第58話 接触
午後3時。
勇市駅から最も遠くに位置する商店街の隅にある、大正ロマン風の内装が特徴的な喫茶店。
その店の一角に、夕実と駒場は腰を落ち着けていた。
目の前に、喪服と大して変わらない、漆黒のセットアップスーツを纏った淑女と向かい合いながら。
「やっぱり来てたんですね、薫子さん」
「ええ。昨日あなたからお話しを訊いて、早朝から車で移動して来たのよ」
秋野薫子は、優雅な作法でコーヒーカップを傾けながら、やはり優雅に笑みを浮かべた。
「それで、お友達もご一緒で、わたしにどんなお話しかしら?」
用が無ければコンタクトを取る必要も無い。それは薫子もよく分かっているようで、単刀直入に話しを切り出してきた。
「ええと……昨日お話ししたアパートの幽霊が居なくなってました。それは、薫子さんが除霊したんですよね?」
ここへ来て隠す必要も無い。夕実もまた、単刀直入に問い掛けた。
「ええ、そうよ。夕実ちゃん、あなたに取り憑いている霊の可能性があったから、わたしが祓ったわ。それにしてもこの街、とても霊の多い街ね。わたしも世界各国を回ってきたけど、ここまで多い土地も珍しいわ」
「あの、薫子さんは、あのアパートの霊だけじゃなく、周囲の浮遊霊も除霊したりしましたか?」
「ええ、間違いなく。あなた、凄いわね。そこまで見えているのね。それに……お友達のあなた」
「駒場です」
「あなたにも何かが取り憑いている気配を感じるわね。それも、かなり強大な存在が」
駒場は視線だけを天井に向けた。
そこにはチヨがいる。天井裏にチヨを隠したのだ。
場合によってはチヨがまた暴走する可能性があった故の措置だったが、駒場の視線を察したのか、チヨは天井裏に潜んだまま大人しくしてくれているようだった。
「そう、天井裏に居るのね。駒場さんの式神は」
「え!?」
視線で悟られた。
それだけでは無いのだろう。薫子は、駒場とは全く目を合わせる事なく、そう言い放ったのだ。
が、チヨについてそれ以上は言及する事無く、薫子は夕実に視線を向けた。
「でも、1番の問題は、やはり夕実ちゃん。あなたね」
「「え?」」
夕実は勿論、内心で安心していた駒場もまた、その一言に驚きを隠せなかった。
「薄々は感じていたのよ。だけど、あのアパートの霊を祓っても尚消えないその気配。大きな大きなその気配。それは、とても危険よ?」
薫子の視線は、夕実の顔から胸を撫で回すように、何度も何度も行き来を繰り返していた。
「ええと……その気配と言うのは?」
夕実にも心当たりが無い訳ではない。
彼女の周りには、タケル、星、京子と言った地縛霊が多く居る。その誰かの気配の事を言っているのだとしたら、もし、その誰かを除霊すると言われたら。
そう思うと、夕実は気が気では無かった。
「魂喰いという悪霊をご存知かしら?」
夕実の気持ちを知ってか知らずか、薫子はカップを口から離すと、ゆっくりとした口調で問い掛けてきた。
「魂喰い? いえ、知りません」
「あなたも?」
思いがけずの問い掛けに、駒場も小さく頷いた。
「霊を食べる悪霊の事よ。それ自体も霊ではあるんだけど、他の霊を喰らって力を蓄える、とても危険な霊なの。あなた達も察している通り、わたしは霊媒師よ。陰陽道に属する技術を扱う霊媒師なんだけど、わたし達の一派には仏教思想が取り入れられているの。魂は、輪廻転生を行うという思想がそれね。魂はこの世界の上で常に一定量を保ち、死するとまた別の何かに転生し、循環し続ける。それが自然の理としているのよ。だけど、その輪廻転生の循環を妨げるモノが在る。それが魂喰い」
「……輪廻転生を妨げるモノ」
駒場が反芻するように呟いた。
「そう。本来は不変であるはずの魂を魂喰いが喰らう事で、魂の数は減ってしまう。生まれ変わるべき魂が消滅してしまう。これは由々しき事態。わたし達、生命が、徐々に衰退してしまう事を意味しているの」
「確かにそれは……危険な存在ですね」
駒場が小さく頷いた。
「わたしはね、以前、魂喰いと遭遇した事があるの」
「「え?」」
続いて発された薫子の言葉に、ふたりは再び驚きを見せた。
「あの時、わたしは魂喰いを仕留め損ねた。今でも悔いているわ。アレを逃がしたせいで、魂は今も喰われ続けている。生命は少しずつ衰退している。それはわたしのせいでもあるから。あの時わたしが、アレを仕留めていればと、ずっと悔いているのよ。でもね……」
薫子は、静かに夕実の顔に視線を戻した。
「ようやく見付けたのよ、あの悪霊の気配を。夕実ちゃん。あなたの纏う気配。それは間違いなく、魂喰いのものよ」
「ええ!?」
夕実は思わず声を上げていた。
「う、うちが? 魂喰いに、取り憑かれている?」
「ええ。一度出会えば忘れないもの。あのおぞましい気配。邪悪で、そして、強大な力の気配」
「あ、あの、何かの間違いじゃ? うち、そんな霊と出会った事ないですよ」
「そうね。そう思うのも無理は無いわ。アレは隠すのも得意だから。自分の力を、誰にも悟られないように、内側深くに隠しているのよ」
「で、でも、でも……」
「信じられないのも無理は無いわね。アレは狡猾でもあるから。もしかしたら、あなたはアレに騙されているのかもしれないわね。知らず知らずのうちに、信用させられているのかもしれないわ」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
淡々と語る薫子に、駒場が静止を掛けた。
「あなたは、尾栗さんが魂喰いと直接会った事があると、そう確信してるんですか?」
「ええ勿論。アレも所詮は霊よ。直接会わなければ、取り憑く事は出来ないもの」
「……その魂喰いが誰なのかも、あなたは分かっていらっしゃるんですか?」
「ええ、勿論」
駒場が、そして夕実も、生唾を飲み込んだ。
「で、でも……そんな事、言ってなかった。うちにそんな悪霊が取り憑いてるなんて……言ってなかった」
「言ってなかった? それは誰が?」
独り言のように呟かれた夕実の言葉を受け、薫子は静かに問い掛けた。
「ぼ、僕達には、霊媒師の知人がいるんです。彼女は、その人の事を言っているんです」
「霊媒師?」
「はい。とても優秀な霊媒師で、多くの実績を持っている、とても凄い人なんです」
「そう。そうなのね。その人が何も言わなかったと。では、どうして何も言わなかったのかしら?」
その一言に、駒場は戦慄した。
「どうして?」
駒場の頭の中はまるで嵐の真っ只中のように、グルグルと渦を巻いていた。
「あの……魂喰いと出会った時の事を、お伺いしてもいいですか?」
「ええ。あれは13年前の事よ。わたしは、ある強大な力を感じたの。何百キロ離れていても分かる程の強大な力だった。本心では怖くて仕方なかったけど、それでも自分を止める事が出来なかった。まるで吸い寄せられるようにその力の元へと向かったわ。そして、ある山中のトンネルで、アレと出会ったのよ」
それは、どこかで聞いた事のある回顧録。
「トンネルから少年の霊を連れ出そうとする、魂喰いと」
どこかで聞いた事のある回顧録は、そして、完全に符合した。
夕実が、呆然と呟いた。
「迅華が……魂喰い?」




