第12話 異世界少女への贈り物
「〈みにえふえむ、ほうそうきょくきっと〉?」
小さなケースをのぞき込みながら、ルティが疑問の声を上げる。
「これが、いったいなんだというのだ?」
「わかりやすく言うと、これでラジオが放送できるんだってさ」
「これで?」
驚いているというよりも、納得がいかないようにつぶやいてケースをまじまじと見つめる。中に入っているガラス基盤やパーツは、木陰の隙間から差す陽の光でキラキラと輝いていた。
「……冗談であろう?」
「だよなー」
でも、その輝きとは正反対にルティの顔は曇っている。というより、すんごく困惑しているらしい。そりゃそうだ。俺だって、昨日父さんにそう反応をしたぐらいだ。
「俺もそう思ったんだけど、実際父さんが昔買って作ってみたらしい」
「作る? 〈らじおきょく〉を、自分でか?」
「作るための材料とかが、まとめて店で売られてるんだって」
「なんと……」
おそるおそるといった感じで、ルティがミニFM放送局キットを指でちょいとつつく。初めて会ってから、今まででいちばん戸惑っている表情かもしれない。
「こんなの、ピピナよりもちっちゃいじゃないですか。ほんとにらじおなんてできるですか?」
「家の中では一応な。離れてるところで聴こえるか、これから試してみるんだよ」
ルティが提げてるポーチの隙間から、初めて外出についてきたチビ妖精が顔をひょいと出して文句を言ってくる。まあ、そう思うのも無理はない。
ゴールデンウィーク最終日の5月5日。俺とルティとチビ妖精は、このあいだサッカー観戦で来た市民公園にいた。
赤坂先輩がわかばシティFMの公開放送スタッフとして朝早くから若葉市郊外のショッピングセンターに行くために、ルティはモーニングの時間帯からうちの店へ。そのラッシュの終わりを見計らって、こうして昨日父さんから借りたミニFM放送局キットを試そうと公園に来てみたんだけど……本当に外でも使えるのかね、これ。
「えーっと……よし、大丈夫だな」
辺りを見渡してみた限り、公園の草原広場には人がまばらにしかいない。今日はNリーグの試合もないし、ゴールデンウィーク最終日の街の外れならと来てみて正解だったみたいだ。
「じゃあ、まずはこいつを入れて、と」
「また変なものが出てきた」
俺がバッグから取り出したものを見て、またルティが戸惑ったような声を上げる。
「これは『電池』っていって、中に電気が貯められているんだ」
「こんな小さきものに〈デンキ〉がだと?」
「ほれっ」
「わぁっ! な、なにをするっ!?」
そんなルティの手に単3電池をのせてみたら、びっくりしたのか取り落としそうになって、あたふたした末になんとか掴んでみせた。
「ふぅ……おおっ、冷たいのだな」
「今は使ってないから冷たいんだ。電気を使えば、それなりにあったかくなる。まずは、これをこうしてっと」
改めてバッグから電池を取り出した俺は、いっしょに手にしていたポケットラジオの裏蓋を開けてから2本の単3電池を入れた。
「〈ぽけっとらじお〉にも使うのか」
「このポケットラジオを動かすには、電池が欠かせないんだ。ほら、こんな感じでな」
ロッドアンテナを伸ばしてから電源ボタンを押すと、液晶に「88.8MHz」の表示が出てスピーカーから音楽にのせた声が流れ始める。今日も、わかばシティFMの電波は良好みたいだ。
「これは、先日のとは違って〈ぽけっとらじお〉そのものから音が流れるのだな」
「先輩の家にある大きなラジオは本体と別になっているけど、これはこのたくさん穴が開いてる部分から音が出るんだ。それでもって、こんな感じでいろんなラジオ局が聴ける」
選局ボタンを押し続けて周波数を下げていくと、82.5メガヘルツ、81.3メガヘルツ、80.0メガヘルツといった具合に電波を受信して音が流れだす。それぞれクラシック音楽だったり、トークだったり、ヒットチャートだったりと多彩な内容だ。
「ほほぅ」
「便利だろ、これ。ルティもやってみるか?」
「やってみたい!」
たずねてみた瞬間、ポケットラジオに向いていたルティの視線が上がって俺と目が合った。
「よし。んじゃ、まずは電源の入れ方……えっと、聴けるようにする方法から。上の方に、小さいボタンがあるから、まずはそれを押してみな」
「どれどれ……おおっ、音が消えた」
「次に、もう一回押してみ」
「また音が流れてきたな。これで、使ったり使わなかったりするときに切り替えるのか」
「そういうことだ」
「さるすけ、さるすけ、ピピナにもおしえるですよっ」
「あ、こらっ」
止める間もなく、チビ妖精がポシェットから飛び出してルティが持つポケットラジオのスピーカーにのっかった。
