ハチが花の蜜をとる姿はまことに高貴だ
ハチが花の蜜をとる姿はまことに高貴だ、と私は思うのだ。
スズメバチすら小さな花の上にチョコンと座る。
大きな体を折りたたみ、何やらこまごまと手足を動かして丁寧に蜜を取っている。
元来、ハチというやつは人間に嫌われている。
はちのほうから見れば、せっかくハチミツを提供しているというのに手で追い払われるわ、巣は駆除される
わでいい迷惑だと思う。
誤解されがちだが、ハチはほとんど刺さない。
ミツバチの多くは一度針を刺すと死んでしまう。
スズメバチやらの大きなハチは何度でも刺せるが、別に好きで刺したいわけではない。
想像してほしい。
もしあなたが恐竜たちがわんさかいるジャングルに住んでいるとして、果たして丸腰で出歩けるだろうか?
そんなことは無理だ。自殺行為である。
体重が小さなハチたちの何万倍もある私たちは、ハチからするとその恐竜の何倍にも恐ろしい
存在なのだ。
そりゃあ武器だって持つだろうし、毒だって塗る。
恐ろしくて仕方がないのだ。
話をもとに戻す。
ハチが花の蜜をとる姿がいかに高貴であるかだ。
分かりやすく他と比べてみよう。
まずは私たち人間である。
人間は蜜をとらないから花を観賞している姿を例に挙げよう。
まあ、これは言うまでもなく下品なもんである。
何が駄目って、人は花をちぎるから駄目だ。
根元から掘り返して鉢に移すならまだ分かる。
だが、花の部分だけをちぎるのはいかがだろうか?
もちろん水の入ったコップなんかに浮かべておけば大丈夫なのは知っている。
しかし私が言いたいのはそっちじゃない。
「肝心要の花弁をむしり取られて茎だけになった花(もう呼べないのかもしれない)はどうするのだ?」
そんなふうにされてはもう誰も振り向いてはくれまい。
そんなかわいそうな花が世界中にたくさん咲いている気がするのは私だけだろうか?
続いて蝶である。
初めに言っておくが、私はなぜ蝶が今日まで生きているのかが分からない。
まずそこから説明しよう。
たとえばあなたが一人の北京原人で、気持ちのいい原っぱを見つけたとしよう。
まだそこが「香港」と呼ばれるには早すぎる時代なので、いっさいの空間は春である。
気持ちのいい風が吹いてくる。
あなたはそこに座り、花の匂いをいっぱいに吸う。
するとどこからともなくひらひらと漂ってくるものがいる。
なんだあいつは。
ひらひらとゆっくり浮かんでいるばかりで簡単に捕まえられそうだ。
おまけに無警戒であなたの目の前にやってくる。
お腹のすいていたあなたは構わずパクリ。
「うわっ、これ、うまい。まるで口の中までお花畑や~。」
それ以来北京原人は蝶を食べるようになり、蝶は全世界から絶滅する。
こんなふうに絶滅しなかったのが不思議である。
蝶はふらふらと揺れるばかりでまっすぐ進まないから駄目だ。
おまけにあんなに着飾って、食うか食われるかの世界だというのに呑気である。
ハチこそ本来のこの世界にふさわしい姿だと言えよう。
公園のベンチに座ってハチたちがいかに高貴な蜜のとり方をするか眺めてみてはいかがだろうか?
きっと新しい発見があり、きっとあなたはハチを追い払うのをやめる。
ぶん、ぶん、ぶんとハチが飛んでいる。
ちょこんと花弁に座り、丁寧に蜜を集める。
落とさないように気をつけて、またぶんぶん飛ぶ。
家にはたくさんの弟たちが待っていて、兄の帰りを待ちわびている。
だからまっすぐ帰る。
あの森の向こうに何があってもハチは行かない。
夕日がどんなにきれいでもハチは止まらない。
ただ一心に弟たちと母たちが待つ巣へと帰るのだ。
ハチが花の蜜をとる姿はまことに高貴だ。
ヒーローの美学、君は私をあなたと呼ぶ。もぜひどうぞ。