第26話「7分の守り」
両チームの配置がフィールドに展開された瞬間、来賓席の前列に波紋が広がった。
Fチームは守備二名。
旗の前に二人しかいない。
十一人のうち八人が攻撃に回り、伝令が一名。
攻撃偏重どころではなかった。
ただでさえ一人少ないにも関わらず、それは明らかに守備を捨てた配置だった。
***
Aチーム陣地。
渓谷の西端。
ディートハルト・フォン・リヒトフェルデンは配置を読んだ。
一秒で読む男が、三秒かけた。
自分の目を疑ったからだ。
「守備が二人」
声に出した。
隣の副官に向けてではない。
自分の判断を確かめるために。
Fチームの配置は常識の外にあった。
十一人のチームが旗の守りを二名に削っている。
残りは全て攻撃。
守備の二名は渓谷東端の隘路に陣取っている。
地形を利用した配置。
だが六人で攻めれば突破できる。
時間はかかるが、突破できる。
罠か。
一回戦で煙幕を使い、準決勝で伝令遅延の二重構造を仕掛けた相手だ。
守備二名が素直な配置であるはずがない。
だがディートハルトは迷わなかった。
罠があろうとなかろうと、合理的な判断は変わらない。
守備が二名なら、攻めれば旗が取れる。
取れる旗を取りに行かない指揮官は、指揮官ではない。
罠があるなら踏み越える。
踏み越えて、なお勝つ。
それが正面から戦うということだ。
「攻撃六。守備五。旗まで最短経路を取る。偵察を一名先行」
Aチームの攻撃隊六名が渓谷の中央を進み始めた。
隊列は正確で、歩幅は揃い、前後の間隔に乱れがない。
偵察が戻った。
「隘路の手前まで確認しました。罠は見当たりません。守備は二名。一名が隘路を塞いでいます」
「名前は」
「トーマです」
ディートハルトは一瞬だけ目を細めた。
トーマの名前は知っていた。
合同実習の参加者全員の名前と特徴を頭に入れている。
協調性に欠けるが、個人戦闘の実技だけが異常に高い男。
一対一ならば、自分を含めて、学院で三指に入る。
だが一対一ではない。
六対二だ。
「罠が確認できない以上、攻めて取る。六人で行け」
判断は合理的だった。
完璧に合理的だった。
レイが待っていたのは、この「完璧に合理的な判断」だった。
***
渓谷の東端。
隘路。
トーマは岩壁に背をつけて立っていた。
隘路は幅が三歩。
両側を崖に挟まれた岩の裂け目。
高さは人の身長の四倍。
空が細い。
光が細い。
この三歩の幅を塞げば、前からしか来られない。
前からなら、一人ずつだ。
後方にもう一名。
寡黙な大男。
トーマが押し込まれた時の予備。
旗は隘路の奥、岩棚の上。
旗竿が西風に揺れている。
足音が聞こえた。
渓谷の底を、複数の靴が叩く音。
等間隔。
揃っている。
軍学科の訓練を受けた足音。
近づいてくる。
トーマは腰の模擬剣に手を置いた。
柄の革が掌に馴染む。
三週間の革ではない。
一年の革だ。
訓練の積み重ねの証。
七分。
あの指揮官は七分と言った。
根拠は計算だと言った。
計算。
トーマには計算がない。
数字を組む頭は持っていない。
だが体は知っている。
自分が何分間、この隘路を守れるかを。
計算しなくても、体が答えを持っている。
七分は、ぎりぎりだ。
……だがぎりぎり足りる。
あの男は、足りると知って頼んだ。
足りない仕事は頼まなかった。
「できないなら変えます」と言った。
変える用意があった。
だがトーマの答えを聞いて、頷いた。
深く頷いた。
余計なことは言わなかった。
それが良かった。
余計なことを言わないのは、信じている人間のやることだ。
足音が止まる。
隘路の入口に、影が並んだ。
六つ。
先頭が模擬剣を構えた。
隘路の向こうに五つの影。
先頭の目が一瞬だけ揺れた。
隘路を一人で塞いでいる男の姿に、恐怖ではなく、警戒を覚えた目だった。