「しんぱいごむよーです。さるすけとルティさまいがいはみえなくしてるですよ」
「それならいいけど。じゃあ、チビ妖精はこっちな。この数字が出ているところの両端にボタンがあるから、左側のを押してみろ」
「はいですっ。んしょ、んしょっと」
俺の言葉どおりに、チビ妖精が両手を使って左側の選局ボタンをぽち、ぽちと押していく。今日はレッスンでいない有楽が見たら、またハァハァものだろうな。
「わわっ、ざーってなってるですよ!?」
「こういう音が出るときは、その数字のところにはラジオ局がないってことだ。もうちょっと押してみな」
「ほんとーですか? んしょ、んしょ……あっ、またおとがきこえたです」
79.5メガヘルツに音が合ったところで、雑音がトーク番組らしい音へと切り替わる。ほとんどノイズもなく聴こえてくるのは、地元のムサシノFMだ。
「ここに表示されている数字が減っているが、その数字の数だけ〈らじおきょく〉を作ることができるということか?」
「ちょっと違うな。チビ妖精、もう一回そのボタンを押してくれ」
「んしょっと……あ、ざーっておととさっきのおとがまじってるですね」
液晶の表示が79.4MHzになったのと同時に、クリアだったムサシノFMの音がノイズ混じりになってスピーカーから流れだした。
「ラジオは『電波』……チビ妖精が言う『空を飛ぶ音』をラジオ局が飛ばして、それをこういうポケットラジオとか、赤坂先輩の家にあるような大きなラジオの機械で受け取って聴こえるようになっているんだ。その『電波』の強弱で、聴こえるか聴こえないかが決まってくる」
「つまり、強ければ強いほどきれいに聴こえて、弱ければ聴こえないということなのだな」
「そういうことだ。ちなみに、この日本には大きめのラジオ局だけで103局あって、わかばシティFMみたいな小さなラジオ局を含めたら380局ぐらいになる」
「さんびゃくはちじゅっきょくだと!?」
「でも、この若葉市でちゃんと聴こえるのはその中の12局と、わかばシティFMだけ。空を飛ぶ電波は距離にも使える量にも限りがあるから、ぶつかり合わないように調整したり、譲り合ったりしてるわけだ」
「なるほど……まさか、そんなに多くの者が〈らじお〉をやっているとは」
「さるすけ、ルティさま、またきこえてきたですよー」
我関せずといった感じでチビ妖精が選局ボタンを押すうちに、少しだけノイズが混じった音が聴こえてきた。78.0メガヘルツってことは、千葉のマリンブルーFMか。
『それではここで道路交通情報です。ゴールデンウィーク最終日の渋滞はどうなっていますでしょうか。日本道路網情報センターの小田原さん、お願いします』
『はい、日本道路網情報センターの小田原です。昨日がUターンラッシュのピークという予想でしたが、本日も長距離の渋滞が続いております。一番の渋滞となっています中央自動車道は、上野原インターチェンジから高井戸インターチェンジまでで50キロの渋滞。関越自動車道は――』
「サスケ、なぜ〈らじお〉で道路の情報など流しているのだ?」
「ここへバスで来るとき、道が混んでいただろ。どの道がどのくらい混んでるかっていう情報を流すことで、その道を通る人が混雑していない道を選んだり、どのくらいかかるかを予測できるように放送してるんだ」
「この世界にも、やはり渋滞があるのだな」
「もしかして、ルティの国でも渋滞したりするのか?」
「うむ。我が住んでいた中央都市でも祝祭の前日や翌日には馬車がよく渋滞が発生して、最後の馬車隊が門を出るのに1日半かかることもある」
「1日半……って、えらい規模だな」
日本でも半日かかる渋滞で疲れるんだから、その3倍か……気が遠くなるような話だ。
「だが、もしレンディアールで〈らじお〉をやったとして、渋滞の情報を扱うのはなかなか難しいだろうな」
「そうか?」
「我らが情報を得るのは主に早馬だ。渋滞へ馬を放ったところで、ただいたずらに渋滞を増やすだけになってしまう」
「あー……それは確かに」
「この世界のように、高度な技術で様々な情報が空を飛び交うようであれば別だが」
「それも難しいか」
「難しいというよりも、無理だ」
苦笑しながら、ルティがきっぱりと斬り捨てる。複雑な技術が必要なテレビやPC、スマートフォンといったものに対して、興味はもっても深入りしないというルティらしい言い方だ。
「それでも、渋滞で待っている者に対して音楽や話題などの娯楽をもたらすことはできる。もし、サスケが父御に借りたその機械で〈らじおきょく〉がまことにできるのであれば――」
そう言って、俺が手にしているミニFM放送局キットに視線を落としたルティは、
「レンディアールで、〈らじおきょく〉を作る参考になりそうだ」
