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ファースト ブルーム

作者: 見城R

中年があらわれた


「どうする?」


呟いた男性はまさにその状態に今直面している

何も、中年の男性、あるいは、女性が眼前に立ちはだかったわけではない

これは、彼自身が生誕してから30年の歳月が、まもなく過ぎようとしている

その状態に向かって呟いているのである


「・・・・・どうしようか」


彼は勇者になれなかった

そんなくだらないことを考えたりして、秋めいてきた町を

一人で、たらたらとアテもなく歩いている

まさか20代後半にして、既に徘徊、いやさ、散歩という趣味ができるとは

ガキの頃には思いもしなかった


「・・・・・・ったく、繋がらねぇ、なんだ、暇なのって俺だけなのか?」


なんの気なしに

友人連中に電話をかけて見るが、どれもこれも話にならない

土曜日の午前中にぶらぶらできる時間ができる人物が

年々というよりも、気付いたら、すっかり居なくなっていた

俺だけどうも暇なんじゃないか、そう不安になってくる

周りは忙しくやっている様子で

でも仕事の顔は見えなくて

俺は俺のだけ見えていて、土曜日の午前に起きて歩き回れる時間がある

なるほど、俺だけやはり暇らしい


暇を一人で使うことに、意外と限界は遠い

一人だけでも充分に面白いことはあるし

なんというか、それにはまって行けばもっと楽になると解っているのだが

どうもそうすると、とてもよくない事になるような

またも、不安があってそれもできず、最終的にアウトドアひきこもりあたりで

手をうっている次第である


だが、それでもその暇を潤してくれるステキ素材を

最近手に入れたのだ



歩き回るのは京都の町だ

五条界隈、断じて五条大橋河原町側の南じゃない

五条東大路、もっと具体的に言うと

国道一号線の東山越えて山科行くまでの陸橋が出てくるあたり

その北側をうろついている


このあたりは下町とは言い難いが、なんとも、独特な生活感に溢れている

魚屋、八百屋、コンビニ、本屋、一般的なそれらが並ぶ商店街めいた

それでも目の前は天下の五条、国道一号、そして京都の観光地

違和感がごたまぜになったこの界隈には、陸橋で隠しているかのように

ちょうど車達が昇っていくそのごく隣に老舗がたくさん並べられている


陶器屋の並びになる


五条はやがて、そのまま東山に突入すれば

有名な茶碗坂になる

東大路界隈に到達すると、完璧にそこは観光地になってしまう

そうなる前のところに並ぶ老舗達

そこを、最近は徘徊して、日々勉強を積み重ねている


「・・・うぉお、茶碗坂より値段が500円落ちとる」


にやにやしながら、おつとめ品コーナーをむさぼる

多分、店主からしたらこの男は、大変邪魔くさい、塩でもかけたい者だろうが

ぴしゃりと閉められた戸の向こうから人がやってくる気配はない

男はその京焼の物体を丁寧に大事そうに両手に持っては角度をかえて

それっぽく見ている、内心注釈はこうだ


さっぱりわからん


それでもなんとなく見ていて、値段の差とその器の差については

大人なんだから覚えてきた気がしている、表層的なところを撫でているだけだが

おおかたそれでできるだろう、絵付けのどこがよいだの、釉薬の表情が豊かだの

そんなものはさっぱりわからない

わかるのは、赤茶碗、黒茶碗ともに、本物ですら軽いという衝撃的事実だけだ

持った瞬間に、あまりの軽さに偽物じゃねぇかと貧乏脳が騒ぐのである

5000円を超える陶器について、その価値はまだ見いだせないで生きている


「・・・・」


会話のない休日が過ぎていく

一般男性の何%が、こうやって一人で声を発せずに過ごす休日を体験しているのか

少なくともここに一人いる、だが心の声は出ているぜ

そんなことを思ったりしながら、陶器をただただ眺めて

よさげな器を探している、まだ、一つも持っていない

家で待っている食器は、100均で買った茶碗ぽいものと、椀ぽいものだけだ


そうやって、何軒かをやり過ごしていて

つと、今まで気付かなかった路地を見つけた

空はどこまでも高い、蒼く澄み切った秋の空だ

天空より注がれる日光は、まだまだ直撃していると

じわじわと肌の表面が焦げてくるのがわかる

暗がりの路地に、吸い込まれるように足を踏み入れてみる

路地に入ってみると、外で見ていた以上に暗がりになっているのがわかる

だが、そこにも茶碗屋が並んでいるのに気付いた

初物探しだ、いつもの通り、すっかり買わない常連と化した体たらくで歩いていく



「・・・・なにか?」


時が止まったかのような空間だ

古ぼけたと言う形容が果たして当てはまるのか

雑然とした、混雑した、雑多な

ともかく、雑い、そういう形容詞が存在すればそれ、それだよ、それ

そんな店の中に女の人がいた


怪訝そうな目つきで、男を見ている

一見すると、留年を繰り返しすぎた大学生に見えてしまう容貌

そこから、上客ではないと判断されたのだろう

おそらく彼女はこの店のオーナーの何かだ、オーナーかもしれないし、娘とか孫かもしれない

ややつり目気味に見えるが、結い上げた髪が目元を少しつり上げているせいかも

豊かではないが、それなりに形作られたポニーテール

雑然とした店によく似合うエプロンにジーンズ

店は木造で、所狭しと圧縮陳列さながらに陶器が並び置かれ

その洞窟めいた奥に彼女は座っている


「その、見せて戴いてよろしいですか?」


「どうぞ」


なんで敬語?

