第14話 異世界姉妹の想いかた
「あむあむあむあむあむあむあむあむ」
「はぁ~……かわいいなぁ……」
「かわいいですね~」
手のひらサイズ妖精さんがひたすら果物のパイにかじりついている姿に、ほっこり顔で見入っているのは日本の女子高校生と異世界の王女様。
「やっぱり、ミア姉様の作ったミラップのパイは美味いな」
「不思議ですね。見た目と食感はリンゴなのに、オレンジみたいな酸味と味わいで」
「これはやばいっすね。やみつきになりますよ」
その王女様に振る舞ってもらったパイを食べてるのは、妹の王女様……じゃなくて、日本で出会った異世界の女の子と、先輩と俺。
「な、何故だっ……なぜフィルミア様にはこの味が出せて、私には出せないのだ……っ!」
そして、部屋の片隅で愕然としているのはメイド服を着た人間サイズの妖精さん。
レンディアールの辺境、ヴィエルの中央にある時計塔の部屋は、なかなかカオスな状況になっていた。
ひとり日本に置いて行かれたピピナは、うちの店へ向かっていた赤坂先輩と帰り際の有楽に泣きついて、この間みたいに地球の時間を凍らせてからいっしょにレンディアールへ連れてきたらしい。
でも、よく考えずにふたりも『生身で』連れてきたことで力を使いすぎて、ここへ来たことのある有楽の案内で市役所へと運ばれてきたんだそうな……ピピナが市役所の人たちやラガルスさんと面識がなかったら、きっと詰んでたろうな。
「ルイコさん~、もしよろしかったらもうひとついかがですか~?」
「ええ、是非。フィルミアさんの手作りパイ、とても美味しいです」
「ありがとうございます~」
一度魂オンリーで来たことがある有楽はともかくとして、最初は戸惑っていた赤坂先輩もルティや俺がいたことと、フィルミアさんのふんわりとした振る舞いで少しずつ馴染んできたみたいだ。
「あむあむあむあむ……ミアさま、ピピナももっとたべていいですか?」
「いいわよ~。まだまだいっぱいあるから、どんどん食べてね~」
「いけません、フィルミア様! 愚妹にそれ以上食べさせては調子に乗ります!」
「あたまがかたいねーさまですねー。ちからをつかっておなかがぺこぺこなんだからしょーがないですか。あむあむ」
「あっ、こらっ!」
リリナさんの制止を無視して、その張本人であるピピナがまたミラップのパイにかじりつく。パイに乗っているオレンジ色の実は食欲をそそるし、なんたって食べると口の中に広がるその果汁がたまらなく美味いから、食べたくなる気持ちはよくわかる。
「よし、俺ももうひとつ――」
「マツハマ・サスケ」
「な、なんですか」
背後からの恨めしそうな声に振り返ると、その顔に見合ったリリナさんの鋭い視線とご対面することに。
「いいですか、よく聞きなさい。それはレンディアールの王女様が手ずから作った大変ありがたいパイなのです。粗末な食べ方などしようものなら……わかりますね?」
「は、はぁ」
「いいんですよ~。気軽に食べてください~」
「あ、ども」
「ううっ」
どうしても格式にこだわりたがるリリナさんの意志を、ピピナに見入ってたはずのフィルミアさんがひとことで撃墜する。その上、自ら空いてた皿におかわりを盛ってくれるんだからとても気が回る人だ。
「あー、リリナさん。お茶、美味しいです」
「ふんっ!」
さすがに放置はどうかと思って話しかけてみたけど、やっぱり盛大に顔を背けられた。俺、すっかり嫌われてるな。ミントみたいにすっきりしていて本当に美味いのに。
「…………」
「どうしました? 赤坂先輩」
気を取り直してパイを食べようとしたところで、固まっている赤坂先輩の姿が目に入った。
「あの、今、ピピナさんのお姉さんがフィルミアさんのことを王女様って……」
「はい~、レンディアールの第3王女、フィルミア・リオラ=ディ・レンディアールですよ~」
「ということは、ルティさんは……?」
「はい、私は第5王女になります」
ピピナのはらぺこ騒ぎもあって軽く自己紹介を済ませただけだから、先輩の驚きは相当なものらしい。それでも、
「ですが、私はルティであって、それ以外の何者でもありません。なので、今まで通りに私と接してください」
ルティは堂々と、先輩に向かってそうお願いしてみせた。
「で、でも」
「いいんですよ~。この国では、特に式典でもない限りは普通に振る舞うのがあたりまえなんですから~」