すぐに俺を見上げて、期待に満ちた目で視線を合わせた。
「じゃあ、早速試してみるか」
「うむっ」
提案してみれば、大きくうなずいて笑顔に。ラジオの聴き方も教えたことだし、これ以上お預けにすることもないよな。
「チビ妖精、今度は反対側のボタンを押してくれ」
「はいですっ」
元気に手を挙げたチビ妖精が、周波数を上げるボタンをさっきと同じようにんしょ、んしょと両手で押していく。
「……よし、そこでいい」
「はちじゅーきゅーてんご、えむえいちぜっとでいーんですね」
「なんだ、ただ雑音がするだけではないか」
「まだまだこれからだよ。ルティはこのポケットラジオを持って、離れたところで待っててくれ。スピーカー……えっと、音が出るところに変化があったら声を掛けてくれればいい」
「ふむ……ここから離れればいいのだな」
少し首をかしげてから、ルティがゆっくりとした足取りで木陰から出ていった。白いワンピースとさらりと流れる長い銀色の髪が、太陽の光にまぶしく映えている。
「さて、始めますか」
送信キットの電池パックを開けて、そこに単3電池を2本互い違いに入れていく。続いて、いっしょに受け取ったロッドアンテナのケーブルを本体横のコネクタに差し込んだら、その反対側にある電源スイッチをオン。ルティの様子を見てみると、ポケットラジオを眺めながらてくてくと芝生を歩いていて特に反応はない。
「次は、これ……と」
それを確認してポケットから取り出したのは、プラスチック製のマイナスドライバー。本体のフタを開けてから、基板の真ん中にある銅色の『コア』にドライバーを差し込んでゆっくり、ゆっくりと回していく。
「サスケっ!」
「どうしたー?」
「音がしなくなったぞ! 壊れてしまったのか!?」
「違う違う、ちょっと待ってろー」
かなり離れた場所まで行ったルティが、両手でポケットラジオを抱きしめてあたふたしている。音がしなくなったってことは、周波数が合ったってことだな。
そこまで来たら、今度は赤と白の音声入力用コネクタの横にある、外部入力とマイクの切り替えスイッチを上げて、
「ルティ、聴こえるか?」
「!」
昨日はスピーカーに見えた、本体側面のマイクへ声をかけたその瞬間にルティがびくっと身を震わせる。
「聴こえたら、手を振ってくれ」
「聴こえたっ! 聴こえたぞっ!」
もう一度話しかけると、右手をぶんぶんと振って俺のほうへ駆け寄ってきた。昨日家の中でちょっとテストしてみたけど、案外離れてても受信できるんだな。
「よしっ、今度はルティの番だな」
「我にもできるのか!?」
「ああ。この両端にある小さいマイクに話しかけるだけでいいんだ」
「わかった! 我の声、サスケに届けてみせようっ!」
木陰へ戻ってきたルティからポケットラジオを受け取った俺は、送信キット本体とアンテナをルティへ渡して、入れ替わるようにして日向へと出ていった。
『サスケ、サスケ』
真後ろとポケットラジオのスピーカーから、ほんのわずかなラグがあってから同じ声が聴こえてくる。
『聴こえたら、先ほどの我のように手を振ってほしい』
「まったく、まだ近いっての」
一度立ち止まってから、軽く手を振ってみせる。木陰にいるからちょっと表情はわかりづらいが、うれしいのか軽くぴょんぴょんと飛び跳ねているみたいだ。
『我の名は、エルティシア・ライナ=ディ・レンド』
続いてスピーカーから聴こえてきたのは、弾むようなルティの声。
『この名が、我が友マツハマ・サスケに届いていることを願う』
初めて会った日の凛とした声とは違うけど、あの時を思い出させる言葉に、
「おう、ちゃんと届いてるぞ!」
俺はもう一回振り返って、大きく返事をしてみせた。
『本当に、届くのだな……』
『さるすけー! ピピナのこえ、ちゃーんときこえるですかー!』
喜びがあふれるようなルティの声と入れ替わるようにして、チビ妖精の声もちゃんと聴こえてくる。姿は消していても、言葉はちゃんと伝わるのか。
「おう、そっちの声もしっかり聴こえてるぞ!」
『ルティさまっ、ルティさまっ、ピピナのこえもきこえてるみたいですよー!』
『本当だなっ!』
ふたりの弾んだ声が、手元のラジオからちゃんと聴こえてくる。それからもやりとりをしてみたところ、広場中央の木陰から端のほうまでほとんど途切れることなくラジオからルティとチビ妖精の声が流れ続けていた。
あんなに小さいのに、ここまで聴こえるなんて……本当に、ちょっとしたラジオ局が出来るじゃないか。
「サスケ、これはすごい! これはすごいぞっ!」
「おわっ!?」
木陰へと戻ると、待ちきれなかった様子のルティが俺に駆け寄ってきた。って、近い! 顔が近いっ!
