第21話 異世界少女たちの音楽事始め
『次は、銀座、銀座。五越、竹屋前です。乗り換えのご案内です。銀座線、丸ノ内線はお乗り換えください。The next station is Ginza. Please transfer here for the Ginza Line, and the Marunouchi Line.』
「サスケ、〈ギンザ〉ということは次で下車すればいいのだな?」
「おう、もうすぐだぞ」
地下鉄の車内放送に耳を澄ませていたルティが、目をぱちっと開いて俺にたずねてくる。
「有楽、ピピナ、そろそろ下りるぞ」
「はーいっ」
「わかったですよー」
目の前で座席に座っていたふたりに声をかけると、外を見るために脱いでいたピピナの靴を有楽がはかせてあげてから、そろって席を立った。
「アヴィエラ嬢、ともに参りましょう」
「ありがと、エルティシア様。サスケ、ちゃんと見てないとふたりで迷子になるからな」
「やめてくださいよ!」
手を握ったアヴィエラさんとルティが、そろってニヤリと笑ってみせる。日曜日の繁華街で迷子になられたりしたら、ケータイも持ってないんだし苦労するでしょうが。
そんなやりとりをしているうちに、車両が少し揺れてだんだんスピードが落ちていく。
『出口は、右側です』
車内放送が流れるのとほぼ同時に、真っ暗だった外の景色に光が射す。すべり込んだ銀座駅のホームには人がたくさんいて、向かいに止まっていた反対方向への電車へ次々と乗り込んでいた。
『銀座、銀座。中目黒行きです』
開いたドアから外へ出ると、続いて人が流されるように下りていく。ホームの半ばで振り返って待っているうちに、手を繋いだルティとアヴィエラさん、そして有楽とピピナがそれぞれ手を繋いで俺のところへやってきた。
『5番線は、発車いたします。閉まるドアにご注意下さい。駆け込み乗車はおやめ下さい』
「乗っているときから思っていたのだが、ずいぶんていねいに案内するのだな」
「東京の地下鉄はたくさん路線や行き先があるから、乗り間違ったりしないように案内してるのかもな。時間通りに走らないといけないし」
「なるほど。他の国の言葉でも案内しているあたり、なかなか行き届いているものだ」
「アタシはもうちょっと静かなほうがいいよ。ほら、〈デンシャ〉で女の人が案内してた声ぐらいにさ」
「『本日も、日比谷線をご利用いただきましてありがとうございます』って感じに?」
「おおっ、そうそう。さすがはカナ。声で仕事をしてるだけあるな」
「えへへー」
アヴィエラさんのほめ言葉に、有楽が照れ笑いを浮かべる。確かに本職っぽくきこえるあたり、なかなかのものだ。
「んじゃ、そろそろ上に行くぞー。有楽、後ろから見ててくれな」
「りょーかいしましたっ」
有楽の返事を確認してから、先導するようにエスカレーターに乗り込む。俺の後ろにピピナがいて、続いてルティ、アヴィエラさん、有楽って順番だ。
若葉駅で初めてエスカレーターに乗ったときには慌てていた異世界組も、今はもう慣れたみたいでちゃんと立ち止まって上へあがるのを待っている。自動改札機へ向かったあとも、ちゃんと投入口に切符を入れて改札機を通過していた。
「さすけ、このあとはどーやっていくんです?」
「んーと、A2出口だって言ってたけど……ああ、あったあった。あの階段を上るんだ」
「またかいだんですか。ちょっとめんどーですね」
「地下に潜ったり地上に昇ったりだからな」
ピピナとふたりで苦笑し合いながら「A2」と書かれた案内板わきの階段を上がって行く。
そんなに長くない階段を上ると、さっきまでいた秋葉原と同じでこっちも快晴。車道を大勢の人が歩いてるってことは、こっちは歩行者天国でもやってるのかな?