「ミア姉様の言うとおり、『民と共に過ごし、民と共に鍬を振るう』というのが我らレンディアール王家の伝統なのです」
「……松浜くん、そうなの?」
「どうも、そうらしいです」
「そうなんだ……」
俺がルティとフィルミアさんの言葉を肯定したのを見て、先輩はいったん息をついてからルティに笑顔を向けた。
「わかりました。今までどおりに、ですね」
「ありがとうございます、ルイコ嬢」
「では~、わたしともふつうにおねがいします~」
「ええ。よろしくお願いします、フィルミアさん」
先輩がそれを受け入れると、ルティはほっとして、フィルミアさんはうれしそうに両手を胸元に抱き寄せた。後ろからダンダンダンと地団駄が聞こえてくるのは、多分空耳だろう。うん、きっとそうだ。
「ルティちゃんって、お嬢様かと思ったらお姫様だったんだねー」
「有楽もお嬢様って思ってたのか」
「言葉づかいがとても自然でしたから」
ミラップのパイにぱくついてるピピナの頭をなでながら、有楽が感心したように言った。
「演技だったら、どこかで絶対崩れますもん。でも、見た目年上な瑠依子せんぱいにはずっとていねいで、年が近そうなあたしと松浜せんぱいにはずっとお堅い言い方でしたよね。だから、そういう風に教育されたお嬢様かなって」
「それでか。俺は振るまいで判断してた」
「言われてみれば、振る舞いも完璧でしたね。ルティちゃん、ナイスだよっ!」
「う、うむ?」
「こらこら、いきなり振るな」
確かにルティの言動は振る舞いは完璧なお嬢様、もとい威厳のあるお姫様だけど、いきなり振ったところで困らせるだけだろうが。
「カナさんは、ゆかいな方なんですね~」
「改めてお目にかかります、フィルミア・リオラ=ディ・レンディアール王女殿下」
と、フィルミアさんに声を掛けられた有楽が、何を思ったのかソファから降りてフィルミアさんの前でひざまずいてみせた。
「私は、日本という国に住まう有楽神奈と申します。今は話芸の道を極める途上におり、その最中に妹君であるエルティシア・ライナ=ディ・レンディアール王女殿下に拝謁いたしました。未だ未熟な身ではありますが、今後ともお見知りおきを」
「えっ? あのっ、えっと~」
「そうです! 王族に対するには、せめてそのような礼節をもった態度で――」
突然の有楽の豹変に、戸惑うフィルミアさん。逆にリリナさんはその礼にのっとったあいさつが気に入ったみたいで、
「……っていう風に演技をするのが、あたしの仕事です。どうです? ビックリしちゃいました?」
「な~んだ、演技だったんですか~」
「そうそう、演技で……えっ?」
有楽が速攻で種明かしをしたら、二人してその表情が正反対に反転した。
「今のが、演技……だったん……ですか……?」
「そうですよー。というわけでフィルミアさん、よろしくお願いします!」
「はい~。こちらこそ、よろしくお願いしますね~」
フレンドリーな有楽の態度に安心したのか、フィルミアさんは有楽の手を握ってぶんぶんと振った。俺もルティもそうだったけど、目の前でいきなり豹変されたらそりゃ驚くわな。
「ふざけないでくださいっ!」
そんな和やかな雰囲気を、リリナさんの絶叫が一気に打ち破る。
「客人が来たからと仕方なく手伝いに来てみれば、誰もが王族の方々に馴れ馴れしくするわ、賜った菓子を平気でむさぼり食うわ……その上演技でフィルミア様を愚弄するなど、あってはならないことです。そんな態度を取るあなた方を、私は許せません!」
「あむあむあむあむ……まったく、ねーさまはいつまでたってもあたまがかたいですねー」
さらに、一瞬にして張り詰めた雰囲気を緊張感のないピピナの声が緩ませた。
「なんだと」
「ミアさまもルティさまもいいっていってるんですから、すきにさせてあければいーんですよ」
「お前はいつまで経っても甘いのだな」
「ふーんだ。おーさまもルティさまもいいっていってくれたんだからいーんですー」
「だからといって、甘えていい理由にはならないだろう」
「ねーさまはピピナのことをこどもってゆーじゃないですか。こどもなら、あまえたっていーですよね」
ふたりが言葉を交わす度に、目に見えてピピナとリリナさんの間に険悪な空気が流れていく。って、姉妹、なんだよな……?