「こんなに小さき機械で我の声が届くとは、夢のようだ!」
「ピピナのこえも、ちゃーんととどいてたですねー!」
「お、おう、わかったから、落ち着こう、落ち着こう、なっ」
「これが落ち着いていられるかっ!」
わわっ、背伸びするなっ! そこまでしないでいいっ!
「こんなに楽しい体験をさせて頂けたのだ。是非、礼を言わせていただきたい!」
「れ、礼って誰に?」
「もちろん、サスケの父御にだ」
「あー……父さん、今日も仕事なんだよ。連休中の特別体勢とかで」
朝起きたら『グッドラック!』とか言って、サムズアップして出ていったし。本当、連休中お疲れ様です。
「なら、後日正式に礼をしよう。とはいっても、我には礼を言うことしかできないが」
「父さんには、そうしたいって言ってたって伝言しておくよ」
「よろしく頼む」
「そうだ。伝言といえば、父さんからルティに伝言があるんだった」
「我に、サスケの父御から?」
「うん」
ひとつうなずいてから、ルティが大事そうに持っている送信キットとロッドアンテナに視線を落とす。
「その送信キット、もし使えたならルティに渡してほしいってさ」
「なっ!?」
ルティは短く叫ぶと、口を開けたまましばらく固まって、
「だ、ダメだっ! それは絶対にダメだっ!」
ぶんぶんぶんぶんと、超光速で首を横に振った。
「こんなに貴重なもの、もらってしまうのは忍びない!」
「いや、落ち着けって!」
「無理っ、無理だっ!」
そして、ずいっと俺に送信キットを押しつけてくる。
「これは、サスケに返す!」
「だから、まずちゃんと話を聞けって」
「うっ」
ルティの手を押しとどめて、困惑に満ちた目と視線を合わせた俺は一度深呼吸してからまた口を開いた。
「まずひとつ。父さんは『実況の感想のお礼』だって言ってた。『生き様を実況している』ってのが、とてもうれしかったんだってさ」
「し、しかし」
「それとだな」
本当なら、ここでこういう話をするのは下世話かもしれない。でも、落ち着かせるにはちゃんと言うしかないだろう。
「それの材料費、ひとつ2000円もしないんだって」
「は?」
「2000円」
「……は?」
「レンディアールの通貨に換算すれば、銅貨20枚だっけか」
鉄片100枚で銅貨1枚分、銅貨100枚で銀貨1枚分、銀貨100枚で金貨1枚分だって言ってたから、だいたいで換算すればそうなるはずだ。
「こんなに尊きものが、銅貨20枚で……?」
「しかも、ただしゃべるだけのヤツなら1000円で作れる」
「どうか、じゅうまいで……」
ぼけっとした声で言ったルティの視線が、ゆっくりと手元の送信キットへと下がっていって、
「おかしい! 絶対におかしい!」
「だよな!」
ルティよありがとう。俺も思っていたことを代弁してくれて。
「なんなのだ、このニホンという国は……普通考えられるものではないぞ」
「もっと値段が高いのはあるんだけど、買って自分で組み立てるものだから安く買えるって言ってた」
「組み立てるということは、自分の手で作ることができるのか」
ケースの中の基板は、細々としたパーツが『はんだ』で固定して繋げられている。パーツは用意されていたり買ったりはするけど、一応自分で作るもので間違いない。と、思う。
「あと、父さんは同じのをいくつか持ってるんだ。もし使えたなら、ラジオ好きの女の子の手でラジオを発信してほしいってさ」
「我の手で……」
「とゆーことは、レンディアールでらじおができるのですね!」
「ああ、だから」
チビ妖精のうれしそうな声に応えてから、俺は手にしていたポケットラジオの電源を切って、
「もしよかったら、これも使ってくれ」
ルティが手にしている送信キットの上に、ゆっくりと置いてあげた。
「これを、我に?」
「俺もポケットラジオはいくつか持ってるし、スマホでも聴けるから」
「まことに、まことにいいのか?」
「あと、これもだな」
続いて、ポケットの中からスマートフォンに付属していた新品未使用のイヤホンを取り出して、ラジオの上にのせる。