「うわー……」
「これは……」
上がって少し歩いたところで、アヴィエラさんとルティのため息交じりの声が上がった。
「すごいですねー!」
そして、隣にいたピピナが感激したように声を上げる。ふたりと同じように見上げながらってことは、
「すごいって、高い建物がか?」
「そーですよっ! レンディアールじゃ、こーんなにたかーいたてものはおしろととけいとーぐらいですっ」
俺の問いかけに、両手を広げたピピナが飛び跳ねながらかわいらしく驚いてみせた。確かに、前を向いても後ろを向いても道の両脇には高いビルだらけ。見ようによっては今にも迫ってくるような迫力があった。
「でも、さっきの秋葉原も同じようなものだったろ」
「いやいや、全然違うよ。地面の下から上がって最初にこれを見せられたら、とんでもない迫力だって!」
「左様。アヴィエラ嬢が仰る通り、こうしていきなり見せられると……ん? なぜ〈クルマ〉用の道を人が歩いているのだ?」
「ああ、今日は歩行者天国なんだ」
「ほら、あの看板に12時から18時までって書いてあるでしょ。休日のこの時間は特に混雑するから、安心して歩けるように車道――えっと、車用の道も使って人が歩けるようになってるんだ」
「なるほど、歩行者用の道での混雑を緩和するためか」
「〈クルマ〉なんてないアタシたちの世界には、なかなか縁のない話だね」
「でもでも、ひろいみちであるくのはたのしそーですっ!」
俺と有楽の説明に、異世界組のみんながそれぞれの反応を見せる。って、こらこら。
「わわっ、なんでえりをつかむですかっ!?」
俺の前を横切っていこうとする妖精さん(子供サイズ)の襟をつかんだら、じたばたされたあげくに文句まで言われた。
「これからまだ用事があるってのに、遊んでどうする」
「用事が終わったら、またこっちに来ようね」
「うー、わかったですよ」
不満そうなピピナではあったけど、有楽がなだめたらあっさりと引き下がってくれた。
秋葉原で買い物を済ませた俺たちは、また地下鉄に乗って同じ路線にある銀座へ来ていた。とはいっても、俺たち自身に用事があるわけじゃなく、ここで用事をこなしてる人がいるってことなんだけど。
「っと、ここだな」
その人たちがいるのは、駅の出口から道なりに歩いてすぐのビルの中。
「でかっ!?」
「こ、これが楽器を扱う店だというのか!?」
目の前の入口はガラス張り。見上げた外壁もタイル状に並べられたガラスだけど、こっちは淡かったり濃かったりといろんな色合いの金色に彩られている。高さはさっきまでいたラジオマーケットの倍以上で、そのてっぺんには「KAWANA」――日本の有名楽器メーカー「カワナ音楽館」のロゴが堂々と掲げられていた。
「きんきらきんですねー!」
「いやー、俺も初めて見たけど……すげえな、こりゃ」
「このあいだは見る余裕がありませんでしたけど、こうしてみるときれいですねー」
「ん? このあいだって、こっちに来たことがあるのか?」
「ほら、このあいだ言ってたオーディションのスタジオがこの近くだったんです」
「あ」
「って、そこで固まらないでくださいよ! まだ合格か不合格かって決まったわけじゃないんですから!」
言葉に詰まった俺へ、有楽が抗議の声を上げる。
ちょうど1週間前にアニメのオーディションを受けた有楽に、まだ当落の連絡は来ていない。あまり触れるものじゃないから話題には出さなかったんだけど、今のところは申告通りに受け止めておいたほうがよさそうだ。
「あー……ごめんな。んじゃ、今のはノーカンで」
「それでいいんです、それで。それじゃあみんな、行こっか」
「うむ」
「あいよっ」
「はいですっ」
元気な有楽の呼びかけで、みんなが店へと入っていく。楽しんでる邪魔をするのも悪いし、俺もいつも通りでいることにしよう。
店の中に入ると吹き抜けのイベントスペースみたいになっていて、その真ん中にはグランドピアノが置かれている。看板にはピアノリサイタルの案内が出ていて、14時から次の回が始まるらしい。
だけど、俺たちの目的はこっちじゃない。スペース右手側にあるエレベーターはもうピピナが上へのボタンを押していて、すぐにドアが開いて俺たちを迎え入れてくれた。
「先輩、4階でしたよね」
「ああ。アヴィエラさん、押してみます?」
「いいのか? んじゃ、押させてもらうよ」
他に乗った人が別の階を押していく中で、まだ押されていなかった「4」のボタンがアヴィエラさんに押されて点灯する。それからすぐに扉が閉まって、少し浮き上がるような感覚が俺たちを襲う。
