第10話 異世界少女(?)と街へ出よう
拝啓、父上様。
わたくしめは先ほど、小さくてクソ生意気な妖精に「ツラを貸せ」と言われたわけでして。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
拝啓、母上様。
その反抗的で攻撃的なチビ妖精は「ちょっとそこまで」とも言っていたわけですが。
「おちるっ!! おちるっ、おちるってばぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
なんで俺と有楽は空から落ちてるんだよぉぉぉぉぉっ!!
「まったく、こわがりですねぇふたりとも」
「なにのんびり言ってるんだよバカ妖精! 殺す気かっ!!」
「めくれるっ、めくれちゃうって! スカートっ! いやぁぁぁぁぁ!!」
うわっ、有楽が逆てるてる坊主状態に!? って、見ないぞ、絶対見ないぞっ!
「しかたないですねぇ……てやっ」
「ぐえっ!!」
チビ妖精が涼しい顔で俺たちのまわりをくるりと回った瞬間、俺の身体に急ブレーキがかかったような衝撃が走って思いっきり首が絞まった。
「ふぇっ!?」
有楽はというと、だんだんブレーキがかかったように減速して空中でふよふよと浮いていた。こ、このチビ妖精め……
「ちょっとはゆーがに、くーちゅーさんぽをたのしめばいーのにです」
「いきなり空中に放り出しといて無茶言うな!」
「あー……すごかったぁ」
より下に落ちていた俺が釣られるように浮き上がると、逆てるてる坊主状態だった有楽がくるりと縦回転して、浮かんだままぺたりと座った姿勢になった。
「おいコラバカ妖精。ついてこいって言われたから来てみたら、昼間だわ山の上に放り出されるわで……いったいどこだよここは!」
「しかも、あたしも先輩も空を飛んでるし……」
「したにおりたら、できるかぎりせつめーするですよ」
なんでもないように、当たり前のように言い放ったチビ妖精がまた飛び始めると、俺と有楽の身体も引っ張られるようにして空をすべり始めた。
わけがわからないままあたりを見回してみると、とにかく山、山、山。まるで崖のように切り立った場所もあれば連なっているところもあって、中には湖や生い茂った森で包まれたような場所もある。
「きれいな景色ですね」
「こんなに自然だらけとか、俺たちどこに飛ばされたんだよ……」
「日本じゃないのは確かでしょうねー」
「今さっきまで夜だったもんな」
日が暮れてさあ帰ろうって言ってたはずが、澄んだ青空に雲がちょいとたなびいたり太陽が照りつけている状況からして、日本とは違う場所に飛ばされたっていうのはわかる。かといって、上は空、下は山がずっと続く状況じゃどこかまではわからない。
今はただ、チビ妖精にされるがままになるしかなさそうだ。
「せんぱい、ちょっとこっちに来てください」
「なんだよ」
呼ばれて泳ぐように近づくと、なぜか有楽がじーっと俺をにらみつけてくる。
「あのー、ちょっと言いにくいんですけど」
「だからなんだって」
「せんぱいの身体、ちょっと透明になってません?」
「は?」
そんな馬鹿な、と思いながら自分の手を見てみると、
「……マジだ」
「ですよね」
「そういう有楽も、なんかちょっと透けてないか?」
「きゃっ!?」
「って、何故自分の身体を抱きしめる」
「いや、せんぱいが透けてるって言うから」
「その透けてるじゃねえよ!」
ラジオの収録より恥じらいがあるのはいいが、今はそんなアホなことを考えてる場合じゃないっての!
「どれどれ……あ、ほんとだ」
「チビ妖精も身体が透けてるし……俺と有楽は、コイツに殺されたのか?」
「ひとぎきわるいことゆーなです」
「じゃあなんだよ、この状況は」
「かなとさるすけのたましいを、ちょちょいっとかりてひっぱってきただけですよ」
「死神だ! コイツ死神だっ!」
「そんなんじゃないですっ!」
いやいやそれ以外ないだろう、語尾がデスだし……と言おうとしたけど、チビ妖精は俺の言葉にぷんすかと怒っている。よく考えてみれば、俺の魂の生殺与奪権はこいつに握られているわけで。
うん、黙っておこう。そうしよう。
チビ妖精に怒られてからしばらくして、連なっていた山がなだらかに高度を下げて森へと埋もれていく。その中から、高い木造りの建物が頭をのぞかせていた。
「チビ妖精、あの建物はなんだ?」
「あれは、けーびよーのやぐらですよ。ピピナとルティさまは、あのやぐらまでにげてにほんにとんだです」
「警備用のやぐら……か」
と言われても、あまりピンと来ない。外国ならまだしも、俺と有楽が住む日本じゃ馴染みのないものだ。
その森を抜けたあとには、舗装がされていない道の両端に田んぼか畑のような農地が青々と広がっていて、
「そろそろみえてきたですよー」
やがて、レンガ造りらしい低い建物がぽつりぽつりと見えてきた。
……って、レンガ造り?