今の俺にできるのは、ルティへラジオを教えることだけ。父さんから送信キットのことを持ちかけられたときに、だったらこのラジオもいっしょに渡せばルティの助けになるんじゃないかって、そう思ったんだ。
「あくまでも短距離用だし、参考にしかならないと思うがな。電池も部品もないレンディアールじゃ、どっちかが切れたらおしまいだ。それでも、何かのきっかけになれば――」
「いや、十分だ」
俺がしゃべるのをさえぎって、ルティがふるふると首を横に振った。
「サスケから贈ってもらえただけで、我はうれしい」
そして、手にしていた送信キットとポケットラジオを胸元に抱き寄せると、
「感謝しているぞ、サスケ」
ゆっくりと長い銀髪を揺らしながら、笑顔を向けてくれた。
「い、いいって。むしろ、ごめんな。新しいのを買った方がいいんだろうけど、その、手持ちが……あっ、でも、電池は新品だし、イヤホンは新品同然だから――」
「気にすることはない。サスケとその父御が大切にしていたものなのだから、必ず大切にすると誓おう」
風で刻一刻と変わる木漏れ日に照らされたその笑顔は、やっぱりキレイで、かわいくて。
「そうしてくれると、俺もうれしい」
俺まで笑顔にさせてくれる、そんな力を秘めていた。
「あと、もう一つルティたちへのプレゼント……贈り物があるんだ」
「我らにか?」
「その前に、渡しておいてなんだが、もう一度送信キットを貸してくれないか?」
「うむ」
小さくうなずいたルティから、送信キットを受け取る。手のひらに広がるぬくもりが俺のじゃないことが、少しだけくすぐったい。
「それじゃあ、またポケットラジオを持って広場のほうで待っててくれ。さっき教えたように電源を入れて、この間みたいにイヤホンをつけてな」
「わかった!」
俺のお願いを聞いて、ルティは大事そうにポケットラジオを抱きかかえて日向へと出て行った。あんなにうれしそうな笑顔を見せてくれたんだから、俺もしっかり応えないと。
「さすけ」
「ん?」
横から小さな声がしたから見てみると、チビ妖精――ピピナが俺のそばでふわふわと浮いていた。
「たいせつなものをおくってくれて、ほんとーにありがとうです」
「いいんだって。俺もお前と同じ、ルティの笑顔が見たいだけだ」
「あははっ。ルティさまのえがおは、やっぱりみりょくてきですからねー」
「それに、見てて楽しい」
「わかるです、わかるですよ」
「んじゃ、ピピナもそろそろルティのところに行ってこい。これは、お前へのプレゼントでもあるんだからな」
「そーなんですか? じゃあ、いってくるですよー!」
ぱたぱたと羽をはためかせながら、ピピナが木陰から飛び出していく。ルティとずっといたあいつにも、このプレゼントはちゃんと聴いてもらわないと。
ルティがある程度離れたのを見計らって、バッグの中からダイヤル式のポケットラジオと、一組のケーブルを取り出した。
まずは、ラジオのボリュームを上げて電源を入れたら89.5メガヘルツあたりにチューニング。続いて、ケーブルを送信キットとスマートフォンにそれぞれ接続する。送信キットの音声用スイッチをマイク入力から外部入力へ変更して、スマートフォンの音楽プレイヤーを起動したら、あとは再生ボタンを押せば……
『『若葉南高校放送部プレゼンツ!』』
『松浜佐助と!』
『有楽神奈の!』
『『〈ボクらはラジオで好き放題!〉しゅっちょーばーん!!』』
一昨日録ったばかりの俺たちだけの番組が、ラジオのスピーカーから流れ始めた。
「っ!?」
イヤホンを片方ずつ分け合ったルティとピピナは、やっぱりこっちを向いて驚いている。ひとつうなずいた俺が座って木に寄りかかると、ルティもうなずき返して手近な草原へと座った。
しばらくは、俺と有楽のオープニングトークが続く。こうして録音したのを聴くのが初めてってわけじゃないが、やっぱりこの時の俺と有楽は妙なテンションだったよな。
