第47話 ダブルミッション
同日、午後11時。
駒場はタケルを連れ、件のオフィスビルの前に立っていた。
駅周辺の歓楽街からは外れたオフィスが密集した地域とあって、この時間でも人通りはほぼ無し。霊媒を仕掛けるには絶好のロケーションとなっていた。
「一応、見繕った心霊スポットはここから500メートルくらい離れた小学校です。そんなに離れた場所ではないので、すぐに移動は可能ですね」
「グッジョブです。そんなすぐに消滅するわけではないですが、あまりにも霊力が低い状態が続くと人格や知性に影響する可能性がありますからね。霊媒が終わったら、速やかに移動して下さい」
「人格や知性に影響って、具体的にはどうなるんですか?」
「はい。性格が破綻したり、知性が著しく低下したりします」
「それは今のタケルにも当てはまりますけど、それ以下になるって事ですか?」
「ああ、確かにそう言われればそうですね。タケルさんならそんな変わらないか」
声だけが爆笑する中、タケルの表情だけは不満そうに怒っているように見えたのは気のせいだったかもしれない。
「さて冗談はこの辺にして、そろそろ行きますか」
気を取り直したのか、迅華の口振りが真面目そうなものへと切り替わった。
「駒場さん、タブレットを。それと、大体何年前くらいまで遡ればいいのか教えて下さい」
「江戸時代後期だと、大体250から150年前くらいでしょうか」
「分かりました。では、200年前から行きますね」
駒場の差し出したタブレットに触れながら、タケルがビルの前に設えられた小さな垣根の根元に足を着けた。
その途端、タブレットの画面にどこかの建物の見取り図が映し出された。
「これが簗田家の旧宅の図面ですか?」
「分かりませんけど、200年前の土地の記憶です。私には何が映ってるのかは見えませんので、スクショするなりで保存しておいて下さい。それと、もうタケルさんの霊力の限界です。後2秒で終わりにします」
「え!? ちょ、ちょっと待って下さい! 今スクショしますから!」
慌ててタブレットのボタンを押すと、それとほぼ同時に画面は暗転するのだった。
「あ、危ない。何とか間に合いました」
「それは良かったです。んでは、すぐに小学校に向かって下さい。思ったよりもギリギリまで霊力を消費しました。結構、ヤベェですよ」
「ええ!?」
驚いた駒場がタケルに視線を移すと、彼の顔は、まるでゾンビのように崩れて今にも朽ち果てそうな様相を呈していた。
「気持ち悪っ! そして怖いんですけど!」
「一旦、私もタケルさんから離れますね。これ以上の逆霊媒は消滅を早めます。駒場さん、ダッシュでお願いしますよ」
そう言ったと思ったが早いか、タケルの顔が更に崩れ始めた。
「えええ!? マジかよ!!」
「こまば……痛い……苦しい……助けて」
「その声はタケル!?」
「苦しい……死ぬ」
「ままま、待ってろよ!? 死ぬなよ!?」
迅華との通信が途切れた事に驚く暇もなく、突如として苦しみ始めるタケルに仰天する駒場。お前はもう死んでいるだろうという真っ当なツッコミすら忘れ、そのただならぬ様子に恐れ慄くと、一路、小学校を目指してダッシュで移動を開始するのだった。
―――
「はぁっ! はぁっ!」
陸上競技の中で、400メートル走が最も過酷だと言われている。
普段やり慣れていないダッシュで約500メートルを走りきると、息を切らせた駒場は遂に目的の小学校の前に立った。
何故かタケルを背負った状態で。
「痛いよ……こまば……死んじゃうよぉ……」
「つ、着いたぞ。完全に違法だけど、フェンスを乗り越えるから、もう少し待ってろよ」
背中のタケルがどうなっているのかなど見たくも無いが、振り向いている余裕も無いのも事実。駒場は小学校の低いフェンスに手足を掛けると、たどたどしい挙動でそれを乗り越えるのであった。
ドダンっ! と運動神経の鈍そうな音を立てて着地した駒場は、そこでようやくタケルの様子を伺う為に振り返った。
「こまばぁ……」
「ぎゃぁ!!!」
目の前にあったタケルの顔は、既に大半が溶けきって、まるでヘドロのお化けの様でもあった。
「なんで!? 回復は!?」
「足りないよぉ……ここには霊力なんかないよぉ……」
「ええ!? この小学校は有名な心霊スポットなんだぞ!?」
「ここじゃない……あっちから……あっちから霊力を感じるよぉ……」
喘ぎながらもタケルが指差したのは、校舎の方だった。
「こ、校舎の中?」
駒場はそこで思い出した。
この学校が心霊スポットとして名高いのは、3階のトイレにいわゆる《トイレの花子さん》が出没するという噂からだ。
どうやら霊力が集まっているのは、その3階のトイレのみという事なのだろう。
「それもう完璧な不法侵入じゃないか。絶対に施錠してあるだろうし、どうやって入るんだよ?」
「おねがい……助けて……もう無理」
「分かったよ! もう少し待っててよ! すぐ入れる場所を探すから!」
徐々に弱くなっていくタケルの声が駒場を焦燥に駆った。
もはや四の五の言ってられない。
既に死んでいるはずの地縛霊を助ける為に、駒場は法を侵す事を決意すると、校庭を横切って走って行った。
校舎の壁に張り付くと、身を屈め、手近な窓に手を這わせてみる。が、案の定、窓には鍵が掛けられていた。
「いやまぁそうだよね」
仕方なく隣の窓の下に移動するも、やはり同様。このまま1つずつ確認していくのも時間が掛かる。駒場は大きく息を吐くと、ある場所を探し始めた。
校舎に沿って回り込む事数回。遂に目的の場所を発見した。
真っ暗な校内にあって、唯一窓から光が漏れ出ている部屋。
それは、宿直室だった。
「あった」
現代の学校では、宿直という制度は既に廃止されている。しかしこの学校は心霊スポットとして有名な場所である。駒場のような侵入者がいつ現れるか分からない状況にあって、誰かしらが留守居をしている可能性は少なからずあると踏んでいたのだ。
「やっぱり誰かいる」
物音を立てないように慎重に宿直室の窓の下まで潜り込むと、駒場は心中で謝意を述べた。
(申し訳ないです。もう金輪際、こんな悪さはしませんので)
駒場は、小さく窓ガラスをノックした。
「誰かいるのか?」
中から男性の声がしたかと思うと、カーテンが開けられ、声の主が顔を覗かせた。
壮年の、部屋着であろうジャージを身に纏った男だった。
駒場は窓の下にうずくまると、手近にあった小石を明後日の方向に投げた。
「誰だ!?」
勢い良く窓が開け放たれた。
その瞬間、タケルを男性の目の前に飛び出させた。
「うおおぉぉぉぉ!!??」
ほぼゾンビかヘドロのタケルのご尊顔を目の前で見せられた男性は、凄まじい悲鳴を上げ、そして直後にバタリとした鈍い音を響かせた。
どうやらあまりの恐怖に気絶してしまったらしい。
立ち上がった駒場は男性が倒れているのを確認すると、
「すいません!!」
小さく一礼だけを残し、その窓から校舎内へと侵入するのだった。