「あのー……ルティさん。ピピナさんとリリナさんって、仲が悪いんですか?」
「顔を合わせれば、いつもこんな感じなのです」
「ピピナちゃんは自由奔放で、リリナちゃんは人にも自分にも厳しいですからね~」
「おてんば少女と教育係って感じかー。水と油だね」
顔を寄せ合ってる女性陣4人の会話も聞いてると、事態がますます悪化しているように感じる。ピピナと最初は仲が悪かった俺でも、あれはただのじゃれ合いだったと思えるぐらいだ。
「友や主の身を律するのが、我らの役目なのだぞ」
「そんなのだれがきめたんですかー? にーさまたちやねーさまたちだって、ピピナとおなじよーにおーじさまとおーじょさまとあそんでるじゃないですか。かーさまもとーさまもそーですよ」
「私が決めた。姉様方は姉様方、兄様方は兄様方だ」
「じゃあ、ピピナはピピナだからルティさまたちとあそびます」
「貴様……」
「すじがねいりのものがたりかぶれに、つきあうぎりはないですー」
「物語かぶれですって?」
あ、有楽が反応しやがった。
「リリナちゃん、物語が好きなの?」
「む、昔のことです。今はそんなには――」
「なーにいってるですか。よくミアさまのへやでほんをよみあさってたってかーさまがいってたですよ。それがこーじて『きし』とか『じじょ』にあこがれてたですよね?」
「ルティ、お前!」
「ほっほー」
「ひぃっ!?」
呆れたように言うピピナに反論しようとしたリリナさんは、音もなく寄ってきた有楽に回り込まれていた。
「リリナちゃん、あたしとちょーっと物語のことでお話ししない?」
「えっ、えっと……」
さっきまでの高圧的な態度はどこへやら、じりじり後ずさりするリリナさんと
「レンディアールに伝わる物語、教えてくれないかなー」
ずいっと、迫るように歩み寄る有楽。いや、はたから見てても怖いんですけど。
「あっ、い、いけないいけないっ。まだまだお洗濯とかお掃除とかあるんでしたっ! それでは、失礼いたしますっ!」
棒読みにも程がある言い訳をしたリリナさんは、早口で言い終わると一目散に応接間から出て行った。それでも扉の前で一礼していたのは、メイドさんたるプライドだったんだろうか。
「ちっ、逃がしたか」
「ちょっとは慎め!」
「だって、物語好きの同士なんですよっ。いっしょにお話ししたいじゃないですか!」
「がっつくのも逃がす原因だって悟れや」
すすすっと足音もせず近寄ったのはさすがにビビったぞ。
「まったく、ねーさまったらいつまでたってもあたまがかたいんですよー」
「ピピナが言ってた『あたまのかたいおてつだいさん』って、リリナさんのことだったのか」
「そーですよ。リリナねーさまは、ミアさまといっしょにいるピピナのおねーさんなんです。でもミアさま、リリナねーさまといてつかれませんか?」
「そんなことありませんよ~。ちょっと融通が利かないところはありますけど、ふだんはわたしのお料理を手伝ってくれたり、歌うときに楽器で伴奏してくれるいい子です~」
げんなりとしたピピナとは対照的に、フィルミアさんのほにゃとした、だけど淀むことのない言葉からはリリナさんへの信頼が感じられた。きっと、普段のふたりは仲がいいんだろう。
「そうそう~。歌といえば、さっきの〈らじお〉の続きをしましょうよ~」
「ラジオ? 先輩、持って来てたんですか?」
「でも、この世界にはラジオって無いって言ってたよね?」
「はい。でも、父さんがルティに実況の感想のお礼ってことで、な」
「うむ。サスケとその父上から、贈り物を頂いたのです」
ルティは立ち上がって壁際の棚へ行くと、ミラップのパイを食べるからとしまっておいた送信キットを引き出しから持って来た。
「なんだか、小さい機械ですね」
「機械と、これはアンテナかしら」