『それではゲストをお呼びしましょう。〈レンディアール〉という異世界の国からやってきた女の子、エルティシア・ライナ=ディ・レンドさんです!』
『うむっ。我こそが、エルティシア・ライナ=ディ・レンドである!』
そして、俺の呼び込みでゲストのルティがしゃべり始めた。ルティに渡した送信キットで放送する最初の番組なんだから、やっぱりルティの声が流れてこなくちゃ。
モノラル用の小さなスピーカーってこともあってクリアな音質じゃないけど、それでもルティの凛とした声ははっきりと聴こえてくる。姿は遠くにあって、声は近くから聴こえて。それが、とても不思議だ。
時々風が吹いて、ラジオの音に木々の葉っぱが擦れる音が重なる。俺がまだ小さい頃、店が定休日になると父さんと母さんとここでピクニックみたいなことをしたっけ。
あれから10年以上の時が経って、今度は同じ番組を異世界から来た女の子たちとラジオを聴いている。そんなことは想像もしていなかったし、できるわけもない。でも、楽しそうなルティとピピナの姿は、あの時と同じくらい大切な思い出にしたいって、そう思えた。
『あの、ルイコ嬢。〈すりぃさいず〉とはなんなのですか?』
『え、えーっと……男の子には秘密の、女の子の大事な数字……かな?』
『???』
『スリーサイズってのはねー』
『あっ、こらっ』
番組は、ルティの紹介から有楽の暴走、赤坂先輩のカミナリサインに俺のフォローへと続いていく。やっぱりスリーサイズの件といい、ルティへのハァハァといい、こうして聴いていると有楽は暴走しすぎだと思う。俺がコントロールしなかったら、ほんとどうなっているんだか。
『ちなみに、ルティちゃんがここに来る前に何かやりたいことってあった?』
『む? ここに、来る前……』
そんな心配をしているうちに、話題はルティのやりたいことへと移っていった。収録のときは不安そうな姿を見せていたけど、今なら絶対大丈夫だ。
『ああ。そのためにも、皆から〈らじお〉のことをたくさん学んでみせよう!』
そう言い切れるぐらい、ルティの笑顔は気力にあふれているんだから。
『それではこの時間は俺、某ラジオ局アナのボンクラ息子・松浜佐助と』
『声優事務所『クイックレスポンス』のヒヨコ・有楽神奈、そしてっ』
『我、エルティシア・ライナ=ディ・レンドがお送りした!』
『それでは皆様っ』
『『『また、いつか!』』』
エンディングトークが終わったのは、放送開始からきっちり一時間後。昼頃になったところで、さっきまで騒々しかったラジオの音はすっかり静まって、遠くから聴こえる子供たちの遊び声と葉っぱが擦れる音だけが残った。
「さて、と」
ラジオと送信キットの電源をオフにして、繋げていたケーブルを外していく。それをバッグに入れて立ち上がった俺は、木陰から出て草原へと向かった。
「よっ」
そして、草原でぺたんと座っているルティの前に座る。その膝の上には、ピピナも座っていた。
「サスケ……」
名残惜しそうにポケットラジオを見下ろしていたルティは、顔を上げると心ここにあらずといった声で俺の名前を呼んだ。
「どうだった?」
「……まるで、夢のようだ」
小さい、つぶやくような声。言葉通りに夢心地なのか、ピピナが手に持ち、ルティがつけたままのイヤホンからはノイズが漏れている。
「我らが話したことが、こうして〈らじお〉で聴けるとは思わなかった」
「父さんに教わってから、絶対にこれをやろうって決めてたんだ」
「賢しい真似を……」
「でも、聴いてみてどうよ」
「そんなの、決まっている!」
さっきまでと一変した声できっぱりと言うと、
「とても、とても楽しかった!」
喜びを爆発させたルティは、さっき以上にまぶしい笑顔を見せてくれた。
「皆でしゃべったことも楽しかったが、こうして聴くのも楽しいとは……まことに、まるで夢のようだった。時間などあっという間に過ぎていったぞ!」
「そうだろう。俺も、聴いててとても楽しかったぞ」
「ルティさまもさすけも、かなもるいこおねーさんもたのしそーで、ピピナもいっしょにたのしくなったですよ!」
