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ヴァイシュグラディール  作者: 土師 佐久間
第一章 終わりの物語
2/2

第二話『蛮勇』

 黒梛視点となっております。

 親友が消えていった暗闇を睨め付け、黒梛は軋むほど自らの歯を噛み締めた。 

 ギリィッ!!!っと奥歯が悲鳴を上げる。 

 

 黒梛は白銀が何かを画策していることに気付いていた。気づいた上で白銀の策略に乗っかったのだ、黒梛は状況打破する鬨の声を、白銀から発せられるのを今か今かと待っていた。それは長い付き合いだからこそ出来る、以心伝心そのものだろう。

 

 今のようなレベルの危機的状況に陥ったことなどないが、割とトラブルに巻き込まれやすく、喧嘩など日常の一部分だ。

 

 釘バットという、少々時代錯誤な武装をした20人の不良集団に囲まれたこともあれば、顔に大きな斬り傷を負ったヤクザもの達と全面衝突したことさえある。 

 口が裂けても日常的とは恐れ多くいえない事態が頻発し、時にはギリギリの状況に追い込まれ、真剣に自身の死を意識したこともあった。 

 

 そんなとき、危機から脱出するだけの冷静さと頭脳を持っているのが白銀で、それを共に実行するだけの度胸と精神力を備えていたのが黒梛だ。


 二人はお互いに役割をもち、持ちつ凭れずの関係を築いていたし、黒梛には白銀のような無茶無謀を平気に実行させる奴の相棒は自分にしか務まらない、という強い自負心があった――あったハズだった、少なくとも今の今までは。 

 

 「あの莫迦……!勝手に判断して、勝手に行動しやがって。一度くらい、事前相談しろよ!!」 

 

 あの怜悧な容貌の少年の性格を鑑みれば、それがどれだけ無謀なことなのか分かっている。しかし、胸のうちに渦巻くやり場のない怒りがくすぶり、黒梛は悪態をつく他無かった。


 そのとき、甲高い悲痛な悲鳴が暗い世界に響き渡った。

 

 「もういやぁ!!ここから出してよっ!!」


 地表の黒い泥濘にうずくまり、震える身体を抱きしめ泣き叫ぶ女子高生。

 そんな茶髪の少女の姿に、黒梛は暗澹な思考から親友が異世界に飛ばされてしまったという現実に引き戻された。 

 同時に、頭をかきむしり狂乱する少女に僅かながら同情と微かな罪悪感を感じた。


 今は取り乱す少女を退屈そうな眼差しで見ている妖艶な女は、どうやら白銀と黒梛が目的だったらしい。 

  

 ともすれば、彼女たちは巻き込まれただけの可能性が非常に高い。


 さっきから余裕綽々な態度で煙草をふかしている金髪男とは違い、少女とサラリーマン風の男性はどう見ても一般人だ。この状況は二人にとって耐え難いことだろう。

 

 特に女子高生と言えば境界人マージナルマンとしてモラトリアムを堪能している真っ最中だ。大人と子供の境をさまよい、精神的にも脆く危うくなる年頃。 

 本来、週末である今日ならば友人と待ち合わせしどこかに遊びに行く予定であったとしても、何ら不思議なことはない。

 

 先の見えない絶望に打ちひしがれる女子高生から、今度はサラリーマンの男性の様子探るべく視線を移したとき、黒梛は自身の網膜に映った姿を前に言葉に詰まった。


 グレーのスーツに赤いチェックのネクタイ、髪は適度に整髪料で整えられ、身嗜みは完璧。見た目は一見仕事の出来る若手会社員だ。 

 

 理解不能な現状に於いても、男性は騒ぎ立てるでもわめき散らすわけでもなく、只この状況を静観している。その対応はPTOを求められる社会人としては正しく、この場の最年長としては些か間違いな気がしないでもない。

 

 一見事なかれ主義者故に、この状況を傍観し悠然と佇んでいるように見えるのだが、男性その鷲色の瞳に何も映していなかった。 

 

 どこまで続く荒野のような瞳。異形の世界に閉じ込められ、非日常的な超常現象を見せられた後であっても、男性の瞳に感情の光は欠片もない。ある意味、この場で最も異常なのは婀娜っぽい女でも薄金髪の青年でもなく、この男性なのかもしれない。


 軽い寒気が背筋を粟立たせるのを感じながら、いつしか黒梛は冷静さを取り戻していたことに気付いた。


 女子高生には悪いが、彼女の醜態のお陰で黒梛はやけを起こさずに済んだ。


 もしあのまま怒りが治まらなければ、激情に身を任せ女に殴りかかっていただろう。が、いくら黒梛が無理をしたところで、目の前にいる魔女のような女をどうこうできいよう筈もない。


