第62話 魂喰い
「魂喰い……魂喰い! やめろ! チヨちゃんから離れろ!!」
そう叫んだ駒場が、迅華の肩を力ずくで押し退けた。
「先輩!」
咄嗟に夕実は迅華を受け止めたが、ふたりの前には、立ち上がった駒場が凄まじい形相で睨み付ける姿があった。
普段の柔和な彼からは想像もつかない、憎悪に侵された鬼のような形相だった。
「やめて下さいよ!」
迅華の肩を背後から抱き締めながら、夕実が非難の言葉を口にした。
「尾栗さん、離れろよ! 見ただろ!? そいつは魂喰いだ! チヨちゃんを、チヨちゃんを喰ったんだぞ! 薫子さんの言っていた通り、そいつは悪霊なんだ!」
喉がはち切れんばかりとはこの事だろう。駒場は、驚く程の声量で喚き散らしていた。
「魂喰い?」
が、そんな駒場の気勢とは裏腹に、当の迅華は静かに問い返すだけだった。
「魂喰いとは、一体なんの事です?」
「しらばっくれるな! お前は、霊の力を食べる悪霊だろ! 全部聴いたんだからな!」
「なるほど。それは、安芸薫子から聴いたのですね?」
「そうだよ! そう言ってるだろうが!」
「そうですか。では私の答えはひとつです。それは、真実ですよ」
「は!?」
迅華から放たれた予想外の一言に、最も驚いたのは夕実の方だった。
「ほら見てみろ!」
「いやいやいやいや! 迅華、なに言っちゃってんの!? どういう事!? 真実って、それこそ冗談だよね!? 嘘だよね!?」
後ろから抱き着いていたはずだったが、もはや肩を掴んでブンブンと揺さぶる凶行へと変わり果てていた。
「ちょっと? ちょっと、ムチウチに、なっちゃうので、ちょっと!?」
迅華に振り払われ、夕実はどてーん! と尻もちをついた。
「なんでよ!? うち、迅華を庇ってたのに! 迅華がそんな悪霊だなんて、うちは信じてなかったのに!? なんで本当だなんて言うのさ!?」
既に恐慌状態は駒場から夕実へと移行していた。
先に恐慌状態に陥っていた駒場を置いてけぼりにするくらいに夕実は取り乱し、迅華に食い下がるように問い詰め続けていた。
「あのですね、そもそもですが、私、最初から夕実さんに説明してましたよね? 私は霊を携行食料として利用しているって。ファンタジー力を確保出来る心霊スポットに移動するまでの間は霊力を頂戴して、私が使い果たしたら消滅して頂く。それが私の除霊だって、言いませんでしたっけ?」
が、迅華は全く動揺する様子もなく、しかも臆面もなく、そう言いきった。
「あ……言われた」
この返答に、夕実はぽかーんとするしかなかった。
「そうですよね? 私、最初から言ってますよね? なので、言い方を変えれば「私は霊を喰っている」って、それはまぁその通りなんですよ。でもそれって別に隠してたわけじゃないんで、今更そんなに非難されてもなぁって話なんですよ」
「ええ……でも」
「でも、じゃないんですよ」
とりあえず食い下がろうとした夕実を、迅華はピシャリと切り捨てた。
「いや、でも、迅華さんは、迅華さんは」
代わりに口を開いたのは駒場だが、何やら言い淀んでいるようだった。
「なんですか? 駒場さん。言いたい事があるならはっきりとどうぞ」
怒るわけでもなく、ディベートでもするように淡々とした口調の迅華に促され、駒場はようやくはっきりと言い分を口にする事が出来た。
「迅華さんは……幽霊ですよね?」
「はぁ!?」
その言い分に最も驚いたのは、またしても夕実だった。
「どどど、どーいう事ですか!? 先輩!」
「いやだって、さっき、急に商店街に現れたでしょ? 隔絶界域の気配を察知したって言ってたけど、隔絶界域が展開されてからまだ数分しか経ってなかったはずなんだよ。にも関わらず、あんなにすぐのタイミングで。幽霊マンションからここまで何キロ離れてると思う?」
「たたた、確かに!!」
ようやく冷静さを取り戻したらしい駒場の説明に、夕実はしどろもどろになって答えた。
「タケルが急に現れたり消えたりするみたいに、迅華も霊だから、瞬間移動出来たって事!?」
「ああ、僕はそう思ったよ」
そのやり取りを黙って聞いていた迅華が、ため息を着いてから口を開いた。
「ええ、そうですよ。と言うか、私、言いましたっけ? 普通の人間です。って」
「「言われてない」」
ふたりは目を点にし、口を揃えて答えた。
「ですよね? そうなんですよ。私、人間じゃないんです。だから不老ですし、病気にもなりませんし、おふたりには言ってませんでしたけど、カメラなんかにも写らないんですよ。ただそれでも、こうやって生身の体は持っていはいるんです」
迅華が夕実の手を取った。
その手からは、確かに温もりが伝わってきた。
「これがどういう状況でこうなっているのか、私にも分かりかねます。私の認識では、異世界から転生してきた元勇者の、今は半人半霊って事しかないんです。でも、私がそう認識している以上はそれが事実ですし、他人から見てその状態が「魂を喰う悪霊」と言われれば、その通りである事も確かなんですよ」
迅華の弁明は、ふたりの目線から見ても大いに共感出来る内容であった。
「じゃ、じゃあ、やっぱり迅華は悪霊なの?」
「それはまぁ否定はしませんよ。何故なら、決めるのはあなた方だからです」
「ぼ、僕達がですか?」
「ええ。正直、この件に関しての争点は、輪廻転生が存在するかしないか、の部分なんです。私は前に述べたように、そんなものは存在しないと考えます。片や安芸薫子は存在すると主張する。そのどちらを信じるか否かで、私という存在が悪なのか善なのか、受け取り方が変わります」
「確かに……そうなんですが、では、どちらが正しいんですか?」
「何度も言いますけど、私は私が正しいと信じています。転生時に神様的な何かに伺いましたので。私は転生して来ましたが、それは他の世界だから可能だった事。この世界の中では転生は行われない、特例だと。ですが、それを証明する手立てを私は有してません。なので、信じるか否かを決めるのはあなた方次第。そう言ったんです」
はっきりと言った迅華の眼差しには、一点の曇りもないように思えた。
「おふたりは、すぐに決める事は出来ないと思います。ですが、私にはそれを待つ時間はありません。安芸薫子がこの場を離れた理由が私の接近を感じたからだとしたら、どんな意図を持ってなのか、憶測があるからです。もしかしたら、安芸薫子は、幽霊マンションのタケルさん達を狙っているかもしれません。だとしたら、私は今すぐにマンションに戻らないとなりません」
「「……え?」」
「あくまで私の憶測ですので。おふたりはこの言葉に流されてはいけませんよ。私はあくまで、私の考えで動きます。おふたりはご自身でしっかりと考えて結論を出して下さい。焦らなくて結構です」
「ちょっと待って。……そんな突き放さなくても」
「いいですか? 夕実さん。私には時間が無いのです。すぐに戻ります。ただ、ひとつだけアドバイスはあります」
迅華はゆったりと息を吸うと、はっきりと言った。
「おふたりが決めるべきは、私か安芸薫子のどちらに付くのかを決めるか、私達の事なんか忘れて普通の生活に戻るか、その二択だけだという事です」
そうして、鎌渡迅華は去って行った。
残された夕実と駒場は、気が付くと、大正ロマン風の内装が施された喫茶店のテーブルに、何事も無かったかのように腰掛けていたのだった。