「ピピナも楽しんでくれたか」
「はいですっ!」
ぴょこんとルティの肩に飛び乗ったピピナがほおずりをする。きっと、それだけ楽しかったってことなんだろう。
「ならば、次はピピナも我らとともに〈らじお〉で話そう」
「ピピナもですか?」
「おっ、そりゃいい考えだ」
「だろう?」
「い、いーんですか? ピピナがらじおでしゃべっちゃって」
「当然だ。ピピナも、我らの友ではないか」
「そうだぞ。もしもスタジオには行けなくたって、先輩の家でも俺の家でも学校の放送室でも、なんだったらこの公園でも番組は作れるんだ」
そのための機材だったら、いくらでもある。PCでもICレコーダーでもいいし、なんだったらずっと前の先輩たちが残していったテープレコーダーって手もある。それを使えば、いつでもどこでも収録はできるんだ。
「じゃあ、ピピナもいっしょにしゃべりたいですっ!」
「では、決まりだな!」
「帰ったら、有楽と先輩にも話しておこう。それでもって、次はレンディアールだ」
「レンディアールだと?」
俺の言葉を、きょとんとした顔でルティが聞き返す。
「おいおい。レンディアールでラジオ局を作るんだろ? だったら、今度はレンディアール向けの番組も作らないと」
「そうか……そうだな!」
合点がいった感じで、ルティの表情に力がまた戻った。ほんと、ころころと表情が変わるから見てて楽しいや。
「だが、我の〈らじお〉への知識はまだ浅い。それくらいは、深く理解している」
「まあ、まだ初歩の初歩っていったところだし」
「で、あろうな」
くすりと、ひとつ苦笑い。
「だから、我からサスケに願いたいことがある」
「俺に、か?」
「ああ」
続いてルティは、姿勢を正して座り直すと、
「我とともに、〈らじおきょく〉を作ってはくれまいか?」
俺より背が低いこともあって、上目遣いでそうお願いしてきた。
「〈らじお〉の楽しさを教えてくれたサスケとカナ、そしてルイコ嬢とともに、レンディアールの皆へ届くようなラジオ局が作りたい。様々な人々との対話に音楽、そして音声劇に運動実況などの娯楽や様々な情報の提供は、きっと新たな楽しみになるはずだ」
始めは落ち着いていた言葉に、熱が帯びていく。
「当然、時間が空いているときでいい。昨晩ピピナとも話し合ったのだが、我がレンディアールに戻ったとしても、時を見計らって日本へ再び来ることができると思う」
「ピピナも、いっぱいごはんをたべていっぱいがんばるですよっ!」
胸を張ったルピナが、元気いっぱいに言ってみせる。そうか、ピピナも決断したのか。
「もちろん、サスケだけではなくカナとルイコ嬢にも願うつもりだ。まずはこうして、始めに我をこの世界に我を導いてくれたサスケへ願いたかった」
ルティの凛とした声も、静かに俺の心へ響いていく。それが、俺の言いたかったことを確かなものにしてくれた。
「ありがとな、ルティ」
「えっ」
「ラジオ局づくりへ、俺を誘ってくれて」
「な、何故我に礼を言うのだ? 我の方こそ、礼を言っても言い切れないというのに」
「俺、不安だったんだよ」
自分が情けなくて、思わず人差し指で頬をかく。
「ラジオのことを教え終わったら、もう二度とルティに会えないんじゃないかって。つい今の今まで、そんな不安をずっと抱えてた」
我ながら、弱気な発言にも程があるとは思う。でも、わかばシティFMのスタジオ前で見た夕陽を背にするルティの姿は、いつまで経っても俺をそんな不安をかきたてさせた。
「でも、いっしょにラジオ局を作れるってことは、これからもルティと会えるってことだよな」
「当たり前ではないか。皆がいなければ我の〈らじおきょく〉作りは始まらぬし、我だってこうしてともに遊んだりするのが大好きだ!」
当然だとばかりに、きっぱりルティが言ってみせる。背筋をぴんと伸ばして、俺をまっすぐ見つめて言うだけあって、その言葉には確かな説得力があった。
「そっか……そうだよな」
