第十三章 春の手前
翌日、十六時。市立病院の受付ホールで待ち合わせだった。
竹内は先に来ていた。ソファに座っている。
「ちゃんと来たな?」
「罪滅ぼしだからな」
「そうだな。じゃあ、病室行くか」
二人で歩き出す。
言葉はそれ以上続かない。
階段を上がっていく。足音だけが響く。面会時間なので、各部屋から活発な声が聞こえる。
そのまま、篠田さんの病室へ向かう。
扉を開ける。
「あれ、飯田くん。また来てくれたの?」
「ああ。今日は篠田さんのために、スペシャルゲストを連れてきた」
直前で隠れるように言っておいた竹内が、扉の横から半分だけ顔を出す。
「えぇ……えぇえええええ」
人差し指を伸ばして、そのまま固まる。
表情がそのまま崩れる。俺はその姿に面白がって笑ってしまう。
竹内はゆっくりと中に入る。
「篠田さん、久しぶり」
「竹内くん、久しぶり」
二人のやり取りを見ていると、つい口元が緩む。
「まあ、竹内結婚してるから不倫になるけどな」
「えぇ……あぁ、結婚おめでとう」
「ありがとう」
竹内は持ってきていたフルーツの籠を渡して、そのまま横に座る。
「俺どうする? ちょっと散歩してこようか?」
「いやいやいや、いて……飯田くん、いてくれないと困る」
少し吹き出しながら答える。
「そっか」
「ていうか、二人はどんな関係?」
竹内が困った顔で聞いてくる。そして微笑を浮かべた篠田さんは俺と竹内を交互に見つめている。困ってる風なので俺が答える。
「ん……多分、友達?」
「うん。友達……私たち、友達」
「そっか……」
少しだけ間ができる。
「ちょい、談話室行こうぜ?」
「そうだね」
篠田さんが立ち上がろうとする。
竹内がその手を取る。
俺はフルーツ籠の中から、バナナとみかんを取り出す。
持っていこうとしたところで、横の年配の患者と目が合う。
サムズアップをされる。
思わずこちらも返す。
そのまま、篠田さんが忘れていったサイン帳を手に取って談話室へ向かう。
中には俺達の他には誰もいなかった。
静かだった。
そのままテーブルにサイン帳を置き篠田さんの前へ滑らせる。
そして、さっきと同じように親指を立てる。
「むりむりむりだってーーーー」
「あはは、大丈夫だって。また後悔するよ?」
少しの間、黙る。が、うんうんと頷く篠田さんは意を決したようで。
「そっか……後悔は嫌だな……」
竹内は状況が飲み込めていないようで、挙動不審になって俺と篠田さんをただ見ている。
目の前でゆっくりとサイン帳をめくり始める。
手が止まる。
「えっと……竹内くん……これ」
サイン帳を竹内の方に向けて前に差し出す。
『竹内聖人大好き
スキスキ
って伝えたかったよぉ
それが私の高校三年間での後悔
篠田祐実』
数秒、誰も動かない。
篠田さんは頬を染めている。
竹内は言葉が出ない。
俺はその様子を見ている。
誰も喋らない。
そのまま、時間だけが止まる。
「篠田さん、可愛いからってOKするなよ。不倫になるからな」
「もー飯田くんやめてよー」
肩を叩かれる。
とりあえず痛そうな振りをする。
「ありがとう……すごく嬉しいよ」
「うん。でも今は好きじゃないからね」
そこで、堪えきれずに笑ってしまう。
篠田さんもつられて笑う。
竹内だけが、その場で固まっていた。
ーーー
そのあと、三人で高校時代の話をした。
担任の話が多かった。
篠田さんの話だと、もう引退しているらしい。
篠田さんが在籍していた美術部が定員削減で廃部になったそうだ。
話している途中で、篠田さんがふと外を見る。
「そろそろ春だね」
視線の先を追う。
桜の蕾が、まだ固いまま並んでいる。それでも、開こうとしているのが分かる。
竹内がお見舞いで自分で持ってきたみかんを食べながら答えている。
「うん、来週には咲きそうだな」
「卒業シーズンだね」
「そうだな」
篠田さんがこちらを見る。じっと見たまま、少しだけ企んだ顔で笑う。
「ねえ、飯田くん……わたし、もう一つやりたいことがあるんだけど……いい?」
「俺に出来ることなら」
少し間があく。
「じゃあ、お花見したい」
そこで一度止まる。キョロキョロと俺と竹内を交互に見てる。そして又、ニヤリと笑って続ける。
「竹内くんも、多恵も一緒に」
それ聞いて思わず吹き出してしまった。
「何それ。最高に気まずいだろ」
少し笑いながら続ける。
「いいよ。乗った。北村も呼んでいい?」
「北村くん、会いたい」
そのまま竹内の肩を軽く叩く。
拒否はさせないつもりだった。
俺の方を観る竹内はどことなく嬉しそうな、困ったような、複雑な表情を浮かべている。
病院の廊下に、配膳の音が流れ始める。
夕食の時間だった。
それが帰りの合図になる。
「じゃあ、篠田さん、またな」
「うん……飯田くん、本当にありがとう」
「どういたしまして」
「竹内くんも、来週……ね」
「うん、また来週」
そのまま病院のホールまで見送られる。
軽く手を振り返す。ちらちらと振り返ると3回目で篠田さんは中に入って行った。
はぁと大きく息を吐く。もう春が近いはずなのに、空気はまだ冷たい。
息が凍る。
「飯田……ありがとうな」
「こっちこそ。今日来てくれて、ありがとう」
それ以上は続かなかった。
それぞれの車に向かう。
竹内に向けて手を触れば、ドアを開けて、車に乗り込む。
エンジンをかける。
しばらくそのまま動かなかった。
胸の奥底にある棘の痛みが少しだけ和らいだ気がした。