 一太刀いれれるまでもなく、そもそもよく分からない黒い泥濘に脚を取られているため身動きがしずらい。


 恐らく抵抗虚しく、容易く組み伏せられてしまうに違いない。各種格闘スキルを持っている黒梛だったが、どういうわけか勝てる気どころかまともに戦える気さえしない。


 それほどまでに、女と自分の間には生物として隔絶した格の違いがあることを直感的に悟っていた。


 数々の修羅場と危機をのり越え、相棒の驚愕的無謀に振り回されてきた黒梛には野生の勘というものが備わっていたのかもしれない。逆に人間の本来開花する筈のない能力を、強引に引き出した白銀の無茶がどれほどのものなのか、黒梛自身が証明している。


 「醜いわ、本当に醜い。女なら如何なるときでも胸を張り笑いなさい」


 さも鬱陶しそうに色っぽい吐息を零し、秀麗な容貌を歪めながら女が言った。

 「……何勝手な言ってんだ。この状況を創り出したのはおまえ自身だろう?」


 「それでもよ、坊や。女はどんなに危険なときであったとしても毅然としていなくてはならないの――ベットで男に抱かれているとき以外はね」


 「……どんな理屈だよ」


 「あら、坊やは恥辱に震えながらも、必死に身をよじり、脳髄を甘く蝕む快楽に耐えようとする女をじわじわ嬲る方が好みかしら?」 


 「誰が、何時、そんなこと言った。大体俺にそんな倒錯的性嗜好の趣味はない」

 

 「それは残念ね。私こう見えても無理やり犯されるのも、乱暴にされるのも意外に好きなのだけれど」


 色っぽいとは正にこの女の為にあるのだろうと錯覚するほど、自身の豊かな膨らみを腕を組むことで強調し、嫣然と笑う女には男の本能に直接語りかけてくる魅力があった。


 だがこれしきの事で自制心が乱れる黒梛ではない。それに、最愛の妹の方が何千倍も可愛い。目に入れても痛くないほど可愛がっている妹に、この程度の誘惑に負けてしまっては会わせる顔がない。 

 兄とは妹とのためなら幾らでも賢者になれるのだ。

 

 「お前の趣味は聞いてねぇよ」

 

 「……冷たいのね。乱暴にされるのは好きだけれど、冷たくされるのは嫌いよ。せっかくあっちの坊やの小芝居に付き合ってあげたのに……少しくらい感謝して欲しいわ」


 頬を膨らませ拗ねたように女はそっぽを向く。子供らしいその仕草は見る人が見れば興奮しながら拍手するかもしれない。それだけの威力のある精神攻撃だったが、女が口にした言葉に違和感感じたを黒梛は、それを吟味した。そして、それが何なのかにたどり着いたとき黒梛は震えながら言った。


 「知って……いたのか……?」


 「うん?何をかしら?」 

 形の良いおとがいに、しなやかな指を這わせて女がいう。

 

 「シロの行動が演技だって知った上で、あいつをあっちの世界に送ったっていうのか」


 「ええ、そうよ。ホント見事な演技たったわ、思わず騙されてしまうところだったもの。それに、貴方を守ろと必死なあの子の姿……ぞくぞくしちゃった」

 

 柔らかそうな身体を淫らに弄り恍惚とした表情を浮かべる女に、くすぶっていた火種が再び燃え上がるのは感じた。


 「知ってたんならなんであいつを飛ばした!!」


 「あの子がそう望んだのよ、それをどうこう言う権利を貴方は持っていないし、私を責めるなんてお門違いも良いところ。それに、私は綺麗なものが好きなの。その中でも自己犠牲なんて本当に惚れ惚れするくらい美しいわ。……それを見せてくれたあの子の願いを叶えるならまだしも、妨害するなんて真似私には出来ないわよ」


 「……狂ってやがる」


 「誉め言葉として受け取っておくわ」 

 

 この女は狂気に耽溺し過ぎている。これではいつまでたっても話は平行線から抜け出すことはない。


 一度大きく息を吸い、肺に溜まった淀んだ酸素を取り替え新鮮な酸素を脳に届ける。沸騰しかけていた頭が、冷や水を欠けたように冷まされていく。

 

 ここで怒りに任せて女を糾弾したところで現状は何も変わらない。であれば黒梛が出来ることは、白銀までとはいかないまでも最善に近い選択肢を捻り出すしかない。

 

 ――考えろ、考えろ……!