「FMトランスミッターってあるじゃないですか。これはその一種で、FMラジオの電波が送信できるんです」
「サスケは〈みにえふえむそうしんきっと〉と言っていたな」
「みにえふえむ……ちっちゃいFM?」
「ミニFMならわかばシティFMの講習で聞いたことがあるけど、こんなに小さい機械もあるのね」
「自分で組み立てからやる必要があるんで、上級者向けだとは言ってました」
さすがの赤坂先輩でも知らなかったとなると、父さんが言ってたとおりかなりマニアックなアイテムなのか。
「サスケさんは音楽も聴けるって言ってましたけど~、どうやってやるんですか~?」
「ああ、ちょっと待って下さいね。先輩もここにいて下さい。有楽、このラジオの電源入れといてくれ」
「わかりました~」
「わかったわ」
「りょーかいですっ」
有楽にポケットラジオを渡してから隣を見ると、ルティと肩の上に飛び移ったピピナが期待に満ちた目で俺のことを見上げていた。
「ルティ、ピピナ、行くぞ」
「うむっ!」
「はいですっ!」
声を掛ければ、ふたりともめいっぱいの笑顔で返事をしてくれる。なら、早速その期待に応えないとな。
俺はふたりといっしょに庭のような場所へ出て、市役所側の壁際でバッグからレジャーシートを出してふたりといっしょに座った。
「送信機、また借りるな」
「〈すまーとふぉん〉に繋げるのか?」
「ああ。フィルミアさんは音楽が聴きたいって言ってたから、これに入っているのを流した方がいいだろ」
どうもルティはスマホを扱うのが苦手らしく、『その技術は絶対真似できぬ』と言ってほとんど興味を持とうとしなかった。確かに、いろんなことがこれ一台で出来すぎるから気持ちもわからなくはない。
「でもさすけ、にほんであふれてたよーながちゃがちゃしたおんがくは、やめたほーがいいとおもうですよ」
「そうだな。〈ぎたー〉とか〈ぴあの〉などの心地のいい音楽がいいだろう」
「そっか、ルティもピピナも苦手ってことは、こっちの人には合わない可能性があるのか」
ルティとピピナがわかばシティFMを聴いていたとき、エレキギターとかシンセを多く使った曲が流れると難しそうな顔をして、バラードとか生音系の曲が流れると喜んでいたっけ。
「そうなると、俺が入れてるのには……」
音楽プレーヤーのプレイリストをスライドしていくけど、海外のロックバンドとかJ-POPの曲ばかりでバラードとかそういうのは全く入ってない。
「っと、あったあった。ちょうどいいのが」
「いったい何を……そ、それを流すのか!?」
スマホをのぞき込んだルティは、一番下にあったタイトルに気付いたみたいでうろたえるように俺を見上げた。ひらがなとカタカナ、読めるようになったんだな。
「わっ、いーですね。ルティさま、ミアさまにきかせてあげましょーよ」
「な。フィルミアさんに聴かせるいい機会じゃないか」
「それはそうかもしれぬが……ええい、わかった。好きにしろ」
「ありがとな」
恥ずかしそうに顔を紅くしてから、ルティが覚悟を決めたようにうなずく。俺は礼を言って、スマホと送信キットをケーブルで繋いで電源を入れた。
「ルティ、そっちの電源を頼む」
「わかった」
ダイヤル式のポケットラジオのボリュームを上げると、かちりと電源が入る。公園で教えたとおりにロッドアンテナも伸ばして、ルティは得意顔だ。
「じゃあピピナ、ここをぺしっと行ってくれ」
「おやすいごよーです!」
ピピナが小さな手で音楽プレーヤーの再生ボタンをタップすると、しばらくして歌声だけがポケットラジオのスピーカーから流れ始めた。アカペラの曲は若葉南高で録ったルティのもので、スマホにはそのものズバリ「ルティのうた」ってタイトルで取り込んであった。
「むぅ……この間の〈バングミ〉もそうだが、〈らじお〉から我の声が流れてくるというのは実に不思議なものだな」