初めて会った日、手を触れれば今にも消えそうだった幻想的な女の子が、はっきりとした姿と声で断言してくれている。だったら、返事はひとつだけだ。
「俺こそ、よろしく頼むよ」
「頼むって、我のほうが頼んでいるのだぞ?」
「仕方ないだろ。そう言いたかったんだから」
これからも有楽や赤坂先輩といっしょにルティやピピナとわいわいラジオ局作りができるなんて、こんなに楽しみなことはない。俺の方からこそ、お願いしたいことだった。
「そうか。ならば、決まりだな」
「ああ」
ルティが差し出した手をゆっくり握ると、この間ここで感じたのと同じ温かさがまた手から身体へと伝わっていく。ルティはここにいるんだって確かに思える、優しい温もりだった。
「よろしく、サスケ」
「よろしくな、ルティ」
「もうっ、ふたりともピピナをわすれちゃだめだめですっ!」
ちょっと拗ねたように言って、ピピナが俺とルティの握った手の上へと座る。
「もちろん忘れてないとも。ピピナ、これからもよろしく」
「よろしくな、ピピナ」
「はいですよっ。ルティさま、さすけっ!」
満足そうににぱっと笑うピピナと、瞳に強い意志を込めて微笑むルティ。きっと、つられて俺も笑っているんだろう。
今やっと、足踏みを続けていた俺の歩みが前に進んだんだって、そう思えるくらいに。
それから俺たちは、店から出る前に母さんから渡されたサンドイッチで昼飯を食べたり、送信キットを使っていろいろ実験してみたり、先輩がスタッフを担当しているわかばシティFMの公開放送をいっしょに聴いたりして公園の広場で過ごした。
雲一つないぽかぽか陽気で少し暑いぐらいだったけど、ふたりといた楽しさでほとんど気にはならなかった。
「今日は楽しかったぞ、サスケ」
「たのしかったです!」
「俺も、とても楽しかったよ」
降りたバスを見送って歩き出したのは、終点の若葉駅前。少し傾いた陽は、街をオレンジ色に染め始めていた。
「ふたりとも、先輩が帰ってくるまでうちで待つんだろ。母さんが、ホットケーキを焼いてくれるってさ」
「〈ほっとけーき〉?」
「あー、そっちだとパンケーキのほうがわかりやすいのか?」
「〈ぱんけーき〉……なんと、御母堂が我に作ってくださるのか!」
「ピピナもルティさまも、ぱんけーきだいすきですよー!」
「うむっ、楓の雫も忘れてはなるまいぞ」
さっきまでは14歳と思えないぐらいに凛々しい姿を見せてくれたルティが、今は14歳の年相応……よりも、ちょっと幼いぐらいの姿を見せている。振れ幅が大きくて不思議だけど、やっぱりそれがルティの魅力だと思う。
「有楽からもオーディションが終わったってメールがあったし、あとで電話して――」
これからの予定を話しながら、うちの店へと続く曲がり角に差し掛かろうとした、その時。
「痴れ者よ」
「っ!?」
俺ののど元に、長い針のような物が突き付けられる。
「ピピナを謀りエルティシア様をさらったこと、後悔させてくれましょう」
続いてふわりと舞ったのは、長く蒼い三つ編みと、より深い蒼のドレス。
ルティより少し背が高い女の子は、透明な羽を夕陽にきらめかせながら金色の瞳で俺を射抜いた。
「リリナ!?」
「ねーさま!?」
どうやら、俺はまたレンディアールの人に出会ってしまったらしい。
「えー……」
しかも、たぶん誤解された形で。
本編内で出て来た「ミニFM放送局キット」は、実在していたものと現行のものをミックスしてモデルにしています。
実際の品も自作が必要で、基板が細かくはんだ付けもかなり難しいですが、ちゃんと作って適切なアンテナを選べば100メートル前後、運も良ければそれ以上電波が飛んだりすることもあります。
※注:性能には個体差があります。なお、マヌケな南澤は誤ってICチップをはんだゴテで焼いて昇天させてしまいました。
さて、第1章「異世界ラジオのまなびかた」は今回でおしまい。次回より第2章「異世界ラジオのはじめかた」が始まりますので、今後ともよろしくお願いいたします。