「まだまだ慣れないね、この上へあがってく感覚ってのは」
「そのうち慣れるでしょう。我も、今は楽しみにしている感覚です」
苦笑いを浮かべるアヴィエラさんと、言葉通りに楽しそうなルティ。このあたりは、来日経験の差らしい。
2階、3階と止まって人が降りたり乗ったりして、少し時間をかけながらようやく4階へ。エレベーターの扉が開いて、俺たちを迎えてくれたのは、
「凄っ!?」
「またきんきらきんですよっ!?」
天井にまで届くショーケースに整然と並べられた、数十本ものトランペットやホルンだった。
「日本の楽器というのは、飾るようにして売られているのか……」
「見栄えもいいし、購入意欲をそそりそうだよな……」
目の前にある楽器群のように、ルティとアヴィエラさんが目を輝かせる。ショーケースのいちばん上にはライトが埋め込まれていて、カバー越しに届いた明かりがトランペットやホルンをまばゆいばかりに照らしている。その奥のショーケースにも大小いろんなサックスが展示されていて、こっちもきれいにライトで彩られていた。
それでいて、壁や床は落ち着いたブラウン調で統一されて派手さが抑えられてるんだから、まるで博物館にでも迷い込んだみたいだ。
「お客様、なにか楽器をお探しでしょうか?」
「あ、いえ、そういうわけでは」
と、一歩引いてショーケースを眺めていた有楽に女性の店員さんが声をかけてきた。
「こちらに、本日試奏の予約をしていたるいこ……じゃなかった。赤坂さんが来ていると思うんですけど」
「赤坂様のお連れ様ですね。ただいま試奏室にいらっしゃいますので、案内させていただきます」
にこやかに応じた店員さんが、一礼してゆっくりと店の奥の方へと歩いていく。後をついていくと、中がいくつかの壁と分厚い木製の扉で仕切られているガラス張りの部屋へと突き当たった。扉の上には「試奏室」と書かれたプレートが埋め込まれていて、その中のひとつに長い髪の人影がぼんやりと見えた。
「こちらになります。試奏中ということもありますので、まずは扉をノックをして御確認のほどをお願いいたします」
「わかりました。ありがとうございます」
「どうぞ、ごゆっくり」
俺たちの一礼に、店員さんが笑顔で一礼を返してさっそうと去って行く。それからすぐに有楽が分厚い木の扉をノックすると、中の人影が動いて扉の前までやってきた。
「はーい……あっ、みんな来たんだねっ」
ドアを開けたのは、明るいグレーのスーツを身にまとった赤坂先輩。
「さあさあ、みんな入って」
「それじゃあ、失礼します」
誘われて入った試奏室には小さなテーブルだけがあって、6畳間な俺の部屋よりもずいぶん広く感じた。ドアが閉じたら店内にかかっていたBGMが聴こえなくなったあたり、防音対策がしてあるんだろう。
「みなさん、いらっしゃったんですね~」
その奥で、淡く青いドレス姿のフィルミアさんが髪と同じ銀色の楽器――フルートを手にして立っていた。
「お待ちしておりました」
隣には、深い紺色のスーツをまとったリリナさんの姿も。さっきまで吹いていたのか、フィルミアさんと同じように両手でフルートを持っていた。
「ミア姉様、とてもお似合いです!」
「ありがとう、ルティ~」
「ねーさまも、そのがっきとすーつすがたがりりしいですっ!」
「そうか? 音色のほうは、私には少々柔らかすぎるのだがな」
駆け寄ったルティにフィルミアさんは優しく微笑んで、リリナさんはピピナにちょっと照れたようにはにかんでみせた。いやいや、今のリリナさんにはフルートの音色って合うと思いますよ。
「お疲れ様、松浜くん。キットは買えた?」
「はい、父さんが常連だったんでなんとかなりました。先輩のほうも順調ですか?」
「うんっ。フィルミアさんもリリナさんも楽しんでるよ」
「それならよかった。ありがとうございます、先輩」
「いいのいいの。わたしも、いっしょに選んでて楽しかったから」
満足そうに笑う赤坂先輩の視線の先で、レンディアールのみんなも笑顔で談笑している。突然のスケジュール変更でどうしようかと思ったけど、先輩のおかげでどうにかできた。
本当なら、今日はみんなで秋葉原に行く予定だった。
金曜日の夜にルティが秋葉原行きをを決めて、土曜には赤坂先輩と有楽と、遅れて日本に来たフィルミアさんたちに説明して確定。わかばシティFMへ行く前に、夜勤へ向かう父さんにそのことを言ったら、
『いやぁ、そりゃ無理だろ』
『えっ』
『ラジオマーケットは通路が狭いし、大勢でゾロゾロ行っても迷惑かけるだけだぞ』
『ええー……』
何考えてるんだとばかりに苦笑いされて、スケジュールの変更を余儀なくされた。
