第19話「路地裏の刃」
裏口は静まっていた。
表口は…… 煙を纏った荒事師が、咳き込みながら夜気の中に飛び出した。
六人のうち、二人は店内の煙に巻かれて這い出してきた。
残りの四人が路地に散った。
最初の一人は、路地に出た瞬間に消えた。
ミラだった。
壁の影から音もなく踏み出し、男の手首を取り、捻り、短剣を落とす。
次の瞬間には掌底が首筋に入り、声を上げる前に石畳に崩れる。
影の中から影のように。
一秒に満たない仕事。
二人目が振り返った時、ミラはもうそこにいなかった。
壁の影に溶けるように位置を変えている。
男が闇を見回した。
左を見た瞬間に、右から足が来た。
膝裏を蹴られ、姿勢が崩れたところに首への一撃。
二人目が落ちる。
だがミラの動きを見ていた三人目が退がった。
闇雲に退がったのではない。
壁を背にして、影に回り込まれない位置を取った。
ミラの足が止まった。
正面から向かい合えば、影は使えない。
だがそこまでだった。
残りの三人のうち、一人は魔術師だった。
もう二人は短剣を構えた剣士。
魔術師が両手を掲げた。
指先に光が灯る。
レイの視界が変わった。
空気の中に、構造式が浮かぶ。
色と形を持った図面のように、魔力が編み上げる設計図が見える。
風属性。圧縮型。路地の幅に合わせた指向性。
発動まで——3秒。
右目の隅に、霞がかかり始めている。
読んだだけで、もう視界が揺らぐ。
触れるか?
触れれば崩せるかもしれない。
だが構造式に意識で干渉すれば、どれだけの負荷が来るか分からない。
この暗闘の後に、視界を失うのは危険だ。
レイは腰の鞘に手をかけた。
鞘鳴りが一つ。
抜刀は、構造式の発動より速かった。
一閃。
刀身が弧を描き、魔術師の両手首の間を通過した。
掌の間に集束していた魔力の経路が物理的に断たれ、構造式が上半分から崩壊していく。
魔術師の指先から光が消えた。
その瞬間、膝をつきかけた魔術師の背後から、もう一つの光が生まれた。
二人目。
レイの右目が構造式を読もうとした。
だが最初の魔術師を読んだ時の霞がまだ晴れていない。
構造の輪郭がぼやけている。
属性は読めた。
火だ。
圧縮型ではない、拡散型。
路地全体を焼く気か。
発動まで、読めない。
右目の精度が落ちている。
2秒か……1秒か……レイの足が動く。
間合いは三歩。
だが右目の視界が半分潰れている。距離感が狂う。
二歩目で、足がもつれた。
暗闇の中の石畳の段差。
右目が見えていれば避けられた。
膝が一瞬落ちる。
——間に合わない。
火の構造式が完成に近づく。
男の右手が赤く膨らんだ。
だが刃が来たのは、レイの方向からではなかった。
ミラだった。
三人目の剣士を正面から押さえていたはずのミラが、一瞬の判断で標的を切り替えた。
背を向ける危険を承知で、影の速度で滑り込み、二人目の魔術師の右手首を、掴んだ。
掴んだだけだった。
だがその「掴み」は、手首の腱の位置を正確に押さえている。
指が開き、構造式が歪み、火の光が散った。
魔力が暴発しかけた。
熱が一瞬ミラの手を焼いた。
散った火が、二歩の距離で膝をついていたレイの左袖を掠めた。
だがミラは離さなかった。
離さずに、手首を捻り、男の体勢を崩し、膝を入れた。
男が石畳に倒れた。
レイは体勢を立て直した。
足元を踏み直し、残りの剣士に向き直る。
短剣を構えた最後の男。
そしてミラに背を向けられた三人目の剣士。
二人が同時にレイを見た。
レイの右目は半分霞んでいる。
左目だけで距離を測った。
一歩目。
短剣を構えた男の右腕を、峰で打った。
手首の関節を正確に叩き、握力を消す。
男の指が開き、短剣が石畳に落ちた。
二歩目で振り返る。
三人目の剣士がミラの背後を突こうとしていた。
ミラの背中を守るのは、今は自分しかいない。
レイの刀の切っ先が、男の首筋の横で止まった。
肌には触れていない。
だが首の脈が、刃の風圧で震えた。
「動かないでください」
男は動かなかった。
路地に静寂が落ちる。
表口側——六人制圧。
裏口側——三人制圧。
計九人。
レイは刀を引き、鞘に納めた。
かちり、と鯉口が閉まる音。
右目を閉じ、そして再び開けてみた。
霞は薄くなっているが、まだ完全には戻っていない。
ぎりぎりだった。
二人目の魔術師は完全に読めていなかった。
ミラがいなければ、火の術式が路地を焼いていた。
ミラが右手を見ていた。
魔力の暴発で焼けた掌。
赤い火傷が残っている。
だがミラが手を見る仕草は、火傷を確認するためだけではなかった。
指を一本ずつ曲げ、開き、握り、また開く。
道具の点検をするように、自分の手の動作を確かめている。
痛みの有無ではなく、機能の確認。
この手がまだ使えるかどうか。
それだけを見ている目だった。
確認を終えると、ミラは右手を外套の中に隠した。
「……手」
「大丈夫」
ミラは「大丈夫」と言う人間だった。
ガルドが裏口側から回ってきた。
革の腕当てに裂け目が一本。
それ以外は無傷だった。
三人を見下ろし、レイの方を見た。
「……多かったな」
ガルドが自らの戦いに関して、口を開くのは珍しかった。
「ええ。予測より多かったので」
レイは刀を鞘に収めたまま、右手を開いて閉じた。
指先の痺れはない。
目で「触れた」わけではない。
一人目は刃で断っただけだ。
二人目は、ミラが止めてくれた。
目を使わずに済んだ。
いや、正確には「使わずに済ませてもらった」だ。
「肉体労働は嫌いなんですけどね」
汗をかいていた。
それでも声はいつもの調子。
「お客様。当店は本日を以て閉店となりました。ご利用ありがとうございました」
九人が制圧された。
ミラとガルドが手際よく荒事師を拘束していく。
ミラは右手を庇いながら、それでも左手だけで縄を結んでいた。
レイは屈み、男たちの懐を探った。
出てきたのは、メルテン下請けの紋章が押された依頼書。
灰猫商会の住所と、「処分」の二文字。
九人分の報酬額も書かれていた。
そしてもう一つ……松明を持ち込んだのは、荒事師の側だった。
油は仕込んだ。
だが火を点けたのは彼らだ。
依頼書と、放火の現行犯。
これで十分だった。
レイは立ち上がった。
右目を二度瞬いた。霞はまだ残っている。
顔を上げた。
路地の先が、赤かった。
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