トーマは模擬剣を抜かなかった。
柄に手を置いたまま、立っていた。
構えない。
まだ構えない。
抜刀は最初の一手であると同時に、最初の情報だ。
構えを見せれば、型が読まれる。
読ませない。
最後まで読ませない。
来い。
一人ずつ来い。
Aチームの先頭が踏み込んだ。
隘路の幅は三歩。
大きな斬撃は壁に当たる。
先頭は突きを選んだ。
狭い場所では突きが最も効率がいい。
正しい判断だ。
トーマの模擬剣が鞘から抜けた。
抜いた動作がそのまま受けになった。
抜刀と受けが一つの動作に収まっている。
無駄がない。
だが、速くもない。
遅い動きで十分だから、速くする必要がないのだ。
先頭の突きが逸れた。
トーマの剣が突きを横に流し、流した勢いで先頭の体を壁に押しつけた。
岩壁と剣に挟まれた男は動けなくなった。
三秒。
判定徽章が黄に点灯。
倒す必要はない。
通さなければいい。
これが今のトーマの剣だった。
振る力ではない。
止める力。
攻撃を打ち返す剣ではなく、攻撃を受け止めて通路を塞ぐ剣。
一人で通路を塞ぐために、生まれたような剣だった。
なぜ協調性がないと言われるのか。
なぜ集団行動の評価が最低に近いのか。
理由は単純だった。
隊列の中にいる必要がないからだ。
一人で立てる人間は、隊列を必要としない。
必要としないものに馴染めないのは当然だった。
先頭の男が力で振り払おうとした。
トーマの膝が打った。
判定徽章が橙に変わった。
重傷判定。
行動制限。
先頭の男が膝をつき、隘路の端に崩れた。
二番手と三番手が同時に入った。
隘路の幅では二人が並べば肩が触れ合う。
並んでくれるなら、むしろ楽だった。
互いが互いの邪魔になる。
トーマは一歩下がった。
隘路の最も狭い箇所。
壁と壁の間隔が二歩半になる場所。
一人しか入れない。
前後にならざるを得ない。
前の一人が斬りかかった。
トーマは受けた。
受けながら、足元の石を蹴った。
小さな石が後ろの一人の脛に当たった。
痛くはない。
だが一瞬、足が止まる。
止まった一瞬で、前の一人を処理した。
模擬剣の峰が肩を打ち、判定徽章が黄に。
後ろの一人が踏み込んだ。
トーマの剣が低く回った。
足を狙った。
足を引いた相手の体勢が崩れる。
崩れた一瞬に、剣の腹で胸を突いた。
黄。
二人を隘路の入口に押し戻した。
倒してはいない。
黄が二つ。
だが通さなかった。
既に二分が経過。
トーマの息は上がっていなかった。
二度の失敗を受け、Aチームの攻撃隊が戦法を変えた。
力押しでは通れない。
隘路の入口に三名を並べ、一名が崖を登り始めた。
側面からの攻撃。
正面で圧力をかけながら、上から落とす。
合理的だった。
トーマは正面を見たまま、耳で聞いていた。
崖を登る音。
石を掴む手の音。
靴が岩を擦る音。
左の壁。
高さはまだ途中。
降りてくるまでに十秒はかかる。
正面の三名が圧力をかけてきた。
交代制。
一人が攻撃し、一人が押し込み、一人が息を整える。
消耗戦。
トーマの体力を削る戦術。
正しい。
だが、遅い。
消耗戦は時間がかかる。
時間がかかるなら、七分を使ってくれる。
トーマは正面を捌きながら、後方の守備に声をかけた。
三週間で二度しか出さなかった声。
「上だ。左」
寡黙な大男が頷いた。
崖の縁に手をかけた相手の腕を掴み、引きずり下ろした。
落ちた男の判定徽章が黄に光る。
三分が過ぎた。
トーマの呼吸がわずかに速くなっていた。
体ではなく、集中力が削れている。
一人ずつしか来ないからこそ、一人一人に全神経を使う。
七分間、一瞬も集中を切らさずに。
四分目に入った。
隘路の向こうで、声が聞こえた。
「前線に合流する」
重い声だった。
指揮官の声だった。




