第68話 喰い合い
「さぁーって、行きますかぁ」
黄金の大鎌を首の後ろで両肩に乗せてストレッチを行いながら、迅華がマンションの玄関ホールに足を踏み入れた。
「安芸薫子、決着を着けようか。13年前の決着をさ」
脚を肩幅に開き、ゆったりとした口調で、迅華はガラスドア越しの安芸薫子に呼び掛けた。
「…………!!」
薫子は何かを叫んでいるようだったが、隔絶界域に閉じ込められている状況下である。その声が、迅華に届く事は無かった。
「んー、聞こえませんねぇ。こっちの声は聞こえてますか?」
決して挑発ではなく、迅華はただ尋ねただけだったろうが、それは大いに挑発となった。
本来の薫子であれば逆に冷静さを取り戻させる行為になり得たのだが、今の彼女は既に本性が顕現している。粗暴な悪霊の本性では、いとも容易く挑発に乗るだけだった。
「!!!」
スーツが張り裂けんばかりに膨張した筋肉を震わせると、薫子はガラスドアに向かって突進を仕掛けてきた。
まるで、力ずくで隔絶界域を破るぞ! と宣言しているかのように。
薫子が、ガラスドアに突っ込んで来た。
その瞬間に、それは起こった。
ガラスドアをすり抜け、薫子は迅華の前に飛び出して来ると、その足元に倒れ込んだのだった。
「はい、よく出来ました」
「は!?」
にんまりと口角を上げる迅華に、上半身を起き上がらせた薫子が睨みを効かせた。
その薫子の頭部からは、羊のような鬼の角は、きれいさっぱり消え失せていた。
「トコロテンってご存知ですかねぇ? 柔らかいコンニャクみたいなのを、格子状に穴の空いた筒に通して麺みたいに押し出すやつ」
「な、何を急に!?」
未だに迅華の足元に這いつくばる薫子が、迅華に怒声を浴びせ掛けた。
「後ろ、見てごらんなさいよ」
そう言って指を突き出した迅華の指し示した方向に視線をやると、羊の頭部を持った、巨大な人型の妖怪が、ガラスドアにへばり付いていたのだ。
「こ、これは!?」
驚愕の声と共に、薫子が座り直した。
「あれがあなたの中に取り憑いていた悪霊。鬼。魂喰いの本性って奴ですね」
「一体どういう事なのよ!?」
「さっきも言いましたけど、トコロテンの要領で、あなたから鬼だけを引き剥がしたんですよ。私の隔絶界域から、秋野薫子の通過を許可して、鬼だけを中に残したんです」
「ま、まさか!? そんな芸当が!?」
迅華の解説に、当の薫子は悲鳴にも似た驚愕の声を上げていた。
「ええ、やりましたよ。この私が。幽霊マンションの力を借りれば、このくらいはお手の物ですので」
「ど、どうしてそんな事を!?」
「あー、良い質問ですね。別に、私を滅ぼしたいっていうのはあなた自身の望みじゃないですよね? むしろ、あなたの中に巣食うアレにやらされてたんじゃないんですか? それとも、あなた自身、私に何か恨みでも? 会ったのなんて1回しかないですけど」
迅華の口から紡ぎ出された言葉に、薫子は唖然とするしかなった。
「だけど、でも、それでも……わたしがあなたを滅ぼそうとしていた事に変わりは無いでしょうに」
「なんてーんでしたっけ、そういうの。坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、でしたっけ。別に、私はあなた個人を憎んだりはしてませんから。腹立ってたんは、あっちだけです。あっち」
迅華の視線の先には、ガラスドアを力任せに殴り付ける、魂喰いの姿だけがあった。
「んだから、あなた自身には何の恨みも無いですよ。操られてただけ。そう私は自分で納得してますんで」
「あなた……」
薫子は、思わず口を押さえていた。
「そーゆー事ですんで、私はアレと決着、着けに行ってきますよ。ここは安全です。あなたもここで見物していて下さい。夕実さん、駒場さん」
迅華は振り返りもせずに、ふたりの名を呼んだ。
「薫子さんはもう無害なおば様です。おふたりで保護をお願いしますね」
「だ、誰がおばさんよ!?」
「「了解です!」」
抗議の声を上げる薫子を、駆け寄って来たふたりが両脇から挟み込み、路上へと引きずって行った。
「さてさて……」
ズリズリと鳴る気配が遠ざかったのを確認すると、迅華はゆったりとした足取りで、オートロックのガラスドアへと歩み寄って行った。
そしてその目の前まで辿り着くと、まるで行く手に何も無いかのように、するりと通り抜けて行った。
「改めて、ごきげんよう」
迅華が顎を上げた。
目の前には、身の丈3メートルはあろう、羊角の鬼が、彼女を見下ろしていた。
「許さんぞ、小生意気な新参者が。よくもこのわたしを、薫子から引き剥がしてくれたな」
「あっはっは。依り代が無ければ、ただの霊ですもんね、あなたは。ほっといても霊力を消費して消えるだけでしょうけど……」
迅華が大鎌を振り下ろした。
「それじゃぁ面白くも何ともないですもんね。ぶっ飛ばしてやりますよ。この私が、小生意気なデカブツを」
「貴様なぞにやれるものかよ。かつてこのわたしに惨敗した事を忘れたとは言わせんぞ」
「やれますよ? 当たり前でしょう」
「調子に乗るな、三下が」
鬼が拳を高々と振り上げた。
迅華が、右腕で大鎌を水平に構えた。
「粉微塵にしてくれるわ!」
鬼が拳を振り降ろそうとしたその刹那、迅華は、右腕を引いて、左腕で渾身の突きを繰り出した。
その左腕は、鬼の土手っ腹を真っ直ぐに突き破っていた。
「このわたしを……? 貴様が素手で……? 何故……だ?」
「私の力は人間には効果を発揮せず、霊体にだけ発揮する。私があの時負けたのは、お前が人間の中に隠れてたから」
迅華の腕に貫かれた鬼の巨体は、波にさらわれる砂の城のように、静かに崩れ落ちていった。
「霊体になったのなら、私の攻撃は、確実にお前を殺せるんだよ」
その崩れ落ちた塵芥を見下ろしながら、迅華は冷たく言い放つのだった。