「おわっ」
「よいしょっと」
かなりのスピードがついたまま降り立った俺はつんのめって、有楽は二、三歩あるいてきれいに降りてみせた。その足下の土の道にまったく影はなくて、チビ妖精が言ってたことが本当なんだと思い知らされる。
「ここが目的地か?」
「そーですよー」
俺たちに先立って降りていたチビ妖精に声を掛けると、ふわふわ浮きながらくるりと振り返った。
「よーこそ、レンディアールへ!」
そして、小さな身体で大きく両手を広げてみせる。
「は?」
「えっ?」
「ここは、へんきょーとしのヴィエル。ピピナとルティさまがすんでるところなのです」
なんだか自信満々だけど……コイツ、妙なことを言ってないか?
「なあ、チビ妖精。聞き間違えじゃなきゃ……ここが、レンディアールだってのか?」
「そーですよ」
「……えー」
「なんですか。ひとにきーておいて、そのふくざつそーなかおは」
「いや、だって……えー」
辺りを見てみると、高い建物もほとんどないし、門の向こうへ伸びている道は土から石畳に変わっている。門番らしき人は鎧を着込んでいて、町の人たちの服装はいたってシンプル。確かに俺たちがいる若葉市とは全然違うことは違う……んだけど。
「ねえねえせんぱいっ、これって異世界転移ってことですよね!」
「どうしてお前はすぐ納得するかなぁ!?」
俺はまだ理解が追いつかないってのによ!
「だって異世界ですよ! 異世界! 空想大好きっ子のあこがれの場所ですよっ!」
目はキラキラ、息はハァハァさせながら有楽が思いっきり喜んでいた。そうだな! こいつはそういうヤツだったな!
「だからって、どうして俺らの魂をレンディアールに連れて来たんだよ」
「まーまー。とにかくいくのですよ」
相変わらず、俺の恨み言なんてどこ吹く風って感じでチビ妖精が街の中へと飛び始める。仕方なくあとをついて歩き始めると、俺も有楽も魂だけだからなのか、門番さんや道を行く人たちにはまったく見向きもされなかった。
「さっきもいったとーり、ここはレンディアールのへんきょーとし、ヴィエルです。となりのくに、イロウナとのこっきょーにせっしている、にぎやかなまちなのですよ」
「入ってすぐにお店とかが広がってるんだねー。あっ、見たことがないフルーツとかいっぱい……って、取れないよっ!?」
「魂だからな、俺たち」
めざとくオレンジ色のリンゴっぽい果物か野菜を取ろうとした有楽だけど、伸ばした手はスカッ、スカッと空を切る。よくドラマとかの幽霊モノである光景を、まさか俺たちが実感するとは。
「こっちのくかくは、こっきょーがわのもんにせっしているからとりひきしやすいようにみせがあつまっているのです。そのぶん、はんたいがわにじゅーみんのくかくがあるですよ」
「キレイに半分ずつって感じか」
「んー、ちょっとちがうかも。とにかく、このおーどーりをずっといくのです」
チビ妖精に導かれるまま、門から伸びる大通りを歩き続ける。左右にはいろんな店や市場、食堂が広がっていて、そのどれもがレンガ造りかがっしりとした木造で建てられている。シンプルな服を着ている人たちに混じって、足下まで隠れるローブを着たり、きらびやかなドレスに身を包んだ人が店の人たちとにぎやかに言葉を交わしていた。
「おいおい、この間より買値が高くないか?」
「いいってことよ。おたくさんが仕入れたの、こっちじゃ評判だからよ」
「ありがとな。じゃあ、その分そっちの品を――」
立ち止まって話を聞いてみると、クリーム色のドレスを着た勝ち気な女の子が店の親父さんと布らしいもののやりとりをしている。
「商売に関しちゃ、どこもいっしょみたいだな」
「えっ? 松浜せんぱい、言葉がわかるんですか?」
「わかるけど、有楽はわからないのか?」
「全然です」
「ええっ、なんでさるすけがわかるですか?」
いや、そっちのほうこそ俺が知りたい。
「確かルティは、チビ妖精にキスしてもらって日本語がわかるようになったんだよな。だとしたら、俺がチビ妖精になにかされたかっていうと……羽でビンタされたぐらいか」
「そんなのでですっ!?」