 瞑目し、今だけは身体の機能の総てを次なる選択肢のためにフル利用していく。黒い世界に捕らわれてから今までに起こった全ての出来事を洗い直し、突破口の糸口とする。 

 細い何千もの糸を手探りで手繰っていく途方もない作業。 

 生半可な根性では到底こなせない行為を、黒梛は持ち前の集中力を行使することでカバーする。


 額から汗が滴り落ち、焦燥感から手が汗ばんでいく。握り締められた拳は、手のひらに爪が抉り込むほどに震えている。


 どれだけ時間がだっただろう、一時間かもしれないし10分程度だったかもしれない。

 相も変わらず女子高生の悲鳴じみた泣き声が静謐を破壊し、女の色っぽい吐息がそれを助長させている。


 何も行動せず、只逃避の為に泣き叫ぶことしかしない女子高生に多少の苛立ちを覚えたとき、脳裏に雷電が走った。 

 

 「ははは、そうだよ!何でこんな簡単な答えに気付かなかったんだ俺!!」


 突然の大声に、女が目を開いた。


 浮かび上がったのは余りにも無茶苦茶で白銀の行為を、顧慮を全て無にするものだったが、漸く掴んだ一筋の光明だ。手放す気など微塵も在りはしない。


 「あんたに一つ聞きたい事がある」


 「何かしら?」


 この状況に飽きたのか、女の声には退屈な響きが混じっている。


 「あんたはシロと俺の二人の内どちらかを異世界に送る、両方助かる道はないって言ったよな。間違いないか?」


 「ええその通りよ。だからあっちの坊やは自らを捧げて貴方を助けた……それがどうしたのかしら」 

 

 不思議そうに小首を傾げる女の答えに、自然と黒梛の頬が緩んだ。


 「なら答えは出たも同然だ、いや寧ろ最初から正解はあったんだ」


 「…………どういうことかしら」


 不思議を不可解に、嘆美な容貌を訝し気に歪める女の姿を見て、黒梛は顔を緩めた。


 「何、簡単なことさ。アンタはシロに二人とも助かる道はないって断言した。逆にいうと二人とも助からない道――つまり俺達二人とも異世界に行くってことについて言及していないんだ」


 「…………………」


 「意図的か無意識的なのかは知らないがようは、シロがあっちの世界に行ったんなら俺がついて行けばいいってことだろ?」 

 

 「もう少し賢い子だと思っていたのだけれど………買い被りだったかしら。貴方のその結論だと、あっちに行った子の思いや願いというも総てが水の泡になるってことなのよ?」


 「それはあいつが勝手にやったことだ。関係ないないなんて言うつもりないけどな、それを素直に受け入れられるほど人間できでねえんだよ」


 端から見れば黒梛の言い草はあんまりなものとして映るだろう。しかし、そこは共に艱難辛苦を乗り越えた相手だからこそ受け入れ難いことがある。親友を見捨ててのうのうと生きる未来など、死んでも御免だ。


 「家族はどうするのかしら、妹さんがいるんでしょ?」 

 「ああいるぞ、目に入れても涙一粒もでないくらいとびきり可愛いのが一人な」


 「その子はどうするの?貴方の親御さんだって心配するでしょうに」


 「生憎と両親は俺達が子供の頃に事故で死んでる。今は俺達二人施設でくらしてるんだ」


 「じゃあ尚更ね。貴方は自分の大切な妹を今度こそ天涯孤独にする気?」


 「そんなつもりはない。少しばかり寂しい思いをさせることになるけど……あの子……澪なら大丈夫だ」


 最後に呟いた言葉は自分への確認だ。黒梛は自分の妹が強いと知っている……それと同じくらい寂しがりやなことも。 

 心に鋭い針で刺したような痛みが走るが、眼を閉じ精神を沈めさせ、荒ぶる感情を押し殺すことで抑えた。 


 黒梛の住んでいるのは小さな施設だったが、小規模な割には設備が充実していて職員の人たちも本当の家族のように接してくれる。少し前だったかに、善意の第三者から多額の金銭が寄付されたらしい。黒梛としては白銀の仕業ではないかと睨んでいたが、本人がしらばっくれる為真相は闇の中だ。

 

 これだけ好条件の養護施設は稀なはずだ。あそこなら大丈夫と、不安と苦痛を無理やり納得させ、黒梛は女と鋭い視線を交わす。



 「誰になんと言われようと、これは俺が出した結論だ。一度出した答えを変える気なんて更々ない」 

 

