぐらいにね」
「もうっ、レナトさんったら……」
「はいはい、お熱いことでお熱いことで」
「はっ!? ご、ごめんなさいっ!」
「僕たちが16歳の夫婦だからって、サスケはどうして突っかかるかな」
「同じ16歳で、ラブラブな新婚を見せつけられる身にもなってみろ」
いちゃつき始めたところでチャチャを入れると、顔を真っ赤にしたユウラさんと拗ねてるレナトっていう感じで反応が分かれた。同い年で意気投合してみたら同い年の奥さんがいるとか、衝撃にも程があったっての。
「そうそう。サスケさん、このあいだエルティシア様と持って来た〈らじお〉って、今も作り続けてるんですか?」
「作ってますよ。ここ最近は、多くの人たちが聴けるようにみんなで研究している最中です」
「多くの人たちっていうことは、わたしたちにも聴けるかもしれないってことですよね。このあいだ聴かせてもらった音楽とかとっても不思議で、レナトさんとまた聴きたいねって言ってたんです」
「あんなに小さな箱なのに、不思議だよね」
「楽しみにしてもらえて光栄です。研究が進んだら、またルティたちと声をかけさせてもらうんで」
「はいっ。ふたりで待ってますから」
俺の答えに、ユウラさんがにっこりと笑う。アヴィエラさんが強化してくれた送信キットの聴取範囲を確認していた最中、流味亭で遅い昼飯を食べていたら不思議そうに食いついてきたのがユウラさんで、料理を終えたレナトさんといっしょにポケットラジオをのぞき込んできたのが印象的だった。
今度、無電源ラジオを持って来て受信テストをさせてもらおうかな。
「ごちそうさん、おいしかったよ」
「あっ、ありがとうございます!」
と、店の入口から人影がのそっと現れてユウラさんとあいさつをかわした……って、
「アヴィエラさん?」
「ん? おおっ、サスケじゃないか。こっちに来てたのかい?」
白いドレスに褐色肌のアヴィエラさんが、いつもの堂々とした微笑みを浮かべてそこににいた。
「はい。アヴィエラさんも夕飯ですか?」
「会館を抜け出して、ね。今はハシゴの最中さ」
「ハシゴですか」
「でも、サスケがいるってことはエルティシア様たちもいるんだろ」
「もちろんです。よかったら、いっしょに来ますか?」
「へへっ、話がわかる! ああ、大将。サスケの注文、もう一人前加えといてくれる?」
「いいんですか? さっきも同じのを注文されたのに」
「いいんだよ。ここのスープは美味いんだから、いくらだって飲めるさ」
「ありがとうございます。じゃあ、全部で8人前ということで」
「んじゃ、銅貨24枚ね」
「えっ、あの、アヴィエラさん?」
俺が止める間もなく、アヴィエラさんはドレスのポケットから財布を出してささっとユウラさんに銅貨を渡していた。
「いいんだよ。このあいだのお礼だ」
「俺だって世話になったってのに……すいません、ありがとうございます」
きっとアヴィエラさんは日本でのことを言ってるんだろうけど、俺だってこっちで送信キットの件とかで世話になったのに。でも、白い歯を見せてにかっと笑うアヴィエラさんを目の当たりにするとそれ以上は何も言えなかった。
「ほいさっ、スープ8人前上がったよ。飲み終わったら、バケツと器はここに返してくれな」
「りょーかい。じっくりいただくよ」
ちょっと大きめのバケツにフタをしたレナトが、その上にレモンがのった皿とスープ用のお椀を8つのせる。バケツ横の金具はお玉が引っかけられるように細工されていて、持ち歩きやすいように考えられているらしい。
「ありがとうございましたっ!」
「ありがとさんでしたー!」
「また来るよー」
元気いっぱいなユウラさんと、ちょっとぶっきらぼうらレナトのあいさつを背に受けて、俺とアヴィエラさんはいっしょに屋台をあとにした。
「……やっぱり、姉御なのになぁ」
「姉御言うな。アタシゃ普通の女だっての」
「普通……普通ってなんでしょうねぇ」
「普通でいたいって思っててもいいだろっ!」
「魔術が使えて美人なのに?」
「魔術はうちの国じゃ当たり前だ。美貌はただの血筋で、意味はないさ」
「そこで『ただの』って言い切れるあたりもすごいですよね」
さっきの気前のよさといい、美人って言ってもすぐ話題を切るところといい、やっぱりアヴィエラさんは姉御肌タイプだと思う。それでも、本人としては普通でありたいってことなんだろうな。
黒髪と褐色の肌に、地球のように蒼い瞳。陸光星に照らされたその姿は、やっぱり美人っていう言葉がぴったりあてはまって……って、ん?