やですーやですーと言いながら、頭を抱えるチビ妖精。むしろこっちのセリフだっての。
「ねえねえピピナちゃんっ、あたしにもビンタ! ビンタ!」
「お前はドMか!」
「かなにはそんなことしないですよ。きすですよ。きーす」
にこっと笑ってから、チビ妖精が有楽の頬へと近づいて軽く口づけをする。その瞬間、淡い光が頬から全身へと広がっていって、最後はぱっと散らばっていった。
「これで、だいじょーぶなはずですよっ」
「そうなの?」
えっへんと胸を張るチビ妖精を見て、有楽が自分の身体をぺたぺたと触りだした。しかし……チビ妖精のキス、予想以上にメルヘンな画だったな……
「ありがとよ、おっさん。次来たときはもっといいの持ってくるからさ」
「おう、期待してるぜ!」
「き、聞こえるっ! 聞こえたっ!」
勝ち気な女の子と店の親父さんのやりとりは、無事に有楽にも聞こえたみたいだ。
「そっかぁ、こうやってルティちゃんも日本語がわかるようになったんだね」
「そーゆーことです」
「ふっふっふっふっ……これであたしも異世界の超能力をゲェェェェェットッ!」
「……かな、なんでおどってるです?」
「俺たちの世界の一部の人間は、違う世界で力を得られるのが夢なんだとさ」
「さるすけはどーなんですか?」
「俺は、そんな大それたことは考えてねえし」
しっかりと勉強をして、しっかりと部活をして、大学に行ってアナウンスの勉強をしてアナウンサーになる。俺にとっては、それが一番の夢だったわけだが……
「なあチビ妖精よ。俺と有楽は、ちゃんと日本に戻れるのか?」
「そんなのとーぜんですよ。よるになったら、ピピナがにほんでふたりをとばしたじかんにかえれるです」
「はぁ!?」
「それって、あたしと松浜せんぱいのところに来た時間にってこと!?」
「です。じかんをこーらせて、かなとさるすけのたましいだけをつれてきたんですから、ちゃんとあのじかんのあのばしょにもどれるですよ。しんぱいすることはねーです」
「って、大丈夫なの? ピピナちゃんの力、ほとんどからっぽだったんでしょ?」
「こっちにいるあたまのかたーいおてつだいさんとちがって、るいこおねーさんはごはんをたくさんたべさせてくれたです。だから、おもったよりもはやくぴぴっとぱわーがたまったですよ」
「それで、俺たちを?」
「はい。たましいだけなら、ぱわーもほんのちょこっとだけでいーですし」
さっきから何気なさそうに言ってるけど、どれもこれも俺の理解の範囲を超えている。手のひらサイズのマスコットにしか見えないってのに……コイツ、ほんと何者なんだよ。
「で、ですね。ふたりにはおねがいがあってここにつれてきたです」
「さっきは相談だとか言ってたよな」
「はい。それもふくめてなんですけど、このヴィエルのまちをみてほしいのですよ」
チビ妖精はそう言うと、くるりと前へと向き直った。
行く先にあるのは、3階建てのレンガ造りの建物と、その中に建てられているさらに高い時計塔。どっちも大きな作りで、待ち構えるようにして建てられていた。
「このまちで、らじおきょくがつくれるのかどーか」
「お前、ルティがやりたいことも聞いてたのか」
「はい。それに、さすけとかながさっきいってたこともきいてました」
「じゃあ、作るのが難しいってのも知ってるわけだな」
「です」
俺たちに背を向けているチビ妖精の言葉に、お気楽さはない。
「ルティさまはげんきいっぱいでしたけど、このくににはらじおになるようなものなんてどこにもありません。〈すたじお〉も〈ぽけっとらじお〉も、みーんなちきゅーのせかいでうまれたものです。それをさがすなんて、さばくでみずをさがすくらいむずかしーはなしなんですよ」
「ルティに、そのことは言ったのか?」
「いえるわけないじゃないですかっ!」
そして、勢いよく振り返ったチビ妖精からも笑顔が消えていた。
「あんなにたのしそーにしてたルティさま、とってもひさしぶりでした。それをくもらすことなんて、ピピナにはできません! だから、だから……」
「ルティに言う前に、ここで本当にラジオができるかどうかを知りたかったんだな」