そういう顔をして、京都特有の観光向けイントネーションではなく

自然な声色が、短い言葉を紡いだ

男はドギマギしながら、とりあえず手元にあった皿を見る

清水焼とかのそれらでは無さそうだ、ごつごつと言ったらいいのか

いわゆる焼き物然としたそれだ、やはりさっぱりわからん

わからんが、この女性がべっぴんなのは解った、どうする、コマンド


→皿を見る


というわけで、別に何もせず皿を見ることにする

どぎまぎとして、なんだか店内と同じように

自分自身の思考も雑然としてきた、次に手にとった皿は

何の変哲もない京焼だか、清水焼だかの皿だ

紅葉の絵付けがなかなか風情を醸している


高価いな


言葉はなく、口の中で呟いた感じだ

手書きの値札には達筆で5000円と記されている

だいたいの相場といえば相場だろうか

そこらの店なら3000円とかでもありそうだが、そうではない何かが

多分この皿にあるんだろう、さっぱりわからない

それは前述の通りだ


「他のとは違うでしょう?」


「え、いや」


「塗りの厚さ、造形の部分が厚塗りになってるでしょう、

それが清水焼の良品の印なんですよ、だから他よりも少し張るの」


戸惑っているのを見透かしたのか、縁台のような場所から

声だけが飛んできた、持ったまま振り返ってみると

そちらはそちらで、なにやら仕事中らしい

箱の裏側を見つつ、慎重そうに陶器をそこへとしまっているらしい


「気に入られましたか?」


「いや、さっぱりわからず・・・でも、よい物なんですね」


「そうですよ、値段なりの価値はあります」


さっくりした物言いだ、年齢は不詳だが

自分と変わらない、あるいは、少し上かもしれない

客商売に慣れているからなのか、丁寧な物腰というべきか

空気が柔らかく、綿のようなイメージを与える


「紅葉柄は季節というのもありますけど、メジャーな図案なんですよ、色合いもいいでしょう」


「清水焼ってなんとなく、黄色っていうイメージがあるんですが」


「黄色も紅葉の一つでしょう」


そうかな、ふと疑問を覚えたが

知らず内、その手にした皿を元の場所に戻しづらい状況になったと気付いた

やられたのか、白い汗がでそうになるが

ま、買ってもいいか、そんな気になってしまった

多分女の人だからだろう、声はリンと張って小気味がいい

訛りと言うのは憚れるが、京都特有のそれの含有量が随分少ない

もしかすると、大学時代とか関東に出ていたのかもしれない


「これ、一つ」


「まいど、おおきに」


わざとらしくない

ようやく発せられた京都言葉は、やわらかくやはり京都の女だと伺わせる

充分な説得力を持って、よく通った

この年齢にとって、5000円なんてもんは

ぽんと出せる金額のはずだが、どういうわけか独身で稼ぎがあるのに

この値段に若干狼狽えてしまうのは、使い慣れていないからだろうか


丁寧に梱包された物を受け取る、出口へと向かう、すがら

見送られていると思って一度振り返ったが

出がけの背中は決して見送られることはなく

一点の壺にのみ向けられていた


ため息をついてしまう、きっと5000円のせいだろう



「なんだこの皿」


「いいだろう、清水焼だ」


得意げに自慢してみる

もう立派な収集家になっている気がするが

それなりに金の使い方を覚えた

そういうことに落ち着けている、にやにやして

その皿を見る同僚を見守るが、同僚ぽつり


「いくらしたんだ?」


「5000円」


「焼き肉喰えるじゃねぇか」


驚いた同僚、おお、これだ

この、てめぇは解ってねぇな、いい年齢なんだから美術にでも興味モチな

という、この優越感が味わいたかったんだ

殊更嬉しそうに、その高価な物=焼き肉などとぬかす、想像力と生活が貧相な同僚を

精一杯に蔑んだ目で見つめてみる

おっさん化するというのは、こういうことだ


「つうか、お前、ダマされてるな」


「ぅなっ」


「これ、近鉄のバーゲンで800円だった皿と同じだぜ」