「アヴィエラさん、その胸元のブローチってどうしたんです?」
「ああ、これか」
前にはなかったはずの紅いブローチを、アヴィエラさんがひょいっと持ち上げる。
「先代からの会長就任2周年祝いだって、じいに渡されたんだ。イロウナの代表なんだから、外に出るときゃこれをつけろってうるさくってさ」
「へえ。でも、よく似合ってるじゃないですか」
「アタシはまっさらのままがいいって……面倒くさいし、ごちゃごちゃしたのは性に合わないよ」
まったくもう、って感じでアヴィエラさんがため息をつく。イグレールさんはカタい人だから、きっとガミガミ言われたんだろうな。
「せんぱい、こっちですよ、こっち!」
「おっ、やばいやばい」
アヴィエラさんとおしゃべりしていたら、有楽の声で引き止められた。どうも通り過ぎそうになっていたみたいで、振り向くと有楽は立ち上がって大きく手を振っていた。
「ヴィラ姉もいっしょだったんだね。こんばんはっ!」
「こんばんは。相変わらずカナは元気だね」
「これがあたしの取り柄だからねー」
えへへーと笑いながら有楽が端の席へと移動して、空いたところにアヴィエラさんが座る。ちょうど、端にいる俺のはす向かいってところだ。
「有楽はコモモのサラダにしたのか」
「はいっ。このあいだ食べたらおいしかったから、これがいいかなって」
「いいチョイスだ」
有楽がトングで皿に取り分けていたのは、その名の通りミニサイズの桃を使ったコモモのサラダ。グリーンリーフやきゅうりのような野菜と、酢を使ったシンプルなドレッシングを混ぜ合わせたサラダで甘みも酸味も楽しめる独特のサラダだ。
「おお、アヴィエラ嬢ではないですか」
「こんばんは、アヴィエラさん~」
3人で雑談をしていたら、両手に大皿を持ったルティとフィルミアさんが席へと戻ってきた。こんがりと焼けた鶏肉からスパイスと鶏の美味そうな香りが漂ってきて、胃袋がぐっと鳴りそうになる。
「こんばんは、エルティシア様とフィルミア様。店先でサスケと会ったんだけど、いっしょにいいかな?」
「もちろん構いませんが、食事のほうは?」
「いいのいいの。ハシゴの締めでたまたまサスケに会っただけだから、アタシにはこのスープがあれば十分。ちゃんとアタシの分は買ってあるよ」
にんまりと笑いながら、アヴィエラさんがぽんぽんとスープ入りの木製バケツを叩く。一瞬俺へ目配せしたあたり、アヴィエラさんのおごりだってことは言わなでおこう。
「わかりました。ただ、皆で取り分けやすいものを選びましたので、もしよろしければアヴィエラ嬢も」
「こっちもオマケで大盛りにしてもらったから、ヴィラ姉もいっしょに食べよ!」
「ありがと。んじゃ、スープのつまみにちょいちょいもらうか」
ルティと有楽の勢いにおされたのか、アヴィエラさんはちょっと困ったように笑ってみせた。ふたりからスプーンとフォークに取り皿まで差し出されたら、そりゃあ断るわけにはいかないよな。
「わわっ、アヴィエラおねーさんです!」
「こんばんは、アヴィエラ嬢」
続いて戻ってきたのは、ふたりしてパンの入ったかごを持って飛んでいるピピナとリリナさん。そのままぱたぱたと飛んでくると、フランスパンのように長く焼かれたパンから香ばしい匂いが漂ってきた。
「妖精さんたちもこんばんは。ちょっとお邪魔してるよ」
「おねーさんならだいかんげーですよ!」
「ええ。おまけで少々多めにしていただけたので、アヴィエラ嬢もぜひ」
「ピピナちゃんとリリナちゃんもか。って、後ろにいる子は誰だい?」
「…………」
笑顔のピピナとリリナさんの後ろにいる中瀬に気付いたらしく、きょとんとしたアヴィエラさんが声をかける。その中瀬も、じーっと無表情でアヴィエラさんを見つめ返していた。
「俺と同級生で、中瀬海晴って子です。中瀬、この人はこっちでお世話になってるアヴィエラ・ミルヴェーダさん。イロウナって国の出身で、商業会館の会長をしてるんだ」
「初めまして。ミハル、でいいのかな?」
「はい、それで結構です」
「えっ」
『みはるん』じゃないのか?