「はいです。かなもさすけも、ルティさまのことをまじめにかんがえてくれてました。るいこおねーさんもですけど、あのひとにはいっぱいいっぱいおせわになっているから、これいじょうは……」
「なるほど、な」
ここに俺と有楽だけが連れてこられたことに、ようやく納得がいった。俺たちを見上げるチビ妖精の目は、まるですがるようだったけど――
「せんぱい、いいですよね」
「おう。無事に帰れるんだったら問題ない」
そんなの、コイツには似合わない。
「だから、ピピナちゃんもいっしょに作れるか考えようよ」
「ぴ、ピピナもですか?」
「この世界の情勢とか地理とか、今はお前だけが頼みだ。きっと、ルティの助けにもなると思う」
「だからお願い、ピピナちゃん。ヴィエルを見回りながら、レンディアールのこととか教えてくれないかなっ」
少し大げさに、有楽がぱんっと手を合わせてピピナに頭を下げる。それほどあからさまじゃないけど、片手を顔の前に持って来た俺も軽く頭を下げると、
「も、もちろんですっ。ピピナにできることがあるなら、なんだってやっちゃうです!」
きょとんとした顔で見ていたチビ妖精は、また元の可愛らしい笑顔を取り戻していた。俺らもほとんど手詰まりだったんだから、こういうときに事情を知ってるヤツがいると心強い。
「それじゃあ、ヴィエルのまちのことをあんないするですよっ!」
元気に俺たちの前を飛び始めたチビ妖精を見て、俺と有楽は顔を見合わせて笑いあった。
生意気なところはあるけど、やっぱりコイツには元気が似合うよな。
再び歩き出してしばらくすると、広場に出てさっきから見えていた大きな建物へと近づいてきた。
「ここがヴィエルのちゅーしんち、しやくしょです」
「市役所……にしては、かなりでかいな」
コンクリート造りが多い日本の市役所とは違って、レンガ作りのこの市役所はとてもがっしりとしていて威圧感すらある。中で高くそびえ立っている時計塔も、その雰囲気に一役買っているみたいだ。
「ヴィエルのまちのこともそうですけど、イロウナからきたひとのにゅーこくてつづきをするところとか、けーびたいのつめしょとかもありますからね。レンディアールにとって、へんきょーとはいってもとてもだいじなまちなんです」
「日本だったら、市役所と入国管理局と、警察か軍隊がいっしょに入ってるってことかな」
「そーいうことです。つくりがしっかりしているから、レンディアールのこーぞくもたいざいしたりするですよ」
「まるで小さな城だな」
あたりを見てみると、市役所の端の方では馬車が停まっていて、建物のくぼみのところで人が乗り降りをしていた。雨が降っても、それなりにしのげる造りになっているらしい。
「あれって、馬車の停留所?」
「ここが、レンディアールのきたのしゅーちゃくえきになってます。まちのいりぐちからのみじかめのから、ちゅーおーとしやほかのまちへのながいのもはしるですよ」
「交通網も結構発展してるんだね。バスみたいかも」
「ばす……あー、るてぃさまがさるすけとるいこおねーさんと〈さっかぁ〉のしあいをみにいったときにのったのですね。あれのこがたばんってとこですねー」
コイツ、やっぱりあの時にいたのか。今までも別に変なことはしていないけど、チビ妖精が見えなくてもいるように意識しておこう。
「それじゃあ、じゅーみんのくかくにいくですよ」
またチビ妖精が飛び始めたからついていくと、市役所の横からのびる大通りと、縦にのびる大通りがあった。どうやら、市役所広場を中心にして十字のように大通りが作られているみたいだ。
縦にのびた大通りを進むと、住民の区画っていうだけあって商業区画よりは静かだけど、子供たちが遊んでいたりおばさんたちがおしゃべりしていたりとなかなかにぎやかだ。こっちのほうの建物は、木造が多いらしい。
「お前とルティの家って、どこらへんなんだ?」
「さっきとおりすぎたですよ」
「大丈夫なのかよ、行かなくて」
「どういうことです?」
「ルティが無事だって、家族に伝えたほうがいいんじゃないか」
「あっ」
こいつ、忘れてたな?