 「坊や……貴方のは勇敢でなくてただの自己満足の蛮勇よ。友達の厚意を無駄にし唯一の家族である妹を斬り捨てる……愚の骨頂というべき選択だわ」


 不機嫌そうに、まるで出来の悪い子供を諭すように女は言う。そんな、余裕が消え失せた女の姿を見て、黒梛の口端がつり上がった。


 「最後に聞くけど本当にいいのね?もう二度、こちらの世界に帰れなくなるわよ」


 溜め息混じりに告げられた言葉に、白銀は即答する。


 「――それ嘘だろ?」

 


 「…………何故そう思うのかしら」


 「理由はいくつかあるけどな……一番のはシロのことだ。あいつが何も考えずに、ただ諦めて向こうにいったとは考えられない」 


 これこそが、黒梛が異世界という未知に、足を踏み入れることに踏ん切りをつけられた最大の理由だ。白銀零という男は転んでもしぶとく起き上がり、相手の喉元に喰らい付くような人間だった。そんな奴があっさり女のいいようになるとは考えられない。何かしらの目算がある筈だ。 

 

 それに今も黄金の輝きを見せる悪趣味な門のこともある。此方から行けるのであれば、帰りの門もきっとどこかにあるはずだ。


 ――三年で帰ってくる。


 それが黒梛の胸中に刻まれた決意だ。

 妹が高校生になる前にこちらの世界に帰ってきて、さぞ可愛らしいであろう高校の制服姿をぜひ拝みたい。 

 そのためには白銀と共に何が起こるか分からない異世界を生き残り、何とかして帰りの門を探し出す。何のことはなくいつもの通り行き当たりばったりだ。ただ白銀と一緒だと考えると、不思議とそんな不確定要素だらけの計画も可能に思えてくる。


 稚拙な計画に確固たる覚悟を決めたところで、暫く黙って黒梛をジッと見つめていた女が、ふっと微笑んだ。


 「――正解」


 女が熱っぽく呟いた直後、黒い泥濘に捕らわれていた黒梛の足が、何かに押し上げられるように急浮上した。


 「うぉっと!?」


 「そうよ、それでこそあたしの坊や……あぁ、痺れるほど甘美な自己犠牲……たまらないわね」

 

 艶美な指を女は舌で絡めとって、丹念に舐めていく。何とも淫靡で官能的な仕草だが黒梛には届かない。それより、もっと気になる発言が女から飛び出している。


 「やっぱり試してたんだな」


 「そうとも言えるけど……一応坊やの意志を尊重するつもりだったのよ?まあその場合、可愛い貴方をペロリと食べちゃうつもりだったんだけれど」


 「アンタが言うとぞっとしねぇな」


 女の言葉に怖気を感じながら、黒梛は今尚口を広げ、暗い闇の中へ誘うように建っている黄金の門を睨んだ。


 「もう行くのかしら?」


 「ああ、向こうで何かあるか分かんないし。それにシロのことだから、あっちに着いた早々歩き回ってそうだしな」

 

 黒梛が明確な意志を告げると、暫く女はジッと黒梛を見つめていたが、やがてそっと長い睫を伏せた。そして、その艶やかな唇が微かに動く。


 「――古より伝う高邁なる魂、悪しき魔女に喰い散らされ堕獄する」


 「……何だそれ」


 突然、唄うように紡がれた詩に黒梛が怪訝な表情をつくると、女は冷たい眼差しで優美に嗤った。

 「……貴方のことよ、レクシアス」


 「いや誰だよ!?」

 

 女の艶っぽい口から出てきたのは意味不明な名だ。さしもの黒梛でも驚きを露わにする。 だが続けて疑問を投げ掛けようとしたとき、女の冷たい瞳の中に仄かな寂寥感が見えたような気がして、黒梛は思わず口を噤んだ。


 「…………ご褒美をあげましょうか。高潔な精神と気高き志を見せてくれた貴方に」


 そう言うと女はしなやかな指で、黒梛の顎を滑らかな動作で持ち上げた。


 「いやお前なにする――んぐっ!?」


 黒梛の口腔を、熱を帯びた唇が閉じようとする動きを妨害し、女のぬめった舌が歯茎の裏を陵辱していく。そのうち自身の舌を、女の舌が絡めとり妖しく交わる。脳髄を甘く痺れる感覚になけなしの理性が吹き飛びそうになりながら、黒梛は酸欠という情け無い理由で何とか理論武装し、己の欲望を押さえ込み女を突き飛ばした。


 「げハぁっ!?はぁ……はぁ…………お前俺を殺す気か!」


 噎せる気息を何とか整えつつ黒梛が非難の声を上げた。


 「嫌だったかしら?その割に、最後は貴方も舌を絡めてきたのだと思ったのだけれど?」


 色っぽく言う女の言葉に黒梛は溜め息を吐いた。

 

