第33話 渋屋の雑居ビル
時刻は午後10時。
迅華と駒場は、東京の中心地のひとつ、渋屋駅へと降り立った。
春休み真っ只中とあって、この時間でも駅前は人でごった返していたが、元々は東京でも活動していた迅華はこういった人混みには慣れているようで、縫うようにポチ公前広場を通り抜けると、道念坂方面へと向かって歩いて行く。駒場もなんとか付いては行っていたが、いかんせん迅華の歩速は速く、今にも置いていかれそうに必死に歩いていた。
道念坂を登りきり、ダークシティウエストビルの出入り口を通り過ぎて仏泉駅へと向かう路地に入り込む。比較的、人の少ないその地区に、例のビルはひっそりと佇んでいた。
「ここ……ですね?」
立ち止まってビルを見上げる迅華に追い付いた駒場が、少しだけ息を上がらせながら問い掛けた。
「ええ。確か3階でしたね。タケルさん、星さん、お願いします」
「はい!!」
「分かった」
またしてもハイテンションなタケルと、対照的にローテンションな星のふたりが、ビルの壁をすり抜けて入って行った。
鬼が出るか、蛇が出るか。
残されたふたりは、と言っても駒場だけだが、固唾を飲んで報告を待ち侘びていた。
数分後、ふたりが戻って来た。
「どうでした?」
抑揚の無い声で迅華が問い掛けた。
「結論から言うと、居た」
答えたのは星だった。
星は無表情に答えた。しかし、タケルは違っていた。既に血の気も引いた幽霊にも関わらず、彼の顔色は、真っ青に染まっているかのように見て取れた。
「居たが……哀れなもんだった」
「生きてますか?」
「ああ、生きてはいる、が、様子を聴きたいか?」
「ええ、勿論」
「耳が腐るかもしれないぞ」
「私にはあなた方に中を見てくるよう依頼した責任がありますので。駒場さんはどうします?」
振り向いた迅華に尋ねられ、駒場は生唾を飲むだけで、首肯も拒否もどちらもする事が出来なかった。
「いいでしょう。まずは私がお伺いします。その上で、あなたも聴くべきかどうかを判断しましょう」
その提案に、駒場はやはり生唾を飲むだけだった。
駒場の反応に頷いた迅華の耳元に、星が顔を近付けた。
「もう人として再起不能だろうな。既にドラッグ漬けで意識は混濁してるから、まともな性接待も出来やしない。ただあそこで家畜以下の扱いをされているだけだった。恐らくあの状態じゃ保険金を掛けたところでまともに下りやしないだろうから、ただ処分されるだけだろうな。正直、散々命を奪い、軽んじてきた殺人鬼のオレですら、あそこまでむごたらしい現場にはお目にかかった事がない。さっさと死んじまった方がどんだけマシだか分からんだろうさ」
「やはりそうでしたか」
迅華は表情すら変えず、その報告をただ傾聴するだけだった。
星が見てきた全てを話し終えたところで、迅華がおもむろに駒場へと向き直った。
「駒場さん」
「……はい」
「あなたはただ普通の人です。普通の生活を送る、普通の人です。あなたは、この話しを聴くべきではありません。そして、この先、彼女に対して何をするべきなのかも、あなたの手には余る判断になります。何故なら、判断を下すには、話しを聴く必要があるからです。あなたはきっと、それに耐えられない」
「……はい」
「ですから、ここは私に一任して下さい。彼女の処遇は私が判断します。宜しいですね?」
「……はい、お願いします」
駒場の声は震えていた。
恐らくは、想像くらいは出来ているだろう。創作の世界ではいくらでも目にするような出来事だと、そう思っていた。
この場所に来るまでは。
それがいざ、現実に起こっている出来事だと察した途端、震えが止まらなくなった。
迅華の言う通りだ。
自分は、現実を知れば、きっとうなされて眠れなくなる。囚われて逃げ出せなくなる。心に枷を付けられて取れなくなる。
ただ思い付いただけの正義感になど、耳を貸すんじゃなかった。
しかし、迅華の申し出に安堵している自分もまた、そこにいる事に気が付いていた。
無力な自分を呪うと同時に、無力である事を幸福にも感じていた。
この判断を、しなくていいのだから。
「では、駒場さん。タケルさんと一緒に渋屋駅へと戻り始めて下さい。私はやるべき事をやり、そうしたら、後を追いますので」
「分かりました」
ポツリと一言呟くと、駒場はダークシティウエスト方面へと向けて歩き始めた。
それを見送った迅華は、改めて雑居ビルへと振り返った。
「じゃ、星さん、行きましょうか。出来たらまた刀に変身してもらえると助かりますね」
「構わないが、もしかして、助けに行くのか?」
「ええ、そのつもりです。ただ、助けるって言っても、その後で警察に通報しますけどね。目下の危険を排除するだけですよ」
「オレの話しを聴いてもなお、あの女を助けるのか? 死なせてやらなくていいのか?」
「生き延びた方が、彼女にとっては苦痛でしょうからね。全てを失っても生き延びた先で、彼女が自ら死を選ぶか、はたまた正しい道へ戻るのか。決めるのは彼女自身です。苦しみながら、決めたら良い。彼女は、それだけの事をしてきたのですから」
「あんた、本当に勇者なのかよ?」
「どうでしょうかね。どちらの選択が正しいのかなんて、分かりませんよ。私にだって。ですがひとつ言えるのは、私は胸を張って京子さんに報告出来る判断を下すのは確かです。その点を考慮すると、私は少なくとも霊媒師って事ですかね」
「因果な商売だな」
「ええ。彼女が苦しみ抜いて、いつか幽霊になった時は、私が救って差し上げますよ」
「オレみたいにか?」
「はい、そうですね。私に出来るのはそのくらいですので」
迅華はゆったりとした足取りで、雑居ビルの階段を登っていく。ずらりと伸びる日本刀を手から下げて。
3階に辿り着くと、黄ばんだ蛍光灯の灯りに照らされた薄暗いフロアに、鉄扉が佇んでいた。
チャイムを押すも、反応が無い。
またチャイムを押した。
何度も何度もチャイムを押すと、遂に扉が押し開けられた。
「うるせぇな! 誰だしつこい野郎は!?」
咄嗟に迅華は扉を引き開けると、顔を覗かせた男を室内へと蹴り飛ばした。
「どうもどうも。突然失礼します。これから皆さんを、成敗させて頂きますねぇ」
迅華の黄金の瞳が、怪しく揺らめいていた。
―――
数台のパトカーが道念坂を上がっていく。
駒場は、ポチ公広場からその様子をただ眺めていた。
「お待たせしました」
そんな言葉と共に迅華に肩を叩かれ、駒場は少しだけ驚きながら振り返った。
「さ、帰りましょうか。まだ終電ってありますかね?」
「ええと、神宿まで出れば勇市までは直行出来ますので、まだギリギリ間に合いますね」
「そうですか。では、行きましょう。あー、お腹空きましたね。神宿でお弁当かおにぎり買う時間ありますかね?」
「ええ、多分そのくらいの時間なら取れると思います」
颯爽と歩いて行く迅華の背中を見つめながら、駒場は少しだけ暖かい気持ちになっていた。
きっと警察を呼んだのは迅華だ。
少なくともその事実だけで、彼の心は救われたのだった。