幸い、生放送前に平謝りで説明したら先輩が別行動を提案してくれて、音楽が大好きなフィルミアさんとリリナさんを楽器屋さんへ案内することに。途中までは同じ日比谷線だから、後で俺たちが銀座へ合流すればいい……ってことになったわけだ。
本当、先輩には頭が上がらないや。
「ふたりとも、フルートにしたんですね」
「はい~。レンディアールにある木笛によく似ていたので選んでみたら、指使いも同じでとても吹きやすくて~」
「木笛の穴は塞ぎにくく感じることもあるのですが、こちらの〈ふるーと〉は〈きぃ〉を押せば塞げるというのがいいですね。見た目よりも軽やかな手触りというのも、実に佳きものです」
満足そうに話すフィルミアさんとリリナさんの両手には、大事そうにフルートが抱えられている。フィルミアさんのかわいらしさといい、リリナさんの凛々しさといい、まるで前からずっとフルートを吹いていたようなたたずまいだ。
「姉様、もしよろしければ吹いてはいただけないでしょうか」
「そーですっ。ミアさまとねーさまのえんそー、ピピナもきいてみたいです!」
「こらこら。まだ吹き始めて間もないんだから、あんまり無茶言うなって」
「大丈夫ですよ~、ふたりでよく木笛を合わせて吹いていましたし。ね、リリナちゃん~」
「えっ? ……わ、わかりました。仕方ありませんね」
突然の振りにうろたえるリリナさんだけど、期待に満ちたルティとピピナの視線をまともに受けてすぐに陥落した。ふたりとも、じーっと見てるんだもんな……
「では、いつもの曲でいきましょう~」
「それならば大丈夫です」
うなずき合って、ふたりがフルートを構える。
視線を合わせたまま、一拍、二拍、三拍とゆっくりフルートを揺らしていく。四拍目で大きく揺らしながら大きく息を吸い込むと、その息が吹き込まれて楽器が柔らかな音色を響かせ始めた。
ゆったりとしたメロディは、フィルミアさんがこのあいだ先輩のラジオで歌った『祈りの歌』。それをハーモニーで奏でたり、同じ音を高低に分けて吹いたり、追いかけるように吹いたりと様々な表情を見せていった。
フィルミアさんは、優しさに満ちた表情をリリナさんに向けて。
リリナさんは、メガネ――視石の下のやわらかな眼差しをフィルミアさんに向けて。
息の合ったふたりの音色が、試奏室に所狭しと響いていく。
フルートのキィの上を指先が跳ねれば、メロディも軽やかに跳ねる。
くちびるから吹き込まれる息が多ければ、豊かな音色に。緩ければ、か細い音色に。
初めて吹いて間もないとは思えない、いろんな表情の音色がふたりの間でつむがれていった。
「……ふうっ」
1コーラス分を吹き終えてしばらくしてから、ふたりが構えを解いてフルートを胸元に持ち直す。その仕草もとても様になっていて、
「いかがでしたでしょうか~」
「まだ未熟なれど、楽しめていただけたらよいのですが」
「ふたりとも、とても素晴らしい演奏でした!」
「ねーさまもミアさまも、とってもやさしーおとですっ。ピピナもだいすきですっ!」
そばで聴いていたルティとピピナが、興奮しながらふたりへ尊敬の眼差しを向けるほどだった。
「いや……凄いっす。吹き始めてすぐでこれですか」
「開店時間の11時に来てから、ずーっと吹いてたもの」
「えっ、他の楽器は?」
「ふたりともフルートを気に入っちゃって、これだけ。ふたりの言うとおり、レンディアールの楽器に似ていてしっくり来たみたいだね」
「てことは、2時間ぐらいずーっと……いやいや、それでもやっぱり凄いですって」
ずっといっしょにいた友達だからわからなくもないけど、それにしてもこうしてすぐ吹けるってのが凄い。フィルミアさんは歌だけじゃなく演奏も上手いってことだし、リリナさんもその相方を務めるだけの実力があるってことだろう。
このふたりの演奏なら、またじっくりと聴いてみたいもんだ。
「ミア姉様、その〈ふるーと〉は買うことにしたのですか?」
「そうですよ~。わたしとリリナちゃん用にと、あとは研究用にひとつ買うから全部で3つですね~」
「我が国でも作れないかということですか。しかし、リリナも買うとは珍しいですね」
「もしレンディアールでも作ることができたら、私とフィルミア様とで広めてみようと思いまして」
「それと、わたしたちからルティへ贈りたいものがあるんですよ~」
「我へ、贈りたいものですか?」
「はい~」
「はいっ」
ふたりはまた視線を合わせると、小さくうなずいてから揃ってルティのほうを向いた。
「〈らじおきょく〉が始まる日に、わたしとリリナちゃんの演奏を贈らせてはいただけないでしょうか~」
