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第七章 思い出す

 目が覚めたとき、胸の奥に重さが残っていた。

 思わず右足を掴んだ…全く痛みがないのが気持ち悪かった。

 夢の内容は、はっきりとは思い出せない。ただ、公園の空気と、言葉の断片だけが、嫌に生々しく残っている。

 しばらく、そのまま動けなかった。

 天井を見上げたまま、息だけが浅く続く。朝だと分かっていても、体が現実に戻りきらない。

 そのまま、気分の悪さだけを抱えたまま起き上がる。

 食卓に座ると、いつもと変わらない朝の風景があった。

 母が何かを話している。声は聞こえているのに、意味が届かない。

 適当に相槌を打ちながら、味のしない食事を口に運ぶ。さっきの夢だけが、少し遅れて現実に染み出してくる。

 部屋に戻り、パソコンの電源を入れる。

 画面に並ぶ数字を追い、いつもと同じように手を動かす。

 午前が過ぎ、午後に入る。

 気持ちはどこか噛み合っていない。判断が遅れて、タイミングを外す。小さな損が重なっていく。

 そのまま、取り返せないまま時間だけが進む。

 十五時半。

 市場が閉じる。画面の動きが止まる。

 結果はよくなかった。数字だけを見て、深くは考えないようにする。今日はそういう日だと、どこかで決める。

 机の上に置いてあった缶の中身を、紙袋にまとめる。

 サイン帳。ラケット。CD。

 ひとつずつ入れて、口を閉じる。

 車の鍵を手に取る。

 卒業アルバムで見た住所を頼りに、車を走らせる。

 見慣れない住宅街だった。ナビに従って曲がり角をいくつか過ぎると、それらしい家の前に出る。

 エンジンを切って、そのまましばらく座っていた。来た理由は分かっている。それでも、少しだけ時間を置く。

 車を降りて、インターホンを押す。

 反応はない。もう一度押す。やはり、何も返ってこない。

 しばらく待つ。気配はない。

 そのとき、隣の家の扉が開く音がした。

 中から出てきた女性が、こちらを見ている。

 「祐実ちゃんの知り合い?」

 少しだけ間を置いて、頷く。

 「同級生です」

 そう答えると、相手はああ、と小さく声を漏らした。

 「祐実ちゃんね、入院しちゃったのよ。市立病院」

 その言葉だけが、はっきりと残る。

 「ありがとうございます」

 頭を下げて、その場を離れる。

 車に戻って、エンジンをかける。さっきよりも、少しだけアクセルが重く感じた。

 市立病院は、それほど遠くなかった。

 白い建物が、夕方の光の中でぼんやりと浮かんでいる。駐車場に車を止めて、紙袋を手に取る。

 受付で名前を告げ、ナースセンターが確認する。確かに入院しているらしい。部屋番号を教えられる。

 廊下を歩く。

 足音だけが、やけに響く。

 知らない人間が、こうして会いに行っていいのか。

 一瞬だけ迷う。

 それでも、ここまで来て引き返す理由もなかった。手にしている紙袋の重さが、それを後押しする。

 大部屋の前で足を止める。

 軽く息を整え、扉を開ける。

 ベッドが並んでいる。どれが誰のものか、一目では分からない。

 ゆっくりと視線を動かす。

 その中の一つで、こちらを見ている人影と目が合う。

 「あれ……もしかして、飯田くんだよね?」

 声が、先に届いた。

 「もしかして……篠田さん?」


ーーー


 とりあえず、椅子を手にとって篠田さんが寝ているベッドの横に腰掛けた。見つめると顔色が良くない…。少しばかり調子が悪そうだ。

 「話してても大丈夫?」

 篠田さんは一度だけ頷いた。

 「うん。大丈夫」

 声は小さかったが、はっきりしていた。

 少し間があってから、続ける。

 「……ていうか、すごく話したい」

 力のない微笑みを見せて、こちらを見る。

 「飯田くんと、ちゃんと話すの、初めてだよね」

 「そうだな」

 それだけのやりとりなのに、どこか噛み合っていない。言葉だけが先に並んで、意味が後から追いついてくるようだった。

 篠田さんが小さく笑う。

 「なんか、おかしいね」

 「何が?」

 「高校卒業して、もう三十年くらいになるのに」

 「まだ二十七年だ」

 「三年くらい、変わらないよ」

 その言い方に、少しだけ笑う。時間の話をしているはずなのに、実感はどこにもなかった。

 「今日は、これを持ってきた」

 紙袋を差し出す。

 「自分たちのタイムカプセルを掘ろうと思って、間違えて掘った」

 「タイムカプセル?」

 渡された袋の中を覗き込む。そして、一つずつ中の物を布団の上に取り出す。

 「あー……これ」

 少しだけ息を漏らす。

 「私たちが埋めたやつだ」

 「神社の裏でしょ?」

