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第一章 写りこんだ夢


 「おい、勤。写真、撮ろうぜ。」

 北村の声は、いつもと変わらない調子だった。

 振り向くと、教室の空気が少しだけ浮いているように見えた。三月の終わりが近い。窓際に寄せられた机の上に、白く薄い光が広がっている。

 卒業式まで、あと数日だった。

 誰かが笑っている。何を話しているのかは、もう思い出せない。ただ、似たような声が重なって、教室の奥でやわらかくほどけていく。その中に自分もいるはずなのに、どこか少しだけ外側に立っている気がした。

 北村は手にしたスマートフォンを軽く振ってみせる。

 あれ、こんな物あったかな…と一瞬戸惑う。

 画面の光が、教室の白さとは少しだけ違う色で揺れていた。誰かが触ったままなのか、ガラスの表面に曇りが残っている。

 「撮るなら今だろ」

 その声に応じるように、近くにいた連中が少しずつ集まってくる。椅子が引かれて、机がずれる。誰が声をかけたのかも分からないまま、人の輪ができていく。こういうことは、理由もなく始まって、理由もなく終わる。

 教室の隅で、誰かが別の話をしている。

 声だけが届いて、意味だけがどこかに置き去りにされている。

 それでも教室は、いつもと同じように騒がしい。

 北村が適当に並べと言って、皆がそれに従う。整列するわけでもなく、ただ近くにいた者同士が寄るだけの、いい加減な並び方だった。誰かが肩を押して、少しだけ位置がずれる。

 もう少し前に出ろよ、と言われた気がしたが、聞こえなかったふりをした。理由はない。ただ、その場所で十分だった。

 窓の外で、風が動く。

 校庭の端にある桜の木は、まだほとんど咲いていない。枝先にかすかな色が浮いている。あと少しで咲くのだろうと思った。

 北村がそのままスマホを構える。

 その瞬間、教室のざわめきが、ほんのわずかに遠のいた。

 何かが足りないような、あるいは余っているような、言葉にできない感覚が胸の奥に残る。けれど、それを確かめる前に、

 シャッターの音がした。

 乾いた、小さな音だった。

 それで何かが終わったような気がして、同時に、何も終わっていないような気もした。

 誰かが写真の出来を気にするでもなく、すぐに別の話を始める。机が戻されて、椅子が引かれて、さっきまでの輪は簡単にほどけていく。

 「あれ、これ失敗じゃないか。」

 北村がカメラを覗き込む。

 「消すか」と誰かが言う。

 「まあいいだろ」

 そのやりとりを、少し離れた場所で聞いていた。

 何が写っているのかは分からない。ただ、その時の空気だけが、なぜか強く残った。

 教室の光は、相変わらず薄く広がっている。

 誰もそれを気にしないまま、時間だけが静かに進んでいた。



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