「まことですか!?」
「ルイコ様たちの世界から音楽を借りて流すのもいいと思いましたが、やはりルティ様が作られた〈らじお〉なのですから、私たちの手でも何か出来ないかと思いまして」
「ルイコさんに相談したら、ニホンでも〈らじお〉が出来た日には音楽を演奏して、多くの人に聴いていただくことがあるそうですから~」
「それはとてもありがたいです! 姉様とリリナの演奏であれば、ヴィエルの皆もきっと聴き入ってくれることでしょう!」
「ナイスアイデアじゃないですか、先輩」
「このあいだ、新しく出来たコミュニティFMさんでやってたの。フィルミアさんもリリナさんもすごく乗り気で、どの響きがいちばんいいかっていろんなフルートを試奏してたんだ」
「そういうことだったんですね」
レンディアールの王女様なルティが作ったラジオ局で、同じく王女様でお姉さんなフィルミアさんと妖精のリリナさんが演奏する。日本ではいろんなところでやっていることだとしても、レンディアールでやるとしたら初めてのことだから、きっと記念になるだろう。
「ミア姉様、リリナ。その贈り物、ありがたく受け取らせていただきます。当日は、二人の演奏で〈らじお〉を彩っていただきましょう」
「はい~。当日まで、がんばって練習しますよ~」
「私も、フィルミア様に後れを取らないよう努力いたします」
「あのっ、あのっ」
ふたりが意気込みを見せていると、リリナさんの隣にいたピピナがぴょんぴょんと飛び跳ねながら手をあげた。
「ん? どうした、ピピナ」
「その〈ふるーと〉って、ピピナもふけるですか?」
「吹けるかって、ピピナは楽器を吹いたことがないだろう」
「それはそうですけど」
「ならば、少し吹いてみるといい」
「わーいっ」
困ったように言いながら、リリナさんがピピナへそっとフルートを渡してあげる。って、このサイズは……
「ね、ねーさまっ、うでがぴぴっていたいですっ!」
「やはりな……」
キィに指を添えて構えてみたところで、腕をめいっぱい伸ばさないとピピナのくちびるが吹き口に届かないらしい。一生懸命やってはいるけど、んー、んーと結構苦しそうだ。
「仕方ない。私が持っているから、試しにくちびるだけ使って吹いてみるといい」
「はいですっ」
リリナさんがフルートを支えてあげると、手を離したピピナが喜び勇んで吹き口にくちびるをあてた。
「あれっ?」
でも、息を吹き込んだところですーっ、すーっと息の音がするだけで楽器自体は鳴ろうともしない。いくら強く吹いても、口をとがらせたりしてもそれは変わらなかった。
「うー」
「木笛と同じで、慣れとコツが必要な楽器ですからね~。たくさん練習すれば、ピピナちゃんにも吹けると思いますよ~」
「そーなのですか……」
なぐさめるようなフィルミアさんの言葉に、ピピナがしゅんとうなだれる。
「しかしピピナ、どうして吹きたいと思ったのだ?」
「ピピナも、ねーさまとミアさまみたいにルティさまのおてつだいがしたいです。だから、〈ふるーと〉がふければっておもったですよ……」
「そういうことか……」
「お前の体躯では、〈ふるーと〉を扱うのは少々難しいかもしれないな」
「そーかもしれないですけど……」
今にも泣きそうなピピナの頭を、リリナさんが優しくなでる。たずねたルティも悲しげだけど、体が小さいピピナでも吹けそうな楽器となると……ああ、あるじゃんか。ちょうどいいヤツが。
「赤坂先輩、ここってリコーダーも売ってるんですかね?」
「えっと、さっきお店の中を見てたときにあったけど……もしかして、ピピナさんに?」
「ええ。リコーダーなら吹きやすいと思うんで」
「〈りこーだー〉ですか?」
「フルートとは音色が違うけど、息を吹き込むだけで音が鳴る笛があってな。それがリコーダーっていうんだ」
「日本の学校では、小学生から高校生……えっと、7歳から18歳ぐらいまで音楽の学習で扱う楽器なんです。松浜くん、何種類か試奏できないか店員さんに聞いてくるね」
「はいっ、お願いします」
俺の考えをくんでくれたらしい先輩が、意気込んで試奏室から出ていく。
「さすけっ、さすけっ。ピピナにもふけるふえなんですねっ?」
「ああ。でも、さすがに指使いとかは覚えないといけないぞ」
「おぼえるですよっ! ピピナも、ねーさまとミアさまみたいにふけるよーになるです!」
「なあ、サスケ。我も、その〈りこーだー〉という笛は吹けるのだろうか」
さっきまで泣きそうだったピピナに続いて、ルティも俺へ期待に満ちた目を向けてきた。って、ルティも?
