第7話 除霊完了
「これで私は丸腰です」
迅華は両腕を腰の位置で広げて見せた。
「もしあなたが、これでも夕実さんを傷付けるなら、その時は私は躊躇しません。ですから……」
迅華の黄金の瞳が、輝きを増した。
「聞かせて下さい。あなた達の本当の関係性を」
この期に及んでまだ対話を望んでいる。その態度に、夕実は自分の耳を疑った。
迅華の真後ろでは、新島豊の巨体が蠢き始めている。切り落とされた骨の牙が、みるみる内に再生していく。そして再生を終えると、やはり迅華に向かって襲いかからんと牙を大きく展開させている。
こんな事は分かっていたはずだ。
にも関わらず、迅華は、悠然と佇んだまま、真っ直ぐに結城瞳を見据えたままだった。
「ゆたか……」
夕実の背後から、割れた声が漏れ聞こえてきた。
その声に反応し、新島豊がピタリと動きを止めた。
同時に夕実の拘束が解かれ、彼女はその場にへたり込んだ。
「ごめんなさい……」
結城瞳の声が聞こえた。
だが、その声におぞましさは孕まれておらず、透き通った、とても美しいものだった。
夕実は恐る恐る背後を振り返った。
そこに立っていたのは、きっと生前の姿なのだろう。長く美しい黒髪を持った、ひとりの女性が立ち尽くしていた。
「落ち着いたようですね」
結城瞳に迅華が声を掛けた。
「ごめんなさい。酷い事をして」
結城瞳は、涙を流していた。
「いいんです。夕実さんを解放して下さり、ありがとうございます」
優しかった。
心の底から癒されるような、慈愛に溢れた声で、迅華は礼を述べた。
その言葉を受けてか、結城瞳の涙は更に勢いを増して零れ落ち始めた。
「では、聞かせて下さい。あなたと新島豊さんの事を」
迅華に促され、結城瞳は語り始めた。
「私は……私は、父が怖かった。父から逃げたかった。豊は、私を、父から匿ってくれた」
結城瞳の言葉に、新島豊が反応を示した。
巨体を大きく揺すり、彼もまた、泣いているかのように呻き声を漏らし始めた。
「父が、私を追ってきた。私は、怖かった。父に連れ戻される。怖かった。だから……豊に殺して貰った」
「おおぉぉぉぉん!!」
遂に、新島豊が雄叫びを上げた。
空に吸い込まれるだけの、悲しい雄叫びだった。
「そうですか」
迅華が呟いた。
「それで、新島豊さんは、結城洋治さんに殺されたのですね」
ふぅ、と小さく息を吐き、迅華は更に問い掛けた。
「では、どうしておふたりはここに残っているのでしょう? 察するに、あなた方おふたりは、互いに死後の世界で結ばれる為に、その道を選んだようにお見受けしますが?」
しかし、結城瞳も新島豊も、それ以上は語る事は無かった。
結城瞳は涙を流し、新島豊は雄叫びを上げ、ただただ、沈黙を貫いた。
「うち、分かるような気がする」
そんな静止した時間を動かしたのは、夕実だった。
「うち、読んだ事あると思う。その事件のネット記事。名前までは覚えてなかったけど、確か、恋人をDVで殺害した犯人を、被害者の父親が滅多刺しにして殺したって。その父親は、殺人を犯したけれど、理由が理由だったから、情状酌量の余地ありとして、無期懲役。極刑は免れたって。でも、獄中で自殺したって。それが、結城瞳さんの父親……」
ピシリ!
「なるほど」
夕実の語った情報に、迅華は浅く頷いた。
ピシリ!
「この隔絶界域は、おふたりの安寧を護る為に作り出されたものだったのですか」
ピシリ!
空間に亀裂が走る。空に、雲に、周囲の景色に。
ピシリ!