「お前なぁ……」
「し、しかたないじゃないですかっ!」
「急いで行ってきたほうがいいよ。あたしたちもいっしょに行こうか?」
「だいじょーぶです! いそいでいってきますから、そこらへんをあるいててくださーいっ!」
チビ妖精は「ごめんなさーい!」と叫ぶと、今来た方向をとんでもないスピードで飛んでいった。
「まったく、ドジなヤツ」
「仕方ないですよ。ピピナちゃん、日本でルティちゃんのことをずっと考えてたんですから」
「それはそうだけど、結構大事なことだぞ」
ふたりで苦笑して、またのんびりと住民区画の大通りを歩き始める。市役所に近いところだと大きい家が多かったのが、離れていくにつれてだんだん小さめの家が多くなってきた。
「やっぱり、中心地に行くほど栄えるってわけか」
「日本も異世界も、このへんは変わらないんですね」
「でも、雰囲気は明るいな。家のつくりはどれもしっかりしてるし、道路は変に汚れてない。路地なんかも道幅が広いな」
「子供たちも楽しそうに遊んでますね。あそこで見守ってるのは、さっき言ってた警備隊の人たちですかね?」
「いくらかの間隔で配備されてるみたいだし、ここらへんじゃ賊に襲われる心配はあんまりなさそうだ」
ルティは、街から離れたところで賊に遭ったって言ってたっけ。ここまで入り込んできたら警備隊の餌食になることは目に見えているし、さっきチビ妖精が話してた警備用のやぐらから町までは結構離れてた。賊は、ルティが街を離れたところを狙った感じなのかな。
それからも大通りを歩き続けていると、来た時に入ったのと同じくらい大きな門が見えてきた。ここが、ヴィエルの街の端ってことになるのか。
「せんぱいっ、見てください! すっごくキレイですよ!」
「ん? おおっ、これはすげえな!」
門の外に広がっていたのは、見渡す限りの農場。大通りから続く道の端には青々とした植物の穂が風に揺れて、それがずっと向こうに見える山のほうまで広がっていた。
「これって、田んぼか? 畑か?」
「小麦畑ですよ。昔おばあちゃん家で見たことがありますけど、こんなに広いのは初めてです!」
「小麦か……初めて見た」
生まれも育ちも中途半端に栄えた埼玉の片隅だから、田んぼは見たことがあっても小麦畑なんかお目にかかったことはない俺には新鮮だ。風に揺れて擦れる麦の穂の音も、優しく聞こえてとても気持ちいい。
「ルティは、このずっと向こうに住んでいたんだな」
「どれくらい遠いんですかね、中央都市って」
見渡しがいいこの場所でも、どれだけ背伸びしたり遠くを見たりしても、それらしいものは見えない。
「……って、おい、なんかこっちに来るぞ?」
「あれは、馬車ですかね?」
大通りから伸びている土の道を、馬車がこっちへ向かって走ってくる。さっきまで麦の穂が擦れるだけだった音にも低いものが混じって、土煙まで見えてきた。
「これとんでもねぇスピードだ!?」
「えっ、ちょっ」
「有楽、端へよけろ!」
「はいぃっ!!」
俺と有楽が大通りの端へ逃げると、あっという間に走ってきた馬車は門を抜け、猛スピードで街の中へと駆け込んでいった。
「な、なんだ、あれ……」
「わー、街の人たちも端に寄ってます……」
「みんな慣れてんのか」
遠ざかっていく馬車の幌には何かの模様がはためいていたけど、過ぎ去って何事もなかったみたいに道へ出だした人に隠れて見えなくなった。「やれやれ」とか「またあの人だよ」とか呆れているのを見ると、どうもいつものことらしい。
「あー、めんどくさかったです~……」
それからしばらくして、げんなりとした様子のチビ妖精が市役所のほうからふわふわと飛んで来た。
「ちゃんと伝えてきたか」
「てがみをのこしておいたです。『ぶじだからしんぱいしないでください。そのうちかえります』って」
「……それでいいの?」
「いーんですいーんです。いるのはあたまのかたーいおてつだいさんだけですし、めんどーなのからはにげるのがいちばんです」
「そういえば、さっきの馬車は大丈夫だった? ぶつかったりしなかった?」