俺と同じことを思ったのか、有楽もルティもその言葉で呆気にとられていた。
「松浜くんや神奈っちと同じ放送部で、音をいじったりしている中瀬海晴です。よろしくお願いいたします」
「よろしく。アタシはサスケの紹介通り、イロウナって国の商業会館にいるアヴィエラだ。よろしくな」
「はいっ。あの、アヴィエラお姉さんと呼んでもいいでしょうか?」
しかも、笑顔を浮かべやがった!?
「ああ、いいよ。カナからも『ヴィラ姉』って呼ばれてるし構わないさ」
「では、そう呼ばせていただきますね」
自然に装ってアヴィエラさんの隣に座ったあたり……こいつ、アヴィエラさんに早速懐いたのか? しかも、持って来た魚らしい揚げ物のあんかけを早速アヴィエラさんへ取り分けてるし。
「ではでは~、みなさんがそろったところでそろそろお食事にしましょう~」
「は、はいっ。みはるん、こちらにも日本と同じように食前のあいさつがあるから、姉様に続いて言ってはもらえないだろうか」
「もちろん。郷に入ったので、郷に従います」
「ありがとう。では姉様、お願いします」
「はい~」
ルティに話を振られて、のんびりと返事をするフィルミアさん。そのにこにことした笑顔のまま両手を胸の前で握って、そっと目を閉じると、
「日々の実りに感謝を。そして、これからの実りへ祈りを」
静かな声で、ゆっくりとつぶやいて、
「『日々の実りに感謝を。そして、これからの実りへ祈りを』」
俺たちも、後を追うようにその言葉をいっしょにつぶやいた。
「なるほど。〈豊穣の国〉にふさわしい、素晴らしいあいさつです」
「日本の『いただきます』もよいが、我はこのあいさつも好きだ。それでは、そろそろ食べるとしよう」
「はーいっ」
フィルミアさんのあいさつとルティの振りで、みんなが有楽の用意したスプーンやフォークを手にして思い思いの料理を口にしていく。
俺が最初に口にしたのは、ルティとフィルミアさんが買ってきたこんがり焼いた鶏肉に香辛料のペーストをのっけたもの。ひとくち食べれば、最初は甘みとコクのあるようなカレーみたいな味が広がって、粒々した種のようなものをプチッとかじると……おおっ、粒マスタードみたいに辛い。辛いけど、ペースト自体の甘さも混じって鶏肉とよく合うわ。
「これ、パンにのっけてもよさそうだな」
「それは名案だ。我もやってみるとしよう」
俺に続いて、右隣の席に座っているルティがパンのかごに手を伸ばす。フランスパンのように長いパンではあるけど手ですぐにちぎれるほどふかふかで、鶏肉をのっけて食べてみるとパンの香ばしさと合わさってとても美味い。
「このお魚のあんかけもおいしいですねー」
「アヴィエラお姉さん、なにか食べたいものはありますか?」
「大丈夫だって。ミハルは、ミハルの好きなものを食べな」
「わかりましたっ」
向かいの女の子3人組も、それぞれ思い思いにいろんなものを食べている。中瀬がちょいと怪しい動きを見せてるけど、まあ害はなさそうだし放っておこう。
「リリナちゃん、コモモ食べますか~?」