 「…………忘れてくれ。今のがご褒美か?」


 「口付けの事を言っているのだったら少し違うわ。あれは副次的なものに過ぎないの。私が坊やにあげたのは《女神の祝福》よ」 


 女神――確かに突拍子もない話だが、これだけの非日常的現象を起こした張本人ならあながち嘘ではあるまい。


 「アンタ女神だったのか……ぶっ飛んだ神様もいたもんだ」

 

 

 「素敵でしょ?因みに、私の愛する夫は最高神よ。あっちの世界では創造神なんて呼ばれているわ」

 

 うっとりとした表情で女が言った。その姿は恋する乙女のようだ。


 「創造神か、またファンタスティックなものが出てきたな。……それで結局《女神の祝福》って何なんだ」


 「さあ?個人によってそれぞれだから私にも分からないの」


 「おい、それって意味ないんじゃ……」


 「――ただし」


 黒梛が非難がましい声を出すと、透かさず女が割り込む。

 

 「どんな効験があろうと、それは坊やにとって益となるものに違いない……そこは保証しましょう」


 女の真剣な瞳に黒梛は何も言えない。そもそも、女が現れなければ《女神の祝福》とやらを受ける必要性もなかったのだが、その事実に至る思考回路を黒梛は放棄した。否、させられたのだ。


 「取り敢えず今はアンタの言葉を信用してやる。何にしても、あっちで色々あるだろうし力は有ったに越したことはない」


 「そう言ってくれると思っていたわ、坊やなら」


 にっこりと、機嫌良く笑う女に今更ながら、肝腎なことを聞いていないことに気づいた。いや、この表現は可笑しいかもしれない。それは別段気にする必要もなく、寧ろ女の領域に一歩進むという点に於いてなら害悪にしかならない。しかしこの時、黒梛は確かにそれを聞かなければならないと直感的に自覚したのだ。

 

 「なあ……アンタの名前……なんて言うんだ?」


 「知りたい?」


 試すような視線を向ける女に黒梛が、できれば、と言うと女は徐に玲瓏な声音を発した。


 「豊穣を司る女神デメテル。大地の正統なる守護神にして、世界を開闢せし男の妻」


 「説明が長いぞデメテル」


 「あら……いきなり呼び捨てかしら?」

 

 「あれ、嫌だったか?」

 

 「いいえ、貴方に名前を言われるなんて興奮するわね」

 

 紅潮させた頬に手を当てて言うデメテルに、何か背徳感らしきものを感じ慌てて目をそらした。


 「長話し過ぎた……もう行くよ」


 「私が言うのもおかしな話だけれど……気を付けなさい、あっちの世界はこちらの世界とは似て異なる場所だから」


 全くその通りだと思いながら、黒梛は黒い泥濘の上を歩いていき黄金の前に立った。怖気を抱くほど悪趣味な装飾と、ぽっかりと口を開け今か今と待ち受ける怨嗟と憎悪を内包するような暗淵。


 気掛かりなことは山と有る。妹の澪のこと、今だ泣き続ける女子高生のこと、そして無機質な瞳をこちらに向け続けているサラリーマン風の男性のこと。薄金髪の男に至っては何故か気にとめなかった。青年の佇まいは歴戦の猛者のそれだ。あの年齢からは想像もつかないほど、数々の修羅場を掻い潜って来たのだろう。何より青年の余裕がそれを物語っている。


 ――怖いのか


 他のことに思考を巡らせ、気を紛らわそうしたことに黒梛は気づいた。

 

 直ぐそこには、昏い闇が存在している。ここまで来て腰が引けている自分に反吐がでるほど腹が立つ。あれだけ大見栄きっといてこれだとは情け無いのにもほどがある。


 妹を一人で置いていき、勝手にいってしまった友を連れ戻すと決めたではないか。それに、まず白銀にあったら一発殴る。そうでなければ、心の片隅でくすぶっている火を消えやしない。


 「…………行くか」


 闇に触れる、それは意外にも暖かかった。だが同時に強烈な嫌悪が訪れる。吐き気を催しながらもまず腕を呑み込ませ、徐々に体を侵食させていく。


 やがて、顔が闇に浸かり意識が掠め取られるような錯覚が生まれる中、黒梛悠は確かに聞いた。


 「――次に目覚めたとき、お友達がまだ生きていると良いわね」


 デメテルの言葉の真意が何なのか、それを理解する前に生暖かい闇が黒梛の体を包み込み、彼から完全に意識を奪っていく。


 最後に薄れ行く意識の中で、黒梛が考えたのは妹とのことと白銀の事、そしてこれから出来するであろう未来のことだった。

 

 ここまで読んでくださり有り難う御座いました。


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