「へーきです。あのひと、いつもあんなかんじなんですよー」
心底めんどくさそうに、チビ妖精が吐き捨てる。確かに、そいつは面倒以外の何ものでもないな。
「そんなことよりです。ふたりとも、もーひとつのおーどーりはみましたか?」
「もう一つの……って、ああ、市役所前で分かれてたのか」
「はいですっ。あっちはじゅーみんくかくとしょーぎょーくかくのあいだで、いろんなさかばとかしょくどーとかあるですよ」
「でもそれって、あたしたちはたべられないよね」
「こんかいはおあずけですねー」
「生殺しだぁ……」
「まあまあ。有楽よ、匂いだけかいで帰ろうぜ」
「やだー。においだけじゃやだー」
文句は言うけれど、俺たちが先に行けば有楽もついてくる。すぐに楽しそうにきょろきょろあたりを見だしたし、なんだかんだで楽しみではあるらしい。
市役所の横からのびていた大通りは、さっき聞いたとおり住民区画と商業区画に挟まれていて、通りの中央にはお店や屋台の料理が食べられるようにしているのか、長いベンチやイスが並べられていた。
「ピピナちゃん。こっちって今日は平日なの?」
「はいです。みんなおしごととかだから、ゆうがたまえのこのじかんはあんまりひとはいないのですよ」
「確かに、飲んだり食べたりしてるのは爺さんとかぐらいだな」
「おやすみのひになったら、じゅーみんくかくのおんがくかさんがえんそーしたりうたったりして、とってもにぎやかになるです」
「へえ、なんだかお祭りみたいだね」
「こっちのおまつりはすごいらしいですよー。ばしゃがはいれるのをもんのところまでにして、おおどーりをぜんぶつかってしゅーかくをいわうそーです」
「収穫祭か。ルティがおにぎりを作ったり『太陽祭り焼き』ってのが食べられるとか言ってたな」
「そーですそーです。ヴィエルだけじゃなく、くにじゅーのまちのひとたちがそーででごはんをつくったり、げきじょーでおんがくさいをひらいたりするですよ。ほらっ、あそこにみえてきたのがげきじょーです」
チビ妖精が指さしたほうを見ると、大通りの突き当たりに石造りの建物が見えてきた。ここから見る限りは、市役所と同じぐらいかそれよりも少し大きいようにも感じる。
「このレンディアールは〈ほーじょーとおんがくのくに〉とよばれているのですよ。だから、このくにのひとたちはごはんとか、おんがくをとってもだいじにしているです」
「なるほど。ルティも歌をうたったりするのが大好きなわけだ」
「そーゆーことですっ」
放送室のスタジオで歌っていたルティの姿が、鮮やかに思い浮かぶ。このレンディアールで生まれ育ったからこその、ルティの歌声なんだろうな。
それからもチビ妖精の案内で街を見ていって、気付くと陽が落ちかける頃合いに。最後に馬車用の厩舎を見物したところで、俺と有楽が初めてこの町を見た場所へと連れられて行った。
「しかし、こうして見ると壮観だな」
「ですねー。とってもきれい」
俺と有楽が眺めているのは、夕陽に照らされたヴィエルの街。さっきまでは明るい太陽に照らされていた街並みは、落ちていく陽射しでオレンジ色へと染まり始めている。チビ妖精の力を借りて上空から見るその光景は、ただただ美しかった。
「こういうふうにうえからみるまちが、ピピナもだいすきです」
「ルティも、こういう風に上から見たりしてるのか?」
「はいですっ。ルティさまは〈そらのうえからひとのいとなみをみるのがすきだ〉っていってました」
「あいつ、本当に14歳なのかね」
「なんですかそれ。ばばくさいってゆーですか?」
「違う違う。普通の14歳はそういう風に見たりしないってことだよ」
「ふーん……そうなのですか」
チビ妖精の物言いはトゲトゲしていたけど、ちゃんと弁解したら理解はしてくれたようだ。
「で、かな、さすけ。ここまでみてみてどーでした?」
「そうだな」
真剣なトーンに変わったチビ妖精の声に、少し緩みかけていた意識を引き締め直す。
「まずは、お前が言ってたとおりににぎやかで平和な街だな。国境とも言ってたから、もっと厳重かと思ってた」
