第60話 式神
チヨが降りてきた。
瞳を真っ黒に染め、鼻は削げ落ち、牙の生えた口が耳まで裂けた、大怪異としての彼女の本性を剥き出しにした状態で。
その瞬間、夕実と駒場を目眩が襲い、気が付いた時にはふたりは喫茶店の外へと放り出されていた。
「あ痛た……!」
コンクリートブロック敷きの地面に尻もちをつかされ、腰をさするふたりだったが、その異変にはすぐに気が付いた。
「隔絶界域!?」
咄嗟に立ち上がり喫茶店の中へ入ろうとしたが、扉は固く閉ざされていた。
窓から中を覗き込むと、喫茶店内は城郭にある部屋のような豪奢な内装の和室に変貌を遂げていた。
その中で、チヨが薫子の上半身に組み付き、薫子が真顔で押し返そうとしている姿が見えていた。
「これまでいい子に大人しくしていたのに、一体どうしたのかしら? 突然に」
歯ぎしりをするように、力を込めながら発される薫子の声が漏れ聞こえてきた。
「貴様はおユキの仇! でもチヨは、駒場兄様の顔を立てて大人しくしていた! でも、でも!」
「ならば、ずっと大人しくしていてくれれば良かったのではなくて?」
「でも! 貴様は兄様の側仕えにすら危害を加えようとした! チヨは、もう貴様を許さない!」
「あらそう。彼の指示ではなく、あなた個人の判断と、そういう事なのね」
「これ以上! チヨから大切なものを奪うのは! 許さない!」
チヨが薫子の頭を飲み込もうとした途端、小さなチヨの体が弾き飛ばされた。
「わたしはね、あなたが、駒場君だったかしら? 彼の式神だからこそ見逃していただけよ。あなたもまた理から外れた存在ではあるけれど、何かに必要とされたからこそ式神となっている。その事実を受けて、見逃していたのよ」
薫子が、大きく両腕を広げた。
「でも、あなたが式神の役割を放棄して、ただの霊としての意思を貫くのなら、それはもはや祓う対象でしかない」
広げた腕の先、手のひらを上に向けた。
その手のひらから、凄まじい霊力が放出されたのが分かった。
薫子から放たれた霊力は渦を巻き、ひとつの奔流として集束し、更に渦を巻くと、まるで雲のような塊へと化していった。
薫子の倍はあろうその雲の中から、獣が頭を出した。
ライオンのような頭には鹿のような角が生え、馬のような体には、炎のたてがみが燃え盛っている。そんな獣だった。
「これがわたしの式神、麒麟よ」
完全に雲から抜け出してきた麒麟が、薫子を守るようにチヨの前に立ち塞がった。
それはとても荘厳で、神々しい立ち姿だった。
「あなた、城化け物ね。それだけではない。現代妖怪の何か……トイレの花子さん辺りかしらね? ふたつの大きな属性が交わっている、とても特異な存在と見るわ。わたしがこの麒麟を使役する時は、絶大な力を持つ相手と認めた時のみ。光栄に思うといいわね、城化け物。あなたは……」
薫子が右腕をかざした時には、麒麟は既にチヨの胴体に噛み付いていた。
「わたしの眼鏡に叶ったのよ」
チヨの小さな胴体は、麒麟の鋭い牙によって真っ二つに引き裂かれた。
「チヨちゃん!!」
喫茶店の外では、駒場が悲鳴を上げていた。
「わわ! チヨ、一発でやられちゃった!?」
その隣で夕実も口を押さえて慄いているようだった。
が、チヨも負けてはいなかった。
一度は引き裂かれはしたものの、すぐに空中で胴体を接合すると、麒麟に向かって噛み付いていったのだ。
チヨの牙が麒麟の喉元に突き立てられた。
麒麟は馬が嘶くように後ろ脚で立ち上がると、チヨを畳に叩き付けた。
チヨの小さな体は麒麟の前脚によって、畳の中に埋め込まれてしまった。
「ダメだチヨちゃん!」
駒場が窓に激しく手を突いた。
「きっと、僕と契約している式神だから、僕と一緒にいないと本当の力が発揮出来ないんだ」
「マジですか!? チヨ、あんな強そうな怪獣相手に本当はやれるんですか!?」
「そうだよ。僕が最初に感じたチヨちゃんの力はあんなもんじゃないんだよ。もっと全然、凄い力のはずなんだ」
「でも先輩はここにいるじゃないですか? 距離の問題ですか?」
「いや、きっと隔絶界域のせいだと思う。この中に僕が入らないと、同じ空間にいる事にはならないんだ」
「じゃあ入りましょうよ」
「ダメだと思う。これまでの経験からも、この界域を乗り越えるのは、展開者よりも強い力を持った存在じゃないと出来ないんだと思う」
「うちと先輩で出来ますかね!? って、無理ですよね。そんな事が出来るのって……」
「ああ、迅華さんしか、いないと思う」
駒場と夕実は顔を見合わせた。
「呼びに行こう、迅華さんを。僕らは謝らないとならない事をしたけど、それでも、今は迅華さんに頼るしかないんだ。許してくれるか分からないけど」
「ですよね……うちら、迅華を裏切ろうとしちゃったんですよね。でも、結果的に薫子さんを見付けられたし、迅華の目的通りにもなってるんだから、結果オーライじゃないですか?」
「こういう時、君のその楽観的な思考は本当に救いになるよね」
「そうですかね? 照れますね」
夕実は頭をさすって顔を赤らめていた。
決して褒め言葉ではないのだが、だがしかし、駒場の本音通りに、迅華に対しての義理が立つのは間違い無いのも事実。
「行こう、尾栗さん。迅華さんを呼びに」
「了解です! ダッシュで!」
ふたりは店の前に停めておいたチャリを出すと、無人の商店街を猛ダッシュで漕ぎ出したのだった。
―――
それから何分が過ぎたのであろうか。
ふたりは、チャリを漕ぎ続けていた。
そこはかとない違和感に包まれながら。
「先輩」
「どうしたの?」
「なんかこの商店街、誰もいなくないですか?」
「……ああ、いない。いないし、この商店街、どこまで続くんだ?」
そう、ふたりは猛ダッシュでチャリを漕いでいるが、いっこうに出口に辿り着かないのだ。
だが、同じ景色を延々とループしているようにも思えない。両脇を固める商店は、ふたつとして同じ物は現れていない。全てが別の店であり、別の建物。それが延々と続いているのだ。
「もしかして、景色が違う事に騙されているけど、この商店街、無限ループしているんですかね?」
「……もうこうなってくると、その可能性しか考えられないけど」
「ひょっとして、もしかしてですけど、この商店街って」
「だと思う。秋野薫子の、隔絶界域の中なんだ」
駒場が苦々しくその結論を口にした瞬間、
「嘘やろぉぉぉ!!!」
夕実の絶叫が商店街に木霊するのであった。




