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第7話「八つのチーム」

 翌日、学院の本館にある掲示板の前にレイは立っていた。


 合同実習のチーム編成表。

 全8チーム。

 各チーム12名。


 軍学科は原則全員参加。

 他学科は希望者参加制。

 参加者は希望チームを申請できるが、最終的な編成権は運営と各チーム指揮官にある。希望が通るとは限らない。


 人気のあるチームには希望が殺到し、不人気チームには「どこでもいい」と書いた人間や、指揮官に受け入れを断られた人間が流れる仕組みだった。


 レイは指揮官の名前を先に追った。

 チームの成績は指揮官で決まる。

 兵站や予算がどれだけ優れていても、指揮が崩れれば全てが崩れる。


 Aチーム指揮官——ディートハルト・リヒトフェルデン。


 軍学科2年。

 合同実習無敗。

 リヒトフェルデン家武官筆頭候補。


 レイは一瞬だけ目を止めた。


 掲示板の前にいた影が動いた。

 レイの隣に立った男は、一瞥で掲示板の全てを見渡せるだけの背丈があった。


 ディートハルト・リヒトフェルデン。


 レイは半歩退いた。

 ディートハルトの目が掲示板を走る。


 Aチームの欄は素通りし、他の七つを順に、同じ速度で見ている。

 そしてFチームの欄に目が来た時——ほんの一瞬だけ、視線の速度が変わった。


 0.2秒。

 他のチームより長い。

 それだけの差だ。


 ディートハルトは何も言わずに歩き去った。

 レイはその背中を見送り、次のチームに移った。


 8人分の指揮官の名前と学科構成を、頭の中に入れていく。


 Fチームの文学科枠に、自分の名前があった。

 指揮官はハンス・ベルガー。

 ジュリアスが食堂で話していた名前だ。

 面識はない。


 さて、今回はオッズを作る側が賭けの対象の中にいる。

 自分という変数を、どう扱うか。

 それはまだ考えないでおく。


 なぜならばまだデータが致命的なまでに足りていないから。


 掲示板を離れかけた時、マリエルが廊下の向こうから歩いてきた。

 腕に台本らしき紙束を抱えている。


「レイさん、ちょうどよかった。文芸祭の朗読劇のことなんだけど」

「はい」

「脚本の構成がうまくまとまらなくて。ジュリアスに相談したら『レイに聞け』って」


 レイは紙束を一瞥した。

 原稿用紙に手書きの台詞。

 三幕構成にしようとして、二幕目で行き詰まっている筆跡。


「構成なら、一幕あたりの上演時間を先に決めた方がいいですね。観客の集中力は二十分で切れますから、各幕は十五分以内に。転の直前に緊張を最大化するには——」


 マリエルの表情が、少しずつ曇っていた。

 曇っていることに、レイは気づいていなかった。


「——マリエルさん?」

「ありがとう。すごく詳しいんだね」


 マリエルは笑った。

 いつもの笑顔だった。

 だがその笑顔のまま紙束を抱え直して、「大丈夫、自分でもう少し考えてみる」と言って去っていった。


 ジュリアスが後ろから肩を叩いた。

 いつの間にか来ていた。


「お前さ、今のは正解じゃなくて返事が欲しかったんだよ」

「……返事?」

「『一緒にやろう』の一言。技術じゃなくて、人手が足りないから声かけたんだ」

「……なるほど。そういう計算式もあるんですね」

「計算式じゃないんだよ、それ」


 ジュリアスは首を振ったが、怒ってはいなかった。

 レイは廊下に一人残された。


 三国合議の票読みは空で言える。

 だが「一緒にやろう」の一言が、なぜ構成案より先に来るべきなのか。


 その計算式は、まだ持っていなかった。


 昼休みの中庭を横切る。

 頭の中ではもう計算が始まっていた。


 指揮官の傾向、各学科の構成比率、過去の演習成績。

 ふいに学生たちの声が耳に入った。

 灰猫商会の名前が、また聞こえている。


 自分の店の評判を、自分の学院で聞く。


 昨日、クラウスに声だけで年齢を読まれた記憶が、まだ残っている。

 壁は薄くなっている。


 その時、視界の端でナディアが立ち止まるのが見えた。


 中庭の向かい側。