「そりゃあ、吹けると思うけど」
「ならば、我も吹いてみたい!」
「ルティもか」
「うむ……我も、木笛を吹くことが出来なくてな。姉様と吹きたいと練習はしていたのだが、なかなかうまくいかなくて」
「だったら、ピピナといっしょに試し吹きをしてみるのもいいかもな。先輩が何種類かお願いしてくるって言ってたから、ルティの分もあるだろ」
「いっしょにふくですよっ、ルティさまっ!」
「うむっ、やってみよう!」
大きくうなずいたルティが、隣にいたピピナの手を取って笑い合う。フィルミアさんとリリナさんだけじゃなく、このふたりも楽しんでくれれば俺としてもうれしいところだ。
「お願いしてきたよっ」
「失礼いたします」
しばらくすると、赤坂先輩がさっきの店員さんといっしょに試奏室へと戻ってきた。店員さんは両手でトレイを持っていて、その上には学校でよく見慣れたリコーダーと、見慣れない木のリコーダーが2本ずつ載せられていた。
「実際に試奏される方は、どちら様でしょうか」
「はいっ、ピピナですっ!」
「私もです」
「本日は試奏をご利用いただき、誠にありがとうございます。赤坂様からのご指定で、木製とABS樹脂製のソプラノリコーダーを2本ずつお持ちしました」
そのトレイを小さなテーブルに置いた店員さんが、手で指し示しながらリコーダーの説明を始めていく。
「木製のものはローズウッド製とキングウッド製で、ABS樹脂製のものは学校教育で使われているものと木製に近い構造のものです。実際に吹いてみて、音の違いをお楽しみ下さい」
「わかったです」
「説明頂き、ありがとうございました」
「ごていねいにありがとうございます。それでは、失礼いたします」
ピピナがぺこりと、そしてルティがていねいに店員さんへ頭を下げると、店員さんもにこやかに頭を下げて試奏室から出ていった。
「じゃあ、さっそくふいてみるですよっ。この、とんがってるほーをふけばいいんですか?」
「そうそう。くちびるでくわえて、そーっと息を吹き込んでみろ。」
俺が言う間もなく、待ちきれないとばかりにピピナがキングウッド製のリコーダーを手にして吹き口をくわえる。そして、息を吹き込むと明るく豊かな音があたりに響きだした。
「でたですっ! おとがでたですよっ!」
「では、我はこちらを吹いてみるとしよう」
続いて、ルティがローズウッド製のリコーダーを手にして吹き口をくわえる。軽く息を吸い込んでからそっと息を吹き込むと、やっぱり明るく豊かな音が試奏室に響いた。ちょっとばかり音が柔らかく感じるのは、素材の違いからなのか。
「本当だ……息を吹き込むだけで音が出るとは、なんとも愉快な!」
「あとは、こうすると音が切り替わるんですよ」
驚きと喜びで興奮しているルティとピピナに、先輩はそう言ってからもう一本のABS樹脂製のリコーダの吹き口をくわえてみせた。そのまま見やすいようにと横を向くと、両手の指で穴をふさぎながらド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ドと音階をゆっくりと吹いていった。
「なるほど、そこは木笛と同じなのですね」
「ルティさまっ、いっしょにやってみましょー!」
「うむっ」
先輩に続いて、ルティとピピナも視線を合わせて同じようなタイミングで音階を吹いていく。ふたりとも目をキラキラさせているのを見ると、リコーダーを思いついてよかったと思う。
……ちょっとばかり子供っぽくてかわいらしいとも思ったのは、ふたりの背格好からして仕方がない。うん、そう思うことにしよう。
「うむっ。吹けた、吹けたぞっ!」
「ふけましたよー! ありがとーです。さすけ、るいこおねーさん!」
「いいっていいって」
「ルティさんも、楽しんで吹けたみたいでよかったです」
「はいっ、ありがとうございました! 姉様、この〈りこーだー〉を購入してもよろしいでしょうか」
「もちろんですよ~。わたしたちも買って、いっしょに練習しましょうか~」
「それもいいですね。この〈りこーだー〉は、楽器に対して気後れしている人たちにもいいきっかけになるかもしれません」
「では、こちらも1本多く買っておきましょう~。木製のを2本ずつと、研究用に〈えーびーえす〉樹脂製のを1本でいいですかね~」
「それでよろしいかと」