「最初はそういうもんだよ。俺も、最初は録音した自分の声を聴いて恥ずかしかったし」
「サスケがか?」
「父さんのマネをして、テレビで野球を見ながらパソコンとマイクで実況を録音してな。録音したのを聴いてみたら、最初から棒読みだわ選手の名前とかを間違うわでもうめちゃくちゃで、父さんに聴かせようと思ってたのが即お蔵入りさ」
その時のデーターは今でもPCの片隅にあって、開くことはないけどなかなか消すこともできない。なんだかんだ言って、初めてラジオを録音した思い出のファイルだからかな。
「そういうものなのか……ならば、慣れていかぬとな」
「ゆっくりと自然に、な」
「うむ。自然に身を任せつつ慣れるとしよう」
自信ありげなルティの笑顔はとても頼もしくて、きっと大丈夫だろうって思える力があった。こうしてレンディアールに来てラジオが放送できているのも、その自信に繋がっているんだろう。
その後も無事にルティの歌は再生されていって、8分ぐらいの凛々しく、そして楽しげな歌声はあの時のように静かに消えていった。
「終わったな」
「だな。一度戻るとするか」
「さすけ、ルティさま、ちょっとまつですよ」
「ん? どうした、ピピナ」
「これですよっ。これも、ミアさまにきかせてあげるですっ!」
ピピナはよいしょ、よいしょと音楽プレーヤーのプレイリストをスライドさせると、公園で俺たちが聴いていた『ボクらはラジオで好き放題!』番外編のタイトルを指し示した。
「なるほど。今のルティが詰まってる番組だから、これならぴったりだ」
「うむ。皆の人となりもわかってもらえるだろうし、是非とも姉様に聴いて頂きたい」
「それじゃーやりましょう! ピピナ、ミアさまにちゅーしてくるですよー!」
そう言って透明の羽をはためかせたピピナは、さっきまで俺たちがいた応接室の窓へと飛んでいって音もなく突き抜けていった。本当、規格外な妖精さんだわ。
「ちゅーってことは……そっか、フィルミアさん、日本語はわからないか」
「ルイコ嬢は、ここに来る前にピピナから接吻されたと言っていたな。サスケとカナはずっと言葉が通じているが、やはり接吻されたのか?」
「有楽はな。俺は、どうも初めて会った日に喰らった羽ビンタでそうなったらしい」
「羽? あははっ、あの時の! そうか、羽で叩かれてか!」
「こ、こら、笑うなっ!」
すまないと言って咳払いして、ようやくルティの笑いが治まる。確かに、自分で思い出してみても間抜けな絵面だから仕方ない。
「くっくっくっ……す、すまない。しかし、あの時と比べるとそなたとピピナの接し方がずいぶん違うようだが?」
「ああ。レンディアールに飛ばされたときにじっくり話してみたら、いいヤツでびっくりしたよ」
「奔放ではあるが、真正面から向きあってくれる頼もしい子だ。小さいときから、何度助けられてきたことか」
「だな。サッカーを見に行ったときも学校に来たときも、ラジオを録ってたときもずっと見てたって言ってたぐらいだし」
「な、なに? それはまことなのか?」
「俺と有楽をレンディアールに連れてきた時に言ってたよ。ずっと俺たちの様子を見てて、それで安心したから連れてきたんだって」
「……我のまわりには、心配性の者が多く集まりすぎだ」
「俺もそのひとりってか」
「よくわかっているではないか」
ふたりしておどけて、そのまま笑い合った。時々弱気になったりもするけど、それを補うくらいの魅力と行動力を持っているルティを、そばで支えたくなるピピナの気持ちはよくわかる。俺も、間違いなくそのひとりだ。
ピピナが戻ってきて番組を再生した俺たちは、またいっしょにポケットラジオを囲んでいた。公園では俺だけだったのが、今度はルティとピピナも送信する側にいる。応接間のほうでフィルミアさんにわからないことが出て来たとしても、赤坂先輩と有楽がいるから大丈夫だろう。