「いただきます。って、そんな、切り分けなくていただかなくても」
「いつも、リリナちゃんには切り分けて出してもらってますからね~。今日は、わたしの番ですよ~?」
「フィルミア様ったら……わかりました。ありがたくいただきます」
ルティの隣に座っているフィルミアさんは、テーブルの上でちょこんと座るリリナさんへコモモのサラダを取り分けてあげていた。相変わらず仲の良い主従だ。
「…………」
そんな中で、リリナさんと同じようにテーブルへちょこんと座っていたピピナはじーっとアヴィエラさんのほうを見ていた。いつもだったら、おいしそうなものがあるとすぐがっつくってのに。
「ほら、ピピナ。これ食べるか?」
「えっ? あっ、はい。いただくですよ」
俺の言葉にはっとして、慌てたように笑顔を浮かべるピピナ。俺がフォークに刺した鶏肉を差し出すと、そのままかぶりついてもぐもぐとしっかり噛みだした。
「っ!?」
その直後、ぷちっていう音がピピナのほうから聴こえてきた。
「かっ、からひれふっ、からひれふー!」
そのまま、じたばたともがき始めるピピナ。しまった、あの粒は辛すぎたか!
「ほらっ、これ飲みな」
「はっ、はひっ」
それを見たはす向かいのアヴィエラさんが、すかさず小皿にそそいだスープをピピナへ差し出す。
「ふー……たすかったですー」
それを盃のようにあおったピピナは、ちょっとほっとしたように大きく息をついた。
「その粒はピリッと来るから、ピピナちゃんにはちょっと避けておいたほうがいいかもな」
「ごめん、ピピナ。俺でも辛かったってのに」
「からいのがにがてって、ピピナがいってなかったからしかたないですよ。アヴィエラおねーさん、ありがとーです」
「いいのいいの。このあいだニホン行きのお返しだって思って」
「じゃあ、そーゆーことにしておきます」
「ピピナ、少々甘いもので口を整えてはどうだ?」
「わわっ、こももですー!」
にこっと笑うピピナへ、ルティがコモモを切り分けた皿を差し出す。さっそく両手でとって食べてるあたり、よっぽど辛かったんだろうな。
「ミハルは、ニホンじゃどんなことをしてるんだい?」
「わたしは、ラジオドラマ……あの、『音声劇』でわかりますか?」
「ああ、ルイコに聴かせてもらったからわかるよ」
「その音声劇に加えるいろんな音を、考えたり選んだりする役目です」
「音って、後で付け加えるんだっけ。そっか、そういう役目もあるんだな」
自然に話題を切り替えて、アヴィエラさんが何気なく中瀬へ話を振る。さっきからちらっちらっと見ていたのに気付いたわけじゃないだろうけど、さっきのピピナのことといい、やっぱりよく目が行き届いてるよな。
「あれっ。ピピナちゃん、ぼーっとしてどうしたの?」
「えっ? な、なんでもないですよ?」
首をかしげた有楽へ、ピピナがぶんぶんと首を横に振ってまたコモモをかじりだした。
それからも、時々ぼーっとしては俺やルティに声をかけられていたけど……こいつ、いったいどうしたんだ?