「ルイコさん、先ほどのフルートのこともありますから、いっしょにお会計へつきあっていただけないでしょうか~」
「私も、お供いたします」
「はいっ、よろこんで」
ルティとピピナが楽しく吹いていたからか、フィルミアさんもリリナさんもうれしそうに赤坂先輩と話していた。リコーダーをいっしょに買って練習するってのも、この姉妹らしくていいな。
「あ~……来てよかったぁ~」
「カナ、これたくさん複写してあっちで売ろう。こっちの写実機ならできるんだろ?」
「いいねー!」
「……なーに企んでるんだ、ふたりとも」
後ろからのとろけそうな声に振り返ってみれば、スマホじゃなくデジカメを手にうっとりとしている有楽と、違った意味でキラキラと目を輝かせているアヴィエラさんの姿があった。
「だって、どれも見逃せないショットだったんですよ! これを広めない手はありません!」
「そうだよ! アタシらだけのものにしちゃもったいないじゃん!」
「本人の承諾も得ずに決めないの!」
「どうしたんですか~?」
「ああ、いや、有楽がフィルミアさんたちの写真を撮ってて、それをアヴィエラさんがヴィエルで売ろうとか企んでるんですよ」
「違うって! レンディアール全土でだよ!」
「れ、レンディアール全土でですか~!?」
「なおのこと悪いですって!」
ほらっ、いつものんびりなフィルミアさんですら驚いてるじゃないか!
「確かに、フィルミア様とエルティシア様の可愛らしいお姿は、レンディアールの全住民に知ってもらうべきだとは思いますが」
「いっしょに映ってるリリナさんも広まることになっても?」
「なっ、わ、私の姿がですかっ!? いけません、それはいけませんっ!」
よし、変なことを口走るリリナさんもこれで封じた。
「ちぇー、いいと思ったんだけどなー」
「王族のプライベートを金儲けに使うんじゃありません」
「金儲けなんてしないよ。銅貨1枚ぐらいなら手頃だろ」
「せんぱい、別に消さなくてもいいですよね?」
「ん? まあ、そのあたりは……任せておく」
「よかったぁ」
「……あとでデーターコピーしてくれな」
「いいですよ。1枚1万円で」
「おまっ、それヒドくね!?」
「ダメ出しした罰です」
「逆ギレかっ!」
んべーと舌を出してくる有楽に抗議はしてみたけど、どうも覆すつもりはないらしい。ルティもフィルミアさんも、それにピピナとリリナさんもかわいいからわからなくはないけど、さすがに不意打ちはマズいだろう。
「ではでは、そろそろまいりましょうか~」
「私は〈ふるーと〉と〈りこーだー〉を持っていきますので、皆様はお忘れ物のなきよう用意をして下さいませ」
「わかりました」
「じゃあ、行ってくるね」
話が落ち着いたところで、フィルミアさんたちが試奏室から出ていった。
「ふふふっ、我の〈りこーだー〉、我の〈りこーだー〉♪」
「ピピナたちだけのふえが、もーすぐてにはいるですよー♪」
「よしっ、もう一枚」
部屋の隅で手を取り合って飛び跳ねてるルティとピピナを、すぐさまデジカメで激写する有楽。シャッター音が鳴らないタイプだからか、ふたりとも撮られてるのに気付かないまま喜び続けていた。
「また素早い……」
「この子はかわいいものを探知する能力でも持ってるんだろうねぇ」
「そんなわけは……ないとも言い切れませんね」
「やだなー、ただの勘ですよ」
「勘でその反応速度かい」
アヴィエラさんが言うとおり、有楽には妖精シスターズやアヴィエラさんと違った能力でも持ってるんじゃないだろうか。
「いいシーンはちゃんと撮っておきたい主義なんです。せっかくレンディアールのみんなやヴィラ姉に出会えたんだから、こういう思い出はしっかり撮っておかなくちゃ」
「最初からそう言ってれば、ドン引きせずに済んだものを」
「でも、みんなの写真をレンディアールの人たちに見てほしいのも本当の気持ちなんですよ。『これからこういう人たちがラジオを始めますよ』って宣伝になるじゃないですか」
「あー、それは確かに」
「売ったりするのはダメでも、宣伝ポスターぐらいは作ったほうがいいかなって」
有楽の言うことにも、一理ある。ラジオをレンディアールで始めるとしても、声だけじゃ得体が知れないって思われることもあるかもしれないし、最初にポスターとかで顔出しして宣伝しておくのは案外効果的かもしれない。
さっきは変態じみた目つきと商売人じみた目つきだったから止めたけど、一度真剣に考えてみる必要はありそうだ。