 教本を抱えて歩いていた彼女が、今の会話の射程に入っていた。

 足が止まり、表情が硬くなる。


 ナディアは学生たちの方を一瞬だけ見た。

 それから何も言わず、教本を抱え直して歩き出した。

 歩調が、先ほどより速い。


 レイにはその表情の意味が分からなかった。

 分からないものには、オッズをつけない。


***


 中庭のベンチで、ジュリアスは黙っていた。


「9回です」

 あの時の顔と、一切の迷いのない声。


 気にはなっていた。

 だが自分で調べるには、商売の知識が足りない。


 だから姉に聞いた。


「カティア姉さん。下町の灰猫商会って賭け屋、商学科で話題になってないか?」


 隣に座っていたカティア・ヴァルトシュタインは、弟の顔を一瞥してから小さく笑った。


「あら、あなたが商売の話? 珍しいわね」

「いや、ちょっと気になって」

「気になったってことは、誰かに吹き込まれたのね」


 ジュリアスは答えなかった。

 カティアは追及せず、話を進めた。


「灰猫商会なら知ってるわよ。港の商人組合で話題になってるから。といってもあそこで注視すべきは賭けじゃなくオッズ自体ね。あれは一種の情報だから」

「……情報?」

「商人組合の連中は、灰猫のオッズを商売の判断材料に使い始めてるの。賭けるためじゃなくて、予測として参照してる。賭け屋のオッズが市場の指標になりつつあるのよ」


 ジュリアスは首を傾げた。


「そんなに精度が高いってこと?」

「精度だけじゃない」


 カティアがベンチの背もたれに体を預けた。


「あのオッズを出すには二つのものが要る。データを確率に変換できる分析力と、そのデータを集める情報網。港や役所や商人組合に足を持ってるのよ。小さい店なのに、やってることは国の暗部も顔負けね」


 カティアが軽く肩をすくめた。


「まあ目をつけてるのはうちだけじゃないけどね。メルテン商会が灰猫を調べてるって話もある」

「メルテン?」

「ヴァルトシュタイン系の勢いに乗ってる新興だけど大規模な商社よ。メルヴィスにも支店がある。あそこの支店長は商会長の婿養子でね、やり手で嗅覚が鋭いから、灰猫みたいな異質な店を放っておかないでしょうね」


 ジュリアスは思わず黙る。

 カティアの言葉が、頭の中で別の像と重なっていた。


 教科書に載っていない票決構造の裏側を、講義で淡々と語った男。

「9回です」。

 彼のあの声に、一切の迷いがなかった。


 ……まさか。


「……ジュリアス、どうしたの?」

「いや……何でもないよ」


 誤魔化すようにジュリアスは笑った。

 だが頭の隅から、レイの穏やかな微笑みが消えなかった。


***


 女子寮の一室。

 ナディアは窓際の机に向かっていた。


 講義のノートが開いてある。

 だがペンは動いていなかった。


 窓の外に、港の灯りが見えている。

 あの灯りの向こうに、南方の港町がある。

 父が最後に家を出た夜も、港の灯りが見えていた。


「ちょっと行ってくる」。

 それだけ言って、賭場に消えていった。


 母は何も言わなかった。

 使い切った後の声は、溜め息にしかならない。


 ナディアの手は冷たかった。

 母の手がいつもそうだったように。


 洗い物で荒れた手を、ナディアは毎晩握った。

 握り返す力が、年ごとに弱くなっていった。


 最後の年は、握っているのか握り返されているのか、もう分からなかった。


 奨学金の通知が届いた日、母は泣かなかった。

 ただ「行きなさい」とだけ言った。


 ナディアはペンを取り直し、ノートに一行書いた。

 明日の講義の準備。

 出席は一度も欠かさない。


 決して一度も。

次回、明日21時更新です

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― 新着の感想 ―
いつも楽しく読んでいます。 街の予想屋にどんな裏があるのか、またレイがどう変わっていくのか期待しています。 一部文章が気になりました。 本話の冒頭の、 〉ただしチーム編成は運営側が行い、希望者が自…
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