地上3000メートルの絶景マンション、まずは風呂から作ることに
墜落から24時間、高度3000メートルの浮遊島に拠点を構えた十八条魁輝は、AI秘書テクイリスの毒舌な指摘を受け、生存基盤の次なるステップとして「衛生と安寧」の確保を決意します。
魁輝は自衛官時代の経験と大学で得た多角的な知見を動員し、超高性能ナノマシン**【ビルド・オーダー】を起動。宇宙船の残骸を原子レベルで再構成し、絶景を見渡せる崖縁に、高度な循環型上下水道を備えた「露天風呂」**を一瞬にして建設しました。
そのあまりに超越した技術を目の当たりにした先住民の少女ハイティナは困惑し、謎の占い師ミューレトは遠くから不穏な予言を呟きます。一方、地球連邦側も魁輝の生存を感知し始めますが、本人はさらなるQOL向上のため、次なるインフラ整備へと着手するのでした。
雲海が足元で静かに逆巻き、黄金色の陽光がその背を撫でている。高度三千メートル。薄い空気に混じるのは、猛毒の胞子を含んだ下界の湿気ではなく、再構築されたばかりの純粋な酸素の匂いだ。
「――完璧だ。この静寂、この眺望。これこそが文化的生活の第一歩だよ」
十八条魁輝は、崖から突き出すように建設された「居住モジュール」のテラスに立ち、深く息を吸い込んだ。一九八センチの巨躯を包むのは、ナノマシンで生成した防護機能付きの軽装だ。かつて自衛隊で培った規律正しさと、大学で詰め込んだ多角的な知見。それらが今、この未開の惑星で一つの「論理」として結実しようとしていた。
「マスター、感傷に浸る時間は三〇秒で終了です。バイタルサインに異常はありませんが、あなたの『理想』には決定的な欠陥があります」
傍らに浮遊する球体ドローンが、冷徹な女性の声を響かせた。AI秘書テクイリスだ。彼女が投影するホログラムの美女は、眼鏡を指先で押し上げる仕草をしてみせる。
「欠陥? 耐震構造も、空気清浄システムも、動線設計も完璧なはずだが」 「『清潔感』ですよ。墜落から二十四時間。あなたの表皮には惑星由来の塵埃と、過剰な皮脂が堆積しています。端的に申し上げて、不潔です」
毒を吐く相棒の言葉に、魁輝は苦笑した。だが、その指摘こそが彼の情熱に火をつける。
「わかっているさ。人間、食うことの次に必要なのは衛生、そして精神の安寧だ。ならば作るしかないな。この絶景を独り占めできる、最高の癒やしを」
魁輝は右手を虚空にかざした。脳裏に描かれるのは、緻密な三次元の設計図。 水源は、移民船の残骸から回収した水素と酸素を結合させ、さらに岩石層から抽出したミネラルを絶妙な配合で加えた人工温泉水。 それを循環させるのは、原子レベルで磨き上げられた継ぎ目のない配管システム。
【ビルド・オーダー――構成開始】
銀色の霧が、魁輝の指先から溢れ出した。ナノマシンの群れだ。それらは意思を持つ生き物のように舞い、空気中の物質を取り込みながら、テラスの一角を侵食していく。 ガリガリと硬質な音を立てて岩肌が削られ、代わりに滑らかな大理石の質感を備えた特殊セラミックが形成されていく。
「……ただの風呂に、重力制御を用いた循環型上下水道を組み込むつもりですか? エネルギーの無駄遣いです。拭き取りシートで十分でしょうに」 「テクイリス、教育学でも学ばなかったか? 環境が人を創り、文化が心を育てるんだ。妥協は停滞を招く。僕は、この惑星に『妥協』を持ち込むつもりはない」
数分と経たず、そこには円形の露天風呂が完成していた。 浴槽の縁からは、適温に保たれた湯が絶え間なく溢れ出し、薄い膜となって崖下へと消えていく。その様はまるで、空に溶ける滝のようだ。
「よし。次は……視線を感じるな」
魁輝が振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。 背中には半透明の羽。光を透かす肌。イミナ族のハイティナだ。彼女は、目の前に突如として現れた「光り輝く水の器」に、紫色の瞳を大きく見開いていた。
「カ、カイキ……。これは、精霊の、水溜まり……?」 「いや、これは『風呂』という、心身を浄化する装置だ。ハイティナ、君もどうだ? 汚染された大気に晒された体には、温水による血行促進が必要だ」
魁輝は彼女に寄り添うように語りかける。弱き者に手を差し伸べるのは、彼の信条だ。戸惑う彼女を余所に、テクイリスが冷ややかに補足した。
「マスター、彼女は全裸で公共の場に浸かる文化を持ち合わせていません。法的な公序良俗に反します」 「……それもそうだな。では、目隠し用の可動式パーティションを追加しよう。プライバシーの保護は文明の基本だ」
再び銀の霧が舞い、繊細な格子状の壁が組み上がっていく。 その光景を、少し離れた岩陰から見つめる者がいた。
古びた布を纏い、手元には奇妙な絵柄の描かれたカード――タロットのような札を弄ぶ女性、ミューレト。彼女は静かにカードを一枚、めくった。
「『塔』の逆位置。崩壊の後の再建。けれど、その先に待つのは救済か、それとも新たな支配か……」
彼女の呟きは、高高度の風にかき消された。
その頃、はるか遠方。衛星軌道上に浮かぶ地球連邦・開発局の指令室では、複数のモニターが異変を捉えていた。 「生存信号を確認……? 馬鹿な、あの『死の惑星』に墜落して生きているはずが……」 エリートたちの嘲笑が、驚愕へと変わるまで、そう時間はかからない。
魁輝は、湯気の向こうに広がるアーコロジー・ノアの雲海を見下ろした。 困難はある。理不尽もあろう。だが、彼は諦めない。 この手にある技術と、胸に刻んだ論理をもって、彼はこの未開の空に、最強の秩序を築き上げる。
「さて、風呂の次は……。快適な眠りのための、低反発枕の量産に入ろうか」