「イロウナとはずっとむかしからなかよしで、せんそーとかもしたことがないです。さっきかなとさるすけがはなしをきーてたおんなのひとが、イロウナのしょーにんさんですよ」
「ああ、だから街の人たちと着てる服が違ったんだな」
「あのクリーム色のドレス、きらきらひらひらしててかわいかったですよね!」
「みんぞくいしょーってやつですね。まじゅつがとくいなひとたちだから、すこしでもてきのこーげきからまもれるよーにひらひらのをきてるらしーです」
「それって、魔法使いさんってこと!?」
「にほんだとそーよぶんです? イロウナは〈まじゅつとびじゅつのくに〉ってよばれてているですよ」
「レンディアールが〈豊穣と音楽の国〉だから、国によってそれぞれ特色があるわけか」
美術の国と、音楽の国。なるほど、確かにそりゃ相性が良さそうだ。
「あとは、みなみのほーにあるフィンダリゼは〈きかいとげきじゅつのくに〉ってよばれてるですね」
「げきじゅつ?」
「おととい、かなたちががっこーでやってたよーな〈げき〉のことです。おんがくにあわせておどるげきとかもせーんぶまとめて、あっちでは〈げきじゅつ〉ってよんでるですよ」
「『劇術』ってことか」
「レンディアールはそのふたつのくににはさまれてて、りょーほーとどうめいをむすんでいろんなこくもつをゆしゅつしてへーわをいじしてるです。もちろん、りょーほーのくにともいろんなものをとりひきしてるですけどね」
なるほど。ここは戦争とかの心配はそんなにないってことか。だったら、もしラジオをやるとしたら腰を据えて取り組むことができるな。
「で、どーです? 〈らじお〉とかはできそーです?」
「出来るかどうかに関しては、そのラジオに関わるものを見つける必要があるから今すぐには返答できない。ただ――」
湧いてくる想いに我慢が出来なくて、くちびるの端が上がりそうになるのを抑えながら口を開いた。
「すっげえ、面白そうだって思った」
「おもしろそう、ですか?」
「ああ。音楽が好きな人たちがいて、いろんな商業を営んでる人たちもいる。住んでいる人たちも多いし、上手くやればラジオは広められるんじゃないかとは思う」
「ですよね。たとえばだけど、劇場まで行けないおじいちゃんやおばあちゃんが音楽祭の中継をラジオで聴いたり、いろんなお店の特売情報とかお得情報を流したのを商業地区の人たちが聴いて『俺たちもやるぞー!』ってなったりして」
「いい感じだ。あと、ここって新聞とかそういう感じのはあるのか?」
「しんぶんって、にほんにあったのですよね。そういうのだったら、しゅーにいっかい、しやくしょがかいたのがまちかどのけーじばんにはりだされるです」
「だったら、それを読み上げるのもよさそうだ。日本では『ニュース』って言うんだけど、そういうのがあると街であった出来事とかがわかりやすくなる」
「じゃあ!」
「ただ」
喜びの声を上げるチビ妖精を遮って、今度は希望のない話へと切り替える。
「やっぱり、電気がないのは厳しい」
「でんき……そーですね」
ラジオをやるためには、お金以上に先立つもの――電気がどうしても必要だ。それを、無視するわけにはいかない。
「それっぽいのがあるにはあるってきーたことはありますけど、まだフィンダリゼでけんきゅーされてるとかいってました」
「隣国か。しかも研究段階じゃ、技術を借りたりとかは出来ないだろうな」
「たぶん……」
「うーん」
やっぱり、詰んでいる状況には変わりない。それでも、ここでのラジオに挑戦してみたいという考えにも変わりはない。
「なあ」
「……なんです?」
「お前とルティは、もうすぐここに帰るんだよな」
「そのつもりでしたけど」
「もしも帰ったりしたら、もう日本には戻ってこられないのか?」
「そんなことはないです。こっきょーちかくのやぐらと〈わかばしてぃーえふえむ〉の〈あんてな〉があれば、ピピナのぱわーでいききできるですよ」
「じゃあ、さ」
ここまで口にして、言葉に詰まる。