『そのわりには、ピピナ……えっと、ルティの妖精って、自分で『守護妖精』って言ってますよね』
『あれは……自称というか、なんというか』
『自称ですか』
『何故か、我が生まれた時からそう自認していたらしい。他の姉様や兄様にも友の妖精がいるように、我もピピナのことは友だと思っているのだが』
『ルティちゃん、ピピナちゃんのことが大好きだもんね』
『うむっ、大好きだ』
俺たちのラジオで、唯一ピピナのことに触れた場面。そこに差し掛かったところで、ルティが膝に乗ったピピナの頭をそっと撫でた。
「ピピナ」
「なんですー?」
「ありがとう。いつもいっしょにいて、我を守ってくれて」
「ピピナこそ、いつもありがとーですよ。ルティさま」
くすぐったそうにしながら、うれしそうなピピナがその手にえへへーと頬ずりする。やっぱり、ふたりのそういう姿はとても絵になる。
番組のことを話しながらの60分間はもう一度聴いてもあっという間で、スピーカーから途切れた音が番組の終わりを告げていた。
「んじゃ、今度こそだな」
「うむ、戻るとしよう」
「はいですっ」
畳んだレジャーシートをバッグに入れて、電源を切った送信キットとポケットラジオをルティに渡す。ついさっきまでラジオの音と俺たちのおしゃべりでにぎやかだった庭には、すっかり静けさが戻っていた。
時計塔の玄関を開けて応接間へ戻ると、先輩と有楽が立ち上がって俺たちを迎えてくれた。
「ちゃんと聴こえました?」
「うん。ちゃんと、ルティさんの歌声が聴こえたよ」
「あんなにちっちゃいのに、しっかり電波が出るんですね!」
「ならよかった。聴こえなかったら大変なところでだったよ」
ほっと胸をなで下ろしながらフィルミアさんのほうを見ると、ぱたぱたと駆け寄るルティを歩み寄って迎えていた。
「いかがでしたか、ミア姉様」
「……とっても、不思議でした~」
言葉通り、頬をに手をあてて笑顔のような、困ったような不思議そうな表情を浮かべていた。
「さっきもこの箱からルティの声が聴こえてきましたけど、今度は歌声と、ルティとみなさんのおしゃべりが聴こえてきて……こんなことができるんですか~」
「歌はルティが歌ったものを録音……えっと、音を保存して、おしゃべりは俺たちがラジオをやってる場所でいっしょに録音したんです」
「みなさんの世界の技術って、すごいんですね~」
感心したように言ったフィルミアさんは、頬に当てていた手を胸元に寄せてルティとまっすぐ向きあった。
「それに、ルティが楽しそうにしていて安心しました~」
「はいっ、とっても楽しかったです」
その問いに、自信をもってルティがうなずく。肩の上のピピナも、同意するようにちょこんとうなずいていた。
「そして、もっともっと学んで、このレンディアールでも〈らじお〉を広められるようになりたいです」
「それが、ルティの望む『志学期』なのですね~」
「はいっ」
「シガクキ……って、なんですか?」
聞き慣れない単語が気になって聞いてみると、ルティが俺たちのほうへ向き直った。
「レンディアール王家の者には『志学期』と呼ばれる、自らが選んだ一つの物事を18歳の最後の日までに研究して発展させ、それを世に伝えるという義務があるのだ。ミア姉様も、楽器の開発や劇場の運営、そして歌曲の研究と作曲を志学期に充てている」
「ずっと音楽が好きだったからというのもありますけど~、ルティも〈らじお〉が大好きなようで~」
「この間我がサスケへ〈らじお〉のことを教えてほしいと願ったときに『それが出来るだけの時間を十分に持っている』と言ったであろう? 我はその時間を〈らじお〉作りに充てることにしたのだ」
なるほど。だからルティは、あの日からラジオのことを積極的に学ぶようになったのか。
