第65話 罠
秋野薫子が指定されたムーンダックスの最奥の席で待ち構えていると、宣言通りに駒場が入店して来るのが見えた。
彼は、ひとりだった。
とは言え、これによって、駒場が完全に薫子に付いた事が証明された瞬間だった。
「お待たせ致しました」
「いえ、時間ぴったりよ。あなた、見た目通りにしっかりしているのね」
「はい。その辺だけは気を付けてますので」
「結構ね。では早速、魂喰いの巣穴へ案内してちょうだい」
「分かりました」
ふたりは連れ立ってムーンダックスを出ると、迅華を見失った住宅街へと向かった。
「夕実ちゃんはどうしたのかしら? わたしの番号は夕実ちゃんに聞いたのよね?」
「はい。尾栗さんは今、魂喰いの方に先回りしてもらってます。逃がさないよう、足止めをしてもらう為に」
「そう、彼女も分かってくれたのね。良かったわ」
そう言った薫子は心底ホッとしたように、言葉を漏らしているように感じた。
「こちらです。彼女は今はマンションに住んでいます。フルール勇の703号室です」
先導して歩く駒場の言葉に、薫子は軽く返事を返すだけで、ほとんど無言で歩き続けていた。
「この先の交差点を右折したらすぐです」
「分かったわ。ありがとう。到着したらわたしだけで行くわ。あなたは下に残っていなさい」
「分かりました」
交差点を曲がってすぐ、駒場があるマンションを指差した。
「あそこです」
それは、迅華が契約したフルール勇だった。
「ご苦労様」
「あ、オートロックのマンションですが、尾栗さんが解錠してくれる手筈になってますので。普通にインターホンを押して下さい」
「あら、それは楽でいいわね」
微笑みながら玄関ホールへと足を踏み入れる薫子を、駒場は言いつけ通りに路上で見送った。
―――
マンションの造りは、見たところ普通の鉄筋コンクリートだった。
インターホンのパネルで703を打ち、呼び鈴を押すと、程なくして解錠される音が聴こえてきた。
マンションの扉は、すんなりと薫子を中へと迎え入れた。
(エレベーター……階段……ここは、階段ね)
薫子は少しだけ思案した後、階段を登り始めた。
1階上がる毎に、エレベーターの動きをチェックする。万一、魂喰いが薫子の接近に気が付いて逃走を図るかもしれないからだ。
エレベーターは、無言を貫いていた。
3階……4階……5階……。
エレベーターに動きは無い。上階から何者かが降りてる来る気配も無い。
薫子は慎重に上を目指した。
そして、7階へと辿り着いた。
(703号室……あそこね)
廊下に出ると、目的の部屋はすぐ傍に位置していた。
いつ敵が出て来ても対処出来るよう、やはり慎重に。
薫子は、遂に703号室の前へと辿り着いた。
(夕実ちゃんも中にいるのよね? 少し厄介だわ。一瞬で彼女を外に押し出し、魂喰いと1対1の状況を作らなくては。彼女が入り口付近に待機してくれていればいいのだけれど、もし部屋の奥に居た場合は……)
様々な可能性を想定しつつ、薫子はドアノブに手を掛けた。
(空いている。夕実ちゃんが鍵を開けたのかしら? なら、近くに居てくれているわよね、きっと)
そして、扉を引き開けた。
(!?)
その瞬間、目の前に広がっていた光景は、1階のエレベーターホールのものだった。
(これは……)
後ろを振り返ると、そこにはオートロックのガラスドア。外には、路上でこちらを見ている駒場の姿があった。
踵を返し、ガラスドアを開けようとしたが、透明の冷たい扉はうんともすんとも言わなかった。
「駒場君?」
外の駒場に呼び掛けたが、声が届いてないどころか、どうやら薫子の姿にすら気が付いている様子がない。彼はただ、こちらをじっと眺めているだけだった。
薫子はエレベーターに駆け寄ると、上階へのボタンを押した。
1階に待機していたエレベーターはすぐに扉を開き、薫子を受け入れる準備を整えた。
薫子は中に入ると上着を床に投げ捨て、7階のボタンを押すとすぐにエレベーターから飛び出し、再び階段を駆け上った。
そして7階に辿り着くと、そこにはエレベーターもまた、扉を開いていた。
薫子の上着を床に残したまま。
(エレベーターはきちんと作動している。ここにトラップは無さそうね)
上着を拾い上げてから703号室まで駆けると、再び扉を開けた。
目の前に広がっていたのは、やはりエレベーターホールだった。
振り返るとやはり駒場の姿。スマホを取り出すも、圏外となっていた。
(……やられた! 無限回廊型の隔絶界域が展開されている! エレベーターでも同じ結果になりそうだし、であれば……)
薫子は階段を駆け上って2階へと達すると、廊下からマンションの外へと飛び出した。
そして目の前に広がっていたのは、やはりエレベーターホールだった。
(なんて事! まさか、わたしは、このマンションに誘い込まれた? だとしたら……そんな事が出来るのは……)
そしてまた振り返ると、路上に立っている駒場の姿を睨みつけた。
(あの子! 謀ったわね!?)
―――
約10分前。
『おーい! 迅華! 迅華ぁー!』
インターホンの前には、夕実が大きく手を振っていた。
「夕実さん? どうしたんです?」
『今、先輩が薫子さんの足止めしてるから! 後10分くらいで薫子さんがここに来るんだけど、その間に何かしら出来ないかと思って、先に知らせに来たー!』
「駒場さんが、安芸薫子を? まさかおふたり、私に味方するつもりですか?」
『当たり前だぜ! 理由は色々あるんだけど、うちも先輩も、迅華を信じる事に決めたんだよ! うちらと迅華の仲じゃん! 今更裏切るとか知らんぷりとか、そんなん出来っこ無いんだよ!』
「……夕実さん、あなた、本当におバカさんですね」
『うわ! ひっど! まぁでもいいよ! うち、あんま考えるの得意じゃないし! 迅華がうちを信じてくれるなら開けて! 信じられないなら、うちらだけでなんとか薫子さんを説得しに行ってくるから!』
「……まったく、どーしょもない人達ですね。そんなのを言われて、私があなた達を放置出来るわけないでしょうに」
『だよねー! 迅華ならそう言ってくれると思ってたよ!』
夕実との会話を終えると、迅華は解錠のボタンを押した。
夕実には知る由もなかったが、迅華のその目は少しだけだが、確かに潤んでいた。