ルティと出会って、チビ妖精――ピピナと出会って、ずっと聞きたかったこと。でも、聞くのがずっと怖かったこと。
「また……日本に、来る気はあるか?」
いつか帰って、もう二度と会えなくなるんじゃないか。
ずっとつきまとっていたその不安を隠しながら、俺は重くなる口をなんとか開いた。
「それは、ルティさましだいです」
そう切り出したピピナの言葉は、俺が抱く不安へ響いて、
「でも、かなもさすけもるいこおねーさんも、みんなルティさまのことをやさしくみまもってくれてるですし、ルティさまもえがおになれるですから……ピピナは、いつでもいきたいです」
「……そっか」
少しだけ、優しく包み込んでくれた。
「だったらさ」
なら、今度は俺が応える番だ。
「できる限り、みんなでいっぱい考えていこうぜ」
「そうですねー。なにか方法もあるかもしれないですし」
「いいんですか?」
「ああ」
「あたしも、できるだけお手伝いするよ」
「ほんとーに、いいんですか? さすけとかなには、ここはかんけーのないせかいなのですよ?」
「とっくにそうするって決めてたんだ。今更降りたりしねえよ」
「それに、こんな体験もさせてもらったんだもん。あたしは大歓迎っ!」
ふわふわと浮いている有楽が、身体をくるりと横回転させて楽しそうに答えた。
レンディアールでラジオができるまで、どのくらい時間がかかるかはわからない。それでも、チビ妖精――ピピナとルティが楽しむ姿が見られるのなら、どこまでも手伝ってやりたかった。
「ありがとーございます。かな、さすけ」
夕陽に照らされたピピナは、そっと俺たちにおじぎをして、
「これからも、ふたりをたよっていいですか?」
「もちろんっ!」
「むしろ、今日みたいに俺らがお前を頼ることだってあると思うぞ」
「これくらい、へっちゃらのへーです! ルティさまに、ふたりとるいこおねーさんもつれてくるのだって、ピピナにはあさめしまえのオムスビさんこなのです!」
穏やかな笑みから元気いっぱいの笑顔へと変え、そう力強く宣言した。
「なんのこっちゃ。だが、いい返事だ」
「ですねっ。ピピナちゃん、これからもよろしくっ!」
「はいですっ。さるすけも、よろしくですよっ」
「おいコラ。さっき『さすけ』って呼んでたのに、どうして元に戻した」
「やっぱり、いつもは『さるすけ』のほーがしっくりくるです」
「お、お前なぁ」
「いいじゃないですか。『さるすけ』せんぱいっ」
「有楽に呼ばれる筋合いはねえよっ! こらっ、チビ妖精も笑うなっ!」
「くすくすぷーですよー!」
文句は言ってみたけど、まあいいか。コイツとは、今はこのくらいの距離感のほうがちょうどいいのかもしれない。
「さてさて、そろそろじかんですね」
「そっか、日本に戻る時間だっけ」
「それもあるですけど」
そこまで言って、ピピナ改めチビ妖精がくるりとヴィエルの街のほうへと振り向いた。
「ルティさまとピピナが、とってもだいすきなこーけーがみられるんです」
そして、弾むような声でしゃべってからしばらくすると、
「えっ」
「わあっ」
町中から、ぽつり、ぽつりと小さな光のようなものが浮かび上がってきた。
それは街の中心にある市役所から始まって、波紋のように夕暮れの街へと静かに広がっていく。
「これって……」
「まるで、星がきらめいてるみたいですね……」
「これは、このたいりくでとれる〈いし〉のおかげなんです」
「石?」
「はいっ」
チビ妖精がひとつうなずくと、かざした両手の上に石のようなものが現れてぷかりと浮かんだ。
「たいよーのひかりをあびたいしが、よるになるとじぶんでひかるよーになるんです」
碁石みたいに小さいその白い石は、とても淡く光っていて、
「よるのあかりにしているこのせかいのひとたちは、りくでひかるほし――〈りっこーせい〉ってよんでるですよ」
「『陸光星』、か」
俺たちを照らすその光に、俺と有楽はただただ見とれていた。
「街へ出よう」というタイトルのラジオ番組や曲を思い出しつつ。
いい曲なのです。