「ですがルティ、大丈夫なのですか~? この技術はサスケさんたちの世界のものであって、わたしたちの国にとってはまったくの未知の存在なんですよ~?」
「わかっております。今は、サスケたちの助力を得ているからこそということも十二分に。ですが、もしもこの国でも〈らじお〉ができるようになれば、きっとレンディアールに住む皆に様々な情報を伝えたり、多くの娯楽を提供できるのではないかと思うのです」
「……皆さんに、ご迷惑がかかるのではないですか?」
心配そうな表情のフィルミアさんが、俺たちのほうを向いて尋ねてきた。その言葉はのんびりとしたものじゃなく、落ち着いた、そして表情どおりの感情を含んだものだった。
「俺は、この話を持ちかけられた時から決めてましたから。できる限り、ルティの手伝いをするって」
「あたしもです。ルティちゃんの意気込みをそばで見ていて、お手伝いしたくなっちゃいました」
俺と有楽の、ヴィエルへ初めて来た時と変わらない答えにフィルミアさんが小さくうなずいて赤坂先輩へと向き直る。よく考えてみれば、先輩がどう思っているのかなんて知らないままだった。
「……正直言って、こんなに大きな規模のものだなんて考えてもいませんでした。でも、初めて会った時からルティさんはキラキラした目でラジオを聴いたり見たりしていて、わたしともいろんなことを話してくれて、その上わたしのラジオにも協力してくれて……だからそのお返しに、これからもルティさんのお手伝いをさせてほしいです」
最初は戸惑うようにうつむいていた赤坂先輩だけど、ルティのことを話し始めてからはフィルミアさんと視線を合わせて、笑顔でそう答えた。
「ルイコ嬢……ありがとうございます!」
「わたしからも、感謝を」
「はいっ。これからも、よろしくお願いします」
ゆっくりとおじぎをしたルティとフィルミアさんに、先輩もゆっくりとおじぎをして向きあう。今のフィルミアさんが5歳ぐらい年上の赤坂先輩と同じくらい堂々として見えるのは、王族の威厳ってやつなのかな。
「つきましては、私に時折〈ニホン〉へ行く許可を頂けないでしょうか」
「そうですね~」
あ、しっかりモードからほんにゃりモードに戻った。
「ピピナちゃんはぐったりしていましたけど~、大丈夫なんですか~?」
「だいじょーぶです。さっきはにほんのじかんをごーいんにかためたり、じゅんびもなくとんでぺこぺこになっちゃっただけですから、ちゃんとよーいすればもんだいないです」
「では、行ったその日に帰ってくるということであれば~。お父様とお母様には、ルティの手でちゃんとその旨を綴った手紙を書いてくださいね~」
「わかっております」
「あ、あのっ」
フィルミアさんの条件にルティが返事したところで、赤坂先輩が割り込むように声をかけた。
「もし日本で泊まりになるようなことがあれば、ルティさんとピピナさんには、またわたしの家に泊まってもらうというのはだめでしょうか」
「でも~、ルイコさんにはこれまでもルティとピピナちゃんを泊めて頂いたりして、経済的にもご迷惑をかけてしまっていますが~」
「大丈夫です。学生ではありますけど、アルバイト……えっと、副業もしていますし、ルティさんにもピピナさんにも、家のことを手伝ってもらったりしていますし」
ほんにゃりモードのフィルミアさんに、赤坂先輩が食い下がる。まあ、現状としてルティはタダで泊めてもらってごはんも食べさせてもらって、その上学習させてもらってるようなものなんだから、お姉さんにしたらそう考えても無理ないか。
「それに、今は両親が海外に行っていてひとり暮らし同然だから、ふたりがいても全く問題なくて……あと、ルティさんとピピナさんといっしょにいると、とても楽しいんです」
