第八章 つなぐ
夜になっても、病室でのやりとりが頭から離れなかった。
横になっても、うまく眠れない。天井を見上げたまま、時間だけが過ぎていく。
思い出そうとしているわけではないのに、篠田の顔色や、言い淀んだ声が、繰り返し浮かんでくる。どれも断片的で、まとまりがない。けれど、それぞれが妙に具体的で、消えない。
手を伸ばして、枕元のスマートフォンを取る。
北村の名前を押す。
呼び出し音が続く。
何度か鳴ったあと、通話が繋がる。
『……どうした?』
いつもと変わらない声だった。少し低くて、余計なものがない。
「今日、篠田さんに会った」
そう言うと、わずかに間が空く。
『篠田さんって……あの?』
「タイムカプセルの」
『ああ』
短い返事だった。それで通じているのが分かる。
「入院してた」
言葉にすると、それだけのことになる。
「長いみたいだ」
『……そうか』
それ以上は聞いてこなかった。
こちらも、詳しくは言わない。
見ただけで分かることを、わざわざ言葉にする必要があるのかどうか、よく分からなかった。
ただ、あの顔色だけは、はっきりと残っている。
少しのあいだ、何も話さない時間が続く。
向こうの気配だけが、わずかに伝わってくる。
「北村」
名前を呼ぶ。
『ん?』
「石田多恵の連絡先、分かるか?」
すぐには返ってこなかった。
考えている、というよりは、どこから探すかを組み立てているような沈黙だった。
『……今は分からない』
どうやって探し当てようか思案してると北村は続ける。
『でも、探せばなんとかなると思う』
それは曖昧な言い方だったが、同時に、もう動き始めていることも分かる言い方だった。
「頼めるか」
短く言う。
向こうで、小さく息をつく音がした。
『分かった。調べる』
それだけだった。
通話が切れる。
画面の光が消える。
それでも、しばらくそのまま持ったまま、動けなかった。
翌日、昼を少し過ぎた頃だった。
通知の音で目が覚める。
いつの間にか眠っていたらしい。
画面を見ると、北村からメッセージが届いている。
短い文と、URLが一つ。
それだけだった。
しばらく、そのまま画面を見ている。
すぐに開くことはできなかった。
理由は特にない。
ただ、指を動かすまでに、少し時間がかかった。
リンクを開く。
見慣れない画面が表示される。
誰かのアカウントだった。
写真が並んでいる。
日常の断片のようなものが、いくつも並んでいる。
その中の一枚で、手が止まる。
子供と写っている。
笑っている顔は、記憶の中のものと、ほとんど変わっていなかった。
彼女だった。
画面を見たまま、しばらく動かない。
時間の経過だけが、遅れて伝わってくる。
結婚しているのだと気づくまでに、少し時間がかかった。
それ以上のことは、考えなかった。
ーーー
スマートフォンの画面を見たまま、しばらく動けなかった。
送るべきかどうかは、最初から分かっていた気もする。
それでも、指はすぐには動かなかった。
篠田さんの顔が浮かぶ。
あのときの、言い淀むような声も一緒に。
画面を開く。
入力欄に文字を打つ。
何度か消して、また打ち直す。
短い文にしかならなかった。
『高校時代の同級生の飯田勤です。篠田さんが今、入院している。時間が取れるなら、一度会ってほしい。』
それだけを送る。
送信されたことを確認してから、画面を閉じる。
少しして、すぐに通知が鳴る。
予想よりも早かった。
開く。
『勤くん……久しぶり。祐実ちゃん、入院してるの?』
文字の並び方が、昔とほとんど変わっていない気がした。
『ああ、市民病院。』
それだけ返す。
すぐに次の返信が来る。
『そうなんだ……私、今は穂高市に住んでて。』
穂高は、ここからそう遠くない場所だった。
車で三十分か、もう少しか。
『面会は午後なら十六時から十八時。空いてる時間が分かれば、迎えに行く。』
送ってから、少しだけ間が空く。
『うん、スケジュール見てみる』
それきり、しばらく動きが止まる。
画面を閉じることもできず、そのまま持っていた。
少しして、また通知が鳴る。
『明後日、空いてるよ。』
『解った。十六時くらいに穂高駅でいいか。』
『うん…』
そこで、やりとりは終わるはずだった。
画面を閉じようとしたとき、もう一度、通知が鳴る。
開く。
『勤くん……ありがとう。』
その一行だけだった。
しばらく見ていた。
何も返さなかった。
画面を閉じる。