「帰って落ち着いたら、改めて話し合ってみるか」
「さすがせんぱい、話がわかる! あ、ヴィラ姉もまた撮ろっか」
「いいの? へへっ、アタシはこういうの好きなんだよねー」
アヴィエラさんが笑顔を向けて、有楽がデジカメを構えようとしたその瞬間。
「あっ」
有楽が着ていたパーカーのポケットから、スマホの着信音が流れだした。
底抜けに明るい女性ボーカルの歌声とは対照的に、さっきまでニコニコ顔だった有楽の表情が一瞬で硬くなって、
「もしもし」
スマホを耳に当てながら、俺たちに背を向けて話し始めた。
「サスケ、もしかして……」
「そうかもしれないな」
こそこそとささやいてくるルティへ、短く返す。まだそうって決まったわけじゃないけど、こんな有楽を見るのは仕事か収録の本番前ぐらいだからその可能性が高いだろう。
「お世話になっております。はい、はい……はい」
さっきまで見ていた表情のように、声もだんだん硬くなっていく。
「そうですか、わかりました……」
続いて出てきたのは、ため息交じりの声。そうか、ダメだったのか――
「……えっ? ほ、本当ですか!?」
と思った次の瞬間、声のトーンが一転して明るくなる。
「やりますっ! ぜひやらせてくださいっ、お願いします!」
「受かった、のか?」
「そう……なのか?」
今にも叫び出しそうなくらいのテンションだから、きっとそれか近いことだとは思うんだけど。
「はいっ、はいっ……では、明日学校が終わったら事務所へ行きますので。詳しい話は、そのときによろしくお願いします。はいっ、ありがとうございましたっ!」
スマホを耳にあてたまま、大きく頭を下げる有楽。その頭を上げて俺たちのほうを向いたかと思うと、興奮気味の表情でスマホの画面をタップした。
「いやったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そして、そのまま両手を掲げてガッツポーズ。ということは、
「有楽、受かったのか?」
「いえ、きれーさっぱり落ちましたっ!」
「落ちたのかよ!」
ヤケか! その行動はヤケなのか!
「でもでも、番組のレギュラーとして出させてもらえることになったんです。名無しのガヤだけど、毎回!」
「おおっ、レギュラーか!」
「えーと、カナは選考で落ちたんだよな? その〈バングミのれぎゅらー〉っていうのは、喜べることなのかい?」
「主役ではないけど、毎週アニメに出ていろんな役を演じることができるんだ。他の声優さんたちの演技を見ていっぱい勉強もできるし、大きなチャンスには変わりないよ!」
「なるほど、演じられることに変わりはないわけか」
「かな、あにめにでるですかっ!」
「どういう〈あにめ〉に出るのだ!?」
「ごめんね、そこはまだ秘密なんだ。教えられるようになったら、すぐみんなに話すから」
「秘密であれば仕方ないな……よしっ、その時を楽しみにしているぞっ!」
駆け寄ってきたルティとピピナに、有楽が笑顔を向ける。喜んでいるのは確かなんだろうけど、それでも落ちたことには変わらないから……ちゃんと、フォローできることはしていこう。
「せんぱい、せんぱい」
「ん?」
「あたし、どんどんアクセルを踏んでいきますから。せんぱいも、全力でついてきてくださいね!」
「おうよ。振り落とされてたまるもんか」
「その意気ですっ!」
「我もついていくぞっ!」
「ピピナもですよー!」
って、そこまで意気込めるならあんまり心配することもないのかね。元気いっぱいに、俺へ思いっきり挑戦状を叩きつけてくるぐらいなんだから。
そんな希望があふれる中で、
「いいねえ……未来へ突き進めるってのは」
ぽつりと、隣から小さなつぶやき。
「どうしました?」
「ん? ああ、なんでもないよ」
俺の問いかけに、アヴィエラさんが慌てて手を振ってみせる。
でも、その表情は少し寂しそうで。
「そう、ですか」
つぶやきといっしょに、強く印象に残るものだった。
今回出てきた「カワナ音楽館」は、首都圏の吹奏楽&管弦楽団員ならおなじみの某楽器店をモデルとさせて頂きました。展示も壮麗で、見るだけでも楽しい楽器店です。
ラジオといえば式典(祝典)音楽かなということで、今回の話運びになった次第。
ピピナはこれからも大きくなったり小さくなったりします。