亀裂は勢いを増し、一気に空間全体に及んだ。
「結城洋治さんの霊から、おふたりが隠れる為のもの」
バリンッ! とガラスが砕けるような音と共に、空間が崩れ落ちた。
その外側から現れたのは、迅華達に覆い被さるように覗き込む、巨大なヘドロの塊だった。
「ひえぇぇ!?」
そのあまりにも禍々しくおぞましい姿に、夕実は反射的に悲鳴を上げていた。
「ひ・と・みぃ……! ひ・と・ぉ・み・ぃぃぃ!!」
結城洋治の怨霊が、心を蝕むような攻撃的な雄叫びを上げた。
「これは酷い。とてつもない悪意と怨嗟の塊です。これに抗うには、確かに新島豊さん、あなたも人外に堕ちるしかなかったという事ですね。そして結城瞳さん。あなたも、新島豊さんを護る為に全ての力を隔絶界域に注ぎ込むしかなかった。ドゥ・フォシ」
迅華の右腕に、再び大鎌が顕現した。
「結城洋治さん。あなた何故、結城瞳さんに拘るのですか?」
迅華が問い掛けた。
「ひぃ! とぉ! みぃぃぃ!!!」
ヘドロの塊が、4人の頭上にのしかかってきた。
「残念です。対話出来る相手では無いですか」
大鎌が翻された。
「セ・ラヴィ!!」
迅華が舞った。
大鎌を振り回し、ワンピースの裾をふわりとたなびかせ、まるでワルツでも踊るように、宙を舞った。
その所作に合わせるよう強烈な光が放たれた。
光は渦を巻き、竜巻のように天へと伸びていくと、結城洋治の腐った魂の成れの果てを、粉微塵に切り刻んだ。
「ひぃぃぃとぉぉぉみぃぃぃ!!!」
断末魔は、哀れなものだった。
散りゆく最期の最期まで、娘の名を呼び続けた。
しかし、それは娘への愛情などではなく、異常なまでの執着。支配欲。そして、言葉にするのもおぞましい、歪んだ欲。
竜巻が弾けて散った。
堕ちに堕ちた結城洋治の魂を、完全に葬り去って。
残されたのは、やはり花吹雪のように舞う、光の欠片だけだった。
「結城瞳さん。新島豊さん。あなた方には、安寧は訪れませんでしたね。あなた方は、現世に留まる程の力を残せず、使い果たしてしまいました」
迅華が静かに呟いた。
「ですが、安心して下さい。あなた方が恐れる男の魂は、もはや何処にも存在はしません。あなた方は自由です。おふたりで、安らかに。眠って下さい」
夕実の背後で、結城瞳の霊体が淡い光を放ち始めた。
同じく迅華の背後で、新島豊の霊体もまた、淡い光を放ち始めた。
「もしあなた方が生まれ変わるような事があれば」
迅華の頬を、光が伝ったのが分かった。
「幸せでありますように」
夕実にも見えていた。
ふたりの若いカップルが、手を取り合って天へと昇っていくのが。
涙は流していたが、その様子はとても仲睦まじく、ゆっくりとゆっくりと、天へと昇って行った。
「ありがとう。さよなら」
そんな言葉だけを残して、ふたりは煙のように、真っ青な空に溶けるように消えて行った。
―――
夕実と迅華は、いつの間にか事故物件である部屋に戻っていた。
「終わったの? 除霊」
へたり込んだままの夕実が、佇む迅華に向き直った。
「ええ。終わりました」
迅華も静かに答えた。
その表情は、憂いを帯びているように思えた。
「ふたりとも、天国に行けたのかな?」
「どうでしょう。先程も言いましたが、あの世などはありませんからね。ただ、消滅しただけです。ただ、あの方々が晴れやかに逝けたのかどうかは、とても重要な事だとは思います」
そう言って微笑んだ迅華を見て、夕実も微笑み返すのだった。
が、その顔を見て驚愕した。
「な、なに!? どうしたの!?」
迅華の顔色は血の気の引いて真っ白になり、髪の毛もシルバーからネイビー一色に変わり果てていた。
「たはは。ファンタジー力を使い果たしてしまいました。お三方とも除霊してしまったので、ここにはもうファンタジー力が残ってません。有り体に言って、ガス欠です」
言うや否や、迅華はどてーん! とひっくり返ってしまったのだった。




