第五章 見つけた名前
家に戻ると、そのまま部屋に戻った。手にしていた缶の汚れは酷いので新聞紙を机に敷いて、その上に置く。
改めて見ると、ずいぶんと古びている。表面は錆びて、ところどころ形も曖昧になっている。それでも、完全には崩れていない。
こんなものだったか、と思う。
思い出そうとしてみるが、何も浮かばない。自分たちで埋めたはずなのに、その手触りも、中身も、ほとんど残っていなかった。
少し迷ってから、蓋に手をかける。力を入れると、鈍い音を立てて開いた。
中には、いくつかのものが詰め込まれていた。卓球のラケット。持ち上げると、グリップの部分が少しだけ湿気を含んでいる。多分、卓球部の誰かが入れたのだろうと思った。
次に、小さなケースを開ける。モーニング娘。のシングルCDが入っていた。あの頃、よく流れていた曲だった。
紙の束もある。絵が何枚か重なっていて、どれも丁寧というよりは、勢いだけで描かれたようなものだった。
そして、一冊のノート。
表紙に目を落とす。
岡崎高校
平成十年度卒業メンバーのサイン帳です
丸みのある字で、そう書かれていた。その下に、小さく「卒業記念」とある。
指でなぞる。
同じ学校で、同じ年に卒業している。自分たちのもののはずだった。それなのに、こんなものを入れた覚えがない。
ただ、覚えていないだけなのかもしれないとも思う。あの頃のことは、細部になるほど曖昧だ。
書いたのかもしれない。
そのまま、ページをめくる。
名前が並んでいる。見覚えのない名前ばかりだった。同じ学校のもののはずなのに、どれも自分の記憶には引っかからない。
誰が誰なのか、思い出せない。
それでも、内容はどれも似たようなものだった。将来の夢や、好きなもの、その時に流行っていた言葉。どれも他愛がない。
少しだけ罪悪感を覚えながら、ページをめくる。知らない誰かの過去を覗いているような気がした。
それでも、手は止まらない。
ふと、見覚えのある名前が目に入る。
手が止まる。
その一行だけ、はっきりと浮かび上がる。
『竹内聖人大好き
スキスキ
って伝えたかったよぉ
それが私の高校三年間での後悔
篠田祐実』
しばらく、そのまま見ていた。
胸の奥で、何かがわずかに動く。けれど、それが何なのかは分からない。ただ、その名前だけが残る。
突然机がブルブルと震える。震源地を観ると、ホーム画面に『北村』という名前が浮かび上がっていた。電話に出ると。
『見つかったか?』
「見つかったけど…」
言葉を選ぶが、気の利いた言葉出てこなかった。
「なんか、別のやつだった。俺達のじゃなくて、他の人のやつだった」
『ああ、タイムカプセル俺等の代流行ってたもんな』
軽い調子で返ってくる。
少し間を置いてから、続ける。
「篠田祐実って、知ってるか?」
向こうで考える気配がある。
『ああ……なんか、聞いたことあるな』
少しして、思い出したように言う。
『あっ、同じクラスだ』
その言葉に、少しだけ引っかかる。
「俺もか?」
『お前、俺と同じクラスだっただろ?』
当たり前のように返される。
「そうか」
短く答える。
『その篠田のやつか?』
「多分」
『引っ越してなかったと思うぞ』
「分かった」
少しばかり思案にくれてると。
『どうする気だ?』
「本人に渡す」
『マジか、ご苦労なこったな』
「ああ。とりあえずありがとう」
それだけ言って、通話を切る。
棚から卒業アルバムを引き抜く。ページをめくり、名前の一覧を追う。
篠田祐実。メガネをかけた女子の写真が載っている。
確かに卒業生…俺と同じクラスだったらしい。そして、番号も載っている。
スマートフォンに打ち込む。しかし、呼び出し音が鳴らず、すぐに、機械的な声に変わる。
『お掛けになった電話番号は現在使われておりません』
しばらく、そのまま座っていた。
部屋の中は静かで、外の音もほとんど入ってこない。
卒業アルバムには電話番号と一緒に住所も載っていた。仕方ない…明日訪ねてみるか。
持ってきていたノートパソコンに目を向ける。
すぐに帰るつもりでいたが、その気が少しだけ変わる。
あと二、三日は、ここに残ろうと思った。
そのまま、ベッドに体を預ける。
天井の紐が、視界の端で揺れている。
目を閉じると、さっきの文字が、もう一度浮かんだ。
『篠田祐実』
『竹内聖人』
その名前だけが、はっきりと残る。