気恥ずかしそうに言った先輩は、照れたみたいに頬に手をあてて少しうつむいた。そう言われてみれば、初めてルティとピピナを泊めておにぎりを振る舞ったり、いっしょに出掛けたりした時も楽しそうだったもんな。
「ルイコさんが、そこまでおっしゃるのであれば~」
「ありがとうございます、フィルミアさん」
「そのかわりといってはなんですが~」
と、フィルミアさんがぽんと両手を叩いて俺たちに笑いかけた。
「皆さんがヴィエルへ滞在するときの宿や食事は、わたしに提供させてくださいね~」
「えっ、い、いいんですか?」
「はい~。本当ならルイコさんにお代を支払わなければとは思うんですが~、ニホンとこちらの通貨が違うというのはルティから聞いていますし、宿のお礼は宿でということで~」
「わたしとしてはありがたいですけど……松浜くんと神奈ちゃんは、どう?」
「俺もありがたいです。こっちでの拠点ができれば、じっくりラジオ作りができるじゃないですか」
「あたしも! ファンタジー世界をいっぱい勉強する、いいチャンスです」
「有楽はぶれねえな」
「自分に正直と言ってください!」
ふんすと鼻を鳴らして、有楽が胸を張る。威張ることじゃないし、揺れてるんだからやめなさい。
「それでは、決まりですね~」
「あとで、ラガルス殿たち市役所の方々にも周知させておきましょう。我とミア姉様は、皆のレンディアールへの来訪を歓迎するぞっ!」
「ピピナも、だいかんげーですっ!」
温かい微笑みをたたえるフィルミアさんの隣で、両手を大きく広げてルティが俺たちにそう宣言してみせた。ふたりの間でピピナが飛んでいるのを見ると、本当にファンタジーの物語に出てくるお姫様みたいな絵面だ。
「よろしくお願いいたします。フィルミアさん、ルティさん、ピピナさん」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますっ!」
俺たちもしっかりと応えたことで、ヴィエルで活動できることが決まった。ピピナが地球の時間を凍らせたおかげで一泊しても向こうで1時間しか経っていないってことだし、これで安心――
「ところでミア姉様、宿はどこにお願いしましょう」
「お願いしなくても、ここでいいじゃないですか~」
なぬ?
「リリナちゃ~ん、リリナちゃ~ん」
「お呼びになりましたか、フィルミア様」
「5階と6階の客間を整えますから~、いっしょに手伝ってくれませんか~?」
「そのくらいであれば私が……って、はい?」
いや、いきなり呼ばれて飛び出てこっちをガン見されても困るんですけど。
「この時計塔は5階と6階が客間になっていますので~、みなさんはそちらの部屋をお使いください~」
「こちらで泊まらせていただく、ということですね」
「やった! ルティちゃんが抱き枕っ!」
「カナ! 今なにか不吉なことを言ったな!?」
「るいこおねーさん、またいっしょにねるですよー!」
「……えー」
ここに泊まるってことは、フィルミアさんとルティとピピナに、赤坂先輩と有楽と、女の子が5人いるわけで。
「マツハマ・サスケ」
「は、はいっ」
そして、真正面に現れたとても小さな、それでいてとてもおぞましい声の主を含めれば、6人。
「フィルミア様とルティ様に免じて、泊まることは許してあげましょう。しかし……不埒なことをすれば、わかっていますよね?」
「わ、わかってます」
今にも血の涙を流しそうなリリナさんの宣告が、この間先輩の家で忘れて、また芽生えてきた気恥ずかしさを一気に刈り取った。
この人がいるなら、きっと大丈夫だろう。うん。
……大丈夫、だよな?
マイクつきのラジカセに向かってしゃべって録音して、ラジオ番組もどきを作ったことがある人っていますよね?
います、よね……?
ね?
ということで、異世界生活の第一歩です。
そして、ピピナのオーバースペックがどんどん明らかに。