「何を言い出すかと思えば馬鹿野郎、これはな、ほら塗りの厚みが違う」


「お前、知ったかぶりはよくないぜ、こういうのはな多分揃ってないと意味ねぇんだよ」


「そ、揃う?」


「5枚とか10枚一組だろうよ、お岩さんだってそうやって死んだくらいじゃねぇか」


「な、何を言うか、これはほら、一点物っつうんだよ」


焦りながら、そのもっともらしい理屈に絶望を覚えてしまう

い、いけない、俺の楽しい趣味が、騙されたという

恐ろしい思い出に変わってしまうじゃないか


「ぶはははっ、騙されてやんの、貧乏人が成金のまねごとなんかするか」


「も、もういい、お前みたいな奴は金輪際呼んでやんねぇっ、出てけぇっ、俺の部屋に近づくなぁあああっ」


「なぁっ、てめぇ、勝手に呼びつけておいて、客に茶も出さずにそれかっ、ああっ!!」


かくして、貴重な友人を失い

何をしているかよくわからないまま

絶望の皿を手に入れたのである

こうなると、本物かどうか、いや、騙されているかどうかが気に懸かる

すぐに、件の店へと行こうと思う、思うが


「偽物だと・・・・追求、俺にできるか?」


できるわけがねぇ

一般サラリーマンが、5000円出したとはいえ

それ騙されたと、売り屋に難癖つけられるだろうか

そんな勇気があれば、こんな人生を送っていない

そういう、もう主人公とかそういうの無理な自分に気付いて、ただ

もんもんと過ごすしかないのである


それでも、気付けば五条にいる


しかし、当然あの店には近づけない

高い勉強代だった、そうやるせなさを感じつつ

また、結局のところいつもの通り、おつとめ品を見ていたのだが


「嘘っ、騙されたっ!!!」


「そりゃ、勉強足らなんだなぁ」


「信じらんないっ、なんてことするかな本当っ」


実に珍しい喧噪が聞こえてきた

まるで、心の言葉を代弁して貰ってるようだ

そんな視線の先、言い争う人に見覚えがある

ああ、これは困った


「この箱、山科で作って貰ったのよ、中身全然あわないじゃないっ」


「おお、桐箱か、いいもん作ったな、そっち買い取ってやるよ」


「五月蠅いっ!!黙れ、ハゲっ!!」


「は、ハゲ言うか、このアホ女っ」


どうやら、騙されたほうはくだんのお姉さんである

一部始終を見守っただけで、顛末は察した

因果応報、そういうことをつと、思ったが

それとは全く別のことも感じた


「まぁ、そんだけ壺好きなんだ、そろそろわかってくるだろうよ、勉強しぃや、勉強」


「くぅ・・・備前は、こっち回ってくるの少ないからわかりゃしない、帰るよ」


「またな」


相手の男は30後半くらいだろうか、まだ枯れるような年齢でもない

ちなみにハゲなのかはわからないが、坊主にしている

出てきた女性は、それなりに興奮した様子だが

しかし、目元にうっすらと笑みが見えた、ぴらぴらと手をふる仕草にそれまでと

全く違う所作を感じる、慣れた様子である


遠間で見守ったおかげだろう

向こうは気付かなかった

その背中を見て、すぐに足は後を追った


空が高いのがよくわかって

景色が、とても明るく見えるようになった

やはり、この趣味はまだ鍛えていかないといけない

勉強というよりも、投資だねこれは


何に対してか、それはわからない


そのうち、釉薬のほの赤さとか

そのあたりがわかるようになるだろう

わかるようになるまで、壺に詳しい女性に手ほどきを受けようと今、決めた


自分の性格をよく知ること

何事も、愛でるには自分がよいと思った景色を認めることだそうだ

なるほど、今の景色はなかなかよい


「いらっしゃいませ、あら」


「壺を見せて貰えますか」


きょとんとした風だったが

女性は、ゆっくりとたおやかな、先ほどとは違う笑顔を見せて

その棚をそっと手でさした、座りのよい形


間違いなく、さっき罵倒されていた曰くの物が鎮座している


私の戦いは、始まったばかりだ

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