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第59話 空想の世界の出来事

「ジンカ……そう、アレはそういう名をしているのね」


 夕実の呟きは薫子にもはっきりと伝わっていたらしい。無理もない。この喫茶店は今、まるで無音の静寂の世界だったのだから。


「夕実ちゃん」


 薫子が、未だ茫然自失の夕実の手を握った。


「あなたに取り憑いているのは紛れもなく、あの時の魂喰い(ソウルイーター)。でも安心して。わたしは、あなたを魂喰いから救い出す為にやって来たの」

「救い……出す? うちを?」

「ええ。あの時、わたしは優勢に戦いを進めたわ。まずは少年の霊を成仏させた。アレは抵抗してきたけど、力の供給源を失った状態のアレとわたしとでは、紙一重でわたしの方が上回っていた。でもそれはやはり紙一重。何とか除霊寸前まで追い詰めたけど、逃げられてしまった。その借りを返し、そして、今の被害者であるあなたを救い出すのよ」


 静かに語り終えた薫子、呆然とそれを聴き続けた夕実。ふたりの時はテーブルの上で止まったままだった。

 その時を動かしたのは、駒場であった。


「あの、薫子さん。ちょっと宜しいですか?」

「何かしら?」


 まるで無関心な部外者から話し掛けらるように、薫子は、夕実から視線を切らずに返事をした。


「今、成仏と仰いましたか?」

「それが何か? わたし達の使命は、霊を成仏させて輪廻転生の循環に戻してあげる事だから、当然の行いよ」

「僕達は……成仏という概念は存在しないと聞いていました。霊は、今現在有している霊力を消費し終えたら、消滅して終わりだと。だから、悔いの無いように、心置き無く逝けるように、手助けをしてやるんだと」

「それをあなたに教えたのは魂喰いでしょう? だとしたら、そうに言うのは当然の事よ。自己の凶行を正当化する為の言い訳が必要なら、そんな内容になるでしょうからね」

「あなたが……安芸典明(あきのてんめい)を祖とする血筋の方々が、霊を無理やり消滅させているとも……」

「あら、そんな事もご存知なの? ふふ、面白いわね。それも魂喰いの入れ知恵かしら? だとしたら、よほど悔しかったのね。わたしから、命からがら逃げた事が」


 薫子は実に面白そうに小さな笑い声を上げた。


「あなたは無理やりと言うけれど、それは当然の行いよ。浮遊霊や地縛霊、霊として現世に留まっているという状態自体が、輪廻の循環を阻害する状態なのだから。それを是正するのは当然じゃなくて? 正しい行いをする事に何の遠慮が必要なのかしら?」


 その主張に若干ではあるが不満の色を浮かべた駒場だったが、その表情が薫子の気に障ったのかもしれない。薫子は夕実の手を離すと、おもむろに駒場へと向き直った。


「それに、悔いの無いよう心置き無く逝けるように? そんなものは詭弁でしか無いわよ。相手を安心させて、抵抗させないようにするという事じゃないの。それこそ、魂喰いのやり口よ」


 薫子の視線は冷徹で、しかもその口振りは圧倒的な自信に満ち溢れているように感じられた。


「僕は……僕はそうは思えません。彼女は、迅華さんは、自分を異世界から転生してきた勇者だと名乗っていました。もし彼女が悪霊だとしたら、わざわざそんな回りくどい設定を口にするでしょうか? もっと現実的に尾栗さんや僕を信用させるようなものがあったはずです」

「そう。あなた達は、アレにそう説明されたのね。その疑問の答えも簡単よ。アレは接触した相手の思考を読み取る能力を備えている。初めに接触したのは、取り憑かれた夕実ちゃんよね? 夕実ちゃんの日頃からの趣味嗜好に合わせた理由を用意して、信じさせようとした。それだけよ。考えてもみなさい。異世界から転生してきた勇者ですって? そんな事象が本当に起こり得ると思うの? まるで空想の世界の出来事じゃない」


 薫子の口から放たれた正論に、駒場は言い返す術を持ってはいなかった。

 確かに言われればそうだ。

 転生勇者? 漫画やラノベのネタじゃあるまいし。

 どうして自分はそんな下らない説明を信じてしまったのだろうか?

 真正面から切り捨てられ、初めて目が覚めた気分になった。

 が、


「薫子さん」


 そんな駒場の横でそれまで呆然としていた夕実が、突如として口を開いた。


「なら、うちは、迅華を信じます」

「あら? もしかして、趣味嗜好を貶された事が気に障ったかしら? だとしたら謝るけれど、でも、やはり空想は空想だもの。そこは割り切って欲しいところよ」


 薫子が意外そうな眼差しを夕実に向けた。


「空想の世界の出来事は、薫子さんが言っている事も同じじゃないですか? そもそも、霊がいて、輪廻転生? というのがあって、それを正しくしようとする霊媒師の薫子さんがいて。そんなの、本当なら全部全部、空想の中の出来事なんですよ、本当なら」

「残念だけど、夕実ちゃん。わたしが言っている事は、事実よ」


 夕実の主張もまた、薫子にバッサリと切り捨てられた。……のだが、夕実は駒場とは違った。


「なら!」


 夕実の声に芯が生まれたのが分かった。


「迅華の言っている事も事実だって可能性は、まだ十分にあると、うちは思います。だって事実、幽霊はいたんですから。そんな非現実的な事が事実なんだったら、薫子さんも迅華もどちらの言っている事も、事実の可能性はあります。ただ、今の時点ではうちはどちらが正しいとか言えないだけです」

「夕実ちゃん。よくお聴きなさい」


 その強い芯を、薫子もまた感じ取ったのだろう。

 その声色は、まるで母の言葉のように優しいものに変わった。


「あなたは悪霊に騙されているのよ。取り憑かれているの。だから、信じたい気持ちになるのかもしれないわね。でも、信じてはいけないわ。アレは悪霊よ。この世界の理にとっての害悪よ。選択を間違わないで。アレは、この世に居てはならない存在なのよ」

「間違うって、何ですか? うちが間違えたら、何が問題なんですか? うちには分かりせん。だってまだ、迅華の話しを、聴いてないから」

「あなたまさか、また魂喰いの元へと戻るつもりじゃないでしょうね? お止めなさい。あなたがアレの元に戻れば、アレはあなたを利用して自由に動き、そして魂を喰らい続ける。それを許せば生命は破滅の道を進むのよ? そうなれば、夕実ちゃん。あなた自身も世界の理から外れる者になってしまうわ」

「ごめんなさい、薫子さん」


 夕実は立ち上がった。


「うち、どうしても、迅華と話しがしたいんです」


 その顔は、固い意思を持った、とても強い表情を浮かべていた。


「そう……ならば」


 薫子もまた、夕実を遮るように立ち上がった。


「あなたを引き留めるしかないわね。力ずくになろうとも」


 その瞬間だった。

 薫子の頭上に降ってきたのだ。

 荒ぶる本性を剥き出しにした、大怪異のチヨが。

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