 俺の問いに軽く頷きながら、ラケットを手に取り裏返して、名前の部分を見る。

 「友奈のだ」

 指でなぞる。

 「浅野友奈って書いてある」

 浅野友奈さん残念ながら覚えていない。同じクラスだったかもしれない。

 視線が、少しだけラケットから遠くにずれる。

 「卓球、黒歴史だから封印するって言ってたんだよ」

 「それで入れたのか」

 「そう」

 次にCDを取り出す。ケースの表面を軽く拭う。

 「懐かしい……」

 小さく呟く。

 「モー娘。に、ブラビに、安室ちゃん」

 「この頃、ずっと流れてた」

 サイン帳を手に取る。ページをめくる音が、やけに静かに響く。

 何枚か過ぎて、手が止まる。

 そのまま、少しだけ黙る。

 「……これ」

 差し出される。

 視線を落とす。

『竹内聖人大好き

 スキスキ

 って伝えたかったよぉ

 それが私の高校三年間での後悔

 篠田祐実』

 さっき見た文字だった。

 同じはずなのに、少しだけ違って見える。

 少し間を置いて、頷く。

 「あー……やだ」

 篠田さんが小さく笑う。そして頬を赤く染めている。

 「何書いてるんだろうね」

 「まあ、あの頃だし」

 「全然フォローになってない」

 そのまま、ページをめくりながら話す。高校のこと。どれも断片的で、まとまりのない話ばかりだった。

 ふと、会話が途切れる。ページをめくる手が止まる。

 少しの沈黙。

 「……飯田くんってさ」

 顔を上げる。

 「多恵と付き合ってたよね」

 俺は…黙ってしまう。篠田さんは、彼女とどれくらい近かったのだろう。

 何を知っているのか。

 サイン帳には、彼女の名前がない。

 そのことだけが、少し引っかかっていた。

 「あ、ごめん……」

 返事をしあぐねていると、篠田が続ける。

 「でも、当時、そのことで、少しだけ飯田くんと話してみたかったんだ」

 「話?」

 「うん……まさか、お話するのに、二十七年もかかるとは思ってなかったけど」

 苦笑いを浮かべながら、そこまで話すと、少しだけ間を置いて。

 「あ、話したくなかったらいいよ。やめるよ」

 「いや……いいよ。何?」

 篠田さんは、小さく息を吸えば。

 「私、多恵とは、すごく仲が良かったわけじゃないけど……それなりに、話すことはあった」

 「そうなんだ?」

 「うん……」

 当時、名前くらいは聞いていたのかもしれない。

 けれど、あの日以来、多恵との記憶はほとんど抜け落ちていた。楽しかったことほど、先に消えていった気がする。

 「多恵は、私が竹内くんのこと好きなの、知ってたんだよね」

 そのまま、少しだけ視線を落とす。

 「それで、竹内くんと付き合って……裏切られたって思った」

 言葉は静かだったが、止め方が少しだけ硬い。

 俺は何も言わない。

 「飯田くんも……竹内くんと仲良かったよね?」

 「……ああ」

 「私と同じで、あの夏から、話さなくなったよね?」

 「そうだな」

 それ以上、続かない。

 少しの沈黙が落ちる。

 篠田さんが、先に口を開いた。

 「ねえ」

 こちらを見る。

 「多恵のことと、竹内くんのこと……今、どう思ってる?」

 少しだけ考える。

 言葉を選ぶほどでもなかった。

 「好きとか嫌いとか、そういう話じゃないかな」

 「どういうこと?」

 「どうでもよくなった」

 そのまま続ける。

 「人が誰かを好きになるのって、止められるもんじゃないって、あとになって分かった」

 「……」

 「そう思ったら、別に責めることでもないなって」

 少しだけ間を置く。

 「彼女が俺より竹内を選んだ。それだけの話だろ」

 篠田さんは、しばらく何も言わなかった。

 それから、小さく笑う。

 「大人になったんだね」

 「そうかもな」

 また、少しだけ沈黙が落ちる。

 篠田さんが、視線を落としたまま言う。

 「私さ、ちょっとだけ後悔してる」

 「何を?」

 「私、ちゃんと伝えてないから」

 「……」

 「竹内くんに、好きって」

 言い終えて、少しだけ笑う。

 「だから、怒る資格もなかったんだよね」

 「俺も怒ったけどな」

 「飯田くんは……私と違って状況が最悪だったから」

 笑いながら、軽く茶化すように言う。

 それでも、どこか本気だった。

 「私は違った」

 それだけ言って、言葉を切る。

 また、静かになる。

 今度は、こちらから口を開く。

 「どうしたいんだ?」

 「え?」

 「彼女に、謝りたいのか?」

 少しだけ迷ってから、頷く。

 「……できれば」

 「分かった」

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