第28話「射手」
隘路。
トーマの腕が重くなり始めていた。
Aチームの前衛は強い。
一人ひとりの打撃が重く、次が速い。
それが一対一では叶わないと認識したのか、消耗戦に持ち込んできた。
間髪入れず、前衛を入れ替えながら、ひたすらトーマを消耗させる。
実力差を受け入れ、貪欲に勝利を目指す姿勢。
それは実に厄介だった。
だが同時に、対処できなくもない。
なぜならば止めているだけでよいからだ。
倒さなくていい。
通さなければいい。
「路地は任せろ」と準決勝で言った。
あれは路地だった。
今度は隘路だ。
場所は違うが、仕事は同じだ。
全力を出していい場所。
手加減が要らない場所。
額面通りの仕事。
それをこなすのみ。
五分目に突入した。
右肩に打撃を受けた。
判定徽章が黄に光った。
だが退かなかった。
左手に木剣を持ち替えた。
右肩が使えなくても、左手がある。
左手の方が弱い。
だが隘路の中では弱い方の手でも壁が補ってくれる。
六分目。
左脇腹にも打撃を受けた。
息が詰まった。
視界の端が暗くなりかけた。
だが足は動かなかった。
動かなかったのではない。
動かす気がなかった。
この足は、ここに立つために来た。
あと何秒かは数えていなかった。
数える必要がなかった。
体が知っている。
既に七分の中に自分がいることを。
***
右目が見た。
煙の向こう。
空気の裂け目。
光の筋が走っている。
とっさに右目が拾った構造式は、帳簿の不正と同じ顔をしていた。
数字の並びに嘘がある。
どこに力が集中し、どこに穴があるか。
魔術の構造も帳簿の構造も、読み方は同じだ。
数字が嘘をつく場所が、構造の弱点になる。
火属性。
収束型。
術者との距離は遠い。
フィールドの外。
西の森。
来賓席の後方ではない。
ミラが処理した東の丘でもない。
……別の射手。
右目が構造式を読み終えるのと、左手が外套の内側を掴むのが……同時だった。
構造式の威力を読んだ。
中威力。
直撃すれば意識を持っていかれる。
ここで意識を失えば、終わる。
構造式の残り時間を読んだ。
着弾まで——〇・二秒。
〇・二秒。
考える時間はない。
だが選ぶ時間はあった。
オッズメイカーは、市場が崩れた瞬間に最も正確になる。
パニックの中で、値付けを続ける。
選択肢を並べ、最善を選ぶ。
〇・二秒で。
選択肢は三つ。
伏せる。
間に合わない。
構造式の展開範囲が広い。
伏せても当たる。
真正面から受ける。
論外。
だから……止める。
布が、一枚ある。
左手が防魔布を引き剥がした。
縫い目が裂けた。
ミラが縫った糸が、千切れた。
布を体の前に構えた。
煙幕の白と、火球の橙が、混ざった。
***
着弾。
崖道が白くなった。
煙幕の白ではない。
熱の白。
防魔布の表面で構造式が分散した。
炸裂の寸前で、布が魔力を吸い込み、散らし、崩した。
火球が布に吸われるように沈み、沈んだ瞬間に布が灰になった。
ミラの左手の縫い目が灰になった。
一針ずつ通した糸が、風に散った。
魔法の炎自体は止めた。
だが衝撃波は止まらなかった。
防魔布は火球の魔力を散らしたが、爆発の衝撃までは吸えない。
分散された熱と風圧がレイの体を叩いた。
呼吸が止まっていた。
止まっていたことに、三秒後に気づいた。
吸った。
岩と土の匂いがした。
煙幕の残りが漂っている。
白い。
薄い。
まだ消えていない。
防魔布がなければ直撃だった。
おそらくあの魔法を読むことはできても、乗っ取ることはできなかったはずだ。
だが本来ならば二発目が向けられるはずだ。
こうして生き残ったのだから。
だが二発目は……来なかった。
***
西の森。
一発目の火球が放たれた瞬間、ミラは森の中にいた。
一般見学者が入れる範囲は、演習場の観客区画までだ。
森は範囲外になる。
だがミラは範囲を考えない。
範囲を決めたのはミラではない。
旦那を守ると決めたのはミラだ。
範囲と決意が矛盾したとき、ミラは決意の方を取る。
東の丘の三人は処理した。
決勝の前に。
だが三人ではなかった。
五人だった。
東に三人、西に二人。
西の二人はミラが東を処理した後に配置された。
後から増えた。
森の木々の間から、崖道の方角に光が走る。
火球の橙が、幹の表面を一瞬だけ染めた。
ミラの足が速くなった。
音を殺したまま、速くなった。
***
杖を構えた男が二人いた。
一人は火属性の術者。
杖を構え直している。
もう一人は風属性。
射線を風で固定する役割。
二人一組の狙撃手。
火の術者が杖を上げた。
二発目の詠唱を、始めようとした。
杖が落ちた。
火の術者の手首を、何かが打った。
痛みの前に杖が指を離れた。
金属。
短い。
短刀の、峰。
刃ではない。
殺す気がない。
殺す気がないことが、恐ろしかった。
風の術者が振り返った。
振り返った時には、もう遅かった。
視界の端に影があった。
小さい。
自分より二回りは小さい。
だが小ささは問題ではなかった。
速さが問題だった。
速いのではない。
最初からそこにいたのだ。
いて、動かずにいて、動き始めた瞬間に全てが終わっている。
風の術者の手首にも、同じ打撃が落ちた。
同じ角度。
同じ速さ。
寸分違わぬ精度で、二人の杖が森の腐葉土に落ちた。
火の術者が膝をついた。
首の横に冷たいものが触れていた。
短刀の平。
刃は向けていない。
だが当てている。
当てたまま、声が聞こえる。
「二人目」
小さな声。
数を確認する声。
それだけだった。
火の術者の意識が落ちる直前、最後に見たのは、短刀の刃を布で拭く小さな手だった。