* * *
「ふぃー……食った食った」
ベッドに腰掛けて、ぱんぱんになった腹をさする。
屋台街での夕飯を食べ終わった俺たちは、時計塔の自室へと戻ってそれぞれの時間を過ごしていた。
買った食べ物は店の人たちがずいぶんおまけしてくれたらしく、結局はアヴィエラさんがいてもちょっと多いぐらいの量だった。さすがに残すのもどうかと思って、取り残された食べ物はできるかぎり俺が食べておいたわけだけど、
「ねみーなー……」
昼間のラジオの疲れもあってか、満腹感と眠気がまぶたを下へ、下へとぎゅうぎゅうに押し込んでくる。
日本時間に換算すれば、まだ夜の9時前。さすがに今から寝たら夜明け前に目が覚めそうだし、深夜ラジオリスナーとしてはもうちょっと起きておきたい。早寝でもしたら、寝落ち率も高まるし。
「とりあえず、明日の用意でもしておきますかね」
眠気払いにぐーっと伸びをしてから、床に置いたバッグをベッドの上へと引き上げる。中に入っているのは、このあいだ父さんに教えてもらいながら作った無電源ラジオといつものポケットラジオに、着替えと勉強道具だ。
今回の目的は、無電源ラジオの使用テストに送信キットの放送試験。あとは、ルティとフィルミアさんが中瀬に街を案内するらしい。こっちへ72時間滞在している間に日本じゃ12時間しか経たないように力を使ったってリリナさんが言ってたから、空いてる時間は試験勉強に活用させてもらおうと考えていた。
でも……今日は、さすがにもう無理だ。たぶん、教科書をちょっと読んだだけで眠気にKOされる。とりあえず、ルティから送信キットを借りてきて無電源ラジオの調整でも――
「サスケ、いるか?」
と、ベッドから立ち上がろうとしたところで、ドアをノックする音とルティの声が聞こえてきた。
「ああ、いるぞ」
「少々話があるのだが、いいだろうか」
「おう」
立ち上がってドアを開けると、パジャマのような薄いオレンジ色の寝間着を着たルティと、その肩にちょこんと座るピピナの姿があった。
「ひとここちついてるところに来てしまって、もうしわけない。部屋へ入ってもいいか?」
「別にいいけど、どうしたよ」
「うむ。ピピナが、少なからず気になることを言っていてな」
ドアを大きく開けて部屋へ招き入れると、ベッドの横にある机に備え付けられた木の椅子を引いてルティへ座るようにすすめる。ルティが椅子へ、そしてピピナが机へ座ったのを見計らった俺は、ドアを閉めてベッドへ腰掛けた。
「気になること?」
「……あの、ですね」
当のピピナは言いよどんで、屋台街のときよりも浮かない顔を俺に向けている。それを振り払うように首を横に振ると、意を決したのかはっきりと口を開いた。
「きょうアヴィエラおねーさんにあったとき、なんかようすがおかしいところとかなかったですか?」
「様子がおかしかったところ? そんなの全然なかったし、どっちかっていうとピピナの様子がおかしいのが気になってたんだけど」
流味亭の前で会ったときからアヴィエラさんはいつもみたいに気さくだったし、いっしょに食べているときだってみんなと楽しそうに話していた。全く、おかしいところなんてなかったはずだ。
「そーですか……」
「ピピナには、気になることがあったのか?」
「はいです」
こくんとうなずいてからも、相変わらずピピナは浮かない顔。この表情、はじめてヴィエルへ連れてこられてきたとき以来じゃないか?
「さすけは、ピピナがそらをとぶこえをきくことができるってしってるですよね?」
「ああ、初めて会った頃にそう言ってたよな」
「そのこえが、アヴィエラおねーさんがつけてたあかいほーせきへ、ぜーんぶすいこまれてたですよ」
「えっ?」
「ピピナのこえも、リリナねーさまのこえも、さすけとかなのこえも、ルティさまとミアさまのこえも、みはるんのこえも。それに……」
いつになく、真剣で思い詰めたピピナの言葉には重みがあって、
「アヴィエラおねーさんのこえも、みんな、みーんな、すいこまれてたです」
「あのブローチへ、全部?」
「はい。もしかしたらなんですけど、ピピナたちのかいわがあのいしにためこまれてたのかもしれません」
心配そうなまなざしからは、それが本当なんだってことはよくわかるんだけど、
「でも、俺たちの会話なんて保存してどうするんだよ」
「我もそれは気になったのだが……」
「アヴィエラおねーさんのようすもおかしくなったですし……わからないんですよねー」
どうしてもその理由がわからなくて、俺たちは揃って首を傾げることになった。
自分では「よく演じられてる!」と思っても、実際に録音したのを聴いてみると痙攣したくなるほど棒読みだったりする。演劇部に入って演技に挫折した、自分の経験です。
やっぱり、プロの方というのは凄い。




